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『対極』の結婚問題について
岡本太郎『呪術誕生』と ユング『赤の書』


 昨年2011年の秋から今年2012年の初春まで川崎市の岡本太郎美術館で「芸術と科学の婚姻 ― 虚舟 UTSUROBUNE― 私たちは、何処から来て、何処へ行くのか」という展覧会が開催された。岡本太郎生誕100年を記念する展覧会だった。縁あって私も出品させていただいた。総合プロデュ―サーに馬淵 晃(まぶち あきら)さん、科学情報誌のアートディレクターやイラストレーターをされた経験から芸術や科学の垣根を越えた新たなコミュニケーションの場を模索すべきだと考えるデザイナーである、ゲストキュレーターに新見 隆(にいみ りゅう)さん、かつてのセゾン美術館キュレーターで現在は、武蔵野美術大学の教授であられる、そして、総合監修に村田慶之輔(むらた けいのすけ)館長さん(現岡本太郎美術館名誉館長)という豪華な顔ぶれによって成立した展覧会だった。このお三方と担当学芸員の片岡 香(かたおか かおる)さんには大変お世話になりました。この場をかりてお礼を述べ>させていただきます。
 
その展覧会も終わった1月の下旬ころ、学芸課長の佐々木秀憲(ささき ひでのり)さんが私の作品を返却に4トントラックと一緒に川崎からやってこられた。この人、慶応義塾大学で海津忠雄(かいづ ただお)さんに美術史を叩き込まれたのだそうだ。でも、バーゼル学派かヴァールブルク学派かはわからない。その佐々木さんのおみやげは、岡本太郎の銘の入ったもなか。うん?でも、普通のもなかではありえない。絶対に。やはり思ったとおり普通には入っていないものが中にある。唐辛子だ。しかし、お断りしておくが、このもなか、岡本太郎美術館の開館を記念して創作され、全国菓子大博覧会の農林水産大臣賞を受賞したという逸品である。唐辛子の辛さとあんこの甘さは、通常の味覚にあっては対極であって、こんな非調和であっても成立する味というのも不思議と言えば不思議である。
 このもなかに刺激されたせいか最近は、再び岡本太郎の著作にはまっている。なにせ文章がやたらにうまいのである。しかし、太郎さんの作品には(親しみを込めて太郎さんと呼ばせてほしいのだが)、ついていけないという人も多い。何故だろうか?
瀧口修造さんは、「1961画家の状況について」という文章の中で岡本太郎の文明評論などの評論活動の断面の大きさを指摘したうえで、その活動を評価している人たちには二通りあると続けている。一つは、彼の絵画作品を下手だと決めつけるが文章はうまいと認める人たち(それとても文章の中身を必ずしも評価しているわけではない)、もう一つは、絵の評価は棚上げにして文章だけを面白いとする人たちである。どちらにも不服だと瀧口さんは、書いている。同じ文章の中でこうも書いている。『‑‑‑‑ それはかれの著述が騒がれれば騒がれるほど、奇妙にはぐらかされてしまう何ものかがあり、それをたどってゆけばついに岡本太郎の絵画があるのではないか、と思ったのである。‑‑‑‑ 考えてみれば、かれの絵と、かれの文章と、あれほどぴったりしたものはないのではないか。‑‑‑‑ 』というわけで、太郎さんの著作を読んでみたのである。そうすれば彼の絵画に到達できるのだから。
 『芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。芸術は、いやったらしい。』 太郎さんの有名なテーゼである。普通のアーティストは、こんなことは言わない。でも、これにはちゃんとした理由があるのである。1949年の、「芸術観―アヴァンギャルド宣言」という著作の中で、太郎さんは対極主義を表明している。彼は、1930年代当時のトップモードであったパリの画壇で活躍するのであるが、抽象主義にも、ダダやシュルレアリスムにも最終的に与しなかった。これら両者の基調には、合理・非合理というヨーロッパの歴史をたくましく貫く根源的契機があると、彼は言う。そして、 理性はあくまで追求されるべきだが情念はまた爆発的に飛躍しなければならない。これからのアヴァンギャルド芸術の精神には、非合理のロマンティシスムと、徹底した合理的な構想が、激しい対立のまま同存すべきであって、この異質の混合や融和を彼は考えない。二つの極を引き裂いたまま把握する、より厳密に言えば、己を一方の極に賭けるのだという。それによってはじめて他の極との激しい対決が誘起される。それを太郎さんは、対極主義と名づけた。今までの美学の中では、統一上互いに拒否しあっていたものが、矛盾したまま描出される。当然それは、猛烈な不協和音を発しはじめる。これは強烈な手法である。しかし、それには、哲学的・思想的な裏付けがあるのである。
 『芸術は、呪術である。』 これがそれである。太郎さんは、こう述べている。『今日の芸術が、自身の中に完結し、あまりに直接的な表現に終わっているところに、空しさ、卑小さ、価値のもろさがあらわれてくるのではないか。むしろ、画面、作品、美学、その枠内の限定されたハーモニーを打ち破って、非芸術的と思われるモメントに賭けるべきではないだろうか。その意味で宗教的・呪術的な方法やその約束ごとは大きな暗示である。』(「秘密荘厳」1962年) また、同じ著作には、『私は、考える。芸術表現の以前と以後を支える強烈な信念、世界観に心身がうちつらぬかれなければ、芸術の営みを絶つべきである。それが、芸術にとって、人間にとって正しい。‑‑‑‑ 先ほど表現以前・以後の世界と言った。それがなんであるかということは、もちろん簡単に言えるものではない。その信念が宗教においては神であり、仏であるかもしれないが、私は、それを、透明なる混沌と言おう。』とある。 しかし、具体的には、どういうことなのだろう。1964年の「呪術誕生」という文章には、芸術には三段階あると述べている。最初の段階、そこには趣味的な面でうけ入られる芸術(絵画)がある。愉悦と幸福感と洗練がある。次は深刻な段階。ここには、理解を超えた切迫感あり、その精神がうってくる。緊張と生きがいがあるのだ。最後の段階は、すべての理解を超えて存在する何でもないもの。これこそ、至高であるという。共通の価値判断が成り立たないと同時に自分自身にも価値判断がわからないもの、それに賭け、貫く。他人の目、世間の評価など何の意味もない。自分一人にしかはたらかないマジナイ。それがいったん動きだせば、社会を根底からひっくりかえす強烈な力を持つというのである。自己と世界とは繋がっているのだ。 では、彼の最も評価する何でもない芸術とはいったい何だったのだろうか?
 その一つが、曼荼羅なのである。宗教上の単なる約束ごと、一枚の紙に鋏を入れただけで神秘の彩を表すような、梵字の一文字が深遠な仏の世界を繰り広げるような、そんなきまり事が我々の精神生活を根底から揺り動かすことがあるという。たとえ、その約束ごとを知らなくても、未開社会の奇怪な呪物、装飾、モニュメント、未知の信仰の儀軌や表象など、それら何らかの気配が人間的な共通する感動を呼び起こす。それは、芸術表現以前や以後を支える強烈な信念につらぬかれているからだと太郎さんは見ている。縄文土器やイヌクシュク(エスキモーの石像)を絶賛するゆえんである。この宗教における神仏にかわるものが、太郎さんにとっては《透明な混沌》であり、芸術は内にある混沌を何らかの形で写し取り、表現しなければならないのである。
 さて、胎蔵界・金剛界、二面のマンダラは、少し離れれば何か美しい絨緞のようではあるが、模様とは言い難い厳しい気配を持つという。絵画効果というより観念の表象化、絶対感として迫ってくる。それも、とりわけ紺地に金銀泥で描かれたいわばモノクロームの神護寺の曼荼羅(紫綾金銀泥両界曼荼羅図<通称・高尾曼荼羅>と思われる)がすばらしいというのである。1962年の「曼荼羅頌」では、このように書いている。色が一色だけの場合、たとえば紺なら紺だけに向きあっていれば、それはもう彩ではなくなってしまう。直視しているうちに、無限の空間に没入してゆき、一切空の場所に、あらゆるイメージの可能性がわいて出るという。そして、それは無限に消滅し、瞬間、瞬間に出発し、展開するのだと。太郎さんにとって宇宙は、ただ清らかで何もない空間のひろがりではなくて、『無限の運命がびっしりとつまった、透明な混沌』(「宇宙を翔ぶ眼」1982年)だった。マンダラという呪術によって、自我は超越されて、その神聖な宇宙に直接結びつけられる。芸術とは、そのような神秘でなければならないのである。それは、宇宙に向かって放たれる開花のような爆発である。
 C.G.ユングの「赤の書」が、2010年に刊行された。16年余りの長きにわたって、私的な日記として手書きで緻密に書き綴り、彩色したものであるという。半世紀以上スイスの銀行に眠っていた。これには、かなり興奮した。読んでみたが、日記というより危機的な内面世界の体験を物語風に綴った中世の聖書写本のような体裁のドキュメントと考えたほうがいいと思う。第一の書、第二の書、そして試練という三部構成になっている。第一の書は、超意味からはじまる。1913年10月の「大波が黄色く泡立ち、瓦礫と無数の死体」から始まる一連のヴィジョンによって、自分が今まで真の魂を失っていたことにユングは気付かされる。それから始まるイメージの流れは、ユングを狂気の淵にまで追い込もうとするほど危険なものだった。内面でのヴィジョンは引き続き、彼はその時代の要求するものすべてを顕現する望ましい精神、つまり美しい英雄を内的に暗殺することによって隠されていた「深みの精神」を発見する。それによって、魂の扉は開かれ、秩序と意味にカオスの暗い流れがもたらされる。秩序づけられたものとカオスとが結婚し、神のような子、意味とナンセンスの彼岸にある超意味が生み出されるのである。ここにもカオスが登場する。
 ユングは、カオスについて次のような非常に美しい文章を残している。『カオスの渦の淵に、永遠の奇跡は住まっている。あなたの世界は、奇跡的になりはじめる。人間は、秩序だった世界にしか属していないのではなく。自分の奇跡の世界に属している。それゆえあなたたちは自分たちの秩序だった世界に恐怖を呼び覚まして、あまりにも外の世界にありすぎることが不快になるようにせねばならないのである。(「赤の書」森の中の城)』 あるいは、『あなたが、あらゆる壁のこの上なく日常的なものを突破するならば、圧倒するような流れとなってカオスが流れ込んでくる。カオスは、単純なものではなく、無限に多面的なものである。カオスには、形態がないのではない。仮にそうであったら簡単であろうが、そうではなく、充溢しているだけに混乱を招く上に、抗し難い様々な像に満ちている。これらの像は、死者たちであるが、単にあなたの死者、つまりあなたの進んでいく生の背後に残したあなたの過去の姿のありとあらゆるイメージだけでなく、人類の歴史における死者たちの集団であり、過去の霊たちの行列であって、その群れはあなた自身の寿命がひと滴であるのに比べれば、大海のようである。(「赤の書」第二夜)』 カオスは、当然ながら秩序の世界の対極にあり、津波のような圧倒的な充溢、限りないもの、神的狂気であること、それらは、個々人の死ではなく一般的な死と結びついていること、イメージに満ち満ちており、過去のそれのいわば乱流のような様相を呈している。おそらく、この世界をユングは、集合的無意識と呼んだのだと思う。
 このカオスと心の中の秩序の葛藤の中から思いもかけない神の子が生まれる。ユングを母として、その胎内から漏れ出てしまったのである。神の子は、醜く―美しい、悪しき―善きもの、ばかばかしく―真剣なもの、病気であり―健康なもの、非人間的―人間的なもの、非精神的―精神的なもの、非神的―神的なもの、そのような両義的な存在なのである。しかし、その後産から立ち現われたのは恐ろしく異様な姿をした、地獄における神の兄弟だった。そして、密儀という門を通ってユングのいう個性化が始まるのだが‑‑‑‑。
 自分の中でカオスを開いた人は、理解できないものの使者の訪問、あるいはそのメッセージを受け取り、それらを呼び出すために魔術を必要とするようになるとユングは書いている。世界は、理性と非理性から成り立っていることにわれわれは気づき、われわれの道が理性だけでなく非理性も必要とすることに気づかされる。 魔術のやり方は、理解されていないものを、理解できない方法で理解できるものにすることにその本質があり、それは、不可解な根拠から生じるという。 私たちの時代はもはや魔術を必要としていない。何故なら今日は、理性の時代だからである。それが、時代の精神である。しかし、両方の端の一方だけを見るなら、他方の端は永久に見えないままである。非理性的なカオスが開かれた時、魔術的なものが必要とされる。ユングは言う。魔術は、一種の生であり、車を操縦するのにベストを尽くしていて他者、つまりもっと大きなものが操縦しているのに気づいた時、魔術的な働きが生じているのだと。
 ここまで来て妙に似ていることに気づかされた。何がかというとユングのこの一連の記述と太郎さんの書いていることがある種の平行関係を持っていることにである。こんな仮説をたててみよう。
岡本太郎: 対極主義の矛盾と不協和音 呪術=芸術 透明な混沌

C.G.ユング:   秩序とカオス     魔術    超意味=神の子 
 『赤の書』の序文でソヌ・シャムダサーニは、第一次大戦中ユングとそのチューリッヒ学派がスイスのダダイストたちとかなり親密な関係にあったと述べている。トリスタン・ツァラやハンス・アルプらがダダイストの側にいた。そう、とりわけアルプは、1930年代のパリで太郎さんが最も親しくしていたアーティストの一人である。しかし、ユングの思想がアルプをつうじて太郎さんにもたらされたかどうかは分からない。彼にとって最も重要な思想家は、ジョルジュ・バタイユである。同じパリの30年代にバタイユを中心に社会学研究会が組織され“神聖の社会学”が課題とされた。それが、一種の宗教的実験にまで発展していった。既成勢力と公認された諸権威が右の神聖だとすれば、破壊者・犯罪者・加害者が左の神聖だとされた。右の神聖は、おかされるもの、否定される条件において神聖であり、左の神聖はそれを打ち倒す。ここにも対極主義がある。自分たちによって新たな神(神聖)が創造されること、それが彼らの課題であった。神の子が待望されるのである。新しい宗教体験と儀式が情熱的に求められた。深夜、森に集まって瞑想の儀式までおこなわれたという。太郎さんも儀式に参加した。それによって、共同の目的を確立し、犯罪者として、既成の権威に対決し、世界を変えていくというのである。そこには、太郎さんの生き方に直結する思想が沸き立っていたのである。
 方や、理性と情念などの両極の対立から芸術というマジナイによって透明な混沌が導かれると言い、一方は、日常的な壁である秩序や意味に圧倒的なカオスが流れ込むなら魔術によって新たな奇跡である《超意味=神の子》が生まれると言う。カオスは、《超意味》を生むための無限の魔神であると言うのである。この平行関係は、ちょっと面白い。だが、結論は急ぐまい。太郎さんは、透明な混沌についてほとんど何も語っていないのだから。瀧口さんの言うように太郎さんの文章の奇妙にはぐらかされてしまう部分というのは、ここらあたりに理由があるのかもしれない。 自分の作品で見るものを支配したい、そういう帝国主義がある一方で頑なに理解されまいというアンビヴァレントな感情があると太郎さんはいう。没我的な情緒を拒否するその信条とあいまって太郎さんの絵画は、いよいよ心地よくなく、美しくなく、いやったらしい。私たちが、太郎さんの絵画にうまく行きつくには、私たちも非芸術的なモーメント=マジナイに賭けなければならないのである。呪術は、成立する場合もそうでない場合もあると太郎さんは言う。ちょうど
自己組織化が、ある条件のもとで確率的にしか成立しないように。これは、厳しい。ところで、ユングは、カオスと秩序は結合されるという。これが、いわゆる王と王妃の結婚である。錬金術のメタファーが使われている。太郎さんの対極は、はたして結ばれるのだろうか? 対極は、結びつけないと言いながら、こういう文章も残しているからである。『人間の矛盾を徹底的につきつけて、絶望させる。人間と真理を段階的に和合させるんじゃなく、引き裂くことによって根源的に再結合させるっていうことが、神秘的宗教の役割だと思うんです。』(「秘密荘厳」1962年) この結婚問題は、ちょっと難しい。それを理解するためには、我々が、アンビヴァレントに慣れることである。唐辛子の辛さとあんこの甘さを楽しむのである。それしかないようである。まずは、太郎もなかをたんとたんと召し上がれ。

2012年 6月



 

宇津保舟  ”Image and the Art of Combination ; Empty Vessel" 2011-2012




Op. 2  
蜻蛉  2011 130cm×97cm

Op. 3  
 2011 130cm×97cm












Op.4  空蝉 2011 73cm×60.5cm

   Op. 8 蝶 2011-2012  65cm×53cm












Op. 9
 蝶  2011-2012   117cm×117cm










 
  Op. 7  石と昆虫   2011-2012   194cm×392cm












Op. 10
 魚、海豹、海豚の骨 2011-2012  117cm×117cm












Op. 6 蜻蛉 2011-2012 65cm×53cm



Op. 5 
  2011  73cm×60.5cm







 制作素材

基底材   綿カンヴァスに和紙 アクリル下地    
絵の具   オリジナル絵の具(天然樹脂、油、蜜蝋)、油彩













『対極』の結婚問題について
岡本太郎 『呪術誕生』 とユング 『赤の書』
 







『芸術と科学の婚姻 ― 虚舟UTUROBUNE―』展   岡本太郎美術館







岡本太郎 『縄文人』  1982

 この画像は岡本太郎記念館の許可を得て掲載しています。





建鼓座  戦国前期 前433年頃

太鼓を取り付けた柱を固定するための青銅製の台座。龍や蛟(みずち)をモチーフにしていると思われる。中国の青銅器の中でも最もカオス的イメージの強い作品の一つ。







 岡本太郎  『リョウラン』 1963 

 この画像は岡本太郎記念館の許可を得て掲載しています。





縄文土器

縄文土器の中でもカオス的イメージの強い作品である。この縄文時代の火焔や水の波紋を思わせる形態は、極めて強い空間意識に支えられている。






  
  
 岡本太郎さんの作品には、上に掲載したようにカオス的なイメージ ( カオスについては『風を巻いて旋風を刈るを参照してください。) との繋がりが強いものが散見される。 しかし、太郎さんが中国の青銅器や、縄文土器の形態を意識的に模倣したとは思えない。 それなら、これらのイメージの出自を人間の無意識や集合的記憶に求めるべきだろうか? それは、表象や記憶の問題というより、むしろ、太郎さん自身の中ににあるカオス的形態に反応しやすい体質に関係しているのではないか、そのような人であるからこそ縄文の美の発見者たりえたのではないだろうかと思うのである。 それゆえ、問題とすべきはカオス的形の持つ力なのだ。 マジナイが働くかどうかは、太郎さんの作品を見る人がこの力に反応できるかどうかにかかっている。 いまでこそ、それらカオス的イメージも、いわば市民権を得ている。 だが、1950年代に縄文土器の芸術的価値を認めていた者は、太郎さんの他は皆無だった。 そして、もう一つの重要な要素は、太郎さんの三次元空間に対する意識の強さである。 絵画にあってもそのような強さを感じることができる。 これはマッスを立体的に描くこととは違う。 空間意識の鋭さと形の力への感情移入なくして、太郎さんの作品を理解するのは、困難なのではないだろうか。































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