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非線形性モダン Non-Linear Modern


                                   
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編集 植田信隆
デザイン 児玉秀則
著者 松澤宥、植田信隆
翻訳 スタン・アンダーソン
出版 植田信隆 2004年
A4版 48ページ
   
モダニズムはエレガントな引き算、ポストモダンは自在な滑走遊戯だった。私が提唱したいのは、非線形性モダンである。それは、自己組織化や、あるいは、自己編集化を機動力とする文化である。新たな動的進化を迎えるための条件を満たし得る概念である。
 
    

松澤宥( 1922-2006)  
   松澤宥 非線形性モダンを記念して  



風を蒔いて旋風を刈る ―非線形性モダン断章―
               植田 信隆


モダニズムT

 十九世紀末から二十世前半、ヨーロッパに発展をみたモダニズム美術、その主要な作品たちは神秘主義と近代科学がないまぜになったレトルトの中で生まれた。例えば、キュビズムは相対性理論と神智学の結婚から生まれたとアーサー・I・ミラーは言う*1。それは対象が全ての方向から同時に見えるというアストラルヴィジョンをヒントに四次元の幾何学を用いることによってその形態を相対化し組み合わせることによって得られた立体である。神智学に限らず神秘主義は十九世紀末から二十世紀初頭に大きなうねりをみせた潮流であったし、新たな科学の胎動が始まったのもこの時期である。
アインシュタインの相対性理論、それは途方もなく斬新なアイデアであったが古典的力学の延長線上にある。本人自身もそのように考えていた。その力学の延長線上にある科学、それは現在では線形性科学とよばれている。時間の矢のない科学、現象を時間とは関係なく記述できる科学である。この路線の上で科学は世界を一つの数式で表現することを夢想してきた。それはエレガントで簡潔でなければならない、ちょうどE=MCのように。科学を駆り立てるその衝動は進化の概念と還元主義である。これと同じ衝動がモダニズム美術を突き動かしてきた。そして、それは共産主義の理想に彩られた唯物論と相まって、よりミニマルな材料、形態へと物質的に還元されていったのである。モダニズムは近代科学の進展と平行関係を持っている。
神秘主義の精神性はヨーゼフ・ボイスなどの一部の作家に引き継がれてはいったが、やがて後退し、古典力学とその延長線上にある科学はハイゼンベルクの不確定性定理によって動揺し、やがて複雑系科学などの登場によってその限界が決定づけられた。モダニズムの背後を支える力はこのように弱められていったのである。


ポストモダン

ポストモダン、ポスト構造主義は階層構造を果てしなくさまよう。それはゴールのない放浪の旅、エッシャーの描く階段である。そこは進化の概念のない輪廻の世界であると言わなければならない。その主張は何か? それは、ある文脈はそれよりもより高次の文脈の中でしか意味を特定できないとする、ある特権的な視点を容認することである。より高次の視点は無限にあり、どの視点も他の視点に対して優位性を持たないと言う。ケン・ウィルバーは「進化の構造」の中でこう述べている。『すべての視点をこのように平均にならしてしまうことは、すべての視点を関連付けることではなく、単にそれ自体、一つの奇妙で特権的な視点にすぎない。したがって先に見たように、完全な自己矛盾に陥る。すなわち、いかなる優位な視点も存在しない。ただし自分のそれ以外は、というわけだ。ポストモダン・ポスト構造主義者は、非視点的な狂気を文学や政治の批判と取り違えているのだ。』*2と。キュビズムにおける意識的な視点の解体化に始まるある衝動は、アートにおけるジャンルの横断、文化的な価値の相対化へと変容しながら進展していった。このプロセスには確かに何らかの意味がある。しかし、その究極はニヒリズムである。高次の価値への志向性が後退していくことは精神的進化の鈍化へとつながるだろう。進化の衝動を文化の中に取り戻すには新たなモダニズムが必要である。


モダニズムU

モダニズムは還元的な性格のゆえにその作品たちは物理的に消滅せざるをえない。還元主義はそれ自体の内に消滅の種子を宿している。何故ならその考え方からは物理的には無になることが論理的必然であるからである。それゆえ松澤宥の形のない彫刻、色のない絵画という最終美術はモダニズムの最終形態であるといわなければならない。ミニマリズムから松澤の最終美術へとは論理の上で一つの糸で結ばれているのである。この意味で1964年における松澤の観念美術の創始をもってモダニズムはその最終段階を迎えている。
やがて、彼は前人未踏の量子芸術に到達する。松澤宥はその量子芸術宣言の中でこう述べる。『この芸術は人間の感覚に直接訴えることは出来ない。直接見たり、直接触れたりすることはできない。 この芸術は直接知力によってのみ、即ち判断、推理、観念合成などの思索作用によってのみ認知、把握し得る。 おお、先鋭にむかう知力による特殊化である。』*3と。彼は物質が消滅し、人類が消滅した世界で超 ヒトとなり、n次元のはてについて超瞑想を行うことを夢見る。そうであるなら、松澤は唯識へと跳躍するのか? 彼は九字九行の曼荼羅に自分のコンセプトを込める。それは九つ集められ、中心から右周りに読み出す向下門(こうげもん)の形式に配列される。この形式は衆生済度を悲願とする菩薩行の象徴である。曼荼羅とパフォーマンスを通して人々に働きかけること、それが彼のアートである。それは一つの所作、一握りの言葉が触媒となってイメージと観念とが呼び起こされ、それらが交錯する中で私たちが遭遇する未知の世界であると言わなければならない。この時、松澤宥はモダニズムの還元主義の果て、そのゼロ地点をも越境するのである。


非線形性科学

世界は不可逆的である。言い方を変えれば時間を後戻りできはしない。ニュートンやそれに続く物理学者の努力にもかかわらず世界のほとんどは予測不能で複雑である。世界は線形的に決定できる事象、つまり時間をさかのぼっても同質の運動をしている事象のほうが稀なのである。この事実が決定的となったのは1970年代のことである。静的な秩序とカオスの狭間で特異な動的秩序が生まれる。開放系でなおかつ平衡状態から遠く離れている時、後戻りできない非線形性の特異な現象が起きるのである。普通ならでたらめにぶつかり合って相互反応しているだけの分子は、小さなゆらぎを増幅しはじめ、高度に自己組織化しはじめる。これがイリア・プリゴジンの発見した有名な散逸構造である。彼の言葉を借りるならば『平衡状態から離れるほど、物質はより知的になる。』*4
このような非線形性の科学は、デカルト・ニュートン以来の機械論的世界観とは別の世界観を生み出す。古典的力学とその延長にある物理学は機械の時代の決定論であり、ごく一部の世界を説明できるにすぎない。自然はぜんまい仕掛けの時計のようには動かない。私たちの住む世界には、カオスが存在するということが事実であり、この無秩序、不安定性、多様性の周辺から、つまり「カオスの縁(ふち)」から高度の新しい秩序が小さなゆらぎによってさえ生まれるのである。そのようなパラダイムの変換をこの科学は要請する。地球上の生命や人間の作り出す経済、政治、文化などは、カオスから秩序へ、秩序からカオスへの絶えざる変換ではなかったろうか。その変換の中でマクロ的に進化を推し進める要因を私たちは、この科学を通じて垣間見るのである。


流体運動のパラダイム 

もし、虚空がn次元の襞のように幾重にも折り重なるようなフラクタルな構造を維持できたとして、その襞の中に全ての事象が織り込まれると考えてみよう。ではどのように?
大小二つのシリンダーの中に挟まれた粘液の中に一滴のインクを落とし、内側の小さなシリンダーを回転してみる。この理想的な粘液はこのインクを回転させながら肉眼では見えないほどに引き伸ばすことができる。それは途切れないインクの細長い土星の輪のような形を作っていくだろう。一つのインクの粒を数回巻き込んだ後、別のインクをまた数回巻き込む、このように繰り返してゆくと相互に浸透し合う全体流動をイメ−ジできる。物理学者デヴィッド・ボームがそれまでの原子理論を不完全なものとして退け、その対案として提唱した全体流動のモデルがこれである*5 。
大脳生理学者カ−ル・プリブラムが結論づけた脳の記憶システはこの考え方と非常によく似ている。ちょうどこのようなしかたで脳が記憶をホログラムのように全体に保存すると同時にその一部からも記憶を取り出すことができるようなシステムであると主張している。ここでは脳はホログラムを記憶媒体とするようなコンピュ−タ−として考えられている*6 。
ボームが提出したモデルにもどろう。内側のシリンダーの回転スピードを上げてみる。安定した層流を維持できる回転速度を越えると、この粘液は乱流を形成し始めるだろう。それは空間の中に襞のようなフラクタルな構造を形成するだろう。きっと、虚空とはそのような構造を支持しえるのかもしれない。
バックミンスター・フラー、晩年の共同研究者だった梶川靖司はシナジェティックトポロジーを研究した。辺のみで構成された正十二面体は五重の正四面体に回転しながら折りたたむことができる。折りたたみ方は四種類あり、右回転、左回転、その正十二面体を裏返して右回転、左回転する。その四つの折りたたみ方で正四面体の頂点にそろう辺の組み合わせは全て異なり、対称性の破れが四種類あることを彼は数学的に証明した*7 。もし、フラーの弟子、エイミー・エドモンドソンが言うように、空間が正四面体や正十二面体のような「ある空間特性を持つ」*8とするならば、この折り畳みモデルは空間構造の変換を可視化するものとして類推されうる。時空の対象性が破れる時、空間は渦を巻きながら異なる構造へと変換される。ここでもトポロジックに変容するのは渦なのである。
 水や空気が形成する乱流などの流体運動は一般にはほとんど知られていない。ドイツの流体力学者、テオドール・シュベンクは流体のマクロ的な動きを研究した。密度や温度など異質な流体どうしの境には界面が形成され、実にセンシティブな形態が形成される。渦、螺旋、巻き込み、それらが形づくる形態は生命器官の原器とも言えそうなものである*9。人の肩から腕にかけての筋肉の形態は直角に曲がったパイプの中を流れる水の形態に類似し、肩甲骨の表面には液体が形成する流紋が刻印されている。流体が形成する形態は部品を組み立てて作り上げる機械のようなイメージとはおよそかけ離れたものであり、時代を遡ってケルトや縄文などの古代の意匠に近似する。
 流体運動のパラダイムと言えるこのような兆しは何を意味するのだろうか? これらは非線形的なパラダイムの台頭を予言したものなのだろうか? ただ偶然生まれた、科学の歴史という流れの中のいくつかの泡なのだろうか? 複雑系などの非線形性科学と渦、乱流、巻き込みなどの形態とは切っても切り離せない関係にある。マンフレート・アイゲンが解糖過程におけるハイパーサイクルを発見した時、物質と生命の間の断絶はぐっと狭められた。細胞の中での糖の分解は自己組織化されていく。それは複雑なサイクル、奇妙な動きの輪である。カオスや複雑系の理論では奇妙な輪、アトラクターがその系の動きを表現する。繰り返される複雑な動き、それは乱流やフラクタルの入れ子のような形態が作り出されることを説明するのである。


非線形性モダン

進化の衝動を失うことのない新たなモダニズムを形成すること。それは文化の進展にとって必須の条件である。それは還元主義であってはならない。それには自己超越、即ち進化の条件を備えていなければならない。そのような条件を満たすパラダイムは今のところ自己組織化ダイナミックスしかないのではないか。エリッヒ・ヤンツはその自己組織化の条件として三つの要素を挙げている*10 。第一は開放系であること。閉じられた系ではエネルギーは平衡状態へと落ち込んでゆき自己組織化は生じない。第二は非平衡であること。その系の内部へ熱や物理量など、エネルギーの流れが存在することが次の条件である。その系は流入するエネルギーで活性化されなければならない。第三は自己触媒というポジティブフィードバックが存在すること。その系で生成されたシステムや物質がその生成過程そのものを加速する働きをすることを自己触媒という。ポジティブという意味は増加するというプラスの方向性を示している。しかし、実際にはその生成を加速する働きだけではその系はやがて分解してしまう。その生成を抑制する働き、ネガティブフィードバックが同時に存在しなくてはならない。それらのバランスの中に新たな秩序はきわどく成立するのである。私たちはそのような芸術を創造しうるのだろうか。それは他者にたいして閉鎖的になることなく、同時に他者を剽窃せず、自己参照性を失わない芸術である。そして、文化の中の熱要素というべき非平衡状態を存在させること。これが文化における今日的な課題であるだろう。
かつてのモダニズムは、背後を二つの要素、つまり科学と神秘主義によって支えられてきた。歴史を遡れば、宗教を含めた精神性と近代科学の唯物主義を調和させうるものが芸術であったと言ってよい。精神性を芸術が失えば、芸術は「死」を迎える。科学のための道化か、サブカルチャーの裸の王様としての役割を担うことしかしなくなるだろう。進化の衝動を持ちうる文化は非線形性科学を基盤としなければならない。それは還元主義であってはならない。そして、同時に新たな精神性の復権も必要とされるのである。それが私の夢想する新たなモダニズム、すなわち非線形性モダンである。私はきっと人々の間に風を蒔いているのだ。それで、人々は旋風(つむじかぜ)を刈り取ることになるのだろうか。それは実のない穂をかき集めることなのだろうか。今の私に理解できるのは自己組織化が起こるためには風の一息のようなゆらぎが必要とされることだけである。


引用文献並びに参考文献

*1 アーサー・I・ミラー著 「アインシュタインとピカソ」 TBSブリタニカ 2002年
*2 ケン・ウィルバー著 「進化の構造」 春秋社 1998年
*3 松澤宥著 「量子芸術宣言」 森田一 村田早苗 編 「スピリチュアリズム へ ・ 松澤宥 1954-1997」展カタログ  斎藤記念現代美術館 1997年より  
*4 フリードリッヒ・クラマー著 「カオスと秩序」学会出版センター 2001年
*5 デヴィッド・ボーム著「断片と全体」工作舎 1985年
ケン・ウィルバー編 「空象としての世界」青土社 1992年
*6 ケン・ウィルバー編 「空象としての世界」青土社 1992年
*7 梶川靖司著 「正十二面体における対象性の破れ」能勢伊勢雄監修 梅林信二編 「龍の國・尾道−その象徴と造形」展カタログ 尾道市立美術館 2000年より
*8 エイミー・エドモンドソン著 「シナジェティック幾何学 ― バックミンスター・フラーの精神の窓」 金坂留美子編 「シナジェティック・サーカス バックミンスター・フラー直観の海」 P3オルタナティブ ミュージアム 東京 1989年より
*9 テオドール・シュベンク著 「カオスの自然学」 工作舎 1986年 
*10 エリッヒ・ヤンツ著 「自己組織化する宇宙」 工作舎 1986年
       出現と運動 Op.5   2008

   ボイスと神秘主義については
   エンテレケイア

 左 植田信隆  右 松澤宥
 写真 長沼 宏昌
   松澤宥の人と芸術については
   円転螺廻 ― 松澤宥の思い出に ― へ

    散逸構造については
    乱流の結晶学 へ
  デヴィッド・ボームの全体流動については
   織り込まれる流れ運動



   

 全体流動のイメージ   
 上からと斜め上からの図


  フラーの空間特性と梶川氏のシナジェッティク
   トポロジーについては

   不穏な原子核ベクトルモデルたち

  流体の形成する形と人体につては
   UZUME 渦たちの変容

カルマン渦列  撮影 植田信隆
トーラスによって生じる渦列  撮影 植田信隆
   自己組織化の条件については、
「乱流の結晶学 植田信隆作品集 1997−1999」へ

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