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自己組織化するカオス 植田信隆作品集 1996−1997  "Self-organaizing Chaos”   1996−1997     

 

 

 
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<内容 >
40ページ (写真 カラー 20ページ、
モノクロ 2ページ)
<執筆者及びタイトル>
『崇高と画面と』
平井亮一(ひらい りょういち/美術評論)
『新たな統合を求めて』
佐藤公俊(さとう きみとし/シュタイナー研究)
『自己組織化するカオス』  植田信隆

19.5cm×21cm  40ページ
編集、出版 植田 信隆 1998年
日本語 

この出版物に掲載された作品は、還元主義的な科学観に浸透されない別の世界観による表現の一つの試みです。ここにあるのは、主客の二項対立ではなく有機的統一性なのです。まして、脱構築や主体からの離脱ではありません。そのような相対化への試みではないのです。この試みで重視しているのは、エネルギーが流入する解放系としての場であり、自己組織化という変容の過程なのです。









新たな統合を求めて     佐藤公俊
 


 植田信隆の絵と向かい合うことは、またとない体験を与えてくれる。サイズの大小に関係なく雄渾かつ繊細な運動の現象が、私達の心の中で再現される。思わずそのその衝動にしたがって、踊りたくなったり自分の心に広がる響きにじっと聞き入っていたくなる。非常に敏感な、活力に満ちた震動が、どの絵の表面にも存在している。それを実感するために画廊にでかけて実際に絵を見ることをお勧めしたい。静謐な湖面に一陣の風が降りて来て、水面に微妙な揺らぎをもたらしていったようだ。動物の幼子が全身のやわらかい毛ををふるわせているかのようだ。このような細やかなタッチは、画筆を使わず、自分の手と指を、画面に触れて、躍動させる方法から生まれてくるのだろう。剛直で雄勁な力動感に、強い色彩と優美な光彩が、揺れ動いている。
 光と運動の確かな定着は何が原因であるのか。画家に聞くとミツロウが絵具にまぜられているのだと言う。もちろん、素材の選択から画業のすべてを説明することはできない。むしろ、自ら選んだ素材を使いこなし、明らかな結果を生み出した技量こそ、賞賛されるべきだろう。
 さしあたり、作品からの印象を主観的に述べるより、ミツロウという素材に秘められた可能性を描くことによって、画家がどのような精神的冒険をたどったかをなぞる試みをしてみよう。おそらく彼を含めて、これからの芸術家の仕事は、精神と物質の出会いを、魂のレベルで、市井の私たちが追体験できるようにすることであろうから、私が例えばミツロウが世界に広げるデザイン:図案、意匠を考えることは、彼の仕事に触れるきっかけを与えるかもしれない。
 私達は、そういうパイオニアとしてヨーゼフ・ボイスを想起できる。彼がおびただしい量の脂肪の塊を作品に利用するとき、私達は否応なしに、極北における精神と物質の出会いを、体験させられる。そういえば、ボイスもミツロウを作品に利用していた。
 ミツロウは、体熱でも軟らかくなる。ミツロウを粘土として利用されるのを思うと、しなやかな可塑性に優れているのが納得できる。手指でミツロウをこねていると、仄かな密の香りが辺りに漂うのを感じる。思い切り乱暴に言うと、匂いの浮遊する空間には、地と水と風と火が出会う場がある。‥‥‥

                (本文から抜粋)
 








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