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佐藤慶次郎の芸術 禅精神としてのキネティックアート  Art of Sato Keijiro : Kinetic Art as Zen Spirit






追悼 佐藤慶次郎 (1927-2009)

             
植 田 信 隆


 2009年の524日に佐藤慶次郎氏が亡くなりました。早坂文雄氏に作曲を師事され、一時、 詩人の瀧口修造氏の主宰する実験工房に参加されました。1961年第35回国際現代音楽祭で作品 『ピアノのためのカリグラフィー』 が入選、1970年には、大阪万博において一柳慧氏とともに三井グループ館の音響デザインを担当、ドキュメンタリー『苦海浄土』の音楽を担当し芸術祭大賞を受賞。オリヴィエ・メシアン氏は、「この男の作品には、高貴(dignity)がある。」と評したといわれています。生涯にわたり作曲に携わってこられました。それと並行して磁性体を応用したキネティックアートを制作、発表されてきました。それらの主要な作品は、岐阜県美術館に収蔵されています。代表的な展覧会として『「在る」ということの不思議 佐藤慶次郎と まど・みちお展』(岐阜県美術館)があります。作曲家の武満徹氏とは、随分お若い時からの親友であられました。私にとっては、いつも心の支えになっていてくださった慈父のようなかたであり、その孤高の芸術は、常に仰ぎ見るべき指標でもありました。ここ数年、「音楽は、すばらしいよ。 一生携わるに値するものだ。」と明るい声で何度も何度も語っておられました。きっと幸せな晩年を送られたのだろうと思います。謹んでご冥福をお祈りいたします。


        INDEX    

・植田信隆
 『追悼 佐藤慶次郎』
 『佐藤慶次郎論』


・佐藤慶次郎
 The Joy of Vibration
  展カタログより
 『モノミナ ヒカル』


同展覧会リーフレットより
・瀧口修造
 『物化考断章』
・武満 徹
 『友、佐藤慶次郎』
・山口勝弘
 『展覧会によせて』


     
 

佐藤慶次郎
 
     
     






佐藤 慶次郎 論 「見るものが見られるものとなる時  佐藤 慶次郎 ―ユニバーサルな一者の種子―pdf
植 田 信 隆


佐藤慶次郎個展 
"The Joy of Vibration" カタログより
1974年3/22-4/2 南ギャラリー/東京


 モノミナ   ヒカル
 Everything is Expressive ―ジョン・ケージ―

佐藤慶次郎 


 興ノオモムクママニ作ラレタコレラノオブジェ達。ソノ造形上ノ出来ノ良シ悪シ、新シイカ古イカ、ソシテソレラガ芸術作品ニ属スルヤ否ヤ、玩具、室内アクセサリーノ類ニ属スルヤ等々ノコトハ、私ノ興味ノカカワルトコロデハナイ。タヾコレラノオブジェニオケル素子ノ単純ナ運動ガ、私ニトッテ面白ク夫々ノ運動ヲ得ヨートシテ形作ラレタ姿ノマヽデ、ソレラノ各々ガ愛スベキモノニ感ジラレルノデ、他ノ人達ニモ見テモライタイトイウダケノコトデアル。
 タヾ、一本ノ垂直ニ吊リ下ゲラレタ軸、ソレニ沿ッテ回転シナガラ昇降スル小サナ球ヲ見ツメテイルトキ、私ニハ現象ノ不思議サノ感情ガ喚ビ起サレル、ソシテソノ形ト運動ノ切リツメラレタ単純サノ故ニ、ソレガアラユル現象ノ要約トシテソコニ在ルモノノ如クニ感ジラレル。(METAPHYSICAL PLACE ― 存在ソレ自体ノ尊厳性。)
 念ノタメニ伝エバ、ココデ述ベタ不思議サトハ、素子ガ運動スルコトノ物理的現象トシテノ珍ラシサニツイテデハナク、人ガ歩キ鳥ガ飛ブトイウコトノ不思議サト同ジモノデアル。又、コレラノオブジェガ私ヲ魅シ、私ニトッテ愛スベキモノデアルトイウトキ、ソレラガコトサラ目先ノ変ッタモノダカラトイウワケノモノデモナイ。道端ノ石コロヤ木ノ葉ノソヨギ、食器戸棚ノ円筒状ノオシボリ容器ヤショーウィンドーノブランデーグラス、電車ノ吊リ輪、ソノ他私タチノ日常ヲ取巻クモロモロノ事物ガ、ソレラヲヨク見ルトキ、限リナク私達ヲ魅スルノト丁度同ジヨーニト伝ウコトデアル。私達ノ周囲ニアッテ限リナイ親シサヲ示シ、黙シタマヽ、寂カニ光ヲ放ッテイル<物>達―― (作者記)






この展覧会に寄せられたメッセージ

 物化考断章  佐藤慶次郎の仕事に示唆されて    瀧口修造

  星の光や水の流れはさておき、磁気や磁場といった物理が、いつかしら人の意識と認識に照応関係をつくりだしていた。しかし、物理はまたそのものとして追求され、やがて技術文明の名で生活に逆流する。人、馴らしながら、馴らされる文明。
 物理と精神の照応はどのようにして果たされるのか。直感の絆が見失われたとき、精神との近づきの可能性は、おそらくコンピュターのような索引体系も万能の回路ではない。磁気のほうから、人なつかしげに近づく、と言えば、およそ人間勝手な修辞と聞こえよう。しかし、どのような回路を経てか、「場」がつくられたとき、人ははじめて静かにこちらを向く。そして、暗黙の会話が始まるのだが。
 たとえば、物質、エネルギー、光、音、ことば…見えるものも、見えないものも、共有の糸を失い、万物照応も一片の古語となる今日。
 かつて、荘周の胡蝶の夢も、すべて「物化」に帰せられた。物の理は、人の言い方にすらある。行往坐臥、さて、その人は無言でいまこちらを向くだろう。そして―




 友、佐藤慶次郎                   武満 徹

 佐藤と私と、もう一人は誰であったろうか、祖師ケ谷の師を訪ねた帰途である。終電は既うに車庫いりした冬の深夜を、線路伝いに下北沢を目指したが、豪徳寺の高架がおそろしくなって、経堂から道を折れた。暗い通りに、むらさきという名の旅館の看板が見えて、泊まろうと言いだしたのは、佐藤だった。六畳間に床を並べて一夜を明かし、佐藤が携えていた白金懐炉を廻して、三人は暖をとった。二十年前のことである。
 佐藤は、一冊の大学ノオトにびっしりと書かれた自分の詩を読んだ。その頃、私たちにはそれほどの深い面識はなかった。かれは、戦争中信州に疎開していて、詩を書いていたと語った。戦後、慶応の医学部に通ったのだが、手術を見学して血を見ると卒倒するので、自分は医者には不向きだと思い、止めた。だが、言葉には飽き足りない、と言っていた。
 佐藤が音楽にもとめた純粋性は、結局、詩とか音楽とか、一見純化された様式を通しては実現されないものであることが、いまになれば、私は自分のことのように理解できるのであるが、その時は、彼をずいぶん短気な男だと思っていた。
 ジョン・ケージの思想に、佐藤が影響されたことは疑いえないが、ケージの場合よりも佐藤のほうが真摯である、ともいえる。いや、いっそう切実であったと言い換えたほうがいゝ。ケージは、否応もなくその背後には手応えある城塞を負うものであり、そこでは、勇気の揮いようもあった。が、私たちが目覚めたときには、何ものもなく、この人生そのものを問うより仕方ない。佐藤は、そのやりかたが、私に比べて、やはりいさゝか短気なのである。かれのその短気さが、時に私の怠惰を責めているようにも感ずるが、ふたりが歩いているところは、あの冬の凍てついた路から、未だそう遠く距たっているようにも思えない。私は、この友を、指標として見失うまいと思う。




 展覧会によせて                 山口 勝弘



 結局、音の世界すらも、彼にとっては限りなく開いてゆかなければならぬ実験フィールドの一つだったのである。
 こんど南画廊で発表されることになった作品の群れは、一つ一つが<ザ・ジョイ・オブ・ヴァイブレイション>の実験報告である。彼がこれらの作品を人に見せることになって、もっとも悩んだのは、造形作品の一種属として受けとられたり、テクノジカル・アートの一変種として見られたりすることだった。特に、画廊という空間の場合―こういう先入見を与えがちであるから。
 しかし、佐藤慶次郎のあらゆる実験が、いつもそうであったように、この場合も、芸術上の流派とか、ある様式とか、もっとはっきり言ってしまえば、<芸術>という言葉すら当てはまらないのである。私見かもしれないが、この佐藤慶次郎の実験の前では、M.デュシャンさえも、芸術という概念にとらわれ過ぎていたという気がする。これは、まさに佐藤慶次郎の発見した<振動現象>の不思議さを提示しているだけで、それは、人間が<ホモ・ルーデンス>であったことを証明する以外のなにものでもない。


 生きた記号―カリグラフィー
 彼にとって音も、こんどのような作品もすべてのものの存在する<状態>がテーマとなっている。彼のカリグラフィー・シリーズの音楽作品を聞いたことがある人なら一音一音が、他の音の従属物ではなく、すべて即物的で、空間のあらゆる可能な点に、間髪を入れず発生してゆく状態を覚えているだろう。その激しい衝撃力の持続そのものを、彼はカリグラフィーと呼ぶのである。私の知っている現代音楽の中で、これほどセンチメンタリズムから離れたものはなく、しかもこれほど具体的な音それ自体の運動性に富んだものを知らない。それは、すぐれた書から受けるexpressionと同じく、生きた記号すなわち、こころの記号(シーニュ)なのである。このカリグラフィーというテーマは、一九六五年頃、ステンレス・スティールのリボンを、空間の何か所かに吊り下げて、人がその中に入って打ってゆく作品、さらに一九六七年から自宅をスタジオ化して、多チャンネルスピーカー群による本格的な<サウンドディスプレー>において、より濃密なテクスチャーを帯びてくる。この時期の実験は、本人と少数の訪問者だけの記憶の中にしか存在していない。ただ一九七〇年のEXPOで、私のプロデュースした三井グループ館のサウンド・ディスプレーの大実験となって彼の夢の一部が実現した。


 ブリコラージュ
  彼のさまざまな実験の過程を見たり、彼の話をきいていると、一見科学的にみえる彼の仕事のやりかたは、まったくゆきあたりばったりなのである。
 レヴィ・ストロースが、<野生の思考>の中で述べているbricollageそのものの例が、佐藤慶次郎の実験である。科学技術的な仕事に対して神話の構造にあらわれる方法は、つねにありあわせの物の寄せ集めからなり、決して別あつらえの物だけで出来上がるのではない。いわば廃物利用に近いブリコラージュの方法こそ、彼の実験のすべてに適用されている。それらは、粟粒とか、オシボリのケースとか、子供の学用品とか、ベニヤ板の切った端とか、漢文用のセルロイドの板だったりする。そいう小物なら問題はない。が時に、台所の片隅の天井に穴をあけ、二階の床板に穴をあけ、ついに家中が実験室化する状態になってくると、ジェームス・ジョイス夫人のような佐藤夫人から文句もでるというもの(この家は、立退きになったが)。私は、彼の熱狂的な実験をみてすぐクルト・シュヴィッタースのメルツ・バウを思い出さざるをえなかった。今度の展覧会は、果てしなく続く彼の実験に、一くぎりつけるための佐藤夫人からの懇望ともきいている。


 アイロニーとユートピア
  佐藤慶次郎の生そのものに、私はあるアイロニーを感じる。オーストリア生まれの小説家、ロベール・ムジルについて、ベーダ・アレマンが分析しているように、ある人間にとって、彼の周囲や同時代の広い意味での社会的現実に対して、最初からアイロニーをもって、すなわち厳密に思考する人間のアイロニーをもって立向う。あらゆる制度や状況に接したとき、彼にはまずその不完全さと不条理が目につく。しかし、こういうアイロニーそのものは、その社会現実が、自分自身の内面や、数学的諸原理と同様、根本的な意味でユートピア的性質があるという理由で、はじめて、その本来の正当性が与えられるのである。
 佐藤慶次郎が、ジョン・ケージの言葉を、<モノミナ ヒカル>と解するとき、仏教的世界や禅の解脱を、簡単に利用しているのではく、<特性のない男>のように、通常の生もまたユートピア的性質もっているという認識を、アイロニーの中に認めているのである。しかし、これは現代に生きるもっとも強くしなやかな精神のために必要な、唯一の手段なのである。
 生そのものは、いかに自由であるか、しかし、自由の本質とは、いかに無意味なものであろう。おそらく人間にとって戯れとは、常にこういう状況によってささえられていたのである。佐藤慶次郎こそ、ながい間、こういう世界のあることを識っていた私の友達であった。

 


佐藤慶次郎 『ハート?』 1980 

沈黙のカルテット 1980   
撮影 宮川邦雄     


これらの作品は、岐阜県美術館の許可を得て掲載しています。


 

佐藤慶次郎アトリエ  撮影 植田信隆
佐藤慶次郎アトリエを眺める古川秀昭氏(前岐阜県美術館館長)佐藤作品の大部分が古川氏の努力によって岐阜県美術館に収蔵された。




佐藤慶次郎 『オテダマ』 1974 

佐藤慶次郎 
『ヴォーテックス パフォーマンス』 1976

撮影 宮川邦雄
 


これらの作品は、岐阜県美術館の許可を得て掲載しています。


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