イメージの配列 彌永信美『観音変容譚』仏教神話学Ⅱ

神話は、流動する。様々な地域と、あるいは時代の流れと合わさったり離れたりしながら現在も巨大な幾本もの大河となって流れ続けている。その変遷は、けっして直線ではない。注意して覗いていないと乱流のような複雑な渦にすぐに巻き込まれる。それでも何人かの勇気ある人達はこの渦に立ち向かおうとしてきた。アビ・ヴァ―ルブルク、J.J.バッハオーフェン、フランセス・イエイツのような人たちだ。フレイザーやデュメジルやレヴィ=ストロースを加えてもよい。本書の著者である彌永信美(いやなが のぶみ)さんもそのような人の一人である。

乳海撹拌の図  中央のマンダラ山の上にいるのがヴィシュヌ神、左下にシュリー‐ラクシュミー女神がヴィシュヌ神と同様に手に蓮華を持っており 観音との関係が注目される。 © The Trustees of the British Museum

乳海撹拌の図 
中央のマンダラ山の上にいるのがヴィシュヌ神、左下にシュリー・ラクシュミー女神がヴィシュヌ神と同様に手に蓮華を持っており観音との関係が注目される。
© The Trustees of the British Museum

シヴァやヴィシュヌ神が主神であるヒンドゥー教神話では、その神々とアスラたちが協力して失われた不死の霊液アムリタを生み出すため大海をかき回す乳海撹拌の有名な神話がある。アナンタ(無限)という名のナーガ(大蛇)は霊峰曼荼羅山を引き抜いてそれを撹拌棒とし、ヴィシュヌは海底に潜って亀となり、その台座となった。ヴァースキという大蛇が曼荼羅山を回転させる綱となったが、苦しんで口から猛毒を吐いてしまう。シヴァ神がその毒を飲み干したため事なきを得たが、その喉は青く変色してしまった。撹拌された海は次第に乳海となり、そこからバターやソーマや酒が生まれ、シュリー・ラクシュミー女神が蓮華を手にして生まれた。この蓮華のイメージは観音菩薩と関連するのである。

インド神話やペルシア神話にはわりと不慣れな私たちだけれど、細部を眺めて中国や日本などの仏教文献との関連をみると実は濃厚な繋がりが見えてくる。今回は、以前にもご紹介したの姉妹編『観音変容譚』をとりあげたい。シヴァ神は仏教では大自在天と呼ばれ、シュリー・ラクシュミー女神は吉祥天と呼ばれる。それらの神話圏から観音菩薩がどのような変容を遂げていったのかを概観するつもりである。ただ、内容が多様な神格や菩薩など広範囲にわたるために、観音のみについて抜粋し、要約したものを述べたいと思っている。

1.古代インドの観音信仰

阿弥陀信仰の起源をイラン的な宗教「ズルヴァン教」(ゾロアスター教の分派)に求める立場から観音信仰の起源も「光信仰」にあるとする立場があるようだ(M.Th.de Mallmann『観音研究への導入』)。イランは韋駄天(いだてん/シヴァの息子であるスカンダのこと)とも縁の深い場所である。また、観音の原名Avalokiteśvaraの名の要素LOK-「見る/観る」はRoc-「輝く/光る」に通じ、観音の「光輝く神」という側面に注目する説も併せて考えなければならない(「無垢清浄光‥‥普明世間を照らす」『法華経・普門品』)。

彌永信美 『観音変容譚 仏教神話学Ⅱ』

彌永信美
『観音変容譚 仏教神話学Ⅱ』

クシャーナ朝のコインには、シヴァ神がオエーショーという名で刻まれたものが存在し、シヴァ神が観音の起源に大きなかかわりを持っているという説の有力な証しになっている。オエーショーはサンスクリット語のĪśa(~Īśvara「自在者」の意味があり、シヴァの最も重要な名前の一つ)の訛りでこの貨幣の価値から考えて厚い信仰が推測される。仏教ではこのイシューヴァラにその属性を示す修飾語<見守るもの avalokitā>をつけてアヴァローキテーシュヴァラAvarokiteśvara〔観自在~観世音~観音〕としたという(定方晟『世界宗教大辞典』)。ただ、一説には、『法華経』「普門品」の梵語古写本ではAvarokitasvaraと記されたものがあり、svaraが「音」を意味すること、6世紀以前では漢訳も「観音」「観世音」「光世音」などの訳語が使われていることから、観自在の訳は6世紀以降に使われるようになったという考え方もあるらしい。ちなみに、観世音の「音を観ずる」とは衆生の苦しみの声を聞くことを指している。

いずれにしても、観音菩薩の起源は紀元後1~2世紀ころのクシャーナ朝時代の西北インド地方にあると考えられ、複雑極まりない宗教混淆の世界が観音信仰にも反映されているようだ。

2.『法華経』 普門品

観音が登場する古い経典は、1世紀前後に成立したと考えられる『無量寿経』及び1~2世紀頃の『法華経』があるが、具体的な記述がみられるのは『法華経』 普門品である。「宝を求るが為に大海に入り羅刹鬼の国に至ろうともその中に一人でも観音の名を呼ぶものあればこの人々全てを救う」「宝を携えて怨敵満ちる険路を経過する時も一心に観音の名を称えるものあれば救う」とあり、この普門品が海陸の難路を過る通商を主な対象にして作られていることがわかる。観音信仰を東アジア全域に広めた担い手が彼らだったのだろう。そして三十三の応化身をもって機に応じて衆生のためにいかに働くかが語られる。観音は仏と衆生との仲介者であり、まさに「渡す」者であった。

3.「仲介者」としてのヘルメスあるいはミトラスとの類似

ミスラ神 Photo Jean-Pol GRANDMONT

ミスラ神
Photo Jean-Pol GRANDMONT

「仲介者」「媒介者」としての観音は、神話的な性格としてギリシアのヘルメスに近いと彌永さんは考えている。ヘルメスは道の神及び「通過」を司る神、魂の導き手「プシューコポンポス」であり商業の神である。それはイランで信仰されたミスラ神とも重なるという。ミスラは『契約』を意味する。ミスラ教が変容したと考えられるローマ帝国下のミトラス(ミトラ)教では、ミトラスは太陽神アポロ―ン、あるいはヘリオス、そしてヘルメスに同一視された。イランのミスラは死後の審判者であるが、あの世への橋を渡る死者の魂を助け、天上の楽園に導くことがあるらしい。同様に観音にも死者を導いたり、橋を渡る信者を助ける姿の絵が敦煌などにのこされている。

紀元前4世紀頃のハクハーマニッシュ朝の末からミスラ神は天上の光明世界と下方の暗黒世界との仲介神として祀られた。ペルシア帝国の滅亡後、ギリシア系の王朝やローマ人の統治下でイランやペルシアを中心としてアジアが目覚ましく復興の兆しをあらわし始めた時、ミスラはついに国境や人種を超えて普遍的な『救い』の仲介者としてヨーロッパへ進出するという。(小林市太郎『観音信仰の源流』)

このミトラス(ミトラ)教の潮流は東に向かって仏教にも深く浸透したのではないかという推測も十分成り立つのである。ミトラス神は南方の無限光明浄土と関係づけられ、その神廟も流泉の地や洞窟と深く関係する。中国浙江省の観音霊場で有名な普陀落迦山(普陀山)が思い出されるという。山と書かれているが島である。また、岩窟の聖母など、このミトラス神とキリスト教との関係も極めて面白い問題ではあるが今は置いておく。

普陀落迦山 中国 浙江省

普陀落迦山
中国 浙江省

4.観音の女性化

1~5世紀頃発展したガンダーラにみられる仏像彫刻では仏像は口ひげをたくわえているものが多く「男性性」が強調されている。菩薩も釈迦牟尼仏の成道以前の姿であるので「菩薩=男性」は自然なことだった。ところが大乗仏教になって菩薩の利他行があらゆる「方便」を用いて衆生を救済に導くことを目指すことが強調されるようになれば、菩薩はあらゆるものに変化し始める。

方便による性の誘惑も登場するようになるのである。かなり猥談に近い話も散見されるようになるのだが、さし障りのない例を一つ挙げておこう。「王舎城の頻婆姿羅王女」と一千の侍女たちは『無所有菩薩』の耀くような美貌を一目見たいと世尊に願い、許されると、「菩薩は私とだけ『娯楽』をともにしてくれる」とそれぞれが考え、叢林の樹の下で7日7晩「歓喜楽」を尽くした。しかし、7日過ぎると菩薩の体は一本の樹にかわり、次のような声がした。「これが諸行の真実体性である。‥‥汝らは『女人身の相』を捨て丈夫身(男の身体)を願求すべきである。」こうして女人たちは女身を転じて丈夫身を得たのである。ここには性的欲望を教化の「方便」として用いる菩薩という存在が、女性蔑視の風潮を逆手にとって仏教の超越性を際立たせる姿と重ねられている。これが『法華経』提婆達多品(だいばだったぼん)の龍女変性譚に連なるのは言うまでもない。

牧谿 『観音猿鶴図』から白衣観音 13世紀

牧谿
『観音猿鶴図』から白衣観音 13世紀

一般には西欧のマリア信仰と東洋の観音信仰とはほぼ時を同じくしてパラレルに発展していったと言われている。中国では「白処菩薩」と関連するといわれる白衣観音を経て、16世紀頃から聖母マリアに似た白磁の観音像が盛んに作られるようになる。イエズス会のマテオ・リッチを瞠目させた像だ。マテオ・リッチに関する本では、ジョナサン・スペンスの『マテオ・リッチ 記憶の宮殿』が面白い。記憶術を武器に明の宮廷にキリスト教の伝道を目論む話だ。それはともかく、白い観音は、子宝を授ける神「送子娘娘(ソンツニャンニャン)」と習合され「送子観音」とされた。「白処菩薩」は白蓮華の化身であり「諸仏の母」と呼ばれる。蓮華は母性の象徴であり、「蓮より生まれた」美と豊饒の神ラクシュミーが「三界の母」と呼ばれるのに対応していると彌永さんは指摘する。ラクシュミーはヴィシュヌの妃で、先ほど見た乳海撹拌において手に蓮華を持って生まれる。

日本では、観音の女性性は暗黙の裡に了解されていたようだが、本朝の「子安観音」が中国の「送子観音」にあたるだろうか。この子安観音は大山祇(おおやまつみ)神の姫神である木花開耶姫命(このはなさくやひめ)や磐長姫(いわながひめ)に習合されている。もともと日本では子安の神は、「境の神」として石神や道祖神信仰と同様なものとして考えられていたようで、それに中世、ダキニ天や双身歓喜天、宇賀神、地蔵菩薩、荒神などが一気に混入していくことになる。を参照してほしい。

5.シヴァ、インドラ神と千首千眼観音

7世紀中頃に訳された『陀羅尼集経』は、中国における本格的な密教時代の幕開けを告げる画期的な経典だった。それに続いて『不空羂索神変真言経』が翻訳されたが、この経典は仏教タントラの中にシヴァ教的神話要素が雪崩のように流入してくる現場そのものだという。特に千手千眼観音の信仰は唐代から宋代にかけて空前の流行を見せる。 2012年の中国映画『画圣(画聖)』では、唐の玄宗皇帝がその腕に惚れ込んだ画家、呉道士が井戸に身を投げた女性の手の掌に仏眼を描くシーンが悲しく、美しく表現されていた。 一方で、十一面観音の信仰は、それほど盛んではなかったらしいが、日本では広く流行したようだ。ここで、シヴァ神とその異名であるルドラ(ルドラ‐シヴァ神)が「百の頭と千の眼を持つ」と言われていることは、まず注目しておかなくてはならない。千手千眼観音は、一般に身体全体を後光のように覆い尽くす驚くべき多数の手を持つ。その一つ一つの手の掌には一個の眼がついており、救いを求める衆生を「千の手で護持」する同時に「千の眼で照見する」。唐代の経典では「千眼大悲心像」などと呼ばれた。

十一面千手観音 中国安徽省 九華山

十一面千手観音
中国安徽省 九華山

ヒンドゥー神話では、「千眼」という形容詞は天の支配的な神を形容する言葉で水の神ヴァルナ、火の神アグニが「千眼」と呼ばれ、イランではミスラ神が「一万の眼」と言われた。しかし、インドラとシヴァについて云えば、美しい女神を見ようとするエロティックな含みを持っているという(ドニガー・オフラハーティー『シヴァ神話における苦行とエロティシズム』)。

インドラは仏教では帝釈天として知られる。『古き物語』を意味するプラーナ聖典の中の一つ『パドマ・プラーナ』では、インドラがガウタマ仙の妻アハリアーを誘惑するためガウタマ仙に化け、アハリアーを騙して悦楽を得る。ガウタマ仙は瞑想によってそのことを知り、インドラに呪いをかけた。「お前は女根(ヨーニ)のためにこのようなことをしたのだから、お前の体に一千の女根が現われるように、そしてお前の男根(リンガ)が落ちるように」。体中女根だらけになったインドラは恥で消え入りそうになりながら大女神インドラクーシに救いを願った。女神は答えて、「女根を取り除いてやることはできないが、目立たなくすることはできよう」。それで、その女根の一つ一つに眼を入れ、落ちたリンガのかわりに雄羊の睾丸を付けられた。それで千眼になったのである。

インドラにとっては気の毒な、いやいや自業自得な話なのだけれど、インドラとシヴァとは「豊饒神」として同じような性格を持っていることは指摘しておかなければならない。宋代に訳された十一面千手千眼観音の功徳を説く『仏説大乗荘厳宝王経』には「観自在菩薩はその両眼から日月を出だし、額からは大自在天を、肩からは梵天王を、心臓からは那羅延天を、牙からは大弁財天を、口からは風天を‥‥」とあり、「観音=大自在‐吉祥」とも形容されているとのこと。壮大な神話的観音像にシヴァ神やラクシュミー女神が絡んでいるのである。

『絹本着色 千手観音象』 部分 平安後期 画像提供 東京国立博物館 http://www.tnm.jp/ 左の図版 向かって左下から3、4、6番目の手の掌に眼が描かれているのが分かる。 右の図版 観音像の右手側を拡大したもの。

『絹本着色 千手観音象』 部分 平安後期
画像提供 東京国立博物館 
左の図版 向かって左下から3、4、6番目の手の掌に眼が描かれているのが分かる。
右の図版 観音像の左手側を拡大したもの。

6.中国の二つの説話 妙善説話と魚籃観音

中国における観音の女性化は遅くとも11~12世紀には成立したと考えられるが、それに大きな影響を与えたのが魚籃観音あるいは馬郎婦観音の話と妙善説話である。

妙善説話は、妙荘王の三女のうち末娘の妙善が、父の命に背いて結婚を拒否し、汝州香山白雀寺の尼となるところから始まる。この子に邪心を持つ父王は、心変わりさせようと手を尽くすが神佑天助があって無駄に終わる。ついに王は、妙善の首を切り、尼たちを皆殺しにせよと命ずるも果たさず、妙善は香山に逃れて久しく修行を積む。やがて王は病を得て体中が腐乱しはじめる。そこに僧があらわれ、「怒りの念を起こしたことのない者の手と目があれば助かるだろう。香山に菩薩がおられる。そこに使いを出してそれらを求めよ」という。使いに会った妙善は欣然として自らの眼をえぐり、臂を断って与えた。それを知った両親は菩薩を訪ねるが妙善と知り、抱き合って慟哭する。そこに千手千眼観音が現われ妙善は亡くなるという筋である(『道宣律師伝記』)。

魚籃観音の話はというと、こうである。唐の元和十二年(817)に陝西(せんせい)の金沙灘のほとりに籃を手にして魚を売る美女があった。人々は争って妻にしようとしたが女は「一夜で普門品を憶えられる人があれば妻になりましょう」という。翌朝になって暗誦できた者が20名あらわれる。今度は金剛経になり半分に減った、次の日は「法華経を三日で覚えられる者」という条件になり、馬氏の息子だけが合格した。女は約束どおり妻になることを承諾するが、婚礼の日、馬家の門に入るなり急死し、忽ち腐乱したので埋葬した。その後、一人の僧が現われ馬氏の息子とともに墓を掘ってみると、そこにはただ黄金の鎖骨だけが残っていた。僧は、「これぞ観音が教化のために示現された徴だ」と言うやいなや空中に飛び去った。それから陝西でも経典を読むものが増えたという(『観音感応伝』)。

葛飾北斎 『魚籃観世音』

葛飾北斎
『魚籃観世音』

妙善説話は、「結婚を拒否して自らの眼と手を犠牲にする女性」がテーマである。「馬郎婦/魚籃観音」説話は、美しい女が男を誘惑し、彼の願望が果たされるようとする瞬間に腐乱死体に変るという大乗仏教の古くからあるモチーフの一つの変奏となっている。彌永さんはここに「性の拒否」と「性の誘惑」という『性の問題化』を見る。もともとヒンドゥー教神話には先に見たインドラなどのような性的なイメージにはこと欠かなかった。一方、シヴァ教徒は死者を焼いた灰を体に塗るなど死のイメージを強く臭わせる。シヴァは、破壊を司る神である。そこにはエロスとタナトスという原初的な神話の世界がぱっくりと口を開けているである。このようなイメージはタントラに強い影響を受けた密教に流れ込んでいった。それは、時にグロテスクでエロティックな世界でもある。

7.最後に『イメージの配列』

観音は中東から西インドの光の世界で見え隠れしはじめ、ミトラやヘルメスの流れと交わりながら、インド神話と合流し、東に蛇行しながら千手千眼となり妙善や馬郎婦の物語に沿いながら女性化されていく。観音の起源はミスラやヘルメスであるということでもないし、インドラやシヴァが観音に変ったということではない。短絡的に千のヨーニが観音の千の眼に変化したということでもないのである。例えば、イグナティウス・デ・ロヨラは明るく輝く光を頻繁に見ていたが、この光は時に蛇の姿をしていて、その体は光る眼で覆われていたという。キリスト教では三対の翼を持つ天使であるセラフィム(熾天使)の羽の一つ一つに眼がついている絵画や像が頻繁に作られた。また、『リグ・ヴェーダ』には原人プルシャは千頭、千眼、千足を持っていたとある。アラビア人モノイモスはヒュポリュトスからアントロポス(原人)が唯一のモナドであり「たくさんの顔」と「たくさんの眼」を持っていること学んだ。多くの眼を持つ神的イメージなどにはこと欠かない。多眼の神的イメージは高位の神格や尊格に関わっているということなのだ。それから、魚を売る美女が観音の変化であることや妙善説話が千手観音と関係することも決定的な要素ではない。

重要なのは、観音とはそのようないくつもの流れの中から生成されたものであり、現在も生成されつつあるものであるということなのである。もっと言えば、神的キャラクターとは自らを作り変えながら運動し続ける一種の生命体なのである。本書では考古学が遺物を探すように「観音とは何か」を扱おうとはしていない。「自分の観音像」とはあまりに違いすぎると憤慨する人も中にはいるかもしれない。しかし、特有の神的キャラクターは、時代や場所が変わり、名前が変わっても、変容しつつ継続され受け継がれていく。人の心に現われるその心理的なエネルギーをと言ったところで単に抽象的なレッテルを貼ったに過ぎない。重要なのは、その多様な神話世界を私たちが内的に通過してみることではないのだろうか。そして、始めて生きたイメージの世界に触れることができるのではないか。元型は観察したり経験したりする中ではじめて姿をあらわす。「イメージの配列によってこそ元型はその存在を証す」とユングは強調した。イメージの星座といえるだろう。それは複雑な『思考』を担いうるものなのだ。この著書はその貴重なドキュメントといえるのではないだろうか。ここまでくると、の美学にそろそろ踏み込まなくてはならないのだが、アントロポゾフィーの用語を解説するか、アナロジーで済ませるか、いずれにしてもちょっと気が重い。

カール・グスタフ・ユング  『元型論』

カール・グスタフ・ユング 
『元型論』

ついでに言っておくと、僕はユングのいう心理学的な悪の問題に一度コミットメントしてみなければならないと思っている。恐らく避けては通れない問題なのだ。不良になるとか犯罪を犯すとかいう意味ではない。もっとも不良老人には憧れている。古い神的なイメージが担っている善と悪の両義的な性格について取っ組み合いをしたいのだ。

ユングが第二次大戦でナチスや原子爆弾の脅威に直面し、人類の悪とは何かに極めて誠実に相い対していたことは晩年の著作を読めば痛いほど伝わってくる。例えば『元型論』の中でこう書いている。

「君は啓蒙的な合理主義者に、君の合理的な縮小によって物質と精神をうまく使いこなせるようになったか、と問わざるをえない。彼は誇らしげに物理学と医学の進歩を、中世の蒙昧からの精神の解放を、また善意のキリスト教徒として悪魔への不安からの救済を、挙げることであろう。しかし、我々はさらに全ての文化遺産から何が生まれたか、と問う。‥‥不安は解消されず、暗い悪夢が世界を覆っている。理性は今日まで憐れなほど役に立たなかった。‥‥前の世界大戦の後で理性に期待がかけられた、今度もまた同様である。しかし、すでにウランの核分裂の可能性に魅せられた人々が、黄金時代の到来を約束している。―― これこそ恐るべき荒廃が測り知れないほど進んでいることの証拠である。この過程を完成させるのはだれであろうか。それはいわゆる罪のない、才能と創意に富んで、理性的であるが、ただ残念なことに彼に取り憑りついている悪魔に気づいていない人間精神である。‥‥私には―― 率直に言って―― 過去の時代が誇張していたのでもなく、精神がその悪魔性を拭い去ったのでもなく、人類は科学技術の発達によって取り憑かれた状態になる危険にますますさらされていると思われる。たしかに精神元型はよい働きも悪い働きもなしうる性質を持っているが、よいものが悪魔的なものに逆転しないかどうかは、人間の自由な、つまり意識的な決断にかかっているのである。人間の最悪の罪は無意識でいるということである。」被爆70周年を迎えてなお、この言葉は重い。