『フリードリヒ・ヘルダーリン』 part2 古代ギリシア、一つの対話と帰郷

『ヘルダーリンと古代ギリシア』
竹部琳昌編著
ウーヴォ―・ヘルシャー著 「エムペドクレスとヘルダーリン」収載

三島由紀夫は「本全集を推薦する」としてヘルダーリン全集をこのように言祝いだ。「ヘルダーリン。そのギリシア狂。その静澄。その悲傷。その英雄主義。その明るい陶画のような風景。‥‥青春の高貴なイメージのすべてがここにある。(『三島由紀夫全集34』新潮社)」

そう、ギリシア狂だった。

ヘルダーリンが古典語、とりわけギリシア語に強いことは、学生時代から周囲に聞こえていてマウルブロンの僧院学校在学中にホメロスの『イーリアス』の翻訳を一部手がけるなど、古典語の中の音性にひそんでいる<神々>に耳を澄ました。そして、彼の言葉の中には陽光に充ちた南方的な世界が開けていくのである。‥‥その静澄と陶画のような明るさが。

特にエムペドクレス(BC490-BC430)との繋がりは深い。イタリアはシチリア島のアクラガス(現アグリジェント)に生まれ、ピタゴラス学派に学んだ自然哲学者、医師、詩人、政治家であり弁論術の祖といわれる。ウーヴォ―・ヘルシャー著「エムペドクレスとヘルダーリン」によれば、この古代ギリシアの哲学者は、万物には地(母なる大地)・水(天上の水)・火(夜の炎)・風(神々の賜物アイテール)という四つの根があるとしていた。ヘルダーリンにおいては、『エーテルに寄す』part1参照の詩に表れているようにアイテール(エーテル)の優位は動かない。彼の、このエーテルについての強い関心には、古代ローマの詩人ルクレティウス(BC99-BC55)の影響があるといわれている。エーテルについては、”世界をロマン化する” part2 中井章子 『ノヴァーリスと自然神秘思想』で述べておいた。ここは、ヘルダーリンの言う「形成衝動」と密接に関係しているのだが、この「形成衝動」がヨーロッパ文化のなかでいかなる巨大な潮流と列なるかは想像を超えるものがある。

この四つの根は、それ自体消滅することはなく、あるのはただ四つの不滅なるものの混合と分離だけであるという(エムペドクレス 断片8)。それらの分離と結合が個々の物や事の表面的な生成と消滅をもたらすと考えられていた。そして、諸元素は、或る時は愛によって一つのコスモス(秩序・構成)へと結びつけられ、或る時は争いによって再び個々ばらばらに分離するという。諸元素が分離する以前の原状態は、毬(スパイロス)であって球形をしており、ハルモニアと愛と神業の絆の中に隠されていた。愛はこの諸原素の球の中にあって縦も巾も等しくあった(エムペドクレス 断片17)という。

ヘルダーリンの中では、自然と人為は対立していて、自然は全体であり、限界はなく、差別もなく、一般的・基礎的で、意識されることなく、理解もされないものである。人為は人工的で、作り上げられ、特殊で、熟考された、個別的なものである。前者を非組織体的なるもの、後者を組織体的なるものと彼は名づけた。ここで問題となるのは、愛と争い、あるいは非組織的なるものと組織的なるものとの闘争と和解である。彼の戯曲『エムペドクレスの死』の中ではエムペドクレスは一者であり、「新しい救済者」として自ら火山に身を投げて焼死することによって「世界の争い」を和解させる。‥‥そこには英雄主義があり、キリスト教的なモティーフヘの変容があった。

ヘルダーリンも読んだといわれるヨハン・ヤコブ・ブルッカー(1696-1770)の『哲学史』の中では、世界精神つまり、「魂のように世界に浸透し、我々を一切の生命あるものと結びつける精神」の起源はエムペドクレスの哲学にあるとされていた。そして、ヘルダーリンは、彼の生きていた時代のギリシアを描いた書簡体小説『ヒューペリオン』の序文にこう書いた。「我々が自然と結びついて一つの無限な全体となる。このことは我々の志向の目的である。しかし、この至福なる一致、つまり言葉の唯一の意味における存在は、我々にとって失われている。我々はそれを得ようと努力し、その為に闘わなければならないならば、それを失わざるを得なかったのである。我々は世界の平和なる “一にして全” から引き離された。そして、それを我々自身によって生みださねばならないのだ(最終前稿序文)。」「無限の合一は美が君臨するところに存在する(同左)」と。この “一にして全”という言葉は、フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ(1743-1819)の『スピノザ書簡』から得たといわれているが、ウーヴォ―・ヘルシャーは、ヘルダーリンが結局当時の思想界を席巻していたフィヒテの観念論を離れて宇宙論に傾斜していったことを指摘している。意識からではなく世界から出発するのである。この言葉は、ヘルダーリンの親友であったヘーゲルの標語「ヘン・カイ・パン(一にして全)」にも唱和した。

手塚富雄さんの『ヘルダーリン』から彼の生い立ちを追ってみよう。1770年、ヘルダーリンは、南ドイツのネッカー川沿いにあるラウフェンという街で長男として生まれた。シュトゥットガルトの少し北にある街である。父は僧院執事及び宗務管理者という肩書で僧院の所有する土地などの管理やそこからの農産物に関わる金銭の出納などの仕事にあたっていて、母はラウフェン近郊の牧師の娘であり、濃厚な宗教的な雰囲気の中でヘルダーリンは育つことになる。だが、2歳の時にその実の父を失い、4歳の時に母の再婚に伴いシュトゥットガルトの南南東にあるニュルティンゲンに移る。ここは、ネッカー川とシュワーベンアルプ(アルプは高地を指す)を望む圧倒的に美しい自然に恵まれた地であったようだ。ネッカ―とラインとドナウという河川がヘルダーリンの情緒を育てた。

新しい父は、実父の友人で、若くしてこの街の市長となった人だったが、8歳の時にはこの義父も失った。10歳の時には、すでにニュルティンゲンのラテン語学校の生徒となっていて、そこで短期間だがフリードリヒ・シェリング(1775-1854)と出会っている。難関の国家試験に念願の合格を果たし1784年10月にデンケンドルフの初等僧院学校に入学、1786年から上級課程を学ぶマウルブロン校に通った。この学校にはおよそ100年後にヘルマン・ヘッセが通うことになり、ここでの経験から『車輪の下』が書かれたようだ。僧職に就くための学校であり、大学での授業を官費で受けられることが保障されていた。残された遺産を女手一つで守り、少しでも殖やそうと努力する母にとって、息子を大学に進ませるためのコースはこれしかなかった。

1788年、18歳でテュービンゲン大学のシュティフト(大学神学寮)に進学する。そこには、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)や飛び級で進学してきたフリードリヒ・シェリングがいた。彼らの世代の精神を鼓舞したものはヴィンケルマンに発したギリシア精神の復興と、カント、シラー、そして、フンボルトが打ち立てた「自由の理想主義」の哲学とフランス革命が挙げられている(ディルタイ『ヘルダーリン論』)。この頃にはキリスト教の教義からの離脱が決定的となり、司祭職への予定コースには背を向ける結果となった。これは、キリストその人からの離心を意味しない。それにかわって詩作へのやみ難い想いが募り始める。こうして、家庭教師として糊口をしのぎながら詩人としての生活が始まるのである。

ベーダ・アレマン
『詩的なる精神 ヘルダーリン』

折に触れてヘルダーリンに回帰した詩人パウル・ツェラン(1920-1970)が、セーヌ川に投身自殺した時、彼のアパートの机の上にはヴィルヘルム・ミヒェルの『ヘルダーリン伝』が開かれたままになっていたという。彼は、遺書に自分の遺稿の管理をベーダ・アレマン(1926-1991)に託した(関口裕昭『評伝パウル・ツェラン』)。比較文学者アレマンはへルダーリンの極めて優れた研究者の一人だった。

そのアレマンの著書『詩的なる精神 ヘルダーリン』によれば、ヘルダーリンは、ギリシア人と近代の人たちの文化的・社会的な形成衝動が、根本的に対立した現象であると考えていたいう。形成衝動はもともと生命の形態形成力と関わる言葉だったが、次第に文化などを形成する力をも指すようになる。古代ギリシアのそれは、文字通り美しく型どった形態形成を目指す組織的な形式に向うのに対して、近代人の衝動は、エムぺドクレス的全への合一、創造的な「太古の混沌(カオス)」へと向かう非組織的な形成を目指すという。到達不能の目標を設定し進展的に思考する近代であった。しかし、ヘルダーリンは古代の組織化にも近代の非組織化にも組みしようとしなかった。『ヒューペリオン』第二巻では、祖国ドイツへの激しい批判がみられはするのだが。『ベーレンドルフ書簡』や『ソフォクレス注解』などのヘルダーリンの著作によれば、芸術の国へと向かう排他的独占的傾向と現実性の中にあっても、ギリシアには破滅の道に抗して、その硬直化を突破するためのラディカルな力を内部に秘めた一つの手段が存在していたはずだという。それが「祖国回帰」であった。彼はそのプロセスの中でギリシア芸術と文化が「祖国回帰」をなしうるためには「革命的経過」を経なければならないと考えた。ここにはフランス革命やその後のナポレオンの動向が反映されていただろう。ヘルダーリンはこう書いた。

こうして 彼等はうち建てたいと願った
ひとつの芸術の国を。そのとき しかし
祖国に関わる事柄が彼等自身の手で
なおざなりにされて みじめにもまっしぐらに駆け降りたのだ
ギリシアは、このあまりにも美しかった国は、破滅(ほろび)への道を。(『‥君は考えるのか 事態の推移の必然を‥』)

「そして、ここで祖国に関わる問題が浮上する以上、各々が、無限の回帰として把握され、魂を揺り動かされ、魂が震えさせられる無限の形式のなかで自身を感受することこそ最重要なのである。何故なら祖国回帰とは、一切の表象=観念の種類と形式とが回帰(転換)する事態にほかならないからである(『ソフォクレス注解』)」と述べている。ソフォクレスは、古代ギリシアにおける三大悲劇詩人の一人であり『オイディプス王』の作者である。この回帰は、単なる方向転換ではなく、ひとつの国家や社会における人間の共同生活に関わる認識や相互の伝達の土台が完全にひっくり返されることにほかならないとアレマンは言う。それは、オリュンポスの神々を放棄するという犠牲、ギリシア文化の東方の源泉への帰還を放棄するという犠牲のもとに完全なる文化革命を成し遂げることであった。この困難な回帰を可能にするものは、いったい何、あるいは誰なのだろうか‥‥。これは、単に国家機構や社会構造の変革に留まらない。ここで、踏み込むべきは、ハイデッガーの注視する「帰郷」なのではないだろうか。

ハイデッガーは、ヘルダーリンを「ひたすら詩作の本性を詩作する詩人としての使命を担っている」として、卓越した意味での詩人の詩人であると称賛する。自分の葬儀に自らヘルダーリンの詩の朗読を計画したほどであった。ヘルダーリンの中期以降の詩は、自分が詩人であることのありかたと使命についての省察と信念の吐露に尽きるといわれる。ハイデッガーは、ヘルダーリンの詩に呼応してこう述べる。人間は「人間とは誰なのか? 自分が何であるか?、ということを証しなければならないものである」。証するためには表明しなければならず、その内実に対する責任を負わなければならないと述べる。それは有るもののなかに全体として帰属するという証しであった(『ヘルダーリンと詩作の本性』)。ここに言葉の問題が浮上するのである。

マルティン・ハイデッガー
『ヘルダーリンの詩作の解明』
「ヘルダーリンと詩作の本性」収載

「私たちが一つの対話であって、/互いに聴くことができるようになってから、/天のものたちの多くが名づけられた。」ハイデッガーは、ヘルダーリンの詩のこの一節を掲げる。

そして、このように述べている。少しシャッフルして纏めたい。神々自らが私たちに語りかけ、その語りかけのもとに私たちは存立するのである。神々を名づける言葉はいつもそのような語りかけに対する答えでもある。語り合うことの前提として聴くことがあり、実はその二つは同時にある。この前提によって、私たちが対話であることは同時にいつでも、私たちが「一つの」対話であるという意味になる。「現にあること」を神々が言語にもたらすことによって、私たちは、初めて神々に賛同するのか、背反するのか、という決断の領域に入り込むという。神々が私たちを会話に連れ込んでから、その時以来、時があり、歴史がある。それ以来、私たちが現に有る根拠は一つの対話となるのである。言語が人間に有ることの最高の出来事であると。

このような根源的な命名力によって名がつけられることにより物事の本性が語りだし、それによって初めて事物が輝き始める。そのことによって「人間が現に有ること」が確固とした関わりのなかに引き込まれ、根拠づけられるという。存在史的対話が始まるのである。「一つの対話」であるためには言葉のなかで同一なものが開示され成り立たなければならない。現に有ることを担うことは対話と一つになることである。

ハイデッガーは、『ヒューマニズムについて』のなかでこう述べている。「言葉は存在の家である。言葉という住居の中に人間は住む。思惟しているもの、作詩しているものは、この住居の番人である(小磯仁訳)。」アレマンは『ヘルダーリンとハイデガ―』の中でこうつけ加えている。作詩的な言葉は始原的命名力によって満たされている。思惟は、究極のものと明言されざるものとの緊張めがけて冒険に乗り出す。ここに思惟と作詩との感応が生じると。こうして、有るとは何かという存在の真理が、詩のなかで実現に移される。この時、思惟は完全に或る全く異なる広がりへと連れ去られ、この広がりの中でこそ詩が純粋に現前していることを理解するというのである。この異なる拡がりが、存在の明るみ、聖なるものの拡がりである。この拡がりのうちで現‐前することは、脱我的に実存することの意味、つまり存在を要求することに向って、あるいは聖なるものに開かれてあるものに向って、彼方へと現れ出ることであるとアレマンは言う。現に有ること=実存することの全く異なる領域、それをハイデッガーは、ヘルダーリンの詩『帰郷』に因んで「故郷」と呼んだのである。ハイデッガーの考える帰郷とは、祖国回帰をこのような深い次元にまで追及した結果だったのかもしれないのである。

ベーダ・アレマン
『ヘルダーリンとハイデガ―』

ヘルダーリンはこう歌う「‥‥そして、合図は/はるか昔から神々の言葉なのだ」と。ハイデッガーは『ヘルダーリンと詩作の本性』において続けてこう述べる。詩人はこの合図を感じとり、それをさらに民族のなかに合図する。詩人は「最初のしるし」のなかにすでに完成したものを見抜いて、それを大胆にも言葉にするので、まだ成就されていないことを予告することになる。「‥‥鷲が雷雲に先立つて飛ぶように、大胆な精神は/予言しながら、到来する神々に/先立って飛ぶ――」。詩人は、逃げ去った神々の時代と到来する神の時代という二重の欠如と無のなかに立っている。この欠乏の時代に、詩人は詩作の本性を創造することによって新たな時代を規定すると。

「救済が遠のいている。世界は癒しがたくなる。このことによって、ただ聖なるものが神性への痕跡として隠されているだけでなく、聖なるものへの痕跡、救済すら消え絶えてしまったように思われる。未だ少数の人間だけが、癒しなき状態が癒しなき状態として脅かしてくるのを見ることが出来るのを除いては(ハイデッガー『森の道』小磯仁訳)。

あるいは、ホラティウス(BC65-BC8)のこの言葉が暗い闇に響き渡るのだ。「未来の成り行きを知っていても、神は暗黒の夜でこれを蔽われる。そして人間が許された限界を越えようと、いくらもがいても、神は笑いたもう。(氷上英広訳)」

われらはひとつのしるし、解くべくもなく、
苦しみも感ぜず、ほとんど
言葉を異国の中で失ってしまった。
それゆえ、人間の頭上の
天に争いがおこり、荒々しく
あまたの月が進むとき、海もまた
語り、川の流れはおのれの道を
探し求めねばならぬ。けれども、疑いもなく
ある一者は存在する。この一者は
日ごと事態を変えることができる。彼にはほとんど
掟は無用なのだ。そして、木の葉は響を立て、かしわの樹々は万年雪のかたわらで
風にゆれる。なぜならば、天上のものたちも
いっさいをなしうるわけではない。すなわち
死すべき身の者たちはまず深淵のほとりに到達するのだ。こうしてエコーは
彼らとともに変転する。ながながと
時は流れるが、真実のことはおこるのだ。
‥‥
(『ムネーモシュネー 第二稿』浅井真男訳)

Mnemosyne

Zweite Fassung]

Ein Zeichen sind wir, deutungslos,
Schmerzlos sind wir und haben fast
Die Sprache in der Fremde verloren.
Wenn nämlich über Menschen
Ein Streit ist an dem Himmel und gewaltig
Die Monde gehn, so redet
Das Meer auch und Ströme müssen
Den Pfad sich suchen. Zweifellos
Ist aber Einer. Der
Kann täglich es ändern. Kaum bedarf er
Gesetz. Und es tönet das Blatt und Eichbäume wehn dann neben
Den Firnen. Denn nicht vermögen
Die Himmlischen alles. Nämlich es reichen
Die Sterblichen eh an den Abgrund. Also wendet es sich, das Echo,
Mit diesen. Lang ist
Die Zeit, es ereignet sich aber
Das Wahre.
‥‥

手塚富雄著作集2 ヘルダーリン下
中央公論社 1981年刊

永遠の女性ズゼッテ・ゴンタルト。彼女は、ヘルダーリンが書いた書簡体小説『ヒューペリオン』に登場する主人公ヒューペリオンの恋人であるディオティーマと同一視される。プラトンの『饗宴』において、ソクラテスに愛の本質を教えた巫女に因んだ名である。家庭教師先のフランクフルトの銀行家の若妻あった。1796年の1月から、このゴンタルト家でその子を教えることになる。26歳の年であった。実りのない恋に終わることは誰の目にも明らかだった。二人は傷ついたまま別離を迎える。1800年5月の最後の出会い、その瞬時の別れにズゼッテは彼に鉛筆の走り書きを渡す。「‥‥そして、苦痛の中でわたくしたちはお互いにわたくしたちの幸福を感じ、この苦痛がいつまでもいつまでもわたしたちのために残っていることを願うことにいたしましょう。なぜならわたしたちは苦痛の中に完全に高貴な感情を保ち、強められ、――――御機嫌よう ! 御機嫌よう ! 祝福があなたと共にありますよう。―――(手塚富雄訳)」‥‥‥この悲傷。

『ヒューペリオン』は、このズゼッテとの愛の世界とその別離の中で書かれた。ディオティーマはこの小説の中でこう語る。「あなた(ヒューペリオン)は、はたからお助けすることがむずかしい方なのです。‥‥あなたはご承知でしょうか。あなたに欠けているただひとつのもの、あなたがいつも悲しみながら尋ねているものは何かということを。それは、つい二、三年前になくなったものではありません。‥‥けれども、それはかつてあったのです。今もあるのです。それは、よりよい時代、より美しい世界。それをあなたは探しておられるのです。‥‥わたしのいうことを信じてください。あなたは人間を求めていたのではありません。一つの世界を求めていたのです。‥‥(手塚富雄訳)」1797年に『ヒューペリオン』第一巻が、1799年に第二巻が出版された。この頃、戯曲『エムペドクレスの死』が書かれる。

1801年、31歳、スイスでの家庭教師の仕事は4か月余りで終わり、翌年、フランスのボルドーに勤め先を移すが、これも数か月で終わりを迎えた。ヘルダーリンは、ただならぬ様子でフランスから故郷に戻るが、追い打ちをかけるようにズゼッテの訃報を知らされることになる。1804年にはソポクレスの翻訳『オイディプス王』『アンティゴネ―』が出版された。だが、2年後には精神病とみなされ、テュービンゲンの大学付属病院に入院する。1807年、37歳の時、同地の指物師の親方エネンスト・ツィンマーの保護を受けて、彼とその娘の介護により、その家の一室に終生暮らすことになる。ヘルダーリン塔として知られる建物の二階であり、36年の長きに亘った。ツィンマーは、『ヒューペリオン』の愛読者でありヘルダーリンを敬愛していたのだろう。

自分の世界の中での絶え間ない対話、それによる独り言が続いた。時に激高することもあったいう。だが、野外の散歩の時には独り言が止み、その眼は穏やかになったようだ。神性に触れたエムペドクレスは、救済者としてエトナ火山に身を投げた。ヘルダーリンは薄明の精神の中に身を沈めることとなるのである。1826年には、多くの人々の熱意と協力によってグスタフ・シュワープらの編集による『ヘルダーリン詩集』が刊行された。やがて、その息子クリストフ・テオドーア・シュワープがヘルダーリンを訪れるようになる。彼は、後に史上初となる『ヘルダーリン全集』を出版した。ヘルダーリンは、1843年、肺水腫のため73歳で亡くなっている。

1837年に書かれた晩年の詩をご紹介してこの『フリードリッヒ・ヘルダーリン』を締めくくりたい。ゲオルク・トラークルがこの観照に影響された詩を作ったと言われる(手塚富雄『ヘルダーリン下』)。ただ、手塚さんは、トラークルのそれが嘆きの変奏であるのに対して、ヘルダーリンのこの詩では自然と人間とのすべて明るく透明で完全な調和があるという。時に訪れる精神の晴れ間に、この自然への合一が歌われたのである。回帰する神的生気、フォーカスされる時間の遅速、循環する四季、広がる大地と流れゆく雲、時と空間を越えた完成‥‥そして、この拡がりのうちに現‐前すること‥‥君臨する美につつまれる深い静寂‥‥「一つの世界」へ‥‥帰郷

かつてあって、また立ち帰ってくる生気についての
言い伝えは 大地を去っていたが、
それがまた人の世に帰ってくる。そして、多くのことを
われわれは 急速に去ってゆく季節から学ぶのだ。

過去のもろもろの形姿は 自然から
棄てられはしなかった、夏の盛りに
日々が色あせても、秋が大地にくだってくれば
畏懼(いく/おそれ)を呼びおこす霊気がまた空にうまれてくる。

またたくまに多くのことが終わった。
犂を駆って野にいそしんでいた農夫は見る、
年がよろこばしい終わりに向って傾くのを。
このような形姿のうちに人の日の完成はある。

巌をかざりとして広がる大地は
夕べに失せてゆく雲にひとしいものではない。
それは金いろの昼とともに現われる、
そしてこの完成には嘆きの声はふくまれない。
(手塚富雄訳)

Der Herbst

Das Glänzen der Natur ist höheres Erscheinen,
Wo sich der Tag mit vielen Freuden endet,
Es ist das Jahr, das sich mit Pracht vollendet,
Wo Früchte sich mit frohem Glanz vereinen.

Das Erdenrund ist so geschmückt, und selten lärmet
Der Schall durchs offne Feld, die Sonne wärmet
Den Tag des Herbstes mild, die Felder stehen
Als eine Aussicht weit, die Lüfte wehen

Die Zweig’ und Äste durch mit frohem Rauschen,
Wenn schon mit Leere sich die Felder dann vertauschen,
Der ganze Sinn des hellen Bildes lebet
Als wie ein Bild, das goldne Pracht umschwebet.