『ウィリアム・ブレイク』part2 『四人のゾア』一滴の血の中の永遠

ウィリアム・ブレイク『アメリカ 一つの預言』
扉 1793

少年ブレイクが、ウエストミンスター寺院に通う途中にテムズ河の岸に見た奴隷船。やがて、アジア、アフリカの白人支配は終わりを告げ、アフリカ諸国民自身による国家が誕生するだろうと予測した。それは後年、彼の西欧文明の没落の宣言へと発展していくのである。そして、ロンドンの街の空に初めて気球が上がった時、人々の歓呼をよそに、殺戮兵器への転用とそれによる想像を超える惨禍の到来を予感した彼は、思わず身震いした。この直感は2世紀の後に広島・長崎の空に現実のものとなった(並河亮『ウィリアム・ブレイク』)。こうして、ブレイクの研究の相貌は、第二次大戦後、一変することになるのである。

ウィリアム・ブレイクの『ヴェイラあるいは四人のゾア』。詩としては、彼の作品中最も生気にあふれているとされる作品である。だが、10年もの歳月を費やしながら放棄された預言書あるいは神話であった。今回は土屋繁子(つちや しげこ)の著作『ヴィジョンのひずみ』を中心にブレイクの問題の預言書に迫りたいと思っている。この中で、著者はブレイクの作品が究極的な全体性をもって絶えず生成発展してきたと述べ、それぞれの作品がその時点での「全て」なのであると言う。この『ヴェイラあるいは四人のゾア』という作品の創作段階を追ってみると二つの意外性にぶつかるという。一つは、最初は人間が神となるとブレイクは考えていたが、最終的に神には合一せず、神は外在する存在となること。もう一つは、円環的ヴィジョンが直線的時間の相に変わってしまうことである。

土屋繁子『ヴィジョンのひずみ』
――ブレイクの『四人のゾア』――
表紙はブレイクのライフマスク

土屋繁子は、1935年生まれの英文学者。早稲田大学卒業後、東京大学大学院修士課程を修了し、京都大学大学院博士課程を単位修得された。関西大学、和洋女子大学などで教鞭を執られ、中央大学人文科学研究所客員研究員を務められた。

ブレイクは1793年、36歳の時『アメリカ ひとつの預言』を、翌年『ユアリズンの第一の書』と『ヨーロッパ ひとつの預言』、その翌年『ロスの歌』『ロスの書』に取りかかる。この『ロスの書』は、「アフリカ」と「アジア」の2部からなり、『アメリカ』と『ヨーロッパ』によって始められた「大陸神話」は、ここに完結することになった。この書では「四つの竪琴(大陸)」に歌いかける形式となっていて、主にユアリズンの誤った宗教の起源を扱っているといわれる。同年、『アヘイニアの書』次いで、39歳でこの『ヴェイラあるいは四人のゾア』に着手、この頃が制作の一つのピークとなった。1804年、47歳の時に『ミルトン』『エルサレム』に着手し、前者は1808年、後者は1820年に完成した。『ヴェイラあるいは四人のゾア』に10年近い歳月が費やされているなら、それは、『ミルトン』『エルサレム』とほぼ、同時並行して創作されていた時期があることになるのだ。この三つが「三大預言書」と呼ばれる。

『ヴェイラあるいは四人のゾア』という作品は、夢を扱った『ヴェイラ』稿が発展・拡大したために『四人のゾア』と改題された経緯をもっている。ゾアはギリシア語の動物を意味する言葉の複数形で、堕落した人間を意味すると思われる。主人公はヴェイラからアルビオンに変更された。ヴェイラは影であり変幻自在な「自然」に近い女性性の存在といわれる。ブレイク神話では、人祖アダムに匹敵する存在でありイギリスの古名を持つアルビオンから、その四つの心的能力である想像力、理性、感情/愛情、感覚に対応する男性性がアーソナ、ユアリズン(ユリゼン)、ルヴァ、サーマスとして分離される。この四人に対応する女性性としてエニサーモン、アヘイニア(アハニア)、ヴェイラ(ヴァラ)、イーニオン(エニオン)が分離された。アーソナとルヴァは再度分離し、堕落した世界ではそれぞれロスとオークと呼ばれる(図1参照)。分離は堕落を意味した。この分離については、次回「最終回」で、もう少し説明したいと思っている。

図1 アルビオンからの流出

ゾアたちの存在する空間も四段階に分かれていて、上からエデン、ビューラ、ジェネレーション、アルロと命名されている。堕落して分化したゾアたちの場は、もっぱら最低の場所アルロであった。死の世界・冥府の国であるアルロ、生存競争に明け暮れる生成する世界ジェネレーション、時間と空間が生まれゾアたちの分離が統合される場所ビューラ、そして楽園エデンである。

巨人アルビオンはイギリスの運命であり、人間一般の代表でもある。彼の分裂による自己喪失と再統合による回復が、この預言書のテーマであり、堕落と更生という型の上にブレイク神話は展開されると著者はいう。『ヴェイラあるいは四人のゾア』は、九夜に構成されていて、第一夜から六夜までがアルビオンの堕落と死の眠り、その堕落した世界の展望が語られる。第七、八夜で回復への努力が語られるが、最も錯綜するのが第七夜であり、2種類の原稿が書かれた。最終章はアポカリプス(黙示)と人間がキリストの血と肉とに形づくられていく過程が述べられている。

オークが火の中に立ちあがり、自分が海に沈むのを感じるユアリズン
『アメリカ一 つの預言』1793

アルビオンの眠りに際して後を託されたのがユアリズンなのだが、彼は堕落を英雄的なものと、そして、自分を神と誤解し、空虚な世界から「現世の殻」と呼ばれる物質世界をコンパスによって生みだし、支配しようとした。つまり、グノーシスで言う悪しき神デミウルゴスとなったのである。その名は、your reasonから来ているといわれる。そこは、理性が支配する心のあり方全体を示していた。ユアリズンが理性、冷徹、老年を表現していたのに対して、オークは「生まれたばかりの火」であり、怒りとエネルギー、若さと情熱を表わしていた。管理的な理性であるユアリズンとオークの前身である感情/欲望であるルヴァとの対立とも言える。これにより合理主義一辺倒の近代社会が批判されることになる。

オークは、ロスとその分身エニサーモンの子として、ルヴァから再度分離されたが、母への愛欲をその眼に見たロスは彼を山上の「神秘の木」に縛りつける。このオークの姿は、キリストないしプロメテウスを連想させる。そして、この『ヴェイラあるいは四人のゾア』ではロスもユアリズンの敵対者となって、大きな役割を担うことになる。以前の預言書『ロスの歌』において革命のエネルギーを担っていたオークが、今度は脇役にまわる。ここにフランス革命の失敗を見る批評家もいるという。こうして、想像力がエネルギーに取って代わるのである。「神秘の木」に縛り付けられたオークは、一旦は自由になるが、蛇となってその木に巻きついたまま死ぬ。ロスは哀しみ、エニサーモンは地上に倒れた。

この預言書では、ロスは鍛冶屋のイメージと重ねられていて、ロスの炉は産業革命の克服の場、煉獄の象徴となっている。彼の本性は、想像力であり外界を克服するための重要な力となる。ここにブレイクのロマン主義的な傾向をみるのだが、初期ロマン派のノヴァーリス(1772-1801)が聴覚的な人であったのに対してブレイクが徹底して眼の人であったことは、指摘しておきたい。このロスの存在意義も役割も膨張してゆき、それに相対するユアリズンにも変更が加えられる必要が生じた。そのため、この『四人のゾア』は放棄されたのではないかと著者は述べる。

エニサーモンの前でうずくまるロス 1794
『ユアリズンの第一の書』 2017 筆者撮影

人間の魂には無心と経験という二つの状態があるとブレイクは考えていた。これを歌ったものが『無心の歌』と『経験の歌』なのである。無心から経験へ、経験の状態から如何に再び無心の状態に戻るか。これが可能になれば、この二極の間で円環運動が形成される。それを可能にするは、「眼は心が知る以上のものを見る」という彼の人並み以上に見通すことのできる力、彼の能力だったと著者は言う。そして、ブレイクにとってヴィジョンこそが最初にあった。現実をヴィジョンが補ったのではなく、ヴィジョンを現実が補ったというのである。幼くして見始めたこれらのヴィジョンをそれが見えない人々にいかに伝えるかという使命が以後のブレイクを支えるのだという。

しかし、ヴィジョンは絵に、あるいは詩に形づくられなければならない。そこには、翻訳に似た作業が科せられる。創造とは聖なる作業であると同時にまがい物しか生み出せない堕落ともなるのである。ここにも二極化がある。だが、このような対立が進歩を生み出すと考える所にブレイクの弁証法的なダイナミズムがあった。彼は『天国と地獄の結婚』で、そのプロパガンダを行ったのである。「対立なくしては進歩はあり得ない。陽と陰、理と力、愛と憎しみとが人間の存在に必要である(土居光知 訳)」と。ちなみに、ユングが主宰した、スイス・アスコナにおけるエラノス会議のテーマの一つが錬金術などにみられる「対極の一致」であったことはよく知られている。

同書における「悪魔の言葉」にはこうある。

すべての聖書及び聖典は次の謬見の源となった。
1.人間は二つの真実な存在の基本をもつ、その一つは肉、他は霊。
2.力は悪で肉体から生じ、理性は善で霊からのみ生じる。
3.この力に従うと神はいつまでも人間に苦悩を課する。
しかし、これに対立する次の見方も真実である。
(1)人間は霊から分離した肉体を持たぬ、肉体とは五官によって認められる霊の部分であって、現代における霊の主要な門口である。
(2)力のみが生命であり、肉体から生ずる。理性は力の限界、あるいは埒である。
(3)力はとこしえの歓びである。
(土居光知 訳)

これがT.S.エリオットに顔をしかめさせた(part1参照)ブレイクの哲学である。このような二極は高次へと統合され、対立物の一致へと高められることが望まれる。だが、一方の極に謳われた内容は、他方の常識的な教会道徳からすれば、あまりに非常識なものであった。例えば、性などに現われる力(エネルギー)を賛美するものと映ったことは間違いないだろう。ブレイクは、よくアンチノミアン(道徳律廃棄論者)たちに結び付けられる。極めて晦渋なストーリー展開を見せる預言書の内容とあいまって、このようなプロパガンダが彼に狂人というレッテルを貼ることになるのは想像に難くない。しかし、こういった教会に「対立する見解」が、カバラやグノーシス、ベーメやパラケルスス、新プラトン主義、ゾロアスター教などの文献に既に存在していたことも確かなのである。

バビロンの淫婦/レイハブ
『ヨハネの黙示録』1809

預言書に戻ろう。この『ヴェイラあるいは四人のゾア』、第八夜では、キリストがルヴァの長い衣まとっているのを見たユアリズンは当惑し恐れる。それは、新たにルヴァに戻ったオークだった。感情・愛の性質であるルヴァにキリストのイメージは重ねられている。一方、ユアリズンに恨みをいだくヴェイラは形のない雲となってユアリズンの神秘の木にひろがり、神秘の木の実を集めてルヴァに与えた。彼は、怒れる蛇となってユアリズンの星座に侵入する。それを見たユアリズンの合図によって戦いのラッパが鳴り、戦争が始った。ここに戦争と宗教の主であり両性を具有するサタンが誕生する。キリストは、悲しみを担い、傷を受けてルヴァの十二の部分を通って下降した。ここで、ヴェイラは感情・愛の性質であるルヴァのネガティブなイメージとして対極に置かれることになる。ヴェイラのイメージに重ねられた地上の圧政の象徴である大淫婦レイハブ(ラハブ)が、キリストを「神秘の木」に釘で打ちつける。キリストの亡骸はロスが墓に納めた。レイハブがユアリズンのもとを訪れると、彼は鱗のある動物であるドラゴンの姿をとるのである。

「大きな赤い龍と太陽を着た女」
『革命のための挿絵』1805

最終夜、第九夜では、キリストの亡骸のもとでロスとエニサーモンがついに聖地エルサレムを建設する。傍に復活したキリストが立っていることに彼らは気がつかない。ロスは右手で太陽を、左手で月を引き下して天を砕くと、永遠界の火が巨大な音をたてて落下し、ラッパが鳴った。最後の審判が始るのである。レイハブは焔の中で燃え、ユアリズンの体は解体しはじめ、ルヴァ(オーク)の蛇の身体も燃え始める。南の岩の上で横たわっていたアルビオンは目覚め、龍となったユアリズンに呼びかける。二度目の声に対してユアリズンは泣きながら「未来を捨てよう、未来はこの瞬間にある」と語った。未来への畏れから解放された彼は、喜びの内に輝く若者となって天に昇って行く。これは予備的なアポカリプス(黙示)にすぎないと著者は言う。

真のアポカリプスはユアリズンが耕し、人間の種子を撒くことから始まる。ルヴァの炎によって生成世界が回復し、想像力の春がやって来ると種は芽を出した。死んでいたアヘイニアは甦り、ルヴァとヴェイラは再びビューラに生まれ、イーニオンとサーマスは子供に戻る。ゾアたちの再生がアルビオンの再生をもよおすが、ロスは非物質的な焔で身を焼き尽くす。ゾアたちが、実った葡萄と麦としての人間を刈り取り、パンと葡萄酒とするために葡萄を圧搾し穀物の粉を挽いてその形を壊す。この苦痛が真のアポカリプスである。「ヨハネの黙示録」の第14章をなぞっているのだ。それは、普遍的人間の肉と血に作りかえる作業であった。それは、キリストの血と肉への変容に他ならない。人間はキリストの一部となって救済されるのである。ブレイクは、1820年の『ラオコーン』で、ついに「キリストは神である」と述べた。

『ダンテ 神曲のための連作』1826-27  2017 筆者撮影
「愛欲者の圏 : フランチェスカ・リミリ」

この『四人のゾア』以降、ブレイクにとってその最高の存在となるのがキリストだった。このキリストがヴィジョンに登場した時、皮肉にも、それまでの神話の骨組みだった円環的時間は、キリスト教特有の直線的時間の相を呈しはじめる。だが、この円環と直線の両極も後に統合されていくのである。渦という形態によって。ここに渦の重要な意味がある。

『天国と地獄の結婚』は1790年から1793年にかけて書かれた。革命戦争とも呼ばれたアメリカ独立戦争は1783年にアメリカ側の勝利で終わり、1789年にはフランス革命が起こっていた。1792年にはイギリスもフランスとの戦争に突入する。その頃は、革命へのエネルギー賛歌に傾いていたことは、『アメリカひとつの預言』や『ロスの書』に見られるとおりである。1790年にはスウェーデンボルグの影響から脱し、パラケルスス(1493-1541)やヤコブ・ベーメ(1575-1624)といった思想家へとブレイクは接近している。スウェーデンボルグの「死後の生命」に関する予定説を救いがないとして反感を持ったようだ。カバラやグノーシス・錬金術などとの関係も指摘されている。特にカバラとブレイク神話との類似は大きいと言われるが、今回、やはりカバラに大きな影響を受けたベーメの思想でまとめさせていただきたい。ベーメは「ありとしあるもののうちの在るものは、唯一の本体であって、出産によってはじめて二つのプリンキピア(原理)、すなわち光と闇、よろこびと苦しみ、悪と善、愛と怒り、火と光に分かれる。そして、この二つの永遠のはじまりから、さらに第三のはじまり、すなわち創造界へと分かれ、そこに、両者の永遠の欲の性質に応じた独自の愛のたわむれが生じる(『シグナトゥーラ・レールム』南原実 訳)」と書いた。ベーメにとって創造界が始まる前に既に善と共に悪は原理に組み込まれていた。これがベーメ思想の最大の特徴のである。

ヤーコブ・ベーメ「二つのプリンキピウム」『シグナトゥーラ・レールム』より

英訳されたベーメの著作には「汝がアブラナの種の一粒と同じくらい、小さな、ごく小さな円を想像するなら神の御心はまったく完全にその中にある。そして、汝が、神の中に生まれるのなら、汝の中に(汝の生命の円の中に)分裂していない神のすべての心があるのだ」という言葉が在ることをピーター・アクロイドは『ブレイク伝』で指摘している。この言葉はブレイクの「一粒の砂に世界をみ、一輪の野の花に天上界をみる」という言葉につうじる。この頃、彼は精緻を極めた神秘的、存在論体系を作っていたという。

ウィリアム・ブレイク(1757-1827)
ジョン・リネル画 1820

ブレイクは、晩年には、評価していたホメロスの詩を「聖書から盗み、かつこれを逆用した異教の詩である」と批判し、ヴェルギリウスらを含めて「ギリシアとローマは、バビロンとエジプトのようにあらゆる芸術の破壊者であった。‥‥好戦的な国家はけっして芸術を創りえない」と述べている。しかし、オウィディウスの『変身物語』やアプレイウス『黄金の驢馬』には、真の幻想があると評価した。神話もギリシア・ローマの古典神話よりドルイドや北欧神話を好んだ。古北欧語で書かれた古エッダでは巨人イミルの眠りの中で地球は彼の肉から作られ、天は頭蓋骨、海は彼の血から、雲は脳髄から生まれたという。それは、ちょうどブレイク神話において人祖アダム・カドモンたるアルビオンのなかに全てが存在していたかのようである。

ウィリアム・バトラー・イエイツと同じアイルランド出身の小説家ジェイムズ・ジョイス(1882-1941)もまたブレイクについて書いている。『英文学におけるリアリズムとアイデアリズム』と題された評論で、『ロビンソン・クルーソー』で知られるダニエル・デフォーとこのブレイクを取り上げた。いくらか欠損のある原稿なのだけれど、ブレイクの生涯の中のメルクマールを取り上げた後、終盤でこのように述べている。「空間と時間を無に帰し、記憶と感覚の存在を否定し、神の胸という虚空に自らの作品を浮かび上がらせることを欲した。彼の一回の鼓動よりも短い一瞬一瞬が、その周期と持続においては六千年に相当した。なぜなら、この限りなく短いこの一瞬に、詩人の作品は受胎し出生したからである。彼にとって、人間の血の赤い一滴よりも大きな空間のひとつひとつが、幻想であり、ロスの鉄槌によって作り出されたものであった。いっぽう、われわれは、血の一滴よりも小さい空間のひとつひとつにおいて、永遠へと入って行く(吉川信 訳)。」

『ジェイムズ・ジョイス全評論』
「英文学におけるリアリズムとアイデアリズム」収載

この美文は、ブレイクの預言書ないし神話について語っている。ロスは前に見ていただいたように「想像力」の顕現であった。ブレイクは、その想像力の源をよく「詩霊」と呼んだ。poetic genius という言葉は詩の守護精霊というより、人間・自然・社会などの万象に内在する神的な力(エネルギー)と捉えた方がよいと言う人もいる(吉村正和『ブレイク詩集解説』)。時間と空間を一滴の血に圧縮し、永遠へと解き放つものは詩霊なのであった。

ジョイスは続けてこう述べる。「偽ディオニシウス・アレオパギダは、‥‥神の暗黒を前にして――永遠の秩序における至高の叡知と至高の愛を予示し包含する言葉に尽くせぬ広漠を前にして――恍惚となり地に伏す。ブレイクが無限の戸口に到達した精神の過程もこれと同様の過程である。彼の魂は無限小のものから無限大のものへと、血の一滴から星々の世界へと飛翔し、その飛翔の速度に自ら消尽し、神の暗い海の果てで、刷新され翼を具え不滅となっている己が姿を発見する。‥‥」解説する必要はないだろう。ここにT.S.エリオットとの温度差(part1参照)を感じることができる。ちなみに、カナダの文芸評論家ノースロップ・フライ(1912-1991)は、ブレイクの預言書にジョイスの『ユリシーズ』の源流をみていたという(並河亮『ウィリアム・ブレイク』)。

次回、『ウィリアム・ブレイク』最終回は、1980年代にポストモダン的批評がどのようにブレイクの現代性を捉えたのか、そして、民芸の柳宗悦の熱いブレイクへの眼差しをご紹介する予定です。

 

その他の参考文献

ピーター・アクロイド『ブレイク伝』
池田雅之 監訳 蜂巣泉 他訳

ピーター・アクロイドは1949年ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学、クレア・カレッジで学んだ後、イェール大学客員研究員を経て、雑誌『スペクティター』『ザ・タイムズ』紙の書評主幹などをつとめた人である。伝記『T.S.エリオット』小説『オスカー・ワイルドの遺言』『原初の光』などの著作がある。

ブレイクのまとまった自伝で、大部の本である。ブレイクのヴィジョンについて、比較的消極的なので、もの足りない感はあるけれど、ブレイクの細かな事跡を追うには格好の著書ではないだろうか。