『宇津保物語』part2 中上健次の『宇津保物語』

『うつほ物語』② 1999年刊
原文、注の他に非常に読みやすい現代語訳が掲載されている。

今回は、前回の『宇津保物語』の内容についてもう少し述べた後、小説家・中上健次(なかがみ けんじ/1946-1992)が、この『宇津保物語』をベースとして描いた同名の小説をご紹介したいと思っている。1978年~79年、雑誌『海』に、「北山のうつほ」「あて宮」「吉野」「吹上」「梨壺」が、1982年に「波斯風の琴」が掲載されたものだが、単行本にはなっていない。

『宇津保物語』は不思議な物語である。主要なテーマは三つある。一つはpart1でご紹介した俊蔭(とかげ)を中心とした霊琴の物語であり、この物語の成立する以前のいわば『古宇津保』と呼ぶべきもので、それは異国と異界の物語であった。それに貴宮(あてみや)を中心とする求婚譚、そして「国譲り」巻を中心とした政争の物語が宮中行事の詳しい描写や下層階級を含めた人びとの生き生きとした生活とともに描かれている。琴と恋と政治が描かれているのである。だが、その面白さにもかかわらず物語の構成に問題を残しているのは研究者の指摘するところである。複数の物語が合成されているのだが、それはスムースに繋ぎ合わされておらず、一つの物語とは言えないような体裁になっているのだ。だが、そのブリコラージュぶりが妙に気を引くのである。

貴宮への求愛物語は、霊琴の物語とは対照的に平安京の都市生活にみられるあらゆる階層の人々の型がリアルに描かれている。左大将・源正頼の娘である九の君・貴宮(あてみや)は絶世の美女であり、プッチーニのオペラに登場するトゥーランドットのようなクールビューティーなのだが、彼女をめぐるにぎやかな求婚譚は竹取物語を連想させる。しかし、登場人物は、はるかに多様で子細な描写になっているのである。妻を捨てて顧みない宰相・実忠(さねただ)、貴宮の略奪計画を立てるも逆に罠に落ちる上野(かんづけ)の宮、屋敷に畑まで作って財産を増やそうとする守銭奴の三春高基、貴宮の弟の笛の師・良岑行政、肉親の妹・貴宮に恋する異父兄仲澄(なかずみ)、継母の陰謀によって出家した忠こそ、右近少将・源仲頼、60歳になる太宰の大弐(だいに)滋野真菅(しげののますげ)、嵯峨院のご落胤・源涼(すずし)、貧乏ゆえに笑いものにされながら勧学院で学ぶ藤原季英(すえふさ)通称藤英(とうえい)、俊蔭の孫でこの物語の主人公、仲忠(なかただ)自身、そして、仲忠の父である藤原兼雅(かねまさ)など多彩な顔ぶれになっている。このような人々の紹介の記述が、いちいちあるのだから話が長くなるのは止むをえまい。

藤英、詩作の図 『うつほ物語』①
(小学館)より

歴史の研究者たち、例えば石母田正(いしもだ しょう)によれば、これら求婚者たちが、この時代の貴族社会内部の多様な階層、多様な種類の人間を代表させるものであり、堂上の顕貴の人びとから零落しつつある下級の貴族、地方官、僧侶、窮迫した学生、富裕な地方長官らまでもが描かれているという。さらに副次的な人物として述べられている無頼の徒、侍女や召使い等まで数えるならば、平安京の都市生活で遭遇し得るあらゆる層の人間がそれぞれの役割をもって描かれている。そういった人物たちが作者によって厳しく選別されているわけではなく、文学的効果を上げているわけでもないが、求婚者を同一の生活意識を持つ限られた階層に求めなかったことがこの物語に別な魅力を与えたというのである。それは、異なった生活条件のあるところ、異なった人間の型があり、その認識がこの物語をして単なる求婚譚ではなく平安中期の複雑な人間の集合である都市生活の生きいきした包括的表現たらしめたというのである(『宇津保物語についての覚書』)。庶民のエネルギーの躍動を描いた藤原明衡(あきひら)の『新猿楽記』の登場までもうすぐなのだ。

貴宮(あてみや)は東宮(皇太子)に嫁ぐことが決まった。実忠は気を失い、太宰の師の滋野真菅は身分を省みず朝廷に愁訴して流罪、失意の仲頼は出家、三春高基は狂気のうちに屋敷に火を放ち山に籠る。仲澄(なかずみ)は悶絶するも祈祷によって蘇生するが、貴宮からの文を飲み込んで息絶える。藤壺と呼ばれるようになったその貴宮は、東宮の寵愛を一身に受け男子を出産するが、他の親王妃たちの嫉妬を一身に集めることとなる。ここまでが「あて宮」巻の内容である。「蔵開」巻は仲忠が祖父俊蔭の蔵を開けることからはじまるが、この巻では、藤壺(貴宮)が兄の祐澄(すけずみ)と対話する中で、亡くなった兄仲澄に心動かされていたこと、東宮との関係は心安らかなものではなく、仲忠とその妻の女一宮との関係が羨ましいと述懐するのである。「国譲」巻では、仲忠の異母妹である梨壺も東宮の皇子を生んで、朱雀帝の譲位後、東宮が今上帝となるに及んで、その皇太子の立坊に世間の関心は移って行った。朱雀帝の中宮であった后の宮(きさいのみや)は兄の太政大臣である忠雅や兼雅(梨壺の父)に梨壺の子の立坊を働きかけるように持ちかけるが、結局、藤壺の子が東宮として選ばれる。これが藤壺側の源氏と梨壺側の藤原氏との政争の内容となるのである。

『うつほ物語』③ 1999年刊

『古宇津保』というべき「俊蔭」の話は、強烈な異界の物語であった。その他、僕がこの物語で面白いと思うのは、仲忠の代になって貴族社会の生活を描いたなかにも、ふっと小さな異界が登場することである。貴宮(あてみや)の略奪計画を立てる上野(かんづけ)の宮の話では、東山で御堂供養の法会をするための下稽古を大がかりですると噂をたて、そこに牛車でやって来た貴宮を奪い取る計画であった。だが、それは貴宮の父である左大将の知るところとなり、貴宮のかわりに器量のよい下仕えの娘が貴宮の身代わりとなって上野の宮に奪われることになる。この車を奪う場面は、『源氏物語』「葵」巻の車争いのシーンのヒントとされたのではないかと言われているが、七日七夜の祝宴の後に偽物だとは気付かれず歌など交わしているのである。つまり、現実の世界では低い身分の偽貴宮は上野の宮の世界では高貴な貴宮に変貌してしまうのである。

光源氏が光り輝く君でありながらその恋の過ちに終生暗い影を落とすのとは対照的に、この『宇津保物語』では、仲忠の男映えが爽快さを以って描かれていくのである。この仲忠とやはり琴の名手であった涼(すずし)とどちらがいい男かという議論は、この物語を愛する宮中の人々、とりわけ女性たちの間で、後々まで続いたようで、円融院の時代に涼を押す親王方と仲忠を贔屓する女一宮方との論争にまで発展した。それで、藤原公任が意見を聞かれて歌を詠んだという話が伝えられている。清少納言は自らの出自が清原氏であり、仲忠の祖父俊蔭(としかげ)が清原氏であったことからか、だんぜん仲忠ファンであって、それを中宮定子にからかわれたりしている。

中上健次『エッセイ選集』文学・芸能
「宇津保物語と現代」「音の人 折口信夫」収載

日本文学の研究者である竹原崇雄(たけはら たかお)は、『宇津保物語の成立と構造』の中で、『今昔物語』を本歌取りして『芋粥』などの作品を書いた芥川龍之介が、『今昔物語』を「ブルータリティ」・「野生の美」と評したが、『宇津保物語』の世界には貴族的な教養を備えながらも野生の面影をなお残した純粋で素朴な力が支配していると述べている。この野性の問題は、中上健次(なかがみ けんじ)の同名の小説のなかでより一層はっきりと、そして翳りを以って描かれることとなるのである。僕が中上という人に興味を持ったのは朝鮮半島の民俗芸能であるパンソリに耽溺していたというのを知ってからなのだけれど、それは『ユン・イサン(尹伊桑)』part1 駆け抜ける龍で少しご紹介しておいた。

中上健次(1946-1992)の伝記『エレクトラ』を書いた高山文彦(たかやま ふみひこ)の文章の中にこのような意味の言葉がある。中上の故郷とは、そこを知らない人々にとっては、〈彼岸〉である。正確に言えば、彼ら正常な人々によって構成される〈社会〉が作り出した〈彼岸である。私たちがそこを〈彼岸〉と見るのは、たんにそこが〈霊魂の集うところ〉〈よみがえりの地〉、あるいは〈人間の外にある者たちの里〉を意味するだけでなく、正常な人々が営む一般社会にはありえない、もうひとつの自立した〈国家〉や〈社会〉があるのかもしれないという願望を含んでいる。このように述べているのである。

中上は、そこに愛も憎しみも憧れも郷愁も、そして小説の題材としても、全てを注ぎ込んでいった。同時に、そこはアメリカの作家、ウィリアム・フォークナーの小説『アブサロム アブサロム ! 』に登場する主人公トマス・サトペンのような流れ者が奸計を弄して成り上がり、破滅していくような人物のイメージを膨らますことのできる場所でもあった。ちなみに、この小説の巻末には、その舞台となったヨナクパートファ州ジェファスンという架空の町の詳細な地図が載っていて、町の面積、白人と黒人のそれぞれの人口が記され、こう書き添えられていた。「ウィリアム・フォークナーを唯一の所有者とする。」中上はこのユーモアと神のような視座に驚きと憧れを感じたという。フォークナーは、くり返し、この町と同一人物が登場する小説を書き、人はそれらを「ヨナクパートファ・サーガ(物語群)」と呼んだというのである。中上の故郷を中心とした小説群を紀州サーガと呼ぶ人もいる。

高山文彦『エレクトラ』
高山文彦(たかやま ふみひこ)は1958年生まれ。法政大学文学部中退。『火花 』で大宅壮一及び講談社ノンフィクション賞を受賞している。著書に『少年A 14歳の肖像』『水平記 松本治一郎と部落解放運動の100年』『鬼降る森』『ミラコロ』などがある。この『エレクトラ』は伝記としても、読み物としても良くできていると思う。

中上健次は1946年和歌山県の新宮市に生まれる。その故郷は「路地」と呼ばれた。母方で言えば三男、父方で長男、育った家庭では次男という極めて複雑な家庭環境の中で育った。母の連れ子であったが実子として分け隔てなく育てられた。だが、酒を飲んで暴れる異父兄は大きな衝撃と不安をもたらしたという。12歳の時にその兄も首つり自殺する。この兄の死によって姉の一人も精神に失調をきたすようになった。後に「世界は/いつまでも/ギリシア悲劇を上演している(『海へ』)」と書いた。この兄の死と息子として認知しなかった実の父に対する複雑な感情が、彼の小説への情念を形成していったのかもしれない。中学生の時は不良少年仲間からよくリンチも受けたが、高校では、ぐれてはいないが勉強のできない平凡な生徒であったという。この頃、大江健三郎、石原慎太郎、サド、セリーヌ、ジュネ、ランボーなどを読んでいた。

19歳の時、東京へ出て、コルトレーンなどのモダンジャズ、新左翼運動、小劇場、ヌーベルバーグと出会った。「文芸首都」の会員となり、1966年に『18歳』が同誌に掲載される。初期の作品は大江健三郎の影響が大きかったといわれている。その二年後に「三田文学」を通じて柄谷行人と知り合う。かすみ夫人と結婚、自動車工場の臨時工をへて羽田空港で飛行機の洗浄や航空貨物の積み下ろしの仕事を始めた。「物は、言葉を語り、一個の貨物がそこに確かに在ることがけっしてあなどれない思想そのものだという実感」があったという。ともすれば観念的になりがちな小説から抜け出る契機となった。その後も築地の魚河岸や小平にある運送会社でフォークリフトの運転手をした。この頃、紀州と紀州弁を小説の舞台にのせるようになり、自分の故郷や家族をモデルに小説を書いた。三度の芥川賞候補を経て、1972年『岬』で同賞を受賞した。

やがて、自らがその出身である被差別部落について書き始めるようになる。「半島ではほどほど、中庸がない。なにもかもむき出しである。貧困は貧困のまま、日本的自然の帰結である差別は差別のまま、被差別は被差別のまま(『美しさを越えて映える半島』)。」カナダの文学研究者ノースロップ・フライは、文学の統合原理は神話と穏喩だと言ったけれど(『ダブル・ヴィジョン』)、中上にとって物語とは法・制度であり、育まれた自然と差別被差別という連関の中で、解明され解体されなければならないものだといわれる(永島貴吉『中上健次小伝』)。しかし、神話は彼の小説の中でも統合原理であったろう。1977年以降はアメリカ、韓国、インド、フィリピン等への旅行を繰り返していた。「日本にいると往々にアジアが見えなくなる」からだという。マイノリティへの興味とアジアの多様性を感じたかったようだ。同じ頃、自分の故郷で「部落青年文化会」を自費で開催しはじめる。ゲストは佐木隆三、石原慎太郎、吉増剛造、瀬戸内晴美、森敦、唐十郎、金時鐘、吉本隆明を擁した。しかし、全てが中断される時が来る。1992年、46歳の若さで腎臓がんで亡くなった。

折口信夫(1887-1953)
民俗学者・国文学者・国語学者

ちょっと道草するのだけれど、この人、折口信夫のどこを切っても金太郎飴みたいに同じだと言った人である(『音の人 折口信夫』)。どう細切れにしてもそれぞれが磁石のN極のように北を指しているということらしい。どの方向かというと、言葉の内側へ分け入って『うつほ』なら「うつむろ」「うつはた」「うつぼ」「うつせみ」のようにUやTSやHなどに聞き入り続けるという方向である。そこが、縄文でもなく旧石器時代でもない折口の古代だというのだ。その面白味は音が言(こと)であり、言が同時に魂(たま)であり霊であり、物であるという言葉の還流に身を置いていることから来るという。音がマグマのように蠢(うごめ)いている世界に分け入って、これも言える、あれも言えるとして、言の葉の貴種流離を言わけしてくれる。言葉を細かく切って行って何もなくなるのではなく、先のものが次々動き出して行って、別のものとくっついて行く、そういう要素を持っている方が豊かなのだと言う。それが、折口の健康であり、強さであり、読む者をわくわくさせる源だと。それは万葉時代の歌人が隣に坐っていて、自分に何か語りかけてくれるような、そんな豊かな気持ちにさせてくれると言うのである。そうなのだ。おっしゃるとおりである。中上氏を僕といっしょくたにするのは失礼ながら、我々は、ずっとこの金太郎飴を味わい続けていたいと思うのである。

改めまして。中上健次はエッセイ『宇津保物語と現代』の中で「『宇津保物語』が私に刺激を与える一つにはこの治者の文学であってしまうことである」と述べている。「この物語は、このうつほということを通して、楽とまつり事は一諸だということを言っている。芸事である琴が政治と密着している。摂関政治が婚姻関係を軸にしているなら、さらに性と楽とまつり事は混交しているように見える。『宇津保物語』は治者の文学と呼んでもさしつかえない」というのである。楽が政事と密接な関係にあることは part1で既に述べた。彼がこの『宇津保物語』を換骨奪胎して自分の、20世紀の、『宇津保物語』を書いた時、まさにその野性と楽と性を書いたのである。宇津保は京都の北山にはなく、山深い熊野の北山に移されている。紀州熊野。

『中上健次全集』12 未完小説集1
「宇津保物語」収録

「‥‥石が空洞の外壁に投げられ、オニ、オニと子供らの声がする。仲忠は正座し母の奏でる琴を聴き、その石にも自分の身がさらされ皮をはがされている気がする。石を投げる音と声が止むと、闇が北山一帯に降り下る。他に音はまったくない。琴の音が鬼夜叉鬼人をでも導き出してでもいるようにかさとも音がしない。オニ、オニ、仲忠は母の顔を見て独り空耳を聴いている(『宇津保物語』)。」

仲忠は、メルヘンの中の聖なる子供ではなく、村の子供たちにオニの子と呼ばれて石を投げられ、里の作物を盗んでは村人にぶたれ、それでも泣かない不気味な子として描かれる。母が唐天竺の着物にも劣らないというそれは、垢と泥と草木の汁にまみれた黒ずんだ重ったるい布だった。そこには貴い出自の者が零落し艱難辛苦に耐える姿がリアルに描かれている。

「‥‥確かに琴は女だった。‥‥仲忠は涼(すずし)の音にぴったりあわせて琴を弾いた。二つの琴は一つの音になって闇の中に広がり、涼はむしろ音の単純さこそ琴という楽器には合っているのだと弾く。仲忠はその音の合間に呻きのような音を入れた‥‥音は血を流した。血は腐り、臭いを放った。‥‥仲忠は空洞の中にこもっていた血の腐った臭いと血のついた草葉を思いだす。その臭いと血が、やんごとない母の月のものだったと知ったのは随分後になってからのことだった(『宇津保物語』)。」

政事の一環として演奏される場にある琴。そうでありながらも、その音が血を連想させる。ここには、うつほという空洞が、琴という楽器の空洞であり、母の膣であり、母の胎であるということの穏喩として描かれているのである。そこには古代世界の長閑さから縄文世界のごとき野性へと遡及していく視点が闡明にされる。さらに中上は、この『宇津保物語』と、さきほどのエッセイ『宇津保物語と現代』の中でこう述べる。

『中上健次』別冊太陽
「中上健次は『路地(故郷)』を『ウツホ』に例えた。」斉藤環

「幻は統る御人がいなければ地に這い高みにのぼることが出来ず魑魅魍魎となって広がる。それが空洞のあった北山であったし、俊蔭が波斯国(はしこく)で体験したことだった。音は精霊としてではなく物の怨霊として鳴る。物音は眼とも鼻ともつかない形で仲忠が琴を奏でると空気の中に集まり爪が弦に触れるや音に固まり弾け出して表われ、天に駆けのぼり地を這う(『宇津保物語』)。」

この濃厚な文体でリアルに描かれる新たな『宇津保物語』を、時に深い暗黒が覆う。神武以来、敗れ続けて闇に沈んだ国・紀州。ここには、神話の得体のしれない深い闇の部分が厳然と存在してはいないだろうか。神話は、けっして長閑で大らかな側面ばかりではない。霊異の世界・熊野。隠国(こもりく)。

「確かに藤原仲忠の物語は原物語がそうであるようにみなし児(原物語では13歳まで父が不明な子)、私生児であり、これは私の『枯木灘』の主人公 秋幸や『鳳仙花』のフサも共通だが主人公が物語に登場する以前、聖痕のようにその死、再生、不死というものを経過している故に堕ちた神人として人を感動させたり共感させたりするものなら『宇津保物語』は、うつほに生きた子である仲忠が最初から親であるように、子として味わったであろう不如意を描いていない。物語の不思議としか言いようがない。それゆえに輝いていると言える(『宇津保物語と現代』)。」

この堕ちた神人という意識は、僕が part1「籠りと神器」で書いたように貴種流離譚としての原『宇津保物語』の内容を思い出させるし、熊野に関して言えば小栗判官の『餓鬼阿弥蘇生譚』を連想させる。神の前身が人であり、人間として生を得て、やがて流離・困憊(こんぱい)の極を味わい、あるいは死の解脱によってはじめて転生して神となることができるという古代以来の信仰が、この神人の背後にはある。貴い身分のはずの仲忠とその母は、京都北山にある樹のうつほで暮らさなければならなかったが、貴族の身分にやがて戻る。加えて、この原物語では、身分の低い偽貴宮が高貴な貴宮に成りおおせるという変容もある。伝記作者の高山文彦がいう中上の故郷〈彼岸〉とは、誰もが貴種であるはずの人間の「死・再生・不死の起きる場所」、つまり〈異界〉であり、物語の元型をなぞる場所である。そして、先ほどのフォークナ―の小説にある町ジェファスンのように作家が統べる「仮想の場所」、作家が治者となるアナザー・ワールドでもあった。中上は、故郷〈此岸〉に対峙し家族を見つめ、それをモデルとして小説を書くことによって、この〈彼岸〉と〈此岸〉というダブル・ヴィジョンの間に橋を架けた。こうして、彼は神話という無底の世界に浮かんで差別被差別を見つめたのである。中上はこう書いている。

「考えてみれば芸能・芸術の一切はうつほから出て来る。一切合財はそこから生みだされ、外に出るのだ。うつほを別の言葉で言ってみれば被差別空間となる。それは宗教と性と暴力と、そんなものが混交した場所であり、それがさらに神話の持っている意味だとしたら、何もかもある(『宇津保物語と現代』)。」

 

その他の参考図書

中上健次『紀州』木の国・根の国物語
中上の故郷である新宮を起点に紀伊半島の隠国の町々土地土地を巡るルポタージュ。
この著書の中で、中上は「どんな事であれ、言葉を持っている者は書き言葉を持たぬ者の『批判』にさらされる義務がある」と書いている。