種村季弘『パラケルススの世界』 part2 パラケルスス・人間・ 光

テオフラストゥス・ホーエンハイム
(1493-1541)
アウグスティン・フィルシュフォーゲル画 1538

ザルツブルクを逃亡したパラケルススことテオフラストゥス・ホーエンハイムは、各地で難病を治して歩いた。ロットウァイルでは尼僧院長の病を、バーデンでは辺境伯フィリップ1世の赤痢を治したが、フィリップは最初に約束した金額を引き下げた上に彼を追いだした。パラケルススは、貧乏人はただで診てやるが、金持ちには法外な料金を吹っ掛けるのが常であったらしい。貧乏人には天使だったのである。金持ちには悪魔に見えたかどうか僕は知らない。この頃、シュウァルツウァルトの温泉地を巡りながら重要な発見をする。本草学におけるシグナトロジーと温泉治療法の発見である。このシグナトロジーは、外部のシグナトゥール(表徴)が内部の活動と効能を表わすと考えるもので、野草や鉱物の外観からそこに含まれる薬物の成分を判断し、ひいては山の姿からその埋蔵資源を、人間の顔や手相から性格を、病状からは病因をというように多様な部門に亘っての応用が試みられる。著者の種村季弘(たねむら すえひろ)によれば、ルネサンスの観相術からゲシュタルト理論にいたる近代の知の脈流は、あげてシグナトロジーに発するという。若くして学んだヘルメス哲学を通して現実の生きた相と病気との結びつきが見え始めつつあった。後のヤコブ・ベーメ(1575-1624)の著書『シグナトゥーラ・レールム』などに影響を及ぼすことになる。

この頃、右足が悪性の壊疽に罹ったバーゼルの一患者を診察した。藁にもすがる思いで呼び寄せた放浪の医師は手術もせずにたちまち治してしまった。バーゼル中が沸きかえったという。この患者、実は当時ヨーロッパ全土に拡がる滔々たる人文主義的潮流の中心に位置していたヨハネス・フロベニウスだったのである。バーゼルをして世界で最も美しい書物を出版する町として名をたからしめた印刷出版史上超一流の大物、ルネサンス期の大文化人であったのだ。この放浪医師パラケルススにフロベニウスを通じてバーゼルの市医と同大学の医学部教授の席がもたらされた。

デジデリウス・エラスムス(1466-1535)
アルブレヒト・デューラー 1526

1526年、パラケルススは正式にバーゼル入りし、フロベニウスの食客であったエラスムスと出会い、診察を行った。だが、二人の間を猜疑の幕が隔てた。パラケルススは本来、文献主義的な俗流人文主義者を嫌っていて、エラスムスの思想は「坊主の飾り帽」であると述べたし、エラスムスにとってパラケルススは、腕はよいが胡散臭い放浪医師であり、その秘教としての錬金術的な側面に警戒心を持ったようだ。

問題は多発した。バーゼルに赴任した外来の医師は、医学博士号の学位取得を証明し、古典作家の一説について講演しなければならなかった。それをパラケルススは拒否したのである。反発は必至だった。学部の所属も講堂の使用も禁止された。それで、彼はバーゼル市内に次のようなビラをばら撒くと同時に、一大権威アヴィケンナの医書を焚書するというパフォーマンスまで行ったのである。医師の資格は称号によるのでもなければ、雄弁でもなく言葉の知識でもない、自然と神秘に精通し、諸病の種類、原因、徴候を認知し、知と刻苦とによって治療の素材を探究し、病態とその特性に応じて治療することにあるというわけである。称号と雄弁と語学力のみに頼って教授の椅子にしがみついている大学人にはスキャンダラスな危険文書であった。

おまけに、薬理学・薬剤処方、外科学、内科学などの学生への講義はラテン語ではなくドイツ語で行った。これは瞑想と読書の場であった大学に賎民が泥足で血まみれの手をかざしながら乱入してきたかのようであったと著者は述べている。いい加減な薬剤師たちに資格検定と経験のない徒弟に任せるのではなく、薬剤師自身による薬の調合を義務づけようとした。それに医師と薬剤師とのなれ合いを断とうともした。薬剤師たちも敵にまわしたのである。しかし、官僚的ともいえる言いがかりと闘ってきたパラケルススの抵抗も終わる時が来る。1528年フロベニウスが亡くなったのである。これで、バーゼルでの地位の後ろ盾も自分の著作を出版するという夢も失ったのである。

バーゼルを追われた翌年、ニュールンベルクで闘う医師パラケルススの預言書が出版され好評を博する。それに気をよくした出版社が『フランス病の起源と由来』を刊行しようとした。これにはライプチッヒ大学から横槍が来た。この大学の医学部長シュトローマーはフッガー家の御用学者だったのである。フッガー家は新大陸発見後の新たな交易チャンスに成り上がった財閥で、フランス病つまり、梅毒の薬と信じられていたハイチとキューバを原産地とする癒瘡木(グァヤック)を大量輸入していた。水銀による治療を行っていたパラケルススは、そんなものは効かないと例の調子で攻撃した内容らしい。つまり、時の大手財閥を敵にまわしたのである。彼は梅毒の症状を、天空の金星という宇宙の力と肉体という小宇宙である人間の道徳との相互作用だと考えた。奢侈とは金星の誘惑に嬉々として反応して興奮する精液の道徳的特殊相であるという。この病める精液の結果が薔薇疹や膿疱のような梅毒の症状となって皮膚に現われると判断した。

『十二宮 獣帯 遊星の描かれた天球図』
エアハルト・シェーン木版画 1515

この頃、医学書『ヴォールメン・パラミールム』が書かれている。『パラグラーヌム』『オプス・パラミールム』という医書三部作のうちの一つである。病気の治療法には5種類あり、医術は原因からではなく治療から始まると言う。治療が病気の原因を教えてくれると言うのである。その病因には5種類あり〈天体因〉風、〈毒因〉水、〈自然因〉地、〈精神因〉、〈神因〉火と精神以外はそれぞれ地水火風の四大と結びつけられているようだが、概要は巻末にご紹介しておく。

13世紀から16世紀にかけて、ヨーロッパの総人口の四分の一から三分の一を奪った黒死病。梅毒が、近代社会が生み出した結果なら、ペストは中世共同体の崩壊と近代の止むを得ざる成立の原因であったと筆者は言う。人口の激減は労働力の低下と農村の崩壊、社会の再編成を促進し、悪疫に対して為すすべのない宗教と学問への懐疑を生み、宗教改革と反ガレノス(古代ローマの医師)医学への基盤を作り上げ、ひいては身分制の崩壊を引き起こした。そこからやって来たものは性的放縦と集団狂気だったと言うのである。

パラケルススは、彼のペスト論の中でこう述べている。「人間の知は神の表徴(みしるし)のはじまりである。人間が星辰を支配するなら、この知の力によって、星辰は人間の思うがままのことをなさざるを得ない。人がこの知のなかに生きているかぎり、あたかも地上で犬や馬を服従せしめ馴致するがごとくに、人はおのが意のままに天空の手綱を操る。かかる達意の手管は魔法にかけることのはじまりである。そのために人は知者を魔術師(マギ)と呼んできたのであった。」ここでは、ヘルメス学における魔術と星辰との関連が述べられている。彼の実践的治療は、魔術やカバラとも不可分の関係にあった。彼は、魔術の言葉やそれを強化するためのアナグラムを使用したし、数多くの護符や印章をデザインした。そして、こう述べた。「彼ら(未来の医師)は、〈土占い師 Geomanticus〉になるであろう。〈達人 Adeptus〉になるであろう。〈始源者 Archeus〉になるであろう。彼らは第五元素を手に入れることであろう(『パラグラーヌム』序文 榎木真吉訳)」と。彼は、こういった魔術的な側面に対する周囲の疑惑や反感に対してまったく無邪気であったという。

三層の宇宙の中の四大
アシュモウル編『英国の科学の劇場』1652

ここからは、カール・グスタフ・ユングの『パラケルスス論』から心理学者の見たパラケルススの哲学と医術とはどのようなものであったのかを見ていきたい。錬金術の化学的側面よりも、主に精神因に関わる部分が語られる。それらが体と密接に関連していることは言うまでもないだろう。

ユングはパラケルススが、ヤコブ・ブルクハルトの言うドイツ国民の魂に宿る「偉大な根源的なイメージ」と呼んだゲーテの『ファウスト』のモデルとされていることを指摘した上で、ファウストからシュテルナーを経てニーチェへと一本の真直ぐな線が引かれているという。この信仰厚いパラケルススと神の死を宣言したニーチェとがどのように結びつくかは、またいつか述べたいと思っている。

パラケルススはこう述べているという「鉄を錆びさせるものは何であるかを知らないために、どうして潰瘍ができるかが分からないのだ。何が地震を引き起こすかを知らないために、どうして壊疽が生じるのかが、分からないのだ。」外部の事象、つまり自然が障害を引き起こすことと人間の障害とがパラレルに関係することを見ぬく眼、彼にとってそのような「哲学」とは徹底的に秘教的なものであった。それは、シグナトロジーであり、若くしてヘルメス学から学び、それを発展させたものであったと想像できる。だから、この「哲学」は、自然そのもの、地水火風の四大から成る鏡のようなものであり、そこには人体というミクロコスモスが反映されている。逆に人体の中にも「樹木の、石の、草花の、様相」が同様に存在するのだとユングは言う。

例えば、鉱物の病いを知るためには錬金術の知識が最も有効であった。そして、その錬金術においては無意識と向き合うことによる心的な変容もまた重視されていたのである。鉱物の変成の過程では多様な形態が生じると言われている。その形態のひとつには、まさに龍とライオンの闘争のように見えるようなものもある。その時、術師はそこに自己の無意識を〈投影〉したヴィジョンを見る。パラケルススの時代にも依然として明確にあった原初的な精神状態、主観と客観の〈無意識的同一〉である。それは、妄想とか白昼夢などというより、無意識のもつエネルギーから生じるような根源的イメージであり、心理学的な問題に関わっていた。ただ、厄介なのは、そのような形態が確率論的にしか生じないことだったのではないかと僕は想像するのだ。

ヨラン・ヤコビ編 パラケルスス『自然の光』

パラケルススが求めたもの、それは肉体に呪縛された人間の不分明な本性である魂を意のままにすることであったとユングはいう。それは世界と物質にからめ取られて、異様なデモーニッシュ(超自然的)な姿をとって眼前におどろおどろしく立ち現れ、寿命を縮めるひそやかな原因の一つでもあった。この時、医師が指導を仰がなければならないのは「自然の光」である。彼の「哲学」は、「自然の光」に先導されるのである。それは、直感(イルミナチオーン)という啓示の書でもあった。自然の闇の中には一つの光が、闇そのものの「自然の光」があり、動物の本能や夢の意識と不可分のものだった。それは、人間にとってのダイモ―ン(守護霊)であり魂の導き手ともなるのである。この無意識の様々な表出が観察できる「自然の光」という発見は、心理学におけるパラケルススの多大な功績だったとユングは言う。ヘルメス学では、神的な知性に内在するイデアは世界の魂に投影され、その内に映像ないし形態として反照され、世界の身体内の物質の形態へと写り映えるとされた。星界の光を受けて反映される物質の光が「自然の光」なのである。

ヘルメス学と深く関連する錬金術は、古代の叡知であったと同時にキリストに結びつけられている。それはカール・グスタフ・ユング『アイオーン』part2 シンボルとしての魚と蛇に書いておいた。錬金術は、プリマ・マテリア(第一質料)たるカオス、つまり、ありとあらゆるものをアクティブ(魂)なものとパッシブ(体)なものに分離することだと言われている。分離の後に両者は人格化され、「化学の結婚」が行われ、寓意的に「太陽」と「月」との祭儀的な床入りとして表現され、「賢者の子(石)」が出産される。それがキリストの寓意であった。醜く―美しい、悪しき―善きもの、ばかばかしく―真剣なもの、病気であり―健康なもの、非人間的―人間的なもの、非精神的―精神的なもの、非神的―神的なもの、そのような両義的な存在なのである。二極性を統合し、心的に変容を遂げた両性具有の人間の象徴というわけであるが、詳しくはユングの『赤の書』を読まれるのがよいだろう。賢者の子(石)の際立った属性の一つが、「自然の光」であるとユングはいう。この「自然の光」は自然のありようについての人間の眼を開かせ、それに応じて「自然の光」は、「賢者の子(石)」という形で生み出されるというのである。

メルクリウスの霊
四大の四位一体性の中で4番目のものが同時に全てのものの本体であり、この本体がヘルメスの秘伝伝授者である。☉太陽・☽月・♀金星との合一が ☿ 水星(メルクリウス)となる。

上位の光が聖霊から与えられるのに対して、下位の光である「自然の光」は、「アストルム(星体)」から与えられる。この「アストルム」は、人体の中にある天空なのである。この内なる天空をパラケルススは「最大なる人間」、「アルカナ(秘薬)」と呼ぶのだが、それは、「賢者の子(石)」でもあるのだ。それが、カバラの知恵と結びつく時、神的人間「アダム・カドモン」の姿と重なり始める。範疇が異なれば、名も異なるというわけである。それは、アダムの体に呪縛された「光体人」、人間の体の中にある「アントロポス」、「星体人」あるいは、始源者「アルケウス」、内なる人間である「アデク」と様々に呼ばれる。「アデク」は、不死、あるいは少なくとも数百年の寿命を持つといわれる最初の人間の一人である。

「アントロポス」=「アルカナ」=「賢者の子」は、「イリアステル」という子宮の中で生まれる。ギリシア語のイレ(質料)とアステル(星)との合成語であり、精神的な不可視の原理であった。パラケルススは造語マニアであったのだが、暗号術たるステノグラフィアを使ったかどうかは僕には分からない。この内なる人間を生み出す「イリアステル」は、人間の数だけ存在する「命の精気」であり「メルクリウスの霊」「四大の気」「天」「人間の全身を浸している真の霊気」「万物がその増大力を取りだしてくる自然の隠れた力」「メルクリウスの力」「体内に宿るあらゆる煙状の湿ったもの」「人体を腐敗から守るバルサム」、その最高段階において「他界への霊魂もしくは精神の移行」を意味していた。つまり、かつて星を構成するとされたエーテルである。錬金術では水銀の秘密の作用をさしていて、「アニマ(魂)」を「コルプス(身体)」から「永遠の水」と言う形で分離することだとユングはいう。このイリアステルはインドのブラジャーパティとプルシャ、イランのガヨーマート、カバラでいうメタトロンにあたるというのである。

「イリアステル」は「長寿」の出発点となる。この目的のために必要なのは四大を分離することによって不純な生命物質を浄化するための「瞑想」であった。それは錬金術の精神的な操作であり精神の「強化」を意味するという。こうした作業の中で人間は精神の上で高められ、エノク族と同じ高みに立つというのである。エノクは365歳まで生きて、天に移された。不純物は炉の中で赤熱され、レトルト蒸留が起こる。術師は自らを物質に投影する結果、無意識にその物質と一体化し、その物質と同じプロセスを精神的にこうむることになる。蒸留によって生じるヴィジョンの中心には水の精メルジーネがある。「イリアステル」の水の相「アクアステル(水+星)」のことで、維持する働きである体液に関わる。それは生命の精気が誕生する場であり、いわば子宮であり、その結果として長寿という不可視の「賢者の子」である「胎児」が産み落とされる。この「新しい生命」をパラケルススは「宇宙構造論的生命」と呼んだ。それは「神の栄光に与った身体」「復活体」「アストラル体」と同一であるとユングはいう。患者を「大いなる人間」、すなわち内なる霊的な人間と合一させ、それによってこの「大いなる人間」の長寿に与らしめることが医療の目的となる。ここらあたりは、パラケルスス思想の最も晦渋な部分なのだが、この恐るべき新造語の山は、敵を何としてでも屈服させたいという一種病的な状態、その症候であったろうとユングは言うのである。

種村季弘(たねむら すえひろ)は本書『パラケルススの世界』のなかで、パラケルススが星と運勢というような占星術的決定論から病気の原因を解放し、中世の悪魔学大系や魔女、淫夢魔などの民間伝承の諸表徴を媒介として人間の内部にひそむ観念連合の動きを解読し直し、メスメルの動物磁気説やフロイトの精神分析のための橋渡しをしたのではないかという。彼にとって、それらは治療の〈手段〉となっていたのである。フロイトやクラフト=エビング(1840-1902)らの精神科医がオイディプスなどの古典劇や近代文学の諸表徴を用いたのに対して妖精ニンフやホムンクルスなどの民族伝承の民衆的想像力を手掛かりにしたことは先進的な偉業ではなかったというのである。そろそろ、その『パラケルススの世界』に戻ろう。

ヨラン・ヤコビ編『自然の光』より 床屋の仕事

1536年、旅先で医療活動を続けながらパラケルススは、アウグスブルクへ向かった。執筆した『大外科学』が出版され、瞬く間に初版を売り尽くしたという。当時、外科は床屋や湯屋が行う下賤の術と考えられていた。例の如く「歯痛一つ治せない」アカデミズムの医者をこき下ろした。アカデミズムにも、宗教改革派の自治体にも、新興ブルジョアジーにも、教権にも幻滅を味わい、あまつさえ彼らを敵にまわしたのである。栄光の地位にあったバーゼルでは「医学のルター」と呼ばれたことにカトリックの彼は憤慨した。彼がプロテスタント側についていればもっと楽な道があったはずなのである。パラケルススを次第にペシミズムの影が蔽いはじめた。43歳のパラケルススを襲った疲労、改革の剣を振るう度に敵はヒドラのように殖えてくる。果てしない戦闘の末の諦観だった。そして、『今後二十四年間の預言』を出版する。それは、後のドイツ三十年戦争を思わせるような預言となっていた。

種村季弘『パラケルススの世界』

『七事弁明論』をはじめとする「ケルテン著作群」も結局刊行の陽の目を見ることがなかった。1540年には、農民戦争に加担したとされ、32歳頃に夜逃げ同然にその街を去ったザルツブルクに到着した。その時の司教で、鉱夫や農民が蜂起する契機を作ったマートイス・ラングが急逝したからである。後任はパラケルススが親交のあったパッサウの司教エルンスト・フォン・バイエルン公と目されていた。こうして、最初の永住の地と決めていた街の市民となることができた。しかし、その平和の日々のなんと短かったことかと著者は述べている。翌年、その地で亡くなったのである。48歳の年である。疲労と病気を押して死の直前まで診療を続けていたという。死因は不明だった。

ちなみに壮年期のパラケルススの日常がどのようなものであったのか、彼の弟子であったヨハネス・オポリヌスの言をご紹介しておこう。とはいえ、バーゼルを追い出されてから師のもとを去った裏切り者の言葉なので話半分に見ていただきたいのだが、話は派手なほうが面白いのでそのまま書いておく。

医療実践は驚異的だったが、その生活は怪物そのものだった。それまで一滴も飲まなかったが、25歳頃から「飲むことを覚え、テーブルいっぱいの百性どもをけしかけてへべれけに酔わせ、みずからも鯨飲馬食してしばしば咽喉に指を突っ込み、さながら豚であった。」その頃は、バーゼルを離れてアルザスの貴人や百性の中でもてはやされた絶頂の時期であった。「ほぼ、二年間私が彼の身辺で交際(つきあ)い暮らしている間、夜となく昼となく、飲めや歌えに身を持ち崩しっぱなしであって素面(しらふ)の時間といえばほとんど一時間か二時間しかなかった。」おまけに殆ど眠らない。へべれけに酔っぱらって帰ってくると猛烈な勢いで「哲学」の口述を筆記させる。驚くべきことに「素面の人間でもこれ以上はできないと思われるほど辻褄が合っている。」酔っぱらっているので寝る時は服を脱がなかった。年中ゴミだらけの服なのだが、毎月のように服を新調した。古い服は路で出会った最初の人間にやってしまうのだが、貰う方は必ずしも有り難くなかったという。見境のない浪費家であったが、すっからかんだと思っていると翌日には財布に金貨が詰まっているのにはしばしば驚愕したものだ。これには、伝説的な「錬金術師」の風聞が立つのも無理からぬことだった。極めつけは、拷問吏だか死刑執行人だかにもらった剣を泥酔してベットに倒れ込む時さえ肌身から離さないことで、時に夜中にガバと起きるなり、やおら抜き放ち床や壁に向って狂人のように振り回すので生きた心地がしなかった。

あまり、信用しないでほしいのだが、ユングが『パラケルスス論』の中で、同じ医師としてパラケルススが述べたことについて書いているのでご紹介して終わろう。彼はこう述べたと言う。「何よりもまず第一に是が非でも語っておかなければならないのは、医師が生まれながらに備えていなければならない慈悲心のことである。」「医師と医術は二つながらに、神から困窮した人々にあたえられた慈悲に他ならないのだ。」「愛のないところに、技術はない。」

 

その他の参考図書

カール・グスタフ・ユング
『パラケルスス論』

パラケルスス『奇蹟の医書』
ヴォルメン・パラミールムの翻訳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈パラケルススによる五つの病因〉

ここからは『ボールメン・パラミールム』の翻訳である『奇蹟の医書』からパラケルススが考える五つの病因を簡単に纏めておきたい。

天体因

天体の影響によって起こる「天体因」。それは占星術に見られるような星の影響による体格付与や性格形成とは関係ない。肉体は薪であり生命は火である。薪を維持するには必要なものがある、それは、生命を維持する働きであり、天界からやって来る。そして、天空自体の生命を維持する〈秘質〉でもある。天体が悪い位置にあれば、この〈秘質〉も毒されたり変化したりするのだという。風を媒介として、それを人間が取り入れれば人間も汚染される。

毒因

二つ目は「毒因」。人間個々の栄養摂取はいわば外からの毒を栄養に変える錬金術なのだが、そこから出る滓の排出が問題にされる。体の中の錬金術師である胃は体に悪いものを良いものから分離し、良いものを体に染まるもの(ティンクトゥーラ)に変える。毒因の病気は腐敗的な消化と排泄の不具合からやってくる。水との関わりが強い。

自然因

三つ目は「自然因」。大地が果実を実らせるように体の中にも栄養を作り出し、血液、肉、バルサム(体から腐敗を守る要素)、体熱という四つの構成要素にその栄養を与え、それ自体は他からの栄養を必要としない器官がある。栄養はただ体の肥料になるに過ぎない。肝臓ー木星、脳ー月、心臓―太陽、脾臓ー土星、肺ー水星、腎臓ー金星、胆嚢ー火星という対応関係を持つが、それらは天空の星とは直接関係しない。それぞれの器官の中の精神的なものだけが、その星々のように働きかける。太陽が大地に働きかけるように太陽の光に相当する体の光が体に働きかけるのである。例えば、肝臓は血液の中でのみ、腎臓は尿道と腰の周囲のみにその運行にあたるものを行う。この時、肝臓の運行が他の道に迷い込んで、例えば胆嚢の運行と重なると病気が生まれる。

精神因

四つ目は「精神因」である。悪魔は精神などではないし、天使もまた精神ではない、それは、ただ我々の思考から生まれるものであり、生きているこの体に宿る。死後に生きいきとしてくるものは霊魂であるという。前の三つの病因は肉体に関わり、この精神因と神因は精神に関わる病因である。精神が傷つけば傷ついた方の肉体は、精神が受けた重荷を担わなくてはならない。心因性の病気があるというわけだ。精神は意志によって生まれ(練られ)、理性は霊魂を生む(育む)。例えば、巫術によって傷つけられる人は、その精神が傷つけられるのであって、直接体が傷つけられるのではない。何故なら、その傷を引き起こすのは当の本人の精神であるからである。ここで医術を施すべきは肉体へではなく、精神へなのである。

浄化の火としての病

神因

以上、四つは異教的な慣習からの論証であったが、最期はキリスト教的な立場から述べられる「神因」である。これまでの四つの原因に最終的な根拠を与えるものがこの神因であった。全ての病気は神がわれわれの罪を浄めるために与えたもう火である。その苦痛を通して深い神意を知り患者を導くのが医者の務めであり、神の代行者としての使徒の職務なのだというのである。そして、病気と健康を与えるのは神であり、定められた時が来なければ治癒は無いのである。