バックミンスター・フラー 『クリティカル・パス』 part1 ダイマクションとワールドゲーム

このような刺激的な本が、ある。読み返してみると自分が、このフラーからどんなに大きな刺激を受けてきたかを今さらながら考えさせられる。何がそんなにこの人を偉大にさせたのか? 何が彼を一年に地球を7周半させるほど駆り立てたのか? 何が彼を自分自身をしてモルモットB(Bはバッキーの頭文字/フラーの愛称)にさせたのか? それを知れば、必ずや皆さんはフラー・ファンにならざるを得ない。

『宇宙エコロジー』という本はフラーの著作の抄訳が半分を、訳者でありフラーの共同研究者だった梶川泰司(かじかわ やすし)の文章が半分を占めている。これは、梶川の編集である。それゆえ面白いのだ。二人の文章は瓜二つだ。語り口のテイスト、言葉の選び方、単語の繋ぎ方。翻訳した当人の文章であるということを割り引いても、いかに訳者がフラーの世界と一つに分かちがたく溶け合っているかが分かる。だが、今回ご紹介するのはフラーの『クリティカル・パス』である。『宇宙エコロジー』は、是非このフラーの『クリティカル・パス』と『コズモグラフィー』の両書をお読みになってから、ひも解かれるとよい。いまや、フラーの開発した構造体は高校の美術の教科書にも掲載された。それは訳者が何よりも望み、喜びをもって迎えることのできる現実となったのである。その喜びを僕は彼自身から電話を通して聴くことができた。

いま私はこうして存在しているが
自分が何であるかは分からない。
しかし、自分が専門家した種(カテゴリー)でないことは確かである。
私は〈もの〉を表わす名詞ではない。
私は、宇宙のなかの
不可欠な機能として
漸進的変化の過程に作用する
動詞のようだ。
(B.フラー『宇宙船地球号操縦マニュアル』梶川泰司訳)

バックミンスター・フラー+梶川泰司
『宇宙エコロジー』

1.ダイマクション

フラーが20世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチと言われたのにはいくつかの理由がある。比較的分かりやすい発明はダイマクションカーやダイマクションハウスといったものだろう。ダイマクションという言葉は、ダイナミック、マキシマム、テンションの合成語であるのだが、この言葉はフラーの発案ではなくシカゴ・イヴニング・ポスト紙の芸術欄の編集長であったC.J.ヒューレットによる4Dハウスという言葉に端を発している。面白いのは1929年当時のパリ万博後に購入した斬新な家具を売り出すためにアメリカの大手デパートの企画推進者によって最も斬新だったフラーの住宅模型がその隣の部屋に展示され、広告宣伝されたのだという。フラーの建築モデルの横に置いておけば家具たちもそんなに斬新には見えないから買ってもらいやすいだろうというわけである。しかし、4D、つまり「第4の次元」では一般大衆には受け入れられにくい。そこで広告専門家のウォールド・ワレンがフラーのもとに派遣され、フラーの説明を手掛かりに彼がいくつかの言葉を合成した。フラーの意向を窺いながら最終的に残ったのがこのダイマクションという言葉だったのである(ロバート・W・マークス『バックミンスター・フラーのダイマキシオンの世界』)。個々の発明については、ジェイ・ボールドウィンの『バックミンスター・フラーの世界』が詳しいので、しばらくは、そこからご紹介したいと思っている。

ダイマクションカー 1933年制作 後はT型フォード

ダイマクションカーは1933年に開発された画期的な三輪自動車であった。それは軽量でなければならなかった。最終的には空を飛ぶ計画だったからである。プロペラかジェットエンジンと翼をつけて飛行機としても使えるようにと考えられていた。そのようなスケッチが残っている。V8エンジンを車体後部に搭載するリアエンジンで、前輪を駆動させる。それは、フロント・ウィール・ドライブ・レイアウトと呼ばれている通常のエンジンのレイアウトとは全く逆になっていた。そのほうが速く走れると考えたからである。実際記録した最高時速は140キロ、燃費はリッター/13キロ、11人乗り、イサム・ノグチがそのモデルを石膏で作ったという流線形の美しいデザインである。三台製作されたが、3号機は指揮者のレオポルト・ストコフスキーの所有となり1934年のシカゴ万博で展示され成功を収めた。だが、大量生産に結びつくプロトタイプを完成する資金は得られなかった。

上 ダイマクショオン展開ユニット(DDU)
下 ウィチタ・ハウス 1946年(ジェイ・ボールドウィン『バックミンスター・フラーの世界』より)

ダイマクションハウスは、例のデパートに展示された模型に端を発する。マストのように支柱から吊り下げられた六角形の枠組みから成るアルミ製で、大量生産を前提にしたデザインだった。1940年には、穀物倉庫からヒントを得てダイマクシオン展開ユニット(DDU)を開発した。このユニットは第二次大戦中にペルシャ湾沿岸地域で兵士の居住用に実際に使用された。第二次大戦は終わったが、アメリカは退役軍人と軍需産業に従事していた労働者が職を求めて溢れていたのである。火薬工場は農薬や化学肥料の工場へと転換された。やがてレイチェル・カーソンの言う『沈黙の春』がやってくるのである。

その時、フラーの対応は早かった。戦争の終結時には、航空機の製造技術を住宅産業に初めて応用しようとしたのだ。どのような家だったのか。一言で言えば、それは宇宙船であった。アルミ製の大量生産型のモバイル・ハウスを考えたのである。熟練した組立業者を必要とせず、二日間で施工でき、分解して移動し、組み立て直すことができた。金属部品は溶かして容易に新しい部品として再生産できる。DDUで明らかになったことだが、建物内の暖まった空気は基礎部から換気できるようにしておけば、頭頂部の換気口を通じて新しい空気が流入し自己冷却装置のように働いた。それに加えて風向きによって回転する舵つきのダクトが取り付けられている。総重量2.7トン(車2台分)、費用も車二台分と同じ値段であったが、開発される前に売り出されたため、会社とフラーとの間に軋轢が生まれ、1946年にウイチタ・ハウスと呼ばれるプロトタイプが一つできただけで融資は止まり、計画は頓挫してしまう。

ウイチタ・ハウス頭頂のダクト内部
ヘンリー・フォード・ミュージアム

フラーはこんなコンセプトで住宅のデザインを考えようとしていた。排泄物は全てそれを生み出す場所で一次処理されなければならない。プラスチックバッグが自動的に排泄物を封印パックし、収集サービスによって回収され、化学処理されて堆肥となるかメタンガス製造のための原料とされるように考えた。パッケージング・トイレである。通常家庭では大量に水が消費される。それをフラーは極力抑えようとした。海軍にいた時、フラーは霧が甲板上の汚れ、それも油でさえ綺麗に除去してしまうことを知った。食器や洗濯物の洗浄やシャワーもフォッグガンと呼ばれる圧縮空気と少量の水で霧状のジェットを発生させる装置を用いてクリーンにしようというのだ。一回のシャワーは、コップ一杯の水で足り、石鹸は必要なかった。実際のプロトタイプにも施工されたバスルームはトイレとバスタブが一体成型されたユニットであった。試作品は4枚の金属板をプレス加工している。ニクロム線によって保温と乾燥がなされ、換気口は下にとりつけられて床にむかって空気を吸った。このユニットバスをドイツのメーカーがポリエステル・ファイバーグラスで製造し始めるのは43年後であり、その2年後、アメリカで大量生産される。

1927年に彼は風力を利用し空気圧搾して、その副産物として発生する廃熱を海水の脱塩に利用しようと考えていたし、液体酸素を得るために風力エネルギーで空気を液化しようとも考えていた。高密度の液体酸素を一滴ずつ高圧室に垂らして膨張させ、そこから噴出する冷たい空気によってタービンを駆動させ発電しようというのである。それを4Dハウスに採用すれば自家発電できる住宅になる。雨が降れば人間には飲み干せないほどの水が手に入る。消毒さえ気をつければ、一時的な貯水槽に蓄えた水は屋根の傾斜角度を利用して配水でき、蛇口をひねるだけで必要な頻度と量の水が得られる。上下水道も電線も必要としなくなるようなモバイル型住宅、それがフラーが開発したい理想の住宅だった。

フラーは、『〈インタヴュー〉バックミンスター・フラーすべてを語る』の中でこう述べている。「私たちは宇宙について何がわかっているのか。人間と生態系の相互作用全体のなにを知っているのだろうか。私たちはどのように宇宙の欲求を満たし、どう対処すればよいのだろうか。どうすれば、全人類の生活全体の必要条件を満たす最高の生産水準を達成できるのだろうか(『宇宙エコロジー』収載)。」僕が興味を持ってきたのは、そのような住宅を作りたいと彼を導いた哲学が何であったかと言うことなのである。それは、影響力を受ける力(エネルギー)と格闘しようとせず、その影響力を利用するデザイン、伝導するどんなエネルギーとも絶縁しない科学のデザイン革命であった。

バックミンスター・フラー『クリティカル・パス』

2.ワールドゲーム

フラーは『クリティカル・パス』の中でこう述べている。ソ連(現ロシア)は冷戦の早い段階で核弾頭は使われないだろうという結論を出していた。核弾頭の開発を見せかけて史上最強の軍隊を作り上げていたのである。一方、アメリカの政治家は、アメリカがロシアよりはるかに多くの核弾頭を開発していると指摘できたので軍事的に安全であるという感覚をアメリカの大衆に与え続けることができた。アメリカがそうしてきた背景には、究極的には石油は使い果たされてしまうという認識のもとに石油巨大資本が 、ワシントンのキャピトル・ヒル(米国連邦議会)に対してエネルギー政策をめぐるロビー活動を行い、原子力産業およびその原子核研究員を育成するために核弾頭の生産を促進させていたという。彼ら世界権力機構組織は、世界の石油供給が減少するにしたがって原子力発電と送電ネットワークの運営に移らなければならない事情があった。その開発のために合衆国政府は2000億ドル以上の税金を費やした。核兵器開発と原子力発電とはいかなる国においてもセットになっている。それが将来的な願望であってもである。

そして、こう述べる。「1979年1月の第二次『オイル・ショック』は、目に見えないエネルギーのノウハウをもつ企業連合がスリーマイル島の原発事故と原子炉の『炉心溶融』という脅威から必死に大衆の関心をそらすために企てたものである。大衆は原子力施設に強く反対したが、石油会社の管理による突然のエネルギー供給規制は、一般社会に対して再びエネルギーへの渇望を非常に高めたので、その間は原子力エネルギー施設を縮小しようという人びとの声は無視された」という。さらに、このような事柄をあらわにするのである。

大英帝国地理学会の最高顧問であったハルフォード・マッキンダーは1900年初頭に鉄道の高い輸送力を指摘し、船舶中心だった貨物輸送が変化し始めると英国に示したという。ロシアのシベリア横断鉄道は北に寄り過ぎている。雪による障害が大きすぎて経済的に引き合わない。それに英国はロシアを大西洋の港からしめ出したために 巨大な海軍を持つロシアが大西洋に進出するためには白海のアルハンゲリスク、バルト海のいくつかの港、太平洋岸ではウラジオストクが残されていただけだった。この時、マッキンダーは英国にもう一つの指摘をしたという。ロシアがアフガニスタンとパキスタンを押えるとペルシャ湾に到達可能となり、インド洋に艦船を展開できるようになる。アフガニスタンは世界の「ハートランド」だという。ちなみに、このマッキンダーに学んだハウスホーファが、故国のドイツに帰ってヒトラー旗下の航空相ゲーリングのもとで戦闘機と戦車を用いた電撃作戦を立案するのである。

長期に亘って軍事介入を望んでいたロシアは、内乱に乗じて1979年にアフガニスタンを占領した。これでロシアはイランの東側の国境とパキスタンの西側国境を支配下に置いたのである。だが、内戦の続くアフガニスタンから1989年にはロシア軍は撤退する。その後、この国は、ビン=ラーディンとアルカーイダの問題でNATO軍によって介入され、タリバン政権は崩壊することになる。イランに対してロシアは、権力機構にとって一番効果的な方法である「征服するには分断せよ」を活用した。宗教的な分断をイランに選択したのである。イラン王朝を支配しているアメリカを追い出せば、イスラム教徒たちを小さな宗派に分裂させ、軍事的にイランを制圧できると考えていたとフラーは言う。アフガニスタンとイランとイラクの問題の核心にあるのは実はロシアの南下の問題なのである。この『クリティカル・パス』がアメリカで出版されたのは1981年であったことは覚えておいてほしい。アメリカ軍の大義なきイラク進攻は2003年のことだった。アメリカのイランに対する圧力は今もって強い。これが、ワールド・ウォー・ゲームである。訳者の梶川さんは、フラーがよく暗殺されなかったと僕に語ったことがある。

ダイマクション・スカイオーシャン・マップ
地球表面を正二十面体に投影して展開した地図

このワールド・ウォー・ゲームが生む膨大な浪費とは対照的にフラーの考えるワールドゲームは、彼が52年間継続的に開発してきた全歴史的世界資源目録と絶えずエネルギー量と時間を減少化させる技術のエフェラリゼ―ション(短命化)を前提にした生産、供給、維持、デザイン改良、世界規模の統合などを通して、かつて人類が経験したことのない髙い生活水準を達成することであった。金に金を生ませる連中と彼らの経済学者は、この地球は人間の生活を支えるには根本的に不充分であるという政治的宗教的仮説を彼らのマネーゲームに利用しているという。トマス・ロバート・マルサスの幾何級数的な人口増加への恐怖とそれに伴う貧困を論じる『人口論』やローマクラブの著書『成長の限界』がその支柱である。彼らは、お金と本当の富と同じ不変の働きとを完全に切り離してしまったとフラーはいうのである。

バックミンスター・フラーによる世界電力ネットワーク図
ジェイ・ボールドウィン『バックミンスター・フラーの世界』より

フラーは自らが開発した最も歪みの少ない地図であるダイマクションマップを見ながら世界的な電力ネットワークを考えていた。それは、ワールドゲームにおける最優先の課題だったのである。

昼夜の時間帯において東西間の相互の電力供給を、あるいは、夏季と冬季において南北間の相互の電力供給を可能にしたい。そのことによって既存の各発電機は最も効率のよいスピードで24時間の稼働が可能になり、エネルギー効率は飛躍的に向上する。発電所はピーク時の電力需要に合わせて設定されているためピーク時以外ではそれほど使用されているわけではない。そのため、この相互供給によって発電所の数をかなり減らすことができる(ジェイ・ボールドウィン『バックミンスター・フラーの世界』)。ボールドウィンによれば、このプロジェクトは1996年現在、進行中であるという。

彼は、このような世界規模での統合を訴え続けてきた。それが、彼を一年に地球を七周半させることになるのである。ある国の大学で講演を行うためにその大学に到着すると、次の大学や研究施設から依頼状と航空券が送られてくる。そんな晩年の生活であった。彼はワールドゲームを中心としたデザイン・サイエンスを説いてまわったのである。フォーチュン誌などの顧問をすることによって世界の資源や経済のデータは、的確に把握されていた。電力の相互供給ネットワークは、問題解決の第一歩にすぎない。飢餓と栄養不良の問題、核兵器の廃絶費用、難民の救済費用などの諸問題は当時の全世界の年間軍事予算7800億ドルの四分の一強の予算で解決できるとフラーは試算していた。下の図をみていただきたい。

全世界の年間軍事支出と最優先課題に掛る経費
1.飢餓と栄養不良の除去 190億ドル
2.住宅供給 210億ドル
3.健康管理及びエイズの抑制 210億ドル
4.人口の安定化 105億ドル
5.土壌浸食の防止 240億ドル
6.効率的で安全、汚染のないエネルギーと再生可能エネルギーの供給 500億ドル
7.開発途上国の債務返還 300億ドル
8.安全で清潔な水の供給 100億ドル
9.森林破壊の防止 70億ドル
10.酸性雨の防止 80億ドル
11.オゾン層破壊防止 50億ドル
12.地球温暖化防止 80億ドル
13.難民救済 50億ドル
14.識字率の向上 50億ドル
15.核兵器廃絶 70億ドル
16.地雷の撤去 20億ドル
17.民主主義の確立 20億ドル
ジェイ・ボールドウィン『バックミンスター・フラーの世界』より

フラーはこう述べる。「ワールドゲームは、もし国家によるすべての統治権が放棄されないなら、そしてワールドゲーム方式の全世界的にコンピューター化された時間‐エネルギー計算システムが直ちに開始されないならば、この地球から人類が滅び去るだろうということを明らかにしている。脱国家権力を成し遂げるための第一歩は、世界の電力グリッドの空隙を埋めることにある。世界的に統合された電力計算システムが、世界経済を経営管理するための全エネルギー計算システムの始まりとなるだろう」と。フラーにとって「時間とは、二つの出来事の間の最短距離である。」一方、1974年のワールドゲーム・セミナーでは、ペンシルベニア大学が中心となってフラーらと共に完成させた「自然エネルギーによる(風力や波力など)〈自立的再生〉を達成させる方法論である『宇宙の資源と富』を発表している。

梶川泰司は『宇宙エコロジー』の中で、バックミンスター・フラーの半世紀にわたる絶えざるデザイン・サイエンス(平均的な革命)は、現在のエネルギー変換技術で全人類が必要とする全エネルギーを太陽からの放射エネルギーと重力エネルギー(風力発電などのクリーンな発電を指している)だけでまかなうことができるという科学的証明のために、シナジェティックスを発見し概念化しながら、ダイマクションマップのような大気圏全域をナビゲーションするための地図投影法とジオデシックス、テンセグリティの予測的発見と予測的発明に絶えず集中していたと述べている。

そのようなデザイン・サイエンスには、社会主義的な計画経済という側面が強調されると考えるのは自然なことなのだが、世界の大きなジレンマに対処するための政治家の能力に彼は期待していない。アナーキストでは勿論ないが政治家を信頼していなかった。彼は、平均的な人間の創意を強調する。自分のような平均的人間にそれが可能かどうか、自分をモルモットとして実験材料にしたのである。モルモットBが彼の別名となる。次回 part2は、彼の思想の基盤となるドームやテンセグリティなどの構造体と彼が自身をモルモットにした経緯をご紹介したいと思っている。お楽しみに。

 

ロバート・W・マークス
『バックミンスター・フラーのダイマキシオンの世界』
ロバート・マークスは雑誌『エクスワイアー』編集者、『ニューヨーク・イヴニング・ポスト』のコラムニスト、バンタム・ブックス編集者を務めた理学博士。

ジェイ・ボールドウィン
『バックミンスター・フラーの世界』
フラーに学び、そのプロジェクトに携わる。ロッキー・マウンテン研究所でRV車の開発研究し、カリフォルニア工芸大学で工業デザインを教えている。環境問題に関する著書がある。

バックミンスター・フラー
『コズモグラフィー シナジェティクス原論』