西谷啓治『正法眼蔵講話』世界とは何かを知る

梁楷  澤畔(さわぐり)行吟図  団扇 部分  宋

太陽山楷和尚衆に示していわく「青山常に運歩し、石女夜児を生む」

雲門匡真(うんもん きょうしん)大師いわく「東山水上を行く」

良寛(1758-1831)は越後の出雲崎に名主の長男として生まれた。名家である。11歳の時、大森子陽の狭川(きょうせん)塾で儒学を学び名主見習いとなったが出奔、隣町の光照寺で出家、やがて、10数年の長きを備中玉島の円通寺に国仙和尚のもとで修行することになる。曹洞宗の禅寺である。

良寛は親しく道元の語録に接していた。『読永平録』という詩が残されている。当時、『正法眼蔵』は、今日のように一般に流布されておらず、写本のみが秘蔵されていた。彼が読んだのは『正法眼蔵』説もあるけれど、この詩に関しては『永平広録』か『永平略録』であったろう。良寛はこのように書いている。

春夜 蒼茫たり二三更
春雨 雪に和して庭竹に灑(そそ)ぐ
寂寥を慰めんと欲して良(まこと)に由(よし)無く
暗裏模索す 永平録
明窓の下 几案の頭(ほとり)
香を焼(た)き燈を点じて静かに披読(そどく)す
身心脱落して只だ貞実のみ
‥‥
五百年来 塵埃に委(まか)せしは
職(もと)より是れ法を択ぶの眼無き由る
滔々として皆な是れなり 誰れか為に挙する
古を慕い今に感じて心曲を労す
一夜燈前 涙留まらず
湿(うるお)い尽くす 永平古仏録
‥‥

しかし、良寛の遺墨には正法眼蔵の巻名を羅列したものがあるらしく、『正法眼蔵』を読んでいた可能性もある。嗣法の乱れが、卍山道白(まんざんどうはく/1636-1715)らの宗統復古運動を呼び起こした。それについては一碗 茶・チャ・ちゃ 最終回 売茶翁と煎ちゃで少し触れておいた。こうした流れの中で永平寺五十世の玄透即中(げんとうそくちゅう/1729-1807)による『正法眼蔵』95巻本の出版事業が道元の五百五十回忌に因んで計画され、享和二年(1802)に「本山版」として刊行されている(大谷哲夫『道元読み解き事典』)。『正法眼蔵』の75巻に色々付け加えられ、整理されたものが95巻本である。良寛が『正法眼蔵』を読んだとすれば、40歳半ば以降ということになるのではないか。

良や 愚の如く 道 転(うた)た寛(ひろ)し、
騰々(とうとう)任運(にんうん) 誰を得てか看(み)せしめん。
為(ため)に附(ふ)す 山形の爛藤(らんとう)の杖、
到る処 壁間(へきかん)に午睡(ごすい) 閑(しず)かならん。
(水月老衲仙大忍)

国仙和尚は良寛に上のような印可の偈を与え、良寛は30半ばにして寺を出て40前後まで諸国を旅することになる。故郷近くに戻っていた頃、円通寺の典座(てんぞ)であった仙桂の訃報を知らされる。典座とは、禅宗寺院の食事係である。容貌は古の僧のようであり、言葉少なく飾らず、ゆったりと話す人であり菜園を作り食事を作り続けた。それは真の道者の姿だったと追悼の詩を残している。

秋月龍珉『道元禅師の「典座教訓」を読む』

典座とはどのようなものなのか、その真の姿を自覚したのは他ならぬ道元自身であった。日本では、それがどのようなものなのか全く理解されていなかったのである。彼は典座のような労働に真の修行の一端を見た。それで、帰国後『典座教訓』という心得を書くのである。

1223年の四月、明全とともに宋に着いた道元は、しばらくその船に留まっていた。翌五月、そこに禅宗五山の一つである阿育王山の年老いた典座が椎茸を求めに来る。20数キロの道のりを歩いて来たという。日本産の干し椎茸は美味で知られていた。端午の節句が近いから修行僧たちにご馳走するのだという。

道元は「あなたのような年齢で典座のような煩わしい仕事を何故なさるのです。座禅し、公案を参究されればよろしいのに」と言った。泊まって行けという道元の誘いに「外国の人、あなたは、まだ弁道のなんたるかをお解りでない」という。道元は恥ずかしさを覚えて「どのようなものが文字なのか。どのようなものが弁道ですか」と聞いた。すると老典座は「もし、その質問の意味するところとすれ違わないなら、それが文字を知り、弁道を体得した人というものです」と答えて、納得がいかなければ阿育王山においでなさいという言葉を残して急ぎ帰っていった。

同年の七月、道元が天童山・景徳寺で無際了派(むさいりょうは)のもとで修行していた時、その老典座がわざわざ訪ねに来てくれた。道元は感激して再び問うた。

道元「いかなるものが文字なのですか」
典座「一二三四五」
道元「いかなるものが弁道ですか」
典座「徧界不曾蔵(へんかいふそんぞう/あまねく世界は今まで何も隠していない)」
道元は自分が少々文字の何たるかを知り弁道の何たるかを了ったのは実にあの老典座のお蔭であったと述懐している。

西谷啓治(1900-1990)

さて、今回のテーマは実はこの「文字」と「あまねく世界」なのである。前回ご紹介した西有穆山『正法眼蔵啓迪(けいてき)』開山のお示しじゃ! を補足するものなので、まだお読みでない方は是非そちらを読んでからご覧くださればと思う。そこで少し、ご紹介した西谷啓治(にしたに けいじ)さんの『正法眼蔵講話』からご紹介したい。

西谷は1900年、明治三十三年石川県鳳至(ほうし)郡 宇出津(うつし)に生まれる。父は呉服商だった。小学校に上がると両親と共に東京に転居。中学時代に父親を亡くし、自らも病気の為一年高校進学が遅れる。後に京都大学哲学科へ進むのだが、たまたま書店で手に取った西田幾多郎の『思索と経験』を読んだことによる影響が大きかったと言われる。それは「自分よりも自分に近いもの」との出会いであったという。自分を登高に誘うもの、自分自身の道になるものの発見であった。京都大学で西田幾多郎、田辺元に学んだ。ばりばりの京都学派である。とりわけその著書『宗教とは何か』は英語やドイツ語に翻訳され大きな反響を呼んだ。彼の『正法眼蔵講話』は和辻哲郎や田辺元の道元理解を現在に引き継ぐものとして重要なものではないだろうか。

僕は思うのだけれど言葉とは分けることである。言分(ことわ)けすれば言割り(理)になる。仏と言えば仏とそうでないものに分けられる。衆生といえば、それとそうでないものに分けられる。つまり、その連続が「一二三四五」です。禅は、教外別伝(きょうげべつでん)と言って、教えから離れて、生きた働きから生きた働きへと法を伝えていく。何故言葉の世界を禅が嫌ってきたかといえば。分けられない世界を分割してきたからではないか。見方を変えるとレヴィ=ストロースの『神話論理』からメルロ=ポンティが出した結論のようなもの、すなわち、言葉は世界にならって作られたのではなく、言葉によって世界が作られたとも言える。それなら、世界はマーヤ(幻影)のようなものではないだろうか。交通法規を作っておいて、それに従って人間が行動する世界、世界はそのように言葉によって限定されてきたと考えられなくもない。そんなロジックな世界を嫌った。だが、道元は言葉の力を信じている。そうでなければ『正法眼蔵』75巻はいったい何なのだと問われる。

西有穆山『正法眼蔵啓迪』上巻
「弁道話 摩訶般若波羅密 現成公案 一顆明珠 即心是仏 有時 山水経 心不可得」注釈

『正法眼蔵』の「山水経」巻には、道元の言葉に対するこだわりの一端を見ることができる。西有穆山(にしあり ぼくざん)禅師は『正法眼蔵啓迪』の中でこう書いている。青山は常に運歩する。それが分からぬ奴には人間の常運歩は分からぬ。念々起滅し、昼夜に流れ通しに流れている刹那滅には、とんと心づかずにいる。「青山常運歩」と「東山水上行」は同じことであると。これを無理会話(むりえわ)、つまり理解不能な言葉と見なすような輩は魔子六群禿子だと道元は罵っている。仏祖の悟りを示すものは究極的に言葉ではないと言うのが禅に限らず仏教の立場である。だが、道元は仏祖には理会話、つまり、理路を示す方法があるという。念願の語句というものがあり、語句が念慮透脱することを知れという。西谷は道元が禅の立場をそのまま押し進めながら教学としての思想を同時に押し進めてきたという。それが、『正法眼蔵』を中国・日本を問わず独自なものにしているというのである。

プラトンのイデア論には多様な円のイデアとして真の円という概念がある。本当の人間は「人間」のイデアであり、それぞれの人間は一種の断片、影にすぎないと考えた。誰それは人間である。これは本である。机である。そういうところから出発して、それらがあるとは何かと問いかけたところにイデアの思想が現われたと西谷はいう。不完全であっても人間と呼べるのは「人間」のイデアを分有(participate)しているからである。そういうイデアの本質、つまり神に向って完成していくという倫理的な意味においてもプラトンの思想は大きな意味を持っていた。それが、キリスト教における「神化/テオーシス」に影響を与えることになる。

西谷啓治『正法眼蔵講話一』

これに対して道元と師の如淨との問答で表れているのはパーティシペイションというだけではないという。一つ一つが集まった全ては仏法の世界の中にある。「身心脱落(しんじんとつらく)」とは自分の身や心が抜け落ちることだけれど、自分の心身だけを問題にすると心理学的な範疇を出なくなる。そこで西谷は一切の身、一切の心を考えてはどうかという。それは現実にあるものだけでなく、遠い過去の、あるいは遠い未来に存在する、そんな可能な全てということを考えてよい。あらゆるものが存在している。そのための本質的な必要条件としての存在の場を考え、それが脱落することであるという。カントのいうあらゆる経験の対象の先験的可能性と言い換えてもよい。いわゆる心というものが成立する場が破られ、踏み越えられる。あるいは、ずり落ちる。それが「色即是空」の意味することであるという。我々の身も心も空である。それが「身心脱落、脱落身心」であるというのだ。脱落というのはそれが成立する次元が自分から脱落してゆくことだという。「身心脱落、脱落身心」このような言い換えは道元には非常に多い。近年、科学者の中にこの存在の場を捉え「場の論理」として注目してきた人もいるのだけれど、そこからちゃんとずり落ちることができただろうか。

全宇宙が刻々動いている、それに任せて自分も生きる。一つ一つのものがそれぞれ動き続けている。青山も東山も刻々絶えず新たである。その中には生も死もある。絶え間なく生まれては死ぬ、生まれてくる中から滅んでいく。そういう生死の入り混じった姿が一瞬一瞬、一刻も変わることがない。全てが変化しながら同時にいつも変わらない。新たであるためには変わらないということがなければならない。変わらないということは、絶えず新たに証しされることによって成り立つ。つまり、絶えず新たな創造的な働きにおいて証しされることが必要であると西谷はいう。

パルメニデス(BC 515-?)

ギリシアのパルメニデスという人が「一」ということを言った。永遠の存在というのはThe Oneであると。本当に存在するのは「一」そのものであって「多」は影のような現象に過ぎない。ところが「一者」を見るためには心で見る他はない。しかし、人間は「一者」の外にあって、それを対象として眺めることができない。何故なら人間は「一者」の一部に過ぎないからである。多数のものを客観的に見ている心は、分別の心であり、その「一者」を知る心とは本質的に異なるものである。それを知るためには成り切るということが必要とされるという。ここで、パルメニデスはエイナイ(在ること)とノエイン(考えること)とは一つだと言った。ハイデッガーにもそういう考え方があると西谷は言う。脱自という言葉はプロティノスに由来する。自分が自分というものからすっかり脱却した立場が本当に自分自身の故郷へ帰った姿だと。このように「一」と「多」、あるいは自己と他者という問題はパルメニデス、プロティノス、プラトンとギリシアだけとっても哲学において一貫した問題だというのである。

これを仏教でいう遍法界から見てみたい。遍法界とはあらゆるものを包んであらゆるものに行き渡っている世界である。あらゆる存在するものをひっくるめた万物万有の世界である法界にあまねく行き渡った智、それが阿耨菩提(あのくぼだい)である。それは人間の知性ではない。妙法(西有穆山『正法眼蔵啓迪』を参照)は、その世界を貫いてその中で生きて働いているものであり、対象的に掴むことのできないものである。それを知ることは、外から知るのではなく、その中から法を照らす光によって知ると言える。アウグスティヌスのいうイルミナティオを思い浮かべることもできる。しかし、法を照らす光もまた法であり、法と智とは分けることができない。それを何で証するかといえば自分がその智によって目ざめさせられる、自分が何たるかを知る者になった、つまり自覚したということであると西谷は言うのである。仏教の場合、とりわけ本覚の場合、その智は同時に本来自性心、つまり、それ自身絶対であるものが、完全であるものが、初めからもともとある。それは有為によってではなく無為によって自ずから知れる。それが『正法眼蔵』「弁道話」巻、冒頭の「阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり」の意味である。こうして人は、「徧界不曾蔵(へんかいふそんぞう)」つまり、あまねく世界は今まで何も隠していないということを知る。

では、この法界という、いわば The One と個々に石がある水がある、桶があるとはどういう関係なのか。今度はそこが問題となる。本当に石ころがあるという実相を知るのは、身心脱落の時であると考えられる。そのもののありのままの姿、ものがそこにあるということに我々が自分を投げ入れた時、ものが初めてものとして在るということの本当の意味が明かされると西谷は言う。諸仏の世界に対して事物の世界とは一応分けて考えられるが、事々物々も本来は覚りの世界に属している。石ころ一つがころがっていることは、「宇宙のあらゆる事物がそれぞれ自身である」ということと無関係に成り立っていない。人間の身体のように肺も心臓も胃も肝臓もそれぞれでありながら有機的に関係しあっている。心臓が心臓であるためには全体によって支えられていなくてはならない。心臓の働きの中には肺や肝臓も働いている。かくれた所でたがいに相即している、これを仏教では「相依相入/そうえそうにゅう」と言う。たった一音でも現在・過去・未来のすべての音に支えられている。それが一音成仏の意味である。たった一人の人でもたった一つの石ころでも無限の存在しているものと「相依相入」している。従って瓦も悟りも鏡も無二一体となる。そして、自分が悟ると言うことの中に他の覚りを助けるという意味がある。他受用三昧もあるのである。

梁楷 『月下波濤図』 部分 宋

自(おの)ずと知る。これを自受用三昧(じじゅようざんまい)という別の観点から見てみたい。自受用三昧についても西有穆山『正法眼蔵啓迪』をご覧いただきたいが、ここでの自とは他のものに対していない立場、自分に相対する如何なるものもないということである。石も水も桶もそれぞれ絶対的に個別で一二三でありながらそれぞれが絶対的な仏の世界というわけである。石なら全世界が石、水なら全世界が水、桶なら全世界が桶となる。ここを押えておかないと『正法眼蔵』はわけが分からなくなるのである。これだけ見ていると全く外界と遮断されていながらそれぞれのモナドが全ての世界を映しだしているというライプニッツのモナド論を思いださせるけれど、モナドには階層構造がある。中国の詩に「河は自ずから流れて山は自ずから緑なり(『唐詩選』)」というのがある。河はおのずから自然のままに流れ、また自ら流れている。そこには人間の意志の届かない自然というものが詠われている。河が河として自然であり、山は山で、また花は花として赤く咲く。誰も頼んだわけでもないが咲く。

ふつう人は、自己と対象を区別した中で自己を立てる。しかし、河が自ずから流れ、自ずから然りという所に人間が自ら然りということで河と一つになることもあるのではないか。自然の中に人がすっかり自己を投げ込む。この自ずからというところに自を見出せないかと西谷は問う。あらゆるものと一つで、そのものになりきるということ。つまり、三昧の世界である。そうすると河が流れるということにも自己の遊化(ゆけ)ということが出てくるのではないか。法界のあらゆる出来事は、赤ん坊が自分の指をくわえるのと同じことで、自分が自分を使う。自分が自分を証すると言ってもよい。それが一つの基礎的な姿である。他の人間が相対の世界で色々なことをする、そのことがそのまま唯仏与仏となる。そのこともまた「自受用三昧」の意味となる。こうして、自分で自分を自由にしてゆく。自というおのずからとみずからが一つになった立場、その点を突き詰めて行けば本当の自己、自己本来の面目、父母未生以前の自己、天然自性心、各人に本来具足している本心本性といった自己の立場を自覚するのではないか。それがないと「身心脱落」の「脱落」は出てこないと西谷さんはいうのである。

三昧とはそれに成り切ることである。楽器を練習していて、上手になれば楽器を意識せずに演奏できるようになる。自分が演奏しているのか楽器が演奏しているのか‥‥それさえ意識していない状態。その状態を音楽が音楽を音楽するとも言える。何でもいいのです。ゲームがゲームをゲームするということだってある。ただ、そこにあるのは子供たちの遊ぶときのあの真剣さのようなものではないだろうか。

 

毬子(きゅうし/まり)

袖裏(しゅうり)の毬子 直(あたい)千金
謂言(おもへら)く 好手にして等匹(とうひつ)無しと
可中(かちゅう)の意旨 若し相問はば
一二三四五六七

袖の中のまりは値千金
思えば 見事な手並みは並ぶものなし
そこの極意をお尋ねあらば
ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな

良寛

 

梁楷 『布袋和尚』 宋

機会があって広島市立図書館で井上ひさしの『道元の冒険』を手に取ることができた。道元をパロディ化した戯曲で1971年の出版である。パロディなのだけれど、道元の思想にかなり深い理解があるのが感じられるよい作品だと思う。こういった仕事が日本の古典でもっとあるといい。

ところで、ここのところ肩痛が完治せず、苦労しています。そういうわけで一ヶ月ほどブログはお休みしたいと思っています。次回は11月初旬にT.S.エリオットをお送りする予定です。しばらくお待ちくださいね。

 

 

 

西谷啓治『正法眼蔵講話』第一~四巻

 

大谷哲夫 編著『道元読み解き事典』