T.S.エリオット part2 『四つの四重奏』比較文学の大渦へ

T.S.エリオット(1888-1965)1923年

トマス・スターンズ・エリオットには詩人としてだけではなく、文芸批評家としての顔がある。ちょっとご紹介しておこう。『エドガー・アラン・ポーからヴァレリーへ』でポーの作品を批評している。八木敏雄編『エドガー・アランポー』からの要約であるが、書き出しはこうである。

「その作品をつぶさに調べてみると、ずさんな書き物、広い読書や深い学識に支えられていない未熟な思考、また主として経済的必要に迫らてであろうが、完全性に欠けた、さまざまな種類の思いつきの実験しか見出せないように思える。だが、これでは公平さを欠くだろう(八木敏雄 訳)。」ここから、ボードレール、マラルメ、ヴァレリーというフランスの詩人たちへの影響を語っていく。ポーの影響は、英米では皆無であるのに対してフランスでは絶大だったというのである。

ポーは例外的なほどに、詩の呪文的な要素である文字通りの意味の「韻文の魔術」に鋭敏であった。その効果が我々を深い感情の奥底で揺さぶるのだ。しかし、彼は正しい音を持つ言葉を選ぶのに慎重だったが、正しい意味を持つ言葉に関してはそうではなかった。『大鴉』は、ここでやり玉に挙がっている。ポーが短い詩しか書けなかったのは単一な情調の表現を望んだからであって、それは、何故ポーの作品が少年期からまさに脱却しようとする人生の一時期に強く訴えかけるのかを説明する。「ポーの生きいきした好奇心が選び取る形態は前思春期の精神状態にある者が喜ぶようなそれである――自然や力学や超自然の驚異、暗号文やその解読、謎に迷宮、機械仕掛けのチェス・プレイヤーに奇想天外な空想飛翔‥‥(同上)」というわけだ。欠けているの知力ではなく人間全体としての成熟であるという。ここでは、逆にエリオット自身が目指そうとしているものが透けてみえるのである。

エドガー・アラン・ポー(1809-1849)1849年

そのようなポーに、ボードレールは孤独な呪われた詩人の原型を見、マラルメは韻律法に眼を開かされ、ヴァレリーは「書く自己を観察する作業」への興味をかきたてられたという。ヴァレリーは内省的批評活動を詩学に浸透させるという行為を極限まで押し進め、その極限で批評活動が詩学を破壊しはじめるという。そして、我々が持つべきはポーとヴァレリーの美学を包含しながら、かつそれを超越する美学であるというのだ。しかし、自分はそれに頭を悩ませない。何故なら詩人の理論は詩作の実際から出てくるのであって理論から生まれるのではないからだという。詩は詩人の分泌物というわけである。

そして、こう結ぶ。ボードレール、マラルメ、そして、特にヴァレリーを通してポーを眺めることによって、全体として見たポーの作品の重要性をよりいっそう確信するようになる。未来のことに言及するならヴァレリーに見られるような過剰な自意識と言葉に対する極端な敏感さや関心は、人間の精神には耐えがたく破壊的であろう。それは科学や政治・社会機構が無限に複雑化すると、ついに人間は反発を感じ、その重荷を負い続けるより原始的な苦難を受け入れたいと望むようになるのと同じではないか。それについては自分は一定の意見を持たないので、読者の判断に委ねたいとしている。ポーは落とされたり、持ち上げられたり色々なのだが、エリオットの批評が非常に知的だが冷たいとよく言われる理由は分かるような気がする。

ヴァージニア・ウルフは、エリオットのこの冷たさを面白く書いている。「‥‥『批評家たちは、僕が学があって冷たいなんていってますが、』と彼は言った、『本当はどっちでもないんです』。こう言ったところを見ると、冷たいというのは、少なくとも彼の痛い所をついているに違いないと思う。‥‥しかしエリオットっていう男はいったい何なんだろう。彼をトムって呼べるようになるのだろうか。‥‥善き心っていうものは耐えているものなのだろうか。そして、人がそれに引かれたり、それを大事にしたりするのは、こっちにも善き心があるからなのだ。もっともトムは、私の書くものには、耐えてくれないらしい、チキショウ ! (T.S.マシューズ『評伝T.S.エリオット』八代中 他訳)」

高柳俊一『T.S.エリオットの比較文学的研究』

僕が勤めていたカトリックの学校で長く同僚として教えていた神父さんがこの夏のはじめに亡くなった。絵の好きな人で御自分もよく描いたりしていて、その作品を見せてもらったことも何度かある。寡黙な人で自分の方から色々話し出すという人ではなかったが、淋しい。亡くなってから知ったことだけれど彼は、エリオットの詩が好きだったという。それで、今回はエリオットを取りあげる気になったのである。エリオットの晩年は宗教詩というべきものに傾斜していくのだが、そこから生み出される深い表現の源は老いを見詰めていくことにあったといわれる。今回はエリオットの詩『四つの四重奏』を標的に比較文学の観点から高柳俊一さんの『T.S.エリオットの比較文学的研究』を中心にご紹介する。

高柳さんは1932年のお生まれ。上智大学文学部を卒業後、アメリカのフォーダム大学で博士号を取得。その後、ドイツのザンクト・ゲオルゲン大学で神学を研究され、カトリック司祭に叙階されている。上智大学英文科教授を務められた。主な著書に『人間と都市』『ユートピアと都市』『精神史の中の英文学』『近代文学の中のキリスト教』『T.S.エリオットの思想形成』などがある。

1914年にエリオットは奨学金を得てヨーロッパ大陸経由でロンドンに到着しオックスフォードに落ち着いた。留学生活は「無感覚」という言葉で表現されるほど憂鬱なものになっていった。それを救ってくれたのエズラ・パウンドとの交流だった。パウンドは、ヴィクトリア朝の文学観から早く抜け出して新しい詩風を作り上げようとしていて、ジェイムズ・ジョイスなどの若い作家たちを積極的に支援していた。彼は、エリオットよりも早くロンドンで活躍しはじめたアメリカ人であったが、英国とアメリカの詩人たちが協力し、互いの作品を知り、相互に影響しあうような「詩における現代的な運動」を初めて可能にしたと高柳はいう。ちょうど、西側と旧東側の作曲者たちに対するギドン・クレーメルの活躍を思わせるものがある。ただ、パウンドの場合、晩年は不遇だった。

エズラ・パウンド(1885-1972)
ロンドン時代 1913

20世紀初頭の英文学は、19世紀末以来のフランス文学の流れと批評の影響下にあって、それらを吸収発展させた結果、モダニズムの可能性が開けていった。エリオット自身もそうであった。彼は、最後の評論集『批評家を批評する』の中でパウンドの手法をこのように述べている。それはとりもなおさずその頃のモダニズム騎手としてのエリオットの立場であったろうと高柳は書いている。「パウンドの『自由詩』は韻律法の厳格な形式やいくつかの異なった規則を飽くことなく取り上げてきた詩人のみに可能なものである。‥‥パウンドの詩における自由とは、自由と規律との対立から生じる緊張状態のことである。実際そこには、厳密な韻律法による詩と自由詩という二種類の詩があるわけではない。訓練を重ねた結果、本能的に形式を操ることができるようになり、その都度の目的にふさわしい形式を操ることができる、といった熟練があるのみなのだ(高柳俊一 訳)

『荒地』は、当時パリにいたパウンドによって大幅な編集の手が加えられたのはよく知られている。エリオット自身が彼のことを「主導権を握った演出家」と呼んでいる。これによって「ぶざまに延びて混乱の極みの詩」と呼ばれた『荒地』は半分の長さになったが、パウンドはその詩に自分の言葉を付け加えることは一度としてなかったという。この編集によって『荒地』がある程度筋の通ったものになったのか、逆に論理性が切断されてコミュニケーションの欠如を招いたかは議論されてきた。おそらく、前者であったろう。

西脇順三郎は、エリオットが詩をつくる時、詩の世界としての必要なメカニズムとして異なったものを結合させて、詩の内面的な構成を全面的に作り上げる(新英米文学評伝叢書『T.S.エリオット』)と述べている。外面的な構成ではないのだ。それはライプニッツの言う同じ構造を繋げていく結合術とはいささか異なるし、ウィリアム・ブレイクの神話のように複数の物語の同時進行とも異なるのである。単なるコラージュとは、ちょっと違うように僕は思う。パウンドは、エリオットの詩を読んだとき、ラフォルグ的なアイロニーに「厳密な不明確さ、計算され尽くした曖昧さの使用」があることに注目していた。このメカニズムと不明確さ、あるいは曖昧さと内面的な構成のせめぎ合いは、ある種の律動を呼んでかなり手強い。冒頭のポーの批評でさえ、そのようなある種の揺れが存在する。いわば、インテリジェントに変容された文章と世俗なそれとが内的な連想によって織りあわされるために表現されたイメージは飛び地のように広がって見える。ともあれ、パウンドの力によって1922年に発表された『荒地』は、ジョイスの『ユリシーズ』と共にこの時代の代表的な作品として評価されていくことになるのである。

渡英した翌年、エリオットはヴィヴィアンという英国の女性と結婚した。今回、伝記についてはピーター・アクロイドの『T.S.エリオット』からご紹介する。表現の才があり、機知のある、女優を思わせるような人であったが、自意識が強く神経過敏になりがちなであったともいう。エリオットは銀行に勤めながら、新聞雑誌に寄稿し、自分の主幹する雑誌『クライテリオン』の編集さえした。その雑誌には友人のパウンドやハーバート・リード、ヴァージニア・ウルフ、ジェイムズ・ジョイス、そしてガートルード・スタインらが寄稿していた。しかし、その頃、神経衰弱と診断されて、時々仕事を休んで旅行などの休暇をとらざるを得なくなるし、彼女も病気がちでエリオットはその世話もしなければならなくなり、かなり衰弱していった。そんな頃、『荒地』は出版されるのである。

彼女は神経過敏となっていき、病気は進行していった。郊外の小さな別荘を借りて養生するようになり、休みの日や休暇にエリオットはそこを訪れたが、医療費と家賃のために経済的にも逼迫していった。詩作の炎さえも消えかかったのである。しかし、助け舟がやってくる。1925年に出版社で働くことができるようになる。だが、ヴィヴィアンはリュウマチを伴う神経痛とその後遺症、あるいは神経症が進行しはじめていて、お互いの苦悩は深まるばかりだった。結局、彼女の兄に相談し、経済的な保証をした上で居所を明かすことなく彼女との別居に踏み切ることになる。致し方なかったとはいえ、この負目はヴィヴィアンの死後まで続いたという。

1927年にエリオットが、ユニテリアンからアングロ・カトリックに改宗したことは part1で述べたが、この年、同時に英国に帰化している。1930年には『マリーナ』や『灰の水曜日』などの詩も作られたが、より新しいものを模索し始めていた。1934年に聖スティーヴン教会のチータム神父のもとで、この教会の代表委員となり、教会の財務管理やミサ中の献金集めの監督さえ行ったのである。この頃のエリオットは詩劇のための戯曲をいくつか手がけていて、舞台にかけられたものの中で『岩』や『寺院の殺人』、それにもっと後の『カクテル・パーティー』は大きな成功を収めたようだ。この頃の詩『マリーナ』から一部ご紹介するが、旧約聖書のコレヘトの言葉を思わせるようなペシミズムが滲み出ている。

‥‥
犬の歯を研ぐ者は
死に向かい
蜂鳥の栄光に輝くものは
死に向かい
飽満の淫売の館に坐す者は
死に向かい
動物の恍惚を味わう者は
死に向かい
かくて彼らは空っぽになって風化する
‥‥
(古川隆夫訳)
‥‥
Those who sharpen the tooth of the dog, meaning / Death
Those who glitter with the glory of the hummingbird, meaning / Death
Those who sit in the sty of contentment, meaning / Death
Those who suffer the ecstasy of the animals, meaning / Death
Are become unsubstantial, reduced by a wind,
‥‥

エリオットは、早くから現代作家のオリジナルな文章などほとんどが出来そこないであって、古典の輝かしい文章を変容させることが作家の使命だと思っていた。その意味ではマニエリスムの作家だと言える。彼が理想としたもの、それが、ヴェルギリウスとダンテだった。ローマの声、ラテン語を代表する最高の声としてのウェルギリウス、キリスト教の教父たちに認められた『牧歌』の神秘性を持ち、ダンテが『神曲』の中で「もはやこれ以上先を見極めることのできない場所にお前は到達した」と述べた作品である。そのダンテは、自らの『神曲』をトマス・アクィナスの思想を土台に崇高なアレゴリー体系を持つ構造物、被造宇宙に対応する「神のまねび」にまで高めたという。この頃、エリオットはジャク・マリタンの新アクィナス主義を通じて、ダンテの古典主義的な秩序という理想へ再び繋がろうとした。それは『四つの四重奏』へと結実してゆくのである。

高柳は、エリオットには一種の文化的悲観論のようなものがあり、彼自身が無意識に持っていたピューリタン的な世界理解から生じたものかもしれないと述べている。そのような意識から当時のモラルというものに対する批判が生まれた。彼にとって近代の精神史は頽廃への進行であった。彼は評論『異神を追いて』の中で近現代の作家たちを攻撃し、近代そのものの価値さえ否定する。エリオットの改宗はモダニズム文学との決別であったという。こうした世俗化する流れの中でジョイスにも文学が救いであり、宗教の代用物であったとジョイスを評価している。

ジョイスの小説、『ユリシーズ』は複雑に絡み合った糸、混沌であり、絡み合うことによって膨らみ巨大なアナーキーへと成長していく神話形成であった。今日の神話形成、ポスト・ナラティヴ、神話的英雄の原型を借りるポスト・フィギュラティヴといった批評原理の先駆者としてエリオットを見ることも可能かもしれない。『荒地』と神話の関係は part1 で述べた。フレイザーの『金枝篇』はそれらの形成に大きな役割を果たしたのである。人間の生存の様相とその世界はストーリーとしてではなく神話と夢という無意識の同時性をもつ連想の集合体となる。スロップ・フライの文学の統合原理としての神話が思い浮かぶが、エリオットやジョイスの作品はこの神話解釈を通して古典化され、それに伴ってモダニズムも受け入れられていったというのは皮肉である。ジョイスの他にエリオットが評価していたもう一人の文学者がいた。それがイエイツだった。

当のイエイツ(1865-1939)は、エリオットの作品をマネの絵と比較して、自分はあの灰色がかった中間色が我慢ならないと述べ、明るい色彩や光が欲しい、そのようなエリオットの詩はシェイクスピアや聖書の翻訳者たちの末裔に加えることは出来ないとして、彼は詩人というより風刺家だと断定している。要するにエリオットの作品には感情の昂揚というものがないことに不満なのである。しかし、二人には荒廃した当時の精神風土を受け入れなければならないという共通の認識があった。エリオットはこの非神秘化された世界をすでに否定できない人生の事実として受け止め、自分の文体と言語をできるだけこの現実に近いものに煮詰めようとした時期があった。イエイツの出した答えは新しい神話の創造、世界の再神話化であったというのだ。

そして、1940年、エリオットは62歳になっていた。代表作の『四つの四重奏』が出揃う期である。60歳代にイエイツも『塔』(1928)や『螺旋階段』(1933)といった詩を残している。エリオットが気に入っていたイエイツの詩の一節がこれである。

君は、愛欲と狂気が
私の老年に寄り添ってご機嫌をとるのを、恐ろしいことだと思う。
若いときには愛欲も狂気も、それほど厄介なものではなかったが、
今、私を歌へ駆り立てるものが他にあるだろうか。
(高柳俊一訳)
You think it horrible that lust and rage
Should dance attendance upon my old age;
They were not such a plague when I was young:
What else have I to spur me into song?
” The spur,”

エリオットは、青年期から自身の「老人」を意識していたという。それは単に個人的な問題だけでなく、文明的・宇宙的な規模の問題であったと高柳は指摘している。彼の若い頃の詩『プルーフロックの恋歌』には既にこの一節があるという。

年をとる‥‥ 年をとる‥‥
ズボンの裾をまくって着るようになるだろう。
(高柳俊一訳)
I grow old‥‥ I grow old‥‥
I shall wear the bottoms of my trousers rolled.

T.S.エリオット『四つの四重奏』
四つの楽章のように構成されている詩が、「バーント・ノートン」「イースト・コウカー」「ドライ・サルヴェィジズ」「リトル・ギディング」という副題のもと四部で構成されている。

『荒地』が書かれた頃の、ヴィヴィアンとの生活、銀行での務め、そして文筆活動という多重の軋轢の中で、心理的に消耗していった自分を漁夫王(part1参照)という神話の登場人物にあてはめ、それを老人の体験という形で表現してきたとも高柳はいう。それからの歩みは『四つの四重奏』のうちの「イースト・コウカー」の中でこう纏められた。

こうして私は道のりの中ほどまで来た、二十年が過ぎ去って――
多くは無駄に過ごしてしまった二十年、二つの大戦に挟まれた歳月――
言葉をどう使うのか知ろうと努めて、‥‥
(高柳俊一訳)
So here I am, in the middle way, having had twenty years ――
Twenty years largely wasted, the years of l’entre deux guerres ――
Trying to learn to use words,‥‥

イエイツの「肉体という廃墟」「緩やかに進む血液の腐敗」「沈滞した老衰」といった表現は若者のエロスが理想化され、美そのものの象徴となって光と輝きを増していくことの相反としての肉体の表現である。イエイツもまた漁夫王ではなかったのか。若さを取り戻したいという願望と再生への確信がイエイツには内在していて、絶望とともにそれを乗り越えようとする試みが詩作であったと高柳は言う。ここに人間の死と生を超越する次元が「すべてが変わった、完全に変ってしまった。恐ろしい美が誕生したのである」という言葉と共に生まれるという。エリオットもまたそのような次元を見つめていた。若さも再生も死も生もが折り畳まれ、その一点の「時」の上でシヴァ神は踊る。相反するものの合一。エリオットは、第一部「バーント・ノートン」の中で深く美しく詠っている。長い引用になるけれど、このパートは緊密に結びついていて途中で切ることができない。

‥‥
廻る世界の静止の点に。
肉体があるでもなく、ないでもなく、
出発点も方向もなく、その静止の点――そこにこそ舞踏がある、
だが、抑止も運動もない。それは固定とは言えない、そこで
過去と未来が一つに収斂するのだ。出発点もない方向もない運動、
上昇でも下降でもない。その一点が、その静止の点がもしなければ
舞踏など存在しないだろう。だが、現実には舞踏こそ唯一の存在。
そこにわたしたちはいたとは言えるけれど、どこかは言えない、
どれくらいの間なのかも言えない、それを時間の中に置くことになるから。
現実的欲望からの内的な自由、
行為と苦悩からの解放、しかも、まわりは
感覚の恩寵に、静止かつ動く光輝に、囲まれている。
運動のない〈止揚〉、消去のない
集中、新しい世界と古い世界が
二つながら明瞭にされ、
その半恍惚の完成と
半恐怖の解消の中で、了解される。
それでも、変わりゆく肉体の脆弱さの糸で織られた
過去と未来の連鎖が、
肉体の耐え得ぬ天国と地獄から
人類を守ってくれるのだ。
過去の時間と未来の時間は
ごくわずかの意識しか許さない。
意識するとは時間の中にいないこと、
だが、時間のなかでのみ、薔薇園での一時(ひととき)や、
はたはたと時雨の叩く四阿(あずまや)での一時、
霧の日の風吹き抜ける教会での一時が
思いだされもするのだ、過去と未来に取り込まれたまま。
時間を通してのみ時間は克服される。
(岩崎宗治訳)

‥‥
At the still point of the turning world. Neither flesh nor fleshless;
Neither from nor towards; at the still point, there the dance is,
But neither arrest nor movement. And do not call it fixity,
Where past and future are gathered. Neither movement from nor towards,
Neither ascent nor decline. Except for the point, the still point,
There would be no dance, and there is only the dance.
I can only say, there we have been: but I cannot say where.
And I cannot say, how long, for that is to place it in time.
The inner freedom from the practical desire,
The release from action and suffering, release from the inner
And the outer compulsion, yet surrounded
By a grace of sense, a white light still and moving,
Erhebung without motion, concentration
Without elimination, both a new world
And the old made explicit, understood
In the completion of its partial ecstasy,
The resolution of its partial horror.
Yet the enchainment of past and future
Woven in the weakness of the changing body,
Protects mankind from heaven and damnation
Which flesh cannot endure.
Time past and time future
Allow but a little consciousness.
To be conscious is not to be in time
But only in time can the moment in the rose-garden,
The moment in the arbour where the rain beat,
The moment in the draughty church at smokefall
Be remembered; involved with past and future.
Only through time time is conquered.

 

ミュージカル『キャツ』のポスターとエリオットの『キャッツ』

もう一つ、是非、つけ加えておきたいのは、モノトーンだとか冷たいとかいわれるエリオットが、アンドルー・ロイド・ウェバーの台本で知られるミュージカル『キャツ』の原作を書いていることだ。子供たちのための詩の絵本だがとても楽しい。1939年の作品である。副題のオポッサムおじさんは、確かパウンドがエリオットにつけたあだ名だったと思う。意外な一面が有る方が世の中は面白い。ヴィヴィアンの亡くなった後、再婚したエリオットの晩年は幸福だったようだ。

 

エリオット自身の朗読の録音もあるのだけれど、彼の『灰の水曜日』を俳優のジェレミー・アイアンズが朗読した録音があったので紹介しておきます。彼の詩を英語で聴いてみたいという人はどうぞ、いささか音楽の音が大きいのが難だけれど原詩の美しさがよく分かる。

 

このブログも100話を超えるくらいから少し変化をもたせようかと考えてきたのですが、外部の評価も良くないこともあって、来年2019年から本の紹介に特化するのをやめてエッセイ風のものも混ぜて幅を広げたいと思っています。今、一話が平均8000字くらいの量ですが、もっと短いもののほうが読みやすいのではないかと思ったりしています。勿論、面白い本があればご紹介も怠りません。これからもどうぞごひいきに。

 

 

 

 

 

 

 

 

その他の参考図書

アメリカ文学作家論選集 
『エドガー・アラン・ポー』
エリオットの他、D.H.・ロレンス、W.H.・オーデン、アレン・テートらの「ポー論」が集められている。

ピーター・アクロイド
『T.S.エリオット』
伝記として充実している。

西脇順三郎 新英米文学評伝叢書『T.S.エリオット』

2018年11月16日 | カテゴリー : Blog | タグ : | 投稿者 : 植田信隆