「アフロディテの系譜」エロスとタナトスの間

七月二十一日、思うことありて偶(たまた)ま題す

もやに包まれておぼろ月のもと、明け方の花の顔は露に泣きぬれ、柳に眠る夜のうぐいすは、その枝の冷たさに、まどかな夢を結びかねている。
いま起き上がったその石の枕に「恋しや」と刻まれた文字がある。むせるようなこの香り、それはあのベットを包むほのかな帷の中から漂ってくるのだ。
女が示すまっすぐな気持ち――その真実さは、ちょうど静かにたたえた水のようだ。そのかわいい顔がほころびて、それ、ポッと紅がさしてきた。
ともしびを背にして、汗にぬれた着物を脱ぎかえ、いとしい方に頼んで枕べから耳かざりを取って来てもらう。
別れの涙は、蘭の匂うしとねにも浸みるばかりにしとどなのに、愛し合うということが、蝉の羽にも似てはかないものであろうとは――
銀のひばしで、香炉の灰を掻きならしつつ、彼女は「幾久しく」と書きつけている。思えばそれは、幾層にも高く灯籠をかかげめぐらした楼館だった。その赤い欄干は、町の大通りから真向かいに仰ぎみられた。
だが今、かつてのあの歓楽の場所は、見ればただ草おいしげる高い塚があるだけ。ふと楓の根もとから亡霊の声が聞こえてくる。その淮楚のなまりには聞きおぼえがある。
おお、おんみ、おどろおどろしい女の魂よ、いまどこの山の雨となって降っているのか。
(入江義高 訳)

サンドロ・ボッティチェリ(1445-1510)
『ヴィーナスの誕生』部分 1484-1486

今回はちょっと艶(つや)な詩からはじまるのだけれど、終りのほうはなんだか卒塔婆小町ぽくてなかなか良いと思う。明代の袁宏道(えん こうどう)の詩の翻訳だ。この対比は、バタイユではないけれどエロスとタナトスと言えば定番すぎるだろうか。ディディ=ユベルマンが、その著書の中でヴィーナスの負の部分を切り開いていくのだが、裸体が欲望ばかりでなく残酷さと共鳴することについて、ボッティチェリの描いた『ナスタージョ・デリ・オネスティの物語』に描かれた臓器の抉り出しに言及し、バタイユを引き、あまつさえ18世紀のマルキ・ド・サドが書いた『イタリア紀行』に振っておいて、その著書『悪徳の栄え』のジュリエットの言葉を引く。いささか粘液質で力技だが、この結合の業は驚くべきものである。しかし、これ以上書くと脇道にそれそうなのでここで止めておく。

今回は中国の話ではなくて、美術史家ディディ=ユベルマンに刺激されて西アジアからギリシア・ローマへと話は飛びます。主人公は、ヴィーナス、つまりアフロディテ。その系譜を追ってみたいと思っている。

アフロディテの誕生

愛欲に満ちた大いなる天・ウラノスが夜を率いて大地・ガイアの全身を覆いその上に横たわる。待ち伏せしていた息子のクロノスは右手に握ったぎらぎらと光る大鎌で、父親の男根を一気に切り落とすと、それは限りない海原へと落ちていった。と、漂流していくうちに、その周囲から白い泡が湧きだし、中から一人の乙女が生まれたのである。ヘシオドスの神統記にはアフロディテの出自がうねるようなパトス(情念)の中に描かれていた。

一方、ホメロスのアフロディテ賛歌では、こう詠われている。

‥‥
女神は海に囲まれたキュプロス全島に聳える城塞を、その領邑として知ろしめす。
吹き渡る西風(ゼフィロス)の湿り気帯びた力が、
やわらかな水泡(みなわ)に女神をそっと包んで、
高鳴り轟く海の波間をわたって、この地に運び来た。
黄金の髪飾りしたホーラーたちが女神を喜び迎え、
神々のまとい賜う衣装を着せ、不死なる頭には、
美しい、黄金造りの見事な細工した冠を載せ、
穴穿った耳たぶには、真鍮と高価な黄金の花形の飾りをつけた。
柔らかなうなじと銀のごとく白く輝く胸を、黄金の首飾りで飾った。
‥‥
(『賛歌第六歌』沓掛良彦 訳)

アフロディテの岩 キプロス島 パフォス

アフロディテはキュプロス(現キプロス)島に上陸したのである。キュプロス島のパフォスには古代世界において最も有名な神殿の一つであるアフロディテ神殿があった。フェニキアのアスカロンから移住してきた人々によって建造された神殿だった。キュプロスの祭儀は近隣の小アジアの影響を受けていることを考えるとフェニキアの女神アスタルテの祭祀が取り入れられていた可能性は高い。

ここでは、バビロニアやアファカのように「神殿売春」が行われていたとJ.G.フレイザーは述べている。未婚の女性が神殿を訪れる男性に幾らかの代価で身を任せるしきたりがあった。それはキュプロス王のキ二ュラスによって創始されたと伝えられる。性愛と豊饒の女神アフロディテはそのキ二ュラスの美しさに惚れこんで求愛したという。その母であったパポスは自らが象牙で造ったガラテアと恋に落ちたピュグマリオンとの間に生まれた娘であった。ピュグマリオンの願いを叶え、彫刻のガラテアに命を与えたのはアフロディテだ。そして、キ二ュラスと実の娘との間にできた息子がアドニスであり、彼もまたアフロディテが愛する若者となる。キュプロスの地とその王キニュラスがいかにアフロディテと深い関わりを持つかを物語る。

 


古代の結婚制度は自由婚制から母権制を経て父権制のもとでの結婚制度へと舵をきった。その間には多くの諸段階があったといわれる。文化人類学・法学者だったバッハオーフェンは自由婚制をアフロディテに象徴させていた。性愛の神である。しかし、ある段階でこの性愛の神と母権制の象徴である地母神としてのデメテル的要素は混ざり合っていったのである。


 

乱婚制の象徴としてのアフロディテ

デメテル 国立ローマ博物館

古代の婚姻制に関する研究が進むにつれ、アフロディテ的な自由婚(乱婚)制から純粋なアポロン的父権制へと至る婚姻制度には諸々の段階があることがわかる。その一つは狂女のようなマイナスらに取り囲まれた酩酊させるファロスたるディオニソスに象徴される社会であり、あるいは男を奴隷的立場に追いやり、男の子であれば手足をなえさせ、女の子であれば右の乳房を焼いたというアマゾン的社会の制度である。婚姻を知らない母性の表象である野性の湿地植物という表象段階から永遠の若さを保つ父性というウラノス的天空世界の調和やアポロン的光輝という段階に至るとバッハオーフェンは述べている(『母権論』)。女性が肉体的に浪費されるという立場から逃れ、男性に伍するためには、嫁資という武器が必要だった。こうして娘だけに相続権が与えられるようになる。乱婚や売春という自由な性交渉を根絶するためには、このようなデメテル的原理と呼ばれる母権支配による社会制度が求められた。

祭祀における最も優位な天体の性、あるいは月崇拝が盛んな地域におけるその性によってその地で男性支配あるいは、女性支配のいずれが行われていたかを知ることができる。バッハオーフェンにとって神話は時代の生の現実を忠実に映し出す鏡であったのだ。神秘は全ての宗教の真の本質であり、女性が祭祀と日常世界の領域で指導的地位にある所では深い内的な敬虔さがあったという。地上における生と死との限りない交替は女性の内に、高次の再生を前提とする高い希望を呼びおこすとバッハオーフェンはいう。それが「秘儀の新たな獲得」であり、デメテルとその娘ペルセポネー信仰のように大地と豊饒と地下世界に関連していくのである。

 


ギルガメシュ叙事詩で知られる女神イシュタルはシュメールの女神イナンナの系譜を引いていてプリュギアではキュベレ、エジプトではイシス、フェニキアではアスタルテと呼ばれた。ギリシアのアフロディテは、この流れを汲む。豊饒神としての性格とともに、パートナーとして冥界と地上を往還する男神との関係が注目される。


 

愛と豊饒の女神イナンナ・イシュタル・キュベレ・アスタルテ

バビロンのイシュタル(夜の女王)
BC1800-1750

シュメールの豊饒の女神である大地母神イナンナは「全てのものを生み出す子宮、生けるものたちとともに 聖なる住まいに住みませるもの、生みの親、心に慈悲満てるもの、その手に全ての地の生命を保持しませるもの」と詠われた。イナンナの祭りは植物の神格であるドゥムジ神との祭儀であり、聖婚によって一年の半分の期間に生命を生み出し、その半分は地下に降る男神であった。アッカド人の間ではイシュタルとタンムズとなる。

メソポタミア神話においてギルガメッシュは、シュメールの都市ウルクの実在の王であったと言われている。神のごとき強力な王であったが、暴君でもあり、都の乙女たちはこの王に初夜権を握られていた。その英雄の姿にウルクの守護神イシュタルはぞっこんとなって、ギルガメシュに言い寄るが、女神の気の多さと思慮のなさを言い募りすげなく振ってしまうのである。

イシュタルは金星の女神であり、宵の明星としての女性的側面と明けの明星としての男性的・破壊的側面があるといわれる。因みにギルガメシュ叙事詩では、月は男神シンである。タンムズはイシュタルの夫、あるいは若い頃の恋人であり、弟という説もある。その祭礼のことはT.S.エリオット part1 『荒地』 リシュヤシュリンガ・聖杯・アングロカトリックに少し書いておいた。イシュタルの冥界降りとは、亡くなったタンムズをつれもどすために自分の姉である冥界の女王エレシュキガルのもとに行くために七つの門を通過し、再び地上に戻る話である。イシュタルは、アッカド語の呼び名で愛と逸楽の神であったが、同時に豊饒の女神でもあった。

エーゲ海沿岸地域

現アナトリア半島周辺のプリュギアではイシュタルにあたる女神は二頭の獅子を引き連れ、あるいは獅子の引く車にのる姿で表されるキュベレである。この女神はリュディア王の娘でキュベレ山に捨てられ、この名がある。この女神が愛したアッティスは植物の死と復活を司る。その魂は松の木に宿り、血からは菫が咲きでたとされる。このアッティスがギリシアではアドニスとなるのである。

アドニスの生誕

例のキュプロス王キニュラスとその娘ミュラとの間に生まれた子供がアドニスだった。王女はあまりに美しかったために家の者がミュラはアフロディテより美しいと自慢し、女神の恨みをかった。ミュラは父親を愛するように仕向けられ父を騙して床を共にするが、それが発覚するや父に殺されかける。この神話が成立した社会には、近親相姦のタヴーがあったことになる。憐れんだ神々によって没薬の木であるミルラに姿を変えられる。その木が裂けて生まれたのアドニスだった。成長した彼はアフロディテと冥界の女王ペルセポネーとの取り合いとなり一年の三分の一を冥界で三分の二をアフロディテと共に過ごすようになるのだが、やがて、狩りの途中に猪に突かれて死んでしまう。

アントニオ・コッラドーニ 『アドニス』 1723頃 メトロポリタン美術館

このアドニスという言葉は、おそらくフェニキア語で「わが主」を意味し、「アド二」「アドナイ」がなまったものであり、かつてタンムズを冥界から呼び戻すために女たちが発した言葉だと言われている。アドニスが亡くなった後には赤いアネモネの花が咲いたというが、タンムズ信仰の盛んだったレバノンでは春先に山から洗い流された赤土が河を赤く染め、赤いアネモネが咲き乱れるところから生じた神話ではないかという人もいる。

ここに登場する女神たちは、いずれも地母神的性格を付与されていながら男性神格をパートナーにしなければ豊饒神としての性格を全うできない。性愛の女神アフロディテに見られるエロスとタナトスという対比は、地母神としての生(豊饒)と死という対比となっていて物質を支配する女神としての性格が際立ち始めるのである。物質の暗黒面が死である。

 


ユッピテルによってトロイアの若者アンキセスを愛するように仕向けられたアフロディテはローマ建国の勇将アエネアスの母となり、アエネアスの英雄伝説とともにローマ神話の中に流れ込んでウェヌスとなった。やがて、中世世界を伏流してルネサンスに再び花開くことになる。


 

ローマのウェヌスへ

ホメロスは『緒神賛歌』の中で続けてこう書いた。「男神たちを死すべき身の人間の女たちと交わらせ、女たちは不死なる神々のために死すべき身の息子たちを産んだなどと神々のいならぶ中で(アフロディテが)自慢して言うことのないように」とユッピテルは、女神にイダの森で牛を放していたトロイア人のアンキセスへ甘い恋心を抱かせるよう差し向けたと。

この二人の間に生まれた子供がアエネアスであった。アエネアスについては小川正廣『ウェルギリウス研究 ローマ詩人の創造』ホメロスとウェルギリウスに詳しく書いておいたのでここでは繰り返さない。ホメロスが活躍していた紀元前8世紀から200年後には英雄アエネアスが地中海を放浪してイタリアにたどり着きローマ建国の礎を築いたという伝説が生まれている。この過程でアフロディテは航行の安全を守る海神としての性格を併せ持つようになる。

帝政初期の地理学者ストラボン(前63-23)の記録ではアエネアスはイタリア到着後ラウィニウム(ローマの故地)にアフロディテの神殿を造った。3世紀のローマの博物学者ソリヌスはアエネアスがラウィニウムの野に陣営を築いた時、シキリアから携えてきた立像を「フルティス」と呼ばれる母神ウェヌスに捧げたと書いている。「フルティス」はアフロディテのエトルリア語の変形であるとされる。エトルリア版アフロディテがこの地で崇拝されていたことは、アエネアス伝説の受容にこの文化が大きな役割を果たしたことの証しとなる。このフルティス=アフロディテが女神ウェヌスとなるのである。その女神は天の神々の心を和らげ、その好意を人間に結びつける神秘的な力を持つとされた。ウェヌスの語源は「人間が呪術的行為において用いる霊妙な力」である venus という宗教的言語であったようだ。ホイジンガが言うように抽象的な働きや性格を神格化するのはローマ人の特性なのだろう。その神格化された働きであるウェヌスは本来「神々の好意を引き寄せる神」なのであった。

ニコラ・クストゥ『ガイウス・ユリウス・カエサル』 ルーブル美術館

ローマ建国の祖アエネアスがウェヌスの子であった事とこの国でウェヌス信仰が盛んになることとは当然無関係ではない。もうひとつウェヌス信仰に重要だったことがある。最高権力を目指す政治家にとって、この女神への信仰と子孫に関する伝説が国家の統一にとって不可欠と思われていたことである。ユリウス・カエサルは、わが一門の本家ユリウス家はウェヌスの血統であると自らの演説で強調したという。自分がトロイア人の血をひくことを強調したのである。彼は、自分とアエネアスとの神話的血縁関係をローマ国民と国家的な宗教との関係にまで拡大しようとした。これによってウェヌスはローマの国家宗教の中でこれまでにない高い位置を持つようになったと言われる。強固な父権制の布かれたローマだったが、ここにウェヌス=アフロディテに象徴される母権の復権がなされるのである。いつの時代にも父権制と母権制の闘争は見られるのだろう。こうして、ユリウス家の守護神は再びローマ人=アエネアスの子孫全体の母神となった。カエサルの養子で初代皇帝となったアウグストゥスは父の宗教的遺産を最大限に生かそうとした。この頃、ウェルギリウスが詠った『アエネイス』は過去へのノスタルジアではなく、その時代の風潮を反映していたのである。しかし、やがてキリスト教の時代がやってくる。

 


ルネサンス以降も、愛情運の星として占星術に、そして、結合術・親和力、あるいは金属の銅として錬金術に登場するアフロディテ=ウェヌスではあるが、19世紀以降になるとその姿はネガティブな表象に変化し、母神的要素は消えかかっていく。何故だろうか。最後は記号化される裸体としてのウェヌス=ヴィーナスを概観してみたい。


 

記号化される裸体

中世の時代にはギリシアやローマの異教の神々は当然、信仰の対象とはなり得なかった。しかし、図像や物語には登場してくる。その晴れやかな復権はイタリア・ルネサンスを待たなければならない。その頃の最も重要なイメージはボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』であろう。ヴィーナスはウェヌスの英語読みである。僕が追いたいのは19世紀以降におけるヴィーナスの行方だ。その頃、フランスを中心としたヨーロッパ文化の中に際立って現われる女性たちは、ボードレールなどのデカダンス文学やマネやクリムトの絵画に現われる娼婦たち、男を破滅させるファム・ファタールであったりする。つまり、ネガティブなアフロディテ的側面である。象徴主義が代表するこの頃の時代的風潮については『エゴン・シーレ』part1 ジェスチャーする絵画に書いておいた。母のポジティブなイメージは聖母に吸収されたのかもしれない。もっと謎なのは20世紀以降のヴィーナスの行方だ。これを考えてみることは興味深い。アフロディテの古代からの流れを考えれば、銀幕の美女やプロモーション映像の女性アイドルたちはヴィーナスと言えるのか。ウーマン・リブやフェミニズムの波は母権というより女権の権利獲得の試みであったかもしれない。ジェンダー論も盛んだった。しかし、次の観点から性愛のアフロディテ=ウェヌスを眺めてみたい。

フェリシアン・ロプス『ポルノクラート』1878

象徴交換的視野から歴史的・構造的描写を展開するジャン・ボードリヤールが、衣服や化粧などのモードは性欲を無化すると書いているのは新鮮だった(『象徴交換と死』)。念入りに化粧された映像の女性たちは触れることのできない表象である。モードのレベルで作用しているのは自然の性欲ではなく変質した性欲であり、服装は儀式的な性格を失った記号となる。その儀式的な性格は18世紀までは維持されていた。モードが一般性を獲得して記号化される時、肉体はその性的な魅力を失ってマヌカンになってしまうと言うのだ。

同じように女性の裸体が性産業の中でメディア化された欲望と化す時、そのようなイメージは複製化され反復され、増殖し続ける。その表象を担うのは、現実の裸体ではなく、仮想の現実=商品でありながら人間を取り巻く別の現実となるのである。ここでは、現実の裸体は、裸体の摸造、つまり象徴的な記号に交換される。この商品=イメージに組み込まれたメッセージは消費者の体と脳をマッサージし続けるというわけだ。どんな時代よりも性欲のはるかに巧妙で根源的な抑圧とコントロールが行われ、前代未聞のシュミラークル(摸造)の生成が成し遂げられようとしている今、腐敗と死によって世界のあらゆる物質を次々に循環させてきた生命のプロセスは、仮想の現実の増殖によって中断されようとするかのようだ。何故なら完全な複製の可能性は、死のイメージを排除しようとするからである。今日では豊饒という問題に死の排除という答えが与えられようとしている。死がなければ裸体の残酷さもなく、タナトスが失われれば、真のエロスもない。この流れに対抗しうるものは何なのか。

僕が思っている神話を一つご紹介して終わろう。結合力・親和力としてのアフロディテから派生したもう一つの神話である。「記号内容と記号表現の区別は、男と女の差異と同じように今や廃絶されようとしている」とボードリヤールは述べているが、今はジェンダーの問題は置いておいてほしい。何故、この神話が、記号の王国である摸造の世界、浮動する諸価値に対抗しうる契機となるのか、是非考えてみていただきたいのである。

『ヘルマフロディトス』 ルーブル美術館
前2世紀のヘレニズム期の作品のコピー

ある絶世の美少年が故郷のイダ山を出て、リュキアに近いカリアの街近くまで来ると、そこに澄んだ池を初めて見た。その池には所在なくも呑気に暮らす水の精サルマキスが住んでいた。その美しさを見た水の精は恍惚となって彼に迫った。少年は赤く染まった象牙のように白銀の顔を赤らめながらすげなく彼女を追いかえすと透明なガラスの箱にいれられた白百合のような姿を水の中に煌めかせた。
水の精は、ここぞとばかり水に飛び込み必死に逆らう相手を四方に伸ばした触手で絡みつくヒドラのように捕まえ無理強いに接吻を奪うと強引に胸に触った。少年は待望の喜びをニンフに与えまいと頑張り抜く。と、水の精はいつまでも私からこの人を引き離さないでと神々に祈った。願いは聞き入れられ、二人は抱き合ったまま合体し男でもあり女でもある複合体となったのである。その少年とは、父をヘルメス、母をアフロディテとするヘルマフロディトスであった。