Anima-l and Another human being 「 アニマ‐ルと分身」

Image and the Art of Combination 
「表象と結合術」より
Anima-l
 




Op.2   2013-14 73㎝×91㎝



Op.1   2013-14 91㎝×73㎝



Op.5   2013-14   117cm×91cm



Op.4   2013 – 14  53cm×45.5cm









Op.8   2013 – 2014  194cm×392cm


Another human being / 分身





Op.1   2015   73㎝×91㎝



Op.2   2016   91㎝×73㎝









Op.4   2015-16    194cm×392cm



*Op.5     2015 – 16   73cm×51.5cm



*Op.6     2015 – 16 73cm×51.5cm


Production materials
制作素材

Japanese paper on cotton
* Paper on Panel  

基底材   綿カンヴァスに和紙 アクリル下地    
*パネルに紙 アクリル下地

Original paint (made from resin,oil and beewax),Oil, Acryl
絵の具   オリジナル絵の具(天然樹脂、油、蜜蝋)、油彩




Anima-l について

アリストテレスの著書『魂について』(西洋古典叢書)、この書で使われている「魂」と訳された言葉は、ギリシア語の「プシュケー」である。現代では「心」や「精神」を表わすとされている。この著作の訳者である中畑正志氏の解説によれば、この語はホメロスなどの作品において、死とともに人の肢体を去ってゆく霊(たま)であり、冥界においては人の影のような亡霊的存在であったという。人間の心の働きや精神状態との直接の関連は見当たらない。やがて、ヘラクレイトスなどによって一種、知的働きをする言葉として使われようになり、ギリシア悲劇などにおいて、意識や感情の座を表わす言葉に変遷していったようである。一方、医術や経験科学などの分野で魂を身体や物体との関係で理解しようとする動きも現われるようになってくるという。

魂と身体は、アリストテレスにとって一つながりのものであった。魂の定義として、「可能的に生命をを持つ自然的物体の形相としての実体」、「可能的に生命を持つ自然的物体の第一次的な現実態」「器官をそなえた自然的物体の第一次的形態」としている。もう一つの定義としては、「魂を持つもの全ては〈生きている〉のであり、これが原点である。栄養摂取、運動、感覚(知覚)、思考などの在り方のうちのどれかの活動の原理、ないし能力」を挙げている。後に、デカルトによって魂と身体は切り離され、今では極めて評判の悪い心身二元論の隆盛となったが、フランツ・ブレンターノによって〈志向性〉というタームがクローズアップされるに及んで、「何かに向けられる」や「何かについて」という方向性を魂が持つことが知られるようになる。それは、何らかの対象や事象へ向けられているという心の特徴である。それをアリストテレスの魂論に見い出したのである。デカルト以降の心の哲学はアリストテレスと理論的な繋がりを再び持ち始めているという。

魂は、人間においても重要な概念であることは言うまでもないが、植物や動物の生命活動の原理でもある。アリストテレスは、「形」の規定が四角形の内に三角形を含むように感覚する能力の内には、栄養摂取の能力があり、より基層的なものが上位のものに含まれるとした。つまりホロンのような関係になっている考えていたのではないかというのである。従って植物の魂や獣の魂も各々個別に検討されるべきであるという。それらの諸能力を成立させる説明規定こそが魂についての本来的な規定であると考えられるのである。

魂の探求は古来、〈動〉と〈感覚〉することの二つに集約されてきた。デモクリトスのような原子論者にとって「全種子集合体」の球状のものが魂であり、自身も動きながら他のものも動かすことができると考えた。これに対してエムペドクレスは、魂を動かす能力というより認識や感覚するものとしての考えた。魂とはものごとの始原であり、それは全ての基本要素である地・水・火・風から成り、その基本要素もそれぞれが魂であるとした。プラトンにとっても魂は基本要素から成り立っており、似たものは似たものによって知られ、各事物は諸々の始源から構成されているから、諸事物を知る魂も基本要素から構成されているという訳である。およそ、古来からの多くの説を集約すれば、魂の特質は動・感覚・不死性と言えるようだ。

もともと、ギリシア語のプシュケーのラテン語訳がアニマであった。今では、魂という語にカール・グスタフ・ユングの〈アニマ〉や〈アニムス〉が使われるケースが多いように思うが、今回の僕の作品のテーマはあくまで動物のアニマに絞っている。動物園に行って色々な動物たちの写真を撮って、そのデジタル化したイメージにカオス的なイメージと結合したものである。面白いのは、その隠されている動物のイメージを子供たちは簡単に見つけてしまうことだった。小さな子たちの感性は鋭い。

2018年 4月


分身(Another human being)について


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世紀の放浪する医師パラケルスス(1493-1541)は、『長寿論』の終盤に四つのスカイオラエという不思議な言葉を残した。同時代のマルティン・ルランドゥスは、その言葉について『錬金術事典』の中でこう述べている。エリアを天に連れ去った火の車の四つの車輪であり、〈空想〉〈想像〉〈推測する能力〉などの用語に属していて、特別な意味として洗礼、キリストへの信仰、晩餐の秘蹟、隣人愛という信仰の果実をも意味するという。心理学者のカール・グスタフ・ユングは、四大が一つの全体を表現している四位一体的な組織であるように、それはアニムスの一体性のことだと述べた(『パラケルスス論』榎木真吉 訳)。この四つのスカイオラエが一体化したものがアニムスであり、〈意識〉という現代的な概念に言い換えてよいという。アニムスは、女性の無意識人格にある男性的側面を指す言葉である。この意識の相は〈勘〉〈感覚〉〈思考〉〈感情〉〈思考〉であるとユングは言うのである。〈想像力〉〈感覚〉〈感情〉〈理性〉と置き換えることもできるのではないか。それは死すべきものであるが、元型としてのそれは不可死であるとしている。

ウィリアム・ブレイク(1757-1827)の三大預言書・神話のうち最初に書かれたのは『四人のゾア』で、未完に終わっている。続けて『ミルトン』『エルサレム』が書かれた。ゾアはギリシア語の動物を意味する言葉の複数形で、堕落した人間を意味した。主人公アルビオンは、人祖アダムに匹敵する存在でありイギリスの古名である。この人祖アルビオンから、その四つの心的能力である想像力、理性、感情、感覚に対応する男性性がアーソナ、サーマス、ルヴァ、ユリゼンとして分離される。この四人に対応する女性性としてエニサーモン、アハニア、ヴァラ、エニオンが分離された。分離は堕落を意味していた。アーソナとルヴァは再度分離し、分離後の堕落した世界では、それぞれロスとオークと呼ばれることになる。ブレイクがカバラやベーメの思想と同じようにパラケルススに大きな影響を受けたこと。そして、パラケルススがブレイクと同じようにいくつかの「預言書」を書いていることを考えあわせると、このスカイオラエとアルビオンの四つの特性は、同じ四位一体性を持つ組織として重ねあわせることが出来るのではないだろうか。この四位一体性の原理は、ブレイクの預言書の中に似た表現として「四つの川〈楽園〉」、「四つの市門〈永遠の都〉」あるいは「〈メトロポリス〉」と表現されている。



ウィリアム・ブレイク『ミルトン』第36面




『ミルトン』第36面 登場するゾアたちの名称と配置





参考までに パラケルススに影響を受け、ブレイクに影響を与えたヤコブ・ベーメの著書『シグナトゥーラ・レールム』における第三プリンキピウム(原理)について述べておきたい。(岡部雄三『ヤコブ・ベーメの神秘思想』から要約した)

永遠の自然における7つの欲望のうち、第一のものは個体化するサル(塩)、第二のものは逃亡するメルクリウス(水銀)、第三のものは燃焼させる火であるスルフル(硫黄)であった。これが第一の三性である。第四は爆発する火薬の硝石であるサルニタであり、そこを分水嶺として第二の三性が生じる。第五は愛に染めあげるティンクトゥーラ(賢者の石)、第六は神の子ロゴス、第七は神の知恵ソフィアである。第一の三性は「闇の心意」、父なる神あるいは第一プリンキピウム、第二の三性は「光の心意」、光の子キリストあるいは第二プリンキピウムと呼ばれる。
第一プリンキピウムは創造する不安と焦燥の死が支配する世界であり、無の神性への意志が未知の光を「イマギナチオ」する時、「神の聖なる自然」は青々と成長するという。この時、ルチフェルは第一プリンキピウムに立て籠もり自らの尾を噛む魔王としてそこを地獄と化した。永遠界における悪の成立の衝撃によって、第三のプリンキピウムである現宇宙が、二つのプリンキピウムを雛形としてその中から外へ生み出される。 



ブレイクの預言書における人間の心的特性と人祖アルビオンの分身たち

人間の四つの心的特性 アルビオンから分離された男性性  再度の分裂後の名  それぞれの男性性から分離した女性性 対応する四大  対応する方位
 想像力  アーソナ  ロス  エニサーモン  地  北
 感覚  サーマス    エニオン  水  西
 感情  ルヴァ  オーク  ヴァラ  火  東
 理性  ユリゼン    アハニア  風  南


ブレイクは『エルサレム』のサブタイトルを「巨人アルビオンの流出」としている。それによって預言書の基本的な構想が新プラトン主義の「一者からの流出」、あるいは、カバラにおける「創造神エイン・ソフからの聖性の10段階にわたる流出」に基づいていると推測できる。被造界の全ては、ある一者から流出したと考える思想である。そのギリシアの新プラトン主義の哲学者プロクロス(412-485)は、「全ての〈部分的な魂〉の〈神的な魂〉に対する関係は、その魂の乗り物(オケーマ)と神的な魂の乗り物に対する関係に等しい(『神学綱要』)」としている。そして、「全ての〈部分的な魂の乗り物〉は、素材的(物質的)な度合いの強い衣服をまとうことによって降下し、素材を持つもの全てを捨て、自己に固有の形(エイドス)を取り戻すことによって、魂とともに帰還する」と述べている。魂の乗り物が生成に向って降下する時は、魂の堕落を表わし、より物質的なものを捨てて上昇もするという。



『ユリゼンの第一の書』ロスから分離するエニサーモン

大熊昭信の『ウィリアム・ブレイク研究』によれば、プロクロスは人間が三種類の霊の衣服をまとっていると考えていた。人間は死ぬと肉体を脱ぎ、天界とこの世の間の霊界に低次の霊的体である幽体を脱ぎ、より高次の霊的体である輝体をまとったままで天界に回帰する。中間的霊界に残された霊の衣服がデーモン(幽鬼)の類となってこの世に現われるのだというのである。霊魂、オケーマ、幽体、肉体という層構造が考えられている。大まかだが、神智学の分類に近い。オケーマはパラケルススの言う星の体(アストラル体)、あるいは魂の車と呼ばれるものと同じであろうといわれる。この『エルサレム』では、人祖アルビオンはヒューマニティ、エメネイション、スペクター、シャドウの四段階に流出・分離する。直訳すれば、それぞれ〈人間性〉〈流出〉〈亡霊〉〈影〉となる。〈人間性〉は霊魂にあたるだろう。〈流出〉は輝体であり比較的高次の存在であり、〈亡霊〉と〈影〉はより低次の存在であり、〈影〉は古代ギリシアの宗教観にみられる冥界における人間の姿を思いださせる。『エルサレム』では、アルビオンが天界を降下する時、輝体である女性性エルサレムを一つ下の霊界であるべウラに残し、その幽体をまとって死の世界である最下層のウルロに降下する。ところが、霊魂が脱した輝体なり幽体なりが、もう一度それぞれ独立した霊的な存在として同じように分裂を繰り返して、天界を下り、この世に降下したりするのだ。このような、いわば、分霊の例は、それほど珍しくないかもしれないのである。

日本にも古くは、分霊の例は多く、留守宅の妻や女性が、旅する愛する者のために自らの魂を彼等に分けてつけた。それが、万葉の「妹の結びし紐」という慣用句になる。魂結びの紐の緒のことである。その魂の来りて触れて一つになることが「たまふり」の原義だという。その魂の離合は極めて自由なものであったし、分離した魂がめいめいある姿を持つこともある考えられていたというのである(折口信夫『小栗外伝』)。なかなか興味深い話である。また、ピュタゴラスの影響を受けたオウィディウスは、ブレイクが愛した『変身物語』の中でこのように述べている。「万物は流転するが、何ひとつとして滅びはしない。魂は、さまよい、こちらからあちらへ、あちらからこちらへと移動して、気にいった体に住みつく。獣から人間のからだへ、われわれ人間から獣へと移り、けっして滅びはしないのだ(中村善也 訳)。」輪廻転生については今はおくとして、魂が自由に他者に移るという考えは古い時代にはあったようだ。自然神を奉ずる世界では神が複数であったように、魂も複数になりうると考えられた。


今回のタイトルである分身(Another human being)は、こういった分離と流出という分霊のテーマから導き出されている。人間のイメージをデジタル化して手描きしたものにカオス的なイメージを重ねているが、おそらく写真からのイメージを結合する作品は、これが最後のシリーズになるのではないかと思っている。


2018年5月

 





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