Implicating Rheo Movement 「織り込まれる流れる運動」

Non-Linear Modern 
「非線形性モダン」より






Op.25*  1999  73cm×51.5cm









Op.10  1999  227cm×364cm








Op.11  1999  227cm×182cm







Op.27*   2000  73cm×51.5cm








Op.26*   2000  73cm×51.5cm








Op.15*  1999  73cm×51.5cm










Op.16*  1999  73cm×51.5cm



Op.12*  1999  117cm×117cm



■ Production materials
制作素材

Japanese paper on cotton
* Paper on Panel  

基底材   綿カンヴァスに和紙 アクリル下地    
      *パネルに紙 アクリル下地
Original paint (made from resin,oil and beewax),Oil, Acryl
絵の具   オリジナル絵の具(天然樹脂、油、蜜蝋)、油彩



世界は渦の中に記憶されるのか?

デヴィッド・ボームの全体流動と宇宙の記憶


  
 デヴィッド・ボームのこと知ったのは、心理学者のケン・ウィルバーが編集した「空象としての世界」を読んだのがきっかけだったと思う。ウィルバーには、「進化の構造」(春秋社)という著書があって、ポスト・モダンを徹底的に批判しているのを面白く読んだものだった。デヴィッド・ボームは、アインシュタインとも共同研究をしたことのある著名な物理学者である。当然ながら20世紀の物理学者なら誰でもそうだったようにアインシュタインには強い影響を受けた。どの部分に強く反応したかというと世界は分割できないという考え方にだった。
 量子を観察しようとすると実験装置の影響によって観察結果が左右されるという事態が起きる。だから、実験条件と観察対象は一つのパターンの異なる二つの側面であって、分割して考える事に意味がない。これは、不確定性原理が知らしめる通りである。アインシュタインのいうように、場を観測する装置は、その場の中に存在し、、それと分離して考える事は不可能なのだとボームは、強調する。煎じつめて言えば、見るものと見られるものを別個に考えるのは、意味がないと言っている。なんだか、禅みたいだが、禅の場合は、場という足がかりさえ取り払われるからもっとラディカルだ。場が重要だとする考え方は、1970年代を過ぎるころから結構登場しはじめてくるのである。この頃から、自己組織化だとか複雑系だとか全体を勘定に入れないとものごとはよく分からないのだ主張する人たちが注目されるようになる。一般に非線形性科学とよばれるジャンルである。これに関連した事柄については、「風を蒔いて旋風を刈る」で述べている。日本でも場について注目が集まるようになってきた。非線形性の研究を続けてきた清水博(しみず ひろし)さんのホロヴィジョンというのもその一つだろう。場の中で対象と観察者を分離することが不可能なら、わざわざ原子などという部品を設定するのは、話をややこしくするだけであまり意味がないということになった。それで、ボームは、原子核のモデルを捨ててそれにかわる全体流動というモデルで説明しようとする。すべては、繋がりながら全体として流動しているというわけなのである。
 そのモデルとして、大小二つのガラスのシリンダーに挟まれた理想的な粘液の中に落とされたインクを考えている(図版1)。このインクは、私達の世界に起きる一つ一つの事象だと考えてほしい。このインクは、内側のシリンダーを回転させることによって粘液の中で途切れることなく引き伸ばされて、眼に見ることの出来ない細い土星の輪のような形になる。他のインクをそのシリンダーの間に落としてまた回転させる。そのように繰り返していくと全体流動をイメージすることができる。諸縁、変じて渦となるというわけであるが、この渦には、乱れがない。そして、その内側のシリンダーを逆に回転するとこんどは、最初のインクの姿が見えてくるということになる。


図版1 クエット・テイラーシステムによる渦


図版2 乱れた渦

 脳生理学者のカール・プリブラムは、このボームの考え方を下敷きにして、脳の記憶に関するユニークな仮説を立てた。記憶は、脳の一部が破壊されても不完全ながらも保っていられる。このような記憶のあり方は、ホログラフィーと同じような構造になっているのではないかと考えた。この宇宙全体にひろがるホログラフが記憶の場ではないのか。脳の記憶は、このボームのいう全体流動のようなものに保存されていて、必要によって披きだされるのではないかと仮定したわけである。ボームのいう内蔵秩序あるいは、暗在系と呼ばれる状態から顕前秩序とか明在系とか呼ばれる状態への移行を脳の記憶のメカニズムに結びつけたのである。しかし暗在系というとなんだか阿頼耶識とか虚空蔵を連想してしまう私なのである。その場との関連で、ちょっと思い出すのは、清水博さんのホロヴィジョン仮説だ。例えば、脳は、視覚神経などから外界の情報を電気信号として、素情報として受け取る。そのいわば下からの情報が、意味あるものとして認識されるためには、神経細胞群による動的なネットワークが自己組織化されて、特定の意味が情報の地の中から図として創出される必要がある。そこには、可能性のある意味の中からふさわしいものが選び出されるような拘束条件、つまり場が必要だという。感覚器官から送られてくる情報から特定の意味を見つけることが、脳にとっての解ならば、その解を絞る役割をするものが場なのである。つまり、相撲をとるための土俵が用意されなければならない。同時にその場に向かってすでに記憶として蓄積されてきたいわば上からの情報も導入されて参照される必要がある。相撲の勝ち負けを判断するためには相撲のルールを知らなければならない。その場の中では、素情報と先行理解としての記憶がフィードバックループを作っているというのである。ここにも場が登場する。詳しくは、「生命と場所」(NTT出版)を御覧いただきたい。
 ガイアシンフォニーというオムニバス形式によるドキュメンタリー映画がある。その五作目にアーヴィン・ラズローが登場する。天才ピアニストでありながら、物理学、哲学を学び、30代にはローマ・クラブの創始者アウレリオ・ペッチの右腕として働き、40代~50代には国連の調査訓練研究所(ITAR)の所長として発展途上国の問題に取り組むというキャリアを持つ人である。その彼が、宇宙の進化が全くの偶然によって現在の姿になるにはその年齢があまりに若いという。その年齢に見合う時間で出来上がるためには、宇宙の構成要素が相互に情報を交換しあえるようなフィードバックループを伴う場が必要だと主張している。それは、プリブラムが主張するようなホロニックな場なのだが、そのホロフィールドとして彼が白羽の矢を立てたのが「量子真空のゼロ点エネルギー場」なのである。ホロとは、全体という意味だ。宇宙と生命の誕生及びその進化の謎を解き明かすためには、それら全ての存在が繋がっていなければ、統一した説明は不可能だという。詳しくは、「創造する真空」(日本教文社)にあたられたい。なかなか説得力のある説なのだが、真空が全てを創造するというのは無理があるような気はする。ちょっとここでウィルバーのボームの説に対する苦言を紹介しておくのもよいだろうと思う。それは、ラズローの説に対しても当てはまるだろうから。曰く、精神性の全てを、そういった場に還元していまうのは、下方超越であるというのである。つまり還元するなら上位概念の方にじゃないですかといっている。情報交換の場が、哲学における理念や、宇宙法則までも生み出せるのだろうかという疑問は確かに残る。この映画のなかでは、宇宙は記憶を持つという結構派手な紹介をしていた。
 クエット・テイラーシステムという装置が、渦の実験にはよく使われる。先ほどボームの全体流動の説明に使った二つのシリンダーの装置である。実は、この装置では、多くの種類の渦を作り出すことができる。内側のシリンダーの回転を早めれば、波形にもなり、その波形が回転木馬のように上下しはじめることもあれば、ねじれ渦、編み渦、相互に貫入した螺旋状のパターンなどにもなるという。つまり乱れた渦も作り出せるということなのである。アーティストは、気楽だと言われそうだが、そういう全体流動をイメージしてもいいんじゃないのかな(図版2)。つまり、乱流のような全体流動を考えてみるということなのである。もし、ラズローの言うように宇宙は、記憶をもっており、ボームの言うように全体流動の中に内蔵されているとしたら、目に見えないほど細く引き伸ばされた、もつれた渦の中で編みの目のように接触し合っている光景を想像できる。それは、情報や記憶がどのように相互に結び付けられていくかを考えることでもありうるのだから結構わくわくすることだと思う。わくわくしているのは、ぼくだけかもしれないけれど、そういうダイナミックな場を思い描いてみたいのである。
                     
2009年 3月












掲載されている内容の一部あるいは、全てを許可なく複製または改変することは、
法律によって禁止されています。