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  Sato Keijiro and Emily Dickinson


Sato Keijiro and Emily Dickinson

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                   佐藤慶次郎とエミリー・ディキンスン  Sato Keijiro and Emily Dickinson 

 
 
ちょうど二時を打った時計が一時を打つ
全体世界の不調和
創世記のヤクザ者 *ヤコブが
振り子という秩序を壊してしまった

エミリー・ディキンスン (1569番)
 
The Clock strikes one that just struck two —
Some schism in the Sum —
A Vagabond for Genesis
Has wrecked the Pendulum —

Emily Dickinson (1569 )

 
                *ヤコブ  
  創世記25-36 双子の弟ヤコブが兄のエソウと父のイサクを騙して長子権を手に入れ社会の秩序を乱した記述を、二時の後一時を打つという詩句の背景と判断した。
 
   
56.10.20 ~56.10.28


 


 76ページ                                                




























 初めに Word があった。
      ↑
  My Life had stood
     

   〝my self″

〝my self
″ を〝Gohst″として意識化、それを〝my life″ と云えるのは、それが意識化された〝my self″ であったということを知ったあとのことの筈である。


 

求道の過程における、内的体験とその分析記録の表現形式として象徴的な手段を採用したということが、エミリ(まま)・ディキンスンの詩の世界であろう。それは、“レポート”なのである。
〝Scientist of faith″ の Experiment の記録(ドキュメント)であり、その問題に関する思考であり、レポートなのである。

           ×

Word″ の世界を解析することと、“分別の世界”を解析することはとは、結局は同じ事柄なのである。“分別の世界”とは言い換えれば、言葉-観念-の世界なのである。分別の世界の一切の事物(Things)は、E.D.の所謂 観念として取扱われているわけである。〝Two worlds″(P- 524編者とは、この世界のことであろう。Word の世界と、分別の世界が、本質的に同じものだとすれば、E.D.が言語世界の性質(本質)の究明を通じて“分別の世界”の本質を明らかにし得たということは、当然の結果であったと云う事になる。
E.D.において〝Word″ の世界の追求と、“求菩提”は、一元的な“求道”なのであった。


     and the Word with God.
            ↑
          身心脱落     
     Owner – carries Me away
        (God took him)

 



























and the word was God.

箇裏に帰す - 一如  
・The whole of Immortality intrenched within a star.
(P-
1525 編者)
・And now against his subtle Name 
There stands an Asterisk. (P-
1616 編者) ・71-75 の 71ページ 冒頭参照


    
 
 

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P-1190
The Sun and Fog contested
The Government of Day —
The Sun took down his
Yellow Whip
And drove the Fog away —

                
Cf:(P-1676編者)“Of yellow was the other sky” “yellow”の意味するもの







[P-1304]
Not with a Club, the
Heart is broken
Nor with a Stone —
A
Whip so small you could not see it
I've known

To
lash the Magic Creature
Till it fell,
Yet that Whip's Name
Too noble then to tell.
       
 sugg.ch (of)
          ↓

Magnanimous as Bird
By Boy descried —
Singing unto the Stone
  ↑
(ch.to sing)

Of which it died —

Shame need not crouch
In such an Earth as Ours —
Shame — stand erect —
The Universe is yours.































[P-1569]
“Snake?” wisdom? Ghost?    Two worlds
         ↓        
        ↓
The Clock strikes one that just struck
two — 
Some schism in the Sum —
A Vagabond for Genesis
Has wrecked the Pendulum —



[P-1612]
The Auctioneer of Parting
His
"Going, going, gone"
Shouts even from the Crucifix,
And brings his Hammer down —
He only sells the
Wilderness,
The prices of Despair
Range from a single human Heart
To Two — not any more —

 

〝a single Human Heart″ (P-1612 編者)
〝a single Human soul″  (P-
1451編者)

(lash : ) vt
①むち打つ、打つ、打ちすえる
②激しく打ち当てる、打ちつける
③(むち打って、またはむちで打つように)かりたてる。刺激する(excite)
④ののしる、強くしかる、非難する
⑤手早く動かす。
(lash2 : ) vt (網、たもなどで)結ぶ、縛る、
つなぐ (find, fasten)
[ME : lassenhy
(未詳) <MO laschen , to patch, sew together scarf (tim for)‥‥>]
  

                EVE-

つなぐ/編者
(P-1670)
「‥‥

Secured him by a string
To something neighboring」
「The very string with which

I tied him
— too」





→ (P-1390)
These held their Wick above the West —  
Till when the Red declined —  
Or how the Amber aided it —
Defied to be defined —

To lash Magic Creature
Till it fell.         (P-1304)

 この擬声は、〝Bell″を連想させる。
             
Clock-bell-belle-beau-beauty
釣鐘状のもの、ラッパの開口部、
鐘状花冠 (Laurel)
bell-shaped-corolla
      ↑
(くらげの)かさ umbrella

 Wildness/編者挿入)
  “なにもない”ところ
  華於空滅のところか? ・36-40 の 36ページ 注欄参照

 
 

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この〝Both″ 両義性という意味を示すものであるか? →


彼が pursue すること恐れて a distant Town meset down するまで私は、走ることを止めなかった」
a distant Town Body とすれば、I set me down は“箇裏に帰す”-returning-ということになる。〝I flew″ を身心脱落のところと解することができる。
        
彼の眼によって、自己が監視されているという風に、自我を意識したとすればそれから逃げようとすることになる。そして、我が倒却されるまで、彼の眼は意識されていることになる。この場合彼を〝Foe″ と認めることになるその彼は、EVEを追う serpent であろう。この解決は、〝wisdom″ をもつ以前、EYEが開く以前にもどることによってのみ解決される。EVELog の上にのっかると、〝EYE″ になる Log とは Body であるか?
その場合 EVE nobody である。










P-1670
「‥‥
That time I flew
Both eyes his way
Lest he pursue
Nor ever ceased to run
Till in a distant Town
Towns on from mine

I set me down
This was a dream.

   ↑
(P-1670)を “見空中華→華於空滅” の過程の叙述と解することができるならば、その過程は、〝a dream″ であったといえるわけである。“なにもないもの” を有ると見、それが「“なにもないもの” は無かった」と覚めるまでの過程は、“夢” であると云ってよいわけである。「亦如翳人、見空中華、翳病若除、華於空滅」・36-40 の 36ページ 注欄参照である。


(P-1379
The Orator of April
Is hoarse Today —

  ↑
imp!
“声が嗄れている” のは
のどが渇いているということである。
“われ渇く” である。










豊かな供給源、宝庫、鉱山
  ↓
mine からはなれている、ある遠い Town に私が me を set down する″
           ↑
 これは要するに 〝mine″ から〝me″ を 〝Parting″ したことである。
The prices of Despair
Range from a single human Heart
To Two
— not any more —

 ↑            (P-1612)

このことに相互的と云ってよいのではないか?
 
 

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存在がなくなる瞬間
そこに、存在の〝Negative″ が立ち現れる。


 







[P-1 途中から記載なし


人間にとって、 “自己” の存在は、疑うべからざるものである。“疑うべからざるもの” とは、その “認知” が、疑・不疑以前の事柄だということである。疑・不疑以前の事柄である、とは “自分が存在する” ということを、論理的に承認しているわけではないということである。論理的に承認する必要など、全く認めていないということである。それは何故か?それはいったいいかなることであるのか?
(“存在論” がいかなる学問であるのかぼくは知らないが、恐らくこのへんの問題を取り扱っているのであろう。“存在” が存在である(存在する)、ということの論理的論証が、“存在学” という学問なのではないか?)
さて、“自己” とはひとつの観念であるが、人が “自己” と名づけているものはなにであるか?
                                           → 次項

幻想の存在は、幻想が消えたときに知られる。
・或るものの存在を存在として知るということは、そのものの非存在とのコントラストである。ここでいう “存在” とは観念上の“存在”ではなく、“存在” するということの全人格的な承認についてである。
 



























“なにもない” の観念に相応する。
 
 

 80ページ
 
 



前項 →

人が“自分とはこれこれのものである”として自己を認識するとき、それは観念上において規定された自己であって、そのような規定を与えた“実物”ではない。規定とは観念の世界の出来事であり、疑・不疑の存在する世界であるが、自己の認識がそのような世界の出来事であるならば “われ在り” の事実性は、論理的に論証され得る筈である。
人間の “われ在り” は、論理によって支えられているわけではないのである。しからば、人間として “われ在り” と云わしめてものは何か?そのような “自己” とはなにか?その問題の解決が佛道修行というものである。それが、佛道修行の課題なのである。それを “エホバ” とは何か?と置きかえてもよいわけである。“わが名は、(われ)在り” と云っている者は、何か?ということである。〝I AM THAT I AM″、“われ在り”、“自己とはなにか?”‥‥それらは、いづれも「小玉を呼ぶ声」・41-45 の 43ページ 注欄参照-〝Word″ -である。小玉を呼んでいる者、“屋裏主人公” それは何か?この問題の解決が論理的になされ得ないということは、人間にはもともと“われ在り”を、論理的な結論とし得たわけではなく、その “事実性-不疑性
                    ↑ imp!
と云った方がよいのであるが-、を論理的に論証することはできない。   



E.D.のいわゆる〝Fame″、〝Renown″ とは、〝Word″ と同じことであるかもしれない。そして、その場合〝God″ が“屋裏主人公”ということであろう。それは、 〝unknown″ である。
(或る時点で、E.D.が “看板” ということを書いている。本物は、店の中ということなのであろう。しかし、その時点でE.D.は、“幻空” を店の中にある本物と考えていたのではないか?即ち “なにもないもの” が “有る” というところ。E.D.が初期に云う〝music″とは、“幻空” のことではないか?それを、〝Fame″ と呼んでいたかどうか?)

The word was with God. the Word was God.-これを空即空→色是色と見ることもできる。)E.D.が或る詩の中で、〝unknownRenown″ という叙述を用いていることは、注意を要する。それは、〝Finite Infinity″ の逆の表現であるが、“非思量-不思量底の思量-” のところかもしれない。





























→ “事実性” という表現は問題がある。“事実” であると云えば既に観念上の出来事であるから-。

デカルトも “われ思う故にわれ在り” というところで “不疑性” について述べているわけである。しかし、相変わらず “われ”とはなにか? については、何も言われていないわけである。そして又、“われ思う故にわれ在り” というより、むしろ “われ在り、ゆえにわれ在り” といった方がはっきりしているのではないか? “われ在り” 以前に “われ思う(考える)” が在るわけではないのである。“われ在り” か “われ思う” なのである。それは同時である。問題なのは、“われ在り” 以前の “われ在り” “われ思う” 以前の “われ在り” である。この問題については、バイブルの “わが名は-(われ)在り” の方がはっきりしている。“われ在り” はわが “名” だと。 云われているのである。ということは、“エホバ” とは、“われ在り” 以前の “われ在り” だということになる。 あるいは、“われ在り” という 〝Ward″ とともにあるもの、という消息が記されていると解する事ができる。そして、〝The word was God″ 即ち“われ在り”が God だということである。

  


(P-524)
Departed to the judgment,
A mighty afternoon ;
Great clouds like ushers leaning,
Creation looking on.

The flesh surrendered, cancelled,
The bodiless begun ;
Two worlds, like audiences, disperse
And leave the soul alone.



(P-1525)
He lived the Life of Ambush
And went the way of Dusk
And now against his subtle name
There stands an Asterisk
As confident of him as we —
Impregnable we are —
The whole of Immortality intrenched
Within a star —




(P-1670)
In Winter in my Room
I came upon a Worm —
Pink, lank and warm —
But as he was a worm
And worms presume
Not quite with him at home —
Secured him by a string
To something neighboring

And went along.

A Trifle afterward
A thing occurred
I'd not believe it if I heard
But state with creeping blood —
A snake with mottles rare
Surveyed my chamber floor
In feature as the worm before
But ringed with power —

The very string with which
I tied him — too

When he was mean and new
That string was there —

I shrank — "How fair you are"!
Propitiation's claw —
"Afraid," he hissed
"Of me"?
"No cordiality" —
He fathomed me —
Then to a Rhythm Slim
Secreted in his Form
As Patterns swim
Projected him.

That time I flew
Both eyes his way
Lest he pursue
Nor ever ceased to run
Till in a distant Town
Towns on from mine
I set me down
This was a dream.



(P-1451 )
Whoever disenchants
A single Human soul
By failure of irreverence
Is guilty of the whole.

As guileless as a Bird
As graphic as a star
Till the suggestion sinister
Things are not what they are —




(P-1612)

The Auctioneer of Parting
His "Going, going, gone"
Shouts even from the Crucifix,
And brings his Hammer down —
He only sells the Wilderness,


(P-1379)
His Mansion in the Pool
The Frog forsakes —
He rises on a
Log
And statements makes —
His Auditors two Worlds
Deducting me —
The Orator of April
Is hoarse Today —

His Mittens at his Feet
No Hand hath he —
His eloquence a Bubble
As Fame should be —
Applaud him to discover
To your chagrin
Demosthenes has vanished
In Waters Green —


Foe 仇、敵
on the town
(参考) 公費の投資を受けて、生活保護を受けて
   

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