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  Sato Keijiro and Emily Dickinson


Sato Keijiro and Emily Dickinson

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                   佐藤慶次郎とエミリー・ディキンスン  Sato Keijiro and Emily Dickinson 

   




 死の一撃は生の一撃
死ぬまで生きてこなかった者には-
生きていたときには死んでいた
でも死んだときに生命の始まる
者には

エミリー・ディキンスン (816番)
 
A Death blow is a Life blow to Some
Who till they died, did not alive become —
Who had they lived, had died but when
They died, Vitality begun.

Emily Dickinson (816)
 
 
  
   
56.10.20 ~56.10.28


 
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 6ページ


E.D.の“畢竟”は、死を裏側に持った“生”であると云えよう。
E.D. の 「*1
The soul her "Not at Home" / Inscribe upon the flesh―/」(P-1691)
という叙述は、そのことを示していると云えよう。そして さらに 「*2
And takes her fair aerial gait / Beyond the hope of touch」 という叙述は、E.D.が“何もない”―空― から "なにもないもない” ―空即空― に抜けていることを示している。それはまさにあくまでも “ゼロ” である “ゼロ” である
(*3万古碧璋空界月)

そして、“現実” 即ち “1” が “0+1” であるという認識が 「
The soul her "Not at Home" /
Inscribe upon the flesh/
」 であろう。

そして、「
And takes her fair aerial gait / Beyond the hope of touch」は、その“0(ゼロ)”か、あくまでも“0(ゼロ)―なにもない―” であるところの表明である。

               ×
滄海。万古碧璋。
Emerald Court   Waters Green
the Great Waters   the Deep
 
 


 7ページ

     

意識内容にそれだけしかないとすれば、実在的真実としてはそれがそのまま All である。
大も all 小も all である。
実在の内容は、絶対であり他に比較ができないのである。
比較は、分別上の出来事である。
人間に無分別知の事実がある以上、分別上の出来事を絶対とするわけにはいかないのである。勿論、無分別知を絶対とするわけにもいかない。



佛を境涯とし衆生に対して主体性を持つということは
自己が自己に対して主体性を持つということである。これは、真の主体性をもつということである。これは、真の主体性をもった衆生、ということである。これは我を倒却した Ego の幻想からぬけた衆生なのである。



[*6 証画現成]
真実の現成は、直ちに色是色なのである。
         (空即空)
色が空の画であり証なのである。
空即空、色是色は同時である。

その意味で衆生とは証佛である。座禅の内容は座禅である。


 







 






It self によってinstructing するとき
Body is the Soulである”(P記載なし、1431/編者
    
  (衆生即佛)

この場合
Bodyか解脱した主体性が
□□(二字不明/破棄ではないかと思われる)されているわけである。
このような主体性が把握されたならばあえて、Soulということを云わないでもよいわけである。
そのことが「Instructing by itself Body is the soul」ということであろう。自己が自己を導くのである。
ただし、この“自己”は、Ego の幻想を抜けた自己である
 
“なにもないもない”を観念するならば、それは見ることができないと知った上でunknown God を観念することと同じである。







*4“岸田幻想論”とは要するに幻想の出来事なのである。
幻想の中で幻想と真実を説いているわけである。
(*5 夢中説夢)
  ↑

我の倒却を説くということは、夢中説夢である。
 

 8ページ
   























(真言無相)
"Quite empty"
Empty the Hearts
(P-587、P-1606参照/編者)


“*7 休歇なる悟迹を長長出ならしむ”はあとにすることであろう。(*8 証上修)
Circumference をもつということはそれではないか?
Sheen Sun になるために Disk をもつ必要がある
というのは、そのところであろう。
それは“あえてすること”である。
元来“なにもない”が、あえて“なにもない”をするということである。
この“なにもない”をすることが *9正念相続→
であり、Circumference の保持であろう。          
An Ignorance, not of Customs (L-268参照/編者) *10 如人夜間背手模沈子)


reluctantly に別れたので、心は時々、それを思い出す。忘れていた友を思い出すように。P-1614参照/編者)
休歇なる悟迹




”何もない“を”なにもない“と見破ったとき、“なにもないもない”ということになるのであり、原理的にはそこには覚知覚了さるべきものはなにもないのであって元の木阿弥なのであるが。
それでも“何かある”と云わざるを得ないものがある。―何かちがう(*11 岡田先生)―
“休歇なる悟迹“とはそのことではないか?
(このところを“真空妙有”と見たい)

        身心脱落
       脱落心身の離即?

それは一種の“思い出”というべきものかもしれない。
心の出来事は、その出来事が立ち去っても心に“跡”を残すということであろう。

心印 ―なにもない印
 
























非思量
 
 
 


 9
ページ
     “佛性は覚知覚了にあらず”
覚知覚了にあらざるものを、如何にして意識にするか?
しかし、意識にすれば、既に覚知覚了なのであり、それは幻想である。
“なにもないものを”を意識してしたとすれば、それは“なにもないもの”ではないわけである。さて、“なにもないもの”の意識―幻想―が消えたとき、“なにもないもない”というところが会得されるわけであるが、それは、”なにもないもの“を意識している状態とのコントラストなのである。“なにもないもない”というのは“なにもない”が消えたときに生ずる観念であると云ってよいであろう。“空即空”と呼ばれるのがその消息である。“なにもないもの”を意識するということは、“なにもないもの”を実有として観念しているということであり、“なにもないもない”というところは、それまで幻想―なにもないもの―を実有の如く認識していたと気づいたということである。それは、幻想を幻想と見破ったところであり、認識上の変革である。                            →次頁(に続く)









Ego" とは“なにもないもの”の意識―幻想―につけた名前である。
即ち、〝Ego" の内容は幻想なのである。人は、それを“自分”―Ego―と名づけ、あるいは神―識神―と名づけている。

“真人間”(岡田先生)にとって、“なにもないもの”は“なにもない”のである。
“悟っている”―“なにもないもの”を意識している―ということは、その意味では病気である。

     
 

 10ページ
   
















    "Subtle the Sum"
    P-1366 参照/編者)
 


























(前項からの続き)

“なにもない” を “なにもない”と見破ったとき、“なにもないもの”の意識―幻想―は、消え“なにもない” はなくなる。それが “なにもないもない” である。佛性を覚知しないところ。それは、“*12 悟同了未悟”のもともとのところである。



原理的に、覚知覚了さるべきものはなにもないのであるから、なにものも覚知覚了さるべきものはないと認識したところは、“悟了同未悟”と呼ばれる。しかし、それにもかかわらず、“何かがある“と云わざるを得ないものがあるのである。(―“何かちがう”―岡田先生云わく)“休歇なる悟迹”とはそのへんのところではないか?
“*13 真空妙有”という表現も、このへんのところの表現として受けとれるものである。
     
(妙有とは、心身脱落、脱落心身の相即のところかもしれないが―。)

“非思量の意識”について、“なにもないもの”を把握していると解釈していれば、それは幻想であるが、“なにもない”と見破った上での“非思量”は、同じ“非思量”でも質的に違ったものとなると云ってよいのではないか?それが、“不染汚“ということであろう?
このへんの問題の取扱いは、いずれにしてもあまりにも微妙である。

Bride of Awe を消えた Stranger と見なすと、そのなにもなくなったもの―なにもないもない―をあえて”Circumference” として把握したものが“帰来のわれ”であろう。やがてそれはBody (hallowed Knight) と一如してしまうわけである。
 

“翳によって眼を現成せしむ“
         
“なにもないもない”のところを見るべきかも―。

“悟迹の休歇なるあり”― なにもないもない
“休歇なる悟迹”― 真空妙有。“妙心”。







 



(真空無相、Quiet empty, empty the Hearts
 
 

*1 The soul her “Not at home”Inscribe upon the flesh-
魂はその不在を肌に刻む


*2 And takes her fair aerial gait / Beyond the hope of touch
そして、触れる望みの向こう側へ美しい風のような足取りで去っていく

*3 万古碧潭空界月 『正法眼蔵』 古鏡巻 
碧潭(へきたん) 深く青々とした淵
・81-85 の 84ページ 注欄参照

7ページと8ページにあるそれぞれの断章は、内容的にゆるく繋がりがあるものの、各々は、それぞれ独立しています。

(P-1431)
With Pinions of Disdain
The soul can farther fly
Than any feather specified
in Ornithology —
It wafts this sordid Flesh
Beyond its dull — control
And during its electric gale —
The body is a soul —
instructing by
the same —
How little work it be —
To put off filaments like this
for immortality


*4 岸田幻想論 吉本隆明は、個人と他者との公的な関係を共同幻想とした。岸田秀は、この共同幻想の考え方を引き継ぎ、唯幻論を提唱した。

*5 夢中説夢
『正法眼蔵』夢中説夢巻
「法転輪、また朕兆未前の規矩なり、このゆゑに大功不賞千古榜様
(大功は賞せず、ただ千古これを範とする/編者)なり。これを夢中説夢す。証中見証なるがゆゑに、夢中説夢なり。この夢中説夢処、これ仏祖国なり、仏祖会なり、仏国・仏会・祖道・祖席は、証上而証、夢中説夢なり。」

*6 証画現成

『正法眼蔵』 画餅巻 「‥‥画餅にあらざれば充飢の薬なし、画飢にあらざれば人に相逢せず、画充にあらざれば力量あらざるなり。おほよそ、飢に充し、不飢に充し、飢を充せず、不飢を充せざること、画飢にあらざれば不得なり、不道なるなり。しばらく這箇は画餅なることを参学すべし。この宗旨を参学するとき、いささか転物物転の功徳を、身心に究尽するなり。この功徳、いまだ現前せざるがごときは、学道の力量、いまだ現成せざるなり。この功徳を現成せしむる、証画現成なり。」


*7 休歇なる悟迹を長長出ならしむ 『正法眼蔵』現成公案巻
「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。」
悟迹は、さとりの痕跡、休歇は休む、長長出は永遠を意味する言葉。

*8 証上修 『正法眼蔵』弁道話巻 それ、修・証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆえに、初心の弁道すなはち本証の全体なり。」
修行と悟りは一つであり、修行は仏陀が既に明らかにしている本来のさとりの上で行われていることを指す。

*9 正念相続
修行が円満している人(大人)が覚知するべき八種の法門(八大人覚)の一つに不忘念あるいは、守正念がある。法を守って失せざること。正法の
正念相続をいう。

*10 如人夜間背手模沈子(にょにんやかんはいしゅもちんす)
手探りの状態を指す言葉

(L-268)
(July 1862)
T. W. Higginson
‥‥
Perhaps you smile at me. I could not stop for that - My Business is
Circumference - An ignorance, not of Customs, but if caught with the Dawn - or the Sunset see me - Myself the only Kangaroo among the Beauty, Sir, if you please, it afflicts me, and I thought that instruction would take it away. ‥‥

ヒギンスン宛ての手紙より。LはLetter の頭文字
「‥‥私の仕事は円周を巡る線(周辺)です、慣習を知らないのではなく‥‥」

(P-1614)
Parting with Thee
reluctantly,
That we have never met,
A Heart sometimes a Foreigner,
Remembers it forgot —

reluctantly 不承不承に

[P-1606)

Quiet empty, quiet at rest,
The Robin locks her Nest, fries her Wings.
She does not know a Route
But puts her Craft about
For rumored Springs-
She does not ask for Noon-
She does not ask for Boom-
Crumbless and homeless, of but one request-

The Birds she lost-

(P-587)
Empty my Heart,
of Thee—
Its single Artery—
Begin, and leave Thee out—
Simply Extinction's Date—

Much Billow hath the Sea—
One Baltic—They—
Subtract Thyself, in play,
And not enough of me
Is left—to put away—
"Myself" meanth Thee—

Erase the Root—no Tree—
Thee—then—no me—
The Heavens stripped—
Eternity's vast pocket, picked—


*11 岡田先生
岡田利次郎(1915-1994)
佐藤慶次郎の禅の修行に大きな影響を与えた医師。慶応大学医学部の先輩にあたる。「正法眼蔵解読」「座禅のすすめ」などの著書がある。

*12 悟同了未悟
『景徳伝灯録』巻九・潙山霊祐章
〔一日侍立す。百丈問う、「誰ぞ」。師曰く、「霊祐なり」。百丈云く、「汝、鑪中を撥(はね)よ、火有りや」。師撥て云く、「火無し」。百丈、躬(みずから)ら起(た)ちて、深く撥ね、少(わず)かの火を得たり。挙(あ)げ以て之に示して云く、「此れは是れ火ならずや」。師、悟を発し礼謝して其の解する所を陳(の)ぶる。百丈曰く、「此れは乃ち暫時の岐路なるのみ。経に云く、『仏性を見んと欲せば、当に時節因縁を観ずべし』と。時節既に至らば、迷えるも忽ちに悟るが如く、忘るるも忽ちに憶するが如くにして、方めて己が物の他より得るにあらざるを省(さと)る。故に祖師は云う、『悟り了らば未だ悟らざるに同じく、心無く亦た法も無し』と。只是(ただ)虚妄凡聖等の心無くして、本来の心法は元自(もとより)備足す。汝は今既に爾(しか)り。善く自ら護持せよ」。〕

*13 真空妙有
空の表裏を真空無相真空妙有とし、その有無二つの側面の即一を空と捉える考え方がある。
Subtle the Sum 精妙なものの総体
Awe 畏敬
Circumference 周辺、円の周囲

(P-1366 A、B、C) 
Brother of Ingots -- Ah Peru --
Empty the Hearts that purchased you --
--
Sister of Ophir --
Ah, Peru --
Subtle the Sum
That purchase you --
--
Brother of Ophir
Bright Adieu,
Honor, the shortest route
To you.


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