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  Sato Keijiro and Emily Dickinson


Sato Keijiro and Emily Dickinson

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                   佐藤慶次郎とエミリー・ディキンスン  Sato Keijiro and Emily Dickinson 

   



 




 

真昼 二つの蝶が飛び立ち
畑の上でワルツを舞った
そして それから円周をみつけて
ひと勝負した-

それから彼ら自身を賭け 
彼ら自身を失った
太陽のはねまわりのなか-
二つの蝶はその最高潮で押さえつけられ-
真昼から投げ捨てられた-

生き残ったすべての蝶たちへ
ここに一代記がある
標本-
昆虫学への警告-

エミリー・ディキンスン (533番異文)
 

Two Butterflies went out at Noon
And waltzed upon a Farm
And then espied Circumference
And took a Bout with him--

Then staked themselves and lost themselves
In Gambols of the Sun-
And Both were quenched in Noon-
And they were hurled from noon-

To all surviving Butterflies
Be this Biography-
Example-and monition
To entomology-



Emily Dickinson (533 variant)


 
  
   
56.10.20 ~56.10.28


 


 31ページ                                                                56,10,22
















無分別の分別としてはたらくアタマ、Bride of Awe
  Spirit
   ↓
不生の佛心の意識において、Brainは、そのようにはたらくわけである。
要するに*2 則天去私のところである。
      ↑
則天去私の方法が非思量である。
*4 〝Susan"-Bride of Awe-とは則天去私のBrainである。









*1自未得度先度也
 ようやく、ほんとうに 我の復活。

“なにもない”は“なにもないもない”であり手がつかない。“本来の面目”が“なにもない”である故に、我というかたまりを真言の自己と誤認して、他と対立することになる。そこで、“なにもないもない”に着物を着せて、それを見失わないようにするという方法を採用するわけである。その着物が、いわば翳
・ 1 - 5 の 3ページ注欄/佛道の翳人参照である。この翳は“我”のように他と対立しないわけである。“あるまま無い・無いままある”のが翳である。自己が“なにもないもない”であるとき、観測者なしの観測が現成する。それが“如是”の世界である。そのような観測のはたらき-囗囗囗(三字不明)-は、元来人間の基本的な能力である。それを*3 大円鏡智という。大円鏡智とは、ゼロの-自己のはたらき-である。自己-心-は、ゼロの時無限大である。その他のところ-差別-では“0”である。
delta function (-無限大から+無限大までの積分がⅠ)




 


“一即二、二即一”とは“妙有”を言語のレベルで説明するための、ひとつの試みなのである。“即”すなわち“相即”という概念の採用によって、“未分化の緫体”を未分化のまま、二元の世界で取扱おうとする試みである。今かりに“妙有”に“未分化の緫体”という概念を当てた。しかし、元来“妙有”は“未分化”とも云えないものなのである。








 


  32ページ
 
 































           有無相即 
           一如
[delta function]

   0以外では0、 0では無限大
      ↑         ↑      
差別(飛び込ん  自己(ゼロ)自己(ゼロ
だところ)のとこ  を覚知するとき無限大
ろでは見るもの
のものになる。  
1+0=1     
   ↑   
如是のゼロ         

マイナス無限大からプラス無限大までの積分がⅠ。        ↑
       尽十方界 *5一顆明珠
          whole
         Oneness




    涅槃妙心、真空妙有
         ↓
空華とは、“なにもない”ということであるかも―?

祖師いはく、「 華亦不曽生 (けやくふすんしょう)」この宗旨の現成、たとえば華亦不曽生、花亦不曽滅なり。花亦不曽花なり、空亦不曽空の道理なり。華時の前後を胡乱(うろん)して、有無の戯論あるべからず。華はかならず諸色にそめたるがごとし、諸色かならずしも華にかぎらず。諸時また青黄赤白等のいろあるなり。春は花をひく。華は春をひくものなり。 (『正法眼蔵』空華巻/編者)

          

本無花 ― 今有花
(空即空 ― 色是色)?

(「*6 趣向真如亦是邪」 真如を背する、これ邪なり。真如に向する、これ邪なり。
         ↑
自ら、真如となること。(真如であることの自覚) この自覚は意志的な行為である。
            (あえてする)
“信”である。
“信現成”のところである。
                   


(自己即佛の領解ではなく、自己即佛の信現成に到らなければだめなのである。)この“信”は盲信ではないわけである。
 








 




  
























 空即空―色是色 
   真空妙有











 真如を自己として受けとってしまう。受けとってしまったところに“涅槃妙心”の消息がある。元来“Ego”(小我)を自己としているということは、“Ego”を自己として信じている (思い込んでいる)ということなのである。 
  
“妙心”とは“なにもないもの”(大我)を自己として受けとってしまったところである。


 


 33ページ
 
 
 





c.1878
“And Both were
      →
wrecked in Noon
(drowned)
(quenched)
(whelmed)
And they were hurled from Noon-



“And Both were wrecked in Noon”(編者挿入)
        ↑
“A Vagabond from Genesis
Has wrecked the Pendulum” (P-1569)          ↑
“Both
”に相当すると考えてよいのではないか?(Two Butterflies

Two Butterflies と考えれば、separateした2つのものであるが、pendulum、常にどちらか一方だけが存在するわけである。

*7 両頭俱道:一方を静めれば結局他方も静まるわけである。






















[P-533 ]
Two butterflies went out at Noon —
And waltzed upon a Farm —
Then stepped straight through the Firmament
And rested,
on a Beam      →

And then —
together bore away
Upon a shining Sea —
Though never yet, in any Port —
Their coming, mentioned — be —

If spoken by the distant Bird —
If met in Ether Sea
By Frigate, or by Merchantman —
No notice — was — to me —







[P-1343]
A single Clover Plank  ←sugg.ch (Spar)
Was all that saved a Bee
A Bee I personally knew
From sinking in the sky —

'Twixt Firmament above
And Firmament below
The Billows of Circumference
Were sweeping him away —

The idly swaying Plank
Responsible to nought
A sudden Freight of Wind assumed
And Bumble Bee was not —

This harrowing event
Transpiring in the Grass
Did not so much as wring from him
A wandering "Alas" —















And then espied
Circumference
Then overtook-
And cought a ride with him-
And took a Bout with him-






 
 


  34ページ
 
 

 






畢竟帰処(安心立命のところ)を求める求道者の変革の道程に本質的なレベルにおける共通性が見られるのは、各人が、その変革の過程を論理化しようと努めるからである。(知性の洗礼を受けた人間には、論理的に認識の変革を遂行しようとする知的欲求があるわけである)






 
 




 
 


  35ページ
 
     

[P-1428] c.1877
「Water makes many Beds
For those averse to sleep —
‥‥‥     
‥‥‥          ↓ sugg.ch (clock)
Whose Amplitude no end invades —
      ↓sugg.ch (owner)
Whose Axis never comes.
      ↑
Whose amplitude no clock invades,
Whose morning never comes.
                   (hums)

   

*1 自未得度先度也 (じみとくどせんどた)
『大般涅槃経』巻38迦葉菩薩品
迦葉菩薩、偈をもて釈迦牟尼仏をほめたてまつるにいはく、発心と畢竟と二つながら別無し、是の如くの二心は先の心を難しとす。
自未得度先度他(自ら未だ得度せざるに、先ず他を度す)、是の故に、我れ初発心を礼す。初発に已に天人師たり、声聞及び縁覚に勝出せり。是の如くの発心は三界に過えたり、是の故に最無上と名づくることを得。

『正法眼蔵』 発(ほつ)菩提心巻
発心とは、はじめて
自未得度先度他の心をおこすなり。これを初発菩提心といふ。この心をおこすよりのち、さらにそこばくの諸仏にあひたてまつり、供養したてまつるに、見仏聞法し、さらに菩提心をおこす、雪上加霜なり。

*2 則天去私
天に則(のっと)り私を去る。夏目漱石の造語

*3 大円鏡智
意識を写す鏡

*4〝Susan"
未詳/ディキンスンの親友であり、義姉でもあったスーザンをさすのかもしれない。


*5 一顆明珠
『正法眼蔵』 一顆明珠巻
いま道取する「尽十方世界是一顆明珠」、はじめて玄沙にあり。その宗旨は、尽十方世界は、広大にあらず微小にあらず、方円にあらず、中正にあらず、活ぱつぱつにあらず露廻々にあらず。さらに、生死去來にあらざるゆゑに生死去來なり。恁麼のゆゑに、昔日曾此去(昔日は曾て此より去り)にして、而今從此來(而今は此より來る)なり。究辨するに、たれか片片なりと見徹するあらん、たれか兀兀なりと撿擧(けんこ)するあらん。







*6 趣向真如亦是邪
『正法眼蔵』 空華巻
「趣向真如亦是邪(真如に趣向するも亦た是れ邪なり)。
真如を背する、これ邪なり。真如に向する、これ邪なり。真如は向背なり、向背の各各にこれ真如なり。たれかしらん、この邪の亦是真如なることを。」
(張拙秀才の悟道の頌の中の一つ。)










(P-1569)
The Clock strikes one that just struck two —
Some schism in the Sum —
A Vagabond for Genesis
Has wrecked the Pendulum —


(P-533 variant) 参考
出典
http://groups.yahoo.
com/group/EmMail/
message/1836

Two Butterflies went out at Noon
And waltzed upon a Farm
And then espied Circumference
And took a Bout with him--


Then staked themselves and lost themselves
In Gambols of the Sun--
And Both were quenched in Noon--
And they were hurled from noon--

To all surviving Butterflies
Be this Biography--
Example--and monition
To entomology--



*7 両頭倶動
『正法眼蔵』 仏性巻
「長沙景岑(ちょうしゃけいしん)和尚の会(え)に、竺尚書(じくしょうしょ)とふ、『蚯蚓(きゅういん)斬れて両段と為る、両頭倶(ともに)動く。 未審(いぶかし)、仏性阿那箇頭(おなこてう)にかある。』。 師云く、『妄想すること莫かれ。』 書云く『動ずるはいかがせん。』 師云く『只是れ風火の散ぜざるなり。』
いま尚書いはくの 「蚯蚓斬為両段(ぜんゐりやうだん)」は、未斬時(みぜんじ)は一段なりと決定(けっじょう)するか。仏祖の家常に不恁麼(ふいんも)なり。蚯蚓もとより一段にあらず。
蚯蚓きれて両段にあらず。一両の道取、まさに功夫参学すべし。
「両頭倶動」 といふ両頭は、未斬よりさきを一頭とせるか。仏向上を一頭とせるか。両頭の語、たとひ尚書の会不会(ういふうい)にかかはるべからず、語話をすつることなかれ。きれたる両段は一頭にして、さらに一頭のあるか。その動といふに倶動といふ、定動智抜(じょうどうちばつ)ともに動なるべきなり」

 



(P-1428)

Water makes many Beds
For those averse to sleep —
Its awful chamber open stands —
Its Curtains blandly sweep —
Abhorrent is the Rest
In undulating Rooms
Whose Amplitude no end invades —
Whose Axis never comes.



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