宇津保舟としての虫たち

 

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最近、蝶や蜻蛉などの昆虫に注意が惹かれる。比較的自然の残っているところに住んでいるから少し気をつけているとすぐに目にできる。しかし、蜻蛉などはかつてのように群舞する姿はもう見られない。彼らの姿が愛おしいからとも云えるが、彼らの役割とは何なのだろうとよく思うのである。食物連鎖の一つなどという答えは論外である。福島の原発で汚染された地域にいても避難勧告は彼らには出されない。でも今は環境破壊や汚染のバロメーターとしての役割のことではない。彼らのいわば霊的役割とでもいったらよいだろうか、それは何なのだろうかと考えるのである。蝶の羽は、”鱗粉”と呼ばれるキューティクルの鱗状の組織で覆われており、これは上皮細胞が強くキチン化(カニの甲羅のようになること)して死に、ソケット状の孔から容易に離脱できるようになったものである。いわば華麗なる微細な甲冑を経帷子として彼等は輪舞する。蜻蛉の翅も、キチン質でできている。背中の外骨格が薄く伸びたもので、膜状に広がった翅を支えるために、太くなったキチン質の筋が葉脈のように翅に広がる。これを翅脈と言う。翅脈は羽化する時、翅を伸ばすために体液を流すところでもあるという。蜻蛉は葉のように薄く引き伸ばした甲冑を眼に見えないほどに空に同化させて飛ぶ。蝶は身を守る道具を空への憧れのために捨てた。それほどまでに天に向かって彼らは何を携えようとするのだろうか?古代、日本人は神の乗る小さな舟を宇津保舟(うつほぶね)と呼んだ。まさにそのような彼らが乗せて運ぼうとしている魂はどのようなものなのか?彼等の中で成長してみあれする存在とはなんであろうか?もはや空に憧れない人間には、答えは得られず、彼等への嫉妬しか残らないのかもしれない。

 

青いとんぼ

青いとんぼの眼をみれば
緑の、銀の、エメロード。
青いとんぼの薄き翅
燈心草の穂に光る。

青いとんぼの飛びゆくは
魔法つかひの手練(てだれ)かな。
青いとんぼを捕ふれば
女役者の肌ざはり。

青いとんぼの綺麗さは
手に触(さわ)るすら恐ろしく、
青いとんぼの落つきは
眼にねたきまで憎々し。

青いとんぼをきりきりと
夏の雪駄で踏みつぶす

 

北原白秋 「思ひ出」より