細川俊夫 Hiroshima Happy New Ear コンサートⅩⅣ

 

Hosokawa Toshio Hiroshima Happy New Year 14

Hosokawa Toshio Hiroshima Happy New Ear 14

細川俊夫さんが音楽監督をされているHiroshima Happy New Ear(広島の新しい耳)  コンサートが今回で14回目を迎えた。馴染みのない「現代音楽」という新しい「音楽」に出会うことを 新年(HAPPY NEW YEAR)になぞらえて、広島の新しい耳(EAR)と名付けたものだそうである。初めて聞いたのは確か2009年のコンサートで細川さんご自身の作品「ヒロシマ・声なき声」だったと記憶している。その頃はまだコーラスの人も演奏者も現代音楽に不慣れだったのだろう。なんとなくこなれない感じが否めなかった。しかし、今回久しぶりに聞いて、とてもグレードアップしていると思った。広島交響楽団の優秀なメンバーの演奏であったせいもあるだろう。

細川さんといえば、広島出身でドイツ在住の日本人作曲家である。ヨーロッパを中心に華々しい活躍をされている。例えば2010年9月には佐渡裕の指揮、ベルリンドイツ交響楽団(Deutsches Symphonie-Orchester Berlin )で武満徹、細川俊夫、黛敏郎  、プロコフィエフというラインナップで演奏会が開催されているし、同年12月にはサイモン・ラトル指揮、ベルリンフィルハーモニーの演奏でハイドン、細川俊夫、シューベルト(ラヴェル、ブルックナーとの組み合わせの別プログラムもあった)で演奏会が開催されている。いずれもベルリンのフィルハーモニーが会場だった。今年(2013)の12月には、フィルハーモニーの室内楽ホールでアンサンブルウィーン・ベルリンの演奏でリゲティの曲などと共に演奏される予定である。

このラトル指揮の演奏会の録音をNHKのFMで翌年の秋に聞いたのだが、この時とても面白い経験をした。秋もたけなわでコオロギや鈴虫の大合唱が窓の外では起こっていた。細川さんのホルン協奏曲『開花の時』がラジオをから聞こえている間、彼らの声もその演奏に共演しているのかと思うほどよく聞こえてきたのである。ところが、シューベルトの交響曲8番『グレート』の演奏になると虫たちの声はまったく聞こえなくなった。つまり、音空間にはびっしりと隙間なく音が敷き詰められていたのである。これほど音楽の作り方というものは違うものなのかと驚いた。実験工房の作曲家に佐藤慶次郎さんがいらっしゃるのだが、佐藤さんに『ピアノのためのカリグラフィー』という題の名曲がある。(佐藤さんについては、こちらをご覧ください。https://uedanobutaka.info/keijirosatomemorialjp.html 細川さんの曲もまさにカリグラフィーのように音とその余白との間に気息が移ろうのである。

細川さんは、師のユン・イサンを追悼した作品『メモリー』の解説の中でこのように述べている。「『メモリー』は、最もやわらかく繊細な毛筆によって描かれた音のカリグラフィーである。そして、音、ノイズ、空白(沈黙)の間を、音の線はゆっくりとうつろっていく。‥‥‥東洋の音楽は、音による毛筆の書であると言ったのはユンであった。私は彼の思想を受け継ぐとともに、その線が描かれる場所(音のカンヴァス)をより深く探究することで、自分の音楽の場所を創りあげてきた。」この言葉がラジオを聞いた時の記憶と重なったのである。

さて、今回のコンサートでは、二人の若い作曲家(渡辺俊哉、福井とも子)の委嘱作品と細川さんの尺八とアンサンブルのための作品、そして、リゲティの室内協奏曲が演奏された。渡辺さんは、いわばある種のとりとめもなさが特徴であるが、それがこれから漂い始めるのか、移ろうのか、はたまた反転するのか楽しみなひとである。福井さんは、歴史に興味を持たれているようでベルリンのユダヤ博物館などに言及されている。ドイツには、キーファーというアーティストがいて、歴史をテーマに重厚な作品を発表してきているが 福井さんも音楽畑でそのような作家になるのだろうか? 断歌というタイトルのこの作品、1、2楽章はすばらしかった。細川さんの作品はさすがに貫禄である。名手、田嶋直士(たじま ただし)さんの尺八がまた見事だった。武満さんのノヴェンバーステップスもそうだけれど尺八の音の存在感は何ものにもかえがたい。細川さんに尺八の曲をもっとリクエストしたい気持ちにさせられる名曲である。タイトルは『旅 X -野ざらしー尺八とアンサンブルのための』。芭蕉の句「野ざらしを心に風のしむ身かな」がテーマになっている。それからリゲティの『室内協奏曲―13人の器楽奏者のための』という曲、まるで微分された音の連なりといってよいような曲だ、指揮者の川瀬賢太郎さんも苦労されたようである。この演奏も広響のメンバーによって見事に演奏されていた。指揮者で自身作曲家であるピエール・ブーレーズ がよく言うことだけれど、現代音楽がつまらないと思う人は、いい演奏で聞いたことがないのだと。広響の皆さんにもこのコンサートへの今後の参加をお願いする次第である。

細川さんのような功なり名を遂げられた人が、こんな草の根運動のようなコンサートをずっと企画されていることは立派なことだと思う。自分の仕事だけでも大変なはずである。先ほどのもう亡くなられた佐藤慶次郎さんが時々言われていたが、戦後まもなかった自分たちの若い頃には現代音楽など演奏家の中にさえ市民権がなくて、演奏してもらうこと自体がひどく大変な時代が続いたそうである。このコンサートに先立って細川さんがおっしゃるには、「今、作曲されている曲が、その時代に演奏されなかったとしたら、その曲は、次の世代には残っていきません。」 おそらくこの危機感からこのコンサートを始められたのだろうと思う。コンサートを盛り上げるためにはやはり皆で聞きにいくのが一番いい。こんな音楽を聞かないのはもったいない。

 

Ensemble-WienBerlin:

Karl Heinz Schütz Flute

Hansjörg Schellenberger Oboe

Norbert Täubl Clarinet

Richard Galler Bassoon

Stefan Dohr Horn

Anton Reicha

Wind Quintet in E flat major

Paul Taffanel

Wind Quintet in G minor

György Ligeti

Six Bagatelles for wind quintet

Toshio Hosokawa

Ancient Voices for wind quintet commissioned by the Salzburger Festspiele German Première

Carl Nielsen

Wind Quintet