ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」と ルドルフ・シュタイナー「アカシャ年代記より」

何故、古事記の時代には神々はあのようなドラマに生き生きと描かれたのか。万葉の世界では神々との請(うけひ)がリアルに詠われるのか。源氏物語では生霊が跋扈し、平家物語では怨霊たちが鎮められた。しかし、室町にはいって夢幻能になると霊たちの世界は思い出のようなベールの中に包まれていった。やがてその消息は途絶えがちになり、雨月物語のような怪談になっていくのである。もはや神々の姿は見えず、その声は聞こえない。いまやその残響は幽かなものになっている。ルドルフ・シュタイナーは、それが過去から現在にいたるまでの人間の精神的進化の証拠であると考えていた。

このあいだ、随分前から気になっていたジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」を読んだ。ジェインズは、プリンストン大学で比較生物学を教えていた人であるが、動物行動学の研究などから脳考古学や歴史人類学の研究に到った。「神々の沈黙」というこの本は1976年に書かれている。彼によれば、紀元前2000年紀より前は誰もが統合失調症の状態だったという。それだけ言うと、「とんでも科学」かと思われそうだが、脳に関する研究からの裏付けがちゃんとあるようである(勿論その当時の脳科学のレベルでのことではある)。

ジュリアン・ジェインズ 「神々の沈黙」

ジュリアン・ジェインズ 「神々の沈黙」

 意識(この場合、知覚意識ではなく自我意識をさしている)にとって最も重要な要素は言語である。言語野は、全て脳の左半球に存在し、右半球にはない。脳は可塑的で左の脳に障害がでれば、その働きを右の脳が肩代わりできることはよく知られている。しかし、右脳には言語能力を司る領域が基本的にない。ジェインズは、右半球で言語機能の補助的な役割が発達するのを妨げられた要因を『二分心』にあると見ている。左右の脳の側頭葉は、前交連という部分で繋がっている。今から3千年ほど前には、ここを伝って右の脳で生じた内容が左の脳に伝えられ言語化された。どのような内容かというと、それが神の言葉だったというのである。つまり、脳は神と呼ばれる存在と人間との二つの心に関わっていたのである。しかし、脳の進化とともにその繋がりは途絶えたとジェインズはみている。

重度の癲癇の治療に脳の両側の連絡を絶ってしまう手術があるようである。それを施すと左右の脳の働きの違いがはっきりわかる。左半球は、分析・言語に関わり、右の脳は、統合や空間構築といった作業に深く関わることが分かった。右側は、神々が判断するのに相応しい場所であるとジェインズは考えた。脳の手術の準備として、脳の各所を微弱な電極で刺激する実験が行われたことがある。言語に関わる領域の一つ、左脳の側頭葉後部、特にウェルニッケ野の辺りを刺激すると顕著に幻覚や幻聴が生じたようである。さきほどの前交連という通路はこのウェルニッケ野の真ん中から右脳へと繋がる(反対側の右脳のこの部分に神々の関わる領域があったと思われる)。特に幻聴は、はっきりした声の場合は体の外から、はっきりしない場合は体の内側から声が聞こえた。声の主が特定できる場合もできない場合もあったが、その声は他者的であった。つまり自分に対峙する者として存在するのである。このような現象は統合失調症の患者によく見られる現象でもあった。 

ホメロスが伝えた『イリアス』は、トロイ戦争をうたった叙事詩であるが、紀元前1230年から前900年頃までに成立したと考えられる。そこでは、神は実在し、人間は神の命に従わざるをえなかった。ヘクトルもアキレウスも気高い自動人形のように振る舞っている。彼らには、現代人のように主観がない、内観するような心の空間がないことにジェインズは気づいた。意思も立案もなく決定もまったく意識なくまとめられ、それから、使い慣れた言葉で、ある時は親しい友人、権力者、あるいは、「神」を表す視覚的オーラとともに、ある時は声だけで各人に「告げられ」た。各人は、自分で何をすればよいのか「見て取る」ことができないため、こうした幻の声に従ったという。この心の構造が「二分心」なのである。

 『二分心』は社会統制の一形態であり、そのために人類は小さな社会集団から、大きな農耕生活共同体へと移行できた。『二分心』はそれを統制する神々とともに、言語進化の最終段階として生まれた。言語は、更新世後期つまり紀元前7万年から紀元前8千年にかけて発達したとジェインズは考えている。最初、言語は、呼び声の強弱からはじまった。気候変動が大きく動物や人類が盛んに移動を繰り返していた時期にあたる。名詞に先行する音声的修飾語が剥片石器や尖頭石器と共に紀元前4万年頃まで、狩猟集団にとって必要な命令語が燧石や骨による多様な道具とともに紀元前2万5千年頃までに現れたと考えている。そして、主語名詞と叙述的な修飾語よりなる最初の文が紀元前2万5千年から紀元前1万5千年の間のいずれかの時点で現れた。名詞の発達はマドレーヌ期(紀元前1万5千年から紀元前1万年)に逆棘つきの銛や槍の穂、陶器や装飾品とともに発達した。それから中石器時代(紀元前一万年頃から紀元前8千年頃)に名前が発明された。氷河期が終わり、墓が作られはじめた頃である。そして、名前によってこれまで大きな相互作用を持たなかった幻聴が特定の個人と結びついて社会的な働きを持つようになったと考えられる。やがて定住と農業が始まる。これらも言葉なくして発展することは困難だったろう。しかし、彼らに自我意識はなかった。彼らは「合図に統制された人々」と呼ぶことができる。絶えず合図に反応し、合図に統制されていたと考えられる。自我意識の生じる以前の子供のような意識。 

幻聴は言葉の副作用として生まれた。この幻聴は人間が自分自身あるいは族長からの命令を聞くことからはじまった。自身の脳が自身の思い浮かべることのできないような事柄を考え出すようなことができるのだろうか?ジェインズによれば統合失調症の患者が聞く「声」は患者本人に劣らず、しばしば彼ら以上に考えるそうである。その頃の人々の聞いた「声」は王自身が言ったことのないようなことまで即興で言うようになるのである。やがて、死というストレスは故人に関する幻覚を高めていった。幻覚の最も大きな誘因要素は現代人においてもストレスである。墓がいっそう注目すべき内容を持つようになってくる。死んだ王が生ける神となる時代がやってくるのである。

 紀元前6千年頃には小麦、大麦の栽培と羊、ヤギ、豚などの家畜が飼育されるようになり、人口が1万人に達するような都市も現れはじめた。紀元前5千年から紀元前3千年くらいまでにウルやエジプトの王朝が栄えるようになる。紀元前1500年頃にはヒッタイトの都に屋外神殿が作られた。メソポタミアからペルーに至るまで偉大な文明は死者が生きているかのような埋葬を特徴とする時期を一度は経験している。死者はしばしば神と呼ばれた。やがて、神は死者とは独立した存在になりはじめる。紀元前3千年紀末に近づくにつれて社会は極めて複雑なものになり始めていた。古代エジプトでは「第一中間期」(紀元前2181年~前1991年頃)、アッシリアでは紀元前1700年頃に二分心の崩壊が起きたとジェインズは考えている。それぞれの王国の権威が地に落ちた時期である。

メソポタミアでは文字が行政文書に取り入れられた。ハムラビ法典である。この頃から幻の声による支配が弱まった。「二分心」国家の主導権は神にあり、概ね平和で友好的な国家だったが、やがて異なる「二分心」国家どうしでの軋轢や交易での問題が生じ始めた。そこでの国家の崩壊は早かったのである。やがて、紀元前1230年アッシリアでは空の玉座の像がつくられた。そこに神の姿はなかったのである。神々は姿を消し始めた。「神々は沈黙しはじめる」のである。ここから旧約聖書の詩編までの距離はわずかだとジェインズは述べている。

ルドルフ・シュタイナー 「アカシャ年代記」

ルドルフ・シュタイナー 「アカシャ年代記」

ルドルフ・シュタイナーの著書に「アカシャ年代記より」(現在入手可能な国書刊行会の高橋巌さん訳の書名はアカシャ年代記よりとなっているのでこちらに統一します)がある。1904年に発表されたものがシュタイナーの没後に刊行されている。これをいきなり読めばたいていの人は頭をかかえるだろう。扱っている内容が途方もない。地球の過去の歴史と未来、そして人類の過去と未来である。それも、地球は何度かの転生の後、母の胎内で胎児が魚から両生類をへて哺乳類に変化するいわゆる系統発生を繰り返すように短いながら過去の状態を繰り返して現在の地球になったというのである。冒頭からこれは、霊視によって得られた知識であるときっぱりと断ってある。ファンタジーの作家やアーティストのようにそういう世界に抵抗のない人はまあいいとして、中立的な立場に立ったとしてもこの本のほとんどの内容は、確かめようがないのが実情で、これが真実であるかないかなど是非に及ばずということになる。しかし、今回は、その中でジェインズの著作に関係ある部分にしぼって述べてみる。ある種の符合が見られるからである。

アカシャ年代記というのはアーカシックレコードとも呼ばれ、グノーシスや神智学において語られる宇宙記憶に刻み込まれた宇宙の全歴史を指している。この中では、プラトンがかつて述べたようにアトランティス大陸の存在が前提になっている。それは約百万年の間現在の文明とは異なる文明の舞台となった場所であり、紀元前一万年に亡んだとされている。アトランティスに関しては、色々議論があって、つい最近も大西洋にかなりの面積の台地状の海底が発見されてアトランティス大陸の一部の可能性があるという報道もなされていた。

シュタイナーによれば、アトランティス以前にはレムリア人と名づけられた人々がいて現在の南アジアを中心としたレムリアと呼ばれる地域に住んでいた。他の地域の人類が、ほとんど獣に近い状態であった頃のことであり、地球の火山活動がまだ活発な時代であったようである。この人々には総体的に記憶力はまだなかったが、事物や事象の表象は形作ることはできた。が、表象は記憶に残らなかったのである。真の意味の言語はまだなく、発し得たのは感情や快・苦を表現する自然音であった。少年たちは厳しく鍛錬され取り残されたものは死するままにされ、少女たちは、夢想や空想の才が発揮できるように鍛錬された。

高度に進化した指導者のもとに素質のある女性の中から彼らの指導者が育てられた。この女性たちの中で記憶や空想の能力が発達を遂げ、公共生活のための初歩的な制度、善悪の観念(道徳観の端緒)が生じた。やがて女性の中に「内なる声」が生じて自然が語りかけるようになる。宗教と呼びうるものが生まれ、神々との交信の原形というべきものが発展した。後の人類の「密儀」の前身のようなものが現れたのである。言語は、歌に似た状態にまで発展し、思念の力は可聴的な音に変換された。人はそのような女性の周りに集まり、その歌のような言葉や音の中の高次の力を感得した。女性の影響力は、ある種の節制ある態度の形成、感覚的直観の洗練、美に対する感情に及び、これら人間に共通する感覚生活や感情生活への影響の大部分が女性の魂から発せられた。こういう人たちの中から後のアトランティス人の祖先たちが出現するのである。

アトランティス人たちもまた、現在の人類とは異なっていた。論理的知性や算術的能力が初期のアトランティス人たちにはなかった。しかし、高度に発達した記憶力を持っていた。人の心の中は生き生きとした様々な映像に充たされていた。記憶に頼る教育は人生を画一化し、発明はなく、思い出すことだけが必要とされた。それゆえ、権威者とは多くを思い出せる年長者だった。記憶力と結びついて発達した他の諸力は、生命力と結びついていたために、彼らは植物の生命力を使って交通手段に使用し機械のようなものを動かした。

アトランティスの初期の人々は、ルモアハルス人(以下6人種が登場するが煩雑なので名前は省略したい)と呼ばれ、言語を発達させることができた。人間は、自らの内に言語を作り出し、その音声言語は外部世界の諸対象と対応していた。言語の媒介による伝達が未熟ながら可能になったのである。言葉は、治癒力をもち、植物の成長を速め、動物の狂暴をしずめた。言霊としてある種の力を持っていたのである。この力の豊溢は、自然への宗教的な感情へと発展していった。言語は神聖な力であり、良き呪力であったが、誤用は破壊をもたらした。

2番目に繁栄した人々の中では、徐々に自分個人の価値を感じ始めるようになる。名誉心が生まれた。人は、自身の働きが人々の記憶に保持されることを望むようになるのである。こういった諸々の行為の記憶を基にして指導者が選ばれ、王制が発展した。かつては、血縁か全く自然な力によって形成されていた集団は、共通の行為への追想に支えられた集団へと変化していくのである。

社会共同生活は、3番目の人々たちの中で国家形成の段階へと発展していった。共同体の指揮権、統帥権は世襲であった。父親は、同時代人たちの記憶の中に残っていたものを子に伝えた。先祖たちの行為は、その子々孫々に至るまで忘れてはならないものであった。教育により、また、秘儀伝授を受けた者たちの指導によって能力を高めた王や指導者は絶大な力と尊敬を得たのである。

しかし、記憶の発達は卓越した個人の強権へと通じていった。すでに現れていた野心は、利己心へと転化した。生命力の制御は現在の人間が思う以上の力を有しており、それが個人の利己主義の望むままになされたなら、結果は深刻なものとなるのは当然だった。そのことは、4番目の人々の中で起こった。それを押しとどめることができるためには思惟能力が必要であった。

論理的思索は、次の5番目の人々のなかで発展した。人は、単なる過去の追想ではなく、相違する諸経験を比較し始めるのである。判断力が発達して、欲求や欲望は判断力によって統御されるようになる。人は、計算すること、関係づけることを始め、思惟的な活動をし始める。同時に彼らは、「内なる声」に耳を傾けはじめる。この人々は、行動の動機を人間の内面へと移した。いまや、人は為すべきこと為すべからざることの折り合いを自身の内面でつけるようになるのである。この人たちから思惟能力やそれに関連したものの全き発達をその使命としたアーリア人たちが現れる。アトランティス期が人類の精神史の四段階目だとするとアーリア人がその課題を成し遂げるのは今日の五段階目にあたる。

引き続く6番目の人たちはその前の人々以上に思索能力を発展させた。単なる欲望や欲求が賢明さにとって変わりつつあった。いまや、思索にとって最も納得のいく答えを見いだせるものが指導者に選ばれた。才気ある者である。思索の計画力は、人を新たな企てへと、新たな建設へと駆り立てた。植民地化と通商が進行していくことになる。最後の7番目の人々が登場する。後に、アジアやヨーロッパの一部にその後裔が存在するようになる人々の祖先である。彼らは、それ以前の人々に比べ思惟能力よりも記憶に対する感情に忠実だった。揺れ戻しが起こるのである。

アトランティス期の終わりには3種類の人がいた。「神の使者」として崇拝されていた人々、思索能力は不活発だったが現在の人間が失った自然能力を持ち合わせた多くの人々、思索能力を発達させた少数の人々である。アトランティス人たちは、彼等よりはるかに高度に発達した能力を持つ指導者たちに従っていた。その指導者たちが、「神の使者」である。指導を受け、思索能力を発達させた優れた者の中から密儀を受けるに相応しい者が選ばれた。やがて、可視の「神の使者」を超えた存在、不可視の神々について語られる日が来る。それが後の「偶像を刻むべからず」という教えの起点にあった。アトランティスが亡んだ後、生き残った人々は、ポストアトランティスと呼ばれる現在までの時代の先駆けとなっていった。

以上がシュタイナーの述べたレムリアからアトランティスに至る人間の精神的進化の流れである。歴史が必ずそうであるように、それらも線形的に語られている。しかし、彼自身が断っているように、レムリア人、ルモアハルス人などのこの歴史に登場する人々は、ある時代を共有しながら発展したり、絶えていったり、逆に現在まで子孫を残したりした。多くは、部分的であっても同時並行的に進展していったことがらなのである。このことはご注意願いたい。これはジェインズの記述にもあてはまることである。

シュタイナーの立場は、神智学やドイツ神秘主義の流れを汲む思想にあるし、ジェインズは、ユニークではあるが科学者である。シュタイナーにとって神的な存在は実在したし、ジェインズにとってそれは右脳の幻影だった。その立場は真逆といっていい。しかし、二人とも過去の人類の文化に対して深い敬意をはらっていることにかわりない。時代や場所を度外視すれば、そこに語られる内容には、多くの一致点がみられる。人類は精神的な変化を経てきた。古代中国に関しては白川静さんの著作をご覧になることをお勧めする。それは神を中心とした時代から論理的な思索を中心とした自我を獲得してゆく道行であるということである。その中から私たちは、文学や芸術の大きな流れを掴みとることができるのではないか。この観点は非常に重要である。それでは、次の人類の精神的な課題は何なのかという疑問が湧く。まずは、シュタイナーの「アカシャ年代記より」をお読みください。