折口信夫 神事舞踏の解説としての能/「しゞま」と「ことゝひ」の中のシテとワキ

折口信夫(1887-1953)
民俗学者・国文学者・国語学者

折口さんは、日本の学者の中でも極めてセンシティブな人の一人ではないかとよく思う。今回は、『能楽に於ける「わき」の意義/「翁の発生」の終篇』を中心にご紹介したい。またもや眼を開かれたのである。

五月の田遊びから田楽(でんがく)が生まれた。田遊びは豊作の予祝行事である。その田遊びに呪師(のろんじ/まじない、加持祈祷のたぐいを行う人)系統の芸能が加味され、後に念仏系のものが加わって田楽が生まれた。この田楽の副演出として田楽能が行われる。田楽での主要な演目は、実は田楽能であり、そのわき芸を勤めたものが猿楽である。そう折口さんはみている。このわき芸は二つの役割を兼ねていた。一つは、まじめなものに対するおどけの役割で、このおどけの方は、狂言・をかしとなった。をかしはからかいの意味で、猿楽の面白い部分だけを吸収して自立したのである。もう一つの方は、至極まじめで正式なものとしての役割で、能楽の本芸である脇方能となった。能の源流はこの脇能にあるというのである。

このわきという言葉は、日本の神事からでていると折口さんは考えている。一人の媛(ひめ)に幾人もの弟媛(おとひめ)があるように随伴者というよりは若いという意味がつよい。わくという古動詞から来たと考えられる。ここから神聖な役を勤める者、控え役の観念が生まれたという。

田遊びなどには「もどき」と云うことが繰り返される。真面目な一番がすむと、装束や持ち物をくずして出てきて、前の舞を極めて早く繰り返し、おどけぶりを変えて引き揚げてしまう。折口さんは日本の芸能が同じことがらを変奏しながら漸層的に発達したと考えている。それは、日本の宗教が極めて象徴的であったためにそれを説明するためには色々な現し方があったからだという。一つのことを説明していくうちに姿・形を変えながら大きくなった。日本の芸術はその発生にあたって、まず説明をまたなければならない事実が横たわっていたというのである。

古代、神々は語らぬ時代があった。それが「しゞま」である。やがて、神々が語りはじめる時がやってきて神語(かみごと)が生まれる。私たちの先祖がその場限りの会話としての言語ではないもの、反復され残されなければならない言葉の或ることを知る時期である。日本文学は、ここを出発点とする。これは、折口さんの『「しゞま」から「ことゝひ」へ』という文章の最初のあたりに書かれている。古い世には庶物の精霊が神語をなしたと考える時代があった。「磐(いわ)ね」「木(き)ねだち」「草のかきは」も神語を表する能力があったとする考えである。これを「ことゝふ」あるいは「ことゝひ」と称していた。それは、ただ発言するのではない、「言いかける」という原義から出て対話する、問答するという義を持っていたらしいのである。

折口さんは、神にして人語を発するものは海のかなたより来たと考えている。有名な「まれびと」論である。その神は時を定めて来臨する常世神(とこよがみ)である。村落に「さきはへ」もたらすためにやって来る。そこでは、村落に禍する精霊を圧服するためにこれら低級な神々に「ことゝひ」したのである。それは「ことど」という語の活用であって、この語は、命令を含んだ約束であった。「これこれのことはできないぞ」「これからこうせよ」という誓いをさせる言葉であった。日本の神事演芸は、神と精霊との対立に基本単位があると折口さんは書いている。シテ対ワキの構図はここを源にする。

奈良豆比古(ならつひこ)神社の翁舞

能楽で重要なものは「翁」である。江戸時代までは興行日数のある限り毎日演じられていたという。それは、あらゆる演目を超越した存在だった。すべての能は「翁」の副演出であるというのである。折口さんは、書いている。『「翁」に対する黒尉、即ち三番叟は、誰が見ても、白式の尉のもどきである事が理解できる。翁が神歌を謡いながら舞うた跡を、動作で示すのが三番叟である。三番叟を勤める役者が、狂言方から出るのは、深い意味があって、動作が巧妙だからなどと言ふ、単純な理由からではない。白式の尉の演ずるものは、歌も舞ひも、頗る象徴的のもの ――河口慧海氏は、とうとうたらりは西蔵語だと言うて、翻訳されたが、これは恐らく、笛の調子であろう―― であって、その神秘な言動を動作によって、説明するのであるから、此はどうしてもわき方の役者によって、演じられなければない。脇方としては、重要な役目である訣だ』と。(参考に奈良豆比古神社の翁舞の動画を最後に添えておきたい。)

能楽ではさらに説明がつく。それが神能である。養老・田村・高砂・嵐山など神仏に関係したものが演じられる。前シテで田夫野人であったものが後ジテで実は神・仏或いは聖なる者の姿となって現れるのである。翁の芸を三番叟が翻訳し、さらに神能が説明し、次の能で神能の説明が行われる。

このように解き明かされていくと能の本源である「翁」とはどのような存在であったが、理解できるだろう。能楽において翁、三番叟などの式三番は現在でも極めて神聖かつ重い曲として扱われており、上演にあたって役者は一定の期間別火(べっか)という物忌みを行い、当日は鏡の間に祭壇をしつらえ、舞台に上がる前に各役が盃事と切火で身を清めるなどの特殊なしきたりがあるという。また、能楽理論書『明宿集』の中で金春禅竹は、翁を「猿能の能の世界を司る存在」と捉えていたようである。翁とは「宿神」つまり、この世とあの世を繋ぐ精霊のようなものと記されている。折口さんの言う「日本の芸術がその発生にあたって、まず説明をまたなければならない事実」とはこれではないだろうか。

奈良豆比古(ならつひこ)神社の翁舞  この映像はダイジェスト版だが、フルヴ―ジョンを見ていただくと白式尉の翁舞を黒尉の三番叟がもどいている様子が窺える。