金子光晴 詩集 『人間の悲劇』

金子 光晴 1895-1975

金子 光晴
1895-1975

この前、綴った吉田一穂(よしだ いっすい)の詩集との繋がりで金子光晴(かねこ みつはる)という詩人の作品に興味を覚えた。一穂は金子にとって早稲田大学の後輩にあたり、その後の交友も深かったようだ。谷崎潤一郎にかわいがられたとか、谷川俊太郎さんがその詩をとても愛していたとか、金子光晴についていろいろ知ってはいたが、本当に必要としなければてんで見向きもしない、そんな性格が災いしたためか今日までその世界に触れることはなかった。ついぞ世間を窮屈なものにし、人との交わりも狭めたのはこの性格のためだったと、50を過ぎて今更気がついても遅いのかもしれない。遅きに失するとはこのことだ。

今回紹介するこの散文を交えた詩集『人間の悲劇』は、第二次大戦敗戦直後の三年間の作品を集めたもので、N0.1からNo.10までの構成になっている。作者は序文で、この本を書くことで自分はじぶんのヒフと、どこまでもつづくそのヒフのつながりを観察したかったと書いている。それが自分の生涯を何回でもやり直すことのできる唯一の方法だとも言っている。肌で感じた敗戦後の空気を綴ること、それが自分をリセットする方法につながるのだと。なお、「」及び<>内の文章は原文の引用です。

 

No.1―航海について

「――貴様だ。貴様だ。逃げても駄目だぞ。貴様が被告だ! 

さぐりあてたつもりの真実が、表現するなりうそと変わるように、海のいきものはつれてくるよりはやく死んでしまう。海というものは、たしかに現実の場所でありながら、夢よりもへだたったところである。

そのふかさを僕は、船のてすりからみおろしてすぎる。 

牙や爪をかくして、馴々しくすり寄ってくる『死』が、太陽にくすぶり、生葱に似た辛辣なNéantの臭いをふりまいては、船尾の方へ見送られる。喪礼の鐃鈸(にょうばつ)。‥‥‥渦の中で沸きかえる爽やかなフルーツ・ソルド。棺のふちにとりついて、さかさまに僕をのぞき込む。『時間』のはてにおしながされる僕を死んだ僕がながめていう。‥‥」

最初の詩は航海を扱った作品で始まる。海という無限に続く世界を打ち眺めながら<落日を浴びた吐瀉物に押しながされ、うしろむきになったまま航海している>自分。水平線の一線を越えることは難しい。海の真実は常世の死の世界なのである。それに出会うことは、死に別れた人とめぐりあうことよりも難しいという。そして次の文章でNo.1は終わる。

「‥‥夜になると、鞭毛で游ぎまわる星、そそけた神経の末端で、おののいている星くずが、燃える燭火の孤独なにぎやかさで、僕を誘い、僕の舟の船首は、鋭いガラス欠けのような、洗濯ソーダのような、ざくざくな星のうえに乗りあげるのだ。」

海は墓場のイメージ。それによって生み出される死の世界は、夜の煌めく星のような世界に取ってかわられる。吐瀉物の粘液のような水から輝く星の水へとイメージは逃れていく。やはりランボーの翻訳者だ。

 

No.2  ―自叙伝について

いつからか幕があいて
僕が生きはじめてゐた
僕の頭上には空があり
青瓜よりも青かった。
やぶれ障子が立ってゐて
日本人の父と母が
しょんぼり畳に坐ってゐた。

茗荷(みょうが)の子や、蕗(ふき)のたうがにほふ。
匂ひはくまなくくぐり入り
いちばん遠い、いちばん仄かな
記憶を僕らにつれもどす。

おもへば、生き続けてきたものだ。
もはやだいたいわかりきった
おなじような明日ばかりで
大それた過ちも起こりそうもない。

いつのまにか、僕にも妻子がゐて
友人、知人、若干にかこまれ
どこの港をすぎたのかも
気にもとめぬうちに、月日がすぎた。

そのうち、はこばれてきたところが
こんな寂しい日本国だった。
はりまぜの汚れ屏風に囲はれて
僕は一人、焼跡で眼をさました。

 

定本 金子光晴 全詩集

定本 金子光晴 全詩集

金子は、このように僕たちは生まれ、僕の不運が始まったという。上述の詩のように。まるで自我の誕生がこの戦後の焼け跡で起こったかのように。

 

No.3―亡霊について

「水の底からレコードがきこえる。ふき込んだ人はとうの昔に死んでいるのに、声だけが生きのびて、うたいつづけているのだ。‥‥‥実体は侵されている。類推で。論理で。死命を制するものは、僕ではなくて、拡大された僕の影だ!    亡霊だけが生きのこり、亡びた僕の名を騙りつづけ、生きている人間を苦しめるのだ。死んだ僕が神になったと人々は信じこまされるからだ。しかし、もう万事休す。亡霊の悪徳を、いくら数えあげても既におそい。人間の歴史とは、亡霊の歴史の謂なのだ。」

僕らにはもう、判断の主体、自我とよぶものすらないという。実体は侵され、亡霊の所業が歴史というほろびの縄をあざなう。人間の魂は売られていったのだと金子は考えているのである。

 

No.4―死について

小町変相図が登場する。夢野久作の『ドグラ・マグラ』でお馴染みだが、人の無常を教えるために描かれた。小野小町がモデルだとされる若い美人の死体が腐乱して白骨化していく様子を九つの絵に描き分けたものである。本来仏道の修行のために作られた。変相図の執拗な詳述の後で彼はこのように書いている。

「そして、僕らが『死』について考えることができるのも結局、生きている間の認識であること、小町変相図が屍の繚乱たるふわけであっても、本来死とはなんのかかわりもないこと、『死』はどんな気体よりも虚しく、かるく、ものさびしいのに『死体』は来迎の聖衆や、地獄のどんちゃん騒ぎとつながる肉体の業苦の記憶で、人のこころを戦慄させ、あるいは魅了するということを気附くよしもなかったが、曖昧な死の恐怖こそ『生』の淵叢であることも、おもい及ぶすべがないことだった。」

関東大震災で多くのむごい死体を見た金子、また大戦中に多くのことを経験したであろう彼がこのように書いていることにある種の達観を感じるのである。死も生も一つの硬貨の裏表だと。

金子は1928年(33歳)から5年に亘る上海での生活を回想した『どくろ杯』のなかで地獄についてこのように書いている。参考にお読みくださればと思う。

「必死に浮びあがろうとするものの努力に手を貸す行為は花々しいが、泥沼の底に眼を閉じて沈んでゆくものに同感するのは、おなじ素性のものか、おなじ経験を味わったもの以外にはありえない。地獄とはそんなに怖ろしいものではない。賽の目の逆にばかり出た人間や他人の批難の矢面にばかり立つ羽目になったいじけ者、裏側ばかり歩いてきたもの、こころがふれあうごとに傷しか残らない人間にとっては、地獄とはそのまま天国のことなのだ。男と女の愛情が、互いの片ももや胆(きも)を食いあらすことでしか真情をあらわしようのない血肉の無惨さがわかるのは、同類同士でなければならない。」

 

No.5は呪われた遺跡のような街を扱っている。表題はない。

「そして人間。そこで僕が出あった二つの顔の、一つはおのれを他人におしつける意欲など全く失ひ、即ち、生きることすら放念した顔と、もう一つは、追剥ぎと早変わりするがつがつした乞食の顔であった。ここではなにがあった?――戦争があったのだ。」

そして、或る女との会話が述べられる。

「過去なんて戦争がみんなこわした筈じゃありませんか。」
女ははげしく首をふる。
「なんにも失くなりはしませんわ。過去はみんなどこかに大事にしまってあるのよ。戦争なんかお皿一枚だってこわせやしないわ。一たんこわれたって、焼けたって、こわれる前、焼ける前がそっくりあるじゃありませんか。」
そして最後はやはり海のイメージが登場して終わる。タイトルは、『科学の勝利の歌』。

アセチレンランプで
海の底からてりかえす
ちぎれちぎれな死の
なんたるしおらしさぞ。

女の高腰のへんまで
たかまる波のはらに
懐胎よりもまばゆく
透いてゐる水母ども。

ひらいたり、しぼんだり
ちかちか光る水母とともに
つかいすてたゴムサック同様
もまれてゐる僕の屍。

あんまり中味がないので、
かるすぎるので
波は、あきれ半分、僕を
ふりちぎるようにゆすってみたり
ぽいと吐きすててみたりするのだ。

 

No.6―ぱんぱんの歌

ぱんぱんは娼婦のことである。金子はこう書いている。

「日本ぢゅうの人間どもが、たれかれの区別なくいぢいぢとちぢこまり、卑屈になりはててゐるけふこのごろ、よごれた茜木綿の風呂敷で臀を巻き、血肝のように唇をぬりたくり、髪も黄に染めてわっとちぢらせ、できもののあとだらけな、ふといがに股足に、男のちび下駄をひきずり、怖れ気もなく、颯爽と、細かい神経や、外聞や、けちくさい良識などを、やけあとの空缶や、石ころといっしょに蹴つくりかえして、闊歩しているぱんぱんさんたち、君たちこそ、僕が待ちもうけてゐた驚異であり、ただ一つだけ喝采を送るに値したこの時代の花形なのだ。」

娼婦を神聖化しているわけではないだろうが、ある種の共感をいだいているのは確かなようだ。現実に押しつぶされないで、向かい合っているという意味での自分勝手な理想像なのだろう。そのことも自身でよくわかっているように思う。このようにも書いている。

「いまもぱんぱんさんを拠りどころにして僕が柄にもなく、見はてぬ夢をひそやかに追ってゐること。そのおろかさ。戦争で日本人たちがうしなったもののうち、みえてゐるものよりも目にみえないものが比較にならないくらゐ大きかったことを、かへらぬと(まま)なったいまになって、はじめて気付いたこと。それも財産や名誉ではなく、もっと重大な凛質や気風のようなもので、それを失ったためにのちのちどんな精神の落魄がくるか、そのふかい影響については予想もできない、それほどの取返しのつかない過失を犯しておきながら、誰一人すすんで責を引いて、十字架にのぼろうとするものもなく、直接、間接の因由について、ありのままに究明しようとするものもないこと。それらのことが悉く、僕らのふみ止まり要もない零落とむすびついてゐること等々。僕はうなだれて、もと来た道を引っ返してゆかうとした。もはや、ぱんぱんさんたちとも面を合わせても気怯ればかりで、なに一つはきはきと応対できそうもない。いづれは、焼け出されて、親兄弟を失ったぱんぱんさんたちの不幸な身の上を、他人の悲運に興がる下素な人間根性で、同情してきてゐるわが姿が鼻についてきて、考えてもやりきれなくなってきたのだ。」

このような慨嘆は、やがて彼の著作『絶望の精神史』へとつながってゆく。他をなで斬りにする批判意識は、取って返して自身をも傷つけるとしても。

 

No.7は、表題はない。駐留軍黒人兵士と日本人の娼婦との生活が語られ詠われる。

「男のものが万国共通なように、愛情のこまやかさが、国境や人種差別を超越して、どこに一つかはりのないことを、おのが肌身で会得した彼女たち。彼女たちは、まごころに、まごころでこたへる。」

「偶然と過失の中からだけしか明日がうまれないとしても、希望をすてるには、まだまだ、早すぎる。ミシシッピを遡るときの、君たちのなつかしい舟唄を僕は心にしみてきいたものだ。壺のなかに入れて封印されたようなくらやみの森のなかで君の大きな目と白い歯が浮いてゐる。人間ではない。ただ、労働力でしかなかったむかしのガリア船の橈手のように君はあひかわらず『奴隷解放』の聖戦のあった民主国で、自由の御名のしたで、蟲けらのように差別され、酷使をつづけられてゐる。君はいまも続々と、本国から、みしらぬ前線に送り出され、駆り立てられ、君たちよりももっと貴重な人間の命を守るために人間の盾とされ、弾丸よけの壁とされる。君らは、生還の『不可能』、息のできない『真空』の中に立たされ、『死』にむかって進軍することを強制される。」

ここにはヒューマニズムがある。しかし、金子はそれを娼婦との生活という満艦飾の座布団の上に据える。さもなければただの上面な同情しか語れないだろうから。ヒューマニズムはここでは、ドブの底から見上げる天の河なのだ。そして以下の文章は正直だ。彼は自分の恥部をかくさない。

「僕には、方途がない。方途のない僕を、また誰も、どうすることもできないのだ。他人の不幸をかえりみることができないほど、誰も、彼も不幸なのだが、見捨てるものの不幸はもっと大きく、生きている欣びを片端から食い散らす。だが、あらゆる不幸を無視して、『生理』だけがなぜこんなに旺盛なのだろう。」

 

No.8―海底をさまよふ基督

まず『お医者様の歌』を途中からお読みください。

‥‥
しゃがれ声の子宮。
ひからびた卵巣。
一つの自我もそこからは
うまれ出てこないゆきづまり。

自我を領ち与える母の欣びは
それを失ふ悲嘆の道につながる。
『先生。どうぞ
この子だけ生かせてくださいな』

ざんざんと雨はふりやまず
くされゆくざうふで世は息もできぬ。
ここは戦場だよ。だがいったい
なにが生きのこらなければならないのだ?

天なる父の愛子のお医者さまは、
2ccの注射器に
からっぽの奇跡を透かしてみながら
エリ、エリ、ラマ サバクタニ、

新しい鉄柵の影のように
救われなかったものの
肋骨どもが立ちあがる
怖るべき批判の曙、曠野の仄明り。

――君は神の子ですってね‥‥‥どうして裸でいるんです。この寒さに。
――人間の苦しみに代わるためです。
――ふむ。もう神のことなら、われわれの方がよくしっていますよ。人間は、神のすぐとなりに坐って、神が人間に感化され、人間のまねをするのを待ってゐます。つまり、いひわけがほしんですね。‥‥‥君が裸でゐるわけも教へてあげませうか。裸よりほかに身をかくす嘘をおもひつかないんでせう。
裸男は、あかくなって下をむくと、涙ぐんだ。そして、言訳らしく言った。「海の底から来たんですのに、どうして私をしってゐるんです。」

ここでは当時の神に対するイメージの一端が述べられている。なお、罵倒されるキリストの身の上を描写しながら『海底をさまよう基督』という詩の中で金子は、このように詠っている。

‥‥‥
姦淫しながら
殺しあひながら
ぬすみながら
ほろびたからだは
びろびろした肉片は
戦慄し、しびれ、みだらにのびちぢみ
あの声を怖れ、また、忘れながら
鼻の先で、からかひながら
波のまにまに、うかびただよふ。

キリストとはなんだろう。
どうせ、人間の罪の影さ。
生まれたものの宿命が
生れなかったものの無垢を
嫉んでいふ。

おゝ、しかし、みろ
キリストがすぎていった海の
林檎酒のような
潮流の甘さ。

‥‥‥

 

No.9 表題はない。表題をつけるとすれば「仮面の中の奴隷」だろうか。

「おたがひに、個人と個人は、あひてを識るひまがないうちに、短い生涯が過ぎてしまふ。それどころか、生きてゆくためには、仮面の方が便利で、正体が知れてゐるのだ。‥‥‥いったい素顔なんかというものがあったろうか。それこそ、祖先どもがじぶんに似せてつくった面型の不出来な見本にすぎないのではないか。」

まずペルソナとしての仮面が語られる。それは、<必死なひしめきで身に迫り、落ちつきなくさわさわと、日本の夜のこちらのすみ、あちらのすみ、ごそごそと売買され、闇から闇へ手さぐりで品物を受け渡す>者たちの着ける戦後の仮面。戦争から帰ってきて、新しい主人におなじそぶりで追従笑いを浮かべ、<醜めの見立てのしかつめらしい面>をすりかえもせずに、自由の使徒のように振る舞う彼ら。彼らは無法を夢見るロマンチストなどではなく奴隷なのだという。次に紹介するのは、『仮面の唄』。

こんな空気を吸へば死んでしまう。
で、僕は防毒面をかぶる。
その面から根が生え
血や、神経が通ひはじめた。

面のしたには、もう一つ
ほんたうの顔がある安心から
面をかぶってしたまちがひは
面のせゐにしてゐる。

ほんたうの顔?しれたものか。
もっと別の顔だったかもしれぬ。
現に、防毒面奴、泣くこと、笑ふことも
いろ目をつかふことまでもおぼえたよ。

人間から立ちのぼる毒瓦斯
屍の瘴気(CIC2H4 )で、
とてもこの世にゐるあひだは
素顔などみせあふ折はあるまい。

 

No.10―えなの唄

えなは、胎児を包んでいた膜や胎盤などを指す。えなの唄の中で金子はこう詠う。途中からその詩の最後までをお読みいただきます。

‥‥
戦争の白い荒廃のなかで僕がおもったことは、
人間どもよ。僕らのえなで結ばれた皮膚が、その結び目をさかのぼり、
指先の繊毛、暈のある指が、おたがひのくされを押して廻り、
おなじ破壊の兆候をたしかめあふことで、しばしなぐさめ、なぐさめられ、それを愛情と名づけてゐたことだ。
えな、えな、えな、ガラスのようなえなにつつまれた僕らの未来は、
それを破らないままで、とうのむかしに捨てられたのか。

「この世紀の注射薬で座どった僕らの中毒の皮膚が、システィナ拝殿のミケランジェロの岩塊のような巨人たちの皮膚といまさらどうしてつながりようがあらう。
この世紀は僕らを腐らせるものが多すぎるのだ!
石炭の反吐、ジュラルミンのよだれ。その他えたいのしれない化合物と、有害な瓦斯が、また、息づまるような分析や、計算が、まったく僕らを虚脱させる。」

そして、こう書いている。

「君たちは、この皮膚が薄きにすぎると気づいたことはないか。雲呑(わんたん)の皮に似たべらべらなこの皮膚が、たるんだり、ひっぱられたりしながらも、そのうすさで縦と横とにひろがってゐる限りない時空をおもふとき、僕のこころは行き暮れる。」

金子にとって時空は皮膚の延長である。世界は触覚を伝って広がっていく。蜘蛛の巣のような皮膚、しかし、触覚とは他と触れると同時に自らにもふれることである。それは、目もきかず耳も聞こえないものが取りすがる感覚。そして、こう述べる。

「――いまや、その皮膚がみわたすかぎり荒地となり、自他の境界も失われて、地平線のはてから、ざうふどもの腐りはじめる言語にたえた悪臭が、風にはこばれてきて、僕らの鼻づらをたたく。」

 

鼻づらをたたくもの、僕らを虚脱させるものは、今日でも変わりはない。場合によってはもっとひどくなっているかもしれない。しかし、金子はこんな詩をそっと滑りこませる。

ゴム風船みたいにふわついたお嬢さん。
青空でぱんぱん割れるお嬢さん。
うんこをお尻にちょっぴりつけて
とびまわってゐるお嬢さん。

いまが悲しい時代だって、君は若い。
君のからだははづんで、天と頬ぺたをつけっこする。
君の恋人になりたいな。だめなら僕は
せめて、石鹸になりたいよ。

くすぐったがるわきのしたや、
おへそや、またを辷(すべ)りまはり
君の素肌で泡をたてて
身を細らせる石鹸に。

君にとって、どうせ僕なんか、
石鹸ほどにも気にも止めぬだろう。
蛞蝓(なめくじ)のようなものをつかんで
君はおどろきの叫びをあげる。
『なんてこの人小さくなったんだろ』

ミケランジェロ 「最後の審判」部分

ミケランジェロ 「最後の審判」部分

金子は最後にこのように述べる。

「‥‥だがいま、恋愛とは奇怪なことなのだ。すでにそれは人類の懐古であり、不可能な憧憬なのだ。
これほどの悲劇は乃至喜劇は誰だっておもひつかないだであろう。‥‥黒板の字を消すように、あらゆる痕跡をぬぐひとった青空に、もう一度なにか書き直してみたいといふ意欲は、五十歳の外へ追放された僕にとっての、この世のおもひでとでもいふべきものだ。
それにしてもつゆの晴れ間の青空は、どうしてこんなに冴え冴えとうつくしい瑠璃色なのだ?古埃及(エジプト)王朝の空は紫、印度は蜥蜴青、支那は玄黒、そして日本のそらは洟水(はなみず)‥‥‥僕がいまながめてゐる上天は、それらのどの空とも、縦に、横に、つながってゐるが、それは丁度、この皮膚が縦に、横に、人類の永遠にわたってきれ目なくつながってゐるようなものだ。
花虻よ!
ほんとうに君は、どんな意図で、鮮明で怖るべき零のふかさをたたへた、からんとした僕の頭脳の灼熱したエーテルのなかを、そんなに大股に突抜けていったのだ!!」

もう、十年くらい前になるけれども、ある高名な美学者が講演会でこのような意味のことを語ったことがある。「日本という国は亡びてもいい、800年以上続いた国などめったにないのだから。しかし、日本語が滅んだら日本はない」と。私は、椅子から転げ落ちそうになるくらい吃驚したのを覚えている。その後、東日本大震災や原発事故が起きて、この言葉は私にとって益々重いものになっている。一方で、関東大震災や第二次大戦の敗戦をかいくぐった詩人たちが実にしなやかな精神を持ってそれらを乗り越えていることに驚きを禁じ得なかった。金子光晴という詩人を、その一つの例として取り上げた。もう一度何か書き直して見たいという彼の思いは、恋愛という不可能な憧憬にささえられるのか。その思いは、自分の頭の中に鮮明な直線を描き込んだ花虻がもたらした胡蝶の夢ならぬ花虻の夢だったのだろうか。