”世界をロマン化する” part2 中井章子 『ノヴァーリスと自然神秘思想』

ノヴァーリス 1772-1801

ノヴァーリス
1772-1801

1800年前後に自然神秘思想の再生によって自然観に革命をもたらそうとしていたのはノヴァーリスだけではなく、ゲーテ、バーダー、シェリングなどにも共通すると中井さんは言う。このような人たちはデカルトのもたらした機械論的世界観に対抗したのである。身体は単なる物体、生きた機械ではない。周囲の自然や宇宙とのつながりの内に在ってそれらを貫き流れる様々な力の働く場であると考えたのだった。

ノヴァーリスは特にゲーテの自然学を高く評価していた。ゲーテは「来るべき自然学」の最初の実例となった人である。「ゲーテは稀なる正確さをもって抽象するが、その際かならず、その抽象化が対応している対象を同時に構成する」という。理論だけでなくそれをいかに述べるかも同時に重要だと考えていた。

しかし、ゲーテは自然科学という領域からあえて踏み出そうとはしなかった。ノヴァーリスはそこを踏み越えて霊的な領域との接点を見出そうとしたのである。ここに二人の大きな違いがあった。ノヴァーリスやゲーテの時代は、科学的進展の足音がそれ以前よりもはやまっていた。電気、磁気、化学反応、生物電気など多様な領域に新たな発見がもたらされていた。大量の電気エネルギーの蓄電器の一種であるライデン瓶が1745年ライデン大学で、ミュッセンブルークによって発明され、電気と磁気の関係の解明は1800年代前半にエルステッドが電流によって方位磁針が影響を受けることを発見したのが始まりだった。ゲーテの自然学はそれ以前の博物学的なアプローチであったのに対して、ノヴァーリスのそれは19・20世紀的な自然科学、様々な力を対象とする物理や化学であった。それらが自然を一つに繋げている力の表れだと考えれば、その延長にガイスト(精神=霊)との繋がりを考えることはノヴァーリスにとってはそんなに難しいことではなかったのであろう。彼はフライベルクの鉱山学校で鉱山学の他、化学、数学などを学んでいる。それは当時、相当レベルの高い学校であった。

ノヴァーリス全集Ⅰ

ノヴァーリス全集Ⅰ

「人はさまざまな道を歩む。その道をそれぞれ辿り、比べ合わせてみるならば、数多の不思議な形象(もの)が立ち現れてくるのに気付くだろう。こうした形象は、鳥の翼や卵の殻に、雲や雪や結晶、岩の紋様、凍った水面、山や草木や禽獣や人間の内面と外面に、天空の日月星辰に、あるいは瀝青板と玻璃板を擦り合わせたときや、磁石のまわりに蝟集する鉄粉や、偶然がもたらす数奇な廻り合わせの中などの至るところに見出せるあの偉大な暗号文字の一つであるようだ。こうした形象の中に、この秘密文字を解読する鍵が、そしてそのための言葉の手引きが予感されるのだが、しかし、この予感は確たる形をとろうとはせず、それ以上たしかな鍵になろうとはしないようである。人間の感覚の上には、一種の万物溶解液(アルカヘスト)がふりかけられているらしい。一瞬、願望と思念は一つところに凝集するかに見える。そして、さまざまの予感が湧く。だが、それも束の間、一切はふたたび朧にかき消えていってしまう。」(ノヴァーリス『ザイスの弟子たち』)

上に掲載した文章は『ザイスの弟子たち』の冒頭である。引用にあるように甲殻類や植物や動物の形、雲の形や結晶、あるいは薄板上にまいた粒子を音で振動させて出来る波形(クラドニ図形のこと)などをノヴァーリスはフィギュアと呼んでいる。クラドニ図形については のところで述べておいた。これら結晶や音の波形、動植物の形態は、内に働く力や運動の表れである。それらは電気、磁気、音(振動)によって生じる。例えば、結晶とは彼にとって凍れる音楽だった。「色が屈折させられた(gebrochen)光であると同じ意味で、音とはさえぎられた(gebrochen)運動にほかならいと思われる。色は、物質と光の平衡(ニュートラル)状態のようなもので――物質の光になろうとする努力――またその反対の、光が物質になろうとする努力だ。すべての性質は、このような意味で、さえぎられた状態ではないか?‥‥」と述べている。結晶などの形は運動がなんらかの妨げにぶつかり、中断されることによって生ずるというイメージないし「思考の型」が彼にはある。何らかの力、運動がある抵抗にあって形態化するといっていいだろう。その力、運動は当時の先端科学だった電気や磁気などに関連付けられた。それらをノヴァーリスは音あるいはその延長としての音楽というイメージで捉えているようなところがある。こう述べている。「自然学。結晶から人間に至るまで、あらゆる具象的形成物(plastische Biludung)は 、音響学的に、遮られた運動によって説明されるべきではないか。化学的音響学(chemische Akustik)。」

当然、音楽の音も、遮られた運動だった。さらに、絵画、彫刻は、音楽の形象化(Figuristik)に他ならなかったし、あらゆる病気は音楽的問題であり、治療は音楽的解決である。音楽的自然学もある。中心は協和音、(森羅万象の)円周も協和音である。すべてのものは、音響的に刻印され、シルエット化し、暗号化するよう強いるべきであるとノヴァーリスは考えていた。『青い花』の第二章のメールヒェンでは楽器を演奏することによって星や動物たちに共感をひきおこした音楽詩人が登場し、第三章のアトランティスのメールヒェンではリュートの音楽が歌とともの重要な部分をしめる。ゲーテが極めて視覚的な人であったのにたいして、ノヴァーリスは極めて聴覚的な人であった。

ノヴァーリスの音楽論は、さかのぼってルネサンスを経て、ピュタゴラスの西洋古代の音楽論につながる。ピュタゴラス同様に音楽は数学と密接に関わっていた。このように述べている。「音楽的数学。音楽には結合解析学(Combinatorische Analysis)に通ずるところがあり、逆に結合解析学も音楽に通ずるものを含んでいるのではないか。数の調和――数の音響学は――結合解析学に属している。[‥‥‥]結合解析学は、数の幻想曲(ファンタジー)につながり――数の作曲術――すなわち数学的通奏低音を教える。(ピュタゴラス。ライプニッツ。)」私の意見だけれど、結合解析学はライプニッツの結合術(アルス・コンビナトリア)を指していると思う。ライプニッツの結合術とノヴァーリスの関係はジョン・ノイバウアーの著書「アルス・コンビナトリア― 象徴主義と記号論理学」に詳しい。

ジョン・ノイバウアー 『アルス・コンビナトリア― 象徴主義と記号論理学』

ジョン・ノイバウアー
『アルス・コンビナトリア― 象徴主義と記号論理学』

このようにノヴァーリスの中では、物理や化学における力やエネルギーといったものは音と数学に密接に関連するものとイメージされていた。それにはこのような古代ギリシア以来の不可思議な存在・力にたいする認識があったからである。それはエーテル(アイテール)と呼ばれる。彼はこう書いている。「私たちの内にはある能力があって、これは私たちの外なる大空――エーテル――かの不可視に見える物質――至る所に存在し且つ何処にも存在せず、全てであると同時に何物でもない、賢者の石と同じ役割をはたしているのではないか――私たちはそれを本能ないし天才と呼ぶ――それは至る所で先験的にある。それは、未来の充溢――時の充溢そのものであって――時間の中で、空間における賢者の石に相当する‥‥ 」 あるいは、こう云いかえている。「万有の創造的形成力[想像力]。」このエーテルという言葉は古代ギリシアの自然哲学の観念であり、大空を包み、万物に入り込んでいる微細な霊的物質、神的な力である。錬金術においては「賢者の石」「哲学者の石」「ティンクトゥラ」「エルクシール」と呼ばれる。想像力と形成力の相互の交換。ついでに言うなら、ベーメはこの「大空(=エーテル)」を神が無から万物を造った時の「無」「時と永遠のつなぎ目」と呼んだ。

part1 でも述べたようにポエジーとはノヴァーリスにとって世界をロマン化するための創造行為であった。「ポエティッシュな本」を読むなら物事をその本来の相において見るまなざしを獲得すると考えていた。では、彼はポエジーをどのように考えていたのだろうか。自然における形態と彫刻、音と音楽の関係は言葉とポエジーの関係に全く等しい。ポエジーとは心情(内なる世界全体の提示)であり、音楽的ポエジーは心情そのものを多様な運動の戯れの中に置くという。「心情」の在り方は音楽に近いものであって、ポエジーとは心情の音楽性に基づく、その音楽性の表現であることを目指すのだという。内なる空気――内なる水と光であり、精神的な舞踏を作り出す道具であった。一方でポエジーは哲学的技術の一部門であり、言葉の技術のあらゆる段階を含むものだった。詩人はただ概念と関わるのであって描写などを概念記号として借りるだけだともいう。その創造は現実態の諸要素を自由に「結合する」こと、「構成」することだった。そこには数学的な手法を操る精神と等しいものが要求されている。そして、彼にとって最後は全て「ポエジー」となる。何故なら「世界は最後に心情になる」からである。それが「世界のロマン化」であった。

以上が中井章子さんの著書「ノヴァーリスと自然神秘思想」を私流に解釈したものをまとめた文章である。牽強付会に過ぎるとお叱りを受けそうな部分もあるかもしれないが、ご容赦願いたい。この他、いくつか指摘し忘れたところがある。例えば、ノヴァーリスの婚約者、14歳で他界したゾフィーのこと。シンボルとアレゴリーの問題。カバラについて。真の宗教を形成する結社への志向。18世紀後半に盛んになっていたフリーメーソン、薔薇十字団、啓明結社のような秘密結社を「これから成長していく重要な芽」と考え、われらのイエズス会をそれら秘密結社の母と考えていた。

ドイツ神秘主義の流れはその後、ルドルフ・シュタイナーの人智学に流れ込んでゆく感がある。結社への志向、ゲーテ自然学の認識方法(シュタイナーはゲーテ自然科学全集の編纂に携わっている)、形態形成力としてのエーテルの概念、機械論的世界観への対案としての教育・農業・医学・薬学、言葉の舞踏+見える音楽としてのオイリュトミー、そして薔薇十字会との関係、多様な要素は結晶化して19世紀末から20世紀前半にかけて一つのムーヴメントとなった。その流れは、やがてヨーゼフ・ボイスの社会彫刻となり、その死後、ボイス・シューラーとよばれるアーティストたちに引き継がれた。その後どうなったか、私はしらない。