アンドレイ・タルコフスキー 『映像のポエジア』 と E. ヨセフソン・インタヴュ― part1 映像論

アンドレイ・タルコフスキー 『映像のポエジア』 子供を抱いたヨセフソンがいる。

アンドレイ・タルコフスキー
『映像のポエジア』
子供を抱いたヨセフソン、「サクリファイス」の場面

エルランド・ヨセフソンはアンドレイ・タルコフスキーの映画作品である『ノスタルジア』や『サクリファイス』に出演した俳優としてつとに有名である。イングマール・ベルイマンの作品にも登場する名優だ。今回、タルコフスキーの著作に関して書こうと思ったのだか、彼の主著である『映像のポエジア』は、抽象的でいささか観念的なので、どう書いたらいいか考えあぐねていた。それで、思い出したのがこのヨセフソンのタルコフスキーに関するインタヴューの記事である。馬場広信さんと佐藤公俊(さとう  きみとし)さんがインタヴューし、佐藤さんが翻訳したのを随分前にもらったのだった。

「彼はいろんなことを説明しろと言われてうんざりしていました。これはなんの象徴なのかとかね。実は象徴では全くない。初めてタルコフスキーと同席した記者会見を憶えています。『ノスタルジア』の撮影に先立って、ローマで行われた記者会見です。ジャーナリストが多数出席していました。その中からまたぞろ御定まりの質問が出ました。何故貴方の映画にはたくさんの水が登場するのか?水にはどんな意味があるのか?というわけです。彼はこう答えました。『意味なんて全然ありません。私は水が好きなんです。水がたくさん出るのは、私が水を愛しているからです。』 ところが一方で、彼の書いたものはとても観念的に構成されているので、理解するのは容易ではありません。でもタルコフスキーが自分自身を象徴主義者の類とみなしていたとは思えません。とにかく水が大好きだったんです。それから霧とか、絵になる幾何学的なものが大好きでした。ゴトランドで『サクリファイス』のロケ中、毎朝早くから私たちは出掛けて行きました。タルコフスキーは霧が欲しかったんです。朝まだきの霧がね。それまでずっと待ちぼうけです。そしてある朝、突然目を見張るような美しい霧が海から流れ込んで来るのに出会いました。彼は振り向いてこう言いました。『だめだ、美しすぎる。』これはほんとうの話です。彼の美的感覚はそれほど繊細なものでした。」 (以下、ヨセフソンのインタヴューからの引用はこの文字の色で書いておきます。)

この文章だけで嬉しくなってしまうのはタルコフスキーファンなら分かっていただけると思うのだが、やはりご本人の書いたものを差し置いてインタヴューだけを掲載しておくわけにもいかない。そこで、できれば本人の著作にこのインタヴューを織り交ぜる形で紹介できたらと考えている。さて、どうなるか心もとないのだが。

アンドレイ・タルコフスキーは、1932年、ヴォルガ川流域のユリエヴェツの近郊ザブラジェで生れる。父はウクライナの詩人として著名なアルセニー・タルコフスキーだった。しかし、父は彼の幼少期に家を出て別の家庭を作ったために、主に母親に育てられたようだ。赤貧のうちに育つ。芸術学校で音楽や絵画の勉強を、次に東洋大学でアラビア語を学ぶが病気などもあっていずれも断念。1954年に国立映画大学に入学。ジャン=リュック・ゴダール、ルイス・ブニュエル、黒澤明、溝口健二、ロベール・ブレッソン、フェデリコ・フェリーニ、オーソン・ウェルズ、ミケランジェロ・アントニオーニ、イングマール・ベルイマンなどの映画に影響を受けることになる。卒業制作の短編 『ローラーとヴァイオリン』はニューヨーク国際学生映画コンクールで第一位を受賞した。これが契機となって1962年にウラジーミル・ボゴモーロフのベストセラー小説 『イワン』 を原作とした 『僕の村は戦場だった』に急遽代役起用され、長編映画監督としてデビューすることとなる。これが1962年のヴェネチア国際映画祭でサン・マルコ金獅子賞、サンフランシスコ国際映画監督賞を受賞し、国際的に高い評価を得た。「水」や「夢」など、将来のタルコフスキー作品を彩るモチーフはこの時期から現れているといわれている。1986年肺がんで亡くなっている。

Andrei Tarkovsky Festival de Cine Africano de Córdoba

Andrei Tarkovsky
(C) Festival de Cine Africano de Córdoba

「象徴が真の象徴となることができるのは、ただそれが、意味において、汲みつくすことも限定することもできないときであり、その秘められた(神官書体の、魔術的な)暗示と示唆の言語で、外部としての言語に対応することも言説化することもできない、なにものかを語っているときなのでる。象徴は無数の貌を持ち、無数の意味を持っており、その究極の深みのなかは、いつも暗い闇に包まれている‥‥。象徴は水晶のような有機的な構成体である‥‥。象徴はある種のモナドでさえある。その意味で、象徴はアレゴリーや寓意、あるいは直喩といった、複雑だが分解可能な構成体とは違う‥‥。象徴は、語り尽くすことも、説明し尽くすこともできない。われわれはその全一的意味の前では無力なのだ。」(ヴァチェスラフ・イワーノフ)

タルコフスキーは、『映像のポエジア』の中で、ロシアの詩人であり思想家であるイワーノフの上記の言葉を引用し、彼の象徴に関する文章は極めて正確で表現力豊かであると称賛している。象徴には関心があるようだ、ただそれは、彼にとっては「イメージ」という言葉で表現される。そして、「完全なものはユニークである」「完全なものは、無限の数の連想を生み出すことができるが、それらは最終的には同一のものなのである」と書いている。やはりイメージを扱う人間には、象徴連鎖はついてまわるのである。はたして彼が映像化する「水」は何かの象徴なのだろうか?

タルコフスキーはラファエロとカルパッチョの絵画を比較してこのように言う。ラファエロの『システィナのマドンナ』にみられるもの、それは人々への犠牲として差し出される息子の運命に対する彼女の恐れであり、たとえ、それが人々の救済のためであったとしても、息子を人々から守りたいという誘惑との戦いのなかに投げ込まれている姿である。その心理がこの絵の中でこれほど鮮やかに描き出されているのは残念だと書いている。芸術家の思想が明確に読み取れてしまい、説教と作り事の匂いを漂わせる作者の寓意的な傾向性が、私を苛立たせるとさえ言うのである。一方、ラファエロと同時代のヴェネチア派の画家、カルパッチョは『寺院でのイエスの奉献』という作品において、文学的手段にたよらず真に絵画的に問題を解決しているとし、極端な感傷に陥ることなく、自分の偏向性も、救世主イエスの誕生という人間の解放を前にした戦慄的な歓喜も隠しおおすことに成功していると言う。絶賛するのである。

左 ラファエロ 『システィナのマドンナ』 右 カルパッチョ 『寺院へのイエスの奉献』

左 ラファエロ 『システィナのマドンナ』 部分  右 カルパッチョ 『寺院でのイエスの奉献』 部分

カルパッチョの絵の登場人物たちの前に立つと、説明しがたきものが説明されているような不安感に襲われるという。しばらくの間、なにがこの心理的領域を創造するのか、理解することができないが、その領域に入りこむや、ときとして驚愕にも等しいような全面的な驚きを呼び起こす魅惑から抜け出ることができなくなるというのだ。そして、こう結論づける。あらゆる芸術が結局のところある傾向を持ち、様式自体がその傾向そのものにほかならない。絵画的様式がそのレヴェルを維持されていても、その表現する芸術的イメージが多層的な底なしの深みを獲得することもあれば、ラファエロの『システィナのマドンナ』のように、プラカードのようにあからさまに表現され、その深みをとり逃すこともありうるのだと。

ルネサンスの巨匠も形無しなのだが、このタルコフスキーの「説明しがたきものを説明する」という姿勢は、実は彼の映画作りには一貫したものであるらしいのである。彼の映画を見る時、私たちを当惑させ、あるいは虜にしてしまうのは、この「説明しがたきものが説明されているような不安感に襲われる」感覚ではあるまいか。その方法論の一端をヨセフソンのインタヴュ―からひろってみたいのだが、その前に映画『ノスタルジア』のあらすじをお読みいただきたい。

ロシア人作家アンドレイ・ゴルチャコフ(ヤンコフスキー)は、助手で通訳のエウジェニア(ジョルダーノ)と共に、故郷ロシアに帰れば農奴となることがわかっていながら帰国し、自殺した作曲家パヴェル・サスノフスキーの取材のために、モスクワからイタリア中部トスカーナを訪れる。
旅の最後に立ち寄った小さな温泉街バーニョ・ヴィニョーニで、二人は「もうすぐ世界の終末が訪れる」と信じる狂人と呼ばれる男、ドメニコ(ヨセフソン)に出会う。アンドレイはドメニコに興味を持ち、彼の住む廃屋を訪れる。ドメニコはアンドレイにベートーヴェンの第九を聴かせ、「蝋燭に火を灯し、広場の温泉を渡りきることが出来たら、世界は救済されるだろう」と言い、アンドレイはそれを約束するのだった。ロシアに帰ろうとしていたアンドレにローマにいるエウジェニアから一本の電話があった。「ドメニコがローマに来ており、演説を3日間に渡って続けている。彼は自分があなたに言った事をしたかと尋ねている」というものだった。アンドレイは再びバーニョ・ヴィニョーニに戻る。
ドメニコはカンピドリオ広場のマルクス・アウレリウス像に上り、人々の注視の中で演説を続ける。「重要なのは完成することではない願いを持続することなのだ」「進歩を望むならひとつに交じり合うことだ」「人類全てが崖っぷちにいる。」「いわゆる健全な人々が世界を動かし破滅に直面する」と。そして頭からガソリンをかぶり、大音量で第九を流しながら、焼身自殺を遂げる。
その頃バーニョ・ヴィニョーニに戻っていたアンドレイは、かつてドメニコに言われていたように、蝋燭に火を付けて水の抜かれた広場のような広さの温泉を渡りきろうとしていた。焔を風に吹き消されながら、三度目で温泉を渡りきることに成功したアンドレイは心臓発作で突然倒れる。心臓に持病を持っていたのだった。

『ノスタルジア』 DVD

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‥‥『ノスタルジア』で、ドメニコの家のシーン、ドメニコが自分の部屋に入って来て、ヤンコフスキー扮するゴルチャコフの顔を見、棚の蝋燭を手に取る所、あれは大変でした。カメラは部屋の隅にあります。私は一連の演技をし、絶望に駆られるところですが、部屋の隅にカメラがある場合、俳優にとって、必要な演技をするのはとても難しいのです。不思議かもしれませんが、とにかくそうなんです。カメラはあの隅にある、私はゴルチャコフに目をやる、そしてがっかりする、悲しくなる、と演技プランを立てたのです。で、そう演じたらアンドレイは私にこう言いました。『だめだ、エルランド。カメラが部屋の隅にあるからいいんだ。なにもしちゃいけない。もし、絶望したり悲しくなった表情を見せれば君は観客からどんな反応をすべきか選択する権利を奪ってしまう。観客の内的活動を奪ってしまう。演技をしてはいけないんだ。だから撮り直しだ。』そういわれたことだし、私は何も考えずに何もしないでいました。そしたら、『やりすぎだ、おかしいよ。演技プランが出て来ている。何か他の事を考えていなさい。』と言うのです。『いや、私はカメラがあそこにあるから、何も演技しなくていい、と思っていたんですよ。』と言い返したら、『駄目駄目。じゃあ、頭の中で一、二、三、四、と数でもかぞえていなさい。まあ、何でもいいから、演技のことは頭から追い出しなさい。』と、こうです。だから私は『はいはい。カメラはあの隅。私はなんにも考えなくてよい。一、二、三、四‥‥』で撮り直しました。とにかく十六回は確実に撮り直しました。十六回もやると『よかった』と言われても、疑心暗鬼になりますからね。『まだ、やってもいいですよ。』と言うと。『いやいや、よかったよ。もうやる必要はない。』

そのとき私は彼の映画創作方法を少し垣間見たような気がします。何かを隠す必要があるということです。俳優は演技をしすぎる傾向がありますから。例えば喜びの表現が見え見えになってしまうというようにです。二〇〇メーターもカメラが離れていると、俳優の演技も声も大袈裟なものになりがちなのです。実は私もそんな時がありました。すると、アンドレイがメガフォンを取って『エルランド、エルランド、クローズアップだぞ』と怒鳴るんです。想像できますか。遙かかなたで監督がメガフォンで『クローズアップだぞ』と怒鳴るんですよ。でも、正しいのは彼です。例えば『ストーカー』の登場人物は皆恐ろしく神秘的です。彼らは風景の中をさまよっていますが、私たちはそれを見ていて、『一体彼らは何を考えているのだろう』と自問せずにはおれません。通常の意味では何もしないので、どのように反応したらよいか自問せずにはおれません。けれども私たち観客は見ながら「一、二、三、四」と数えているわけにはいきません。私たちはたえずそれまでの経験をしっかりと自分で保持していなければならないのです。

タルコフスキ―は、映画とは、文化史上初めて、人間が直接時間を表現する手段を手にした芸術であるという。時間の流れを幾度でも好きなだけスクリーンに再現し、反復し、そこに戻っていく可能性を見出したという。映画は本質的にノスタルジックなものだというのである。映画館に行く人々の欲求とは失われた時間であれ、逃した時間であれ、見出されることのなかった時間であれ、「時間」を求めていることにあるという。人は生きた体験を求めて映画館に行く、人間の実際の体験を広げ、豊かにし、凝縮する。その時、映画はその体験を豊かにするだけでなく、例えて言えば長くするのだという。それが映画の真の力だというのだ。そして、映画はあるフォルムによって「時間」を刻み込むのだ。そのフォルムとは率直で直接的な観察によって生じるという。

「雪ちるや穂屋(ほや)の薄(すすき)の刈り残し」(芭蕉) 「穂屋」はススキの穂で作った神の御座所のことである。穂屋を作るためにススキを刈った原の刈り残しの上に雪が舞うという意味であるらしい。このような俳句で表現されるような純粋観察によってもたらされる生きたイメージ。唯一無二の、直接観察された事実の真実性のなかに、その手触りの反復不可能性をタルコフスキーは見る。フォルムを形成するものはこの観察であり、それが映画を成立させるのである。映画に存在するのはただひとつの思考手段は、詩的な思考手段であり、それが結合できないもの、逆説的なものどうしを結びつけるといい。小説や戯曲の文学性はかえって映画を映画から遠ざけるのだと指摘する。

黒澤明をタルコフスキーは深く尊敬していた。『七人の侍』の一シーンをとりあげる。馬上の野武士と地上の侍との闘い。激しい雨。全てが泥にまみれている。侍の衣装は足の所が上の方までまくり上げられていて足は泥だらけである。一人の侍が殺され倒れる。すると雨がこの泥を洗い流していく。彼の足は白くなっていく。大理石のような白さ。男は死んだ!これは事実というイメージである。それは象徴体系からは免れている。これこそ「イメージ」であるという。

もう一つ例をあげよう。ベルイマンの作品『処女の泉』である。強姦され死んでゆく娘のシーンでいつも感動する部分があるとタルコフスキーは言う。春の光が木々の枝を通して射し込み、私たちはその枝越しに娘を見る。死にかけているのか、もう死んでいるのか分からない。われわれの感覚は、漂う響きのように空中で停止する。だが、何かが不足している。雪が降り始める、この瞬間を稀有なまでに際立たせる春の雪。これも「イメージ」であるという。ついでに言うとこの娘の死骸を父親が抱き起す時、その身体があった大地から泉がわき出るシーンがある。雪と水、『ノスタルジア』にも見られる取り合わせだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 『ジネブラ・ド・ベンチの肖像』 タルコフスキーは対立する両義的なイメージの奇跡的結合をこの絵の中に見ている。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 『ジネブラ・ド・ベンチの肖像』
タルコフスキーは両義的なイメージの奇跡的結合をこの絵の中に見ており、その感覚は『鏡』のヒロイン役であるテレホワに通じると書いている。この両義性は、『ノスタルジア』におけるエウジェニア(通訳役)にも当てはまるのではないだろうか。

ここでちょっと象徴という言葉について述べておきたい。フランスの詩人ヴァレリーは象徴派の大詩人マラルメの弟子だったが、象徴主義を定義することはできないと言っている。図書館の本を分類して、これはロマン主義、これは写実主義、これは古典主義と分けていって、分類できない残りの山が象徴主義の本なのだとさえ言っているのだ(『象徴主義の存在』)。文学的には、そもそも曖昧なものなのである。タルコススキーが使う象徴という言葉には先に述べたイワーノフのいうような真の象徴とともに、象徴体系という言葉で使われたラファエロのプラカードのような意味での象徴があり、使い分けがなされている。

「もし、世界が謎めいているとすれば、イメージもまた謎めいている。イメージは、ユークリッド空間のなかに閉じ込められているわれわれの意識と、真実や真理との関係を表現する、ある種の方程式なのだ。われわれは宇宙を統一的全体として把握することはできない。にもかかわらず、イメージはその統一的全体を表現できるのである。」とタルコフスキーはいう。イメージが象徴という言葉と同等に使われるのなら、このイメージという言葉は、ゲーテやユングが使う象徴という言葉に近い。

例えば、ゲーテは「特殊なものが普遍的なものを、夢や影としてではなく、探求し難いものの生きた瞬間的な啓示としてあらわすところに、真の象徴法がある。(『箴言と省察』)」と書いている。俳句の象徴性に通じるところだと思う。それからユングは「‥‥私自身はシンボル(象徴/筆者)というものを寓喩あるいは記号というふうには捉えておらず、この話の本来的な意味にそって、完全には認識することができない対象をなんとかして特徴づけ言い表そうとしたものと解釈している。(『アイオーン』)」 説明しがたきものが説明されているのである。それから同じユングの『アイオーン』にはこんな文章があってドキッとした。「象徴は意識と無意識の両方を淵源としていれば両者を結合することは可能である。意識、無意識の観念的対立関係は象徴の形態によって解消されるし、双方の情緒面での角突合せは象徴のもたらす神的畏怖(ヌミノーゼ)のおかげで円くおさめられる。したがって象徴は往々にして古来から水にたとえられてきた。」と。タルコフスキーの作る映像が時として見るものにある種の不安をもたらす理由が書かれているのではないか?そして、水という象徴!だが、ここに突っ込んでしまったら、ユング思想の深淵に落ち込んでタルコフスキーまで帰ってこれない。またいつかこのことについては書くことにしよう????

映画的映像を創造するためには、ただ具体的に世界を記録するだけではだめで、<観察>のかなたに、対象に対する芭蕉のような独特の感覚が働かなければならないという。多分、この独特の感覚とは、セットを作る美術担当や衣装係やカメラマンや俳優たち、シナリオ作家、そして監督の思惑が作用しあった結果として予想を越えた映像が映し出された時に、監督の内に生じるインスピレーションのようなものであろう。その瞬間のユニークさ、唯一性。それが「刻まれた時間」である。その特別の「時間」は、俳句と同じように時に観客の生活感情の中に啓示として見出されるものである。

ユニークなそれぞれのシーンは、つなぎあわされ、カットされ、つまり編集される。タルコフスキーによれば、この部分部分の結合は素材、つまりそれぞれのショットの内的な状態に依存するという。その内的状態とは、ショットの中の時間の流れを表現するリズムであるらしい。時間の流れは、人物の振る舞いの中、セットの造形処理の中、音楽の中にも表現されているという。映画は、俳優も、音楽も、セットもなくても、それどころかモンタージュさえなくても想像できるそうである。しかし、ショットの中を流れる時間感覚がなければ考えられないという。ショットの中に流れる時間の密度、強度、稀薄度はその中での時間の圧力と名づけることができる。結合するための構造の相似性は映画の場合、時間の中に存在するのである。それぞれのシーンには法則があり、それを感じとり、その法則とのかかわりの中で編集が行なわれなければならないという。この編集は監督の内的必然性に則って、素材全体にとって有機的でなければならない。原理的に異なった性質の流れが記憶されているショットをモンタージュすることはできないし、シーンの撮影が不正確に行われた場合、編集はショットをつなぐ方針を探し出す苦渋に満ちたプロセスなるそうである。

映画のリズムは、監督に内在する本質的な生活感覚に応じ、彼の<時間の探求>との関わりの中で有機的に生まれてくるという。このリズムが映画監督の個性になる。監督の時間感覚は、観客に対する強制の形式とならざるをえない、同時に観客に対する自分の内的世界の強要でもある。観客が監督のリズムに浸っている時、観客は監督の支持者である。そこでタルコフスキーは書いている。「私は自分の個的な時間の流れを創りだし、ショットの中でその動き、けだるい夢のような動きから、無秩序に動揺した疾走するような動きまでを伝えることが自分の職業的課題だと考えているのだ。」と。

ここまではタルコフスキーの映像論といってよいだろう。次回 part2 では彼の芸術論に関する内容をご紹介したいと思っている。最後にヨセフソンのインタヴューから少しご紹介して part1 を閉じることにしたい。

「彼は会話をどうこうするより、絵になるものを探して出して、それをきちんと撮影することに心を砕いていました。彼の撮影法は複雑でした。それにカメラのレンズを覗かないと何も出来なかったと言っていいでしょうね。タルコフスキーはカメラの前に座って、長時間覗いていましたが、おかげで、カメラマンはいらいらしていました。タルコフスキーの複雑な撮影法が頭に入るだけの時間がない訳ですから。『サクリファイス』の撮影初日に撮影監督でありオペレーターのスヴェン・ニクヴィストはタルコフスキーと一緒に働いて、ちょっと大変だったんですが、後には素晴らしい共同作業を行いました。『ノスタルジア』のジュゼッペ・ランチはとてもいい撮影監督でしたが、カメラ・オペレーターはとても神経質になっていました。リハーサルを十分する時間が一度もなかった上に、複雑な撮影をしなければならない。しかもタルコフスキーがずっと座り込んでカメラを覗きこんでいる。おまけに彼のショットはとても長いでしょ。」