北原白秋 「思い出」―叙情小曲集 その魔術的両義性

感覚

わが身は感覚のシンフオニー、
眼は喇叭、
耳は鐘、
唇は笛、
鼻は胡弓。

その病める頬を投げいだせ、
たんぽぽの光りゆく草生(くさぶ)に、
肌(はだ)へはゆるき三味線の
三の糸の手ざわり。

見よ、少年の秘密は
玉虫のごとく、
赤と青との甲斐絹(かいき)のごとく、
滑りかがやく官能のうらおもて。

その感覚を投げいだせ――
黒猫は眼を据えてたぶらかし、
酸漿(ほほづき)は真摯(まじめ)に孕(はら)み、
緑いろの太陽は酒倉に照る。

全神経を投げいだせ、
紫の金の蜥蜴(とかげ)のかなしみは
素肌をつけてはしりゆく、
いら草の葉に、韮(にら)の葉に。

げに、幻想のしたたりの
恐れと、おののきと、啜泣き、
匿(かく)しきれざる性のはずみを弾ねかえせ、
美くしきわが夢の、笛の喇叭の春の曲。

 

出だしはいかにも華やかだが、「病める頬」、「滑りかがやく官能」、「眼を据えてたぶらかす黒猫」、「金の蜥蜴のかなしみ」、「幻想のしたたり」、「匿しきれざる性のはずみ」とくれば、これはただごとではない。

北原白秋の作品のなかで私が最も好きなのはこの詩集「思い出」である。1911年(明治44年)6月に発表したこの抒情小曲集は、幼少年時代を過ごした故郷・柳川の思い出を描いた作品で、上田敏から賛辞を受けるなど高い評価を受け、26歳にして一躍、文壇に躍り出ることになる。抒情小曲集というとグリーグを思い出すのだけれど関係はあるのだろうか。それはともかく、26歳で発表ということを考えても15歳以前の鋭敏で儚い感覚、その痛みと癇癪、畏怖と残酷、そして性への予感、このような感覚をかくも「神秘に」かくも「鮮鋭に」表現できた作家は極めて稀ではないだろうか。この詩集から作者自身が書いた詩・散文を引用したものについてはこの色で記述しておきたい。

‥‥捉えがたい感覚の記憶は今日もなお私を苛立だたしめ、怖れしめ、歎(なげ)かしめ、苦しませる。このような小さな叙情小曲集に歌われた私の十五歳以前のLifeはいかにも幼稚な柔順(おとな)しい、然(しか)し飾り気のない、時としては淫婦の手を恐るゝ赤い石竹の花のように無智であった。そうして驚き易い私の皮膚と霊は常に螽斯(きりぎりす)の薄い四肢のように新しい発見の前に喜び顫(ふる)えた。兎に角私は感じた。そうして生まれたまゝの水ゝしい五官の感触が私にある「神秘」を伝え、ある「懐疑」の萌芽を微かながらも泡立たせたことは事実である。そうしてまだ知らぬ人生の「秘密」を知ろうとする幼年の本能は常に銀箔の光を放つ水面にかのついついと跳ねてゆく水すましの番(つが)いにもわなないたのである。

1904年19歳で白秋は中学を退学し、故郷の福岡県柳川(この詩集では柳河)を出て上京し、早稲田英文科予科に進学。1906年(明治39年)、与謝野鉄幹が主宰する新詩社に参加する。与謝野晶子、木下杢(もく)太郎、石川啄木らと知り合う。その有名な機関誌『明星』でも作品を発表し始める。若い文学青年たちとの交流がはじまった。このころ象徴派の詩に興味を持ったようだ。

その文学仲間の一人で、惜しくも早逝した啄木は14,5歳の記憶をこのようにみずみずしく歌い上げている。白秋より何か自意識的な少年の面影が濃いのは気のせいだろうか。

 

石川啄木 「一握の砂」より

己(おの)が名をほのかに呼びて涙せし 十四(じゅうし)の春にかえる術(すべ)なし

不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸われし十五(じゅうご)の心

 

夜の闇は子供にとって昼間とは全くの異次元の世界となる。霊の臨在を知らせる風の夜、それは無意識の中の果てしない深淵に連なる。その中から突如現れる星とも蛍とも、鳥の目ともつかない夢幻の世界。そこには遠い祖先たちが怖れた悪霊や物の怪、生き肝取りなどが跳梁跋扈する世界が描かれているのであった。

 

夜(よる)は黒…………銀箔の裏面(うら)の黒。
滑かな潟海(がたうみ)の黒、
そうして芝居の下幕(さげまく)の黒、
幽霊の髮の黒。

夜は黒…………ぬるぬると蛇(くちなわ)の目が光り、
おはぐろの臭いやらしく、
千金丹の鞄がうろつき、
黒猫がふわりとあるく…………夜は黒。

夜は黒…………おそろしい、忍びやかな盜人(ぬすびと)の黒。
定九郎の蛇目傘、
誰(だ)か頸(くび)すぢに触るやうな、
力のない死螢の翅のやうな。

夜は黒…………時計の数字の奇異(ふしぎ)な黒。
血潮のしたたる
生(なま)じろい鋏を持って
生肝取(いきぎもとり)のさしのぞく夜。

夜は黒…………瞑(つぶ)っても瞑っても、
青い赤い無数の霊(たましい)の落ちかかる夜。
耳鳴の底知れぬ夜。
暗い夜。
ひとりぼっちの夜。

夜…………夜…………夜…………

 

北原白秋 (1985-1942)

北原白秋
(1885-1942)

この詩の作者は次のように書いている。

あの眼の光るは
星か、螢か、鵜の鳥か、
螢ならばお手にとろ、
お星樣なら拜みましょう…………

稚(おさな)い時私はよくこういう子守唄をきかされた、そうして恐ろしい夜の闇におびえながら、乳母の背中から手を出して例の首の赤い螢を握りしめた時私はどんなに好奇の心に顫(ふる)えたであろう。実際螢は地方の名物である。馬鈴薯の花さくころ、街の小舟はまた幾つとなく矢部川の流れを溯り初める。そうして甘酸ゆい燐光の息するたびに、あをあをと眼めに沁(し)みる螢籠に美くしい仮寝(かりね)の夢を時たまに閃めかしながら水のまにまに夜をこめて流れ下るのを習慣とするのである。

ここで、ついでといっては失礼だが、新詩社の主宰者である与謝野鉄幹が「失楽」の中で綴った夜を抜粋でご紹介したい。ここにあるのは、白秋が描いたような魔術的な夜ではなく、みすぼらしき「生」をやさしくつつむ「眠り」としての夜でしかない。

 

失楽

与謝野鉄幹

‥‥

無し、無し、一の叫びも無し、一いつの戦慄も無し。
最後の頼みとせしわが「愛」さへ喘(あえげ)る負傷者(ておい)なり。
他の、最後のわが神は青白き其額(そのひたい)を包む、
そは「夜」なり、陰森として眠(ねむり)を誘う「夜(よ)」なり。
かくて、我は夢に落ちゆく。「生(せい)」とは何たるみすぼらしき語(ことば)ぞ。
寥廓(れょうかく)の不動なる路(みち)彼を塞(ふさ)ぎ、
暗き地牢(ぢろう)の底に其力(そのちから)を涸(から)しながら、
昏睡せる人の無感覚こそやがて其(その)「生(せい)」なれ。

‥‥

また、白秋はこう書いている。

北原白秋 「思ひ出」 挿絵

北原白秋 「思ひ出」 挿絵

私の異国趣味は稚(おさな)い時既にわが手の中に操(あやつら)れた。菱形の西洋凧を飛ばし、朱色の面(朱色人面の凧、*Tonka John の持っていたのは直径一間半ほどあった。)を裸の酒屋男七八人に揚げさせ、瀝青(チヤン)を作り、幻燈を映し、そうして和蘭(オランダ)訛の小歌を歌った。  *Tonka John(大きい坊ちやん、弟と比較していう、阿蘭陀訛か)

Tonka John の部屋にはまた生れた以前から古い油絵の大額が煤けきったまま土藏づくりの鉄格子窓から薄い光線を受けて、柔かにものの吐息のなかに沈默していた。その絵は白いホテルや、瀟洒な外輪船の駛(はし)っている異国の港の風景で、赤い断層面のかげをゆく和蘭人の一人が新らしいキヤベツ畑の垣根に腰をかがめて放尿している、おっとりとした懷かしい風俗を描いたものであった。私はそのかげで毎夜美くしい姉上や肥満(ふとっ)た気の軽い乳母と一緒に眠るのが常であった。 

舌出人形の赤い舌を引き拔き、黒い揚羽蝶(あげは)の翅(はね)をむしりちらした心はまたリイダアの版画の新らしい手触(てざわり)を知るやうになった。而してただ九歳以後のさだかならぬ性欲の対象として新奇な書籍――ことに西洋奇談――ほど Tonka John の幼い心を掻き乱したものは無かった。*「埋れ木」のゲザがボオドレエルの「惡の華」をまさぐりながら解(わか)らぬながらもあの怪しい幻想の匂いに憧がれたという同じ幼年の思い出のなつかしさよ。

*「埋れ木」のゲザ 森鷗外が翻訳したドイツの女流作家オシップ・シュビンの作品名と登場人物の名

 

 

尿する和蘭陀人

尿(いばり)する和蘭陀(おらんだ)人…………
あかい夕日が照り、路傍の菜園には、
キヤベツの新らしい微風、
切通のかげから白い港のホテルが見える。

十月の夕景か、ぼうっと汽笛のきこえる。
なつかしい長崎か、香港(ホンコン)の入江か、葡萄牙(ポルトガル)?仏蘭西(フランス)?
ザボンの果みの黄色いかがやき、
そのさきを異人がゆく、女の赤い軽帽(ボンネツト)…………

尿する和蘭陀人…………
そなたは何を見ている、湾曲(ゆみなり)の路から、
断層面の赤いてりかえしの下から、
前かがみに腰をかがめた、あちら向きの男よ。

わたしは何時も長閑(のどか)な汝(そなた)の頭上から、
瀟洒な外輪船(がいりんせん)の出てゆく油絵の夕日に魅(み)せられる。
病気のとき、ねむるとき、そうして一人で泣いている時、
ほんのしばらく立ちどまり、尿する和蘭陀人のこころよ。

 

新詩社のメンバーの一人だった木下杢太郎の作風は、切支丹文化への傾斜がみられ、異国趣味や南蛮趣味、耽美主義などといわれているようだが白秋にも強くそのような傾向があったのである。「邪宗門」などはその典型的な詩集であろうが、木下杢太郎にはそのような白秋の世界へのオマージュ(捧げもの)を詩にした作品がある。彼は、白秋が描く世界を自分の辿りつくべき場所、あるいは故郷と感じていたようである。しかし、西洋奇談はいいとしてボードレールの「悪の華」などけっして子供が読んではいけません‥‥‥けっして‥‥‥(笑)

 

 「北原白秋氏の肖像」

木下杢太郎

……願うは極秘、かの奇(く)しき紅の夢……(「邪宗門」)

性欲の如くまっ青な太陽が金色(こんじき)の髪を散(ちら)して、
異教の寺の晩鐘の呻吟(うなり)のやうに高らかに、然(しか)しさびしく、
河の底へ……底へ……底へ……と沈む時に、
幻想の黒い帆前(ほまへ)は
滑って行く……音もなく……
明るい灰色の硝子の外で、
氏は倚(よ)れる窓(まど)の後で――。
されば其の光の顫音(トレモロ)は悲しく、
氏の銅色(どうしょく)の額に反射した。――恰(さなが)ら
青の鶯が落日(いりひ)の檣(ますと)の森で鳴くように……
雲の彼方(あなた)の*蘆薈(ろかい)花咲く故郷(ふるさと)へ、故郷へ、ねえ、故郷へ……。

‥‥

*蘆薈 アロエのこと

 北原白秋 「思ひ出」 挿絵

北原白秋 「思ひ出」 挿絵

西洋への、特にキリスト教というより切支丹文化へ憧れ、退廃的で斜に構えた異国の匂い、白秋がおそらく影響をうけたであろうフランスの詩人ボードレールの作品「悪の華」からその冒頭の詩をご紹介しよう。ボードレールがエドガー・アラン・ポーに強い影響を受けたことは周知の事実であり、象徴派の大詩人マラルメもこの二人には大きな影響を受けていた。(ポーとマラルメに関係する「結合術」についてはこちらをごらんいただきたい)このあたりの関係は白秋の少なくとも初期の作風を考えるうえでは欠かすことができないのかもしれない。

  

 読者へ Au Lecteur

シャルル・ボードレール

 

愚行と錯誤、罪業と貪欲とが
我らを捕らえ 我らの心を虜にする
乞食が虱を飼うように
我らは悔恨を養い育てる

我らの罪は深く 我らの悔いはだらしない
気前良く信仰告白をするごとに
心も新たに汚辱の道に戻っていく
ひとしずくの涙で罪を洗い流したように

悪の枕元ではサタン・*トリスメジストが
我らのとらわれた心を揺さぶり
我らの鉄の意志さえも
錬金術で霧消させる

我らを操る糸は悪魔の手にある
おぞましきものに心をとらわれ
日ごと地獄へと落ちていく我ら
恐れもなく 悪臭放つ深淵を横切り

放蕩者が年老いた売奴の乳首を
食らいつき しゃぶりつくすように
道々ひそかな快楽を盗み取っては
干したオレンジのように噛み締めるのだ

夥しい蛆虫のように群をなして
我らの頭には悪魔の手下どもがうごめいている
我らが息を吸い込むたび死は我らの肺に入り
見えない流れとなって下りていく

強姦、毒薬、短剣、放火
これらを痛快な絵柄にして
我らが自らを描かないのは
まだまだ大胆でないからだ

ジャッカル、パンサー、猟犬ども
猿、さそり、ハゲタカ、へび
吼えつつうごめくこれらの怪物
我らが悪徳の獣たちの中でも

ひときわ醜く、性悪で、汚いやつがいる
大げさな身振りや大声は立てないものの
好んで大地を廃墟と化し
世界を一飲みでのみ込むやつだ

それは倦怠というやつだ
水タバコをふかしながら断頭台を夢見る
この怪物を 読者よ君も知っていよう
偽善者の読者よ、わたしによく似た人びとよ

*トリスメジスト 錬金術の祖であるトリスメギストスのこと。人間の心を悪に駆り立てる人物とボードレールは考えていた。

 

悪の迷宮としてのボードレールの世界、とても魅力的だ。なにやらマニエリスム(手法主義)の臭いもする。だが、白秋は、けっしてどっぷりとはその世界に浸からない。なにかがバランスをとっているのである。子供心という設定のフィルターなのか、育ちの良さなのか、生来の気質なのであろうか。

私が十六の時、沖ノ端(おきのはた)に大火があった。そうしてなつかしい多くの酒倉も、あらゆる桶に新らしい金いろの日本酒を満たしたまま真蒼に炎上した。白い鵞のいた瀦(ちょ)水、周囲の清らかな堀割、泉水、すべてが酒となって、なお寒い早春の日光に泡立っては消防の刺子(さしこ)姿の朱線に反射した。無数の小さな河魚は醉っぱらって浮き上り、酒の流れに口をつけて飮んだ人は泥酔して僅に焼け殘った母家に転がり込み、金箔の古ぼけた大きな仏壇の扉を剥したり歌ったり踊ったりした。私は丁度そのとき、魚市場に上荷(あげ)てあった葢もない黒砂糖の桶に腰をかけて、運び出された家財のなかにたゞひとつ泥にまみれ表紙もちぎれて風の吹くままにヒラヒラと顫えていた紫色の若菜集をしみじみと目に涙を溜めて何時(いつ)までも何時(いつ)までも凝視(みつめ)ていたことをよく覚えている。

1908年(明治41年)、新詩社を脱退した白秋は、木下杢太郎を介して、画家の石井柏亭(はくてい)らのいた「パンの会」に参加。この会には吉井勇、高村光太郎らも加わり、象徴主義、耽美主義的な傾向を志向する文学運動の中心となった。1909年(明治42年)24歳、「明星」の廃刊後、森鴎外や与謝野鉄幹、与謝野晶子らが協力して発行した『スバル』創刊に参加。同じ年、処女詩集『邪宗門』を発表した。この象徴詩作品が話題となるが、年末には実家が破産し、一時帰郷を余儀なくされたようである。上述の大火を契機に家運は徐々に傾いていたのであった。この大火の際に見た紫色の「若菜集」、島崎藤村の抒情詩から有名な詩をまずご紹介しておこう。このような世界にも白秋は通じていたのだろう。

 

初恋

島崎藤村

 

まだあげ初(そ)めし前髪(まへがみ)の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実(み)に
人こひ初(そ)めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃(さかづき)を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

林檎畑の樹(こ)の下に
おのづからなる細道(ほそみち)は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

 

胸がキュンとなるような詩である。このような抒情が新しい明治の時代に特徴的なものなのか、中世からのもののあわれを引き継ぐものなのか私には分からないが、なぜこのように美しいのだろう。ここで白秋の朋友の一人である吉井勇の短歌をご紹介しておこう。

 

 

吉井勇 (酔狂録より)

その中にわが悲しみをただひとり知るひととのみ思ひ初めにし

しみじみと水を凝視むるうつくしき黒瞳にも寂しさの浮く

はらはらとわが膝の上にこぼれたる涙に似たる雨の音かな

 

 

勿論白秋にも抒情はある。それは藤村とも吉井とも異なるものであるが、やはり胸を締め付ける。少しだけご紹介しよう。

 

断章 四十一

かかるかなしき手つきして、
かかる音(ね)にこそ弾きにしか、
かかるかなしきその日の少女(おとめ)。

 

初恋

薄らあかりにあかあかと
踊るその子はただひとり。
薄らあかりに涙して
消ゆるその子もただひとり。
薄らあかりに、おもひでに、
踊るそのひと、そのひとり。

 

私の郷里柳河は水郷である。そうして静かな廃市の一つである。‥‥水は清らかに流れて廃市に入り、廃れはてた Noskai 屋(遊女屋)の人もなき厨の下を流れ、洗濯女の白い洒布に注ぎ、水門に堰かれては、三味線の音の緩む昼すぎを小料理屋の黒いダアリヤの花に歎き、酒造る水となり、汲水(くみず)場に立つ湯上りの素肌しなやかな肺病娘の唇を嗽(すす)ぎ、気の弱い鵞の毛に擾(みだ)され、そうして夜は観音講のなつかしい提燈の灯をちらつかせながら、樋(ゐび)を隔てゝ海近き沖ノ端(おきのはた)の塩川に落ちてゆく、静かな幾多の溝渠(ほりわり)はこうして昔のまゝの白壁に寂しく光り、たまたま芝居見の水路となり、蛇を奔らせ、変化多き少年の秘密を育む。水郷柳河はさながら水に浮いた灰色の柩である。

このような繊細な水の流れに潤される柩のような街、そこで育った者には秘密が多い。当然のことなのだろうか。白秋の抒情は単純ではない。多様な彩がある。色々な感情が絡み合っているのである。例えば、好きである故に起こる子どもっぽい癇癪、あるいは思いの丈の通じない相手への憎しみ。誰もが通過してゆくその青い世界。このような感情の襞を思うがままに描ききっている。

 

銀のやんま

二人(ふたり)ある日はようもなき
銀のやんまも飛び去らず。
君の歩みて去りしとき
銀のやんまもまた去りぬ。
銀のやんまのろくでなし。

 

にくしみ

青く黄(き)の斑(ふ)のうつくしき
やわらかき翅(は)の蝶(チユウツケ)を、
ピンか、紅玉(ルビー)か、ただひとつ、
肩に星ある蝶(チユウツケ)を
強いてその手に渡せども
取らぬ君ゆえ目もうちぬ。
夏の日なかのにくしみに、
泣かぬ君ゆえその唇(くち)に
青く、黄(き)の粉(こ)の恐ろしき
にくらしき翅(は)をすりつくる。

 

子どものこのような感情の発露には、私にも痛い経験がある。こころと体のうらはらな行き違い。あるいは無意識な反応。虫たちや鳥たち、生き物への心ない仕打ち。残酷でもあり尊大でもあるその仕打ちのなかに大いなる自然と少しずつはぐれて、切り離されていく「私」をすでに感じているのである。このように書いている。

黒馬(あを)にもよく乗った、玉虫もよく捕えては針で殺した、蟻の穴を独楽の心棒でほじくり回し、石油をかけ、時には憎いもののやうに毛虫を踏みにじった。女の子の唇にも毒々しい蝶の粉をなすりつけた。然(しか)しながら私は矢張りひとりぼっちだった。ひとりぼっちで、静かに蚕室の桑の葉のあいだに坐って、幽かな音をたてては食み尽くす蚕の眼のふちの無智な薄褐色(かばいろ)の慄(わななき)を凝と眺めながら子供ごころにも寂しい人生の何ものかに触れえたような気がした。

 

青いとんぼ

青いとんぼの眼を見れば
緑の、銀の、エメロウド、
青いとんぼの薄き翅(はね)
燈心草(とうしんそう)の穗に光る。

青いとんぼの飛びゆくは
魔法つかいの手練(てだれ)かな。
青いとんぼを捕うれば
女役者の肌ざはり。

青いとんぼの奇麗さは
手に触(さわ)るすら恐ろしく、
青いとんぼの落(おち)つきは
眼にねたきまで憎々し。

青いとんぼをきりきりと
夏の雪駄で踏みつぶす。

 

心とは何だろうか。愛や、憎しみ、悲しみや、怒りや癇癪、嫉妬、憧れや孤独、挫折やおののき、怖れや嘆き、そして抗えない性への情動もある。それらを映しだす鏡と言ったらいいだろうか。子供の頃の白秋の記憶のそれぞれの残像は、言葉によってどのように捉えられていったのだろうか。いや、そもそも言葉で捉えようとしていたのだろうか。

 

夏の日なかに青き猫
かろく擁(いだけ)ば手はかゆく、
毛の動(みじろげ)はわがこころ
感冒(かぜ)のここちに身も熱(ほて)る。

魔法つかいか、金(きん)の眼の
ふかく息する恐ろしさ、
投げて落(おと)せばふうわりと、
汗の緑のただ光る。

かかる日なかにあるものの
見えぬけはいぞひそむなれ。
皮膚(ひふ)のすべてを耳にして
大麦の香(か)になに狙(ねら)う。

夏の日なかの青き猫
頬にすりつけて、美くしき、
ふかく、ゆかしく、おそろしき――
むしろ死ぬまで抱(だ)きしむる。

 

北原白秋 「思い出」 挿絵

北原白秋 「思い出」 挿絵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美しく、深く、ゆかしく、おそろしいもの。それを死ぬまで抱きしめる。ここにはとうてい理性では捉えきれない何ものかがある。ゆかしいものとおそろしいものを人の意識は同時に捉えることなどできそうにない。この両義性は、象徴、つまりシンボルによってしか表現できないのである。もっと煎じ詰めればイメージとしてなら捉えることはできる。黒猫というイメージは、わがこころとしての毛の動(みじろげ)となり、その金の眼は魔法使いとなり、死ぬまで抱きしめる存在へと変化していく。イメージは変容を繰り返すのである。変化しながら対極的な感情を一つに結びつけるのである。この変容と両義性の結婚を重要な手法とする白秋の象徴詩は、意識と無意識の両方に橋を架ける。その時、読者は右でもあり左でもある方向に歩み始めるのである。見える景色はカメレオンのように変わる。これは魔術である。こうした象徴は、映画監督のアンドレイ・タルコフスキーが彼の映像の中で意識的に行ったことであり、ユングが「元型論」や「アイオーン」の中で繰り返し述べたことでもある。タルコフスキーの映像論についてはを、ユングの象徴と対極性の結合については、をご覧いただきたい。

このようなことは誰にもできることではないだろう。白秋は天才なのである。何故ならこのような詩のあとにこんな詩もあっけらかんと書ける人なのだから。

 

紺屋のおろく

にくいあん畜生は紺屋(こんや)のおろく、
猫を擁(かか)えて夕日の浜を
知らぬ顏して、しゃなしゃなと。

にくいあん畜生は筑前しぼり、
華奢(きゃしゃ)な指さき濃青(こあお)に染(そ)めて、
金(きん)の指輪もちらちらと。

にくいあん畜生が薄情(はくじょう)な眼つき、
黒の前掛(まえかけ)、毛繻子(けじゅす)か、セルか、
博多帶しめ、からころと。

にくいあん畜生と、擁(かか)えた猫と、
赤い入日にふとつまされて
潟(がた)に陷(はま)って死ねばよい。ホンニ、ホンニ、…………

北原白秋 「思い出」 挿絵

北原白秋 「思い出」 挿絵