『フラクタルな僕とカオスな君』 イアン・ステュアート『カオス的世界像』

葛飾北斎 『富嶽三十六景』 神奈川沖浪裏 江戸時代

葛飾北斎
『冨嶽三十六景』 神奈川沖浪裏
江戸時代

シダが開きかけているところを見てるとなんだか同じような丸まった葉が先に向かって小さくなりながら連なっている。巻貝の表面の凹凸も同じように小さくなりながら螺旋を描く。海の潮が引いていくとき水流の跡を砂の表面に残すけれど、それも似たような蛇行した線が小さくなりながら分岐している。

自然のものが成長する時には、分節が起きる。相似な形がスケールを変えながら区切られつつ連なる様子がよく見受けられるのである。これはある数学的な特性と関連を持っていて、スケーリングを伴う自己相似性と呼ばれている。今回のブログはこれがテーマである。のところで予告しておいた。

ケルトのデスボロー鏡(The Desborough Mirror ) 50 BC - AD 50 © The Trustees of the British Museum

ケルトのデスボローの鏡(The Desborough Mirror )
50 BC – AD 50
© The Trustees of the British Museum

自然には大きさ=スケールというものがある。巨大銀河から台風や風呂の排水溝に吸い込まれる渦に至るまで大きさはさまざまだが自然はそれらに一応に働きかけている。そのような働きの中にはジョナサン・スウィフトのこのような文章を彷彿とさせるものがあるのだ。「一匹のノミにはそのノミを苦しめるもっと小さなノミがいるし、さらに、その小さなノミに噛みつく、もっともっと小さなノミがいる。それが永久に続いているという」。このように、いかなるスケールの範囲においても同様な形を有しているものがあるのである。一昔前の卵子と精子の前成説を思い出させもする。そういえば、そんな内容のクララ・ピント‐コレイアの著作『イヴの卵』があった。

北斎は西洋を二度驚かせた。一回目はパリの万博で浮世絵が紹介された時期、もう一回はフラクタル幾何学が確立された時である。冨嶽三十六景の『神奈川沖浪裏』を見ると波頭が似たような形でスケールを若干変えながら繰り返されているように見える。だが、完全に相似形ではない。

このケルトの銅製の鏡も、かなり相似形に近い形態が大きさを変えて繰り返されているのが分かる。とても魅力的なデザインだ。紀元前後に作られたもののようである。ケルト美術は渦のデザインの宝庫といっていい。ケルズの書やダロウの書などの渦巻くような美しい写本が残されている。

中国はトポロジーやフラクタルなどの非ユークリッド的な空間イメージがとても豊富だ。僕はそう思っている。僕だけかもしれない。その中でも錬丹術の書『太乙金華宗旨(たいいつきんかしゅうし)』には極めて興味深いイメージがある。瞑想している人物からいくつも枝別れしながら多くの人物のイメージが現われる。8世紀、唐代の道教の祖師、呂洞賓(ろ どうひん)に遡ると言われれているこの書物だが、の著作『黄金の華の秘密』で西洋にも知られるようになった。

伝 呂洞賓 『太乙金華宗旨』 瞑想の第四段階

『太乙金華宗旨』より
瞑想の第四段階

ガリレオは自然を記述するための言語は数学であって「自然の特徴は三角形とか、円、その他の幾何学形によって表されるところにある」と述べた。なんだかセザンヌみたいだ。スウィフトは『ガリヴァー旅行記』の『ラピュタ島への航海』のなかで、そういう数学者を皮肉ってこう書いた。「もし、彼らラピュタ人が、美しい女性や動物を賛美するとしたら、彼らはそれを記述するのに、菱面体や円、平行四辺形、楕円、その他の幾何学の専門用語を使って賛美するのである」と。自然と数学の対比。

数学ではスケーリングを伴う自己相似性をもった曲線としてヘルゲ・フォン・コッホの「雪片曲線」が知られている。この曲線は、どんどん小さくなってゆく正三角形だけでできている。海岸線は、その一部をとりあげて、それを10倍にしても依然、海岸線らしく見えている。同じことが雪片曲線にも言える。ただ自然の場合厳密に相似ではないのをお断りしておこう。ここから数学の世界に入ってゆくのだが、数式は二度でてきます。今回紹介するのは、僕のカオス学の教科書と言っていいイアン・ステュアートの著作『カオス的世界像』である。

若きブノワ・マンデルブロは1958年にIBMのスタッフたちと雑多な問題と取り組んでいた。言語における出現頻度の問題、通信における誤差の発散の問題、乱流、銀河団、株式の変動などであったが、1960年代の初期には、これらの研究のすべてに共通するものがあることに気づきはじめていた。それらはすべて不規則な現象の幾何学的構造と関わっていたのである。彼はそれを「フラクタル」と名づけた。不規則な断片を意味するラテン語fractusに由来している。

雪片曲線 自然の形と異なり完全な相似形が増殖していく

雪片曲線
自然の形と異なり完全な相似形が増殖していく

フラクタル幾何学はコンピューター・グラフィックスを使った綺麗な図形でよく知られている。しかし、もっと重要なことは、それらがカオス学に関連した問題であるということである。フラクタルとカオスとはラブラブなのである。

5世紀に及ぶ科学の歴史からその幾何学的エッセンスを取り出すと「静かに座っていること」と「ぐるぐる回転していること」という言葉に集約できる。それは定常状態に静止するものとある種の運動を周期的に繰り返すもののことである。それでは、カオスの幾何学的エッセンスとは何かというと「引き延ばすことと折りたたむこと」であるらしい。アメリカの物理学者ミッチェル・ファイゲンバウムは、コーネル大学のケネス・ウィルソンの繰り込み法という手法に夢中になった。ウィルソンの方法は、水が水蒸気になったりする相転移の研究と深く関わっていた。相転移ではスケーリング則がなりたつのである。

ロジスティック写像の分岐図(フィグツリー) 1.暗い部分がカオスバンド 2.白い周期的窓の部分に見られる自己相似形 3.フィッグツリーの模式図

ロジスティック写像の分岐図(フィッグツリー)
1.暗い部分がカオスバンド
2.白い周期的窓の部分に見られる自己相似形
3.フィッグツリーの模式図

カオス学におけるもっとも単純な方程式の一つにロジスティック写像がある。生物の個体数増加の特性モデルとして使われていた。ファイゲンバウムはそれを乱流の研究に用いてみたのである。その数式は、このように表される。x→kx(1-x)。xは0と1の間にあり、kは媒介変数でその値が0と4の間にある。kx(1-x)にある値x0を代入して得られた計算結果をまたx1として代入を繰り返す。いわゆる漸化式である。カオス学に漸化式はつきものだ。kの変化によってxの値が受ける変化のようすを「分岐図」として表すことができる。筆者のイアン・ステュアートはフィッグ・ツリーと呼んでいる。

例えばk=2としてx0=0.9とすると8回代入を繰り返すとx7=0.5となり、それ以後は何度代入しても同じ値しかはじき出さなくなる。このような状態を周期1の状態と呼ぶ。ドレミに置き換えればファ・ファ・ファと繰り返すようなものである。周期2はソ・ミ・ソ・ミを何度も繰り返す状態といえる。2分岐の状態である。

kの値が3.5になると周期4が現われてソ・ファ・ラ・ミ・ソ・ファ・ラ・ミ‥‥というようになり、K=3.56付近では周期は倍の8、k=3.57では16に、その付近から極めて少しづつkの値を増やすと周期はどんどん増えて32、64、128‥‥と増していって、K=3.58付近で周期は無限大になってしまう。ランダムなカオス領域に突入するのである。少しは馴染みの旋律が続いたり、ほぼ規則的なリズムが時に現われることがあるかもしれないけれど、同じ旋律が繰り返されることはない。ここが相転移と似たところなのである。

不思議なのは、k=3.835付近に周期的窓と呼ばれる白い帯状の筋があらわれ、そこには自分自身の全体像と似た形をしたミニチュアが現われる。その小さなミニチュアの細部にもより小さくはあるが同じような構造があらわれるのである。パイ生地を引き延ばしては次々に折りたたんでいく時に生じる状態に似ている。引き延ばせば、もとの形は小さくなり、入れ子状に折りたたまれるのである。カオスの幾何学は「引き延ばして折りたたむこと」なのだ。

ロジスティック写像を模式図的にあらわしたものが図3である。このような分岐の仕方を周期倍分岐といっている。一本の太い幹から2本の太い枝が出て、4本の枝、8本の枝、そして次々と枝分かれしていく。細枝に対する小枝の大きさの比は先端に近づけば近づくほど1/4.669に近づいてゆく。これをスケーリング比と呼ぶ。枝の大きさはこのスケーリング比で変化するのである。そこまではよかったのだ。だが、もっと驚くべきことが分かった。三角法写像のような他の漸化式でも周期倍分岐が起きていて、なんとそのスケーリング比は1/4.669だったのである。多くの異なった写像における周期倍分岐が全て同一のスケーリング比をとっていた。ファイゲンバウムは狼狽した。カオス的な複雑な振舞いには全て4.669の商標が刻印されているのだった。

『水の習作』 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1513

『水の習作』
レオナルド・ダ・ヴィンチ
1513

イアン・ステュアートの説明に耳を傾けてみよう。乱流状態にある流体内で一つの小さな渦を引き延ばして、もっと大きな渦にするやり方がある。必要な量だけ引き延ばす際の倍率があって、それがスケーリング比である。同様に微小な部分を選び出して、それを引き延ばして全体と非常によく似たものを再生できる時、それを自己相似的であるとするのはすでにみた。

選び出す部分はロジスティック写像の周期的窓のような部分である。もし、選び出す微小部分の大きさをどんどん小さくしていって、それを拡大してもとの図形と同じに見えればスケーリングが成立していることになる。そういう意味で安定化する。それを限界まで行うことで一種のモデルが完成する。このような手順がシステムの「繰り込み」である。

もともと「繰り込み」という用語は、物理学で、素粒子の挙動を詳しく調べる過程で提案されたようだ。1個の素粒子は、常に周囲の多数の電子や中間子などを雲のように生み出している。ぞれらのエネルギーを合計すると無限大になり、理論的な困難が発生する。そこで、この雲の効果をとりこんだものが、我々が観測する有限なエネルギーなのだと見直すことにより、矛盾のない理論を構成しようとした。それと同じように、無限の微細構造を伴うような極めて複雑なシステムを、現実の存在として見直そうとする態度が、一般的な意味での「繰り込み」なのであろう。ここの部分は「形の科学」の高木隆司先生に教えを乞いました。

ひとたび繰り込んでしまえば、それは近似的ではなく厳密な自己相似性が成り立つ。実はこの時、ある操作がなされている。繰り込み法は数学的な一種の力技と言えるのだ。自己相似的な構造に焦点を当てて大雑把なモデルを作り、それに全てを当てはめて見る顕微鏡と思ってもらえばいい。ロジスティック写像とは全く異なった数式で表される写像が同一のスケーリング比を持つのは、周期が無限大になり、その末端に近づくにつれ、その様子が一種のメタ図形になるようなものであるらしい。それは個々の数学的なモデル自体に依存するのではなく、繰り込まれたモデルに依存する性質であるという。円であろうと楕円であろうとあるいは絡まった曲線であろうとカクンと折れ曲がったところは除いて曲線の微小な部分だけをとりあげて無限に拡大すればなんでも直線に見えてしまうのと同じである。

無限にはトリックスターが住んでいるのかもしれない。ここで僕が思い出すのはつまり、結合術である。彼は無限について考えを巡らしながら同じ構造を持つものだけが結合できると考えていた。それと、この無限の中のスケーリングを伴う自己相似性はまるで同じコインの裏表のようだ。

相転移を研究している学者にとって異なる数学的モデルから同一の数値解が得られる傾向があることはよく知られていた。それを証明はできなかったが、利用はすすんでいた。これが数学的構造の論理的帰結であるということがわかったのである。ファイゲンバウムは、有用な定数を手に入れたわけだ。乱流などが起きている場所では、周期倍分岐が連続して起きていて、そのスケールの比は1/4.669(正確には4.6692016090)であることが実験で確認されている。その後、電子、光学、生物学などの色々なシステムでも同様に確認された。イアン・ステュアートはこの値をファイゲンバウムのマジックナンバーと呼び、π(パイ)と同様に自然界の基本定数だとしている。

マンデルブロ集合 1→8へとジンジャーブレッド・マンを拡大している。

マンデルブロ集合
1→8へとジンジャーブレッド・マンを拡大している。

実際の木の枝では断面積の和が保存されるように枝が細く分岐していくことを、すでに、レオナルド・ダ・ヴインチが発見していた。ベキ乗則のことを思い出してほしい、のところでご紹介したことだ。ベキ乗則はスケーリングと関係している。このような構造もフラクタルの特性なのである。

マンデルブロの話に戻ろう。彼はこんな単純な数式を研究していた。z→z²+c、このzとcはロジスティック写像の数式x→kx(1-x)におけるxとcと同じ働きをしている。前者ではkとともにどのような変化が生ずるかを表す図形を作った。分岐図である。後者では複素平面上をcが変化していく時にどのような変化が現われるかが図形で表される。それは「マンデルブロ集合」と呼ばれている。この図形にはある形が特徴的に出現する。それが、「ジンジャーブレッド・マン」である。

ジンジャーブレッド・マンの一部を拡大するとジュリア集合と呼ばれる種々の形が現われる。マンデルブロ集合の中にはありうる限りのジュリア集合が存在しているのだ。そして、それをもっと拡大していくとジンジャーブレッド・マンの小さな相似形が現われる。そのジンジャーブレッド・マンをもっともっと拡大していくとより小さなジンジャーブレッド・マンが‥‥。スケーリングを伴う自己相似形が出現するのである。

現在では、このような自己相似性がデータの圧縮やコンピューターグラフィックスに用いられているようである。画素やデータはドットの集積であり、その小さな点のレベルでは非常に大きな自己相似性が存在しているからである。

マンデルブロ集合におけるジンジャーブレッド・マン

マンデルブロ集合におけるジンジャーブレッド・マン

さて、ジュリア集合の生みの親は、数学者ガストン・ジュリアであり、ポアンカレの弟子だった。ポアンカレは「最後の普遍学者」といわれたフランスの科学者だ。幾何学を力学の中に押し戻したのも彼だった。ここでいう幾何学とは図形のことである。彼こそがトポロジーの生みの親なのである。ニュートンの法則では二つの天体の間ならそれらの運動を完璧に説明できる。ところが三つになるとお手上げになるのである。これが有名な「三体問題」だった。二つの惑星の間に小さなダストがあるとして、このダストはどのように振る舞うのかとポアンカレは考えた。それは惑星のように周期運動をしているのだろうか。閉じたループの存在を調べるのにそのダストを追いかけまわすのではなく、運動している場所に或る面を設定してそこを通過する位置を調べたのである。同じ場所を通過するならこのダストは周期運動をしていることになる。これがポアンカレ断面だった。ここから位相空間やアトラクターの問題に入ってゆくのである。ここではフラクタルとカオスが結ばれるのであるが、これは気が向いたらまたの機会にご紹介しよう。

イアン・ステュアート 『カオス的世界像』

イアン・ステュアート
『カオス的世界像』