ルドルフ・シュタイナーの美学 part1 ベンヤミン・ゲーテ・シュタイナー

こんな美学があるだろうか。

音楽的なものが詩の中に響く時、血液と神経の間で
演奏される内的な音楽が言葉の中で再び外に向かっ
て解放される。

頭は空っぽになって、腕と手が形態としての宇宙を
写し取れるようにならなければならない。人体を彫
刻しようとするなら、指から人間の形態が流出しな
ければならない。

死せる思考を克服すると、もはや言葉で語ることも、
観念で考えることも、形態で形成することもできず、
色彩と光の中で、生と死、霊と魂を宇宙の中に生き
るように、再現するように駆られる地点に至る。

外部から、建築、彫刻、絵画、そして、人間の内部
に入って、音楽的、詩的な芸術に至る時、宇宙と人
間とを生き生きと把握することが、芸術的感情と芸
術創造への刺激になるのである。「おまえは世界へ
と下り、地上ではおまえの原像の中に存在するもの
を実現していない。おまえの原像は天界に保存され
ている」と感じると、この原像の模造を与えたいと
いう要求が生まれる。

ルドルフ・シュタイナー 『シュタイナー芸術と美学』

ルドルフ・シュタイナー
『シュタイナー芸術と美学』

ルドルフ・シュタイナーのことは、できるだけ触れたくない。自分の中に大切にしまっておきたい何かだからだ。でも、もう語るべき時が来ようとしているのかもしれない。シュタイナーによって僕は西欧哲学の穏秘(オカルト)学的性格を知ったし、その内奥に通じる道を発見した。『神秘的な事実としてのキリスト教と古代の秘儀』がその教科書だった。プラトンがいかにオカルト的か、オシリスの秘儀とは何か、キリスト教の黙示とは何かを知ったのである。

シュタイナーを知るようになったちょうど同じ頃、二十年以上前だけれどヴァルター・ベンヤミンを読んだ。それ以来だが、久々に読み返してみた。面白いのは当時一番興味を持てた『複製技術の時代における芸術作品』がその内容より原注に眼を奪われたことだ。こういうことは時々ある。いっこうにチンプンカンだった『ドイツ悲劇の根源』が異様に面白くなっていた。特に序論がいい。しかし、『パサージュ論』だけは昔も今もダメである。内容のことではなくて自分の興味が読んでいて続かないのである。これは僕がパリという街をちっとも知らないせいだろうか。

ハンナ・アレント曰く、「ベンヤミンは学識は偉大だったが学者ではなく、原典解釈を論題としても言語学者ではなく、神学に強く引きつけられたが神学者ではなく、ボードレールやプルーストを訳しても翻訳家ではなく、書評その他、作家論の類を多く書いたが文芸評論家ではない、多面的でしかも通念の枠に収まらぬ精神活動の表現を、その範囲と規模にふさわしく追及することは、相手に似かようほどの才能でないかぎりほとんど不可能に近いだろう」と。レッテルを貼れないことでベンヤミンを特徴づけようとしているのだろう。岡本太郎さんは、本職は何ですかと聞かれて、『人間です』と答えた。

今回はベンヤミンの美学からゲーテをめぐってシュタイナーの美学に踏み込むつもりである。無謀だからやめろとか、どう繋げるつもりなのかとか色々ご心配の向きはあろうかと思うけれど、天才たちを比較してみることは大変興味深いのではなかろうか。

 

1.ベンヤミン 星座としての理念

ヴァルター・ベンヤミン 『ドイツ悲劇の根源』

ヴァルター・ベンヤミン
『ドイツ悲劇の根源』

『ドイツ悲劇の根源』は大学教員の資格取得のための論文で1925年フランクフルト大学の文学部に提出された。ドイツバロックの悲劇演劇について書かれている。この資格申請論文というのは、死ぬほど勉強してもなかなか受け入れてもらえないらしい。ベンヤミンの場合も申請取り下げを勧告された。だが、それはどうやら彼の観点があまりにユニークで不意うちであったためにフランクフルト大学の教授たちに理解されなかったのが原因のようだ。それまで、古典古代の悲劇の戯画としてしか見られていなかったドイツバロック悲劇には、ほとんど誰も興味を持ったことなどないのだった。この著作の主題は、バロックの『寓意』の復権である。これも変わってる。だが、ドイツの批評家であり、当時そのトップの地位にあったホフマンスタールに認められることとなった。

序章は『認識批判的序論』というタイトルになっているのだが、まず、プラトンの『饗宴』におけるこの言葉、「真理――理念の世界――が美の本質の内実である」が俎上に上げられる。「真理は美しい」。真と美のこの関係は芸術哲学上の試みにおける最も重要な事柄であって、真理概念を考える上でも必須であるとしている。ここはドイツ観念論の流れではフツーである。だが次が面白い。真理はそれ自体美しいのではなくエロスに対して美しいという。ある人はその人を愛している者にとって美しいのであって、それ自体美しいわけではない。それを探し求める者にとって美しいのである。愛は盲目ということなのだろうか。美しいから愛しているわけではなくて、愛しているから美しいということだろう。そこにかすかな相対性がつきまとうという。

美しいものが仮象的で損なわれやすいのは美しいものであることを素直に自認している時だけであって、それが仮象でしかない間のみ人を魅了するという。花は自らが美しいと思うがゆえに儚く、それゆえに人は美しいと感じるということだろうか。それは、やがて悟性に追いかけられ、ついには真理の内に逃げ込むのであるが、この逃避の後をエロスが追う。美はその仮象性のゆえに絶えずこの両者から逃げなければならなくなるという。もっともプラトンはエロスを『翼を生じせしむる力』と呼んでいた(『パイドロス』)。つまり人の魂を天界に持ちあげる原動力である。ただ、美しいから愛するのであれば、美を生理的なレヴェルに引き下げてしまうのである。

サンドロ・ボッテチェッリ 『プリマヴェーラ(春)』 1477-1478年頃 画面左端からメルクリウス、三人のニンフ

サンドロ・ボッティチェッリ
『プリマヴェーラ(春)』
1477-1478年頃
画面左端からメルクリウス、三人のニンフ

真・善・美は貴いものだとされてきた。多分それを否定するような人は少ないと思うけれど、多分、誰もそんなに真面目に考えたことのないテーマじゃないだろうか。ちなみに僕はボッティチェッリの描いた『プリマヴェーラ(春)』に登場する三人のニンフをしばらくの間、真・善・美と思い込んでいたのだが美・貞潔・愛の女神であるらしい。キューピッド(エロス)に矢で狙われているのは、画面の左端で上を見上げているメルクリウスをよそ見している、貞潔の女神だ。これもちょっと面白い。寓意的なのである。それから、一つ予備知識として知っておいてほしいことは科学などの分析的な知性の主体は悟性と呼ばれ、神や人間について思弁する知性の主体は理性と呼ばれている。カントが言ったことだ。そして一般的に事象は悟性によって概念化され(その一般的な性質をひき出され)理性によって最高の概念としての理念にまとめ上げられる。この構造をよく覚えておいてください。

プラトンは現象とは洞窟に映るイデアの影のようなものであると書いた。イデアとは真理のことである。この世のものは全て仮象、つまり実体のないイメージだというのである。だが、プラトンは真理を美の内実として考えていた。真理は美しいのである。理念の圏内に突入して被殻がぱっと燃え上がるような過程に似て、美の内実とは実は作品の燃焼にほかならないとベンヤミンはいう。この燃焼において作品の形式の明るさは頂点に達する。だが、この燃え上がる炎は仮象ではある。真理と美との間のこの関係は、普通我々が同一視しがちな真理と認識の対象(ここでは美)が別のものであるということを明らかに示しているという。理念は考察に対して外から与えられる。つまり自己の精神活動の外にある。いわば、この世のものではない。つまりこれがイデアである。真理と美とは即同じものではないのである。

ヴァルター・ベンヤミン 1892-1940

ヴァルター・ベンヤミン
1892-1940

それでは、この世に存在する個々のものと理念との関係はどうなのだろう。現象の中の事物は悟性によって構成要素へと分解される。それが概念である。理念は有用な概念を構成要素として、その配置によって描き出される。なんだかユングのいうみたいだ。かくして理念の事物に対する関係は星座の星に対する関係と等しいものとなるのである。理念は、事物の概念や法則ではないし、その配置を浮びあがらせるものは演繹や帰納ではない。構成要素が点としてこのような星座の中に収められることによって、現象は分割されると同時に救われるのである。これがプラトンのいう「現象の救出」であるとベンヤミンはいう。

個物はその理念の中にあって新たに総体的なものとなる。総体的とは、すべての理念は世界の像を内に含んでいなければならないという意味である。理念とは単子(モナド)であり、単子論の哲学者ライプニッツが微分学の創始者であったことは不思議ではないという。最小の物質の単位がアトムであるとデモクリトスによって考えられたように、は最小の霊的単位をモナドとした。モナドは、単子と訳され世界の最小単位をなす単一な、つまり部分のない実体であり、自然における真のアトム、森羅万象の要素だと考えられている。理念を表現するとは、この世界像をその縮約された形において描くことなのだというのである。モナドは全てを映しだす鏡であった。

理念とは星座のように現象の客観的で潜在的な配置であり、根源の学としての哲学史は遠く相隔たった極端な要素、一見発展の過剰と思われるものの中から星座のように総体性としての理念の配置を浮びあがらせる。ここは面白い。それは純粋に歴史というより、博物誌であるという。その研究者がするように、特殊なもの、過剰なものが拾い集められ、選び出された現象が重要なのである。そのようにして存在は理念界に救い出される。これが現象の存在においてその生成を見定めるということである。生成する現象は選び出されることによって限定されるのだ。飛んでいた蝶は、虫ピンで標本箱に止められるということだろう。この選択の過程において現象の歴史は食い尽くされるのであり、そうすることによって歴史的展望は深化し、理念に総体化をもたらすのだという。何かを集めて見せると云うことの意味をこれほど深めた人は少ないのではないだろうか。博物誌的コレクションや展示の意味もここではより深まっている。ここはスゴイ。

ちなみに、ベンヤミンが愛してやまなかったノヴァーリスの書いた『青い花』には「クリングゾルのメルヘン」があり、そこには美しい星座のイメージが出てくるので、この「星座」に興味のある方はこちらの方をお読みになるとよいノヴァーリスについては後に述べる。

 

2 .ゲーテ メタモルフォーゼの理念と象徴

『ローマ近郊におけるゲーテの肖像』 (1786年1787年、ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン画)

『ローマ近郊におけるゲーテの肖像』
(1786・1787、ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン画)

1794年、シラーはゲーテに、彼の精神的基盤となっているものを次のような意味の言葉で表した。「あなたは個々のものに光を当てるために自然を一まとめにし、その現象形態の総体の中に個体を説明するための根拠を求めている」。どうもこのあたりにゲーテの世界観を理解するための鍵がありそうだ。

原植物を考えていただければよいだろう。それは植物のとして考えられた。ゲーテにとってのイデアの一つと言っていいだろう。植物の総体はここに一まとめにされるのである。そして、それは外界の要因と作用しながらメタモルフォーゼする。彼にとって根も茎も花も種でさえも葉のメタモルフォーゼしたものだった。そしてゲーテはこう言っている。「神的なものと同一のものにほかならない真理は、決してわれわれの眼に直接認識されることはない。われわれは、それを反映、実例、象徴の中に、親縁関係にある個々の現象のなかに見てとるにすぎない。われわれが把握不可能な生命であることを知りながらも、それをどうしても把握したいという願いを捨て去ることができない(『気象学試論』)」と書いている。 すべてのものは比喩にすぎない。ゲーテは象徴を重視した。ベンヤミンはこれに対して寓意の復権を果たそうとしたのである。彼は「象徴」より「寓意」に軍配を上げた。これについては、また機会があれば触れよう。それではゲーテのいう象徴とは何か? 次の文章を見ていただきたい。

ゲーテ  『自然と象徴』

ゲーテ 
『自然と象徴』

「‥‥生起するものはすべて象徴であり、それ自身を完全に表現することによって、他のものを示しています。このような見方のなかにこそ、最高の高慢と最高の謙遜が潜んでいると思うのです(『C・E・シュバールト宛書簡』)」。あるいは、「象徴法は現象を理念に、理念を現象に変える。しかもその際に理念は、形象の中で無限の活動を続けながら、いつまでも人間には到達しがたいものとしてとどまり、どのような言語によって言い表してみても、言い表しきれないものでなければならない(『箴言と省察』)」。

ゲーテは感覚を信じていた。「感覚は欺かない。判断が欺くのだ。(『箴言と省察』)」。ここらあたりにゲーテの特殊性が現れ始めている。彼はプラトンに反旗を翻していく。感覚を研ぎ澄ませれば、自然自身がイデア=真理の言葉で限定的にではあっても語り出すことを実感しはじめたのである。

ところが、ベンヤミンはゲーテが「彼の真の自然」を概念化し得なかったので観照という実り豊かな中心部に迫れなかった(『ゲーテ 親和力』)としている。しかし、彼は、こんな言葉の意味を理解できなかったのだ。「現象というものは、観察者と別個に存在しているものではない。むしろそれは観察者の個性と絡み合い、縺れ合っている(『箴言と省察』)」。ここでは主体と客体の微妙な問題が提起されている。このような立場がゲーテの自然観をハイゼンベルクやハイトラーなどの量子力学の科学者たちに注目させる要因となったのである(ハイゼンベルク『自然科学的世界像』)。ベンヤミンにとって観照によって理念となるにはゲーテの原型はあまりに混沌としていた。だが、観照するということは、それが無限の過程を踏むとしても「観照されるもの」と「観照するもの」というふうに相対化するのを免れない。これに対して、ゲーテのそれは、自らを含めた事象の内側から働きかけるのである。

「理性は生成するものを、悟性は生成したものを相手にする。理性は『何のために』などということを気にしないし、悟性は『どこから』などということを問うことがない。――理性は発展を喜び、悟性はすべてを利用するために、あらゆるものを固定しようとする(『箴言と省察』)」。ゲーテにとって真理は星座のような関係性によって浮びあがるネットワークのダイナミズムではなく、生成し、発展するメタモルフォーゼのダイナミズムであったからである。それは博物誌を克服しようとするものだった。もっと言えば自らを作り変えながら維持し、尚且つ進化するものであった。ある存在には活動の歴史があり、その根底には不変のモナス(モナドの単数)があった。それがゲーテのいう原型であり、エンテレケイアである。エンテレケイアは存在を完成させようとする衝動を持っていると考えられた。アリストテレスの思想だ。そして、それは、オートポイエーシスにおいてゲーテが注目される理由でもある。オートポイエーシスについては、そのうち書くつもりだけれど多分もっと先になりそうです。

クロード・ロラン 『タルサスでのクレオパトラの下船』 1642-43

クロード・ロラン
『タルサスでのクレオパトラの下船』
1642-43

こうして、ベンヤミンのネットワークとゲーテのメタモルフォーゼ、二つの理念のありかたを知ったわけだが、肝心のゲーテの美学とはどのようなものであったのだろうか。エッカーマンは『ゲーテとの対話』でクロード・ロランに関するゲーテの言葉を伝えている。「この人は、美しい思想と美しい感情を抱いている。心の中には、外界にいて容易にはうかがい知れぬような一つの世界があったのだ。これらの絵には限りない真実があふれている。けれども、現実はどこにも跡をとどめていない。クロード・ロランは現実の世界を隅から隅まで、すらすら空で言えるほど知り尽くしていた。それを彼は自ら美しい魂の世界を表現するための手段として用いた。これこそまさにほんとうの理想性だよ。現実を手段として利用しながら、真実にみえてくることがまるで現実であるかのように思い込ませることを知っているのだから」。仮象を通してより高次の現実の錯覚を与えることがゲーテの美学だった。ゲーテの創作は現実に詩的な形姿を与えるものであったのである。

 

3.シュタイナー ゲーテ的世界観の美学

稀代の美学者、今道友信(いまみち とものぶ)さんが『美について』で書いておられることだけれど、フランスの美学者、ミケル・デュフレンヌ(1910‐1995)は、客観的表現が芸術の理念であると主張した。それは自己の主観を絞り出すという従来の表現ではなく、芸術とは客観的な存在者の可能性を絞り出して完成させることであり、いわば存在者の補完が芸術の理念であると考えたという。芸術はここでは「対象の可能性」の完成になるのである。それは単なる対象の模倣でもなく、イデアリズムでもなくなり、両方が止揚されるのである。そうなると出来上がった完成品より、そこに至る過程が注目されるようになる。作者がいかなる点に注目し、いかにして対象可能性を引き出したかが興味の焦点になるからである。

ルドルフ・シュタイナー 1861‐1925

ルドルフ・シュタイナー
1861‐1925

20代前半、シュタイナーは、自分が学ぶウィーン工科大学のドイツ文学史の教授カール・ユリウス・シュレーアーを通して、ゲーテに触れ、ゲーテに関する研究を始めたようだ。自然(物質)と霊(精神)の間の架け橋を示すゲーテの世界観に可能性を感じたという。そして、1890年(29歳)、彼は、ウィーンからワイマールへ転居し、ゲーテ=シラー遺稿保管局で働くようになる。そこでは、ワイマール版(ゾフィー版)ゲーテ全集の編纂が行われていて、彼は ゲーテの自然科学論文集の出版に携わることになるである。それは、1896年(35歳)まで続くことになる。

シュタイナーは『新しい美学の父としてのゲーテ』という講演の中で、ゲーテの言葉「美は隠れた自然法則の表明である。現象しなければ永遠に隠されたままの自然法則の表明である」という言葉を引いて、こう補足している「自然がそうあろうと欲しながらも、そうあることができないものを表現することによって、美は自然より真実なものになる」と。そして、「ゲーテは自然の中に沈潜して、自然の永遠の変転、生成、運動の中に、不変の法則を見いだそうとした。ゲーテは個体に面して立ち、その中に原像を見たのです」と語っている。ゲーテの美学とは、シュタイナーにとって「理念のごとくに出現した感覚的現実」であった。

そして、こう述べている。「このような定義から出発した美学は、まだ存在していません。このような美学は、これから私たちが作っていかなければならないのです。このような美学を『ゲーテ的世界観の美学』と呼ぶことができます。これは未来の美学です」。ドイツ観念論の美学者たちは「理念という形態の中での感覚的現象」を構築しようとしたのだけれど、それはゲーテの美学とは真反対の立場だったというのである。芸術家は神的なものを世界に流し込むのではなく世界を神的なものに高めることによって神的なものを地上にもたらすのである。そして、何を描くかが問題なのではなく、いかに描くかが問題なのだという。あのファウスト第二部の言葉を思い出す。「何を、と考えるものは、いかに、とは考えぬ」。

シュタイナーはこう言っている。「真に事物の原像、永遠の変化の中に存在する不変のものへ上昇しようとするならば、すでに完成したものを観察すべきではない。完成したものは、その中に現われる理念には相応しない」と。デュフレンヌによってゲーテ・シュタイナーの美学が完成したかどうかは、僕にはわからないけれど、発想を共有しているものであることは確かだと思う。

 

4.美の朝焼けの門

ヴァルター・ベンヤミン『ドイツロマン主義』 ドイツロマン主義における芸術批評の概念

ヴァルター・ベンヤミン『ドイツロマン主義』
ドイツロマン主義における芸術批評の概念

ベンヤミンは、『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』という著作の中で、初期ロマン派の核心は宗教と歴史であり、後期ロマン派に比べて無限に深く、美しいとしている。べたほめだ。そして、この初期ロマン派のの言葉を引用している。「芸術とは『いわば自己自身を観照し、自己自身を模倣し、自己自身を形成してゆく自然なのだ』」。ここでは、芸術が自己を反省する「自然」と等しいものとされている。

高橋順一さんの『ヴァルター・ベンヤミン解読』から、この初期ロマン派の反省とベンヤミンの思想との関係をまとめてみる。自己意識が自己について考えることが反省であり、それは思惟と同じ意味である。考えると云うことは反省の対象に反省を重ねあわせることである。この反省において主体と客体とは相互に反照することによって、「連関の無限性」を発展させる。自分が自分を意識すれば先ほどの自分より上位の自己が現われ、その新たな自己を意識することによってさらに上位の自己が現われる。それは無限に続くというわけだ。無限という言葉には注意した方がいい。

続いて、自分と対象は鏡のように反射しあい「思惟の思惟への関係性」を作りあげながら無限連鎖する。この中で直接認識されるのは、実は対象ではなく自我を越えた絶対主体の自己であるという。反省という無限累乗過程は純粋な自己への帰還となる。そこでは存在世界が反省の生み出す無限性の宇宙となり、「自然」と等しいものとなるのであった。観念論が高速で押し進められる感があるのだが、これが初期ロマン主義の反省である。「自然という書物」は、「神の言葉の啓示」であり、ユダヤ的秘教の世界に通じる。新プラトン主義では全てのものは一者からの自己流出であると考えられ、ベンヤミンにおいてはそれを目指してさかのぼることが反省となっていると私には思われるのだ。これは神秘主義である。ノヴァーリスに影響を与えたが、カバラに大きな影響を受けたことを考えれば、これは、不思議ではない。

初期ロマン派では反省の累乗が世界、つまり「産出する自然」であり、それこそ芸術だと考えられた。端折って言えば、認識とは芸術であるということになる。これは「初期ロマン主義の意味では反省の中心は芸術であって、自我ではない」というベンヤミンの言葉にもあらわれる。一方、シュタイナーは、ゲーテの言葉を引いてこう述べている。「芸術は一種の認識である。他の緒認識は独立した世界認識ではない」。おそらく思想的に直接、接点のなかったと思われるこの二人は、ここで図らずも手を握り合うことになるのである。僕は、シラーの詩集にある、この言葉を思い出す。「ただ美の朝焼けの門を通ることによってのみ、おまえは認識の国に至るのだ(『芸術』)」。

「芸術について語ろうと試みる時、人間は何らかの方法で芸術の中に立ち止まらなければなりません。哲学によっては理解できないものが数多く天と地の間に横たわっています。しかし、それだけではなく、物質的肉体的なものとの関係を通して、芸術の中の両極への解放をもたらすものが人間の内面に存在しているのです(『芸術の心理』)」とシュタイナーは述べている。シュタイナーの思想・美学にとって、ゲーテとは対極をなしていた。

十代の若い婚約者ゾフィーの死後、ノヴァーリスは霊界の住人のように地上を歩んだ。彼は音楽的故郷を去り、詩の中に音楽をひそめた。詩によって空間と時間を溶解させ、魔術的観念論の中に生きる。そして、外的な空間と時間に触れることなく、再び音楽的霊性の中に帰っていったとシュタイナーはいう(『芸術の心理』)。彼の詩は空間と時間を圧倒し、空間と時間は人間の魂の力を通して溶解するという。その時、魂は物質的散文的な存在に触れることなく自由を獲得する。ノヴァーリスほかドイツロマン主義おける時間と空間の問題は、でご紹介した。この溶解のプロセスの中から深い何かを内に含むものが響いてくる。その時、人の魂の奥底に横たわっている形成力が発見されるというのだ。

ノヴァーリスに対して、ゲーテは眼の人だった。彼の精神性は、人間の皮膚という限界を超えてそびえ立ち、宇宙の中に沈みこんでいた。それゆえ、ゲーテは精神的なものが空間的時間的なものの中に現われ出る芸術を理解したいという憧れを持ったのだとシュタイナーはいう。イタリアを目指す動機の一つになっていた。ゲーテは、ギリシアの彫刻や建築に人間の中に魂的霊的に生きるもの、創造的に空間に現われ出ようとするもの、空間に帰依するものを感じた。この時、ある解放が生まれる。それはいわば、物質的・感覚的存在の表面下に潜ることによって外的な物質的・感覚的存在を打ち砕く力を通して得られる自由だというのである。芸術の材料たる物質的な外的自然を破壊して、空間的・時間的諸力の形体のなかに放たねばならないものが彫刻になり建築になるのだというのだ。これは20世紀のカリスマ的なアーティスト、ヨーゼフ・ボイスの中心課題でもあった。

シュタイナーはウィーン大学で哲学者ロベルト・ツィンマーマンに出会う。ツィンマーマンの人格に引かれたシュタイナーは彼の論理的・美的・倫理的なのものを一まとめにして論じるための言葉である人智学(アントロポゾフィー)を自らの思想の表看板にした。こうして美学・芸術の問題は深められていった。その芸術の中の両極としてゲーテとノヴァーリスをシュタイナーは選び出した。それが彼の人智学的美学の星座の内にある二つの巨星であった。その世界を高昇させたシュタイナーの人智学的美学とはいったいどのようなものであったのか。課題はそれに絞られることになる。