ロベルト・カラッソ 『カドモスとハルモニアの結婚』 一貫する差異

ロベルト・カラッソ 『ハルモニアの結婚』 東 暑子 訳

ロベルト・カラッソ
『カドモスとハルモニアの結婚』
東 暑子 訳

「ディオニソスは、アッティケの年老いた庭師イカリオスの家に、”見知らぬ客人”として姿を見せた。イカリオスは、娘エリゴネとともに、新しい木を植えることを楽しみに暮らしていた。家は貧しかった。彼は心の中に客人用の席を空けて天使を招くアブラハムのような態度で、この”見知らぬ人”を迎えた。贈り物というのは、そのような態度からもたらされるものである。(本書Ⅱ章より)」

贈り物がもたらされたのだ。ロベルト・カラッソの著作『カドモスとハルモニアの結婚』である。それも第一級と言って過言でない。ここでは「イメージの思考」とは何かが試行され、言祝がれ、憑依といえる熱に溶かされ、流動的な連続体へ陥入していく。沈静な表現のうちに、あの「幻想のマッス」が再び噴出することが待ち望まれている。そのドキュメントなのである。これは新たな神話の捏造でもなく、メタ神話という戯画でもなかった。それでは何なのか。

この本の目次にはⅠからⅫまでのローマ数字しかない。各章のタイトルはないのだ。何故だろう。Ⅰ章は牛に姿を変えたゼウスがエウロペを略奪する件(くだり)から始まる。「それにしても、すべてはどのようにしてはじまったのか」この言葉はこの章に5度も登場するのだ。何故なのか。

エウロペはイオの物語の反転だという。イオはギリシアのアルゴスでゼウスの妻ヘラの神殿に仕える女神官だった。ゼウスに見初められたが、それはヘラの知る所となり、その嫉妬はおぞましい虻となって、牝牛に姿を変えられたイオをイオニアの海、ボスポラスの海峡、はてはエジプトへと追いやった。エジプトの海岸に到着したイオの体にゼウスの手がかすめると、彼女は乙女の姿にもどり神と交わった。イオの息子エバポスはのちにエジプト王となった。それが聖牛アピスだという説もある。エウロペはアジアからギリシアへと連れ去られ、イオはギリシアからアジアへと追いたてられたのである。

コレッジオ(1489頃-1534)  『イオとゼウス』 

コレッジオ(1489頃-1534) 
『イオとゼウス』

エウロぺとイオの物語では「神々の顕現(エピパネイア)」のヴェールがまだ機能していたとカラッソは書いている。うなる牡牛も気のふれた若い牝牛も、再び神や乙女に戻ることができた。時代が降るとパシパエは木製の若い牝牛の中に蹲っていなければならず、息子のミノタウロスを隠すための迷宮さえ必要となる。現実の宿命が取り返すことのできないものになっていくのである。しかし、またしても牛が物語を進行させていくのだ。

Ⅱ章では、話がテセウスとアリアドネの物語に移り、一つの冠の中にディオニソスとアリアドネの物語が織り込まれる。ディオニソスはアリアドネと結ばれると「吉兆を告げる静寂の伝令」である冠を贈った。テセウスは父ポセイドンの海底宮殿から浮上したときに手にしていた林檎の小花の冠を彼女に贈っている。それは、人をからめ捕る誘惑と破壊の象徴であった。冠は、いつも同じだったのだ。燦然と輝く冠の囚われ人だった彼女は、北冠座として天に残されるのである。

アリアドネの物語は錯綜していく。ナクソス島で見捨てられ、アルテミスの矢に射抜かれ、キュプロス島で遭難してお産のために死に、ディオニソスとの婚礼の後に天に昇り星座となり、バッコスの信女たちに交じり武装してペルセウスを追いメドゥサの頭を見せられ石に変わる。すべてアリアドネなのである。

カラッソは書いている。神話に現われる者たちは多くの生と多くの死を生きる。その一つ一つの生と死の中で他の全ての生と死が共存し、共鳴しあっている。「私たちが神話の敷居を跨いだということができるのは、相いれないもの同士の思いがけない一貫性に気づくときだけである。」この言葉がこの本を紐解く鍵になるのだ。

ゼウスとヘラの兄妹は禁忌の愛に早くから浸っていた。ヘラは賦所の神である。その荘厳の聖域がヘライオンだった。そこでイオはゼウスに見初められた。ゼウスのヘラへの裏切りの相手は、自ら仕える神のイメージに自身が近づくことを願っていた乙女であるイオだった。ゼウスは模造を選んだという。シュミラークルである。ゼウスが欲したのは秩序の箍(たが)を緩め、新しさ、意味を生み出せる最小限度の差異だったというのだ。イオとはその差異であり、模造だった。神々の陵辱とは、神々が世界に触れようとする徴である。人にとって神との交合、ミークシスは、憑依されることと等しい。

ロベルト・カラッソ(1941-)

ロベルト・カラッソ(1941-)

カラッソが21歳の時、1961年のことだが、ミラノの個性的な出版社であるアデルフィの設立に誘われる。まだ、アレルゲンとしてのファシズムが体内に残るイタリアでの『ニーチェ全集』の出版が発端だった。大手の名門出版社がその出版に二の足を踏んでいた。ニーチェの思想がナチスによって歪められたからだ。その出版社から二人の作家、ルチアーノ・フォアとロベルト・バズレンが手を引いてカラッソを誘って、オリヴェッティ社から資金援助を受けて立ち上げた出版社、それがアデルフィである。そこからニーチェ全集は出版されることになる。彼は作家であると同時に編集者だったのである。アデルフィについては美術史家の岡田温司(おかだ あつし)さんがこの本の解説に書いておられるので、そちらをお読みくださればと思う。気鋭の出版社のようだ。

ここで訳者の東暑子(あずま あつこ)さんの「あとがき」からいくつかご紹介してみたい。カラッソは、1941年第二次大戦のさなかフィレンツェで生まれた。幼い頃、通りで撃ち合っている音を聞いたのを憶えているという。父は法学者であり、母は教育学や出版関係などを手がけていた家系の生まれだった。母方の祖父の家には「非常に広い図書室と美しい書斎があったという。12歳頃、はす向かいのその家で背表紙の並びを見て過ごすことがしばしばだったらしい。その内、こっそり持ち出したとびきり美しい装丁の本が『悪の華』であった。そこで彼がうっとりとして見ていたのは、乙女ではなく美しい装丁の本であったのだ。

学位論文はトーマス・ブラウンのヒエログリフ論で、その準備のためにロンドンでしばらく暮らしている。学位論文は口実にすぎないそうだ。朝は大英博物館で、午後はウォーバーグ(ヴァ―ルブルク)研究所ですごしたという。それは理想的な暮らしであったらしい。イメージに対する、言葉の分節不可能な、ある種の「野生の思考」への関心が早くから高かったと東さんは書いている。ヤーコブ・ブルクハルトやルドルフ・シュタイナーバーバラ・スタフォードのようにイメージの力能を信じたのだ。カラッソの思索に重要な作家たちは、ボードレールからプルーストにいたるフランス象徴主義者たち、ニーチェ、クラウス、カフカらドイツ語圏の無政府主義的でちょっと危険な作家たち、イギリスの風刺精神と汎世界的な知性を模索する作家たち、そして、はるかな時代、はるかな土地の神話や伝説の変奏である。それらは主要作第一弾の『カシュの崩壊』に結実するのだが、新たな翻訳に期待するしかないだろう。本書は1988年に発表されたカラッソの著作、第2弾にあたる。

ディオニュソスとキタラーを持つアリアドネ

ディオニソスとキタラを持つアリアドネ

「それにしても、すべてはどのようにしてはじまったのか」と聞かれれば、出版業の端緒はニーチェからと言うことができるだろう。永劫回帰の思想である。人間の身体が互いに緊張関係にある力の表現であるように、ニーチェにとって歴史とはそれに関わる諸力の戯れ、その生成の運動であり、生と死のような両極性の闘争であった。ニーチェは、図像学の泰斗であるアビ・ヴァ―ルブルクに大きな影響を与えた思想家だった。悲劇は「再誕生」し、我々の中の「ギリシャ的本質」を残存させるとニーチェはいう。アポロン的(視覚的)なものとディオニソス的(舞踏的)なものとしての両極は、ヴァールブルクにおいては、情念定型の中で一つの渦となった。ラオコーンの蛇の暴力性、ケンタウロスの「動物的強靭さ」は、「情念定型」というヴァールブルク独自の概念になっていったのである。美しい表象には凄惨な深淵がある(ニーチェ『断章Ⅷ』)。これは美術史家ディディ=ユベルマンの『残存するイメージ』の中で見てきたことだ。

岡田温司さんの『解説』によれば、カラッソは文学の中で神々が繰り返し回帰してくることを称して「絶対文学」と呼んだという。シュレーゲル兄弟の『アテネウム』の時代(1798)からマラルメの死まで(1898)を文学において神々が復活しえた「絶対文学の英雄時代」と見做していたのである。

神々のイメージは形式や意味を変えつつおのずと受け継がれ生き続けていくようなものとして考えるなら、おおよそ、それはヴァールブルクの弟子たちやユング、デュメジル、日本では彌永信美さんらの考えとほぼ近いものであったろう。ヴァールブルクの親友であったエルンスト・カッシーラの「シンボル形式の哲学」にも、バッハオーフェンの『母権論』にあるような歴史とも関連しているだろう。しかし、ヴァールブルクの古代の形態に関わるイメージが弟子であるパノフスキーたちのそれとは異なることをディディ=ユベルマンは指摘していた(『残存するイメージ』)。ヴァ―ルブルクの場合、より重要だったのは、ニーチェの言うように、過去がそこで生き、そこに「残存」して再誕生するようなイメージであったのだ。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは、ニーチェの永劫(遠)回帰を「‥‥おのれを展開して、力の果てにまで赴き、変化しながら互いのなかへと移行する形式だけが還帰するのだ(『差異と反復』財津理 訳)」と書いた。ディディ=ユベルマンは、こう言いかえている。「永劫回帰において再来する<同一のもの>は、存在の同一性(アイデンティティー)ではなく、<似ているもの>に過ぎない(『残存するイメージ』竹内孝宏・水野千依訳)」。ニーチェは、この歴史を「芸術的力能」と名づけたのである。それは通常考えうる歴史の概念では測り知れないものだった。問題は「残存」とは何かであった。

ティツィアーノ (1488頃-1576) 『ダナエ』 1553-54 黄金の雨となってダナエに降り注ぐのはゼウスであった。ゼウスはギリシア神話における興行師、全ての背景として存在しているという。

ティツィアーノ (1488頃-1576)
『ダナエ』 1553-54
黄金の雨となってダナエに降り注ぐのはゼウスであった。ゼウスはギリシア神話における興行師、全ての背景として存在していると訳者は書いている。

フロイトの言うように、忘れさられた事柄なのに付き纏い離れない、おまけに身体的な極度の緊張を伴ってさえたち現れるイメージが「残存」なのである。ヴァールブルクの「残存」とはそのようなものだった。そして、フロイトは、患者はむしろ、抑圧されたものを、現在において生きられている経験として反復するよう強いられるのであり、過去の断片としてそれを想起するのではないと述べた。だからディディ=ユベルマンはこう言うのだ。「無意識的記憶の中では差異だけが反復される。いいかえれば反復は差異化される」と。そして、先ほどの本書におけるゼウスのシュミラークルを思い出してほしい。ゼウスは模造を選んだ。シュミラークルである。ゼウスが欲したのは秩序の箍(たが)を緩め、新しさ、意味を生み出させる最小限度の差異だったというのだ。イオとはその差異であり、模造だった。

「それにしても、すべてはどのようにしてはじまったのか」。カラッソは、幼子アポロンが母のレトに支えられてデルポイの斜面にとぐろを巻く大蛇に矢を放った姿と手をかけようとした瞬間月桂樹に変容して溶け出すダプネを追う若きアポロンの姿を重ねている。そう捉えるとあらゆる行為がこのようにも、あのようにも生じうるという。神話は扇のように開かれて多くの筋を見せるのだ、それは、ひとつの物に100の異なる光源でもって光を当てれば100の異なる影が生じるのと同じである。影から見えない物の形を探るのだ。伝承が一つしか残されていないなら、それは影のない体だという。私たちは、目に見えない影を心に描く訓練をすべきであるとカラッソは言う。そうでなければその実体を把握するのは難しいからである。

ゼウス像 1680年にスミルナ(イズミル)にて発見された。

ゼウス像
1680年にスミルナ(イズミル)にて発見された。

カラッソは述べている、「私たちが神話の敷居を跨いだということができるのは、相いれないもの同士の思いがけない一貫性に気づくときだけである」と。この一貫性は矛盾に満ちたものになりやすい。それは、ちょうどヴァールブルクが花をもつローマ時代のニンフの身振りに果物を運び、壺を運び、子供や荷物を運び、最後には剣を振りかざすユディットの姿を見出したのと似ている(『ムネモシュネ・アトラス』)。それら変相するイメージ群に一貫するのは実は「残存するイメージ」だった。彼はそれに憑依されたのだ。そこに狂気が混じった時期はあるとしてもである。この「残存するイメージ」にある身振りは差異化されて反復されていったのだ。だが、カラッソのイメージは「幻想のマッス」を噴出させてくれるようなものでなくてはならなかった。

それを可能にしてくれるのはゴットフリート・ベンのいうような「概観」であったのだ。美術全集のページをめくる行為が尽きせぬ夢のような陶酔を呼び起こす。そんな、イメージが喚起される体験を表す言葉である。本書の末尾に収録されている。それはイメージが現われたり、動きまわったりする原初にして原始的な方法であり、歴史と言う囲いにイメ―ジが分隊のように配列される以前の在り方、ちょうどページをめくる行為に近い何事かに基づいて成立している事柄だという。心に幻のように映る、名前の付けられる以前のイメージは、やがて添え名や名札や役割や特性を身につけ、影像(シムラークロ)に落ち着き、世界中を駆け巡ったのち、結局心の連続体のなかにふたたび潜ってゆく。

何度問いかけようとも連続体にはじまりはないのだ。それは、永遠の海であり、イメージはそこより出ずる女神である。海は連続体であり永遠の無差異であるというのだ。ギリシア人たちは他の誰よりも明瞭に見事なまでにそれを知覚するすべを心得ていたという。私たちは真珠取りのように海に潜らなければならない。だが、この「概観」にはまだまだ、謎がありそうだ。彼の文体にかかわることである。その謎解きは、是非、次のカラッソの著作が翻訳されるまでの宿題とさせていただきたい。それにしても、大英博物館で毎日陳列ケースから陳列ケースへと次々に飽かずに眺めていられたらどんなに幸せだろう。

次回は、芳賀幸四郎さんの名著『東山文化』をお送りする予定です。「幽玄」から独立した地位を勝ち得た「冷え寂び」が連歌とともに能楽・茶の湯・庭園などの芸術といかにシンクロしていったのか。そして、連歌とはどのようなもので、その奥深さとはいかなるものであったのかが分かり易く解説されています。お楽しみに。