『变臉/この櫂に手をそえて』 名優・朱旭と中国映画

川劇 中国四川省の伝統劇

映画を見た。中国の老いた大道芸人を扱った作品だった。中国の四川省には川劇(せんげき)と呼ばれる京劇に似た伝統芸があるらしい。その劇は、正に瞬く間もなく瞼譜(れんふ/隈取)を取り換える技、変臉(へんれん)を以って知られている。臉(れん)は顔のことだそうだから「変面」と訳すのは正しいだろう。一子相伝、それも男子にしか伝えない極秘の技だった。


1930年代の四川、子供を失い、変臉を得意とした老いた大道芸人である王(ワン)が、その技をどうしても伝えたいと人買いから8歳の男の子・狗娃(コウワ―/子犬の意味)を買った。爺爺(イエ、イエ ! /おじいちゃん)と呼びかけるその子に何かを感じたのだ。喜び有頂天となるワンだったが、街角の露店でゴムパチンコで手を打たれ、小さな鉈を自らの足に落としてしまう。酒で消毒した後、小さな子のおしっこは刀傷に効くと信じていたワンはコウワ―におしっこを出すように言うのだが、窮したコウワ―は、実は自分は女の子だと白状してしまうのである。


 

この映画のタイトルは、邦題を『変臉/この櫂に手をそえて』、英語の題名が『The King of Masks』である。主演は朱旭(チュー・シュイ)、狗娃(コウワ―)役を周任蛍(チョウ・レイイン)が演じている。二人とも素晴らしい役者だが、猿回しの芸のために飼われている猿も恐るべき演技をする。

この映画のためにチュー・シュイは、変臉の技をその筋の名人に習った。つまり、本人の実演がワンカットで撮られているのである。スローモーションにしても変臉の瞬間は分からなかった。自分ができるのは3枚までで、名人は7、8枚から10枚までできるのだという。自分のやり方は一番原始的・伝統的やり方であって面は全て絹であり、今のような合繊や化繊ではダメなのだそうだ。それに、コウワ―のアクロバットもやはり実演であった。彼女は、既に雑技団の売れっ子であったというからその演技も頷ける。しかし、撮影当時、両親の離婚に伴って親権が争われる裁判中であった。稼ぎがあるというのが理由だったという。その身の上が映画のストーリーと相まって心に痛い。(石子順『中国映画の明星』から「朱旭」より)

今回は、どうしてもこの朱旭(チュー・シュイ)という人をご紹介したかった。それで、石子順氏の『中国映画の明星』を中心に彼の経歴を追ってみたいと思っている。この俳優さんは、「世界一の劇団」と言われた北京人民芸術劇院所属の舞台俳優だった。この芸術劇院は、京劇などの伝統的な演劇ではなく現代劇(話劇)や歴史劇の専門集団である。劇院最初の演目が「北京の花」と謳われた作家、老舎(ラオ・ショー)の作品『龍髯溝』であり、その『茶館』は、この劇団の代表作となった。二千人収容可能な首都劇場を中心に140以上もの作品を公演してきた。所属する作家、演出家、俳優、全てが一流だといわれる。脚本、演出、俳優、舞台装置に関わる250人近い人々で構成されている。中国の俳優さんたちの演技には感心することが多いのだけれど、こんなところにもその要因があるのだろう。

チュー・シュイは、1930年、中国北東部、朝鮮半島にも近い遼寧省の瀋陽(はんよう)に生まれた。華北大学の第三部戯劇課で学び、日本占領下の北京に移り住んだ。その頃の日本兵との出会いは、辛い思い出になっているようだ。ここにも侵略の歴史の暗い影を見る思いがする。1952年の北京芸術劇院の結成にともなって、22歳の若さでここに俳優として配属された。最初は照明係や端役からスタートしたという。若くして頭角をあらわすというタイプではなかったが、徐々に役をもらえるようになっていった。しかし、三十代半ばで文化大革命の波に洗われることになるのである。1966年に文革が始った。

 


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騙されたと知ったワンは、コウワーに金を与え、彼女を岸に残して住まいにしている舟を出してしまう。コウワ―は泣きながら後を追うのだが、ついに泳げもしないのに川に飛び込んで舟に追いすがろうとした。ワンは水に飛び込んで助けてやるのである。しかし、もう祖父と孫のような関係は失われ、師匠とその弟子のような関係となってコウワ―に軽業の芸を仕込むと、共に大道芸をしながら暮らしていくようになる。

変臉の技に興味津々となったコウワ―は、ワンのいないある夜、瞼譜(れんふ/隈取)を取りだして火にかざして眺めていたのだが、運悪くそれに火がついてあっという間に舟は燃え上がってしまう。そんな時、ワンは、彼を尊敬する川劇(せんげき/四川オペラ)の女形、人気絶頂の梁素蘭(リャン・スラン)にコウワ―との写真を届けられる。なんとか、もとの水上生活にもどれるワンだが、コウワ―はいたたまれなくなって彼の元を離れ、浮浪児となって街をさまようようになる。あまりの空腹に焼き芋を盗もうとしてとがめられ、立ち去ろうとしたとき、彼女の手を捉える男があった。


 

中国の映画史は、黎明期の1910~1920年代の第一世代を経て、1930年代から1949年の中華人民共和国成立までの第二世代にまず分けることができる。その頃の上海は、外国人居留地、いわゆる租界として発展していて、イギリス、フランス、アメリカが主権を有していたため日本や中国本土などとは異なりダイレクトに欧米文化が流入していた。上海はモダンだったのである。アメリカ映画の影響と新左翼運動家の新劇的なシナリオ、資本家の投資とがあいまった。40余りの比較的小規模な映画会社が林立していて1928年から1931年の間に400本の映画が作られたという。

中華人民共和国が成立すると1953年には各地の撮影所は国有化される。そこから文化大革命が始る頃までの映画人を第三世代という。毛沢東の強い影響下にあり、共産党のプロパガンダ映画へと傾斜しはじめたのは自然なことだったろう。その中でも謝晋(シエ・チン)は重要な監督として注目されている。彼のことは、後でもう一度触れる。

呉天明(1939-2014)ウズール国際アジア映画祭 2007年

文革から1980年代半ばまでの時代の映画人が第四世代である。この世代は、文革中に反革命的な知識層として多くは糾弾の憂き目にあった。毛沢東が亡くなり10年続いた文革が終わって、その誤りを指摘しようということにはなったものの、どのように、あるいはどの程度表現して良いのか手さぐりの状況だったのである。その中で強い意思を見せたのが呉天明(ウー・ティエンミン)だった。この人が『変臉/この櫂に手をそえて』の監督さんである。彼は、文革中に年老いた撮影所の所長が重い木札を首にかけられトラックに乗せられて見せしめに引き回されようとした時、その車によじ登って、ありあわせの木札を首にかけ「俺もつるし上げろ」とその所長の横に並んだという。それに、ある女優が精神を病んで井戸に飛び込んだ時、自も井戸に飛び込んでその女優を助けた(石子順『中国映画の明星』)。そして、何よりも、彼が中国映画史の中で重要な位置を占めるようになるのは西安撮影所長としてのプロデューサーの手腕だった。

再開された北京の電影学院からの卒業生たちが自由な雰囲気を求めて地方の撮影所に集まるようになる。その一つが西安だった。『活きる/活着』の張芸謀(チャン・イーモウ/1950-)、『青い凧』の田壮壮(ティエン・チュアンチュアン/1952-)、『さらば我が愛/覇王別姫』の陳凱歌(チン・カイコ―/1952-)ら錚々たるメンバーがつどった。三人が三人とも若い頃に強制的に地方の生活を体験させられる下放を経験している。彼らの世代が第五世代といわれる。呉天明(ウー・ティエンミン)が綺羅星のような彼らを育てたのである。これらの作品は全て状況を異にする映画だが、文革やそれに先立つ反右派闘争を批判している点で共通している。これに先ほどの謝晋(シェ・チン)が1987年に撮った『芙蓉鎮』を加えることができるだろう。(竹内実・佐藤忠男『中国映画が燃えている』)

 


コウワ―の手を掴んだのはワンに自分を売りつけた人買いだった。人買いの家に連れて行かれると、そこにはコウワ―よりもっと小さな裕福な家で育った四歳の男の子がさらわれて泣いていた。そこで、彼女はある決心をする。二人で屋根裏から屋根を伝って逃げた。そして、その子をワンの舟まで届けるのだった。舟に戻ってきたワンが、名前はと問うと天賜(ティエンシー)と答えた。これが誤解のもとになった。ワンは信仰する観音菩薩の恵みだと喜ぶのである。しかし、喜びも束の間、彼は幼児誘拐の疑いで警察へ連行されてしまう。コウワ―は泣きながら牢屋の格子越しにワンに瞼譜(れんふ/隈取)を手渡すのだった。


 

石子順『中国映画の明星』2003年刊
中国映画の四人のスターを紹介する

1958年から始まった大躍進政策の失敗によって、毛沢東は政治権力の座を失った。稚拙な製鉄法による木炭の消費は森林を壊滅させ、生産された6割は使い物にならない屑鉄だった。伝統農法も近代農法も無視した農業は大凶作を呼び、それでも輸出のために作物は吸いあげられた。それによって数千万の餓死者を出したといわれる。このあたりの農村の様子は『赤い高粱』で知られるノーベル文学賞作家、莫言(モー・イェン/1955-)がその講演で語っている(『莫言の思想と文学』「飢餓と孤独はわが創作の宝もの」)。彼は、川端康成の『雪国』とガブリエル・ガルケス=マルケスの『百年の孤独』、それにウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』にシビレテいた作家だ。

毛沢東は、劉少奇や鄧小平らが握った政治の実権を奪還しようとして、高校生を主体とする紅衛兵と呼ばれた学生たちの運動を扇動した。共産主義に部分的に資本主義を導入する実権派の修正主義を嫌ったのである。実権派の党幹部やその支持者、知識人、旧地主の子孫などが反革命分子とされ、紅衛兵を中心とした造反派によって迫害を受けることになる。これによって多くの人命と文化財が失われた。

この伝染病のような文革の嵐は、北京人民芸術劇院も襲った。院内に起こった造反によって「文芸の黒い線」一味、「反革命分子」として糾弾される。老舎は太平湖畔で死体で見つかり、実質的な指導者だった焦菊隠(チャオ・チュイイン)副院長は、迫害の後、死亡、高名な女優であった舒綉文(シュ・シウウェン)も迫害され亡くなった。チュー・シュイも吊し上げられ妻で女優であった宋鳳儀(スン・フォンイー)とともに、いわゆる「幹部学校」へ送られ北京郊外の元囚人農場で八年間畑を耕し、葡萄栽培を強いられた。小学生の長男と生まれたばかりの末っ子とは別れて暮らさなければならない辛い日々だった(石子順『中国映画の明星』)。

この文革の頃の様子は、先ほどの第五世代の監督たちの映画の中にそれぞれ描かれているが、チュー・シュイとの関わりで言うなら、1995年の日・中合作のテレビドラマ『大地の子』を挙げることができる。山崎豊子の原作なのだが、綿密な取材によってその頃の様子は迫真なものになっている。このドラマで彼は、中国残留孤児の男の子の養父で小学校教師であった陸徳志を演じて、その素晴らしい演技が一躍日本の人たちにも知られるようになった。ついでに言うと、中国側の制作した残留孤児のテレビドラマもあって、これも感動的だった。僕の大好きな孫麗(スン・リー)主演の『小姨多鶴』(多鶴叔母さんの意味)がそれで、アメリカの小説家である厳歌苓(ヤン・ゲリン)の同名の小説が2009年にドラマ化されている。これでもかこれでもかと押しよせる不幸を懸命に生きていく女性を描いているのだ。ヤンは、『金陵十三釵』の作者でもあるが『紅楼夢』の関係で言えば『金陵十二釵』が美女12人を指しているから、かなり意味深なタイトルと言える。それはともかく、この『大地の子』が制作された翌年、アメリカから帰国したばかりの呉天明(ウー・ティエンミン)監督のもとで『変臉/この櫂に手をそえて』が制作されることになるのである。

 


ワンの友達の酒屋の主人は、コウワ―に川劇の女形・梁素蘭(リャン・スラン)なら助けてくれるかもしれないと告げた。コウワ―はリャンの住む建物の前で一夜をあかし、リャンに事の次第を告げる。だが、彼女はリャンが出演する劇の最中に驚くべき行動にでるのだった。クライマックスはどうか映画をご覧ください。


 

1983年アメリカの劇作家アーサー・ミラーが北京に滞在し、その作品『セールスマンの死』が北京人民芸術劇院によって演じられた。チュー・シュイは、主人公ウィリーを助ける心温かいチャーリー役だった。ミラーは、アメリカの俳優ヘンリー・フォンダを思わせる良い役者だと誉めたようだ。フォンダは、『怒りの葡萄』や『12人の怒れる男』といった作品で知られる名優である。その頃、チュー・シュイは、魯迅の『阿Q正伝』の主役を演じるまでになっていた。ミラーの『セールスマンの死』は北京で大成功を収めたのである(石子順『中国映画の明星』)。

そして、1984年、第五世代が躍動し始めた頃、チュー・シュイは、初めて映画に出演する。50歳半ばの遅れてやって来た映画俳優だった。『紅い服の少女/赤衣少女』というタイトルで16歳の少女の父親役である。教え子だった女性監督である陸小雅(ルー・シャオヤー)から声をかけられたのがきっかけだった。

その後、文革を描いた『胡同(フートン)模様/小巷名流』、田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督の芸人一家の悲劇を描いた『鼓書芸人』に出演する。弦楽器と太鼓の伴奏で物語を歌う二人組の芸を鼓書といった。そして、名作として名高い、もと京劇役者の祖父を演じた『心の香/心香』がある。これで、祖父役が定着する。『孔家の人々』『変臉/この櫂に手をそえて』を経て『こころの湯/洗澡』『刮痧』『王様の漢方/漢方道』などに出演。そして最後の映画が2009年に制作された『我們天上見』(天国で会いましょうの意)で、やはり祖父役を演じて、この作品も素晴らしかったが、監督はなんと『大地の子』で主人公・陸一心と結婚する江月梅を演じた蒋雯麗(ジャン・ウェンリー)だった。張芸謀(チャン・イーモウ)もそうだが、俳優で監督、両方こなせるという人も中国には少なくない。

チュー・シュイのどこに惹かれるのかは言い難いものがある。確固として鍛え上げられた役者としての技術、何よりも香ってくる人柄の暖かさ、絶妙の間合い、神技とも言える声の抑揚、全ていい。そして、僕が何よりも言いたいのは、呉天明(ウー・ティエンミン)監督と組んだこの『変臉/この櫂に手をそえて』が、いかにも地に足の着いた職人肌の映像を僕たちに届けてくれているからだ。おまえの感覚は古いのだと言われそうだが、王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の『恋する惑星/重慶森林』といったシティポップな感覚も嫌いじゃない。チュー・シュイのこの作品は、ワイヤーでぴょんぴょん飛んだりしないし、流行りのCGによる壮麗なインチキもない。そんなのこの頃は、あんまり流行ってなかった。勿論、映画の形式美、色彩構成や造形美といった要素も大切ではあるが、僕は何よりこの丹精こめた職人芸による極められた演技とそれによって創り上げられた映像が好きだ。職人気質大好き。みなさんにも是非見てもらえたらと思っている。チュー・シェイは、昨年2018年に88歳で惜しくも亡くなっている。

 

 

参考図書


竹内実・佐藤忠男『中国映画が燃えている』中国映画の歴史が比較的詳しくまとめられている。

藤井省三『中国映画 百年を描く、百年を読む』
莫言文学の翻訳者が中国・香港・台湾の映画35篇を紹介する。

莫言『莫言の思想と文学』莫言の講演を集めている著書 2015年刊