ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』笑いは世界を再生させる

ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』

今回は、色々な本の中でちょこちょこ名前の出てくるミハイル・バフチン(ミハイール・バフチーン)のグロテスク・リアリズムを取りあげたい。魔術的リアリズムに近いようで遠い。エロ・グロ・ナンセンスのグロテスクとも似つかない。じゃあ、いったい何かと問われればお立合い。まずは、はるか昔のローマに遡る。


1.カーニバル・タイプの祝祭、様々な広場での笑劇的要素

「そして(ウダールは)この法院族め、ぽかぽか、この法院族め、どかどかと、殴りだしましたが四ほう八ぽうからも、こんこんに張り切った籠手が、法院族に雨霰と降り注ぎました。『めでたい嫁取り! (と一同は叫びました。)めでたや嫁入り! めでたや! めでたや! 末の世まで忘れまじ! 』と。法院族はさんざんに痛めつけられて口からも、鼻からも耳からも眼からも、血がだらだらと流れました。その上に、頭からも首も背も胸も腕も一切合財が、くたくた、がたがた、びりびりにされてしまったのでございますよ。まったく謝肉祭の折のアヴィニョンの若衆たちにしても、この法院族の時以上に、景気のよい音を立てて、殴打遊びをやったことは金輪際ございませんよ。とうとう奴めは地べたへ倒れてしまいました。皆は、その頭に葡萄酒をぶっかけ、胴着の袖に、黄と緑に染められた見事な布地を縛りつけ、奴の青洟垂らした馬の背に乗せました。(ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル/第四の書』」

フランスの地方には、婚礼の祝の席でお互いを冗談めかして軽くこぶしで殴り合うという「二股手袋の婚礼」という風習があったが、この殴り合いは陽気な性格を持ち、笑いで始まり、笑いで終わる。法院族は道化としての王の役割が与えられ、打擲と嘲罵が加えられる。そうされながらも祝福される矛盾した存在となる。ここではアヴィニヨンのカーニバルが想起されているが、肉体の分断、それも解剖学的、カーニバル的、料理的、医術的な寸断がなされている。しかし、殴られる者は葡萄酒で赤く染められ、彩豊かに飾られる。このような祝祭的なイメージ体系には、けっして絶対的な否定はない。矛盾する統一体の中で生成の両極が捉えられるのである。


 

ドムス・アウレア内部 64年のローマ大火災後にネロが建てた黄金宮殿跡
16世紀には地下洞窟「グロッタ」として知られていた。

西暦64年、ローマが焼野原になった後、皇帝ネロは誇大妄想建築と名高いドムス・アウレア(黄金宮殿)を建設しはじめた。その死後、宮殿は火災によって焼失する。宮殿の敷地はティトゥス浴場などの建築物に覆われドムス・アウレアは地下に埋まっていたが、15世紀末に地下道を掘って内部が見学できるようになった。

バフチンは、本書『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』の中でこう書いている。「15世紀末のローマでティトゥス帝の共同浴場の一部が発掘された時、その時まで知られていなかった種類のローマの絵画的装飾が発見された。この種類の装飾は、洞窟、地下室を意味するイタリア語の「グロッタ」から「グロッテスカ」と名付けられた。(川端香男里 訳)。」そこを訪れたラファエロは内部の装飾に眼をみはり、さっそくバチカン宮殿の壁画に試したという、いわくつきのフレスコやモザイクがあったのである。

このローマの装飾画には、奔放なアルス・コンビナトリア(結合術)、動物たちや人間との自由なキメラがあり、幻想と想像力が手を携えて壁面に浮遊していた。その特徴をバフチンは、このように述べる。このグロッテスカにあっては境界線は大胆に犯されていて、現実のありきたりの静態的表現はない。一定不変の世界の、植物であれ、動物であれ、出来上がった形、そのものの動きはもはやなくなり、存在自体の永遠で未完な性質に変えられている。そこには芸術的空想の並みはずれた自由と軽やかさがある。そして、「この自由は、ほとんど笑っているような、陽気気ままな自由である」と書いている。彼によれば、この新たな発見は、グロテスクイメージ表現の一断面に過ぎなかった。そのイメージは、実は古代のあらゆる時期に存在し、中世、ルネサンスにも生存し続けていた。このグロッテスカは、その後の生産的な生命に保障を与える存在となり、グロテスクなイメージ表現が拡張され測り知れない巨大世界へと発展していく過程での護符となるのである。

 


2.滑稽な文学的作品からの着想

「そこでにこにこしながら、見事なその股袋をはずして、その一物を宙に抜き出し、勢い劇しく人々に金色の雨を降らしたので、そのために溺れ死んだ者の数は、女や子供を除いて二十六万四百十八人であった。これらの連中のうち何人かは、脚が速いおかげで、この小便の洪水から逃れ出て汗をだらだら、咳をこんこん、唾をぺっペっと吐きながら、息も切れ切れになって大学の丘の頂上へたどり着いたが、ある者は、かんかんに怒り、ある者は笑い転げながら(Par rys/パ リ)、神も仏もあるものかと喚き立て、呪詛の声を上げ始めた。――神の災いに誓って! 主を否みまする! 主の血にかけて! 主の母君、みそなわせ! 主の頭にかけて=ガスコーニュ 主の受難がお前をくじいてしまわぬように‥‥やれ聖女マミカ様、冗談ごと(Par ry)からすっかり濡れ鼠にされてしまったわい! こういう理由から、それ以来この町はパリと名付けられたわけだ‥‥(ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル/第一の書』」

バフチンは、ラブレーの同時代のロジェ・ド・コルリーはこんな詩を書いたと紹介している。

≪主の復活祭≫みまかりし時  ≪主の良き日≫後を継ぎぬ。
≪主の良き日≫故人となりし時、 あとを継ぎしは≪悪魔よわれを取れ≫なり。
その歿したるのち、≪貴人の名誉≫がわれらを惹きつけているのを見る。

当時、聖なる言葉が瀆神的、冒涜的に使われるのを恐れた国王たちは一度ならず誓言禁止の法令をだしたという。ルイ11世の ≪主の復活祭≫、シャルル8世の ≪主の良き日≫、フランソワ1世の ≪貴人の名誉にかけて≫ など、彼らのお気に入りの誓言は、禁令を発した王たちと分かちがたく結びついて王たちのあだ名にさえなった。コルリーの詩はこれらのエピグラムとなっているのである。ラブレーの文学にはこのような滑稽な文学作品のパロディが散りばめられていた。


 

バフチン『ドストエフスキイ論』
『ドストエフスキイ創作方法の諸問題』1963年版の翻訳

幻想と想像力が手を携える。それって、シュルレアリスム、いやマニエニスムじゃないのかと不審に思われる人もあるだろう。いや、あってほしい。あるかなあ‥‥ルネサンス末期から登場したマニエリスムは、奇想をこととする手法主義を指している。ルネ・ホッケは、それをルネサンスの古典主義に対抗する概念にまで高め、西欧文化の二つのあざなえる縄の一つにまで持ち上げたのである。バフチンは、グロテスクを大衆的な笑いの原理、生活の物質的・肉体的原理、アンビヴァレントな価値を併せ持つ変化の両極性、再生と復活のユートピア性を持つと規定し、宗教の厳格性や学問の抽象性をこととするお堅い文学とやはり対抗させた。しかし、文化って基本的にアンビヴァレントなものなのかしら。

フランソワ・ラブレーやそれに類するルネサンスの作家たち、ボッカチオ、シェイクスピア、セルヴァンテスらの物質的・肉体的原理に基づくイメージが民衆の笑いの文化の継承に違いないとバフチンは思った。生に対する独特な美的概念の継承である。近代から始まる美的概念とは鋭く対立する美的概念をゴシック・リアリズム、後にグロテスク・リアリズムと名付ける。

既に古典古代において、叙事詩、悲劇、歴史、弁論術(レトリック)などの真面目な文学と田園詩、ソプロンの物真似、『ソクラテスの対話』『メニッポスの諷刺』といった、いわゆる真面目な茶番と呼ばれる文学とに分けることができるという。特に『メニッポスの諷刺』は、カーニバル的世界観から発し、ドストエフスキイの創作の中で新たに生まれ変わったというのだ。ドストエフスキイ文学は真面目な茶番の末裔に分類される。さて、これを読んでオッたまげた人はバフチンの『ドストエフスキイ論』をお読みくださいませ。

ミハイル・バフチン(1895-1975)
1924‐25年頃

ミハイル・ミハイロヴィッチ・バフチンは1895年にウクライナに近いロシアのオリョールに次男として生まれた。伝記については、カテリーナ・クラーク、マイケル・ホルクイストによる著書『ミハイール・バフチーンの世界』からご紹介する。兄と三人の妹があった。父方は貴族の家系に連なるが爵位は持っていなかった。祖父が市中銀行を設立していて、父はそのほうぼうの支店で支店長をしている。それで、何度かの転勤をすることになった。両親は子供たちに最良の教育を受けさせたが、家風はかたぐるしく、その中でもミハイルは打ち解けない性格だったといわれる。9歳で学校に上がる前は、ドイツ人の女性家庭教師がついていて、『イーリアス』『オデュッセイア』などをドイツ語で教え、劇にして演じさせていたりした。

9歳の時、父の転勤に伴って現在のリトアニアの首都ヴィーリニュスへ移り、15歳まで暮らすことになる。そこは、様々な文化、様々な時代の生きた博物館であり、伝説と謎に満ちていた。言語、階級、民族は多様で、異言語混交の生きた実例であったといわれる。ロシア人が支配しロシア語を公用語としたが、ポーランド人とリトアニア人が大半でユダヤ人も比較的多かったが、大勢はローマ・カトリックであり、知的・文化的にはポーランドに傾斜していた。兄弟はギリシア語を家庭教師に学びながら学校ではロシア中心のカリキュラムを吸収した。一時的な革命熱のためにマルクス主義に浸ったこともあったが、11歳の時『悲劇の誕生』を読んだことは、後に反ニーチェ主義者になりはするものの人生の転機になったという。やがて象徴主義に興味は移った。ロシアのブローク、アンネンスキー、イヴァーノフら象徴主義の詩を終生愛した。特にイヴァーノフは、「私」がもう一人の「私」、すなわち内なる「汝」を意識化していくという表現によって宗教的・認識論的体験の基礎となるコミュニケーション理論を築き上げていた。ここは、重要であろう。

1911年、15歳の時に黒海沿岸のオデッサ(現ウクライナ)に移った。一年だけオデッサ大学で学んだあと1914年からペテルブルク大学で歴史・言語学部の古典学科に在籍し、1918年に卒業した。この頃は、象徴主義に対抗する新しい運動が胎動していた。マンデリシュタームやグミリョフを中心としたアクメイズム、ヤマコフスキイらの未来派である。バフチンは言葉の実験を信条にしていた未来派に興味を持った。未来派に近い立場の人たちとしてペテルブルク大学で学んでいた、あるいは教えていたメンバーたち、シクロフスキ―などのフォルマリストを指摘できる。他にヤコブソンらがいるが、彼らはやがてバフチンの「あっぱれな敵」となるのである。これがバフチンの20代前半までの様子である。

 


3.無遠慮で粗野な広場の言葉(罵言、誓詞、呪詛、民衆的プロパガンダ)による語り

「はっ、はっ、はあ! わーい! こいつは一体何じゃいな? これなるものを何とお呼びになる? 便とも糞とでも、尿とでも排泄物とでも、うんことでも、便通とでも、糞便とでも、大便とでも狼の糞とでも、熊の糞とでも、鳥の糞とでも、鹿の糞とでも、絞り糞とでも、固糞とでも、山羊の糞とでもお呼びになりますかな? 私は思うのだが、イベルニヤのさふらんですわい。ほっ、ほっ、ひーい! こりゃイベルニヤのさふらんさね! 誓羅(せら)! 飲もうや、皆さん! (ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル/第四の書』」

この糞のオンパレードは、香具師の口上、広場での罵言のようである。さあ、さあ、みなさん、御用とお急ぎでない方は、よってらっしゃい、見てらっしゃい‥‥というのに代表される語り、あるいは、おまえのカアチャンのちょめちょめがなあ! くそったれ! などという罵詈雑言などの類です。


 

ピーテル・ブリューゲル(1525頃-1569)『謝肉祭と四旬節の喧嘩』1559 部分 美術史美術館 カーニバル的世界の描写

ここで、ラブレーのスカトロジー(糞尿譚)に触れます。イャダーとか言わないように。重要なのです。私が意識の座を得てからというものうんこなど食べたことも舐めたこともないことは誓って申し上げるのだが、恍惚の人となり、年齢も年齢ですから、そうなればどうなるかは定かではない。先ほどのラブレーの糞のオンパレードで、うんこがイベルニヤのさふらんという何やら貴重で快いものとされていることにバフチンは気づいた。自分の尿を飲むというのは民間療法として根強い人気があるらしいのだが、うんこはさすがに食べられません。しかしながら、うんこは大地と身体との中間にあって両者を結びつけるもの、再生と改新をもたらす陽気なブツなのです。うんこは死人の肉体と同じように土地を肥沃にするものなのです。

ギュスターブ・ドレ画『ガルガンチュア物語』挿絵  大聖堂からオシッコをして人々をセーヌ川に押し流すガルガンチュア

それで、バフチンはこう書いている。「ラブレーのスカトロジー的イメージには、少しも粗野でシニカルなものはないし、また、あり得ない。(他の同様のグロテスク・リアリズムと同じように。)糞を投げつけ、尿を浴びせ、古い死にゆく(と同時に生み出す)世界に糞尿譚的罵言を雨あられのように浴びせること――これは古い世界の陽気な埋葬であり、愛情のこもった土の塊を墓に投げてやる行為や、墦種――畑の溝(大地の母胎)に種を投げる行為とまったく同様の(ただし笑いの次元における)ものなのである。陰うつな、肉体のない中世的真実に対し、これは真実の陽気な肉体化であり、滑稽な地上化である。(川端香男里訳)」

つまり、うんこは「くそっ!」になるのだ。芸術的空想の並外れた自由な陽気さは、このうんこのメタファーにも見て取ることができる。いわば下方超越し、再生と復活を人間にもたらすと言うべき世界観は、古代における農耕神サトゥルヌスの黄金時代へ、全民衆的なユートピア世界への回帰に繋がっていくのである。

バフチンは、カーニバルやフェスト、大道芸、多種多様なパロディ文化等々に見られる諸形式を三つの基本的な形式にまとめた。それが今まで挙げてきた民衆文化の三つの表現形式(1.儀式的・見世物的形式、2.滑稽な文学的作品、3.様々の形式やジャンルの無遠慮で粗野な広場の発言)である。しかし、基本的に重要な形式は1.のカーニバルであろう。

「わたしがビール樽なら、あんたは足なしです‥‥」
「なに、わしが足なしだって」
「ええ、そうです、足なしですよ、おまけに歯欠けじいさんで、そうなんです、あんたは」
「おまけに目っかち」とマリア・アレクサンドロヴナが喚き立てた。
「あんたはあばら骨の代わりにコルセットをはめてるんでしょう」とナタリア・ドミトリエヴナがつけ加えた。
「顔はぜんまい仕掛け」
「自分の髪の毛はないし‥‥」
「口髭ときたら、バカみたい、こしらえ物でしょ」マリア・アレクサンドロヴナは黄色い声を張りあげた。
「いや、せめて鼻だけはよしてもらいたいな、マリア・ステパノヴナ、これは本ものなんだから」と意外なすっぱ抜きにびっくり仰天して公爵は叫んだ‥‥
「いやはや」と哀れな公爵はいった。「‥‥おまえ、わしをどっかへ連れ出してくれ。さもないと、八つ裂きされてしまう‥‥」。(ドストエフスキイ『伯父様の夢』新谷敬三郎訳)

バフチンは、このドストエフスキイの作品を、解体した身体の部分を数え上げる典型的な「カーニバル解剖」の例として挙げている(『ドストエフスキイ論』)。この数え立てはルネサンスのカーニバル化した文学において広く行われた、例えば、ラブレーにおいて盛んに、目立たなくはあるがセルヴァンテスにおいても。ここでは、カーニバル王の役割をしているのはマリア・アレクサンドロヴナ・モスカリョーワであった。彼女は娘を年老いた公爵の嫁にと画策するのだが、その手管を周りの社交界のご婦人方に非難され、彼女の名声は地に落ちる。その結婚話と対を成す娘とその恋人ワーシャとの関係は、彼の悲劇的な死をもって終わる。話は互いに反映しあい、お互いに透視しあい、一方が喜劇なら他方は悲劇、一方が卑俗なら他方は崇高という相反するデュアルな関係になっているという。これが文学化されたカーニバル感覚の一つの例なのである。

さきほどのブリューゲルのカーニバルの絵を見ていただきたい。この人物たちそれぞれに吹き出しをつけて会話を挿入する。それをアニメーションのように動かすと異種混淆の会話のポリフォニーになる。ポリフォニーというより会話のクラスター(群れ)と言った方がよいかもしれない。それは、カオティックなエネルギーに満ちた世界であり、次の年にもその次の年にも似たように繰り返される行事だった。カーニバルの形象は絶えず生き返り常に終わりは新しい始まりであり、決定的な終局に反対するとバフチンは言う。そして、ドストエフスキイ作品の世界はこのようなものであるとも言う。「世界にはいまだかつて何ひとつ決定的なことは起こっていない、世界についての、また世界の最後の言葉はまだ語られていないし、世界は開かれたままであり、自由であり、いっさいはこれからであり、永遠にこれからであろう(新谷敬三郎訳)」と。つまり、開放系である。

ドストエフスキイは制約的で一面的な真面目さ、独断論や終末論とも無縁ではない、しかし、ひとたび小説の中に入ると開かれたまま終わることのない対話の生の声の一つになってしまうという。「彼の小説にあっては、すべてがまだ語られたことのない、予め用意されてない『新しい言葉』に向う。(新谷敬三郎訳)」新たな言葉の創発が起こると言う分けだが、残念ながらカーニバル的世界には時間の矢がない。それは、ともかく、この『ドストエフスキイ論』は『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』とセットにするとカーニバル的世界観、ひいては、グロテスク・リアリズムが理解できる仕組みになっているのです。

ジュリア・クリステヴァがまだ、ブルガリアの学生だった当時、バフチンは、革命的存在だったという。しかし、1965年にフランスに留学してみるとバフチンは全く知られていなかった。ロラン・バルトは、彼女にバフチンの著作についての報告をするように勧めたという。それが『バフチン ―― 言葉  対話  小説』というテクストであり、雑誌「クリティック」に掲載され、やがてバフチンの名が西側世界でも知られる契機となるのである(桑野隆『バフチン』)。しかし、彼女は、バフチンの思想に自分のアイデアを繋げた。

それが、「間テクスト性」の問題だった。「一つのテクストが別のテクストの引用のモザイクとして形成され、テクストが全て別のテキストの吸収と変形に他ならない」と考える。前半のテクストという言葉を声に後半のテクストを会話に置き換えてみよう。すると、「一つの声が別の声の引用のモザイクとして形成され、会話が全て別の会話の吸収と変形に他ならない」となる。バフチンがドストエフスキイについて述べた会話のポリフォニー性とは、小説が作者のモノローグだけに終わらない、つまり、登場人物が作者の意図や思想を代弁して語る存在としてではなく、小説内で作者とは独立したそれぞれ自由な存在として登場し語ることによって生まれる。会話のポリフォニー性から直ちに「間テクスト性」は導けない。ただ、カーニバル化の機能は、ジャンルや孤立化した思想の諸体系、異質なスタイル等々の柵を全て取り払う作用をしてきた。それは、あらゆる孤立化、相互の無関心を絶滅し、遠くのものを引き寄せ、ばらばらのものを一つにまとめた(『ドスエフスキイ論』)。全ては繋がっているというわけである。そう考えれば、「カーニバル化」と「間テクスト性」とは繋がる。

これに加えてカーニバルにおける記号性についても考えなければなりません。バフチンは有意味な事・物は、全て外部になんらかの形で姿を見せると信じていた(桑野隆『バフチン』)。ここら辺りは、カッシーラの『シンボル形式の哲学』に近づいて行くのだろうけれど、今回はここまでとします。ところで、気づいたのだけれどパロディとは世界を未完にするための手段、再生するための強力な方法だったのですね。

「はっ、はっ、はあ! わーい! こいつは一体何じゃいな? これなるものを何とお呼びになる? カーニバルともポリフォニーとでも、間テクスト性とでもパロディーとでも、クソッタレ! ともグロテスク・リアリズムとでもお呼びになりますかな? 私は思うのだが、モルドヴィアのさふらんですわい。ほっ、ほっ、ひーい! こりゃモルドヴィアのさふらんさね! 誓羅(せら)! 読もうや、皆さん! 」

 

 

引用文献・参考図書

カテリーナ・クラーク、マイケル・ホルクイスト『ミハイール・バフチーンの世界』

桑野隆『バフチン』 バフチンに関するとても良い入門書

フランソワ・ラブレー『ガルガンチュア』「ガルガンチュアとパンタグリュエル」第一巻

フランソワ・ラブレー『パンタグリュエル』「ガルガンチュアとパンタグリュエル」第二巻(全4巻)