ミハイル・バフチン 私とあなたの私との対話/結び合う記号のネットワーク

ミハイル・バフチン(1895-1975)
1924‐25年頃

私と物、主観と客観、精神と外界‥‥この二つの世界を巡って百家が争鳴し、スッタモンダの挙句にどうにもなっていないのか、それとも少しは明るい見通しがあるのか。ここは問題です。今回は、このテーマを契機に前回に続いてロシアの恐るべき思想家ミハイル・バフチン(ミハイール・バフチーン)の思想をカテリーナ・クラーク、マイケル・ホルクイストの共著『ミハイール・バフチーンの世界』とツヴェタン・トドロフの『ミハイル・バフチン 対話の原理』を中心にご紹介します。

モノには限度がある。何の限度かというと知ることの限界です。知るには悟性と感性という二つの道具があり、例えばライプニッツは悟性寄り、ロックは感性寄りと言われますが、カントは、知るためには理性による悟性と感性の統合が必要だと考えた。物それ自体は決して認識しえないが、物自体の領域である世界と概念の領域である精神との相互作用によって思考は生まれるというわけです。

1.マージナルであることの運命

バフチンは1929年にいくつもの罪状で逮捕されたが、その罪状の一つは、ペトログラード周辺の司祭養成所で私的な講義を行い「若者を堕落させた」というものだった。彼は、非正統的・非党派的なギリシア正教にさえ接近していた。この頃は言語学や社会学の言説に没頭してゆく時期でもある。ロシアの極北、白海に浮かぶソロヴェーツキイ諸島への10年の流刑が決まったが、副腎炎によって脚の持病が悪化していて身体障害の重度が一段引き揚げられたことがあったせいか、カザフスタンのクスナタイという町へ6年の流刑へと減刑されている。ウラル山脈の真東である。4年に減刑され刑期が終わると友人のメドヴェージェフの助力でロシア南東のサランスクにあるモルドヴィア師範学校の教職に就くことができた。1936年のことだった。

オガレフ・モルドヴィア州立大学
サランスクに1931年に創立されたモルドヴィア師範学校は1957年に州立大学へと拡張された。

だが、大粛清の波に襲われそうになって1年でそこを辞し、モスクワ近郊のサヴェロヴォに避難した。そこでは、かねての持病の骨髄炎が悪化して右足切断の手術がなされる。この頃は、定職がなく生活は逼迫したが逆に執筆は盛んだった。いくつかの論文の中に『リアリズムの歴史におけるF.ラブレー』があった。ゴーリキイ研究所に学位論文として提出するが、第二次大戦のために審査はストップしてしまう。しかし、後の1965年に『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』として晴れて出版されることになる。戦争が終わると、かつてのサランスクの師範学校に復職できた。宙吊りになっていた学位論文『リアリズムの歴史におけるF.ラブレー』はやっと審査が開始されるが、結局、準博士論文としてはパスしたが、博士論文としては認められなかった。

戦後もバフチンは、逮捕の危険には警戒を怠らなかった。彼の講演は巧みで、その授業にも抜群な人気があったようだ。バフチンはスポットライトの当たることのない静かな生活を愛していた。彼のことを紹介しようと努めたのは、シクロフスキ―やヤコブソンといった言語の詩的機能などを研究したロシア・フォルマリストたちだった。やがて若い世代たちの中からコージノフのような人がバフチンの著作の刊行しようと積極的に働きかけるようになるのである。晩年は世に知られる存在になっていった。1971年、妻のエレーナが亡くなり、失意のバフチンも肺気腫が悪化して4年後に亡くなっている。

2.新カント学派という抜け道

1870年代から1920年代までドイツではコーエン、ナトルプ、カッシーラらのマールブルク学派に代表される新カント学派が哲学の主流であり、ロシアにも大きな影響を及ぼしていた。世界は思考にとってはじめから対象として与えられるのではなく、未知のXと出会い、一連の統合によってそのXを理解の対象とするのだが、この時、Xは物それ自体ではなく、概念化の限界となる。物自体は、けっして把握できないとカントは宣告を下していた。物そのものに迫りはするのだが、それは近似的であり、けっして完結しない。バフチンにとってこの未完成は肯定的な意味を持っていた。発展の可能性と捉えたのである。コーエンが過程を重視したこと、「世界は与えられたものではなく課せられたものである」としたこと、そうした視点が約束する開放性とエネルギーにバフチンはある「抜け穴」を見つけたという。しかし、コーエンは極端に走った「物質は仮説にすぎない」としたのである。

視覚を例にとって考えてみよう。例えば、二つの物が同時に同じ空間を占有することができない。私がここにいる間、あなたは、あそこにいなければならない。したがって同時に二人が厳密に同じ光景を見ることはない。そして、その場に立って見えるものにも限界がある。柱があれば、その向うは見えない。「その他すべて」が見えないおかげで「これ」が見えるとも言える。バフチンはそんな自己の視点を「視覚の余剰」と呼んだ。彼は、自己を統一的な全体としては見ていなかった。それゆえ、自己は独立した実体でも本質でもなく他者との対話的な了解によってしか存在しえないものであり、「他者の自己たち」との柔軟な関係の中にしか存在しないと考えていた。

見えるというような直観(感覚的直接知)像から対象を把握しようとすることも平凡な白昼夢においても「私自身」は、まさしく「私に見えない」のである。その状況のなかで、この世界を理解しようとする企ては、作家が登場人物を視覚化しようとする企てに似てくるという。他者の目を通して知覚した世界、他者の諸価値を通して屈折させた世界を概念化して自分自身を見るのである。このことによって、世界における自分の役割を一貫したストーリーにしようと企てる。意識の本質は、絶えず自己を生み出し、創作し、想定したいという欲求であり、未来を計画することによって現在に応答しているとも言える。作家と登場人物のポリフォニー的対話については前回の「ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』笑いは世界を再生させる」に書いておいた。

フッサールは、自己と他者との解き難い矛盾を解消しようと闘った。それが現象学であり、ハイデッガーに大きな影響を与えた。われわれは、自分の固有の欲望を持ち、それに応じた自分の世界の有様をそれぞれ持っている。それを交換しあって関係を結び、そのことで常に共通世界を作り上げ編みかえている。人は独自の情状性(気分)を持ち、独自の了解から生まれた可能性の意味の網の目としての世界を持っているといわれる所以である。それが、それぞれの人間の実存世界であって、それを常に交換しながら関係を結びあう。私たちにあるのは、与えられた客観的世界ではなく、自分が創り上げた意味のネットワークであり、そのネットワークを他者と交換しあいながら関係を結びあっているのだとハイデッガーは考えた。この辺りは竹田青嗣さんが上手に説明してくださっている。意味を投げかけ合い、編み変えあったりして共通了解を生み出しているということをハイデッガーは、フッサールの現象学から学んだのである。ついでに言うとフッサールは客観世界を()に入れて棚上げしてしまい、人間の意識経験の世界だけを問題にする。人間に、意識経験がどのようにして世界に対する超越(竹田青嗣さんのいう確信)をもたらすのかを明らかにしようとした。

3.世界に応答する責任

ソシュールが意味の恣意性を説くなら、発言に対する意味の重さは誰に問えばよいのか、フロイトのいう無意識の世界があるなら心の主人は人間の自我なのかエスという非人称的力なのか、神学において行為の責任は人間の意志にあるのか神の意志にあるのか。自分の行動に責任を持つ自我と様々に概念化される他者との葛藤はどのように解消されるのだろうか。バフチンにとって事物の世界は、カントと同様に「与えられたもの」であった。しかし、精神は決して世界とは完全に一致しない。精神には、この世界をいかに「見る」か、世界をいかに翻訳するかという自己にとってのある種の「課題」が課せられる。この世界と精神との間に架ける橋が、バフチンの言う「課題」に答えること、つまり「応答責任」である。存在の呼びかけに答えるハイデッガーのいう「気遣い」に近いと言われる。

この応答責任とは、世界の必要に応答する行動であり、他者の必要に応答する自我の活動を通して遂行される。世界は本質的に意味を欠いていて、人は本質的に意味の創造者であり、消費者であるという。応答責任を果たすということは、「与えられたもの」の世界から「抜きんでる」ことであり、バフチン流に言えば「構築論的特権」であった。そのことによって私自身の外部に世界を発見するのである。バフチンのこの「構築学」に関する一連のテクストが書かれたのは、クラークとホルクイストら筆者たちによれば1919年であり、ハイデッガーの『存在と時間』に先立つこと8年前のことなのである。

4.作者とオートポイエーシスの中の主人公

バフチンは神学の中にも現代的な課題を見ていた。霊魂と肉体という神学における二元性の対話関係は、精神と世界、自己と他者という二元性にパラレルに関係していた。作者による創作は、意味が肉となる様々な過程だった。彼の美学では、自己と他者は作者と主人公という立場に変わる。バフチンはこう述べる。「作者は創造するが、自分が形作る対象の中にしか自分の創造物を見ることは出来ない。彼は創造の産物が実現されてゆくのを見るだけであって、その内的な心理的に決定された過程を見るわけではない。」

ミハイル・バフチン『作者と主人公』
1920年代後半の著書と考えられている。

何故、作者は自分の作り出す対象の中にしか自分の創造物を見ることができないのだろうか。この自己の創造とそれに関わる意識の問題を別の観点から眺めて見ることもできる。主人公を描くことを自転車に乗ることと置き換えてみたい。自転車に乗ろうとする時、自己は作動しているが、それを意識が全て捉えきれているわけではない。ハンドルをどのように保ち、どれくらいの速度でペダルをこぎ、右に傾きそうになったらハンドルをどのくらい反対方向にきったらよいか、意識は全てを把握できない。でも、この時、行為はまぎれもなく形成され、それを通じてこの行為を行う自己を形成している。つまり、自転車に乗れる自分になっているわけだが、その時の自己が何であったかという問いは、すでに起きている事態とはすれ違ったものとなっている。これは河本英夫さんがオートポイエーシスを扱った「システム現象学」と呼ばれる領域の話である。

体験は体験自身を聞くことも見ることもできない。見聞きできるのは作り出された産物だけなのである。作者=創造者は、テクストの中にいるが、テクストの中にいる登場人物とは異なる次元にいる。ここに神学的な意味があると思えるのだが、作者は、自身が生み出すものとは別の次元にいるのである。これは、記号を作り出す能動的な「自己」とそれが生み出す「自己の記号」とは決して一致しないということを示している。内側/外側、独白/対話、完成/未完、公式/非公式、叙事詩/小説、このような二項対立の背後にあるものは、やはり自己/他者なのである。バフチンとって重要だったのは、自と他をめぐる「現象学的記述」だった。それは彼の全思想の根幹をなしている。

5.記号と意識

ここからは、ツヴェタン・トドロフの『ミハイル・バフチン 対話の原理』を交えて言葉や文化の記号論をめぐるバフチンの思想をご紹介します。彼のいうイデオロギー的なもの、つまり文化価値を持つようなものは、全て意味を持っていて、自分の外にあるものの表象となり、描写となり、その代理となりうる。つまり、自らの外にあるものの記号となっているのである。彼によれば、記号もそれぞれに独自な物理的な物体である。記号としてのあらゆる現象は、音なり物体なり、色なり身振りなり、様々な現象を伴うものである。その外にある記号が内面化され、形成されて心理・意識内の記号にもなる。この記号を解読する作業は、受け取った記号をすでに解読した記号に関連づける作業であり、新たな記号へと連鎖していく過程はコミュニケーション論に発展してゆく。

ツヴェタン・トドロフ
『ミハイル・バフチン 対話の原理』
バフチン思想を知る上での必読書。トドロフは1939年生まれ。ロラン・バルトのもとで構造主義文学批評を行う。フランス国立科学研究所の芸術・言語研究センターで指導的立場にある。

記号は、個々人の意識と意識の間に渡され、それらの意識を互いに結び合わせていて、個人の意識も記号に充たされ、社会的な相互作用を生む。記号としての事物に媒介されて、はじめて意識は形成され、客観的に実在するようになるというわけだ。個人の意識は、記号によって養われ、記号によって成長し、自らの内に記号の論理と記号の規則性とを映しているというのである。

その記号の中でも大きな要素を占めるものが言語である。すでにソシュールは、言語の記号論を打ち立てていて言語記号の表現をシニフィアン、意味をシニフィエとして区別していた。言葉は内面で働く記号であり、意識の記号的実体になっている。発声器官や紙上のインクといったものによって存在する言葉もまた物質である。同時に言葉は意味を持つという点で物質を超越している。そして、記号はけっしてそれを指示しているものではない。木という言葉は木ではない。記号の世界がそれを命名する事物世界と一致しないという二元性を人間は運命づけられている。誰でも私は「わたし」に合致しないという事実に直面しなければならない。われわれは、われわれがみんな同一であるかのように振舞い、同一という虚構を作り上げる。言語が合致という虚構に合わせて作用するのと同じである。『ミハイール・バフチーンの世界』の筆者たち、クラークとホルクイストはこう述べている。この皆が共有する意識と自己との二元性と、言語と世界の二元性があるからこそ「人間は記号である」というチャールズ・パースの定言が意味をもつのだと。

ミハイル・バフチン+V.N.ヴォロシーノフ
『言語と文化の記号論』バフチン・グループの一人であるヴォロシーノフの名で出版されているがほぼバフチンの著作とされている。

バフチンの『言語と文化の記号論』の訳者である北岡誠司さんは、その「解説」の中で、これはなかなか素晴らしいのですが、このように指摘しておられる。バフチンは、ソシュール言語学・記号学が自/他の対立を飛び越えて他の意識を一切排してメタレベルに構築される無人称の学であるとして批判し、あくまでも自/他の相対的な意識の相互作用による具体相という経験のレベルに固執しながら記述を進めることで人間文化の各領域の特徴を明らかにしようとしていたと。バフチンはソシュールのいうラングを評価せず、パロールのほうを重視したのである。

意味のネットワークという血管を走っているのは記号であり、それが間主観的に意識を結び合わせているということになるのだろう。私の反復不可能なこの現実と私に先行する言葉という純粋に抽象的で反復可能な体系との境界線上に意識は出入りするのである。ここは、重要な指摘である。そして、意識の論理とは、どこまでもイデオロギー(文化価値)的送受のコミュニケーションの論理であるという。意識の中には孤立した行為はなく、あらゆる思考は他の思考と結びついていて、同時に他者の思考とも結びついている。その意味で意識は常に共意識であり、存在は「共存在」である。先の『ミハイール・バフチーンの世界』の著者たちは、この同時性と共有性の強調はバフチンの全著作の特徴になっていると考えている。そして、バフチンは、「意識のすべての要素は何かを表象し、ある象徴的機能を担っている」という。

6.象徴的機能と像の形成

認識とは精神(主観)による存在(客観)の把握と解釈の中で一つの形式を与えることである。その形式を記号と言ってよいのだと思うけれど、形式とするための形態化には論理的科学的な方法とは全く異なる方法がある。その方法とは、「像を形成する力」によってなされる。新カント学派だったエルンスト・カッシーラは『シンボル形式の哲学』の中でそのことを最大限に拡張しようとした。最も興味深いのはここだ。

「精神の真の根本機能はすべて、単に模写するだけでなく、根源的に像を形成する力を内蔵するという決定的な特徴を、認識と共有している。精神の根本機能は、ただ受動的にそこにあるものを表現するだけでなく、内に精神の自立的エネルギーを蓄えており、このエネルギーによってただ存在するだけの現象がある特定の『意味』、ある独自な理念的内容を受けとることになるのだ。このことは、認識にとってと同じく芸術にも当てはまり、宗教にも神話にも当てはまる(『シンボル形式の哲学』第一巻「シンボル形式の概念とさまざまなシンボル形式の体系学」生松敬三/木田元 訳)。」

ヴァ―ルブルクを彷彿とさせる言葉なのだが、この「根源的に像を形成する力」をカッシーラは、言語的思考の原理とは異なる原理に導かれ支配される新たな「ロゴス」となると考えていた。つまり、造形芸術などの形は理念を担いうる材料になり、意味を形成する自立的エネルギーを起動させるトリガーにもなるということなのです。しかし、この「像を形成する力」をカッシーラは、感性的なものそれ自身の積極的活動、ゲーテの言う「精密な感性的想像力」であるとしたのだが、その力が何処に由来するのかはスッタモンダの議論の一つになったらしい。バフチンは象徴構造の解釈についてはこう述べている。「象徴構造の解釈は、象徴的意味の無限性のなかにもぐり込んでいかざるをえない。したがって厳密な学において科学的という語が帯びる意味では象徴構造の解釈は科学的とはなりえない。だが、それは根本的に認知的である。(『人文科学の方法論について』大谷尚文 訳)」

7.対話原理とは何か

一つ指摘しておきたいのは、バフチンが人文科学と自然科学をはっきり分けていたことである。自然科学は対象を認識しようとし人文科学は主体を認識しようとする。その主体とは自己の主体と他者の主体である。人文科学の対象はテクストの生産者としての人間であった。思考に関する思考、経験の経験、言説にかんする言説、テクストを対象としたテクスト、つまり、間テクスト性が人文科学の根本的な特殊性としてある。しかし、自然科学との境界は、さほどはっきりしたものではないという。

記号よる社会的な相互作用によって社会的コミュニケーションは生まれる。その過程で生じる互いの「理解」とは、バフチンにとってこのようなことだった。「問題なのは、他者の経験を自己の内部に自動的に正確に反映することでも、自己の内部で倍加することでもまったくない(そもそもそのような倍加は不可能である)。そうではなく、この経験を全面的に異なった価値論的パースペクティブにもとづいて、新しい評価と知識のカテゴリーに翻訳することである(『美的活動における作者と登場人物』大谷尚文 訳)。」つまりこれが、カーニバル的「生き返り」である。対話による理解の特徴とは、最初の発言(認識すべき対象)に触発された応答の形式をとる傾向があるということ。そして、他の発言を記述する発話が、その発話と対話関係を結ぶようになると言う。それはテクストとそれに問いかける、あるいは反対するようなコンテクストとの複合関係から生まれるのであって、既にあるテクストと創造途上にある反応としてのテクストとの出会いとなる。それは二つの主体、二人の作者の出会いなのだと言うのである。

8.最後に――言葉の物象化という危機

このようにみていくと、20世紀の初等からバフチンがマージナルな環境に身をおきながら、現象学、フロイト批判、言語の記号学、ドストエフスキイやラブレーの文学などを通して独特の思想を形成していったことが分かる。彼の思想を貫いているものは対話だった。間テクスト性のなかでのポリフォニー的対話である。それはカーニバルにおけるような民衆的な生きたパロールによって培われる。その生きた言葉を追求してきたバフチンが『言語と文化の記号論』の結びの中で、既に、発話が、その意味を真剣に考察されるような対象ではなくなっていると述べ、自分自身が責任を持って発した言葉、断定した言葉が無くなりつつある。既存の発話を組み合わせた、いわばブリコラージュ的な言葉が支配的になってきているというのだ。「他人の言葉」と「あたかも他人の言葉であるかのような言葉」とのカット&ペーストでしかない。これも複製技術時代の災厄なのか。芸術テクスト、修辞的発話、哲学的文章、人文科学の記述は「既存の意見」の王国となりつつある。前面に打ち出されているのは「何が私念されているか」ではなく、「どのように私念されているか」なのだと言う。こうした発話の運命は言葉を物となす「言葉の物象化」と「テーマ性の低下」をもたらすと言うのである。僕にとっても耳の痛い話である。そう、ここにはもうひとつの「ヨーロッパ諸学の危機」があったのだ。

 

引用文献 参考図書

竹田青嗣(たけだ せいじ/1947‐)
『はじめての現象学』

河本英夫『システム現象学 オートポイエーシスの第四領域』

エルンスト・カッシーラ『シンボル形式の哲学』第一巻(全4巻)