カール・グスタフ・ユング『空飛ぶ円盤』付 ビリー・マイヤーと松澤宥

 

満月は夜 高き山にあがり
ただ一つの頭脳を持つ
新しい知恵ある人がそこに見られ
不死なるものとなることを弟子にしめし
彼の目は南に 手と足は火に
(ミシェル・ノストラダムス『預言集 (諸世紀)』第四章31 大乗和子訳)

カール・グスタフ・ユング『空飛ぶ円盤』

フランスで活躍したノストラダムス(1503-1566)、その名は預言者として夙に名高い。その著名な『預言集』の中で彼は、新たな叡智 (sophe) を持つ人が現れると書き残した。それは煌々と輝く満月の夜、山の頂に現れる。しかし、ただ一つの頭脳を持つとは、わざわざその詩に書き留めなければならない重要なことだったのだろうか。

「われわれが何らかの秘密を持ち、不可能な何ものかに対する予感を持つことは大切なことだ。それは、われわれの生活を、何か非個人的な、ヌミノース (非合理的な宗教的体験) によって満たしてくれる。‥‥この世界には期待されないことや、信じ難いことが存在している。それでこそ、生が全体性をもつ。私にとっては、世界は最初から無限に広く、把握し難いものであった。(カール・グスタフ・ユング/『空飛ぶ円盤』訳者あとがきより 松代洋一訳)」

カール・グスタフ・ユングは1958年に刊行された『現代の神話―空中に見られる物体について―(邦題は空飛ぶ円盤)』の中で、偶々このエッセイを書いている最中にUFOに関する二つの記事を見たという。一つは、大西洋上を44名の乗客を乗せてプエルトリコに向かう旅客機のパイロットが、緑がかった白色光を放つ火のような円い物体を目撃したというものだった。超スピードに向かってくる。それにぶつかりそうになったため、反射的に機首を上げた。そのため乗客が何人も機内に投げ出されて入院するほどのケガをしたというもので、同じ航路にいた他の7機もの飛行機がこの物体を目撃したという。もう一つは、「空飛ぶ円盤は存在しない」というアメリカ航空委員会の委員長だったH.ドライデン博士の断固たる否定見解を紹介するもので、その不屈の懐疑精神には敬意を表さざるを得ないと書いている。非常識な風説がいかに人間を損なうかをきっぱりと言い切っているというのだ。

未確認飛行物体、つまりUFOを見たという人は多いのかもしれない。この間、諏訪で会った女性は、諏訪はよくUFOが出るんですよとさらりとおっしゃったので驚いた。僕は悲しいかな一度も見たことがない。その人は、ある時には自宅の上空にそれが見えたので家族をみんな起して、一緒にそれを見たというからかなりの時間上空に留まっていたのだろう。あっけにとられてどんな形だったですかと聞くのを忘れていた。その人は、世界的な芸術家である松澤宥(まつざわ ゆたか/1922-2009)さんの娘さんだった。これは偶然なのだろうか。

オルフェオ・アンジェルッチは『円盤の秘密』の中で、未確認飛行物体と呼ばれる飛行体との遭遇と地球外生命と交信した体験を書いているとユングは述べる。カルフォルニアに住むアンジェルッチは、最初にUFOを見た6年後の1952年5月、地平線上に赤く輝く楕円型の物体が脈打ちながら漂っているのを見た。加速され恐ろしいほどのスピードで遠ざかって行った後に緑の二つの光が現れ、そこから完璧な英語で話しかけられる。二つの光の間に男性と女性の超自然的な姿が現れた。かれらはこう語る。

「われわれは地上の住人をひとりひとり見ているのだ。人間の狭い見方で見ているのではない。おまえの星の住人は、何世紀も前から観察下におかれている。お前たちの世の中のあらゆる進歩を、われわれは記録している。‥‥理解と共感をもって、成長の苦しい道を歩むおまえたちの世界をわれわれは見ているのだ。‥‥」まるで、缶コーヒーの宣伝に登場する宇宙人ジョーンズばりの語りだった。アンジェルッチの著述か、それに類したものが下敷きになっているのか、よくは分からないけれど、演じるトミー・リー・ジョーンズが雰囲気があって大好きだ。

宇宙人ジョーンズ役のトミー・リー・ジョーンズ

その年の6月今度は宇宙船の中に入り、地球から1600キロ離れた宇宙旅行を体験する。それは、微光を発する霧状のシャボン玉のような形だったがみるみる鮮明な形となった。内部は、直径6メートルほどのカマボコ型で壁はエーテルか真珠層のような材質であったという。2.6メートルほどの円窓のようなものが開くと外に惑星が見えた。スターウォーズかスタートレックばりの宇宙船体験をして、彼は涙を流した。すると声がこのように語った。

「泣くがいい、オルフェオ‥‥‥われわれも地球とその子らのためにともに泣こう。見た目はいかに美しくとも、知性ある生物を育ててきた惑星の中にあって地球は煉獄だ。憎しみ、エゴイズム、残酷さが、黒い霧ながら地球から立ち上っている。」

このろくでもない素晴らしい世界というわけだが、外に見えた母船は両端から渦巻く炎を噴き出していて、見たり聞いたりするものは「テレパシー的な交信能力」によった。そして、霊的な未知の自己との再結合の可能性を彼らから教えられる。宇宙船から降ろされると左の胸に小さな硬貨ほどの、彼が「水素原子の象徴」と呼んだ丸い焦げ跡が残っていた。

翌年9月には一週間にわたる夢游状態に陥り、魂の巡礼ともいうべき内的な体験を味わった。このような異界巡礼の話は色々なヴァリエーションがあって、中国での洞天や壷中天の話とか日本の幽冥界での体験を平田篤胤が聞き書きした『仙境異聞』や『勝五郎再生記聞』などもある。だが、こちらは仙界の話だ。天上的な空間で、そこの女性に性的な欲望を抱いて周りの異星人たちを驚かせる。彼がこの人間的な反応を抑えられるようになると「天上の結婚」が執り行われる。この経緯は、ユングの語る錬金術における「化学の結婚」に相応するものだが、カール・グスタフ・ユング『アイオーン』part2 シンボルとしての魚と蛇に少し書いておいたのでそちらを読んでいただければよい。地球外生命体との接触とその教えを伝えようとしたことで知られる人にビリー・エドゥアルト・マイヤーがいる。

 

ユングから少し離れてマイヤーについてご紹介しよう。(ビリー)・エドゥアルト・アルベルト・マイヤーは1937年、スイスのチューリッヒ州のビューラッハに生まれた。父は靴職人で、7人兄弟の2番目の子供だった。5歳の時、自宅近くでUFOを父親と一緒に見た。それが最初だった。父親は、あれはヒットラーの秘密兵器だろうと語った。1942年から1953年までエラ惑星のスファートとコンタクトを行った。1944年に宇宙船とともに現れたスファートは90歳代の威厳ある老人の姿だったが、実際には1100歳だったという。それ以降はテレパシーによる交信が行われる。魂の訓育者と言えた。

1953年から1964年に亘りダル宇宙のアコン太陽系にいるアスケットとコンタクトを持った。それは私たちの宇宙と双子関係にある宇宙から遮断層を突破して来た。35歳くらいの美しい女性の姿だったという。生命とSEIN (存在) の基礎である「創造」について、あるいは平行宇宙や生命体固有の振動などを教えてくれた。そして、地球人類の発祥の地は環状星雲と呼ばれる所で、人類の祖先は、そこからこの地球にやって来たという。そこにいた本来の祖先は、もはやその星雲の太陽系に住んでおらず昴のプレアデス星団の中にいるという。それは彼らがプレヤール星と呼ぶプレアデスから約80光年向こう側の別次元宇宙にあった。

なんだか第一始祖民族が宇宙にバラまいた始原の生命の話しみたいだと言ったら若い方たちはアダムとリリスを思い出すかもしれない。1975年には宇宙船とともにプレアデスのセムヤーゼと遭遇する。同じく若い女性の姿でやや訛りがあるが完全なドイツ語で語った。あの地球人の遠い先祖の子孫だった。それ以降、彼女 (そう呼んで良いと思うのだが) を中心に他の宇宙人たちとのコンタクトが数多く行われているという。

ビリー E.A.マイヤー 『プレアデスとのコンタクト』   2001年刊
彼がビームシップと呼ぶUFOの鮮やかな写真が掲載され、地球外生命体とのコンタクトの様子が詳しく書かれている。UFOファンにはたまらないだろう。

コンタクトの相手が老人と女性の姿であったというのはかなり興味深いが、1976年、マイヤーは生まれ育ったビューラッハからチューリッヒの東にあるヒンターシュミットルッティに移り、FIGU・SSSCセンターを開設している。FIGUは「極限的知識、霊的知識、UFOのための自由利益共同体」、SSSCは「セムヤーゼ・シルバー・スター・センター」を意味している。セムヤーゼ・シリーズと呼ばれる交信記録が印刷物として公表されているし、テレパシーによる交信相手としてセムヤーゼの他、彼女の父プター、宇宙船艦長のクウェッツァル、テーラ太陽系のタリーダなどが挙げられている。

交信の内容については、『プレアデスとのコンタクト』 に詳しく書かれている。キリスト教関係の内容についてはかなり意外なものになっているし、地球の危機に関する重要な警鐘と思われるものがある。異常気象と地殻変動が挙げられ、気象変動が食料生産に重要な影響を及ぼし、巨大な地震と火山爆発への警告が発せられる。極氷の融解 (これについては西澤潤一・上野勛黄『人類は80年で滅亡する』温暖化の果てにあるもので述べておいた)、無政府主義的テロ活動、自殺や宗教的セクト的活動の増加などがある。一方で第三次世界大戦の兆しが指摘されてはいるが、まだ勃発していない。遠い将来の予言としてアンドロイドや半獣人間の反乱といった内容を含めた警告が発せられる。

僕は、このような報告をただの幻想やフィクションとして拒否する気持ちになれないし、全て受け入れることもできない。ただ、読んでいると宇宙関連のSF映画やアニメのストーリーの下敷きとしてトレースされているのが分かってきて面白い。重要だと思えることを一つだけ指摘しておきたい。それは、地球外からの叡智や情報を与えられるという状況設定なのである。常に高みから降りて来るという感覚を伴っている。そこでは国家の利害や政治的対立や宗教的な諍いといったしがらみを置き去りにできる。そして、地球外から地球を見るという視点が与えられるのである。まるで手のひらの上に地球を置いて転がしながら眺めまわすような感覚を貴いと思う。野心を持った征服者としてではなく、そのような視点を持っている人は稀だ。例えば、バックミンスター・フラーのような人、そしてアーティストなら松澤宥ではなかったろうか。

 

イラク戦争 2003年 首都バグダッドで銃撃戦を行うアメリカ軍兵士

ユングに戻ろう。UFO伝説という世界中いたるところで聞かれる風説が、たんなる偶然で何の意味もないということは考えられないとユングは言う。もし、それが彼のいう投影の結果としての幻視であっても、そのうわさには相応の広がりを持つ根拠に根差しているだろうというのである。自己の投影は、よほど精神的な発達を成し遂げた者でなければ見破ることが困難なものであるらしいが、UFOを幻視と決めつけてしまえる根拠もまた希薄なのである。ともあれ、それは広範囲にわたる情緒的基盤の上に成り立つものであるのは確かだろう。一般に意識の態度と無意識の内容との対立によって心理的分裂が起きる。意識は、この無意識的内容を知らず、出口の無い状態に直面して間接的に自己表出の道を模索し始める。ここでユングが紹介しているUFOに関するとみられる二つの記録をご紹介しよう。

1561年のニュールンベルクのことである。血のような赤や、青、黒といった色の無数の球や円盤が太陽の近くに現れた。あるものは三つが一列に並び、あちこちで四つが四角をつくり、それらの間で血の色をした十字架が現れたという。その他に球が三つ四つ入った二つの大きな筒状の物体や大きな黒い槍のような物体もあった。それらは、太陽から空へ、そして地上へと多量の蒸気を発しながら次第に消えていった。ニュールンベルクでは1503年に血のような赤い雨が降るという事件が起こっていた。藻類だろうとパノフスキーは『アルベルト・デューラー』の中で述べている。デューラ―がまだ生きていた時代のことだ。

筒状の飛行物体はUFOの目撃情報にあるシリンダー状の「母船」のことだと思われる。小型のレンズ状の小型船を長距離輸送するとされている。ユングは現在のUFO情報に欠けている四つの単純な十字架と四つの円で構成される曼陀羅の存在を強調している。それは、キリスト教の象徴ではなく、交差的組合せ、すなわち結婚の四人組、プリミティヴな「交叉いとこ婚」であると述べているのが面白い。婚姻の秩序構造である。二つの三日月状の「血の色をした横縞」、その物体が何を意味しているか容易には分からない。地上には球体の落下した場所から煙が立ち上っている。

今度は1566年のバーゼルでのことだ。サミュエル・コキウスという聖書と自由学科を学ぶ学生が、8月7日の日の出頃に太陽に向かって猛スピードで飛ぶ、いくつかの大きな黒い球を見た。太陽を背にした飛行体は黒く見えたのだろうか。互いに争うように飛び交い、あるものは火のように赤くなり、やがて色あせたという。パラケルススが後ろ盾のフロベニウスを失ってバーゼルを追い出された38年後のことだ。

14世紀に世界的な流行をみせ、猖獗を極めたペストは致死率が6割から9割にも及ぶ恐るべき病気で、ヨーロッパでも14世紀を頂点に17世紀にかけて断続的に発生していた。16世紀にはカトリックとプロテスタントとの抗争が火種となって17世紀前半における泥沼のドイツ30年戦争に発展していく。そして、大航海時代は副産物として梅毒をもたらした。流星、彗星、血の雨、双頭の子牛が生まれるという自然現象の変異は、明らかな不吉な前兆であった。この外界から押し寄せる不安にたいする精神的補償とは何であったのだろうか。

20世紀の人間は、かつてない大規模な戦いを経験し、その後も米ソの冷戦による核戦争の恐怖にさらされ、それが一段落して21世紀になるとテロの脅威や気象や地殻変動に怯えるようになる。現代の私たちも、混沌におびえ、確かで手ごたえのある現実を求め、今あるものの存続を求め、意味内容を求め、文化を求める。われわれの世界解体もこうした現実に対する支えの欠如に由来していることをこの不安は知っているとユングは言う。世界の断片化は進行し、世界を改善する手立てに対する評価は軒並み下落し、古くからの処方はコロナウィルスに対するように効き目はない。問題は、有効で信じるに足る全体的観念の不在であるのだという。そこには何かが現れる必要があった。UFO現象はそのようにして現れた現象の一つと見てよいのではないかというのである。

太陽の船 紀元前14世紀 パピルスに描かれた廷臣ユヤの『死者の書』

天空の乗り物については古代からの記述がある。エジプトでは神々は宇宙に生命を与える偉大な河である銀河の水上を航海していると考えられた。ラーは神の船とよばれる乗り物に乗った姿で描かれた。太陽の船である。図は、パピルスに描かれた太陽円盤を頭に載せたホルスだ。

日本では天鳥船(あめのとりふね)が知られている。神の乗る船は、神格化されて天鳥船神(あめのとりふねのかみ)あるいは鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)と呼ばれた。しかし、エジプトでは明らかに船であり、天鳥船も名前からすれば、いわゆるUFOの形態ではなく船のイメージをなしている。ユングは、現在考えられているUFOの形が宇宙の構成要素たる銀河の形とアナロジーを持っていると指摘する。

ファティマの奇跡
1917年10月13日にコーバ・ダ・イリアに集まって奇跡を見る群衆。円盤のような太陽が現れ、地上に向かって突進したりジグザクに動いたりしたことが目撃されている。ファティマの聖母の予告に関連していると言われる。

そのUFOの形態が現れたのはいつ頃からなのだろうか。「空に見えるしるし」が、多数の人間に、時を同じくして見えるということも起こりえる。同一の前兆や幻視像が、そうした現象を期待したり信じたりしていない人たちにも現れるのである。複数の人間の間で相互に無関係に新しいアイデアが浮かんだりする観念連合のプロセスと同様に、それは起こりえるという。

先ほど触れた投影の問題を少し解説しておこう。自分から切り離してしまった感情は抑圧されて外界へと投影される。それが私的な個人的な事情によって起こるものか普遍的な内容に及ぶものかによって、それが波及する範囲が異なってくる。個人的な抑圧や無意識なら身内や交友関係に限られるが、宗教的な葛藤や政治的社会的軋轢はそれにふさわしい対象へと投影される。人類全体の存亡にかかわるような今日の状況では、投影を促すような空間は神々のいる天空や星々から全宇宙空間へと拡張され、世界中に広まって真面目に信じられ、あるいはすげなく冷笑される神話となる。社会的に信用があり、誠実な人々が「この眼で見た」というのである。

一方で、この動画にあるような現象はどう説明されるのだろうか。この未確認飛行物体の映像は、2019年の9月にCNNが報道した映像と同じものだ。空中を高速飛行するUFOのような存在を、米海軍が未確認飛行物体として分類していることをようやく認めたものだった。海軍報道官はCNNの取材に対し、この物体を「未確認航空現象(UAP)」と形容した。公開された映像は幾つかあり、中には戦闘機のセンサーがとらえきれないほどのスピードで海上を遠ざかっていった物体もあるという。この2015年の映像では、F-18戦闘機のパイロットたちが交わした「沢山のドローンだ」「編隊だ」「ヤバイ ! 」「風に逆らってる 時速220キロの西からの風だ」「見ろよ、あれ!」「回転している」といった会話が収録されている。高速移動する物体を、高性能赤外線センサーがとらえた。

ちなみに、これもCNNが2017年に伝えたものだが、 米国の同盟国が市販の約200ドル(約2万2000円)の小型ドローン(無人機)を約340万ドル(約3億8000万円)する地対空ミサイル「パトリオット」を使って撃墜したことを明らかにした。米陸軍司令官はドローン破壊には成功したものの、経済的に妥当な方法ではなかったとジョークを飛ばした。

今では、ドローンであろうと宇宙船であろうと分類不能な飛行物体は誤認も含めて未確認飛行物体、正確には未確認航空現象(UAP)として分類されている。そういう存在が公認されていることになる。UFOの存在も普通に認知されるようになってきたのだろうか、あるいは、アメリカの宇宙軍事戦略のための根回しととれないこともない。それらの存在がある一方で地球の周囲を人工衛星といわずその壊れた破片といわずグルグルと回っている。より地表に近いところでは、ドローンも加わる。中には武器として作られたものもあるのだ。まさに、地球は煉獄である。

しかし、こうなるとコトは厄介になってくる。ユングのいうように集団幻視とも言い難くなってくるのではないか。時速200キロの風に逆らって飛べるドローンが開発された可能性もあるが、赤外線センサーに捉えられているのだから幻視ではない。

宇宙船や宇宙人の映像も多々あるが、多くは捏造疑惑に曝されてきた。それらの内には、営利目的で作られたもの、いたずら、悪意のない誤解、単に不思議な光景として撮影されたものがあるだろうが、どれが本物かは見分け難いのではないだろうか。とりわけ今日のようにヴァーチャル技術の精度が著しく高くなっている時代にはそうだろう。真偽の判断は困難なものになっていくのである。

地球外生命体やそれを乗せた宇宙船が存在するのかどうか。皆さんはどう思われるだろうか。その存在の有無を判断するのは、なんだか、状況証拠はいっぱいあるが、確証の無い事件の裁判のようだ。自分で見たり触ったりしたことのないものを「無い」と考えるのは人間の悲しい性 (さが) だが、僕はといえば、われわれが何らかの秘密を持ち、不可能な何ものかに対する予感を持つことは大切なことだというユングの言明の内に留まりたいと思っている。それ以上は保留にしておきたいのだが、一度はこの眼で見てみたい‥‥是非 !

私たちは、中世の形而上学的なゆるぎない世界像からはるかに遠ざかった。意識は啓蒙主義的な形而上学によって、いっさいの「神秘的」傾向を排斥してきた。世界の没落のあとの真のキリスト教的な世界の確立。あの輪郭定かな世界像は、二度と取り戻せないとユングは言う。この圧倒的な傾向が投影という無意識の自己主張には絶好の条件となる。神話的な人格化は、すでに時代遅れだった。神話的な原型は、UFOという現代的な姿をまとったという。UFOは、物理学の新たな奇跡として登場したとユングは言うのである。僕は、この言葉を是非文化批評として受け取ってほしいと思っている。UFOは、私たちにとって極めて偏った精神的風土の補償であるかもしれないのだから。ここで、今回のブログは一旦終了したい。以下は付録である。

 

付 ビリー・マイヤーと松澤宥

ユングの慧眼には、いつも心服するのだけれど、実は本書の中で僕が最も心惹かれたのは、この言葉なのである。「核物理学が一般人の頭に、判断力の不確実さという念を植えつけたので、一般人は物理学者以上にそう思い込み、つい昨日までありえないとされたことを可能だと思ったりしがちなのである。‥‥UFOの示すいかにも物理的な性質は、一方では最高の頭脳の持ち主にさえ、そうした謎を投げかけている (松代洋一 訳)

このところ亡くなった松澤さんの展覧会のための準備をしていて、松澤さんの著作や作品を調べている。彼が42歳の時に受けたと言う「オブジェを消せ」という外界からの指示が概念芸術の発端であることはよく知られている。実はここには伏線がある。彼が33歳の時、1955年のことなのだが、2年間フルブライト留学生としてアメリカに留学した。ニューヨークにあるコロンビア大学だった。そのニューヨークで、こんな放送を聞いた。1957年、僕の生まれた年のことである。

『スピリチュアリズムへ・松澤宥1954-1997』川口現代美術館カタログ  他の精しい年譜としては『松澤宥プサイ(Ψ)の部屋』を見ていただくことができる。松澤宥の公式サイトと考えていただいてよい。

「2月2日午前2時 (これは、いつもの数字合わせなのだけれど)、枕元のモーターローラーの小型ラジオを回していたら不思議な放送が入って来た。『私は5歳のころの或る日に不思議な力に導かれて森の中をさまよい出しその森の中のとある岩の上に25,6歳の非常に美しい女の人を認めしばらくその婦人と話しをした。それから、20年後の昨年8月やはり或る力に引き出され森の中の岩の上であの昔と変わらない25,6歳の美しい人と会った。私は20年前この岩の上に座ってあなたと語った金星の女です。私の年は500歳 ! と言いました。』語るはニュージャージー州ハイブリッジの若いペンキ屋さんハワード・マシューさん。よく聞くとその放送は以前からずっとニュージャージー州のWOR局の終夜 (午前1時から5時まで) つづくパネルディスカッションであった。私はそれからニューヨーク滞在中一日もかかさずそれを聞いた。パーティー・ライン (合わせ目) は今でいうUFOに関するもので、心理学者、地球外空間研究家などの若干のパネルをもち、次々と占星術家、霊媒、数学者、催眠術家、ヨガ哲学家、生理学者、医学者、技師、教授などが招かれて、死後再生とか物体浮遊とか心霊現象とか超心理学、超科学、超宗教について異常に熱心にかたられていた。この放送を聞け ! それに触発されて私のニューヨーク滞在は後に絵画の非物質化に突っ走るための端緒の日々だったと言える (機関13・自筆年譜/『スピリチュアリズムへ・松澤宥1954-1997』川口現代美術館カタログ収載)。」

松澤 宥『量子芸術宣言』

彼は、終生テレパシーやUFOなどの超常現象に魅かれていた。その証拠は、彼の第二のエポックと言われる『量子芸術宣言』に見ることができる。その第10弦 (弦は超弦理論にちなんでいる) 量子芸術演習 (続) には「ビリー・マイヤーよ」という副題がついていて、以下のような内容が書かれている。

BM001
物質が百万分の一秒内にひずみを生じ微細化し非物質化し無限の距離を瞬間で移動出来る

BM002
遮蔽幕により物質の微細化非物質化を克服し空間と超空間の間の壁を中和して突き抜ける

これを読むと量子力学との類似を意識させられる。実際にはそれとは異なるけれどBM001は量子テレポーテーションを彷彿とさせ、BM002は量子トンネル効果を連想させる。ユングのいう核物理学とは量子力学のことを指しているのだけれど、その負の遺産が原子爆弾や原発事故であったことは我々身に染みている。「判断力の不確実さという念」というのは、量子力学が古典的な因果関係の成り立たない不確定な世界観を築き上げてしまったことを指している。不確定性原理、量子遷移、波と粒子の二重性、量子もつれといった極小の世界で展開される事柄はこれまでの因果律をなし崩しにして飛び飛びで確率的にしか観測不能なものとして表象されるようになった。しかし、松澤さんは、この量子力学をポジティブに全面的に押し出したのである。

そこにある物質のもっている波でもあり粒子でもある不確かさ、テレパシーが介在するかのような量子もつれ、瞬間的にワープする量子遷移といった性質は、松澤さんにとって物理学を超常科学に接近させるものに映ったのではなかろうか。これは、松澤さんが量子力学を理解していなかったことを意味しない。その逆である。それをビリー・マイヤーの言うような高みからの叡智と重ねたのかもしれない。このような言葉もある。

BM003
「創造」が無からこの宇宙を造ったそれは全能であり遍在であり法則だ創造自体に触れよ

このブログの冒頭に述べたノストラダムスの予言詩を思い出してほしい。「満月は夜 高き山にあがり/ただ一つの頭脳を持つ/新しい知恵ある人がそこに見られ/不死なるものとなることを弟子にしめし‥‥」。この詩は、『量子芸術宣言』の序にその内容が要約されて登場する。ビリー・マイヤーはヒンターシュミットルッティの山に、FIGU・SSSCセンターを開設し、松澤さんは諏訪という高地に住みそれに先立って外部空間状況探知センターや虚空間状況探知センターというコンセプトを立ちあげている。1960年には、コンピューターと空飛ぶ円盤のバックグランドはサイバネティックスとパラサイコロジーだとして新たなコミュニケーションの問題を提起した (『芸術新潮8月号』「サイバネティックスからマンダラまで」)。コミュニケーションの問題が絵画や芸術や文明に対して決定的な意味を持つことを闡明にしていた。こうなるとノストラダムスの言う「ただ一つの頭脳」が松澤さんにとって何を意味したかおおよそ想像できるようになるのである。

この量子芸術演習 (続)「ビリー・マイヤーよ」の最後にはこのような文が掲載されている。僕はこんなオチャメな松澤さんが大好きだった。

BM009
舞い舞いマイヤーマイヤー

 

 

その他のUFOのような物体が描かれた絵画

ドメニコ・ギルランダイオ(1449-1494)
『聖母子と洗礼者ヨハネ』
聖母の右肩上方に未確認飛行物体が飛んでいる。右上に少し拡大した図を載せておいた。太陽や雲の表現に特徴があり、ある種の光彩を放つ天体などをよく描いているが、本作品では形状がUFOにかなり近い。その工房からミケランジェロを輩出したことでも知られる人だ。

兎園 (とえん) 小説  『虚舟 (うつろぶね) の蛮女』
江戸時代にUFO伝説を思わせる奇談が知られていた。『兎園小説』(1825年刊行/江戸の文人や好事家の集まりの会で語られた奇談・怪談を、曲亭馬琴がまとめたもの)に『虚舟の蛮女』という題で図版とともに収録され今に伝えられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考図書

ビリー・エドゥアルト・マイヤー『わずかばかりの知識と知覚そして知恵』
マイヤーのまとめた倫理と智慧の書というべきもの。UFOや宇宙人とのコンタクトの内容は一切出てこない。