ガブリエル・タルド『社会法則/モナド論と社会学』タルドの波動/ドゥルーズとラトゥール

 

サルラの通り マルロー法によってフランス国内最初の景観保護地区に指定された。

ガブリエル・タルドはフランス南西部のドルトーニュにあるサルラ (現 サルラ=ラ=カネダ) に1843年に生まれた。父は地方貴族の流れをくみ、その地の裁判官を務めていたが、タルドが7歳の時に亡くなっている。数学や科学に興味を抱き、理工系の学校で数学を学びたかったようだが、19歳ころから眼の病に苦しむようになる。やがて、父と同じ道を目指してトゥルーズの法科大学などで学ぶが、またも病状が悪化して故郷で独学する日々となった。しかし、1869年26歳の時にサルラの裁判所の判事補となり、32歳の時に同じくサルラの予審判事となっている。ここまでは父と同じ道をたどったと言っていいだろう。1886年、43歳頃から『犯罪人類学雑誌』に投稿し始めるようになる。その頃の論考の一つが『刑事哲学』だった。

サルラの裁判所

タルドの時代には個人の自由意志によって犯罪に及ぶとする古典学派と犯罪者の処遇は科学的な見地から実証的に行うべきだとする実証学派に二分されていたという。タルドは、社会の犯罪率がある程度一定であることから個人の自由意志が犯罪をもたらすのではなく、外在的要因が働いていると考えていた。その外的要因の主なものは犯罪の手口の模倣や犯罪に使用される道具の普及である。犯罪は貴族階級から庶民階級へ、都市から農村へと浸透するとした。こうして後述する模倣の法則にみられるように犯罪の社会的な動向や進化といったものを歴史的な過程から説明していくのである。

社会の中のある集団について考えるうちに、タルドはあらゆる集合体を「群集」と呼ぶことを混乱の原因と考えるようになる。「群集」は「肉体の接触からうまれた心理的伝染の束」であるが、「公衆」とは「純粋に精神的な集合体で、肉体的には分離し、心理的にだけ結合している個人たちの散乱分布」だと考えるようになった(『世論と群集』)。彼は、集合体の結びつきが身体的なものであるか、あるいは精神的なものであるかということによって、「群衆」と「公衆」という概念を同時に作り出したといわれる(『模倣の法則』解説)。

 

あらゆる事物は複合体であり色々な要素となる構成物だと考えた。それを遡れば無限小の事物に到達する。それは物ではなく精神的実体であった。つまり、ライプニッツのモナドである。その要素同士を結合する力は「信念」と「欲望」であるという。欲望は自己が拡大する力、信念は要素同士を結合し維持する力である。彼は、独自の精神一元論の立場から社会学を構想した。個人は自分自身の内に動因を持つ自発的存在であって、エミール・デュルケムが考えたように社会などによって拘束される他律的存在ではなかった。この精神原理は物質、生命、人間社会に共通する原理であり、原子、細胞、個人はそれらによって結合される。こうして、このテーゼが導き出される。

あらゆる事物は社会であり、あらゆる現象は社会的事実である(『社会法則/モナド論と社会学』村澤真保呂、信友建志 訳)。」

 

無限小の事物

鳥の俯瞰的視点と虫の近接的視点と言われるが、フランスの社会学者ブリュノ・ラトゥールは、徹底的な近接的視点から社会事象を記述しようとする。名付けてアクター・ネットワーク・セオリー、略して ANT (アリとも読める) である。ラトゥールのタルド賛歌を彼の著書『社会的なものを組み直す』からご紹介する。

アクター・ネットワーク・セオリー (ANT) で知られるフランスの社会学者ブリュノ・ラトゥールは、タルドについてこう述べる。タルドはあらゆるものが社会であるといった。科学は細胞社会について、原子社会について、あるいは天体社会について述べてもおかしくないようにあらゆる科学は社会学の下位に位置するように運命づけられている。科学がすべて個人の計画、個人が用意した素材によって生まれ、狭い範囲を照らす光となり、小学校のあらゆる児童にさえ浸透していく巨大な光になったのと同様に宗教的教義や法体系、政府、経済体制が同じように形成されていったという。

そして、ライプニッツのモナドを一般化させることでミクロとマクロの繋がりを反転させることもできるラトゥールは言う。社会的な事象の規則性、秩序、論理は高所から全般的な作用を一望する視点に立つのではなく、不規則な細部を観察することによって得られるのであって、人間の行動を導いているのは人間であって進化の法則ではないと言うのだ。大きな事実で小さな事実を説明し、全体で部分を説明するのではなく、微積分が数学の分野において生んだ変化と同様なものを、部分によって全体を説明することで社会学にもたらすだろうと予見した。このような社会的理論の先駆者としてのガブリエル・タルドを見ていたのである。

工業製品にせよ、詩文にせよ、政治思想にせよ、ある日、人の脳の片隅に出現し、際立った特徴を有する社会的産物が、人間のいるあらゆる場所に、無数の複製を通じて自己を広げようとするとタルドは述べる。そして、存在しているということは、異なっているということであるとも言う。いわば、差異は物事に共通した、その本質的側面であり、そこから出発すべきであって誤って同一性から出発すべきではないというのだ。というのも同一性は、最も小さな差異、限りなく珍しい一変種だからだ。何らかの同一性を出発点にすれば、到底あり得ない原点を出発点としてしまうことになり、単一の存在が特段の理由もなく分岐するという不可解な事態から始めることになるからである。それは、ちょうど円が楕円の一変種であるのに、円を基準にしてしまうようなものなのである。ここは差異と反復の問題に関係してくる。

 

差異と反復

フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズは、差異と反復とが生成される秘密が、自然と精神の中にあることを発見したのはタルドだとして称賛を惜しまない(『差異と反復』序章)」。

遺伝が無ければ有機体の進化がないように天体の運動に周期性がなく、地球の運動にリズムがないなら地質的年代や生物の豊かな多様性はなかっただろう。科学は現象の反復を扱う。このような現象の類似や反復は、普遍的な差異や変異にとって不可欠な主題であるとタルドは言う。社会は反復を通じて変化を生み出している。社会の外部者(アウトサイダーたち)というだけでなく、個人の中に潜在する無数の可能性としての異質性、つまり差異は、その社会内に侵入した時から模倣と発明の連鎖をつうじて社会全体を変容させていくという。

だが、一度回り始めた生命のコマが永遠に回り続けないのは何故か? 反復にはただ一つの存在理由があるのだとタルドは言う。それは、「固有の独自性が形をとることを求めて、あらゆる仕方で自らを表現する」ということだった。つまり、自己の表現が形であり、その形の変化が終わった時、形も終わるということだろう。変化が生じ尽くしたそのとき、死は必ず訪れる。生命は開花を求め、自己から解放されようとすると訳者の一人である村澤真保呂氏は『模倣の法則』の「あとがきに代えて」で述べている。

反復は変異のために存在する(『社会法則/モナド論と社会学』村澤真保呂、信友建志 訳)。」

反復と個物の関係は、ちょうど、中世の唯名論と実在論との関係にそのまま当てはめることが出来る。「個別的なもの」、つまり唯名論は考察の対象を唯一の実在的個物にしかないと考える。普遍的なものとは名前に過ぎないとし、その個物は差異という観点から理解されるのだ。「普遍的なもの」である実在論は、実在と呼ぶに値するものは個物に備わった特徴だけだと考える。この時、特徴は個物が別の個物に類似したり他の個物のうちに自己を再生産することを可能にする条件となるというのである。政治における個人主義的自由主義は唯名論の特殊例であり、社会主義は実在論の特殊例であるとタルドは言うのだ。この個物ー差異と普遍ー特徴という対比は『千のプラトー』における量子の流れと線‐切片に繋がるのではなかろうか。

 

流れ――信念と欲望

ドゥルーズ(+ガタリ)は、ミクロ社会学の影響のもとでタルドの今日的意味を見出したのである。このミクロの模倣は流れや波動と関連し、対立とは流れが二項化すること、創意とは流れの接合ないし、連結だという。そして、この流れとは信念と欲望であるとタルド理論を紹介するのである(『千のプラトー』「ミクロ政治学と切片性」)。

ジル・ドゥルーズ フェリックス・ガタリ
『千のプラトー』

個の創意は光の波やシロアリの群れの歩調のように広まってゆく。この時、模倣が意識的なものか無意識的なものか強制か自発かは重要な問題ではないという。模倣は川であり、発明はその源流となる。模倣による反復の中で明瞭で典型的な形態は、社会的反復、有機的反復、物理的反復である。それは言い換えれば模倣的反復、遺伝的反復、振動的反復となる。これが普遍的反復の主要三形態と呼ばれるものである。その反復の中で伝搬されるスピードは、習慣や風習、さらに「人種的本能」と呼ばれるような長い時間をかけてゆっくりと広がるものからコーヒーやタバコなどが市場に出回るような幾何級数的な拡大まで様々ある。

様々な反復は、波動や生物種の間で干渉が起きるように社会現象の模倣の間でも起きる。それは波のように強め合ったり、弱め合ったりする。真に社会的遭遇や干渉が起こるためには、二つの社会的事象が同一の人物の脳の中に存在し同一の精神状態にあるだけでは不十分である。

タルドの言う模倣とは、意図されたものか受動的であるかに関わらず、ある精神から別の精神への距離を隔てた作用、つまり精神間の遠隔作用と脳内における写真の現像のような複製作用のことを指していた(『模倣の法則』「第二版への序文」)。しかし、二つの社会的事象が互いに支援せず、害さず、確認せず、矛盾しないような関係にあっては干渉は生じ得ない。一方が他方にとって障害あるいは手段となり、互いに「原理と結果」「肯定と否定」の関係になければならないという。この二項対立はドゥルーズの言う反復の「流れの二項化」にあたる。それらが反復される過程で対立関係となる時、干渉が起きる。

ガブリエル・タルド『社会法則/モナド論と社会学』

社会的事象は、教義、感情、法則、要求、慣習、風習というように様々な名前をとるが、それらを最後まで分析してみると根本的には信念と欲望でしかないという。つまり、模倣の流れを動かしている主な原動力は信念と欲望である。この二つの信念、二つの欲望、あるいは一つの信念と一つの欲望がふたつの社会事象として模倣の力を通じて長期にわたって別々に発展し、遭遇することもある。

個人の精神内において信念ないし欲望が干渉するのではなく、一部が個人に、他の一部が同類の誰かに属しているような場合、重要な事例となる。この場合、干渉は他者の観念によって自分の観念が肯定ないし否定され、他者の意志によって自分の意志が利益ないし損害を受けたことを個人が知覚する。そのような干渉から共感や契約が生まれ、あるいは反感や戦争が起きるのである。そして、根絶することが困難な恐るべき社会問題をタルドはこう述べる。

少数の分離派を多少なりとも強制的に排除したり改宗させることによって、いつか人間精神の完全な一致を達成することは良いことなのだろうか、それとも悪いことなのだろうか?

諸個人の商業的・職業的・野心的競争、そして諸国民の政治的・軍事的競争が、これまで夢物語であった労働組合あるいは国家的社会主義によって抑圧されてしまい、そこから世界的な巨大連邦や新たなヨーロッパの均衡が生まれ、ヨーロッパ連合に向けての第一歩がふみだされるとしたら、それは良いことなのだろうか、それとも悪いことなのだろうか?

あらゆる支配と抵抗から解放され、絶対的な主権をそなえた強力で自由な社会権力が生まれ、想像しうるかぎりもっとも博愛的で知性的な一党派や一国民によって、その権力が独裁的あるいは因習的な至上権として出現することは良いことなのだろうか、それとも悪いことなのだろうか?
(いずれも『模倣の法則』池田祥英、村澤真保呂 訳)

歴史が答えを出そうとしている問題もあるようだ。

 

アリの眼で見る

ラトゥールに戻ります。彼は徹底的な近接的な視点、つまりANT/アリ(虫)の目で見ない限り新しく有用な社会的直観は生み出されないだろうと考えている。大雑把な概念だけで紋切り型に歴史を切断しようとすることが不毛なら、同様に社会科学の理論をそのように考えることは止めようというのだ。社会活動に対する新たな理解が必要とされている。そこでの「発明」が、あらゆる「個人的創意」が社会科学の中で必要とされている。

ガブリエル・タルドは、アリの労働は「模倣を伴う個々の創意」だという。それは動物社会学者のアルフレッド・エスピナスの説を援用している。山や谷にアーチやトンネルを他所にでなく此処に作るという観念を持つためには、技師ほどの革新的なアイデアに恵まれ、このような自発的な行動を多数のアリが模倣することが必要となる。そこでは固体の創意がどれほど重要な役割を果たしているかを知ることができるという。この社会学への生物学の影響は、細胞理論、遺伝理論、進化論などの発展に伴い19世紀前半から強まっていた。エスピナスの生物学的社会学もそのうちの一つだった。

ブリュノ・ラトゥールが、アクター・ネットワーク・セオリー (ANT) と呼ぶ時のこのアクターという言葉は演劇に由来する。舞台の役者は、例え、一人芝居であっても一人では演じない。演じるということは、さまざまな要素の媒介によって成り立っている。それは、ちょうどサルトルが『存在と無』の中で描く「ほんとうの自分」と「社会的な役割」との違いが分からなくなったカフェのギャルソンのような状態だとラトゥールは言う。

ブリュノ・ラトゥール『社会的なものを組み直す』

劇が始まるや、これは本気なのか、見せかけなのか、観客の反応を取り込んでいるのか、照明や舞台裏のクルーの動向はどうか、脚本家のメッセージはどの程度伝わっているのか、人物は上手く造形されているのか、共演者は何をしているのか、プロンプター (演技中の俳優に陰でせりふを教える役) は何をしているのか、このようにアクターを取り巻く環境の展開を追っていけば、アクターの行為は徐々に非局所的 (ディスローカル) になっていくという。あるアクターが、アクター-ネットワークであると言われるなら、その語が表しているのは、行為の起源に関する不確定性の主なる発生源だということになる。

タルドは、人間の行為が歴史を動かす唯一の要因であると考えるのは単純すぎる。そのため我々は他の領域で流通している便利な虚構によってさまざまな原因を捏造するはめになったという。人間の行為による事象を非人格的な色合いで塗りつぶすのも、数人の偉人たちに帰することもできない。社会変動はいくつかの偉大な観念、あるいは難易度の異なる大小無数の観念の出現によって左右される。言語、宗教、政治、法律、産業、芸術といったあらゆる種類の社会現象は、先行するイノヴェーション (新機軸、技術革新) に新たなイノヴェーションが加算され、さらに改良がなされていく。社会集団の中にこのような新しい要素がもたらされるとそこから段階的な変化が途切れることなくもたらされるのだ。

モナドのネットワークにの中に生まれる「創意」を社会における新しい観念の出現とタルドは捉える。革新的な創意から出発しなければならない。この見方にしたがえば事実の最も細部から最も大きな全体まで描き出すことができる。つまり、歴史の精細さと単純さを余すところなく描写できる。それは、歴史家の観念によるものではなく、行為者の観念による歴史であるという。

ガブリエル・タルド『模倣の法則』

ラトゥールが警戒するのは、こうした複雑極まりない相互関係から成る奇妙、いびつ、風変わりと形容しても良いような状態を無視して社会的と言われる裏側の世界で流通している用語だけに還元してしまう危険性である。社会的説明という作り物の大半はこのように生み出されるというのである。行為の起源はどこに求められるのか。「広範囲に及ぶ社会の力」「私欲による開け広げの計算」「内なる情念」「人の志向性」「良心のとがめ」「社会的期待による役割」「自己欺瞞」といった事柄が果たして「アクターを動かす」社会的な力と言えるのか。かくれた社会的動因、無意識を考え出すことで事が済むのだろうか。彼が言うのは徹底的なANT/アリ(虫)の目で見ない限り新しく有用な社会的直観は生み出されないだろうということである。それは、ちょうどドゥルーズが哲学に新たな概念を生み出そうとしていたことに通じるものがある。

 

たとえ歴史家が、ガリアのローマ化について長々と話すとしても、彼は次のようなこと ―― たとえばローマ語における単語や文法形式、ローマの宗教における儀式の手順、指導士官による軍団員にたいする教練、ローマ建築の各種類(寺院、バシリカ会堂、劇場、円形闘技場、水道、アトリウム〈中庭のある別荘、等々)、学校で無数の生徒たちが習っていたヴェルギリウスやホラティウスなどの詩、ローマ法における法規、ローマ文明において職人から徒弟に、教師から生徒に対して忠実に際限なく伝達された産業・芸術的技法のひとつひとつ ―― を詳しく説明しようとはしないだろう。しかし、もっとも激しい変動過程にある社会がそなえている並外れた規則性は、それらを説明することによってしか正確に理解することができないのである(『模倣の法則』池田祥英、村澤真保呂 訳)。」

 

タルドは、裁判官を務めながら『比較犯罪学』『模倣の法則』『モナド論と社会科学』などを刊行していたが、1894年、司法省犯罪統計局長としてパリに赴任する。51歳の時である。翌年創設された「パリ社会学会」の会長となった。『社会法則』の刊行を経て、1900年、57歳の時にコレージュ・ド・フランスの近代哲学教授となっている。1904年、61歳でパリで亡くなった。ちなみに彼の後任はアンリ・ベルグソンだった。

今回は、比較的新しいラトゥールの著作『社会的なものを組み直す』を起点にタルドの思想に遡り、タルドとドゥルーズの思想的つながりを見て来た。そこには高らかなタルド賛歌があったのが嬉しい。それと、タルド思想との関係で言えば、西田幾多郎のそれやマウリツィオ・ラッツァラートの『出来事のポリティクス』との関係も指摘されている。だが、今回、残念ながら関係する本を手に取ることが出来なかった。機会があれは、ご紹介できればと思っている。特に西田幾多郎は、コレージュ・ド・フランスでタルドに師事し、京都大学で教えた米田正太郎(1872-1945)によってもたらされた心理学的社会学に触れていたようである。ここは、なかなか興味深い。

 

 

引用文献

ジル・ドゥルーズ『差異と反復』