「見えていたものが見えなくなる」「見えないはずのものが見える」part1 伊藤俊治『見えることのトポロジー』

 

資生堂石鹸広告 1941年 モデル 山口淑子

アメリカ版VOGUEの8月号の表紙にシモーン・ヴァイルスという有名な黒人体操選手の写真が載って色々論を呼んでいるらしい。最近のジョージ・フロイドさんの警官による暴行死の余波であることは確かのようだ。主訴は、彼女の写真が黒人らしい肌の美しさを表現していないのではないか、VOGUEは黒人のカメラマンに撮らせるべきだったというものだ。照明の加減で肌が黄色っぽく写っている。僕は迂闊だったのだが、ここで黒人の人たちには美しい肌の色についてのしっかりした基準があるということに気が付いた。翻って我々黄色人種の美しい肌の色とは何なのか、その基準が無いのではないかと不安がよぎったのである。こんなことを考えている自分は暇人なんだろうか。

黒人、白人という言い方からすれば、我々は黄人ということになるのだろうけれど、昨今の化粧品広告などからすれば白人女性のような肌の色が基準にされているのかとも思ったが、「色の白いは七難隠す」などといわれたから「白い肌」が良いという基準は、昔から日本にはある。しかし、現実の黄人の肌の色とメディアなどを通じて世間に出回っているイメージとは隔たりが大きくなりつつあるのではないか。メディアが作り上げるイメージと我々世間一般が持つ概念とは益々強力な絆を形成しつつあるのは確かだ。この、現実に見るということとメディアから見せられるということとのギャップについて考えて見ようというのが今回の「見えていたものが見えなくなる」を書く契機だった。タイトル後半の「見えないはずのものが見える」は次回ご紹介する予定です。

 

ベンヤミンの『複製技術の時代における芸術作品――そのパースペクティヴ

 

ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』

柿木伸之(かきぎ のぶゆき)さんのベンヤミンを紹介する新刊『ヴァルター・ベンヤミン ―― 闇を歩く批評』が出版されて、しばらく経った。これについて書こう書こうと思いながら、いまだ踏み切れないのは、僕がベンヤミンについて抱いている幾つかの疑問が解けていないからである。例えば、『複製技術の時代における芸術作品』に出てくるアウラという言葉だ。AURAは、通常オーラを示す語だけれど、ベンヤミンによれば、「どんなに近距離にあっても近づくことが出来ないユニークな現象」「ある夏の日の午後、ねそべったまま、地平線をかぎる山なみ、影を投げかける樹の枝を眼で追う――これが山なみの、あるいは樹の枝のアウラを呼吸することである」と定義されている。

肉体的な緊張はないが、呼吸するとあるからこれが隠喩だとしても、身体の内外にも関わるものであると分かる。そして、見る対象との間には埋めることのできない距離があり、眼で追うことによる時間感覚が発生する。外界+肉体+感覚のある特殊な精神状態であることは間違いないだろう。それを実物を前に感情移入した状態と安易に考えてよいのかどうか分からない。今回は、見るということがどのような変遷を経て来たのか概観してみたいと思うので伊藤俊治 (いとう としはる) さんの『見ることのトポロジー』をご紹介するのだが、まず、ベンヤミンの『複製技術の時代における芸術作品』をプロットします。

礼拝される「いま」「ここ」

例えば、オリジナルの絵画には経年の物理的変化と、所有者の変遷といった歴史が伴う。それと対峙することは「いま」「ここ」という一回性と歴史的な時間が交錯する場に立ち会うことである。太古に呪術的な儀礼から出発した芸術は、宗教的伝統に浸かって発展してきた。近代までの作品のほとんどは礼拝的な要素と関わっていたのである。「ほんものの芸術アウラ的性格を持ち、比類のない価値を体現するのは、他ならぬこの儀式性にあるとベンヤミンは述べる。しかし、複製技術による写真などは、一時的なもので反復可能なものだった。それらの侵略によって芸術の危機が叫ばれると、芸術は「芸術のための芸術」という芸術的神学の中へと逃げ込んだ。しかし、従来の芸術であろうと複製芸術であろうと、芸術作品のアクセントは展示的価値に置かれるようになるのである。

ウージェーヌ・アジェ(1857-1927)
サン・ルスティック通り 1922年

礼拝価値から展示価値へ

礼拝的価値は、最後の逃げ場を写真に撮られた顔の中に見出す。愛する人の顔の表情にはアウラの最後の活動領域があった。そして、人間が写真から姿を消すとき、展示的価値が礼拝的価値を凌駕する。例えば、ウージェーヌ・アジェの何気ない通りの写真はドキュメントとしての価値を持ち始めるのである。そこには「あの時」「あそこ」があった。一方で演劇と好対照である映画における美学の問題は、写真よりももっと厄介らしい。サイレント時代に映画の意義は、宗教的秘跡まではないが超自然世界の中にまさぐられているとベンヤミンは言う。

大衆の享受的態度

絵画は常に少人数による鑑賞を要求した。今日のように大勢の人間と直接対峙するような事態では、このことが足枷になるという。作品を美術館や画廊で大衆の面前に展示しようとする試みが起こっても大衆がこのような鑑賞に自己を開いて作品との一体化を会場全体で共有するするという道は、まず存在しない。こんなところで場違いな声はあげられないのだ。しかし、映画では悲しい場面のすすり泣きとか、会場にある種の共感が漂っているように感じられることがある。グロテスク映画の中では恐怖という共感が起こり、それでも享受的態度を見せる大衆がシュルレアリスムの絵画の前では保守的で拒否的な反応をみせるとベンヤミンは言う。

特別な視覚の提供

フロイトの『日常生活の精神病理学』以来、ちょっとした言い間違いが突如、心の深層のパースペクティヴを開くということが起きるようになる。精神分析は、知覚の幅広い流れと共に押し流されてきた無意識的なものを分析可能にしたのである。映画もまた、視覚的記号世界や聴覚的記号世界全体にわたって同様の知覚の変化をもたらしたとベンヤミンは言う。映画の中では人体の標本模型のように人間の動作が奇麗に標本化される。この映画画面の圧倒的状況描写力は他のメディアを凌駕する。そして、科学と芸術の相互浸透を促進した。それは、高速度撮影や微速度撮影といった人間の持つことのなかった特別の視覚を提供するようにさえなるのである。

マルセル・デュシャン『泉』1917
撮影 アルフレッド・スティーグリッツ

新たな鑑賞形式

従来の芸術作品の魅惑的外観と圧倒的美しい響きは、享受者に精神集中や瞑想をもたらしてきた。しかし、ダダイストたちの作品の前では、芸術はスキャンダルの中心となる。男性用便器をそのまま展示するデュシャンの『』は、その典型的な作品の一つだろう。そこでは、芸術作品が公衆の怒りをかわなければならないものだったのである。映画は、けっして鑑賞者を瞑想に誘わないし極度の精神集中を要求しない。そもそも目まぐるしく展開する場面はそんなことを許さない。ダダイストは作品の無用性を獲得しようとして従来の鑑賞とは別の事態を引き起こそうとした。同様に芸術が大衆を動員しようとする場所では、鑑賞形式の新たな適用が行われる。映画館では観客は試験官を務めるが、それは極めて散漫な注意力の試験官だとベンヤミンは言うのである。

知覚の深刻な変化

映画の中において見られる芸術作品に対する散漫な姿勢は、知覚の深刻な変化に対する兆候であり、芸術のあらゆる分野でそれは顕著になりつつあるという。さすがにベンヤミンは鋭い。そして、現代の人間のプロレタリア化の進行と広範な大衆層の形成が同じコインの裏表であり、大衆は現在の所有関係の変革を迫っている (共産主義のこと) が、ファシズムは所有関係はそのままにしてプロレタリア大衆を組織化しようとするという。それが行き着く先は政治生活の耽美主義、マスコミをコントロールし大衆を征服して指導者崇拝の礼拝的価値を作り出すことだというのだ。

見世物の犠牲

この耽美主義への努力は必然的に一つの頂点を目指す。戦争である。ファシズムは技術によって変化した人間の知覚を芸術的に満足させるために戦争に期待をかけた。ベンヤミンは、ホメロスにとっては人間がオリンポスの神々の見世物であったが、今、人間は人間自身のための見世物になったという。人間の自己疎外は人間自身の破壊を最高級の美的享楽として味わうまでになったのである。やがて、ベンヤミン自身がその見世物の犠牲となる。ともあれ、こう見てくるとベンヤミンのアウラは、リアルな現実」に向き合った時に鑑賞者に瞑想とか精神集中とかを生起させるようなある前触れと見てよいのではなかろうか。ベンヤミンとは関係ないのだけれど、興味深いのは、脳神経医学などで脳の疾患によって特有の症状が現れる前に起きる前兆をアウラと呼んでいることだ (オリヴァー・サックス『音楽嗜好症』)。

 

伊藤俊治『見ることのトポロジー』から

 

ジョン・バージャーはイギリスの美術批評家で、彼の他4人で構成されたテレビ番組「Ways of Seeing」をテキスト化したものが1972年に『イメージ』というタイトルで出版されている。これを翻訳した伊藤俊治 (いとう としはる) さんが、解説として書かれた『見ることのトポロジーが、ベンヤミンの『複製技術の時代における芸術作品』を踏まえ、バージャーの論を敷衍する形で20世紀までの視覚芸術を述べている。ここでは、ベンヤミンの言う知覚の深刻な変化に対する兆候とは何かが明らかにされる。今からそれをご紹介したい。

伊藤さんは1953年秋田生まれ。東京大学文学部美術史学科を卒業され、多磨美術大学や東京芸術大学先端芸術表現科で教鞭を執られたようだ。特に写真史についての著作が多いとある。詳しい履歴の紹介は残念ながらない。

 

カメラ・オブスキュラ
上 17世紀のカメラ・オブスキュラ
下 今日見られるカメラ・オブスキュラの映像 テクニカルコレクションドレスデン

対象化される視覚

美術の大きなエポックの一つとして、15世紀の透視図の発明が挙げられる。ブルネレスキの透視図は、次々と展開する時間軸の視野からたった一つの視点を取り出し世界像を切り取る。それまでの人々にとって混沌とした表象の連続から全てを統合できる神の視点とも言うべきものをもたらす技法だった。それを逆手にとったのは16世紀の画家エアハルト・シェーンのアナモルフォーズだった (巻末参照)。それはともかく、透視図の技法は、レオン・アルベルティによって空間と存在との関係性の中で「表現される全てのものが目に見えるものそっくりに浮かび上がって見えるようにする技術」として目的化されるようになる。

第二のエポックは19世紀後半の写真機の出現だった。フェルメールが絵を描く時に使っていたといわれる従来のカメラ・オブスキュラ (ピンホールカメラと同じ原理) は、飛躍的に改良された。細密な風景画によって劇場ジオラマを創り出したルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが、簡易な撮影技術を開発し、この写真術はあっという間に世界を席巻し、複製技術時代の本格的な到来をもたらしたのである。ある意味でルネサンスの画家たちは不完全ながらも現在の写真が成し遂げたことを先取りしようとしていたのかもしれないと伊藤さんは言う。これらのエポックを通じて起きて来たことは、透視図と同じ原理、つまり人間の連続的な視覚の中から一つの場面を切り取って人間の視覚世界から別の世界へと客体化する作業だった。その結果は、人間に世界を眼前に置いて所有するという意識の変化をもたらした。観光地へ行って実物を眺めるよりも写真を撮ることに熱中するのはその表れの一つである。東洋は主客を明確に分離しようとはしなかった。

 

写真と大衆化

この視覚的欲望は、革命後の19世紀フランスで政治の主導権を握った振興中産階級における社会システムに巧妙に組み込まれたという。この教訓と美徳を重んずるブルジョア的市民主義に反発したのがフランスを中心に勃興した象徴主義デカダンスだった。ボードレールやヴェルレーヌの詩、それらはブルジョア文化を逆撫でするものだったのだ。しかし、この所有欲は人々の精神構造を変化させ、世界を唯一の視点から眺める文化は眼を自己の内部へと閉塞させていった。表象と実物との絆は、徐々に遊離しはじめるのである。自己は閉じる病に侵されていったと伊藤さんは言う。

ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787-1851)
上、半透明キャンバスに細密描写された劇場用ジオラマ風景画多方向から光が当てられ圧倒的な効果を生んだといわれている。
下 ダゲールの写真 1837年

先ほど述べたダゲールによって開発された写真術は、ダゲレオタイプと呼ばれ、露光時間を大幅に短縮し、撮影した映像の定着、保存技術を確固としたものにした。この頃、パリでは万博が開催され新しい波が押し寄せていた。1861年にはパリだけで3万の職業写真家がいたと言われる。その写真家のなかにナダールという仇名で知られるガスパール=フェリックス・トゥールナションがいた。現在のメイプルソールやアヴェドンの作品を先取りしていると伊藤さんは言う。この人はとても面白そうな人なので、機会があれば、ご紹介したい。

当時の写真スタイルは、舞台装置や書き割りの前に表情やポーズを決めた人間を置く定型を作り上げた。写真機の前で、人は社会的な地位や仕事に応じたある役割を強制されることになる。肖像写真は、モデルの社会的地位などを強調する肖像 (エフィジィ) と個人の独自な内面性を表出しようとするポートレートに二分されるようになった。ナダールのような写真家たちの作品がポートレートと呼ばれる。

しかし、1871年のパリ市民と労働者階級の蜂起によって第二帝政政府を退け革命的自治権を確立したパリコミューンが成立する。その頃を境に大衆化が一気に進むとエフィジィが写真のほとんどを占めるようになる。ドガは肖像絵画から手を引き、ナダールもポートレートを撮らなくなったといわれる。ここから肖像写真は非象徴的で、非歴史的な人々の大量の断片となり、大量消費社会への高らかな前奏曲となっていったのである。

 

美術という制度の確立

ナダール(1820-1910)
サラ・ベルナールの肖像写真 1864年頃

18世紀中頃から王侯貴族の美術コレクションは美術館や博物館の中で開放されていった。ルーブル美術館は王権とブルジョアジーの遺産を保管する場所と考えられていた。この絵画や彫刻を隔離し、陳列する美術館の出現によって芸術は自律的なものとなる。財宝と神殿という二つの出自を持つと言われるこの建物は、切り取られた世界の断片を所有し、その威厳を高めることによって宗教的なムードを持ち、世俗化した異物ながら礼拝の対象ともなっていった。芸術を芸術自身で自立させることによって、芸術こそ最高の価値と見なす信仰が始まるのである。

美術館に収められた作品は、あらかじめ芸術であって、人々を道徳的に導き、教育し、向上させる社会的機能を持つと捉えられることが当たり前となっていく。この18世紀的啓蒙精神に支えられた美術館が国家の中でのそのような役割を期待されるようになると、芸術は政治的制度の中に組み込まれていくのである。そして、19世紀後半以降にブルジョアジーのコレクターに代わって美術商が現れ、しかるべき宣伝と戦略によって美術品は消費と投機の対象となっていったのである。

20世紀に入って、こうした美術制度に反対するアーティストたちは、ダダ、シュルレアリスム、ニューペインティング、フルクサスなどにおいて反芸術運動を繰り広げてきたが、それらは常に美術の制度へと同化されていくのが常だった。伊藤さんは、まず作品を作るということ自体が、今のこの時代の制度に嵌め込こまれているということを認識しなければならないと述べ、今迄の美術史はそれを隠蔽し、作品の自律性ばかりを云々し、芸術を芸術の中で独立させることに腐心してきたという。ここにはアートの社会学があるが、その傾向こそは近代の自閉化するヴィジョンに拍車をかけるものであったと言うのだ。

 

パノラマ的視覚と管理社会

現存するパプノティコン プレシディオ・モデーロ(キューバ) 内部(上)と外観(下)

ジオラマが出現する50年くらい前に、全ての眺望という意味の光学装置であるパノラマが1787年にイギリスの画家ロバート・バーカーによって発明された。負債のために投獄され、その監獄の中に入り込む光の効果からヒントを得たと言われる。大きな半円型や円弧の壁にぐるりと正確な遠近法によって街や風景を描き、色々な光を当てたり、画面の前に実物を置いて、それを円の中心から眺めるものだった。

パノラマが出来たのとほぼ同じころ、やはりイギリスのジェレミ・ベンサムによってパノラマを彷彿とさせる監獄が考え出される。ミシェル・フーコーによって知られるようになった近代管理社会の空間モデルだった。円形状に配置された独房を中心から一元的に監視できる。それは一点から周囲の現実をくまなく切り取っていくガラスと鉄の機械である写真機の視覚の延長上にあった。19世紀末アンリ・ベルグソンが『物質と記憶』の中で、私たちには一つの動的な連続性が与えられているだけなのに、事物を写真のように分割された諸個物と思いこんでしまうことに警戒を催している。実際には空間のあらゆる点に向かって既に撮影され、現像されていると言うのである。

「絶対的に決定された輪郭を持つ独立した諸物体へと物質を分割することはすへて紛 (まが) いの人為的な分割である(アンリ・ベルグソン『物質と記憶』合田正人、松本力 訳)。」

 

複製技術時代

複製芸術は存在の場と結びついたオリジナルの「今」「ここ」という性格を失効させ、人々が全身で感じ感情移入していく空間ではなくなり、自らの周囲に対象化する表層的な対象となった。オリジナルはその権威を失っていくのである。ベンヤミンの言う知覚の深刻な変化は従来の物を見る力を失わせつつある。これは聴覚にも言える。現実の空間に鳴り響く音はヘッドフォンやイヤフォンの中の空間では再現できない。音は空間を作るのだ。

もう一つ重要な指摘を伊藤さんはする。人々が複製に取り囲まれるようになると、作品のスタイルや空間性よりもその視覚的内容や情報に注意が向けられていくことである。アート雑誌や美術の全集はこのような考えに基づいているという。人々は直に見て考えるよりも写真のフラットな表面を現実を表す基準と考えるようになる。そこには物のテクスチャーも匂いも、重さも、光によって様々変わる色の変化もない。一方で複製によって多くの国々の芸術が比較可能となり、美の基準が相対化・多様化していった。同時にオリジナル作品が持つ歴史とサイズの感覚を無きものし、「大衆のための芸術」という図式を作り上げ、追い求められるものではなく、すべての人々に捧げられるものとなった。

 

広告の誕生

ケロッグのクリスピー (左) とシェル石油 (右) の広告

博覧会の祝祭的興趣は、やがて生活の中へも浸透し始めた。劇場やサーカスで行われるような刺激と驚異と新奇を求めて人々の欲望はショーウインドーのガラスを通して見るパノラマへと駆り立てられていった。見ることの快楽はやがて映画やテレビを生みだしたが、一方で、写真技術と印刷技術は手を携えて広告という新たなメディアとなった。広告は街へ衣服へ住宅の周囲へと環境の一環になり始める。

 

民家に設置されたホーロー看板広告

1960年頃までは、商品そのものを強調する即物的な広告が多かった。金鳥の蚊取り線香の広告には蚊取り線香しか描かれていなかった。でも、今見ても結構イカシテルと思う。やがてボンカレーに琴姫七変化の松山容子さんが登場した。これらの看板広告は、どんな田舎にもあって今だに印象に残っている。記憶はボンヤリだけれど、松山さんは、当時人気の粋な女優さんだった。その映像もYoutubeにUpされているので驚いた。Youtube恐るべし! それはともかく、広告にタレントさんが商品と一緒に大写しにされるのもかなり前からである。こうして徐々に広告体系のようなものができる。60年以降は、ムードやイメージそのものを売りにする広告へとシフトしていった。広告は唯物主義の時代の神話を築いていくのである。売れるものへの戦略は人間の無意識へと攻撃の対象を移していった。瞬間的な映像は強力な視覚言語となる。ロシア構成主義やエイゼンシュタインのモンタージュ、シュルレアリスムの映像に見られる視覚的方法論はナチス政権下で研究され、1970年代頃からアメリカの広告界で花開いたという。

 

無意識を攻撃する広告

カルヴァン・クライン アンダーウェアー広告

1990年頃にサブリミナル効果といわれる無意識に働きかける効果が取りざたされたことがある。通常のスピードの映像に知覚できないスピードの映像を挟み込んで宣伝効果を上げようというものだった。ほんとうにそんな効果があるのかどうかはよく分からない。しかし、水着や下着、煙草など多くのジャンルに「ある種のイメージ」が扱われるようになる。ジェンダーの取り換え、三角関係の暗示、性的刺激の先鋭化などといった挑発するファクターが広告の中に現れてくるのだ。広告は社会的禁忌や倒錯を介入させることによってイメージをより強烈なものに変えていった。それらの映像は意味の検閲を受けないメッセージとなって、我々の内部に入り込み、心の深層をマッサージするのだ。

して、今日では新たなメディアの変化が起こりつつある。第三のエポックが到来している。映画、テレビについでCGやネットの時代がやって来たのである。氾濫する大量のイメージは、常に「見える」という状態に置かれる。あらゆるイメージは「見せる」ために作られ世界を覆い尽くした。そのいわば「広告的トポス」と伊藤さんが呼ぶ領域では、イメージの背後にある現実は忘れ去られ、その手前に立ち現れるイメージと眼との間の不確かな領域において見るという経験が生起すると言う。広告が我々に顕わにしたものとは、見えるものでもなく見えないものでもない我々の見る欲望そのものであったというのである。社会現象の根本にあるものは欲望と信念だと社会学者ガブリエル・タルドは述べた。広告はその欲望の中でのみ生きることができるのだ。

 

新たな感覚の創出

色々な映像をMRIの中で被験者に見せて脳の活動を記録し、そのデータを数式化して「脳の映像言語 」(脳情報デコーディング) を作り上げる。別の映像 (左) をMRI内で被験者に見せて、脳の活動を記録すると同時に「脳の映像言語」に通して予測値を作り、観察された活動とこの予測された活動とが類似したものの映像 (右) を掲載している。しかし、この右の映像は発展途上なのか、このようなボンヤリした映像が脳の別の領域で明確化されるのかは、よく分からない。

 

メディアの時代の視覚的変化は二次元的な変化として集約される。そこでは、三次元の奥行きが二次元化されて把握される。奥行きの感覚は退化せざるを得ない。モノづくり立国も危ういのではないか。ある宮大工の棟梁が弟子にテレビを見る事を禁じたというエピソードがあるけれど、このことに関連しているだろう。人間は、「作る人間」から「感覚する人間」へと移行し、眼は身体から切り離されて一つの自律的な体系となり、記号的視覚人間へと導かれつつあると伊藤さんはいう。無数のイメージや記号同士の網の目の中で曖昧で不確かな記号自体の仕組みの中にすっぽりと埋め込まれていく。一方でコンピューターによる映像は映画を超えた全く異なる視覚的世界を提供し始めている。脳の意識レベルの映像さえCG画像は関与し始めた。脳情報デコーディングは人間が見る夢の映像さえ実現可能にしようとしている。それは、もう一つの新たな感覚の創出と言っていいだろう。

 

分離する感覚

ジョン・バージャー『イメージ』
伊藤俊治『見ることのトポロジー』
パルコ出版 1986年刊

伊藤さんは、この著書で「見るということ」がどのように作り上げられ、現在どのような方向に進みつつあるのかを概観し、そうした状況の中で見ることの始原を問い直そうしている。結論は、「見せる」ことが人間の記憶や概念を縛りあげようとしている現在の枠組みから人間を解放し、思考と知覚との一体感を回復すことによって「肉体を持った眼」を取り戻させるということだ。結局、本物に多く触れる他はないのだが、大衆の感覚がレベルダウンしていくとしたら、アートの世界も沈没していくほかはないのかもしれない。かなり深刻な問題なのだ。

マクルーハンの言うように印刷文化が人間経験を知性と感性に分離させたとすれば、メディアのデジタル化は人間経験の厚みを平板化し、感覚を分離しようとしていることになる。脳神経医学者のオリヴァー・サックスは『音楽嗜好症』の中でこう述べている。

「人は自分の感覚を当たり前と思っている。たとえば目に見える世界は、奥行き、色、動き、形、そして意味がすべて完璧に調和し、同期しているものと感じる。このように見かけが調和しているので、眼の前のたった一つの場面がじつは種々雑多な要素で構成されていて、そのすべてが別々に分析されてから統合される必要があるとは思いもよらないだろう(大田直子  訳)。」

このテクノロジーメディアの進化と洪水は止まることはない。その洪水が、僕たちの統合される必要のある感覚を徐々に解体しようとしていることに僕たちは気づかない。ベンヤミンは既に気づいていた。気を付けておかないと見世物の犠牲になるのだ。

 

参考作品

エアハルト・シェーン(1491-1542)アナモルフォーズ(歪像)。四人の人物の顔が透視図を用いて歪められている。バルトルシャイテスの『アナモルフォーズ』にはこのような色々な歪像が登場する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考図書 及び 引用文献

柿木伸之『ヴォルター・ベンヤミン ― 闇を歩く批評』

アンリ・ベルグソン『物質と記憶』

オリヴァー・サックス『音楽嗜好症』
音楽関係の人には結構怖いことが書かれている。