クレチヤン・ド・トロワ「アーサー王 円卓の騎士の物語」part2 『ペルスヴァルあるいは聖杯の物語』

 

お正月も過ぎましたね。昔は、別火の物忌みとかでお正月は火を使わないというしきたりもあったようだけれど、僕の子供の頃にはなかった。広島では既に廃れてしまっていたのか我が家にはそういった習が無かったのか、よくは分からない。地方によって異なるのかもしれない。おせち料理は、主婦がお正月から働かなくてもいいようにと言う意味もあるのだと思うけれど、この物忌みのためだと言う人もいる。ともあれ新たな年神様を迎えるために門松を立て、鏡餅を供えるのだが、大晦日から元旦への夜は物も事も時も一旦死して新たな年が生まれるクライマックスだった。柳田國男さんなんかは、この来訪神は穀物神で山の神だと書いている。多分、はるかな昔は平地の田より水の管理が容易な山の棚田が主流だったのだろう。この山神様は、小正月にとんどの火を焚いて山に送られるのである。

ところで、かつてケルトの社会では、大晦日は10月の末日で、新年は11月1日だったそうだ。この古い年が死に、新しい年が目覚める大晦日の夜、彼らの神話では妖精の塚の扉が開かれて先祖の霊や異界の者たちがこの世に現れ、死者が未来を予言するのである。死者の訪れを待ち霊を供養する、これが、アイルランド・ゲール語で「夏の終り」を意味する「サウィン」の夜だという (鶴岡真弓『ケルトの想像力』)。今日のハロウィン (10月31日) の起源だ。しかし、旧と新、生と死が交錯する夜に新たに来るものは、冬の暗黒でもあったから人々は浄化の篝火を焚いた。この冬の始まりは、古い王が殺され、新しい王が現れるとされている。この万霊節の夜、アーサー王は従者を従え馬でタラの丘を一回りすると言う (井村君江『ケルトの神話』)。

 

夏目漱石 『薤露行』日本のアーサー伝説


 

最近では、アーサー王伝説と北東イラン系騎馬民族のスキタイやサマルタイの伝説との共通性を指摘する仮説が登場していて、東方起源説が取りざたされている。C・スコット・リトルトンとリンダ・マルカーの『アーサー王伝説の起源』という著書だ。「スキタイからキャメロットへ」という副題がついている。コーカサスのアラン人の祖先であるセット人の「ナルト叙事詩」にも近いとされているようだ。アラン人がローマの傭兵として雇われてガリアにその伝承を伝えたというものだが、日本にもちゃんと伝わっている。

王妃グニエーブル/仏 (グエヌエラ/羅) ドラ・カーティス画 1905

「百、二百、群がる騎士は数をつくして北の方なる試合へと急げば、石に古りたるカメロットの館には、ただ王妃ギニヴィアの長く引く衣の裾の響のみ残る。薄紅の一枚をむざとばかりに肩より投げかけて、白き二の腕さえあからさまなるに、裳のみは軽く捌(さば)く珠の履 (くつ) をつゝみて、なお余りあるを後ろざまに石階の二級に垂れて登る。」

なんか、格調高い。英国留学の手土産にアーサー物語を夏目漱石は、こう綴った。その名も『薤露行/かいろこう』である。トマス・マロリ― (1399-1471) のアーサー物語は、簡素素朴で良いけれど、小説としては散漫だから自分はより小説に近いものに改めたと漱石は書いていた。大人の小説にしたかったのだろう。それに、アルフレッド・テニソン  (1809-1892) の『王の牧歌』の影響は大きかったと言われる。

題名の『薤露行』の薤露』は、漢の田横が自死した時に門人がこれを傷んで作った哀歌である (『楽府/がふ)。人の命は、薤 (かい/らっきょうや大ニラ) の葉の上の露のように儚いことを指していて、「人死んで一たび去り何時か帰る」と詠われていた。薤露行というのは葬送行進曲のことだろうか。

漱石はそんな感じの小説にしたかったのだろう。漢籍の素養の豊かさが偲ばれる。テーマは貴人の葬送であり、古代の中国と中世の英国とが死を媒介に反響し合っていると『漱石とアーサー王伝説』の著者、比較文学者の江藤淳さんは書いている。罪と愛の甘美に身悶えするランスロットとアーサーの王妃ギニヴィアとの禁断の絆は悲劇を呼ぶ。因みにギニヴィアはグニエーブル/仏の英語読みである。

ランスロットへの報われぬ愛に身罷ったエレーンが乗せられた舟が波に揺蕩 (たゆた) う時、シャロットの妖女の悲しき声が「うつせみの世を、‥‥‥うつつ‥‥‥に住めば‥‥‥」と尾を引いて消えた。最終章には、こんな葬送の件 (くだり) がある。最も美しい、涼しき顔を、雲と乱るる黄金の髪に埋めて、笑える如く横たわるエレーンの屍を載せた舟は杳然 (ようぜん/遥かに遠く) として何處ともなく去っていく。この葬送の舟は、彼女の魂を異界の扉へと導いていくようだ。

 

そもそもどうして円卓なのか ?


 

 ウァース『ブリュ』の円卓

日本に飛び火するほど感染力の強い「アーサー王と円卓の騎士」だが、ファンタジーものの偉大な源流の一つと言っていい。『里見八犬伝』とか『水滸伝』なんかもそうだけど、何人かの登場人物にそれぞれ物語りを割り振って色々な冒険譚を創り上げ、それらを一つの環に繋げて壮大な物語集にしていくのは、なかなか興味深い手法だ。しかし、何故、円卓なんだろう。この頃の宮廷では円卓が流行っていたのだろうか?

『ランスロットと聖杯』15世紀 写本 五旬節を祝うために集うアーサー王と騎士たち

どうも、円卓のもともとの起こりは、ノルマンディーの学僧ウァースが、part1でご紹介したブリタニア版の『アエイス』といわれる歴史物語、ジェフリー・オヴ・モンマスが書いた『ブリタニア王列伝』を翻訳・翻案した『ブリュ物語』の中で高貴な武将達が自分こそ最高の騎士であると言い張って譲らないために上席権争いの調停として円卓を設定したことによるらしい。前回と同様、アーサー王伝説の研究の第一人者であるジャン・フラピエの『アーサー王伝説クレチヤン・ド・トロワ』からご紹介する。名著だ。

ウァース(1115頃ー1183頃)『ブリュ』1155

ウァースは、ウェールズかアルモニア生まれの学僧であると言われている。この『ブリュ』は1155年に完成し、プランタジネット朝のヘンリー2世の妻だったアリエノール・ダキテーヌに献呈されたもののようで、正式には『ブリトン人の偉勲』と題されたものだった。フラピエによれば、『ブリュ』の名称は、ブリタニアの創始者ブルートゥスに由来するらしい。この作品は、先行するブリタニア王列伝』の翻訳ものの群を抜いてしまった。

これら翻訳ものは、ジェフリーの作品を基にしているもののウェールズ語に訳す時に、その固有の名前や伝承のディテールを挿入していて、ある種の改変があるらしい。一つの言語から別の言語に移し替える時、多くの名前は音声学的な法則の枠内で歪められる運命にあるとフラピエは言う。例えば、ラテン語の「エウゲニウス」は、ウェールズ語で「オウェイン」Owainとか「イウェイン」Ywainとなるけれど、「y」は「i」と発音されるために「イヴァン」の綴りがあらわれるのだと言うのである。なるほど。

ウァースは、ジェフリーの作品の中の素材に対しては、ほとんど手を加えなかったが、ラテン語の散文『ブリタニア王列伝』にユーモアを加え、軽快で生命力あふれた八音綴りに訳しかえているという。とりわけ頭語、単語や文章のリズミカルな繰り返しと対句や交叉配列を取り混ぜて、後のクレチヤン・ド・トロワの作品に少なからず影響を与えたと考えられている。文章の見た目はかなり変わったはずだ。ともあれ、ジェフリーの作品やウァースの翻訳によってアーサー王伝説の信憑性は、いやが上にも高められた。この二人のおかげでアーサーはシャルルマーニュやアレクサンドロスと同格の地位を与えられるようになったのである。

 

ロベール・ド・ボロンマーリン』に登場する円卓

悪魔が郷紳の三人の娘を篭絡しようとする。下の二人の娘は簡単だったが、上の姉は、聴聞司祭にも教えをうけるような善良で信仰厚い女性だった。そこで悪魔は、夢魔を呼んで姉が眠っている隙に、交わらせた。姉は知らぬうちに悪魔の子を身ごもる。司祭は彼女に告解と改悛をさせ、金曜日に一日一食とする贖罪の行を課し、娘はそれによって救われた。子供は悪魔の力によって過去の全てを知る能力を得、キリストによって未来を見通す力を与えられ、この世で最も賢い預言者となった。その子の名をマーリン/英 (メルラン/仏) と言った。魔術師マーリンの誕生である。聖俗の両極端が結びついた存在なんて、なんかユングとか喜びそうだ。

ロベール・ド・ボロン『メルラン』13世紀写本
夢魔に犯される姉

マーリン伝説は、もともと、ケルト系の「森のマーリン」とサクソン人に抵抗したアンブロシウスの系統の二つに分かれると言われている。既にpart1で紹介したネンニウスの『ブリトン人の歴史』には、夢魔にはらまされた父のない子として描かれ、搭が建てられる土台の下の壺が語られ、その中の天幕にある白い虫と赤い虫の戦いが述べられる。ブリトン人とアングル人との戦いが、この二匹の虫に象徴される龍の戦いの逸話として書かれている。その子の名はアンブロシウスと言うのである。このネンニウスの逸話を引き継いだロベール・ド・ボロン(12世紀後-13世紀前) が1210年頃書いた作品が、この著書『メルラン』(邦題は『魔術師マーリン』) で、1170年頃書かれた今からご紹介するクレチヤンの『聖杯の物語あるいはペルスヴァル』の後の作品となる。その中でマーリンをパンドラゴン王とその後を継いだ弟ユテル (後にユテル・パンドラゴンと名が改まる) の相談役となって次々に預言を行う聖者のような存在に設定している。ユテル・パンドラゴンがアーサー王の父となるのである。

アリマタヤのヨセフ サン・ジャン教会 フランス

アリマタヤのヨセフはキリストの遺体を引き取った人物だった。ローマ軍によってエルサレムが破壊された後、一族の者らと共に砂漠の荒野に向かった。この時、ひどい飢餓に見舞われ、キリストに何故そのようなことが起こったのか解き明かし給へと祈った。主は最後の晩餐で裏切ったユダの席が空白となっていることを明かし、この第一の卓に真似た第二の卓を設けるように指示したのである。そこに御自分の杯を置き、この席に座るものには心の充溢が与えられると教えた。空腹と聖杯が結びつけられていることをご記憶願いたい。

ユダの空席に坐るべきものはアリマタヤのヨセフだった。彼は、伝説ではブリテン島に渡るのである。マーリンは、このような卓をウェールズのカーデュエルに設えることをユテル・パンドラゴンに提案する。50人の騎士が参集したが、その中の一つの席が空いていた。面識のなかった彼らは、まるで親子のように互いに愛しあったという。ボロンのこの作品では、円卓は、このユテルから始まる。

しかし、その空席に座ろうとしたものは消えてなくなるのだった。この空いた席の秘密をマーリンはこう語った。そこに坐るものの父親は、まだ妻を娶っておらず、卓の完成は次代の王の治世となる。この席に着くものは、その前に聖杯の卓の空席に着かねばならず、聖杯の守護者たちは未だ、そこが埋まることを見たことがないと。次代の王とはアーサーを指していて、クレチヤンの『聖杯物語』を補完する形になっている。

 

聖杯の物語あるいはペルスヴァル』グラアルとは何か


 

ペルスヴァルの出自とアーサー王の宮廷

さあ、聖杯の物語あるいはペルスヴァル』に入ろう。フランドル伯フィリップ・ダルサスに捧げられたクレチンの未完の作品である。ダルサスに「聖杯物語」の掲載された書物を与えられ、これまで宮廷で書かれたものの中で最高のものを韻を踏んで書くのだとクレチアンは述べている。漱石みたいにやる気満々だった。後世に語り継がれる一つの神話といってよいものを形成することになるのである。この物語によって、聖杯という言葉の周囲に、何世代にも亘る思想や感情、夢が結晶化していくとフラピエは述べている。確かに ! 

フランス中世文学集2 愛と剣
クレチン・ド・トロワの『荷車の騎士』、『聖杯物語』、マリー・ド・フランス、ジャン・ルナールの著作収載

ペルスヴァルは、無垢な野人として登場する。騎士となった兄二人は戦死し、アーサー王の父であるパンドラゴンに仕えた騎士である父親は、その知らせを受けて気を病んでみまかった。母は、ペルスヴァルに騎士というものに一切触れさせないように育てたが、ある日、アーサー王を尋ねる騎士の一団に巡り合ってしまう。こうして、この無垢で素朴な若者は、それが定めであったかのようにアーサー王の宮殿に向かうのである。その後ろ姿を見ながら母が気絶するのを彼は見る。彼女は、しばらく後に亡くなってしまうのだが、そのことをペルスヴァルは知らない。

アーサー王の宮廷へ行く途中、テントの中の乙女と出会う。礼儀を知らぬこの若者は、母親に教えられた通りに挨拶し、接吻し (物語によれば7回)、指輪をもらい (奪い)、ご馳走を勝手に食べ、乙女に神の祝福があるようにと挨拶して立ち去った。この間、乙女の意思など全く注意を払われた気配すらなかった。乙女は後で恋人にひどい目にあわされることになる。

宮廷に到着したのは、カンクロワの森の真紅の騎士が、アーサー王の領土を要求し、彼の盃を奪い、その拍子に妃の頭の上に酒をそっくりぶちまけると言う乱暴狼藉を働いた後だった。ペルスヴァルには、そんなことは、どうでもよかったので騎士にしてくださいの一点張りだった。執事で口汚いことで知られるクーが、真紅の騎士の武具甲冑を奪ってくればいいと言った。ペルスヴァルは、真紅の騎士を追いかけて、甲冑を早く脱げと要求する。怒った騎士は、穂尖のついていない方の槍先で肩を激しく突いたのでペルスヴァルは馬の顎のあたりまで突っ伏した。騎士の恰好をしてない相手を脅かしたつもりだったのだろう。しかし、ペルスヴァルは真紅の騎士の目に向けて短槍を放つと、刃先は目から脳髄を刺し貫いて首の反対側へ血と脳漿と一緒に飛び出た。様子を見に来たアーサー王の騎士イヴォネに手伝ってもらって真紅の騎士の鎧兜を着けてもらい、武器と馬を頂戴し、アーサー王の金の盃をイヴォネに返してくれるように頼むのだった。

ゴルヌマン・ド・ゴールという有徳の士がペルスヴァルに騎士としての技や嗜みを教え、饒舌を避けるようにと注意を与えて彼を送り出した。敵に包囲されて餓死の危機に会うブランシュフルール姫を救い、やがて深くて速い流れの川で病身の漁夫王が気晴らしに釣りをしている光景を見る。その王の城に迎え入れられると、金髪の乙女が携えて来たという、運命づけられた剣を贈られる。そして華麗な広間で豪華な食事が始まった。

聖杯と漁夫王の城

ブルターニュものとケルト神話には基本的なテーマの類似はある。人と妖精との恋、魔法の武器や豊穣の釜、客人への歓待、物忌み、奇妙な姿への変身、そして、とりわけ他界への旅である。ケルト人の他界は西の海の極楽浄土の島、海面下の楽園、地中の宮殿といった場所だった。他界の冒険に参入できるのは、恐怖と謎に満ちた試練を乗り越えることの出来る英雄か、妖精に連れ去られる恋の幸運に恵まれる者だけであった。これがアーサー王の物語の中では、封建社会の騎士道や宮廷風といった衣装の下に隠れはするが、幻想の魅惑をその文学に与えることになるのである。

クレチヤン・ド・トロワ『聖杯物語』14世紀 写本 漁夫王の城のペルスヴァル

「室内は、館の中を蝋燭のあかりで照らしうる最大限の明るさで、とても明るかった。二人があれこれと話し合っている間に、とある部屋からひとりの小姓が、白銀に輝く槍の、柄の中程を持って入ってきて、炉の火と寝台に坐っている二人との間を通った。そして、その場に居合わせた人たちはみな、銀色の槍、銀色の穂尖を見、一滴の血が槍の尖端の刃尖から出てきて、小姓の手のとろまでその赤い血は流れ落ちた。その夜そこへ来たばかりの若者は、この不思議を見て、どうしてこんなことが起こるのか、尋ねることを差し控えた。(天沢退二朗 訳)」

ペルスヴァルに騎士道を教えたゴルヌマン・ド・ゴールが、彼に教えた忠告は、「あまりしゃべり過ぎないように気をつけよ」ということだった。

「そのとき、また別の小姓が入ってきた。手には、それぞれ、純金で、黒金象眼を施した燭台を捧げていた。この、燭台を持ってきた若者たちは大変に美しかった。それぞれの燭台には少なくとも十本ずつの蝋燭が燃えていた。両手で一個のグラアルを、一人の乙女が捧げ持ち、いまの小姓たちと一しょに入ってきたが、この乙女は美しく、気品があり、優雅に身を装っていた。彼女が、広間の中へ、グラアルを捧げ持って入ってきたとき、じつに大変な明るさがもたらされたので、数々の蝋燭の灯もちょうど、太陽か月が昇るときの星のように、明るさを失ったほどである (同上)。」聖杯=グラアルの登場である。

グンデストルップの大釜 前1世紀 ラテーヌ期
銀製 デンマーク国立博物館 グンデストルップ出土 豊穣の釜のイメージを彷彿とさせる。

「その乙女のあとから、またひとり、銀の肉切台を持ってやってきた。前を行くグラアルは、純粋な黄金でできていた。そして、高価な宝石が、グラアルにたくさん、さまざまに嵌めこまれていたが、それらはおよそ海や陸にある中で、最も立派で最も貴重なものばかりだった。まちがいなく、他のどんな宝石をも、このグラアルの石は凌駕していた。さきほど槍が通ったのとまったく同じように、行列は寝台の前を通りすぎて、一つの部屋から次の部屋へと入って行った。若者は、それらが通りすぎるのを目にしながら、あえて訊ねようとしなかった、グラアルについて、誰にそれで食事を供するかを (同上)。」

この聖杯には聖体が入っており、それに血の滴る槍となれば、キリスト教の秘跡や儀式と結び付けるのは容易だ。槍はキリストの脇腹を突いた兵士ロンギヌスの槍であり、杯はキリストの血を受けた聖杯と考えるのは自然なことではある。ロンギヌスの槍をアニメ、エヴァンゲリオンのオリジナルだと思ってはいけません。しかし、フラピエは、「グラアル」という名称が使われるのは聖杯や聖体器にはそぐわず、驚きだと言う。次に肉切台が出てくることからグラアルは食器の一つではないかと言うのである。

ジャン・フラピエ
『アーサー王物語とクレチヤン・ド・トロワ』アーサー王伝説の原型を知る上で貴重な著作である。

12世紀中盤に書かれた、シャルル2世と戦った9世紀のブルゴーニュの族長ルシヨン武勲詩『ジラ―ル・ド・ルシヨン』には大杯や鉢、などの他に金ラメのグラアルが挙げられているとフラピエはいう。また、12世紀後半に書かれ、アレキサンダー大王を扱った『アレクサンドル物語』には「相手とともにグラアルで食べた」という記述が登場するらしい。13世紀の年代記の著者エリナント・ド・フロワモンは、「グラアル」が当時意味していたものの一つとして、次のように述べている。グラダリスあるいはグラダレとは、広くて些か窪んだ器を言うフランス語で、高級な料理を肉汁と一緒に入れて順番に裕福な人の前に給仕するための器だと。俗にグラールツとも言う。

後の、隠者とペルスヴァルとの会話では、謎を解く隠者が、お前が槍やグラアルについて尋ねなかったのは、お前の出奔のためにみまかった母への罪ゆえだと語る。そして、かのグラアルで給仕を受けているのは漁夫王長者の息子にちがいない、そのグラアルの中にあるのはカワマスやヤツメウナギやサケではなく聖体なのだと明かしている。魚はキリストの象徴でもある。

ケルトの神話にもまた槍や豊穣の器の話が伝わっている。それは異界の護符としての火の槍になったり、赤く血に染まった槍となり、復讐や破壊の恐るべき道具となる。英雄ブランの物語は、漁夫王の話と平行な部分があるとフラピエは言う。異界の王、海神であり、不思議な鍋と豊穣の角を持つ。そしてまた、戦闘中、槍によって負傷し、統治を断念した王でもある。わりと似た話は、マビノギの第二の枝『スリールの娘ブランウェン』にあるアイルランドの大洋周航が城の濠や川を渡ることに縮小され、異界の宮殿の不思議は深い川のほとりに忽然と現れ、住人は説明のつかない形で消え失せる。漁夫王の城は、中世のそれと言うよりアイルランドのタラの王宮や異界の神が主人であるブリュイデンの宴の間といったものが相応しいという。

アーダの聖杯 8世紀 銀製、金、金銅など アーダ砦出土 アイルランド国立博物館

1952年の『アーサー伝説と聖杯』の中で、ジャン・マルクスは、こう述べている。かつて、異界の王の魔法の城の周辺は特別に肥沃な地だった。しかし、王の護符の一つであった魔法の武器 (槍や剣) によって、邪悪で苦痛に満ちた一撃を加えられた王は男性の機能を、あるいは生命を失い、その地は「荒地」となった。この災害は地上の城にも影響を与えることになるだろう。地上の宮廷から出発する聖杯の探索とは、不毛と死とに脅かされている異界の呼びかけに答えるものである。選ばれた者である主人公は、聖杯の城に入ってゆき、試練に打ち勝ち、邪悪な一撃による王の苦痛を取り去り、病身の王を治癒し土地に豊饒を取り戻すなら、自ら聖杯と異界の王となると言うのである。

フラピエは、我々が知っている『聖杯物語』とは、妖精界や魔術的な不可思議に属する要素を、キリスト教的な要素とまぜあわせていると述べている。ここには、かつてのケルトの伝承に関わる、料理をふんだんに生み出す魔法の鍋、酒やネクターを尽きることなくたたえる大甕、それらの延長線上にあるグラアルとキリストの秘跡による聖杯とが結びついたと考えてよいのだろう。行列の場面の周囲に広がる曖昧な雰囲気、聖と俗のまじりあったあの明暗は、二つの異なった構造を重ね合わせ、クレチアンの完璧な才能と華麗な主題の恵みによって詩的創造に結晶したとフラピエは強調するのである。

 

生命の聖杯と言葉の槍


 

このペルスヴァルの物語における「荒地」が、トーマス・スタン・エリオットの畢生の詩『荒地』のタイトルとなったことは、T.S.エリオット part1 『荒地』リシュヤシュリンガ・聖杯・アングロカトリックに述べた。ペルスヴァルの沈黙によって王の傷は癒されることなく、城の人々は消え失せるのである。彼はキリストの教えに背いて5年の放浪を続けて、とある隠者のもとに立ち寄り、回心する。そして、対位法的に進行するゴーヴァンの物語がアーサー王の母の住む城への到着と次なる展開が生み出されようとするところでクレチヤンの寿命は尽きた。荒地となった漁夫王の土地は回復するのだろうか。アーサー王伝説の源『ブリタニア王列伝』のアーサーは、アヴァロン島に向かったままその消息は明らかにされなかった。クレチンの死によってペルスヴァルの行へもまた謎のまま残されるのである。

死と生が交差するサウィンの夜、ケルトの民は食べ物を供えて先祖の霊や死者たちを供養したという。そのとき、死者の霊たちから生命の活力を授けられたのである。今日、ハロウィンに子供たちにお菓子を与えるのはその名残だと言う。このケルトの本源的交換と食べ物を生み出し続ける豊穣の釜=グラアルは、人間の罪故に殺され復活したキリストの象徴としての聖杯に重ねられた。クレチアンは、その巨大な二つの碁層を物語という言葉の血が滴る槍で諸共に突き刺したのである。死にかわり、生きかわる人間の生命の根源に達するまで。

 

参考図書 及び 引用文献

 

江藤淳『漱石とアーサー王伝説』1975年刊

『マビノギオン』「スリールの娘ブランウェン」「エブロウグの息子ペレルディルの物語」収載

ロベール・ド・ボロン 西洋中世奇譚集成 『魔術師マーリン』  2015年刊

ネンニウス『ブリトン人の歴史』最古のアーサー王に関する文献。ラテン語名アルトゥスという指揮官として登場する。

C・スコット・リトルトンとリンダ・マルカー『アーサー王伝説の起源』