松山俊太郎 part1 『蓮の宇宙』人生は虚しいですが、もとはタダですから。

 

松山俊太郎『インドのエロス』1992年

松山俊太郎さんの著作に耽溺しています。初めて読んだのは『インドのエロス』だった。インドの愛の詩について書かれているのです。そこではまず翻訳とはある作品を通じて何かを感じたところを、かなり不純に、そのごく一部をリプリゼントするほかはないと前置きがされている。優れた詩は絶対に翻訳できない。せいぜい原詩を置いて、辞書で引いても味わえない時に参考程度に読むものだと予防線が張られている。翻訳とは、どういう場合でもコメンタリー、つまり注釈であるとしています。

翻訳には上田敏をはじめ名手と呼ばれる人もいるけれど、言語感覚は天性のものだと思うので贅沢は言いません。堀越孝一さんがフランソワ・ヴィヨンの詩につけた注釈のような充実した注を付けていただくか、関口裕昭さんのパウル・ツェラン、そして、古川隆夫さんがエミリー・ディキンスンに関して書かれた解説のようなものを付けてくださればと切に願っています。それがあると詩の世界は、圧倒的な広がりを持つのです。

 

「さかしま」の交わりのさなか
臍の蓮華に坐るブラフマーをみとめたラクシュミーは
欲情の漲るゆえに
ハリの右目を たちまち 蔽ってしまう。
(ヴァッジャーラッガ 611、サッタサイー 816)

ちょっと見、これがエロティシズム溢れる詩とは思えない。松山さんは、インドではエロテックなものに対する抑制がないという。一方で、インド人は理屈が大好きで、過剰な抒情性もありはするが論理が優先するともいう。要するに理屈コネが好きなのです。どれくらい好きかというと、この詩を解説してもらえば分かる。

この詩にはハリラクシュミーブラフマーという三人の神様が登場します。ハリはクリシュナの別名でヴィシュヌ神の権化 (アヴァターラ) ということになっている。つまり、ハリ=ヴィシュヌということで、ヴィシュヌは宇宙神・太陽神とも考えられている。ラクシュミーは仏教でいう吉祥天のことで、富と繁栄と美の神で、蓮華の神様でもある。インドでは大地=蓮華という考え方があるらしい。もともと大地母神だったから旦那はいないはずですが、やがて優れた男神の配偶神となった。

ちなみに、この大地母神の系統には恋人や若い燕、息子がいて北はドナウ河から南はメソポタミアまでの広い地域に知られている。アナトリアのキュベレー女神にはアッティスが、シュメールのイナンナ神には息子とも夫ともされるタンムズがいるという分けです。

暗黒の大洋にいる難陀竜王 (アナンタ) の上のヴィシュヌとラクシュミー

この詩はハリ、つまりヴィシュヌとラクシュミーの睦事が詠われています。ラクシュミーは、まだ微睡んでいる旦那のヴィシュヌに「ねえ、あなたったら‥‥しましょう」という。旦那は寝ぼけている。それで、やおら旦那に覆いかぶさった。つまり、これが「さかしま」の意味です。これ以上解説するのは野暮なので止めましょうね。ですが、臍の蓮華はいささか不可解ではある。

臍はこの間、エリアーデの『宗教学概論』をご紹介した時に書いておきましたが、世界軸、世界の中心という意味がある。ヴィシュヌは、そもそも宇宙そのものだから、この神が起きている時には宇宙は展開していて、眠ってしまうと全てはこの神の中にたたみ込まれてしまう。ヒンドゥー教の神話では宇宙が創られる時は蓮の花の上ということになっていた。そして、伸びた蓮の花から顔の四つあるブラフマーが、まず生まれて、大地や大空を創っていく。

つまり、コトの最中にいきなり蓮華が出現してブラフマーが顔を出したのですから、ラクシュミ―は驚くやら恥ずかしいやらこの上ない。しかし、さすがに女神です。咄嗟にヴィシュヌの右目を塞いでしまった。ヴイシュヌも人格神であり、体は宇宙そのものであった。右目が太陽で、左目が月なのです。どこかの国の神話とよく似ていますよね。ヴイシュヌは熱烈な嫁さんの愛で目が覚めた。それで、宇宙に太陽が出て、蓮の花が咲いてブラフマーが現れる。右目を閉じてしまえば蓮も萎み、ブラフマーも引っ込んでしまうという分けです。つまり、このたった四行の情事の詩には、間テクスト的に、これだけの話が繋がっていると言うことなのです。なるほどですね。

 

蓮の研究の始まり


 

『松山俊太郎 蓮の宇宙』安藤礼二 編  細江英公 写真

松山さんという人は随分変わったひとだった。こんな人は大好きだ。蓮のことばかり研究していたのに、インタヴュー『松山俊太郎 蓮の宇宙』ではこう答えている。蓮ね。嫌いじゃないけど、それほど好きでもない。やらなくてもいいことしかやらないと若いころ決めた。興味を持ったのは昭和34年頃 (29歳前後) という。

大学の頃は「時間」について研究しようと思っていた。時間は生きてさえいれば存在しているし、牢屋に入っても研究できる。それで将来研究しようと思っていたが本を集める時間がないことに気づいた。たまたまインド詩をやることになったので蓮なら二・三十年やれば何とかなると思ったという。ほんとかなあ ?

梵文学なら成績が悪くても卒業できるし、なんせ志望者が少なかった。しかし、そこで、辻直四郎 (なおしろう) という厳密な自然科学的な方法論を持つヴェーダ学の顕学に出会った。これが良かった。芸術のような学問を見せつけられた。

松山家は金沢の骨董商を営む家系で、父は東京で産婦人科・小児科の医院を開き、父親が院長、母が副院長だった。1930年に生まれる。1943年、軍国主義的な規律の厳しい東京府立第四中学に入学。1946年、16歳の時に進駐軍に向けて飛ばす風船爆弾を作ろうとして、部屋で手製の手榴弾を分解していた時、爆発。左手の手首から先と右手の親指を失い。人差し指と中指が変形した。飛んできたのは母親で平手打ちをくらわされ、天井に張り付いていた肉片は犬に食わせたと言う。かなりあぶない青少年だった。

そう言えば、ウィーンで会ったアントン・レームデンという先生のことを思い出した。ウィーン幻想派の画家だったが穏やかな立派なひとだった。彼も片方の手首から先がなく、利き手は人差し指と小指しかなかったと思うけれど、恐ろしく緻密な絵を描けるひとだった。彼の場合は、戦争で失ったのではないかと推測している。

慶応を受験したが、面接官だった西脇順三郎と1時間も話した後に東大にいくことを勧められたという。東大文学部に入学。同級に阿部良雄、種村季弘、吉田喜重らがいた。1955年、25歳の時に紀伊国屋書店の洋書注文カウンターで澁澤龍彦と偶々同時にサドを注文して名乗り合ったと言う。これは大きな出会いであった。その後は、外国人に日本語や日本文化を教えたり、色々な大学で非常勤講師をしながら研究を重ねた。

編者の安藤さんによると、バーに行く道すがら「ウォーン」と遠吼えたり、「バウ、ワン」と吼えたりしていたという。酔っぱらうと、道すがら出会う女の子に「ハウ、マッチ」と声をかけていた美大の先生なら知っているけれど、そんなことはいいか。松山さんは2014年に亡くなっている。

 

インドの回帰的終末と神の時間


 

ミルチャ・エリアーデ『永遠回帰の神話』

インドの時間について、これほど繰り返し述べている人も珍しいのではないかと思う。具体的な数と期間の例は、先ほどの『松山俊太郎 蓮の宇宙』に詳しい。インドにはヘシオドスの四 (五) 時代説とプラトンの大年を組み合わせたような説がある。ヒンドゥー教のアタルヴァ・ヴェーダからマハーバラ―タやマヌ法典へと繋がっていくユガ・カルパ説である。これは、バビロニアあたりの「万有回帰説」がもとになっているらしい。これについては、エリアーデの『永遠回帰の神話』をご覧になると良い。天文学が発展した地域では、時代感覚も天文学的になるのらしい。

セネカの伝えるバビロニアの神官ベロッソスは『バビロニア誌』を著した前3世紀の人だ。43万2千年周期(120×60×60) を説いているが、楔形文字の60はもと10であったことから元々1万2千年周期 (120×10×10) と考えられるし、ペルシアのゼルヴァン教も1万2千年周期を採用していたと言う。インドもイランもベロッソスよりも早い段階で、この「時の輪」に影響されたのだろう。これに遅れて、やはりバビロニアから四つの時代を持つ「頽落的時代説」が輸入され、輪の円周は4分割された。

インドの周期の最小単位は「年期」yuga である。印欧祖語で軛を意味する。最初のクリタ・ユガ (黄金時代) は4000年続き、その前に曙の400年とその後に黄昏の400年が加わる。そして、3000年のトレター・ユガ (白銀時代)+曙300年・黄昏300年、2000年のドヴァ―パラ・ユガ (双部) +曙200年・黄昏200年、1000年のカリ・ユガ (濁悪時代) +曙100年・黄昏100年となっている。時代は段々悪くなっていくのですが、今は最悪のカリ・ユガの時代です。かくして、一つのマハー・ユガは12000年続き、インド・アーリア的な構造が闡明にされる。四つのユガは、それに応じた維持原理としてのダルマ (法) があり、それぞれ四本から一本足で立つ「牝牛」に例えられるといいます。

ブラフマーとサラスヴァティ―(弁財天)、ヴィシュヌとラクシュミー、シヴァとパールバーティー

一つのマハー・ユガが「神の年」の1年であり、それが360年続く、それが宇宙の一周期432万年となり、これが1000回続いて1カルパ (劫) となる。2カルパはブラフマー (梵天) の1昼夜となっていて、この神の寿命は100歳あるいは108歳とされている。100年とすると311兆400億年となる。僕は、さすがに松山さんのようにブラフマーの寿命を計算する気にはなれない。このブラフマーの昼には14人のマヌ (ノアのような存在) が現れる。ともあれ、ブラフマー神も永生ではないのである。しかし、ヴィシュヌの寿命は無限となっている。

神の年の1年= 1マハー・ユガ                        1万2千年
宇宙の一周期­=360年 1万2千年×360                 432万年
1カルパ (劫) = 宇宙の一周期×1000回             43億2千万年
ブラフマー神の一昼夜 = 2カルパ               86億4千万年
ブラフマー神の寿命 = 100歳 86億4千万年×360日×100  311兆400億年

ユガの終りの火も、その大規模なカルパの終りの火も万有破壊し、大蛇を臥床とする唯一の実在のヴィシュヌの体内に帰滅し、この最高神の「夢」の中で秩序を回復し、再創造を待つことになっている。それをかみさんのラクシュミーが「ねえ、あなたったら‥‥」と起こしてしまったのが冒頭の詩という分けだ。現在はヴィシュヌが猪に化身して大地女神を悪魔から救出した神話にちなみ「猪の劫」と呼ばれていて、ブラフマーの51年目の最初の一日であり、7人目の人祖マヌであるヴァイヴァスヴァタの在世期の「7回目の大洪水」を経た「正午直前」、457番目のカリ・ユガにあたり、この暗黒時代は紀元前310年2月18日の金曜日に始まったと言う。しかし、ここまで追求する彼は何者なのだろうか。

 

ユガとアヴァターラ


 

アヴァターラという言葉がありますよね。権化とか訳されるけれど、神の天界からの降臨あるいは地上への出現、とりわけヴィシュヌ神の十種の化身の顕現を指す。その他に予期せぬ者の出現、神のような人物という意味もある。元もと降下するという動詞から作られています。

最古の古典『リグ・ヴェーダ』では大きな地位が与えられなかったヴィシュヌだけれど、叙事詩『マハーバーラタ』ではブラフマー、シヴァと並ぶ三大神となった。やがてシヴァとヴィシュヌが最高神となるが、シヴァは破壊の神であり、そのアヴァターラは人気がなく、権化はヴィシュヌのほぼ独占となった。叙事詩の中でラーマやクリシュナとして活躍するから、その理由も分かる。これから、それぞれのユガでのヴィシュヌの権化が登場する神話をご紹介しましょう。

クリタ・ユガ(黄金時代)

①魚 小さな魚となって旧約聖書のノアにあたる人祖7代目のマヌ・ヴァイヴァスヴァタに大洪水の到来と救済を告げる。巨大魚となったヴィシュヌは仙人と動植物を載せた船を引き高い丘に逃れさせる。また、ブラフマーからヴェーダ聖典を盗んだ悪魔ハヤグリーヴァを退治し、ヴェーダをマヌに与え、人類の新たな指導原理を教えた。

②亀 陸地を背中で支える亀、なんだか蓬莱山を支える亀みたいだ。神族と魔族がマンダラ山に巨蛇ヴァースキを絡ませて綱引きした。この時、亀となって海中でマンダラ山を支えて、その攪拌を成功させた。これによって「甘露」とその杯を持つ「神医ダンヴァンタリ」、「幸運の女神ラクシュミー」、「酒神スラ―/ヴァ―ルニー」、「月 (チャンドラ) または神酒ソーマ」、「仙女ランバー/アプサラス水精群」、「神馬ウッチャイヒシュラヴァス」、「宝玉カウストゥバ」、「天木パーリジャータ」、「如意牛スラビ」、「霊象アイラーヴァタ」、「螺貝パーンチャジャニヤ」、「霊弓シャールンガ」、「猛毒ハーラーハラ」という14の宝貴が出現した。

ヴィシュヌのアヴァターラであるヴァラーハ 
8‐9世紀 クリーブランド美術館

③野猪 (ヴァラーハ) 「ヴァラーハ・カルパ/野猪の宇宙周期」と呼ばれる劫のはじめ、海底に沈んでいた大地をヴィシュヌが野猪となって水に潜り、悪魔のヒラニヤークシャと千年も戦って、捕えられていた大地女神を救い出した。大地を浮上させると平坦な大地を山で飾り七大陸に分ける

その後、ハリ(悲哀の除去者)という別名で四つの顔を持つブラフマーの姿となって、その「激質」を展開することによって生類を創造した。

④人獅子 ブラフマーの恩寵により昼も夜も、神・人・動物によっても、それが住む宮殿の外でも内でも殺害されないという保証を得た悪魔ヒラニヤカシプは、三界を支配し、神々の供犠を横取りしていた。ヴィシュヌは、時あたかも昼でも夜でもない黄昏に、人でもなく動物でもない人獅子となって宮殿の内でも外でもない柱の中から現れて、悪魔を爪で裂き殺した。

 

トレーター・ユガ(白銀時代)

ヴィシュヌのアヴァターラとしてのヴァーマナ (矮人) とバリ王(中央)

⑤矮人 (ヴァーマナ)  アスラ王のバリは、功徳を積んで三界を支配していた。しかし、住処と供犠を失った神々はヴイシュヌに救いを求めた。ヴァーマナとなってバリを訪れ、三歩の範囲だけ土地を譲ってもらえないかと頼んだ。人の良い王は、その願いを聞き入れた。ヴィシュヌは実相を現して巨大になると第一歩で全地上をまたぎ、二歩目で全天を覆い、三歩めはもう空間が無かったのでバリの頭の上に載せて彼を地下世界にめり込ませた。しかし、憐憫から地下世界をバリたち魔族に支配させた。この話は、バリに同情が集まって人気がないらしい。

⑥パラシュ・ラーマ (斧を持つラーマ)  シヴァ神から、武器の扱い方を教わり、斧を授かったので「斧のラーマ」と呼ばれる。ブリグ仙の後裔ジャマダグニの第五子で、父親の命で母を殺し、蘇生させて妻とするも罪を咎められず長寿と不敗を得たという。バラモンである父を殺したクシャトリアの王カールタヴィーリヤとその息子たちの仇をうつためにその国に21回も斧を振るい、彼らを平らげるとその領土をバラモン族に献じた。

⑦ラーマ  叙事詩『ラーマーヤナの主人公クシャトリアのダシャラタ王の子ラーマチャンドラーとして生まれ、魔王ラーヴァナに奪われた妻シータ―をランカー(セイロン)島から奪い返す。

 

ドヴァ―パラ・ユガ (双部)

⑧クリシュナ(黒いもの)  ヴァスデーヴァとデーヴァキーの第八王子。母親デーヴァキーの弟カンサは姉の8人の子供のうちの誰かに殺されると予言されたため、姉と義理の兄を幽閉し、6人の子供を次々と殺した。7番目の子バララーマとクリシュナはヴィシュヌの黒白2本の毛髪の権化だったために難を逃れる。クリシュナは生地マトゥーを逃れ、牛飼いのナンダと妻ヤショーダーの養子となった。

幼年には既に蛇王カーリヤを打ち取り、インドラの怒りに触れた牧女たちを守ってゴーヴァルダナ山を支えた。カンサ王を成敗した後ドゥヴァーラカーという都城を築いてマトゥーの住民を移した。クリシュナの不品行は有名だが大愛の象徴として許されているという。愛があるんですよね。兄のバララーマを第八権化に当てる場合もある。

 

カリ・ユガ (濁悪時代)

ヴィシュヌのアヴァターラ カルキ 1765年

⑨仏陀  ヴィシュヌは現在の最も堕落した時代に仏陀として現れる。誤った教義を弘め、悪人や悪魔たちに、ヴェーダの学習を放棄させ、階級制度などの社会秩序を無視させて、彼らを破壊に導くという。

⑩カルキ  彗星のごとく輝く剣を持ち白馬にまたがって天空に姿を見せる未来に出現する救世主。聖典が権威を失い、人の寿命が23歳までとなる暗黒時代に現れ、来るべきクリタ・ユガ(黄金時代)の法に従おうとする者を救済する。

 

アヴァターラの配列とその意味

松山さんはこれらのアヴァターラは、ある意図をもって配列されているという。そこを少しご紹介しておきましょう。①~⑤はヴェーダ・ブラーフマナ・叙事詩に用いられた神話的要素をヴイシュヌに結び付け、一貫した進化論的配列に従って表現している。魚 → 亀 → 野猪 → 人獅子 → 矮人といった順である。最初の4つは、クリタ・ユガに現れるので世界の創成とも関連している。

⑥~⑧は堕落に向かいつつあるとは言え、現在のカリ・ユガより、よほど良い時代ではある。⑥のパラシュ・ラーマ (斧を持つラーマ) の話はバラモンとクシャトリア階級の争いといった歴史的事実を反映していると考えられ、⑦と⑧は既に叙事詩で有名となっている化身で、「正義の勝利」の後の「善政による人類の救済」がテーマになっている。

⑨は仏教が既に侮れない存在になっていたことを示していて、大乗仏教において太陽神格の相貌を持っていた仏陀が、同じく太陽神としての性格を持つヴィシュヌのアヴァターラとされていることは興味深いのです。

⑩は救世主カルキに劣らず乗り手の神格的特性を表す白馬の存在が重要だという。ヴィシュヌは神馬ウッチャイヒシュラヴァスに乗り、釈尊はカンタカを持ち、オーディンはスレイプニルがあり、黙示録のキリストは白馬に乗って再臨する。これらの馬は「太陽」の象徴だという。この権化が「アシュヴァ・アヴァターラ/馬の権化」と呼ばれるのには深い意味があるというのである。それゆえこの白馬はアヴァターラの最後を飾るに相応しいと松山さんは強調します。

 

睡蓮と蓮


 

この『都の恋』はインドの詩の中でも傑作と言われる作品らしい。ちょっとミニチュア―ルな絵画的趣があると松山さんお勧めの詩である。女性の名前は固有名詞で呼ばないことが鉄則なのです。しかし、間違えてしまったからには跪いて詫びを入れるほかないわけですが、床に「のの字」ならぬ別の女性の姿を描いてしまい、恋人に一発お見舞いされるという顛末です。


運命に見放されたわたしは
ほっそりとした女の前で
名を言いちがえて恐れをなし、
途方に暮れて 取り止めもないものを床に描きはじめた。
ところが いかなることか
その線描たるや、今度は
手足を備へた 他(あだ)し女の姿が
はっきりと浮かび上がるといふ始末。


さて それに気付くと
淑やかな女も
頬がふるへて真赤な色に染まり、
思ひがこみ上げて 急に 泣きくずれ、
「ああ、何てことが起こったんでせう。」
と叫びながら、怒りにまかせて
ブラフマーの武器のような左足の一撃を
わたしの頭に見舞ふのだった。
(『都の恋』)

インドには『シュリンガーラ・ティンカラ』という古詩集があり、八つの基本的な情調のうちの〈性愛情緒〉を主題にしている。松山さんは、それを〈好き心〉と呼んでいますが基本的に貴族・王族の有閑文学なのでホレたハレたが基本であるらしい。

青睡蓮で 君の眼を、蓮華で 顔を、
素馨 (そけい/ジャスミン) で 歯を、
チャンバカの花びらで 肢体 (からだ) を
創造主 (かみさま) は つくって下さった。
恋人よ、その神様が なぜ きみの
心にかぎって 石で作りなさったのだ。(『シュリンガーラ・ティンカラ3』)

冒頭は、美女の体の各部を自然の景物になぞらえながら定石通り神を讃えている。青睡蓮と蓮華が登場するが、蓮、睡蓮、オニバス、オオオニバスはそれぞれ属を異にする植物らしい。文化史的には睡蓮と蓮はしばしば一緒くたに扱われてきた経緯がある。

ハス~スイレン=ロータス

エジプトにおけるパピルス (左) とロータス=スイレン (右)

ハス~スイレンはロータスという言葉でまとめられる。中国や日本には、この二つをまとめて表す言葉がない。インドで、蓮=パドマは紅いハスであり、白い蓮はブンダリーカと呼ばれる。エジプトでは北の花がパピルスで南の花がスイレンで代表されていて、このスイレンはロータスという名で呼ばれている。

ナイル川はパピルスとスイレンをそれぞれ頭に載せるハピ神として表現された。詩文では「スイレンはかれ (アメン・ラー神) のゆえに心愉し」とか「死が今日は眼の前に見える、スイレンの花の香のように」といった文学的遺産があるという。このスイレン=ロータスの文化的影響は建築物の面で顕著に表れる。スイレン柱頭は、東方に向かってイランでそのまま使われ、インドでは蓮柱頭になったという。

インドの最古の文献『リグ・ヴェーダ』の千あまりの賛歌の中で、ハス~スイレンの言葉が現れるのはプシュカラ (青い睡蓮) の数回とブンダリーカ (白蓮) の1回だけだった。しかし、後代になると古典語サンスクリットだけで500語を超えるという。土着語に加えて「水」「泥」「生じた」などの語をくっつけて合成語が多用されたからである。

アショーカ王の獅子柱頭 前3世紀 蓮柱頭が見られる。

中国人は、インドにおけるブンダリーカ (白い蓮) の格別の意味を知らなかった。それで、ロータスを青、黄、紅、白に無理に色分けした。睡蓮を知らない時期が長かったので黄色い蓮や青い蓮を想像してしまい、特に青い蓮を尊崇すること涙ぐましいほどだったという。

そのため経題『サッダルマ・ブンダリーカ』を『正法白蓮華』と訳すべきところを『妙法蓮華』と誤訳してしまった。この経題が『法華経』の中核となる秘密のキーワードであることを気づかないまま、壮大な教学の体系を樹立してしまったというのです。このことについては 次回part2 の『蓮と法華経』でお伝えすることにします。ご期待ください。

中国と日本の蓮

それでは中国と日本で蓮や睡蓮はどのように扱われていたのでしょうね。中国人が考えた最大の蓮は「蓮花十丈藕如船」という唐中期の詩人韓愈 (768-824) の詩の中に残っている。直径30メートルの蓮の花で藕 (ぐう/蓮の根) は船のようだというものですが、インド人の妄想の後では何を見ても聞いても衝撃力に乏しいらしい。

中国文芸で蓮の使用例は唐以前に300例、唐で1500例、宋で約3万例と急増して、その後は数えきれないそうです。清の乾隆帝は、4万2500ほど詩を作ったと言われますが、そのうち1千首に蓮を用いているようです。

俳句が無かったら、蓮に関する日本の文芸は中国に及ばなかったと松山さんは言います。短歌にも蓮を詠ったものはあるが、圧倒的に俳句に蓮が多く詠われている。俳句は鋭敏・繊細な観察の集中的表現によって、インドの〈〉、中国の〈文〉と特長を競いうる日本の〈〉の凄みを世界に示したという。

おのづから月宿るべき隙もなく 池に蓮の花咲きにけり     西行
はちす咲くあたりの風のかほりあひて 心のみづを澄す池かな  定家

蓮の香や水をはなるる茎二寸    蕪村
すっぽんも朝飯得たか蓮の花     一茶
ほのぼのと舟押し出すや蓮の中    漱石
昼中の堂静かなり蓮の花       子規

 

華厳の世界と無限的空間


 

「とにかく、人生というものは『虚しい』と言えば虚しいわけですが、しかし、もとがタダですから。それをタダと思わないから、いろいろ不安になるわけで‥‥。まあ、まえに述べた華厳経の世界観、つまりわれわれが生きている〈娑婆〉なんてものは、華厳経で説いている、いろんな世界の中のごく一つにたまたまぶつかっただけで、俺がこの世に出してくれと言ったわけじゃないんだから責任を負わなくていいんだ‥‥という立場から言えば、あんまりこだわることはないと思うんですね。まあ、これは、わたくしの華厳経を読んでのよこしまな印象かもしれませんが‥‥。しかし、わたくしは、ほんとうにそう思いますね(松山俊太郎『インドを語る』)。」

この人の人生観は、なんか、あっけらかんとしていい。華厳経の時間についても語られているのだけれど、これを考えるとちょっと頭が痛くなりそうなので空間の方をご紹介したい。これとても、高次元幾何学ばりの想像力が必要とされる。まあ、お付き合いください。

須弥山と仏教世界 タンカ 19世紀 ブータン

ジャイナ経も教もヒンドゥー教に比べれば新興宗教なので、時間も空間の概念も負けじとインフレ化します。仏教で一番小さな世界は、私たちの住んでいる世界 =〈娑婆世界です。お釈迦さんの布教地域から広がった四つの島大陸があり〈四洲世界と言われ、中心に須弥山があるので〈須弥世界とも言われる。

その上方に35倍の直径を持つ千倍くらいの広さの〈小世界〉が広がる。それがまた、千個集まった世界が〈中世界〉、この〈中世界〉が千個集まったものが〈大世界〉ですから千の三乗個 (十億個) の世界が在る。これが〈三千大世界です。一念三千の三千ですね。虚空の中にはこの〈三千大世界が、ちょっと分からないほどの数散らばっているという分けです。

華厳経以前では〈欲界〉〈色界〉〈無色界〉という三層構造になっていて色界より先は時間はあっても空間のない世界だった。なので、この〈三界〉以上の大きな世界を考える必要がなかった。しかし、華厳経はもともとヒンドゥー教にある教えの方を取り入れた。宇宙は無を表す闇の海から蓮が出て、その上に形成されるというものです。ビシュヌの臍から出るのと似てますね。

風の輪に支えられた海にあるこの巨大な蓮の中にも海があり、また蓮が咲いているという入れ子構造にした。その最も中心にある蓮の上に天文学的な数の同じグループを作る世界がホットケーキのように二十段重なっている。その13段目のホットケーキの中にある一つの世界の中に〈娑婆世界〉がある。この〈娑婆世界〉は私たちが住んでいる世界よりもはるかに大きなもので10億個で出来上がっているというのです。ヒュー・エヴェレットの多世界解釈による宇宙論を思い出したりします。

世界は耐え忍ばなければならないものであっても、こんな途方もない巨大世界であり、その中のあらゆる生き物は一つ一つが綺麗な花であるような美しい世界である華厳経は私たちに悟らせようとしている。何となく中村圭子さんの「生命科学」の世界を思わせるけれど、こんな雑花荘厳の世界であることも悟るまでは分からない。自分が住んでいる世界が一人の神様や一つの原因から成るとしたら如何にも息苦しいけれど、このような華厳界で考えれば、それが出鱈目だとしても、ものすごい開放感があったと松山さんは言う。まあ、辛い、虚しいと言っても、世界は綺麗な花々に満ちているという分けです。悟らないうちは空華ですが、元手はタダですから空のままでいいと松山さんは言うんですね

 

松山俊太郎の人生観


 

「わたくしは、どちらかというと思想というものが嫌いだから、思想の内側から考えるというよりも、外側から考える傾向がひじょうに強いんですね。この点、三島由紀夫さんという人も、やっぱり思想というものを外側から見て、それで〈思想の形態学〉なんてものを考えたんじゃないかと思います。(『インドを語る』)」

松山俊太郎『綺想礼賛』 文芸批評集

そうなんですね。松山さんは何十年も蓮を研究したけれど、それをまとめて体系化しようとはしなかった。構造主義的に研究していたのかどうかもよく分からないけれど、多分それはないんじゃないだろうか。

三島由紀夫さんは『豊穣の海』の製作動機を語った中でこう述べている。「ある若い仏教学者に聞いたら (松山さんのことらしい) ‥‥ 唯識思想のよくできているところは、ちょうど、水の中に一段一段降りて行く階段があって、知らない間に足まで水がきて、知らない間に胸まできて、知らない間に溺れているというふうに出来ている。それが思想だというものだというのです。」

それから三島さんはいろいろ考えた。哲学と芸術というのは、やはり、ここが違う。芸術は、そんな論理的に一歩一歩入っていくことはできない、論理に頼れないから、いきなりエモーションをつかまえる。芸術家というものは、小さなひとつの世界をつくることはできても、全世界をそのなかに放りこむことはできない。というのも、体系がなく、論理がないから。これは芸術の宿命だと思うとおっしゃるのです。人間を一歩一歩狂気に引きずり込むような哲学体系を小説の中に反映させたらどんなことになるだろうと考えた (松山俊太郎『綺想礼賛』)。

思想の形態学〉というのは、よくは分からないけれど『豊穣の海』の主題めいたものはよく分かりますね。次は澁澤龍彦さんに関する逸話です。渋澤さんは、支那の皇帝のようであったと松山さんは言います。他国から貢物を持っていっても、支那の皇帝は皇帝ゆえに、貰ったものの三倍とかを必ず返すというシステムになっていて、貢物をタダで取るようなケチなことはしないというのです。おおっ!  これは、何かものを尋ねてもそうだった。極めて明晰な論理で答えてくれる日本人には稀な人だった。それは、何事によらず自分の考えで基本的なデータができるまで掘りさげて考えているからであって、渋澤さん独自なロジックとして答えてもらえるのは、とてもありがたかった松山さんは言います。

一方で、どこかの星から落ちてきて、落ちたところの砂場のようになった所で、一人が色々並べて遊んでいるような人なんだけれど、その遊びというものが非常な普遍性と典型性があったと言います。比べていいかどうか分かりませんが、インド人は、かなり幼稚な人たちじゃないかと思う。役にもたたないことをやり過ぎる、しかし、体系そのものは深遠かつ壮麗だったともいうのです。

松山俊太郎『インドを語る』インドを様々な角度から語る松山エッセイ。

あらゆるものを「空ずる」という立場は一種のニヒリズムであるけれど、根底にそれがないと思想も行為も、真に積極的なものにならないのではないかと松山さんは言う。思想というものは現実と関係ない所へ進みがちである。人間の心の平和や真の幸せとか、どの民族でも考えているけれど、人間がそういう考えを持つためには現実と真実の間に膜が必要になる。認識はヴィドヤー(明)とアヴィドヤー(無明)の皮膜の間にしか成立しないのではないかと感じている。

日本人は、元々空 (くう) の中に生きていたんではないかと松山さんは考えている。空というものを自覚しないほどの空の中に住んでいた。空ということを物事にこだわりをもたない、というふうに考えれば、一般的な水準として空は受け入れやすい構造を持っている。

事が起こる前にあらかじめ色々な事柄と対処方法を考えるタイプと事が起こってから考えるタイプとに人間を分けるとしたら、日本人は後者に違いない。危機管理に弱い所以ですね。しかし、日本人は事が起こった時、行き当たりばったりに考えて、しかも反応が短い。事に当たって的確に判断して反応するためには、「素直」である必要がある。意識するとしないとに関わらず、物事を「ありのまま」に受け止めていけるという性質が絶対に必要だという分けです。

まあ、いろいろなご意見があろうかと思いますが、松山さんはそう考えていた。ここは、「生まれたのはタダですから」という言葉に繋がっていく。この飄々とした有り様が彼の人生観だったと言えるのでしょうが、緻密かつ厳密なインド学の学理的追求態度と著しい好対照を示している。この懸隔が実は松山さんの魅力と言えるのかもせんよね。

 


次回は、「松山俊太郎 part2『蓮と法華経』正法の白蓮華とは釈尊なのか ?」をお送りします。太陽存在としての釈迦は白蓮華と結びついて法華経に結実した。この壮大な松山仮説をご紹介する予定です。次回は限定公開となりますので、ご覧いただくためにはパスワードが必要になります。ご希望の方は下のコメント欄にパスワード希望とお書きください。パスワードをお送りします。コメントを公表されたくない方は公表不可と書いてくださればと思います。詳しくは、「これからのブログ公開について」をご覧ください。


 

参考図書

松山俊太郎『蓮と法華経』