テオドール・アドルノ『美の理論』+『補遺』 芸術とは奥歯を噛みしめること

 

アドルノは、こう書いている。「芸術に相応しい態度があるとするなら、それは眼を閉じ奥歯をじっとかみしめて、こらえるといった態度なのかもしれない (『補遺』大久保健治 訳)。」

テオドール・アドルノ『美の理論・補遺』

しかし、何時まで噛みしめていればいいんだ。もう歯が痛い。齢をとれば歯も危ういではないか。骨粗鬆症にもなりやすい。そもそも、芸術は終焉に達しているという議論さえある。長らく噛みしめてきたが、もう終わっているらしい。これは、歴史を通して、繰り返し色々と言われてきた問題なのだけれど、モダニズム以降特に目につくようになったと彼は言う。とりわけモダニズムに対する共産主義による破門宣言は、この問題の展開のエポックになった。

社会的進歩の名のもとに美的な運動は中止を余儀なくされたと言うのである。こうした事柄を思いついた共産党幹部の意識は古くて小市民的なものにすぎなかった (『補遺』)とアドルノは言うが、思想の上で、ヘーゲルが頭ごなしに感性的なものに対する有罪宣言をしたことに発端は、あるのかもしれないともいう。

この判決が、全体主義体制のモダニズム批判への追い風なった可能性はある。ナチズムやスターリニズムを過去の事として安心してはいられないが、問題は、芸術内部にあった。この終焉の議論は、弁証法的に新しいモード (形態) が先行するモード (形態) に対して突如、論争を挑むという形で出現し続けてきた。これはいつの時代にもあったけれど、確かにモダニズム以降クローズアップされて来たものだ。

優れた芸術は、わめきたてる文化哲学にとって単なる点に過ぎないかもしれない。しかし、その点は無限の豊かさを含む。この豊かさに対して、偽りの芸術廃止は野蛮を運んでくるという。芸術は外部から出現することは不可能であり、内在的な継続が必要とされる。それは、そもそも自身を否定して新たなものを展開しつつ持続していかなければならないという二律背反を背負ってきた。自らの没落を、我がものとする運命なのだ。だが、芸術にとって必要なの持続すること」であるとアドルノは言うのである。芸術とは大五郎なのだ。じっと我慢の子であれと言う。

テオドール・アドルノ『自律への教育』

今回は、長らくの宿題だったアドルノの遺作『美の理論』及び『補遺を取り上げたい。以前にアドルノの著作『自律への教育』を訳者の一人である柿木伸之 (かきぎ のぶゆき) さんに御恵送いただいていて、まじめにアドルノの著作を読まなくちゃと思っていたのだけれど、ようやく今回、それにこぎつけた。この『自律への教育』は、アドルノの著作としては読みやすいものだ。「アウシュヴッツをくりかえさない」をテーマに、当時主体だったラジオや新たに登場したテレビといったメディアと教育との問題を扱っている。その半分は、後にマックスプランク研究所の所長となるヘルムート・ベッカーとの対談を収録したものだった。

第二次大戦後、15年を経てもフライブルクなどでのユダヤ人墓地にナチス時代のスローガンが落書きされるといった問題が起こった。その一方で、ホロコーストを過ぎ去った出来事として清算しようといった風潮があった。この著作は、それらに対して「過去の総括の意味」を問うものだった。この問題はドイツの画家キーファーが歴史問題を扱う理由の一つになったことは関口裕昭 『パウル・ツェランとユダヤの傷』 メランコリアに咲く薔薇で少し触れておいた。過去の凄惨な「記憶」を犠牲者たちへの供犠とし、そのための方法として自己の偏見のメカニズムを意識化すること、そのための民主的な教育を重視した。幸福や平和を成就させることのない野蛮を永続化している文化を問う。このことを啓蒙し、自立に到るための権威の内在化とそれからの離脱というプロセスの必要性を訴えるのである。このことは、アドルノの考え方の一つの原型になっているように思われる。

アドルノは、1903年ドイツのフランクフルト・アン・マインに生まれた。ゲーテの生まれた街だ。ユダヤ系の父親はワイン商を営み母はイタリア系の声楽家だった。フランクフルト大学で哲学、心理学を学び、フッサールに関する論文で学位を取得する。この頃、8歳年上のマックス・ホルクハイマーの知友を得る。後のフランクフルト学派の代表になる人物だ。

ここで、何故かウィーンに出てアルバン・ベルクに師事する。音楽に対する憧れは母からの影響だろうが、新ウィーン楽派という新たな音楽の胎動に胸弾ませたのかもしれない。しかし、二年程で作曲家の道をあきらめ、故郷に戻った。学問の研究を再開すると同時にウィーンの前衛音楽雑誌『アンブルッフ』に投稿し始め、音楽批評家として以後も活躍するようになる。音楽に対する愛情は生涯続いた。これはいい。1931年にキルケゴールを主題に教授資格論文を提出し、その資格を得た。フランクフルト大学の私講師をしていたが、ナチスが政権を握ると、教授資格を剥奪される。オックスフォード大学で学位の再取得を目指し、イギリスとドイツを往還したが、ホルクハイマーからの誘いでニューヨークの社会研究所へ移り、1938年にアメリカに亡命することになった。その後、ホルクハイマーとの共著『啓蒙の弁証法』や自身の『否定弁証法』を発表するなど、活躍はご存知の通りと思う。

今回は、具体的な例が多い『補遺』の方を適宜織り混ぜながら『美の理論』の内容をご紹介したいと思っている。部分部分のテキスト群を並列させながら、全体の中である焦点に結び合わせようとする書き方は、読んでいてスッとは頭に入らない。全体を見据えながら部分にこだわるかららしい 。ジャコメッティみたいだ。しかし、少し慣れると宝探しのような面白さがある。いささか、慰めにはなったろうか。手元に置いて折に触れ、読んでおきたい著作だ。

 

芸術への哀悼歌


 

テオドール・アドルノ『美の理論』

「芸術に関して自明なことは何一つないことが自明になった」とアドルノは『美の理論』の冒頭に述べる。それは、骨の髄まで曖昧なものとなった。しかし、ここまでハッキリと言われると何かスガスガしい。

芸術における自由は、それを消えてはまた生ずるような多年生植物のような状態にした。礼拝に奉仕するという機能を振り落として自律性を獲得はしたが、その自律性も人間性を支えに生きながらえてはきた。しかし、社会が非人間化されることによって、それも危うくなったと言うのである。自由と自己の尊厳の名のもとに主観の専制が始まる時、自然美は徐々にその存在する余地を失っていった。芸術は、それにとって不可欠となった世俗化によって憂さ晴らしのためのアトラクションとなり、慰めの言葉を贈り届けると言う罰を与えられている。なんとも情けない話になっている。

芸術作品は経験世界から離脱し、それとは対立する独自な本質を持つ世界を創造し、あたかもこの世界もまた存在するかのように示すものなったのである。古い地層に手をつけて質的に変化させ、異質なものとなる。そうなることができるのは、さまざまな時代を通じて形式の力を武器に既存のものに背を向けたためであった。形式化することによってある種の安定を得てきたが、同時に形式は、既存のものの否定にも一役買って来たのである。彼の考え方はあくまで弁証法的だ。

アルチュール・ランボー 1883年頃 エチオピアのハラールにあったバルデ商事 (皮革やコーヒー豆を扱った) に勤めていた頃。

アドルノにとって芸術作品はモナドだった。となると、彼の唯物論的アプローチは手段に過ぎないのかもしれない。モナドは精神的な最小原理である。窓を持たないが全てを映し出す鏡でもある。たとえ、外的な歴史性を模倣することがなくとも、それ自体が外的歴史性を映し出しているのである。この観点は僕の眼を開かせてくれた。芸術は徹頭徹尾歴史的であると言うが、それを歴史的変化の中で演繹的に導き出すことは不可能であるとも言う。かつて、芸術は歴史的な変革を夢見て反逆の狼煙をあげたが、今日では自身への反逆へと取って代わられている。ヘーゲルの「芸術は没落の時代に入った」という文化批判も低落の歯止めにはならなかった。

芸術のためのレクイエム、その序奏は、ランボーが沈黙の後、詩作を捨ててエチオピアでサラリーマン生活に入った100年以上も前に、既に奏でられていたのかもしれない。今日の美学は芸術への哀悼の辞となるかもしれないが、それに決着を付けようにも、今日の美学はそのための力を持たないと言う。許されているのは、その終末を確認することだ。文化が文化と呼ばれるに値しない野蛮なものの側に寝返ることなのだというのである。さあ、哀悼の鐘を鳴らすのはアドルノだけなのだろうか。

 

モダニズムは精神的テロ行為である。


 

新しさの概念は、禍に満ちた社会的傾向と市場における新しさの概念をない交ぜにしたものだとアドルノは言う。禍に満ちたとは如何なることか、まず見ていこう。新しいものは儚い、それは死にゆくものであり、死にゆくままに任せればよい。これが市民的存在論の根底にある新しさに対する憎悪だと言う。我が縄張りへの新たな侵入者に対する警戒感に等しい。1970年に、この著作が出版されていることを思うとなにか微妙だ。この頃は、科学的進歩が謳歌されはじめ、新しいものへの期待はあったと思う。そのような新しさは、社会的に有用なものとして活用のメカニズムに資してきた。市場における新しさの概念とはこれだ。

芸術に関して社会が保守的であることは、かつても現在も、ピカソの絵が理解できない作品の代表であることをみれば容易に分る。新しさというセンセーションは、そのような故意に作られた市民的恐怖/反感と同時に市民的な活用のメカニズムに順応して来た。現在では、テクノロジーの進化によってメディアアートやテクノロジーアートとか言ったものが進展してきている。それは、新たな手段を持つアートとして期待され、社会に受け入れてもらい易いかもしれないが、安直な合理性や目新しさだけに走るとただ消費されるだけの存在と化してしまうことは否定できない。アドルノは、第二次大戦後、美的な技術至上主義が技術的革新の代わりに芸術そのものの科学化を追求し、そこでは芸術は無力なものになった(美の理論)と言う。

宮川淳 著作集Ⅱ「絵画・あるいは無名の思想」収載
1980年刊

「新しさには、同時に自由への誘惑が輝いている。」この誘惑は魅惑的だ。新しさは、これまであったものを否定するものだが、やがて、これまであったものとなる運命にある。常に差異だけが反復される。モダニズムの質とは、そのようなものなのである。それは時代遅れなものとして捨て去るわけにはいかない。何故なら、支配的な装置に押し込められ、規格化される我々の生活に対する抵抗となっているからだ。しかし、抵抗が増せば増すほど混沌は深まる。

かつて、芸術は神を捨て、今度は芸術そのものを侵犯し続けてきた。この近代芸術の方向性はモダニズムによって先鋭化される。美術評論家の宮川淳 (みやかわ あつし) 氏は、芸術が存在し得たのは、神によってであれ、美によってであれ、常に隠され、偽られることによってであると述べている。

美を犯してでも現実に忠実であろうとした芸術はついに、もはや現実的であることに満足せず、さらにそれ自体が聖なる現実になろうとした。しかし、美術が自己を否定し続けてその先に見たものは「ただの不在であった」と述べている (『絵画・あるいは無名の思想』)。この人は、至極まっとうな美術批評家だと思うけれど、ちゃんと読まれているんだろうか ? 昨年 (2021年) 、オンライントークでお話した、アメリカで活躍されている美術史家の富井玲子さんは、さすがに宮川さんのことに言及しておられた。

モダニズムは精神的テロ行為である。  世界のテロ行為は、それによる悲鳴を圧倒するばかりだが、芸術はテロを拒否する。  しかし、芸術のテロ行為は「公的な文化の低能ぶりにたいする恥じらいとして、その治癒に有効である」という。これは‥‥キビシイね‥‥文化的な貴族意識が窺えるところだけれど、理解できないことを恥じる、あるいは自らの趣味への習慣を犠牲にするといったことを恐れない人には、作品という外部から心の内部へと向かう道が開ける可能性があると言う‥‥ドウカンダ !

工業化が物質生産にもたらした行動様式と新しさという美的範疇を分けて考えることは難しい。特に新たなテクノロジーが目白押しの現在ではそうだ。ベンヤミンが展示を媒介に両者を結び付けられると仮定していたらしいが、この問題は解決されていないとアドルノは述べている。

ボードレールはこう述べたと言う。「こんな貧寒な日々に、一つの新しい産業 (写真産業のこと) が出現して、芸術とは自然の忠実な再現以外のものではないし、またあり得ない、と言う浅薄な愚物どもの信仰を強めることに少なからず寄与した(「1857年の絵画展」に寄せた言葉)大久保健治 訳」 複製技術がアウラを喪失させるというが、全てそういう分けでもなかった。複製の仕方でキッチュなものになる場合もあるが、優れた写真にはアウラが顕現した。例えば、ウージェーヌ・アジェやカール・ブロスフェルトの写真は美しかったし、後のタルコフスキーや黒澤の映像は素晴らしかった。

問題なのは大衆文化の製品には利益が埋め込まれていて、見慣れたものの論理を越えようとする態度が無視されるということなのである。これが、いわゆる〈文化産業〉の弊害だった。これに対して、先鋭化したモダニズムは商品を経験することによって研ぎ澄まされてきた。それは、商品というものを知らない至福の野で咲き誇る薔薇ではないというのである。

モダニズムの歴史が成熟を目指す努力の歴史であるなら、幼稚な芸術に対する嫌悪感が組織化されたものの歴史だとも言える。インテリアという実用に耐え、狭小な合理性に囚われる時、芸術は幼稚なものとなる。同様に、芸術は、その目的を忘れ、手段を呪物化して目的に変えるたぐいの合理性にも反抗して来た。フェティシュにはモダニズムと相いれない部分があるのだ。モダニズムは、このような合理性を越えて非合理的であることを公言してはばからないと言う。しかし、成熟のうちから出現する未熟さもある。それが遊戯の原型であるともアドルノは言うのだが‥‥

芸術作品が自由から生まれることは芸術の誇りであり、自由なくしてその存在は危うくなると言えるが、それは芸術の奸智だとアドルノは言う。そのつど初めて作られるものは、作り出された瞬間に崩壊するような均衡を保っている。それがモダニズムによって闡明化されたテロ行為なのだ。彼は、「芸術作品において自己自身を、つまり部分としての自己を乗りこえて行くものは自己自身の没落を求めるものであって、作品の全体性とは没落の総体にほかならない (『美の理論』)」と述べる。ボードレールによっていち早く禍の鐘が鳴らされた時代、そのような時代から進展してきたモダニズムは死の兄弟だったと言うのである。

 

形式は構成する 直観は飛躍させる 無は創発する


 

パウル・クレー『造形思考』

論理や形式が芸術にとって有害な場合がないでもない。モダニズムは、そのような可能性を突然照らし出したと言う。芸術作品は自らのイデーを充たすために自身のイデーが意図するところを壊さなければならない。これは形式とそこからの逸脱という昔ながらの問題に行きつく。

クレーはこう述べている。「わたしたちはひたすら構成し続けるが、それにしても直観は依然として大切なことである。直観によらなくてもかなりのことはできるが、すべてのことはできない。‥‥原理から言えば、それは直観なしで進められる。それはあくまで論理的でありうるし、構成されもする‥‥ (『造形思考』土方定一 他訳)。」論理の切断やそれへの介入が芸術には必要なのである。

一方、ポール・ヴァレリーは『詩学「カイエ」より』でこう述べている。形式は内容と同じくらい多くの思考をもたらし、母なる観念についての考察と同じくらい、豊かに観念を生み出す。そして、形式には、《自分の思考を表現する》という素朴な問題とは逆向きの問題がある。それによって存在価値を発揮すると言う。というのも、詩においては、これらの規則が我々の技術 (アール) の高貴さを作っていると同時に、いかなる確実さも、いかなる楽な道もなきものにしているからだと言うのである。一方で、詩の規則は、霊感への障害物である。それでも、この束縛/妨害が重要だと述べる。〈霊感〉という素朴な観念は、それが稀なものだと判断され、意のままに獲得されるものではないことを要求する。ヴァレリーにとって規則は思考の調教の技術であり、霊感は精神の無秩序から現れるトポスを照らす稲妻だった。形式は骨格を構成し、内容は筋肉を形成し、霊感によって血が通うというわけだ。

ポール・ヴァレリー 『ヴァレリー集成Ⅲ』
『詩学「カイエ」より』収載

ヴァレリーは考える、自分が望むことと自分に可能なことのあいだを、 自分が見るものと自分がもっているもののあいだを、戦闘を受け入れたり拒んだり、敢行したり思いとどまったりしながら、ジグザグに帆走したりし、計略を用いて擦り抜けたりする術を芸術家の内密な感覚は、本能的に教える機能を持っているというまあ、何かを作ろうとする者なら誰しも思いあたることだろう。面白いのは、ジョイス以降の散文が整合性のある論証的な言語を停止、あるいは目立たないものにしようとしてきたアドルノが述べていることだそのような努力を払っても作品の形式的枠組みを重視し、それに従属させようとしたという

アドルノは、トラークルの詩は論証的論理と美的論理との相違とを示す良い手掛かりであると言う。一続きのイメージは確かに論理や因果律の手続きによるが、意味はずらされ、繋がりにくくされている。日常的な論理の整合性は、ないがしろにされると言っていい。詩人は、存在しないものが存在しているかのように語らせるとアドルノは言うが、それは、見えないものを見えるようにするというクレーのポリシーにも通じるものだった。

連想そのものは仮象だが、その仮象が作り上げていく構造は、音楽的な上昇と下降のなかで、その構成要素が曲線を描き、色あいを分散させるのに似て単純な連想へと傾斜することがない。論理的な繋がりの中に曖昧に変形されたものが紛れ込んでいく。イメージの構成要素は、形式的枠組みを組み立て、詩を組織するが、詩をして単なる偶然や個別的な事例を超えた世界へと昇華させていく。ある瞬間が他の瞬間を引き込む。そのような力能は論理や音楽における結末が要求するような力なのだと言うのである。そこには合理性もありはするが、分散した全てを繋げようとする力といって良いものかもしれない。形式による美学は単純には否定できない問題なのである。ともあれ、アドルノの指摘するようにトラークルが奏でるイメージ配列は美しい。

 

アーメン

腐ったものが朽ちはてた部屋のなかをすべってゆく。
黄色い壁掛けにうつる影。ほの暗い鏡のなかでは、ぼくたちの
手の象牙色の悲しみがアーチを描いている。

茶色の真珠が死んでしまった指のあいだを滑り落ちる。
静けさの中で
ひとりの天使の青い罌粟 (けし) の眼がひらく。

夕暮れもやはり青い。
ぼくたちの死にたえてゆく時、*アズラエルの影、
それが茶色の小庭をほの暗くする。

(ゲオルク・トラークル/吉村博次 訳)      *アズラエルは死の天使のこと

 

形式的な枠組はけっして無視できない。それは、数学的な比例、幾何学的な整合性、緊張や均衡と言った力学的な形式さえも含む。これらの機能を無視するなら過去の偉大な作品を捉えることはできないし、基準として実体化することは不可能になるとアドルノは言う。詩人は、もはや髪振り乱す錯乱家でも、熱に浮かされて作品を書き上げる情熱家でもなく、夢想家に仕える冷徹な学者、ほとんど代数学者であるとヴァレリーは述べている (『文学の技術について』)。

形式は切っ掛けに過ぎないが、内容についての多様な契機から切り離すことが出来ない。形式的枠組み、つまり形式的範疇は形式化されるものに応じて自らに変更を加える。この変更が一貫して否定を通して実行されてきたのがモダニズムの過激化であった。様々に形式の枠組みは回避され無効にされたのである。このような形式と霊感の生動も元々バラバラな要素をいかに一つに結び付けるかという方法の中での葛藤となる。芸術の真実内容は、感覚的なそれぞれ要素からではなく、それらの関係性の中から浮かび上がって来るものなのである。

創造は無から始まる。形式や霊感以前に全てはここから始まる。これはキリスト教的創造のみに限定しない。アドルノは、こんなふうに言う。芸術にある根元的要素に内在する無は、統合をもくろむ芸術を無定形なものに引き下げる。この内在する無が高度に組織化されて行けば行くほど、芸術を無定形なものへと引き下げる引力も逆に増大する。しかし、これらの要素は無に接近する場合にのみ、純粋に生成するものとして全体に溶け込むことができるようになるというのである (美の理論)。関係性を構築する力能は無に接する場に近ければ近いほどその発現と威力を高める。この生成過程が作品自体の歴史的運動であり、それを解釈し、批評することがアドルノにとって作品の「客観的理解」なのである。

ちなみに、逆の面から孔子は、こう述べている。天、性 (人間の実存)、鬼 (霊)、死は定義できないものである。しかし、詩などの芸術によって象徴的に知ることができるという(『論語』)。芸術には定義出来ないものをある仕方で知らしめる力があるというのである。そこに芸術の価値がある。

芸術作品の真実は、概念の尺度から測りえるものではなく、制作の過程において無のトポスから現れる偶然的なものを吸収し、それを内在的必然に変えられるかどうかという点にかかっているのだとアドルノは言う。それは形式と霊感がせめぎ合う場所で起こると言える。霊感は少なくとも意識に上ることであるが、意識に上らないでやってしまえていたことも多い。それは、行為と結果とのアブダクションと言っていいかもしれない。38憶年の生命進化の三つの鍵の内の一つは予測不能性であった。アクションペインティングやチャンスオペレーションといった意表をつくような不確定な要素が創造的な機能を持っていることは否定できない。唐の時代、既に筆が舞い墨が飛んで形を成していった發墨の画家たちの作品や狂草と呼ばれる書が登場している。つまり、根元的要素の形成作用は非線形的なのである。創発はカオスの縁で起きると言うのは実は古くから知られていたことなのかもしれない。  そのことを僕は随分前に書いたけれど、このコンセプトに興味を持ってくれたのはアラン・ロンジノだけだった。文学的に言えば、芸術創造の底には不条理なもの、測り知れないものが横たわっているということなのである。

 

芸術の即物性と芸術の非現実性


 

芸術作品は、当然ながら物である。音楽も楽譜やCDを媒介にするなら物である。演劇や演奏も肉体という現実の物体が行い、音や姿が形成されるなら物と言えなくもない。芸術には、この物質性の他に心地よい響き、調和した色彩、口当たりの良さといった特性があるが、芸術作品を覆うそこはかとなく漂うものである。カワイ~と見せかけたり、ポニョッと表面上に漂い始める例の感覚である。それは際物と化し、文化産業のトレードマークになったとアドルノは言う。感覚的満足は芸術にとって歴史的に敵対的なものになったのである。何故だろう ? 感覚的な魅力は、ベルクの『ルル』やアンドレ・マッソンの作品においては内容の担い手か機能であるという。内的な真実を運ぶ舟と言えるが、そのような場合でも、けっして、感覚的な魅力を目的としてはいないというのだ。芸術が断念したものは、美的に感性的なものを通しての模倣だった。

芸術を精神的なものとだけ規定することは、その物質性を否定することになる。精神的契機と物性は互いに鍛えあう。芸術作品は自らの精神を通して、自己を乗り越える。しかし、その精神は同時に、それに死をもたらすというのである。それは、自己を乗り越えなければならない強制的反省によるのだった。

芸術作品には、感覚的に美的なもの、感覚的に心地良いものが、この数千年に亘り随伴してきた。感覚的なもの作品の現実性に纏 (まと) わりついていたが、この美的なものと物的なものは重層的に重なってはいない。ここで、アドルノは重要な指摘を行う。「物としての構成が、その状態の力によって、作品を物でないものに作り上げる」というのである。内容の現実性が内容を真実性のあるものにするのだ。ルドルフ・シュタイナーは、美は「理念のごとくに出現した感覚的現実」であると述べている。これは正解だった。

理念とは対象化されず、意図どおりに的確に与えられないような客観性だとアドルノは言う。ベンヤミンは、「芸術は出現するものである」と述べた。それは、けっして秘密めいたものではないとアドルノは注釈する。そして、ついに、芸術作品の現実性は、芸術作品にとっても非現実であるという。つまり、妄想であると言うのだ‥‥オイ、オイ‥‥ これがアドルノの否定弁証法の手管でしょうか。芸術作品の物としての状態は、自己を止揚するための媒体なのだと締めくくる。それゆえに、作品の全体性とは没落の総体にほかならず、主観の消滅に他ならないのである。

芸術作品の仮象は芸術作品の精神的本質のうちにその起源を持つと言う。仮象とは簡単に言うと〈見てく〉や<見せかけ>のことだ。アリストテレスの言うように感性世界の仮象と見なすことも、プラトンのように真の存在としての純粋精神と見なすこともできないと言う。芸術は存在であり、精神を存在するものとして眼前に突きつける。こうして仮象としての精神を唯一の存在物として吟味するという。それは、即自存在という欺瞞であり、同時に即自存在としての欺瞞を否定するものである。芸術作品は精神を直接的に感性的なものへ変容させるのではなく、作品の感性的諸要素相互の関係を通して精神になるというのである。‥‥ココは、読んでいてウットリとしてしまう所だ‥‥こんな僕は、ちょっと変なんだろうか。

 

美的仮象の行へ


 

仮象とは芸術作品から現われ出るものとしての仮象であり、同時に芸術作品そのものとしての仮象である。それは、矛盾している。これが芸術作品の美を哲学的に追及できない理由だとアドルノは考えている。少なくとも完全にはできないと言う。もし、芸術の未来を問う問いが不毛なものでなく、技術至上主義の嫌疑を免れるものなら、「芸術は仮象を越えて生き延びれるのか」という一点に向かうとアドルノは言うのである。

美的仮象が19世紀に入って実証主義の台頭によって強化され、芸術は〈事実〉として存在するものと考えられるようになる。部分の寄せ集めで構成されたものに過ぎないことを隠蔽しようとして仮象性は絶対的なものとしての地位を与えられる。ヘーゲルの言う芸術信仰が生まれた。具体的には、ワーグナーの音楽である。この幻影的側面に異を唱えたのは長編小説家であるプルーストやジイドだった。小説の流れに注釈を挟んで中断するやり方は、芸術を人間によって作られたアプリオリに物の世界と置き替えられることを示している。

芸術は生えた角を振り落とそうとする動物のように仮象を振り落とそうとしてきたという。芸術の首尾一貫した反抗は、芸術が芸術以上のものであり得るという不遜な思いを抱かせることとなった。それに対する罰は、単なる物にすぎないものへと逆行することだった。今日の芸術はアウラに対するアレルギーを発症しているが、非人間的な社会性と無関係ではないと言う。芸術作品は狂信的に純粋であろうとするあまり、純粋性そのものを疑い、とうてい芸術とはなり得ぬものを表出するに至った。その行き着いた先がハプニングであったと言う。枠を壊そうとして掘った先は自分の足許だったと言うわけである。ハプニングを強調したフルクサスにも一分の理はあったのだが‥‥。

しかし、真正な芸術作品は、幻影的なものから最後のアウラの吐息さえ拒絶するものに至るまで、ある言語を語り続ける。偶然に主観が語るものに過ぎないものを浄化するための努力を続けるなら、作品の持つ言語は、その努力に応じて、いっそう彫琢されていくものなのである。作品は不可能を現実にする力業である。現状肯定的なイデオロギーに気に入られる作品は、すぐれた芸術は単純なものであると言う命題に方向づけられている。しかし、力業という理念は、芸術行為という概念によっては捉えられない段階に達している時のみ、その実体をさらけ出すと言う。

マルセル・デュシャン (1887-1968) 1920-21
マン・レイ撮影 Yale University Art Gallery

アヴァンギャルドの時代、その芸術と寄席やミュージックホールの出し物とが互いに共感しあっていたのは、この力業故であったかもしれないとアドルノはいう。極端なもの同士が繋がり合えるのではないか。そのような芸術は、内面性を食い物にする中間的な芸術の領域、つまり文化的であろうとして芸術のあるべき姿を裏切っているような芸術領域に対抗していたというのである。内面性、つまり純粋な主観性を強調してきた表現主義は既成のものを否定するあまり、完全な貧困化に陥り、ただの叫びになった。ダダは、この主観性を維持したが、体制的な人間たちの冗談のタネになり、ついに自己自身を冗談のタネとしたというのである。デュシャンの芸術は、そのような土壌から生まれているということはハッキリわきまえておく必要がある。ボイスがデュシャンの沈黙は過大評価されていると言ったのも宜 (むべ) なるかなである。

 

21世紀の美の理論


 

認識は自らの状況から未来を推論すると言う誘惑から逃れられない、それは瞬間のうちに自らを押し込むとアドルノは言う。現在は足枷でもあり、踏み台でもある。「芸術作品は芸術作品自体であり、同時にまた常に、芸術作品自体の他者でもある‥‥本質的に超美的なものは、美的なものから引き離され、両手で握られたかのように錯覚されると、たちまち蒸発してしまうためである (『美の理論・補遺』)」とアドルノは繰り返す。

もはや、芸術家はカスミを掴もうとする地に落ちた哀れな仙人といったところだ。このアドルノの遺作と言われる著作が発表されて既に半世紀を経た。この間に、状況が改善されたとは思われない。そう思っているのが僕だけなら、それは、それで結構なことだと思うのだが‥‥さて、この20世紀を代表する美の理論に対して21世紀の美学を彩る著作は生まれるのだろうか。残念ながらロザリンド・クラウスやジョナサン・クレーリーではアドルノに対抗できない。海仙、山仙の我らは、奥歯を噛みしめながら、次の朗報を期待している。それが、モダニズムの終息宣言であろうとも。アドルノは言う。芸術は謎である。その謎は芸術の本質的体験のうちに消え去る。思考によって捉えきることのできるものは芸術ではない。

 

今回のブログでは、『美の理論』の全体をカヴァーしていません。アドルノ独特のミメーシスの概念や自然美の問題など重要な部分は、まだまだあるのですが、今回はこれくらいにしておきます。続きはまたの機会に。

 

 

参考文献 及び 引用文献

 

テオドール・アドルノ『否定弁証法』
アドルノの主著

ヴァルター・ベンヤミン
『複製技術時代の芸術』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『トラークル詩集』吉村博次訳
「アーメン」収載。

『アドルノ美学解読』藤野寛、西村誠 編 音楽、美術、哲学などの複数の著者によるが、玉石混淆の感がある。