ジョルジュ・ディディ=ユベルマン part1 『時間の前で』美術史は預言の学となる

 

ディディ=ユベルマン『時間の前で』

ジョルジュ・ディディ=ユベルマンは極めて特異な美術史家である。イメージ人類学者と呼ぶ人もいるが、彼はイメージを象徴としてではなく、徴候と捉える。これは、ヴァールブルクとベンヤミンに連なる系譜と言ってよい。その首尾一貫したテーマは、歴史記述におけるアナクロニズム、つまり時代錯誤の復権であった。しかし、歴史を時代錯誤してどうするんだろうか ?  実証的で正確な過去を描き出そうとするクロノジカルな従来の歴史に対して、抑圧反復の中で振動する記憶としての歴史が、亀裂や飛躍や退行を含みながら渦を巻く。それは、動的な反歴史主義的思考とさえ呼び得るものなのである。ふーん、そうなんだ。

この美術史家は、美術史の枠からはみ出しそうな、ちょっとスケールが大きい人だけれど、大好きだ。特に興味を引かれるようになったのは美術史家アビ・ヴァールブルクを扱った大著『残存するイメージ』触れた時で、そのは何かあると思いつつも、掴みきれなかった。ヴァールブルクのイコノロジーに人文科学という学問上で市民権を与えたのは、彼の弟子たち、とりわけ、パノフスキーやザクスルたちだった。エルヴィン・パノフスキーは、ヴァールブルクの考えの中の〈残存〉と呼ばれる特異な部分を取り去って従来の美術史との整合性を保とうとした。それは、大成功を収めたが、奇妙だが重要な部分が、ごっそり抜け落ちたのである。ディディ=ユベルマンはそれを「悪魔祓い」と呼んだのだけれど、彼はブルクハルトの「文化の生」、ゲーテの「メタモルフォーゼ」、ニーチェの「永劫回帰」、フロイトの「反復強迫」などを援用して〈残存〉の復権を図る。パノフスキーがイコノロジーを高らかに言祝いだ時に、産湯と一緒に流した奇妙な赤ん坊を拾って育てようとしているのはディディ=ユベルマンなのである。大きな仕事じゃないですか‥‥

 

ジョルジュ・ディディ=ユベルマンは、1953年6月13日フランス中部のサン=テティエンヌに生まれた。奇しくもアビ・ヴァ―ルブルクの生まれた日である。運命なんだと本人が思ったかどうかは知らない。祖父はユダヤ系のチュニジア人で、祖母や大叔母ら家族と共にアウシュヴィッツの強制収容所に収容され、母とその兄弟だけが生き延びている。父親は画家だった。父方の姓であるディディと母方の姓であるユベルマンの両方を継承しているようだ。

リヨン大学で哲学を学び学士を取得後美術史に転向して修士号を取得したが、ボッロミーニの建築とケプラーの天文学についての研究テーマは美術史の埒外とされた。ここで、既に既成の学問からはみ出した。それで、パリの社会科学高等研究院に籍を移す。ここで、ルイ・マランとユベール・ダミッシュという鬼才たちに新たな美術史を学び博士号を得た。鬼才は、鬼才を知るんだろうか。その博士論文は『ヒステリーの発明』として出版されるが、ヴァールブルクへの道が開かれようとする感じのするテーマだ。

フラ・アンジェリコ『コルトーナの受胎告知
1433-1434 部分  左下の大理石模様

女優の姉、エヴリーヌ・ユベルマンの影響もあってか演劇の世界で一時、活動するようにもなる。アンドレ・エンゲル、ベルナール・ソーベルといった演出家のもとで助手を務め、コメディーフランセーズで有給職も得たようだ。この体験は重要かもしれない。その後、1984年からローマのヴィッラ・メディチで2年間、さらに、ハーヴァード大学研究奨学生としてフィレンツェのヴィッラ・イ・タッティーでさらに2年間学んだ。ヴェネチアでも半年学んでいる。このイタリア滞在中にフラ・アンジェリコのフレスコ画やドナテッロの彫刻と決定的な出会いがあった。

この出会いは、『フラ・アンジェリコ 神秘神学と絵画表現』という著作に結実している。僕がディディ=ユベルマンを最初に読んだ著作だ。フラ・アンジェリコのフレスコ画にある通常は装飾と言っていいような大理石の部分を抉り出す著作だったが、変わった人だと思った。1990年から社会科学高等研究院で教鞭を執っている。

彼の著作は随分多い。『ヒステリーの発明』、『ニンファ・モデルナ』、前回のキム・へスン『死の自叙伝』でご紹介した『ヴィーナスを開く』、ヴァールブルクのムネモシュネの解説である『アトラス あるいは不安な悦ばしき知』、アウシュヴッツを扱った『イメージ それでもなお』などがある。こういった著作の中でイメージの前で』とこの『時間の前で』はセットになっているけれど、今回は『時間の前で』をご紹介する。本書ではプリニウス、ベンヤミン、カール・アインシュタインが俎上に上がっている。とりあえずプリニウス、そしてベンヤミンの残存とモンタージュ、アインシュタインの闘争としての美術史、最後に預言の歴史という順に述べてみたい。

 

プリニウス 美術の起源と歴史の分離


 

プリニウスは、古代ローマの博物学者として知られている。かたや、ヴァザーリはイタリア・ルネサンスの美術家である。話は、ヴァザーリが、プリニウスの美術史を転覆させたという話から始まる。プリニウスは百科全書的なツリー体系という開かれた認識の体系を持っていたのに対して、ヴァザーリは芸術を形態の特殊で自律的な知として捉えていたという。

プリニウスにとって、医術を頂点とする「技芸」が『博物誌』の通奏低音である。これは芸術という概念よりは広い。彼の考える技芸はローマ的であり、反ギリシア的であったといわれる。ローマが基準なんです。この世界初の美術史には、表象の問題、芸術のジャンル、様式の区分、いずれもない。あるのは原材料種類、石、金属、粘土などとの営みである。彫金、塑像、染色といった現在では工芸と呼ばれる活動が主として語られる。絵画の始まりは、エジプトかギリシアが、その祖を争っているが、プリニウスは、ローマ的起源を問題にする。ここでは、歴史的時間が分裂しているのである。彼にとって問題なのは、ローマの法と正義と権利の観点から表現されるイメージとその類似が展開される系譜なのである。

プリニウスが博物誌を書いた時、既に美術は無きものであった。美術の起源は死んでいたのである。「確かに肖像画 (イマギウム・ピクトゥーラ) は、極度の類似を持った表象を長い間伝えていたが、ともかくもうすっかり廃れた」という。実は、イマギウム・ピクトゥーラは肖像画と訳すべきではない。なぜなら、その頃ポンペイでもプリニウスの別邸があったカンパーニアでも肖像画は盛んだったからである。彼の言うイマギウム・ピクトゥーラは、実は蠟で型取りした顔面像に彩色をほどこしたものを指していた。この型は、芸術に関わるイデアや作者の才能、魔術的技芸と関わらない。蝋や石膏といった材料と顔との直接の接触によって生まれる。もっとも、彩色の巧拙はあったかもしれないが‥‥。

ジョルジュ・ヴァザーリ (1511-1574) 自画像

それは、先祖の葬儀において使われるだけでなく、一族に市民としての名誉と尊厳をもたらした人々の顔を後世に永遠に伝える慣習だった。家の栄光の記憶としてアトリウムなどに永遠に残されるべきものであり、家を買い取った人といえど、それを取り外すことは許されていなかったのである。公的な法と私法の境界上にある「イメージの権利」であり、医学や農業などの技芸と同様に社会のしきたりや法と質料 (マチエール)と形相 (フォルマ)といった自然界に対する尊厳をもって初めて、この肖像画は意味を持つのである。この尊厳は、ローマにおける装飾の過剰、性的な目的での材料として蝋の使用の過剰、個人の特徴より類型的な形につぎ込む高価な材料の過剰によって、いわば殺される。それは。ネロによって頂点をきわめるのだ。

肖像像は顔面から直接型取られることによって唯一の肖像となるが、貴族たちの娘には新たな像を複製して嫁ぐことが許されていたため増殖が可能となっていた。この類型の系譜の伝達は、類似の交換を許しながらも他者への伝達は禁止すると言う二重の役割に応えるものになっていたのである。ともあれ、プリニウスの『博物誌』では美術の起源とその歴史とは別個に扱われる。これはアナクロニズムですよね‥‥。

ヴァザーリにとって、中世の灰塵から蘇った美術は、あらゆる形象的対象が様式の歴史、構想の善し悪しという趣味判断、芸術活動に関わるジャンルといったものから語られるべきものとなっている。既に今日の美術史の足場は固められていたのである。しかし、美術の起源とその歴史とを分離しようと1918年に試みた男がいた。ヴァルター・ベンヤミンである。彼にとって起源とは、はるか昔に存在するものではなく、この現在において歴史的対象の各々にダイナミックに現出する渦巻だったのである。

ヴァルター・ベンヤミン 『ドイツ悲劇の根源』

ベンヤミンは教授資格試験のための論文『ドイツ悲劇の根源』においてパノフスキーのメランコリー観を取り入れていて、フーゴ―・フォン・ホフマンスタールを通じてパノフスキーにその論文の評価を求めた。しかし、ベンヤミンが受け取ったのは「冷淡でルサンチマンに満ちた」手紙だったのである。パノフスキーをそれなりの資質を備えた人物と考えていたベンヤミンは、当てが外れ、当惑もしただろう。

研究者によれば、ベンヤミンの「イデー」は、パノフスキーの「イデア」ではなく、二人のプラトン理解は正反対だったし、ベンヤミンのアレゴリーはパノフスキーの象徴ではなく、二人のカント読解も真反対だったという。ベンヤミンの人類学とパノフスキーのイコノロジーは対立的なものでしかなかったと言うのである。パノフスキーはベンヤミンのアナクロニズムを嫌悪したに違いない。何故なら、それは、彼が師であるヴァールブルクの美術史から周到に取り除こうとしたものに他ならなかったからである。このアナクロニズムはヴァールブルクの言う〈残存〉、ベンヤミンの言う根源〉と深く関わっていた。

 

ボードレール・フロイト・ベンヤミンと残存


 

ボードレールが『玩具のモラル』で指摘する「玩具の現在」は、無意識に沈んだ幼年時代の憶が考古学的な対象となることを指している。これは残存と呼応するのである。生命を持たないイスが馬になり、子供は御者となって乗合馬車が動き始める。しかし、遊びの中では生きていた玩具は、壁にぶつけられ、床に投げつけられたりといった破壊衝動の犠牲になることも往々にしてある。このような記憶は、突然、記憶に上らないでいた過去を目覚めさせる。その退行によって「魔術」、「アニミズム」、「悪魔的なもの」の世界との結びつきを回復させるのである。同時に、おもちゃが単にモノにすぎないと言う子供にとっての冷めた認識も存在していた。これは、民族学者のエドワード・タイラーが、子供の遊戯などに古い文化の名残 (survival) を見ていたのに通じる。

フロイトは、子供が、おもちゃなどの手に入る細々したものを遠くへ放り投げる遊びについて書いている。それは「いない、いない」遊び、母親が不在となるのを逆らわらずに許すという衝動放棄に関連することだった。おもちゃを見つけ出して喜ぶ再現、つまり喜ばしい母親との再会にまつわる前置きとしての遊びは、確かに快感に結びつく。しかし、最初の不在行為、つまり、おもちゃ投げの方が、単独で現れる回数としては圧倒的に多かったのである。ここでは快感原則よりも別な動機があり、あたかも子供は受け身であって、いわば、この体験に捉えられていたとフロイトは述べるのである。物を投げ捨てることが不在の母親に対する、怒りの表現である可能性もある。不快な体験をこと新しく反復する度にそれに対する支配の度は改善されていくのである。それによって生じるのは、いわば敵意に満ちた興奮と言っても良いものであるが、子供の遊びにおける二重性に繋がるといってよいのではなかろうか。

患者の無意識を意識化するという目標をフロイトは掲げていたが、患者が抑圧したものをことごとくは思い出せないこと、とりわけ本質的なものこそ思い出すことができないことに気づいた。患者は過去を一片として追想するのではなく、現在の体験として反復することを余儀なくされるのである。これが、反復強迫である。自我というものは、ほとんど無意識だが、意識的な自我と前意識へと抑圧されていたものが解放されることによって呼び起こされる不快を免れようとして抵抗が生まれるという。こういった基本情動と意識にまつわる事柄が、ベンミンやヴァールブルクがユングよりもフロイトに親しむ理由でもある。

反復強迫がもたらすものは、たいてい自我にとっては不快なものである。それは、絶対に思い出してはならないものを避けるための必要悪なのだ。いわば最悪の状態を回避しうる緩衝器であって、快感原則に矛盾しない不快であるという。このような神経症者の転移現象は、神経症でない人々にも往々に認められるものらしい。それは、彼らや彼女たちに付きまとう宿命、デモーニッシュな性格という印象を与えるものだとフロイトは言うのである。あらゆる人間関係が同一の結果に終わってしまう人達、どんな友人を得ても裏切られてしまう人、恋愛関係がいつも同じ終わり方をする人たち、それは、運命強迫と呼ぶべきものなのである。お断りしておくけれど、僕は人間が少なからずみんな神経強迫症だと言っているわけではありません‥‥僕には多少その気があるかもしれないけれど‥‥これは、ある種の本能の特性、脳が発現する基本情動のメカニズムのある側面を示す極端な例の一つなのです‥‥誤解のありませんように。

ベンヤミンは、こう述べる。「過去が現在を光で照らすとか、現在が過去を光で照らすとか、言ってはならない。逆に、イメージは〈むかし〉と〈今〉が閃光で出会い、星座を形成する場なのだ言いかえれば、イメージは静止状態の弁証法なのである (『19世紀の首都、パリ』)。」

現在と過去との関係は時間的に連続したものであると考えられているのに対して、〈むかし〉と〈今〉の関係は弁証法的なものだという。そこで展開される関係は、「いない、いない、バー」のようにギクシャクしたイメージなのだ。思考が緊張で飽和したイメージの星座のなかで静止する時に弁証法的イメージが現れるという。イメージは変容し続けるものなのであり、その静止は思考の運動における中間休止である。残存を気づかせる閃光は、時間のリズムの区切られた時、歴史以前の化石の空間を開くという。

ベンヤミンが『パッサージュ論』の中で古代化するパリをイメージした時、残存を活用することになる。雑誌売り場の女性にダナエの姿を、メトロの入り口が地獄の入り口に、道路わきのルンペンに古代の物乞いを、凱旋門の下の行進が古代の通過儀礼の姿の内に残存する。イメージは再び、模倣的身振り、魔術的神話力、占星術の予知的時間などへと結びつく無意識的模倣となってヴァールブルクの残存へとベンミンを導いていくのである。

アビ・ヴァールク (1866-1929)

アナクロニズム、ファンタスム、統御不能な性質といったイメージは、フロイトの言う抑圧された衝動の転移現象であり、心の平静を脅かす罪の源泉があることを示唆する。同時に抑圧されているものは何かという認識の源泉ともなる。そのようなイメージは、現在において歴史を解体し、歴史性をモンタージュするという。モンタージュについては後で述べる。イメージは、この時、悪意となる。思考のあらゆる跳躍やギクシャクした動きは、解体される事柄が徴候という悪しき事態と知という啓示によって二重の転調を見せるのである。それは渦巻状にして構造的な二重の転調と言える。子供の世界にみられる二重性を持った遊びは、イメージの形態論の中で再び照明を当てられる。この二つの異質な時間軸、そして、渦巻状の転調。それは、ある種の認識への転調でもある。

ちなみに、ベンヤミンの言う悪意とは、狡猾な方法で悪をなす性向、他人を手玉に取るように駆り立てる傾向であるが、狡知、ペテン、悪賢さ、子供のするような悪戯を指している。これはイメージの力強さであると同時に腹黒さ、表象の中での居心地の悪さである。破局に直結するような徴候を回避する心の機能、それは、強迫観念と恐怖症つまりヒステリーの状態とパラレルなのである。精神的に破局的な出来事を忘れるための心の防衛機能は当事者を手玉に取るような狡知と呼ぶべきものなのだ。

 

ベンヤミン モンタージュは悪意の渦巻


 

残存するイメージが、現在において構造化され、いわば自己組織化されていく時、過去は歪んだ形で突発に再生され、時間は、時計がそれぞれの部品に分解されるように解体される。その再生は渦のようにギクシャクとして歪んだ映像の不連続性を際立たせる。線形じゃないんです。ここは、カオス理論を先取りするかのようです‥‥。連続性の幻影は打ち破られ、映画におけるモンタージュのようなものになり、おまけにその映像は不可解なものなのである。それは解体を前提にしたモンタージュ、1秒24コマのモナドから成る映画のようなものなのだとディディ=ユベルマンは言う。そこでは、過去へと逆戻りし、埋もれた過去を想起し、同時にそれらを再構成するが、首尾一貫したストーリーを持たない。「歴史は解体されてイメージになるが、物語になるわけではない (『19世紀の首都、パリ』)」とベンヤミンは言うのである。

セルゲイ・エイゼンシュタイン(1898-1948)
モンタージュの技法を開発した映画監督 『全線』

1928年には、エルンスト・ブロッホがベンヤミンの方法を「哲学に応用されたシュルレアリスムのモンタージュ」と呼んでいたが、アドルノやその他の注釈者たちは、この美学的な形容に、ベンヤミンの考える歴史の「科学的」な妥当性に対する限界やアポリア (難問) を見ていた。この否定的な見解についてディディ=ユベルマンは、通俗的な「客観」「主観」問題にとらわれて明らかに本質を見誤っていると鰾膠 (にべ) もない。アドルノはベンヤミンの友人だったが、否定弁証法を通じて概念への到達を目指していたので主観・客観問題はついてまわっていた。一方で、ベンヤミンは文化全体が「夢を解釈する任務 (『19世紀の首都、パリ』)」を引き受けること によって、歴史の対象として無意識を引き入れようと考えていた。夢も登場するのである。

フロイトは、精神分析によって子供の精神的外傷の記憶を蘇らせる際に起こる夢について記している。この夢は、先ほど述べた反復強迫によって生じるものであり、忘却されたもの、抑圧されたものを呼び出そうとする願望によって支えられると述べる。そのような深層心理の有り様を人類へと拡張する時、狂気と神話がその俎上に上る。その茂みをかき分けて「歴史の中の非理性を解釈する」こと、そのためにベンヤミンは、解釈の対象を炙り出し、解釈者の位置を確認し、解釈者の「解釈への誘惑」を教える夢を重視するのである。

これは「認識における主観主義の権利を主張するものではなく、むしろ現在現れているあらゆる観念連合の中に、相互に『モンタージュ』し合うイメージの時間的にして文化的な厚みを認める」ことなのだとディディ=ユベルマンは言う。認識においてシュルレアリスムのように非理性を復権させるのではなく、理性による「批判」という研ぎ澄まされた斧をふるって「歴史の中の非理性を解釈する」ことなのだと言うのである。ベンヤミンにとって、イメージが歴史の原現象になりうるのは、想像力が単なるファンタジーではなく、「事物の内密な関係、すなわち照応と類似を感知する能力」だからである。この能力はモンタージュ作業の典型に現れるべきもので、歴史という深淵の上に浮かぶ認識の秩序を把握するための能力である。うーん、ここは深いですね……ここには弁証法的なプロセスが関わるためにアルス・コンビナトリアよりも、より動的な性格を持っていることを踏まえておく必要があります。

ベンヤミンは万華鏡に不規則な内的解体の構造を見ていたらしい。万華鏡か‥‥何年ぶりに聞く言葉だろう‥‥。彼はこの光学的モデルからギクシャクした視覚的布置の中に時間のポリリズム、幾層もの組合せという弁証法的な豊かさを見ていた。砕かれたガラスや貝殻の破片、布切れといった微小なものの散乱する、そんなゴミくずのような小さなものを回転させることによって、解体しながらも構成されていく二重性を彼は見た。アナクロニズムの科学者、モンタージュの魔術師が、白魔術のような視覚的ビックリ箱を子供の遊戯に結びつけていく。

カール・ブロスフェルト (1865-1932)   『芸術の原形態』 1928

ブロスフェルトの写真もまた万華鏡だった。ただ近接撮影された120枚の植物の写真。物言わぬコレクション。しかし、彼の知はそれを所有するものを沈黙させる知であり、知識よりはるかに重要な知だとベンヤミンは述べている。それにもましてベンヤミンにとって重要なのは、特異なものをモンタージュするブロスフェルトの手法だった。クローズアップすることによって見る者を視覚の新たな領域へ、全体像ではなく部分への解体へと導く。そこにあるのは、独特の悪意あるイメージであるという。植物がつぎからつぎへと120回もモンタージュされる。その写真集のページをめくることは、事象の視覚的モンタージュと取り組むことだと言えるのである。図らずも植物におけるゲーテのメタモルフォーゼを見せつけられることになる。なるほど、これは確かに狡知かもしれない‥‥。

ウィーン風りんごのシュトルーデル 美味しそう!

解体は、イメージの生成に繋がらなければならない。帝政時代に流行した不規則な部品から出発して一つの図柄を再構成する知恵の板が、ベンヤミンには歴史記述とキュビズムのような芸術作品の近代的方法に通じる構成原理と感じられた。適正な布置が求められるのである。彼は、ジグソーパズルで遊ぶように子供たちが、戯れながら構成する文章が聖なるテキストと親近性を持つと考えている。そのような構成が行われる時、時間は自然の中でシュトルーデルのような曲線を描くとディディ=ユベルマンは述べる。根源の時間に関してベンヤミン自身が「根源は生成の流れにおける渦巻である」と書いているらしい。

モンタージュはかくして、カレイドスコープと植物のクローズアップのように解体され、リンゴのパイの如く捻じれた層に再構成されたものとなる。‥‥これらは徴候に関わるメタファーなのです。

 

カール・アインシュタイン 美術史とは闘争である


 

カール・アインシュタイン(1885-1940)アニタ・リー画 1921

カール・アインシュタインと著作について‥‥読まれぬまま倉庫に寝かせておくべき著作、反時代的文章、強烈な窒息状態と異様な疲労感に襲われる文、奇態なるニーチェ的歴史家、ハンマーで歴史化する美術史家‥‥どんな人なんだ ? ここまで言われると興味津々になるのは人情ですよね。

アインシュタインはカントのいう趣味判断の美学によらないイメージの批判的分析を試みようとした。芸術と美とを同一化しない人類学的根源的な認識へと向かう。ここは、ヴァールブルクに通じる。彼にとって重要なのは美的趣味に浸ることではなく、美術作品に関わることによって現実と人間の構造や、世界の形勢を変える手段を持つことであり、そのためには作品を生きた魔術的力と理解するような社会学、あるいは美術の人類学を必要とするというのである。

カール・アインシュタイン『黒人彫刻』

そして、ニーチェ的な異議申し立てが続く。美術作品が我々の内部に切り拓く「死の危険」と危機的空間を回避しないという道徳要請、及び美術作品において作動する多様な起源を決して隠蔽しないという系譜学的要請に奉仕すべだと言う。それは、ニーチェの系譜学に裏打ちされた非ヘーゲル的弁証法であり、美術史は鎮めがたい闘争の歴史、絶対に還元不能な歴史になるとディディ=ユベルマンは指摘している。系譜学は作品の産出条件の研究に向かい、美術史のお気楽な進化の概念も否定されるのである。それは、このようなものだった。

アインシュタインはアフリカ彫刻という、あまりに根源的歴史にあって未来の源泉としか考えられないような起源とキュビズムといったアヴァンギャルドの芸術という対極を弁証法的に結合しようと試みる。これは画期的だった。それは、近代美術をプリミティヴなものに還元するものでもアフリカ美術の近代性を標榜するものでもない。彼にとってプリミティヴとは偽装したエキゾティシズムに他ならなかった。アフリカ彫刻の神性とそれを形作るものとの心的距離感、つまり崇高な神とその奴僕である作者との密着していながらも厳然とした距離感は、彫刻とそれを観る者との距離感に対応する。像のマッスは遠近法的な正面中心の視覚によって弱められるのではなく、運動表象感覚によって三次元の緻密な塊として直接的に感得され、像と観る者の間に密着しながらも距離を持つ閉じた自律的空間が形成される。このような宗教的リアリズムと彫刻-観者という形式が生むリアリズムは、その性質を共有しているというのである。際どいけれど面白い着眼点ですよね‥‥。

左 アフリカ彫刻 (筆者撮影) 右 パブロ・ピカソ『坐る裸婦』1909-1910

「神秘的仕方で感覚される形式を再発見する」ための「活動的な不安」。これがアインシュタインのキュビズムのテーマである。ピカソとブラックにおいては、ア・プリオリな空間は退いて、構成的方程式というより、内的経験と空間的経験の積分としての空間となる。‥‥この表現はなかなかイイ‥‥。そこでは、古典において無視されていた無意識や幻覚によって、平衡状態は活動的不安に取って代わられるという。アインシュタインは、彼がプチブル的と名付ける「自我の優位を美学と美術史から除去しようとする。無意識は主体の分裂であり、〈非-因果性を持つ。イメージはキアスム (主客の交差する眼差し) であり、何かのコピーではなくなる。ヴェルフリンの〈芸術様式に対抗して〈徴候-イメージ〉仮説を立てるのである。

これには、オーストリアの物理学者であるエルンスト・マッハの影響が大きかった。彼は、時間・空間のア・プリオリ性を否定して時空が「感覚の複合体」だと主張した。同時に、因果性は時代と共に変遷する可能性があり生得的なものと考える必要はないとも主張した。因果性の批判が出現したのである。これが、アルバート・アインシュタインやフロイト、ムジールに多大な影響を及ぼすことになる。カール・アインシュタインは近代的な思想家であると同時に近代性を批判する思想家だった。その点でベンヤミンに似ている。彼は、おそらくアメリカのモダニズムに反駁しポストモダンを憎悪しただろうとディディ=ユベルマンは言う。イメージの思考と近代的思考は、相乗して「危機を際立たせ」、「徴候を見出し」、「歴史をアナクロニズム化」する。それが、彼にとって近代への反時代的闘争だった。そのことによって、彼はイメージの未来予測的メカニズムを見定め、新しい知を開こうとしたのである。

ヘルクレス・セーヘルス(1589-1638)
『岩と網のある風景』エッチング 1625-1630

ドイツ系ユダヤ人であった彼は、早くからフランスに移ったが、ナチス・ドイツのパリ侵攻によって南仏へと追い詰められ、1940年7月5日にピレネー山脈の町レステルベタラムでベンヤミンと同じような状況で自殺したのである。

「月並みな現実を絶えず破壊し、そうして――小さな筏に乗って漂流するように――自らを強いて新しい実在をたえず創造するためには、どれほどの勇気を必要とするのだろうか。そうしてわれわれは現実の誕生と死を加速して、永遠の不安のうちにおのれ自身の個性を破壊するのである (カール・アインシュタイン『ジョルジュ・ブラック小野康夫男・三小田祥久 訳)。」

この文章を踏まえてディディ=ユベルマンは、アインシュタインが、彼の愛した17世紀のオランダの画家ヘルクレス・セーヘルスに向けた言葉でこの章を結ぶ。「彼はこのような態度のために自分の生命を代償にした。」

 

美術史は預言の歴史 そしてアウラ


 

美術史が歴史の現在の時点から、あるいは現在の観点からしか記述されないのなら、それぞれの時代は、先行する時代の芸術がその宛先へと向けた預言を解釈するための新たな可能性を持っていると言える。美術史にとって、過去の偉大な作品の中で、その時代にそれらの作品に価値を与えていたものを現在において解読する。作品というほの暗い空間の中で発酵していく未来は、さまざまに変形されて夢見る。ルネサンスという言葉を生んだフランスの歴史学者ジュール・ミシュレは「全ての時代は後に続く時代を夢見る」と述べた。

ベンヤミンは、この言葉を踏まえて、夢の意識に包まれる「空想的な前形式」が行われないなら新しいものは何も出現してこないと述べている。新たな時間性モデル、記憶の持つアナクロニズム性を評価し得るようなモデルをディディ=ユベルマンは要請する。それによってこそ、歴史の拡張を可能にし、歴史を開くことができるのである。それは、ベンヤミンが言う「芸術の限界を超えて想像力が至る所であふれ出す」ことによって生まれる世界であり、ヴァールブルクが従来の美術史を越えて真のイメージの人類学へ向かったのとパラレルな方向なのである。

バーネット・ニューマン(1905-1970)の絵画
『黒い焔Ⅰ』

アウラは空間と時間の奇妙な織物、遠さの出現である。モダニストは「アウラは死んだ」と言い、ポストモダ二ストは「モダニズムは死んだ」と言うだろうが、アウラは、通常の意味での歴史の問題ではなく、記憶の問題、つまり残存の問題だとディディ=ユベルマンは言う。歴史上の死などあり得ないことになる。それは忘却する現在と過ぎ去った過去との明快な対立を超えていると言うのである。

近代に対するルサンチマンと過去の芸術に対する贖罪的な回帰、宗教的なノスタルジー、20世紀芸術の「脱構築」や「破壊」に対する「精神性」と「意味」の復権といった問題が浮上する。過去を処刑するのか、過去を復興するのかという、二つの極端な言説の仲を取り持とうとすれば、パノフスキー的なイコノグラフィー主義とバーネット・ニューマンやアド・ラインハートのような徹底的抽象との両方の機嫌を伺うものとなるという。抽象芸術を「再イコノグラフィー化」すること、そこに「精神性」や「神秘神学」を持ち込むことは、過去と現在をごた混ぜにする過ちだと言うのである。

ベンヤミンの「根源」、ヴァールブルクのいう「残存」を説明できるような時間モデルが存在していれば、アウラを論じることは可能なのである。この場合、〈忘却-歴史モデル〉や〈反復-歴史モデル〉では用をなさない。つまり、ヴァザーリの言う「ルネサンスは古代を反復するが故に中世を忘却した」あるいは「芸術の恍惚状態の根源や聖なる根源を反復するには、モダニズムを忘却しなければならない」といった主張の手口である。

ベンヤミンが〈無意志的記憶の現在と表現した〈起源においては、過去は拒絶されるべきものでも、再生されるべきものでもなく、アナクロニズムとして再帰するものなのである。特異な作品のそれぞれの厚みの中で矛盾を考慮し、宥和させることなく収縮させ、結晶化させるような時間モデル、それは弁証法の「否定的なものの驚異的な力」を利用しようとする。その弁証法の重要なファクターは、両義性であり批判性であった。真正なイメージは両義的であり、それらのイメージに鋭利な理論的介入を行うのである。なんだかアドルノの否定弁証法ポイ‥‥。

こうして、過去に従ったり、過去に回帰したりすることなく記憶の衝撃を受け入れ、それらの記憶の参照関係を脱構築して批判する、そのようにしてアウラのノスタルジーを批判するのである。ベンヤミンは、神話と技術、夢と覚醒、ユングとマルクスのどちらの肩も持たない、彼が頼みとするのは目覚めの瞬間なのだとディディ=ユベルマンは言うのである。そのような事柄を可能にする時間モデルこそが未来を預言できるだろう。それは人類の新たな知の道具となる可能性があるのだ。

 

この様に見てくると、ベンヤミンの根源〉やヴァールブルク〈残存〉を理解するにあたってフロイトの心理学が鍵を握っていること、そして、想像力とはモンタージュが持つ内在的な能力であり、視覚的形態の美的パラダイムと知の認識的パラダイムを結び付ける力だと言うことが分かる。これは、カッシーラやランガーにはない観点ではないだろうか。‥‥最後に恐縮だけれど僕の作品『モノクロームの残像』モンタージュをご覧いただければと思う。

『モノクロームの残像』モンタージュ

 

参考文献 及び 引用文献

 

 

ディディ=ユベルマン『残存するイメージ』

ディディ=ユベルマン『ニンファ・モデルナ』

ディディ=ユベルマン『アトラス、不安な悦ばしき知』 『ムネモシュネ・アトラス』についての最良の解説書

フロイト著作集 6「自我論・不安本能論」

ディディ=ユベルマン
『ヴィーナスを開く』夢・裸体・残酷