ジョルジュ・ディディ=ユベルマン part2 『ニンファ・モデルナ』イメージは落下しながら何処へ向かうのか

 

ステファノ・マデルノ『聖カエキリア』1600年 サンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ聖堂

極限の優美として知られる聖カエキリアの像。日本では中世ラテン語の聖チェチーリアという呼び名の方が知られている。カエキリアは、より古いラテン語の呼び名だ。ステファノ・マデルノという、あまり名の知られぬ古代彫刻の修復師の手になる大理石の作品だった。手折られた花のような小柄な体を少し丸め、ドレスの優美な襞が全身を波打つ、しかし、顔は地面へと真下に向けられ、しかも頭はヴェールで覆われている。前に投げ出された左手は「一者の神」を指し、右手は、それに答えて「三つの位格において」と答える。気をつけて見てほしい、首筋の傷と滴り落ちようとする血の雫。

ジェノヴァの第八代大司教であり、ドミニコ会士であったヤコブス・デ・ウォラギネ (1230?-1298) の『黄金伝説』は、ヨーロッパでもっとも広く読まれた聖者と殉教者の列伝である。そこに登場する聖カエキリアの殉教の様子は、このように伝えられている。首切り役人は、カエリアの首に三度刃を振ったが、血まみれになりながらも落とすことができなかった。受刑者に三度を過ぎて刃をたててはならないのが定めだった。彼女は半死半生のままに三日の間生き続け、財産を貧者に分かち、改宗させた信者を司教ウルバヌスに委ね、自らの家を教会にするよう遺言して息を引き取った。

『死せるペルシア人』 本書より

16世紀の最後の年、カエキリアを記念する教会であるサンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ聖堂の地下墳墓で糸杉製の箱が発見される。棺と呼ぶには小さかった。絹の布地の塊と所々染みのついたガーゼが中に見えた。その下に遺体の骨があるかどうかを確認することは慮 (おもんばか) られた。そこに駆けつけた教皇クレメンス8世は、そのヴェールを上げさせず、星を縫い取った銀の布地でこの箱を包むように指示したと伝えられている。ディディ=ユベルマンは、マデルノの作品は、この「布に包まれた形」を変容させ、その名高い彼女のポーズは彼の想像力の成し得た成果ではなかったかと考える。このカエキリアの姿勢はヘレニズム期の古代ローマの彫刻『死せるペルシア人』という「定型」から、おそらく借用された。

ディディ=ユベルマン『ニンファ・モデルナ』

今回ご紹介する著書は、イタリア語でニンファ、英語ではニンフの「衣装=布地」が主人公である。モデルナは、「近代の」あるいは「現代の」という意味で、タイトルを訳せば「ニンフ・現代の」となる。ニンファは色んな姿に変化する若い女性像と考えていただいたほうが良い。そのニンファのものばかりではない「落ちた布」のイメージの変遷が追跡される。前回ご紹介したジョルジュ・ディディ=ユベルマンの著作『時間の前で』において詳述されたヴァールブルクの〈残存〉、ベンヤミンの〈根源〉、カール・アインシュタイン〈徴候〉を巡って考察された美術史のアナクロニズムが、ニンファの布というイメージを例にとって述べられるのである。

イメージとしての現在と過去との関係は時間的に連続したものではなく、〈昔〉と〈今〉の関係は弁証法的なもので、ギクシャクしたイメージなのだとベンヤミンは述べた。イメージは変容し続けるものなのであり、それが静止する時は思考の運動における中間休止となる。残存を気づかせる閃光は、時間のリズムが区切られた時に、歴史以前の化石の空間を開くという。思考が緊張で飽和したイメージの星座のなかで静止する時、弁証法的イメージが現れるというのである。今回の『ニンファ・モデルナ』では、この弁証法的展開が明瞭に示されている。

ウィリアム・ブグロー『ニンフたち』1878

本書のテーマは、くどいようだが、ニンファではない、真のテーマは、彼女の着ていた薄いヴェールのような服、あるいは体を包む布地である。そのイメージは、歴史の中でスローモーションのように地面に落ちてゆくとディディ=ユベルマンは言う。ニンファはヴィーナスとなり、横たわるしどけなき美女となり、相手を見据える娼婦となるが、その過程で布地は体からずり落ち、地面に置き去りとなり、ついには排水溝の口に押し流される存在となる。そのイメージの変遷をご覧いただくことになる。

 

第一章 テーゼ ニンファの布


 

ニンファ

フロイトが愛したギリシア時代のレリーフ (ローマ期におけるコピー) ヴァチカン美術館

ドイツの作家イェンゼンの小説『グラディーヴァ』、そのモデルになったのはフロイトの愛した古代ギリシアのニンファのレリーフだった。その名は、フロイトが『W.イェンゼンの《グラディーヴァ》における妄想と夢』という論文を発表して夙に知られるようになる。彼女は、フロイトのいう不気味なものを波及させるニンファのヒロインである。ディディ=ユベルマンはニンファについてこのように述べる。フロイトに影響を受けた美術史家アビ・ヴァールブルクにとってニンファは「謎の生体」だった。泉の傍で横たわり、洞窟で眠り、糸を紡ぎ、人には聞こえぬ旋律を歌い、踊ったり追いかけられたり、辱められたかと思えば、若い男に夢中になる。女神たちのお産を助け、幼子ディオニソスに乳を与え、泉を守護するかと思えば、人の命も奪いかねないと。それは、正邪の文目もつかぬ一つの運動体、数十世紀にわたって撮影され、強引に速回しでもしないと筋立てが掴めない映画のようだというのである。

アウラを放つ特性なきヒロインである彼女たちは、人の心を奪い感覚を麻痺させる力を持ち、風のように逃げ去りやすく、化石のようにしぶとい。そしてまた彼女は、数を増し、『遠まわしの類似』をわたしたちに差し出す。すると突然、あらゆる時が一斉に踊り出し、全ての化生が夢の如くまじりあうとも述べる。ヴァールブルクの記億・欲望・時間を巡るイコノグラフィーに登場するニンファは古代の大理石に、中世の『薔薇物語』の挿絵に、ルネサンスのボッティチェリの絵画の中に、ブグローの描く水浴びに登場する下級女神、あるいは、至る所に登場する海の精、山の精、冥界の精である。

 

聖なるイメージと布

左 ミケランジェロ『ピエタ』 右 ベルニーニ『福者ルドヴィーカ・アルベルト―二』

先にご紹介した『聖カエキリア』の彫像は、ほぼ全体が布と言っていい。それは『死せるペルシア人』という古代彫刻の「パトスフォルメル/情念定型」と交響している。眠るかのようにゆったりとした体に纏わりつく美しい襞は当時最も名高い彫刻として知られていた。それは「くず折れる身体」に形を与えたあまたの例の一つとなっているのである。ポーズ布地の襞が織りなす造形美と言える。ミケランジェロの『ピエタ』、ベルニーニの『福者ルドヴィーカ・アルベルト―二』、ジュゼッペ・ジョルジェティの『聖セバスティアヌス』、とりわけヴェールの美しさを際立出せるのは、ジュゼッペ・サマルティーノの『ヴェールに包まれたキリスト像』である。

ジュゼッペ・サマルティーノ 『ヴェールに包まれたキリスト像』1753 サンセヴェーロ聖堂  ナポリ

ディディ=ユベルマンは『聖カエキリア』の彫像のユニークさを強調する。先ほどの彫像たちが仰向けであったり、外に開かれているのに対して、聖カエキリアは体を丸めて伏せ、首を真下に向ける。それは、ヴァールブルクの言う「力性に満ちた反転」だと言うのだ。同じ形の類型を全くことなった文脈、象徴性に用いる時、その形態を反転しさえするような発想を作者は行っているのである。

そして、この布にディディ=ユベルマンは、話題を戻す。「閉ざしと差出し」、「女性と男性」、「貞潔とエロス」、「キリスト教と異教」、それらの両義的な価値を持つ身体の間でインターフェイスとして機能するのは布地なのである。それによって『聖カエキリア』の彫像は、古代のニンフのように官能的な軽やかさを持ち、大理石の上に身を投げ出して眠っているように見えるというのだ。そこに集約された欲望を見ることさえ可能だけれど、キリスト教という地平線上にある布地は、聖骸布や屍衣、つまり「布に切り詰められた身体」なのだという。そうした作品をジュゼッペ・サマルティーノの『ベールに包まれたキリスト像』に見ることができる。

パトスに満ちた、これらの彫像の襞はドゥルーズの言葉を借りれば「無限に至る襞」である。バロックの着衣は、ゆったりとして膨らみ、襞を寄せ、裾を膨らませ、身体それ自体を襞で囲むという。ベルニーニの彫刻は、身体を燃え上がらせる精神的な冒険によって説明される襞を無限にまでもたらし、無限において襞をとらえる。これはもはや構造の芸術ではなく、繊維の芸術であるというのである (ジル・ドゥルーズ『襞』)。

裸婦と布地

左 ベッリーニ+ティツィァーノ『神々の祝祭』  1514-1529  部分
中 ティツィアーノ      『アンドロス島の人々』  1523-1524    部分
右 ティツィアーノ   『バッカスとアリアドネ』  1520-1523    部分

一方、その現勢化の力が身体から抜け落ちて地面へと落下し始めるようなイメージ群も生じていた。ティツィアーノのバッカスシリーズが好例となっている。触覚的に裸体が描かれるルネサンス絵画において、布は一種の感光板、つまり形象化の力を支える場となっているとヴァールブルクは指摘する。上図左はベッリーニの作品にティツィアーノが加筆している『神々の祝祭』だが、ニンファが胸をはだけて眠っている。上図中の『アンドロス島の人々』では、眠っているニンファの衣装は肩の向こうにずり落ちている。そして、上図右の『バッカスとアリアドネ』では、ついに衣装は脱ぎ捨てられ地面に置き去りにされているのだ。ティツィアーノのこれらの作品でニンファは本当の意味で落ち始めるのである。

上 ジョルジョーネ (1477頃-1510)    『眠れるヴィーナス』 部分 1510
下 エドゥアール・マネ (1832-1883) 『オランピア』          部分 1863

欲望を巡る新たな情念=パトスを主題にした作品は、勿論それだけではない。ボッティチェリの一糸もまとうことのない『ヴィーナスの誕生』、ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』、ジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』、ヴァトーの『ジュピターとアンティオペ』、ブーシェの『水浴のディアナ』などが知られる。

やがて、神話の世界の眠るヴィーナスでも、水浴びするニンフでもない存在、依頼主の恋人や実在の裸婦がキャンバスに現れる。ゴヤの『裸のマハ』であり、マネの『オランピア』である。このため、それらの絵はスキャンダルを呼んだ。ゴヤは何度か裁判所に呼び出され、マネは罵詈雑言を浴びせかけられることになった。しかし、それらの作品においても衣装や敷布は裸体の下に置かれ、なおも感光板の役割を果たしていた。これに19世紀末から20世紀初頭にかけての「堕ちたヴィーナス」たち、クリムトやシーレの裸婦、そしてロプスを挙げておけば十分だろう。

 

第二章 アンチテーゼ 襤褸布


 

エミール・ゾラ (1840-1902)

19世紀もどん詰まりの世紀末、エミール・ゾラが『パリの胃袋』で、パリの猥雑を書いた20年後のことである。彼は、あの聖カエキリアを記念する聖堂があるローマのトラステヴェレ地区を描いた。そこの通りには、あちこちに襤褸 (ぼろ) をまとった不潔な人々がうごめき、虱のたかった半裸の子らがいて、髪も露わにしてキャミソールやけばしけばしいペチコートを身に着けた女たちが何やら喚いている。そして、あらゆる窓やバルコニーに、あるいは道をまたいで張り巡らされたロープに洗濯物やら訳の分からぬ襤褸やらが満艦飾に連なっていた (『ローマ』)

そこにアウラの「世俗化」を見るかどうかは別にして、ディディ=ユベルマンは、街や街路も固有な考古学を持っていて、歴史の厚みの中でアナクロニズムの腐植土に満たされていると言う。ベンヤミンの指摘する「今」と「かつて」についての最も内奥のイメーである。それは、part1でご紹介した歴史の現在時にとって重要な条件であるイメージの記憶とその支配にまつわる問題だった。流行遅れとは人類の記憶が及ばぬ程古いということを指すとベンヤミンが述べたが、ボードレールのこの言葉「現代性そのものが太古の視線でわれわれを射すくめる」は、モードという言葉を改めて考え直させる。

このボードレールとベンヤミンの言葉は、グリーンバーグ主義の美学やそれに反対する美学においても見過ごされてきたものであり、「モード」は「死 mort」と「モデルニテ modernité」と両方に関わっていて、その反意語「時代遅れ」と併せて考える必要があるという。この関係は、英語では見えなくなる。「太古の視線」とは、あらゆる抽象的な美から手を切り、「一時的なものから永遠を取り出す」ことだと言う。それは「人間の生が意欲することなく、そこに込める不可思議な美しさ (『ボードレール批評』)」なのである。つまり、浮かび上がってくるイメージのことだ。

襤褸布のパトス

ウージェーヌ・アジェ『ポルト・ダスニエールの屑屋』1913

ここで、ディディ=ユベルマンは、ベンヤミンの言う「屑拾いの美術家」という言葉にひっかけて襤褸 (ぼろ) 布のイメージを追う。ニンファの衣服に対するアンチテーゼを求めるのだ。ここからの主人公の感光板、つまりニンファやヴィーナスが脱いだ衣服や褥の代わりになるものは、パリの側溝や舗道脇の排水溝、かつてのどぶ川である。汚水に浸かった布の塊、あちこちに小さなゴミをくっ付けて片隅にひっそりと呼吸している塊たち。

以前の話題作、スティーヴ・マックィーンの『ダム』(1998年) のシリーズが俎上に上る。捨てられ、側溝などに流された襤褸布の写真である。僕ぐらい世代の人ならマックィーンと言えば有名なアメリカの俳優さんだが、こちらはテートギャラリーからターナー賞も受賞した映像作家だ。評論家は、この人の作品のマテリアリズム、触覚的ヴィジョンにモダニズム以降の芸術の一時代を代表すると賛辞を送ったが、ディディ=ユベルマンはいささか皮肉を込めて、批評家や商業的な展覧会は、そうやって作品を歴史上の閉域に囲い込み自足してしまうが、遠近法的に相対化してみるなら「時の無意識」というものが見えてくると述べる。モードの空間から離れて、流行遅れの領域の方へとイメージの考古学者になり、本質的に埋もれてしまった過去へと遡れば、アナクロ二ックな意味での優れて「内奥のイメージ」が現れてくるというのである。

マックィーンに先立つ10年前にはドゥニーズ・コロンがパリの地面、石畳、水たまりに映った樹木や通行人を連作していたし、その20年前には、アンダーグラウンド作家のアラン・フレシェールが『地面の風景』と題して1967年から翌年にかけて制作したものがある。特にフレシェールの作品はカラーでサイズもマックィーンのものとほぼ同じ、作品もまったく遜色がないが、光彩の点でより強烈だった。彼の作品はYoutubeで見ることができるが、他の作品のために年齢制限がかかっている。それらの作品の中にはリヒターの作品との関係がありそうなものもあり興味深い。マックィーンの作品は観光写真だが、フレシェールのものは数年に亘って撮影された700から800枚に及ぶ労作で、探求の結果より探求の時間そのものにエネルギーを費やしているものだと強調する。それらの写真にはベンヤミンが述べた「物のただなかの強烈なパトスに満ちた働き」と呼ぶものが顕れているというのである。それらの襤褸布の作品が作られた当時、まだ「ポスト・モダンな」流行はなかったが、はっきりとアヴァンギャルドの作品と関係しながら緩やかに形成されていったものだという。

アヴァンギャルドの排水口と地獄の入り口

モホリ=ナギ・ラースロー『排水溝』1925 本書より

ベンヤミンが蠢く都市と呼んだパリの街。これらの襤褸布は、様々な人から様々に形容された地面や道路の設えのあちこちに見られたものだった。ボードレールが不快なものたちの流れゆく床と呼び、フロイトが馴染み深くも奇妙に不安を掻き立てると形容した側溝や排水口、それらは下水の口、水の目であり、大地の夢が流れ込む黄泉の国に通じる入り口だった。闇に向かう黄泉平坂に通じる穴、神曲の持っている人類学がこの世にあるとした地獄の入り口、バルザックの言う人間と同じ病に冒された物たちの流れる道の果てである。それは、ナダールが撮影のために潜入し、ユゴーが『レ・ミゼラブル』において周到に描写した水道へと通じている。「人の形を差し引いた汚物の行きかう所」と形容された水道へと。

ウージェーヌ・アジェは、デカルト通りのパン屋の店先にある排水口からあふれ出る水を防ぐかのように置かれた襤褸布を撮影している。その15年後、アヴァンギャルドの映像作家として知られるモホリ=ナジ・ラースローがパリを旅行した際、下水道のプレート、排水溝を流れる水、びしょびしょの布、金属、石、瀝青といった対象をリズミカルで眩い光に溢れた映像として写真に定着させていた。美術史家のフランツ・ローが、写真目に見える世界を切り取り閉じ込めるのではなく、物から引き出され享受される映像の領野を拡大すると述べたが、襤褸布のような打ち捨てられた物の細部によって大都市の地獄のような内実が深い意味を持ったものとして立ち現れる。こうしてファンタスムの契機が開かれるのである。 

ジェルメーヌ・クリュル『リヴォ通りと中央市場通りの交差点、午前10時半』1928 本書より

写真機は、下水とそれに関連する機械的な設備を機械的に作動させることによって写し取るが、その対象に視線を向け、シャッターを切る人間の生体とも当然関連している。それは機械的生と有機的な生との弁証法的な作業なのである。その作業によって浮き上がってくるのは、襤褸布にまつわる暴力的イメージ、物に溢れる強烈なパトスではないかとディディ=ユベルマンは述べる。モホリ=ナギが、「下から上へ、上から下へシャッターを切る」カウンター・コンポジションと名付けた方法によって覗いた都市の細部には、あるいはドゥニーズ・コロンやアラン・フレシェールが撮った襤褸布には、都市の地獄の匂いが感じられるという。ヴァールブルクの「神は細部に宿りたもう」という言葉の神は、ここでは、その対極に結び付けられる。

写真家のアンドレ・ケルテスもアンフォルメルで知られるヴォルスも排水口を撮ったけれど、もはや襤褸布は登場しない。しかし、ジェルメーヌ・クリュルは、舗道の襤褸布、腐ったりんごの山に社会的、人間的な有り様を反映させる。そこに何らかの残存、ひとつの記憶が存在しているとディディ=ユベルマンは述べる。モホリ=ナギは、写真が現実を正確に記録するために発明されたが、その特質として幻想や夢、超現実的な想像世界の装置にもなり得るのだと述べている。襤褸布には無意識へと入り込む不気味なものが存在する。それは、バタイユが述べる「形なきもの」が、押しつぶされた身体や水平化のパトスが、作動しているという。

ヴォルス (1913-1951)『無題』1946-1947

街路に落ちた襤褸布、ゴミのようなものが、解体という運動の内で、まだ人間と関わり合うもの (人間の姿をとどめるもの) と、もはや形を失くしたものとの過渡的段階を示している。あるいは、まだその働きの見極めのつくものと、何の役にもたたなくなったものの間、まだ、しかじかの物であることと何だか分からなくなった流産したマチエールの間を示している。ちょうどヴォルスの絵画のようだ。ベンヤミンは、この関係を掘り下げて、「中間的なものの取るに足らない細部の内でこそ、永遠に同一なものが露わになる (『パッサージュ論』)」と述べている。

ゴミはマルクスの言う商品のフェティシズムの弁証法に不可欠なカウンター・モティーフになっている。それは、ニンファの落下によるアウラの凋落が終わりなく引き延ばされているトポスと言えるのである。その舗道の襤褸布を連作写真に収めることによる新たな知の浮上、残存を巡る視覚人類学という「過渡的なもののイコノロジー」が登場するのだと言う。それが、前回 part1 『時間の前で』美術史は預言の学となるの主題でした。本来の姿を失ったゴミという不純な基層から逆流する記憶、その中からアレゴリーとしてのゴミが現れる。ちょうど、布の中に女性と死が浸透しあう第三のイメージが登場するように。包まれて落ちたものは悲嘆と恐怖にさえ連続していく。屠殺場に放置された布や殺人の犯行現場に残された血だらけのシーツの写真、外観を掻き乱し、人間性を否定し、獣性をも浮かび上がらせる。あの、アウシュヴッツの被収容者から簒奪された衣服の巨大な塊の写真。

 

第三章 ジンテーゼ 想像力の弁証法


 

1933年にベンヤミンは第一次大戦を評して「経験の相場が暴落したと述べた。戦後、復員者たちの沈黙は、恐るべき技術の発達による抗争が人間を全く新しい貧困の内に投げ入れたと書いた。我々は人類の遺産を少しずつ散り散りにした。経済の危機が戸口に立ち、その背後に影が控え、戦争の支度がなされている。人間は、既に大量虐殺を現実感を伴った経験の形として考えることができなくなっていた。現在も、ウクライナでは戦争が引き起こされている。ウクライナは大国間の抗争のスケープゴートにされている。しかし、彼は芸術家たちが根本的に新しい可能性を探ることを自らに課し、建築、絵画、物語において必要とあらば文明を越えて生き延びる準備を整えている (『経験と貧困』) と述べた。

歴史家の作業には二重のレジームがあるとディディ=ユベルマンは言う。歴史的な問いかけをするためには眼を開けていなくてはならない。しかし、その対象をもっとよく見つめ、解釈し、その対象が如何にして見つめ返して来るのかを理解するためには眼を閉じることも必要なのだと言う。事物に対して眼を開き、接近し、観察することには終わりがない。見ているもののすぐ後ろに、あるいはすぐ傍らに別の観察すべきものがあるかもしれない。しかし、そこに観察しようもない分厚い地層があるとしたら、生物進化におけるミッシング・リンクのような断絶があるとしたら、「観察できない結び目」が存在していることになる。

ヴァザーリはトスカーナの芸術家共同体の完璧なドキュメントを作ったと考えていたが、ヴィンケルマンはギリシアの過去を完全に想起することがいかに困難かを感じていた。歴史は自ら空白を作り、検閲を行ってきたのだ。眼に見えにくい逸脱した伝承や潜行した影響関係、長期の無意識的持続といった重層的堆積が、明確な確証に代わって歴史的決定因子となり得る可能性がある。ヴァールブルクこそが、過去から現在に至るイメージの歴史の中で抑圧と抑圧されたものの回帰が織りなしている律動を理解し認識した人だった。ウィーンの偉大な歴史家ユリウス・フォン・シュロッサーは確証し得ないものを前にする時、文献学者は哲学者にならなければならないと述べている。

その時、歴史学者に残されたものは、問いや仮説を立てること、時の厚みに隔てられた近づき難い混乱の系譜を何とか名づけうる思考を目指すという選択肢である。ボードレールは、〈想像力〉は空想ではなく、感受性でもないと述べた。哲学的方法の外にあり、事物の中の密やかな関係、照応とアナロジーを感知することだと述べている (『エドガー・ポーに関する新たな覚書』)。

ゲーテは、確証と想像力を駆使して原現象を追った。そこには外部の眼と内部の眼の弁証法がある。あらゆる対象を標本とカオスという二重の観点から問おうとしたのだ。カオスは、驚愕的な不均衡とともに世界から我々に一塊となって立ち現れる。秩序にとっては増幅する悪魔的側面である。標本化は怪物の群れを前にして認識と普遍的なものと理論的視覚の星辰を知覚可能にする契機となる。ゲーテは「秩序と無秩序の多様な表出、持続・生成の衝突、永続性と変態の調停、の戦闘、〔要するに〕極性のさまざまな変形に留意すること(ジャン・ラスコー)」をけっして止めなかったとディディ=ユベルマンは言う (『アトラス、不安な悦ばしき知』)

ゲーテにとって、各々の個別的存在は、存在するもの全ての一つの類比 (アナロジー) であり、それゆえ、存在は、われわれには分離されており、同時に結合されているものとして現れる。もし、われわれが、この類比に接近しすぎるならば、全が同一なものとなり、もし、そこから遠ざかるならば、全てが無限に分散する。この距離を調停するには芸術的な想像力が必須だった。

想像力と知と理性を結び付ける形態学者ゲーテがそこにいた。感覚と知、普遍的なものと個別、観念論と実証主義、最善のものと最悪のもの、聖なるものと悪魔的なもの、高貴なものとゴミ、こういった二元論の障壁を突破する方法が、ここにある。彼の言う原現象は、そのような生成の渦を捉えることだった。この非正統的な弁証法は、科学的方法論の外にあって、事物の中の密やかな関係、照応やアナロジーを感知するための跳躍なのである。

ロレンツォ・ロット (1480頃-1557頃) 『眠るアポロン』 右側のパネルは失われている。

眼を開けていなければ、イメージに近づき、もっとよく理解を得ることはできないが、眼は返す刀でイメージに掴み取られ、捉えられ、己を閉じ、再来する巨大な霊の試練を受けるという。これは、脳による視覚記憶のイリュージョンとその変容を指している。しかし、そのような対立の中でイメージを操らなければイメージについての知も築くことができない。ディディ=ユベルマンが、そのアレゴリーとして紹介する作品がイタリア・ルネサンスの画家ロレンツォ・ロットの『眠るアポロン』である。9枚の地面に置かれた鮮やかな布の色班が眠るアポロンの前に華やかな混乱を巻き起こす。そこには夢見る神の内に夢の作業のリズムに合わせてひしめくイメージと徴候的な切れ端のアレゴリーとなっているという。それは形象性の働きを表す形象そのものだというのである。眼をあけていればニンファたちの戯れも見ることが出来るだろう。「眼を開けていること」と「閉じていることの夢の想像力」との弁証法

左 パルテノン神殿彫刻 (筆者撮影) 右 クリスト 凱旋門を梱包する作品  2021

このアレゴリーをもって本書は閉じられるが、本書の通奏低音には、ジル・ドゥルーズの「襞」があるのではないかと僕には思われる。ドゥルーズは、その著作『襞』の中で、「折りたたむことー折り目をひろげること」、「包むことー展開すること」は、バロックと同じく今日でも、このような操作の恒常的要素であり、諸々の要素は、たとえ圧縮され、折りたたまれ、包まれていても、やはり世界を拡張し、伸長させる力能であるというのである。襞は力として潜んでいるものの現勢化の働きだというのだ。アドルノが、芸術作品とはモナドだと述べたことを踏まえれば、この襞の力能こそは、モナドの下層を構成する渦なのではないだろうか。同時に、世界のイメージを拡張させるディディ=ユベルマンの言う非正統的弁証法の渦でもあるかもしれないのである。こうして、わたしたちは衣服の襞のような存在が新たな知を開くことの意味を理解しうるのである。

 

前回に続いて、僕が1999年から2000年にかけて制作した『織り込まれる流れ運動』の作品のモンタージュをご覧いただきましょう。40代前半の作品で、カオスからの生成される形態と襞の力能と言ったもののイメージを追求していた時期の作品です。

『織り込まれる流れ運動』モンタージュ

 

 

 

 

参考文献 及び 引用文献

 

ジル・ドゥルーズ
『襞 ライプニッツとバロック』

ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお』アウシュビッツからもぎ取られた4枚の写真をめぐって

ディディ=ユベルマン『アトラス、不安な悦ばしき知』 『ムネモシュネ・アトラス』についての最良の解説書