カマル・アブドゥッラ『欠落ある写本』交響する伝承と創作 付『デデ・コルクトの書』

 

カマル・アブドゥッラ『欠落ある写本』2017年刊

用事があって市内まで出たので、久しぶりに図書館に踏み込んでみる。やっぱり、ネットで探すより本物がいい。不思議の国のアリスかひみつのあっ子ちゃんの気分だ。何か清楚なのに魅惑的なオーラを放つ背表紙が僕を呼んでいる。手にとってみると表紙のデザインがまた良い。カバンから老眼鏡を取り出そうとした‥‥がナイ。人目を気にしながら底まで物色したが‥‥ナイ。仕方がないので本の最初の方を開いて手に持ち、できる限り目から離して眺めてみた。なにか、ぼんやりした文字らしきものの羅列が見える。オオッ、ショックだ。

表紙から察するにイスラム圏の本のようだし、写本と書いてあるから古い文献をテーマにしたものらしい。デデ・コルクトの失われた書とある。借りようか書架に戻そうか、しばらく思案したが、『欠落ある写本』というタイトルに魂をグイと掴まれて借りることに決めた。タイトルは大切なものらしい。知り合いたちの話では出版の会議でもっとも重要な事項は、何とタイトルの決定だという。さもアリなんである。

話は国立写本研究所で12世紀の写本を司書さんに紹介されたことから始まる。それは普通のものだと言うにもかかわらず、この写本には、一つ「けれども」があるともいう。最初と最後が欠落しているのだ。著者は、この『欠落ある写本』を廃棄されなかった『デデ・コルクトの書』の下書きとして設定する。そこに謎を振りかけたのである。人間の記憶は、『イーリアス』や『オデュッセイア』、『デデ・コルクトの書』のような長大な物語詩を口頭で完全に未来に伝えることができるのだろうかと著者は問う。‥‥できるんですよ。主人公は、デデ・コルクトの書』の語り手である老コルクト、つまりオグズ族の賢者として知られる人である デデは、古老を意味する。 この欠落ある写本には、デデ・コルクトのメモが全て散りばめられているとしたのである。

それは、古代オズ国家のハーンの中のハーン、バユンドゥル・ハーンによってなされる審問の過程が描かれる。12世紀アゼルバイジャンの北西の都市ガンジャで地震があり、その後のスパイ事件がテーマになっている。スパイを逃がしたのは誰か ?  内オズの長、勇士サルル・カザンか ?  婚礼の準備をしていたベレキが襲われ、捕囚され、バイブドルの砦に16年もの長きに亘って監禁される切っ掛けとなる密告をしたのは誰か ?  栄えある英雄ベキルが足を折ったことを敵に通報し、襲おうとしたのは誰か ?  この地震に襲われた寄る辺ない町を敵は無慈悲に襲撃しようとしているのだ。この審問によって内オズと外オズの間に起こる軋轢、内紛の原因が明かされる。本物のデデ・コルクトの書』自体もなかなか魅力的なのだけれど、著者は、それを縦横に活用しながら一篇の推理小説に仕立てるのである。編集力がほとばしる傑作と言っていい。

今回はこのオズグの史詩を基に描かれたアセルバイジャンの作家カマル・アブドゥッラの小説『欠落ある写本』をご紹介する。はて、アゼルバイジャン ? ‥‥何処にあったっけ。調べてみなければなりません。

 

カマル・アブドゥッラは、1950年アゼルバイジャンの首都バクーに生まれる。父は教師で、母は医師という家庭で育った。アゼルバイジャン国立大学哲学部で学んだ後、ソ連科学アカデミーの言語学研究所でテュルク (チュルク) 語を学び、叙事詩デデ・コルクトに関する論文で博士号を取得。1977年から1984年までアゼルバイジャン科学アカデミーの言語学研究所において研究員やテュルク語学科長を務めながら1984年に『アゼルバイジャン語の構文の理論的問題』で言語学の博士号を取得した。言語学のエキスパートでもある。また、一時期、文学、芸術、科学に関するテレビ番組にも関わっているようだ。外交的な性格を窺わせる。

テュルク系民族の古代叙事詩文学の研究者として活躍し、アゼルバイジャン外国語大学、トルコのウルダッグ大学、アゼルバイジャン外交アカデミーなどで教鞭を執った。アゼルバイジャン・ロシア語・ロシア文学教育研究所センター長、バクー・スラヴィック大学、アゼルバイジャン言語大学で学長を歴任する一方で、国務参事官、文化財団理事長、バクー国際多文化共生センター評議会議長などの公人でもある。昔の中国で言えば、士大夫のようなと人だ言っていい。最近でいうと、アンドレ・マルローといったところだろうか。学術書、文学研究、文学批評、美学などの著書の他、『秘められた「デデ・コルト」』があり、邦訳があるものとしては本書『欠落ある写本』及び魔術師の谷』がある。

僕は、『デデ・コルクトの書』を並行して読んで楽しんだのだけれど、もし、手に入れば併読されることをお勧めしたい。

 

バユンドゥル・ハーンの疑惑


 

その日、ハーンの中のハーンであるバユンドゥル・ハーンは、老コルクトを呼び寄せ、良くないことが国に起こるという。スパイを捕らえたが、誰かが、その者を地下牢から解放し、逃がした。共に真相を明らかにしたいとハーンはいうのである。しかし、コルクトはハーンが全てを知っていて、自分からもその情報を聞きたがっているのだ、下手に何かを言えば、身の破滅にもなりかねないと心胆を寒からしめる。ハーンの影、懐刀のクルバシュだけがハーンの秘密の全てを知っている。

ハーンは、オグズの重鎮・勇者サルル・カザンを召喚した。最も信頼しているベグ (族長) だった。ハーンは問う、スパイの脱走を助けたのは誰だ。クルバシュが、カザンの頭を締め付けるとカザンは失神した。頭から水をかけられ蘇生したカザンは、馬の口のアルズ・コジャがスパイをさらいましたと母に誓ってと述べるのだった。かつて、サルル・カザンが狩りに出かけた時、留守に異教徒によって幕舎が襲撃され、カザンの母親、息子のウルズ、妻でありハーンの娘であるボルラ・ハトゥンが一族郎党と共に捕らえられる。ハトゥンは高貴な女性への尊称だ。彼らを救いに行ったカザンは、意外にも異教徒の首領に全てをお前に与えるが母だけは返せと迫るのである。(『デデ・コルクトの書』第二話 サルル・カザンの幕舎が掠奪された物語を語る。アルズとは、カザンが若いころから仲の悪い叔父であった。

コルクトはハーンにこう語る。「我がハーンよ、聞かないでください。私に問わないでください。ここでカザンはアルズの名を挙げました――それはあなたも聞いての通りです。私に問わないでください。お望みの者に聞いてください、だが私だけには聞かないでほしい。よいですか――内オグズと外オズは、今やもはや昔の全オグズではありませぬ。我がハーンよ、疑いもなく、彼らの間には憎しみが生じております。全能のテングリ (中央アジアの天空神) よ、ハーンをお守りください ! (伊藤一郎 訳)」しかし、コルクトは話さざるを得なくなり、話は、三日三晩続くが、その写本の箇所は、すっかり汚損され判読できない。話の展開のうえで写本の破損と途切れは、巧みに読者の意識のカーソルを変移させていく。

 

ヤクザ者のベレキとべギルの屈辱


 

コルクトは、ベレキという若者の名付け親となるよう、その両親に招かれる。しかし、この若者の心はコルクトの心を凍らせ、黄色い毒蛇のような疑いを蠢かせた。この若者は、狂暴な敵から商人たちを守ったことで名声を得たが、一人で多勢を相手にして怖くなかったかとコルクトが聞くと、盗賊などはいなかったと答える。自分と仲間の狂言だったし、首を刎ねたのは、一人だけで、商人の一人に傷を負わせて奪った商品を自分のものにしようとした裏切り者だったが、それも、その双子の違う方を斬ったのだと平然と言うのである。このことは、自分の副官他、あなた以外は誰も知らないという。

コルクトは雷に打たれたように立ちすくんだ。このヤクザ者は、自分に秘密を結わえ付け縄をかけたのだという。ベレキの秘密を守る運命が自分に義務付けられたのだというのだ。これは辛い定めだった。罪を暴かれ辱めを受けた殺人者、自分の子の本当の父親を知っている母親、その子を疑う父親、愛されているのに愛せない者、愛しているが愛されない者、全てのオグズの秘密がコルクトに打ち明けられる。彼は、絶対に秘密を漏らしたりしないからだ。彼が重圧に耐え、生きてこれたのは、それを全て輝光石に托してきたからだったという。

ここからは、コルクトがハーンに語る場面が続く。デデ・コルクトの書』の話が下敷きになっているが要旨は巻末に掲載しておいたので興味があればご覧いただくと良い。

コルクトは、バイブルドの砦でベレキが幽閉されている情景を幻視したが、敵の首領の娘とねんごろになっている場面だった ( 第三話 バイ・ピュレの子バムス・ベレキの物語を語る) 。ついで、アルズ・コジャの子バサトが独眼鬼との一騎打ちの場面を幻視する。これは、デペギョズという独眼鬼を打ち殺す ( 第八話 バサトがデペギョズを殺した物語を語る) がベースとなっていた。オデュッセイア』のキュプクロスを連想させる話だ。

そしてべギルとカザンとが衝突した話が語られる。ある日、ベキルはハーンに呼ばれ、カズルク・コジャの子イェゲネキの遠征について相談を受ける ( 第七話 カズルク・コジャの子イェゲネキの物語を語る)。その後で、大掛かりな狩りに参加する。弓の名手だったべギルだったが、サルル・カザンは技量は馬のもので勇者のものではないとべギルを貶めた。カザンの腹心のベレキもベキルをなじった。彼は、腹を立ててハーンからの贈り物を投げ捨てて自分の幕舎に帰るが、妻に宥められ、気晴らしに狩りに出た。ところが鹿を狩る最中に誤って岩に足をぶつけ骨折してしまうのである。間者がベキルの骨折を知ると敵が攻めて来るが息子のエムレンが迎え撃った ( 第九話 べギルの子エムレンの物語を語る)。エムレンは、斬り殺されるすんでのところでコルクトの輝光石の力によって救われるのだった。

かくして、カザンはアルズと反目し、アルズとベイレキは反目し、ベイレキはベキルと反目する。オグズは、かつてのオグズではなくなっていた。

 

孕み女とスパイ


 

バユンドゥル・ハーンはカザンの側近であるシェルシャムサッディンを喚問する。ハーンは、お前たちは〈異教徒の息子の異教徒を穴に放り込み、格子で覆い、鍵をかけ、その夜、ファティマという孕み女と会ったろうと問い詰める。答えを失ったシェルシャムサッディンは、危うく拷問にかけられるところだった。彼は、カザンの妻ボルラ・ハトゥンがベイレキと密会し、カザンにスパイが現れたと告げるように、スパイはアルズの息子バサトだと言うように彼に命じたとハーンに話す。

しかし、ベレキはカザンにスパイの名を告げず、じれたカザンはコルクトから授けられた小箱の中にあった魔法の髪の毛を燃やして彼を呼び出した。コルクトは問い詰められ、とうとうスパイは孕み腹のファティマという女の一人息子だと語る。一人息子はシェルシャムサッディンによって捕らえられ、土牢の穴に入れられるが、彼の母親である孕み女がシェルシャムサッディンを訪ねて、息子は、お前との間の子だと語ったと述べるのである。ハーンをはじめコルクトたちも唖然とするのだった。

その後、カザンの部屋から孕み女が出てくるのをシェルシャムサッディンは見た。翌日、カザンは小規模な評定を開いた。オグズにスパイが現れ、ファティマの子が捕らえられている。全くの子共だが、どう扱えばよいかとカザンは諮問する。オグズに騒乱を持ち込むべきではないとベキルが述べ、アルズも賛成し、ベイレキはカザンの思うとおりにと答えた。カザンは、ファティマの息子を釈放するように命じたが、ベイレキは他国に追放するように進言する。解放された息子を母親は黙って肩を抱き、立たせるとゆっくりとカザンらのそばを通って行った、その後、母子の消息は杳 (よう) として知れないとシェルシャムサッディンは語り終えるのだった。

 

ヒズルとシャー


 

オスマントルコのセリフ1世とサファヴィー朝ペルシアのイスマーイール1世との歴史的決戦は、アナトリア東部のチャルディラーンで行われた。歴史上では、オスマントルコの銃火器が、サファヴィー門徒の不敗の騎馬軍団クズルバシュの神話を打ち砕いた戦いとして知られる。織田信長と武田勝頼との長篠の戦いによく比肩される。この戦いでサファヴィー朝のイスマーイール1世は捕囚される寸前で逃れた。

 

『欠落ある写本』に戻ろう。それより前、イスマーイール・シャーの側近フセイン・べク・レレは、秘かにシャー (王) の影武者を探していた。そして、ある村でシャーと瓜二つのヒズルを見つけたのである。ちなみに、『デデ・コルクトの書』で、ヒズは聖者として描かれている。しかし、シャーが激しく、決然とした性格で、罪には容赦なく、君主あるいは最高指導者としての自己の使命を信じ、神に選ばれた者として振る舞ったのに対して、ヒズルは従順で柔和、かつ優雅で詩を好むような性格だった。ベク・レレは時にヒズルを哀れになることがあった。

チャルディラーンの戦いで、敵がシャーの天幕まで迫った時、ヒズルを引き寄せてシャーはこう述べた。「立つのだ、若者よ ! 」「立つのだ、我がシャーよ。戦いの命運は尽きた。私は去る。おまえは残るのだ。どうかお願いだ、少しだけ頭巾をとってくれ‥‥」シャーはヒズルの顔をじっと眺めた後、これからは私とレレなしで人々の前に立つのだと、シャーは決して死んではならないと諭した。自分はセリムを罰することなく捨て置くことは出来ないと述べ、戦いの中に身を投じていったのである。この時からヒズルはイスマーイール・シャーとなるのであった。

ヒズルは、後に、奇跡的に生きていたレレにこう回想する。私は、あの時、シャーにこう問いかけた。「我がシャーよ、我らは誰を欺くのですか ? 」シャーは答えた。「我らは誰も欺かぬ。内なる隠れた真実は多くの者たちにはいかなる意味も持たぬ。すべては外に見える本質の中にあるのだ。これを肝に命じておけ」

一見、全く異なる (時代も下って16世紀初頭のエピソードとして挿入されたかのようなヒルズとシャーの物語は、バユンドゥル・ハーンの詰問の結果にも、そして、ガンジャの地震にも交響していく共通するある哲学的命題というべきものの調べを奏でていく。そして、それは『デデ・コルクトの書』を生きた素材として構築された素晴らしい大伽藍でもあるのだ。隻手 (せきしゅ) の声さえ引用する著者は、深い思索者と言える。

 


物語は、ここで折り返し点を迎える。後半は、ハーンのベキルへの喚問、カザンの妻ボルラ・ハトゥンとベイレキの妻バヌチチェキがハーンにそれぞれの夫のことで訴え出た後、カザンは再び喚問され、最後にアルズが呼び出された。ハーンとコルクトが導き出した結論とはどのようなものであったのか。後半は是非本書を手にとっていただければ思います。


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オグズ族の歴史と『デデ・コルクトの書』


6世紀後半の突厥  552年の成立、582年に東西に分裂し、741年に西突厥が745年に東突厥は滅んでいる

東洋文庫の『デデ・コルクトの書をめぐる歴史について林佳世子さんは、こう書いている。6世紀頃、バイカル湖の南からアラル海、カスピ海あたりまで広がっていたテュルク系遊牧民族の一部にオグズ族があった。テュルク系遊牧民は、人種としては、もともとモンゴロイドといわれている。その中にトクズ・オグズ (中国名鉄勒Türkの音写) と呼ばれる部族連合体があり、同じテュルク系の突厥に従属と離反を繰り返していた。だが、8世紀に突厥がウイグル族によって滅ぼされるとオグズ族は西方に移動するようになる。遊牧民族の習いだ。10世紀にはアラル海に注ぐシル川 (ダリアはペルシア語で川の意) の中・下流域を版図とするようになった。

テュルクは、広義にはテュルク語を話す遊牧民族全般を指し、狭義ではトルコ人を指している。テュルク語は、日本語と同じように目的語や助詞に活用語尾の付く膠着語で母音の調音のための一種のクセがあると言われる。日本語のように主語ー目的語ー述語という語順になるものが多いらしい。ちなみに、トルキスタンとは「テュルク人の土地」を指す言葉だった。東トルキスタンは、およそ新疆ウイグル自治区の辺りを、西トルキスタンは、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの辺りを指している。

 

マー・ワラー・アンナフル地域   ギリシア・ローマではトランスオクシアナ(オクサス川=アム川より向こうの地)と呼ばれた。

10世紀の中央アジアには初のテュルク系イスラム国家カラ・ハーン朝 (840-1212) が成立し、999年に西トルキスタンにあったペルシア系のサーマーン朝に侵攻して、フェルドウスキーが『シャー・ナーメ』を完成させる前に滅ぼしてしまった。その領土は、ほぼ、シル川とアム川に挟まれたマー・ワラー・アンナフル (斜線部) とよばれた地域にあたる。これによって、イスラム化が少しずつ進行していったが、その北側や西側ではオグズを含め、キプチャクやウイグルなどが鎬を削っていたのである。こうした部族間の戦いの中で、君主の記憶や歴史的な戦いを伝える伝承が産み出されていった。それらが『デデ・コルクトの書』の原形となっていく。ちなみに、伝承によれば、カラ・ハーンの息子であるオグズ・ハーンがオグズ族の祖とされ、そこから内オズ12氏族と外オズ12氏族の計24の氏族に分かれたとされる。デデ・コルクトは、外オズのバヤト氏の出身とされていて、吟遊詩人オザンとしての性格も持っていた。『欠落ある写本』ではトリックスター的な要素も見せている。

 

セルジューク朝版図  (1038-1157/滅亡年は異説が色々ある)

11世紀には、部族の一部が西アジア・イスラム世界、つまりイラン高原、アゼルバイジャン、アナトリアへと移動した。こうした西進の過程で、もともと、モンゴロイド人種だったオグズは、コーカソイドとの混血が進んで行く。ちなみに、遊牧生活をしながらムスリムとなったテュルク系遊牧部族のことをペルシア語でトゥルクマーンという。そうそう、最近トルコ語も分からないのにkuruluş osman/オスマンの組織というトルコのテレビドラマを見ているのだけれど容貌はバラエティに富んでいる。オスマン帝国の創始者のドラマだ。1038年には、オグズ族の中のクヌク氏族のリーダーであるトゥグリル・ベグがイラン北東部の二シャープルに無血入場してセルジューク朝を打ち立て、1055年にはバグダッドのカリフからスルタンの称号が与えられる。こうしてイラン北東からアナトリアに至る地域にはオグズ族の遊牧民が広く分布するようになった。

9世紀頃から始まる中央アジアのイスラム化は、吟遊詩人オザンが物語る「オグズ・ハーン伝承」や「デデ・コルクト伝承」などのオグズ族の伝承にも変化をもたらしていった。東アナトリアのオグズ族たちは、黒海沿岸やコーカサスのグルジア系やギリシア系のキリスト教徒たちと勢力争いを演じるようになり、かつてのテュルク系同士の戦い、つまりベチェネグ族やキプチャク族とのシル川での戦いの伝承へ、そういった異教徒たちとの戦いの物語が紛れ込むようになり、ホメロスやエウリピデスに関連しそうなものまで吸収されていくのである。このアナトリアでの新たな体験が加味され、かつての伝承が変化していったと考えられる。著者のアブドゥッラが、この小説『欠落ある写本』に設定した国立写本研究所の12世紀の写本とは、そのようなものをさしているのである。

 

参考図書

 

カマル・アブドゥッラ『魔術師の谷』

カマル・アブドゥッラの『魔術死の谷は復讐に燃えた二人の親子の物語である。父のマメドクリは、姦通した生みの母と相手の男を殺害したが、先代のシャーに救われ、カルマによって刑吏となる。しかし、父はシャーの命に背いて、シャーが征服した街に妻と残ろうとした。父の継子である兄は殺され、母は父マメドクリの手からその身を深い谷へと躍らせた。息子は、シャーに復讐することを夢に見続けてきたが、既に新しいシャーの代になっていた。ギャラバンの統率者として名望を得ていた息子は魔術師の谷で、魂を呼び寄せることのできる魔術師サイヤフを探し出し、ついに父の霊からその真実を知るのである。

魔術師サイヤフは、その師の敵対者であった者から、闇の円環の欠けたる輪がやがて転生し、生まれ出ると告げられる。その輪が完結すれば、この世の終わりが訪れるというのだ。その生まれ変わりとは誰か。息子の復讐は成し遂げられるのか。本書はスーフィズムを底流に持ち、闇と光の相克を描く傑作と言える。

 

 

付 『デデ・コルクトの書』の要約


 

『デデ・コルクトの書』 2003年刊

15世紀アナトリアは、西からオスマン帝国が伸長してくる時期であり、その地の支配の正当性を喧伝するべく『サルトゥクナーメ*』などでオスマン家をオグズ系に位置づけようとする史書が編纂され、対抗的にアク・コユルン朝 (白羊朝) でも同様な編纂が行なわれた可能性があるという。現存する『デデ・コルクトの書』の写本では、バユンドゥル・ハーンが王として登場するが、アク・コユルン朝の初代君主カラ・オスマンバユンドゥル (バヤンドル) 氏族の出身だった。一方で、後の世に王権がカユ氏族のオスマン・ガーズィ―(オスマン帝国の創始者)の子孫の手になるという記述もある。ある種の後付けがなされているようだ。結局、オスマン帝国がアナトリアを支配すると『デデ・コルクトの書』は、必要とされなくなり埋もれてしまうのである。

今まで『デデ・コルクトの書』の写本は二冊発見されていて、一冊は19世紀にドレスデンで、もう一冊は1950年にヴァチカン図書館で発見されたが、イスタンブールの図書館には、所蔵されてないという。だが、オスマン帝国が崩壊し、トルコ共和国へ移行すると、トルコ人のアイデンティティが求められ、トルコ民族固有の伝承に注目が集まるようになる。そのような中で、『デデ・コルクトの書』は広く知られるようになったのである。内・外12氏族にちなんで12章で構成される本書の概略をご紹介する。

サルトゥクナーメ* (サルトゥクの書) サルトゥクル公国は、1071年にマラズギルトの戦い後にセルジューク国の司令官の一人であるエブュル・カースム・イズディン・サルトゥク・ベイによって創設されたエルズルムにあったアナトリア・トルコ公国。1202年に滅んだ。

 

・序章 慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

預言者ムハンマドに近い時代にバヤト氏族の中からコルクト・アタという無謬の賢者が現れ、神は彼の心に霊感を賜った。彼は遠い将来を見通し、オグズ族の問題を解決していった。吟遊詩人でもあるデデ・コルクト (デデとは古老のこと) は後の世に王権がカユ氏族のオスマン・ガーズィ―(オスマン帝国の創始者)の子孫の手に戻ると予言する。彼は、アッラーに対する頌歌を詠い、正しき者の行い、ムハンマドの家系とコーラン、メッカやウンマ (信徒集団) などを言祝ぐ。そして何故か、良妻から愚妻までの四種類の妻を詠い、アッラーの加護を願う。

・第一話 ディセル・ハーンの子ボカチ・ハーンの物語を語る

子のいないことをバユンドゥル・ハーンらに辱められたディセル・ハーンは、神に願掛けて息子を得た。立派な勇士となった息子のボカチに家来たちは嫉妬し、ディセル・ハーンに讒言して息子を殺させようとし、ハーン自身も囚われの身となる。息子は聖者ヒルと母の力によって救われ、父親を解放する。

・第二話 サルル・カザンの幕舎が掠奪された物語を語る

バユンドゥル・ハーンの娘婿、力強いオグズの幸運、残された勇者の後ろ盾であるサルル・カザンは部族の長であるベグたちと狩りに出かけるが、留守に異教徒によって幕舎が襲撃され、カザンの母親、息子のウルズ、妻でありハーンの娘であるボルラ・ハトゥンは一族郎党と共に捕らえられ財産全てを奪われる。羊飼いのカラジュクと共に彼らを救いに出たカザンは、意外にも異教徒の首領に全てをお前に与えるが母だけは返せと迫るのである。やがてオグズのベグ (族長) たちが到着して異教徒たちを殲滅して全てを解放する。

・第三話 バイ・ピュレの子バムス・ベレキの物語を語る

カザンの配下であるバイ・ビュレ・ベグには子供がいなかった。念願の男の子を授かり勇者ベレキに成長する。それとは知らず、許嫁のバヌス・チチェキとの馬や弓などの勝負に勝ち、ベレキは彼女との結婚を約束する。しかし、狂暴なチチェキの兄は、牝駱駝を見たことのない牡駱駝千頭、牝馬と番ったことのない種馬千頭、耳と尾のない犬千匹、蚤千匹を要求する。コルクトは犬と蚤を集め、ベレキは馬と駱駝を集めて、その兄を蚤のいる囲いにとじ込めて結婚を承認させた。婚礼の夜、異教徒の間者の知らせで、その襲撃を受け、ベレキはハイブルドの砦に16年間幽閉される。ヤランジュの息子ヤルタジュクがベレキは死んだと偽ってチチェキと結婚しようとし、ベイレキは砦に来た商人たちからその知らせを聞くと、異教徒の娘の手引きで砦を抜け出し、父母の許に還るとベグたちを引き連れて砦を攻め、まだ幽閉されていた仲間を解放するのである。

・第四話 カザン・ベグの子ウルズ・ベグが慮囚となった物語を語る

ある日、カザン・ベグは、まだ、戦いの経験も勲しもない息子のウルズ見て涙する。息子は、父の手本を見せよと迫った。カザンは、40人のベグとウルズを連れて異教徒との国境に向かった。間者は、それを知らせ1万6千の敵兵がそれを迎えた。ウルズは小高い場所で待機を命じられたが、戦場の右翼に出て捕らえられてしまう。カザンは救出に向かい、妻のボルラ・ハトゥンも後を追った。ベグとその家来たちが、到着し、異教徒を打ちウルズは解放される。

・第五話 ドゥハ・コジャの子デリ・ドムルルの物語を語る

ドゥハ・コジャの子デリ・ドムルルは、ある若者の命が朱き翼の死の天使アズラーイールの手によって奪われたと知ると、天の使いとも知らずに会えば勝負しようと大言壮語する。アッラーは彼の許にアズラーイールを遣わし罰するが、彼はアッラーに取り成しを願い、死の天使は他のものがお前に命を差し出せば、代わりにお前の命は助かるだろうと告げた。父も母も命を与えなかったが妻が命を与えるという。ドムルルは奪うなら妻と共に、助けるなら二人ともとアッラーに祈った。アズラーイールは、父母の命を奪い、ドルムムの命は助けるのである。

・第六話 カンル・コジャの子カン・トゥラルの物語を語る

カンル・コジャの子カン・トゥラルは、妻には勇者のような娘が欲しいという。東部アナトリアのトラブソンには三頭の猛獣を嫁入りのために飼っているという異教徒の美しい娘がいた。一頭は黒い牡牛、一頭は猛りたつ獅子、一頭は黒い駱駝だったが、嫁にと望む者は皆黒い牛によって殺された。カン・トゥラルは、力と知恵で三頭をみごと倒した。しかし、娘の父親はオグズの若者に嫁がせるのを後悔し、彼を襲わせたが娘のセルジェン・ハトゥンは彼を助けて二人は襲いくる敵を撃退した。

・第七話 カズルク・コジャの子イェゲネキの物語を語る

バユンドゥル・ハーンのヴェズィール (宰相) であるカズルク・コジャは、ハーンに敵を襲撃に出ることを願い出る。デュズミュルドの砦にはディレキ・テキュルという剛の者がいて、コジャは捕らえられ、16年間虜囚となった。彼にはイェゲネキという息子がいて、今や16歳になっていた。彼は、ハーンに父親の救出を願い出て、ハーンは、彼に24人の勇士を与えたが、24人はディレキ・テキュルには勝てなかった。イェゲネキはアッラーにすがり、ついにディレキ・テキュルを倒して父を解放する。

・第八話 バサトがデペギョズを殺した物語を語る

ある日、敵がオグズを攻めた。アルズ・コジャは夜の内に逃げたが、彼の幼子が途中で落ちる。獅子がこれを見つけ養った。時がたち、幼子は獅子のようになり馬を襲った。その子は捕まえられ、コルクトは獣と友とならぬようにと諭し、バサトという名を与えた。ある夏の日、羊飼いのウズン・ブルナは泉で遊ぶ妖精を捕まえ交わった。妖精は一年後に戻ると「オグズの破壊を受け取るが良い」と述べて皮袋を置いて去った。アルズは、その袋から出た子供を養ったが遊び仲間の鼻や耳を食べた。追い出されたが、妖精の母は矢も剣も通さぬ指輪をその子、デペギョズに与えた。大山賊となり、人を食べ、英雄のカザンでさえ一撃を喰らった。数々の英雄が殺され、アルズも血を吐かされ、息子のクヤン・セルジュクの胆は、はじけた。コルクトは使者に立ったが、一日に二人の人間と羊5百頭を要求される。子供を差し出さねばならない親の懇願によってバサトはデペギョズを打ち取ることになる。その一つ目に焼き串を突き刺し、アッラーの加護もあって洞窟に宙吊りとなっている魔の剣でデペギョズの首をはねた。

・第九話 べギルの子エムレンの物語を語る

国境を守る勇者のいないことを悲しむバユンドゥル・ハーンにべギルが名のり出て、バルダやガンジゃの地に向かった。ある日、ベキルはハーンに呼ばれ、大掛かりな狩りに参加する。弓の名手だったべギルだったが、サルル・カザンは技量は馬のもので勇者のものではないとべギルを貶めた。彼は、腹を立ててハーンからの贈り物を投げ捨てて自分の幕舎に帰るが、妻に宥められ、気晴らしに狩りに出た。ところが鹿を狩る最中に誤って岩に足をぶつけ骨折してしまう。そのことは内密にしていたが妻が召使に漏らし、噂は広がった。異教徒の間者が聞きつけ、テキュルと呼ばれるアナトリアのキリスト教候に告げたが、ベキルの間者もテキュルが襲撃することを知らせた。べギルの子エムレンが父の鎧を着、父の馬にまたがって敵に向かった。敵のテキュルと打ち合うが勝負がつかない。アッラーに祈ると大天使ジャブラーイールが40人力を彼に授け、敵を平定するのである。

・第十話 ウシュン・コジャの子セグレキの物語を語る

コプズ テュルク系民族の三弦の楽器、ウードの原型と言われる。

ウシュン・コジャの二人の息子の内、兄はエグレキという勇者で豪胆だった。いまだ勲しのないことを指摘され敵を襲撃に出た。カラ・テキュルの禁地にいた時に、間者に通報され捕虜となってアルンジャ砦の牢に入れられる。下の息子のセグレキは勇敢で逞しい青年に成長する。父母は兄が捉えられていることを隠していたが、婚礼も彼を思いとどまらせることはできず弟は禁地に向かった。異教徒の間者はこれを知り、60人の兵士を差し向けるが、眠っているセグレキを馬が起こすのでセグレキは敵を打ち破ることができる。次は100人が差し向けられたが同じ結果となる。テキュルは、捕らえていた兄を騙して弟を打たせようとしたが、弟は相手が手にしていたコプズ (三弦の楽器) を見、それをきっかけに兄と知り、二人で異教徒追い払い故郷に帰る。

・第十一話 サルル・カザンが虜囚となりその子ウルズが救い出した物語を語る

トラブゾンのテキュル (アナトリアのキリスト教候) が隼をサルル・カザンに進呈した。隼を持たせて鷹匠と狩りに出た。しかし、隼は異教の国のトヌマン砦に舞い下りた。カザンとベグたちは砦の前に着くと、敵の間者がテキュルに知らせ、追手を差し向け、ベグたちを殺し、眠っているカザンを生け捕りにした。カザンは碾き臼で蓋をした井戸に入れられる。テキュルの妃がやって来て「おまえは何を食べ、何を飲み、何に乗っているのだ」と冷やかしたが、カザンは、お前たちが死者に供えた食料を食べ、脚の軽い死者に乗り、脚の重い死者を馬にしていると答える。娘を失くした妃はすぐに井戸からカザンを出すようにテキュルに懇願する。異教徒に服従せず、称えもしないカザンは豚小屋に押し込められた。息子のウルズは、父カザンがトヌマン砦に囚われていることを知り、助けに向かう。テキュルは、この若者の隊をカザンに打たせようとした。カザンは隊の豪傑たちをや込めて次々に追い返した。ウルズがカザンに向かって一撃すると鎧を裂いて肩に傷を負わせる。ここでカザンは自分の名を明かし、皆で敵の砦を攻略するのである。

・第十二話 内オズに外オズが叛いてベレキが死んだ物語を語る

カザンは習わしとして自分の幕舎を内オズと外オズに掠奪させるが、今回は外オグズを招かなかった。これによってアメンやアルズといった外オグズはカザンの許に集まらなくなった。クルバシュが、外オズが敵にまわったかどうかを確認に行くともはや敵であることが分かる。アルズは自分の娘婿であり、カザンの側近であったベレキを呼んで外オグズに忠誠を誓わせようとしたが、無駄に終わった。ベレキはアルズに太ももを斬り落とされて亡くなる。カザンはアルズを討伐し、外オグズのべグたちはカザン忠誠を誓うことになる。

 

『デデ・コルクトの書』に登場する地域名

オスマン帝国とアク・コユルン朝(白羊朝/1378-1508)

時代は下って14世紀後半には、バユンドゥル (バヤンドル) 氏族のカラ・ユルク・オスマンがアク・コユルン (白羊) 朝の実質的な始祖として勢力を拡大した。そして、第4代君主ウズン・ハサンの時代にライバルの黒羊朝を倒して東部アナトリアからイラン西部までの覇権を確立する。しかし、ウズン・ハサンの死後王位争いが続き次第に衰退していった。

16世紀に入ると、神秘主義教団サファヴィーの教主イスマーイールによってアク・コユルン朝は滅び、サファヴィー朝が成立するけれど、イスマーイール1世の母はウズン・ハサンの娘だったし、サファヴィーの軍隊もアク・コユルン朝を支えた遊牧民族だったと言われる。それをペルシアの官僚が支え、国家を成り立たせていたのである。