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ガブリエル・タルド『社会法則/モナド論と社会学』タルドの波動/ドゥルーズとラトゥール

 

サルラの通り マルロー法によってフランス国内最初の景観保護地区に指定された。

ガブリエル・タルドはフランス南西部のドルトーニュにあるサルラ (現 サルラ=ラ=カネダ) に1843年に生まれた。父は地方貴族の流れをくみ、その地の裁判官を務めていたが、タルドが7歳の時に亡くなっている。数学や科学に興味を抱き、理工系の学校で数学を学びたかったようだが、19歳ころから眼の病に苦しむようになる。やがて、父と同じ道を目指してトゥルーズの法科大学などで学ぶが、またも病状が悪化して故郷で独学する日々となった。しかし、1869年26歳の時にサルラの裁判所の判事補となり、32歳の時に同じくサルラの予審判事となっている。ここまでは父と同じ道をたどったと言っていいだろう。1886年、43歳頃から『犯罪人類学雑誌』に投稿し始めるようになる。その頃の論考の一つが『刑事哲学』だった。

サルラの裁判所

タルドの時代には個人の自由意志によって犯罪に及ぶとする古典学派と犯罪者の処遇は科学的な見地から実証的に行うべきだとする実証学派に二分されていたという。タルドは、社会の犯罪率がある程度一定であることから個人の自由意志が犯罪をもたらすのではなく、外在的要因が働いていると考えていた。その外的要因の主なものは犯罪の手口の模倣や犯罪に使用される道具の普及である。犯罪は貴族階級から庶民階級へ、都市から農村へと浸透するとした。こうして後述する模倣の法則にみられるように犯罪の社会的な動向や進化といったものを歴史的な過程から説明していくのである。

社会の中のある集団について考えるうちに、タルドはあらゆる集合体を「群集」と呼ぶことを混乱の原因と考えるようになる。「群集」は「肉体の接触からうまれた心理的伝染の束」であるが、「公衆」とは「純粋に精神的な集合体で、肉体的には分離し、心理的にだけ結合している個人たちの散乱分布」だと考えるようになった(『世論と群集』)。彼は、集合体の結びつきが身体的なものであるか、あるいは精神的なものであるかということによって、「群衆」と「公衆」という概念を同時に作り出したといわれる(『模倣の法則』解説)。

 

あらゆる事物は複合体であり色々な要素となる構成物だと考えた。それを遡れば無限小の事物に到達する。それは物ではなく精神的実体であった。つまり、ライプニッツのモナドである。その要素同士を結合する力は「信念」と「欲望」であるという。欲望は自己が拡大する力、信念は要素同士を結合し維持する力である。彼は、独自の精神一元論の立場から社会学を構想した。個人は自分自身の内に動因を持つ自発的存在であって、エミール・デュルケムが考えたように社会などによって拘束される他律的存在ではなかった。この精神原理は物質、生命、人間社会に共通する原理であり、原子、細胞、個人はそれらによって結合される。こうして、このテーゼが導き出される。

あらゆる事物は社会であり、あらゆる現象は社会的事実である(『社会法則/モナド論と社会学』村澤真保呂、信友建志 訳)。」

 

無限小の事物

鳥の俯瞰的視点と虫の近接的視点と言われるが、フランスの社会学者ブリュノ・ラトゥールは、徹底的な近接的視点から社会事象を記述しようとする。名付けてアクター・ネットワーク・セオリー、略して ANT (アリとも読める) である。ラトゥールのタルド賛歌を彼の著書『社会的なものを組み直す』からご紹介する。

アクター・ネットワーク・セオリー (ANT) で知られるフランスの社会学者ブリュノ・ラトゥールは、タルドについてこう述べる。タルドはあらゆるものが社会であるといった。科学は細胞社会について、原子社会について、あるいは天体社会について述べてもおかしくないようにあらゆる科学は社会学の下位に位置するように運命づけられている。科学がすべて個人の計画、個人が用意した素材によって生まれ、狭い範囲を照らす光となり、小学校のあらゆる児童にさえ浸透していく巨大な光になったのと同様に宗教的教義や法体系、政府、経済体制が同じように形成されていったという。

そして、ライプニッツのモナドを一般化させることでミクロとマクロの繋がりを反転させることもできるラトゥールは言う。社会的な事象の規則性、秩序、論理は高所から全般的な作用を一望する視点に立つのではなく、不規則な細部を観察することによって得られるのであって、人間の行動を導いているのは人間であって進化の法則ではないと言うのだ。大きな事実で小さな事実を説明し、全体で部分を説明するのではなく、微積分が数学の分野において生んだ変化と同様なものを、部分によって全体を説明することで社会学にもたらすだろうと予見した。このような社会的理論の先駆者としてのガブリエル・タルドを見ていたのである。

工業製品にせよ、詩文にせよ、政治思想にせよ、ある日、人の脳の片隅に出現し、際立った特徴を有する社会的産物が、人間のいるあらゆる場所に、無数の複製を通じて自己を広げようとするとタルドは述べる。そして、存在しているということは、異なっているということであるとも言う。いわば、差異は物事に共通した、その本質的側面であり、そこから出発すべきであって誤って同一性から出発すべきではないというのだ。というのも同一性は、最も小さな差異、限りなく珍しい一変種だからだ。何らかの同一性を出発点にすれば、到底あり得ない原点を出発点としてしまうことになり、単一の存在が特段の理由もなく分岐するという不可解な事態から始めることになるからである。それは、ちょうど円が楕円の一変種であるのに、円を基準にしてしまうようなものなのである。ここは差異と反復の問題に関係してくる。

 

差異と反復

フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズは、差異と反復とが生成される秘密が、自然と精神の中にあることを発見したのはタルドだとして称賛を惜しまない(『差異と反復』序章)」。

遺伝が無ければ有機体の進化がないように天体の運動に周期性がなく、地球の運動にリズムがないなら地質的年代や生物の豊かな多様性はなかっただろう。科学は現象の反復を扱う。このような現象の類似や反復は、普遍的な差異や変異にとって不可欠な主題であるとタルドは言う。社会は反復を通じて変化を生み出している。社会の外部者(アウトサイダーたち)というだけでなく、個人の中に潜在する無数の可能性としての異質性、つまり差異は、その社会内に侵入した時から模倣と発明の連鎖をつうじて社会全体を変容させていくという。

だが、一度回り始めた生命のコマが永遠に回り続けないのは何故か? 反復にはただ一つの存在理由があるのだとタルドは言う。それは、「固有の独自性が形をとることを求めて、あらゆる仕方で自らを表現する」ということだった。つまり、自己の表現が形であり、その形の変化が終わった時、形も終わるということだろう。変化が生じ尽くしたそのとき、死は必ず訪れる。生命は開花を求め、自己から解放されようとすると訳者の一人である村澤真保呂氏は『模倣の法則』の「あとがきに代えて」で述べている。

反復は変異のために存在する(『社会法則/モナド論と社会学』村澤真保呂、信友建志 訳)。」

反復と個物の関係は、ちょうど、中世の唯名論と実在論との関係にそのまま当てはめることが出来る。「個別的なもの」、つまり唯名論は考察の対象を唯一の実在的個物にしかないと考える。普遍的なものとは名前に過ぎないとし、その個物は差異という観点から理解されるのだ。「普遍的なもの」である実在論は、実在と呼ぶに値するものは個物に備わった特徴だけだと考える。この時、特徴は個物が別の個物に類似したり他の個物のうちに自己を再生産することを可能にする条件となるというのである。政治における個人主義的自由主義は唯名論の特殊例であり、社会主義は実在論の特殊例であるとタルドは言うのだ。この個物ー差異と普遍ー特徴という対比は『千のプラトー』における量子の流れと線‐切片に繋がるのではなかろうか。

 

流れ――信念と欲望

ドゥルーズ(+ガタリ)は、ミクロ社会学の影響のもとでタルドの今日的意味を見出したのである。このミクロの模倣は流れや波動と関連し、対立とは流れが二項化すること、創意とは流れの接合ないし、連結だという。そして、この流れとは信念と欲望であるとタルド理論を紹介するのである(『千のプラトー』「ミクロ政治学と切片性」)。

ジル・ドゥルーズ フェリックス・ガタリ
『千のプラトー』

個の創意は光の波やシロアリの群れの歩調のように広まってゆく。この時、模倣が意識的なものか無意識的なものか強制か自発かは重要な問題ではないという。模倣は川であり、発明はその源流となる。模倣による反復の中で明瞭で典型的な形態は、社会的反復、有機的反復、物理的反復である。それは言い換えれば模倣的反復、遺伝的反復、振動的反復となる。これが普遍的反復の主要三形態と呼ばれるものである。その反復の中で伝搬されるスピードは、習慣や風習、さらに「人種的本能」と呼ばれるような長い時間をかけてゆっくりと広がるものからコーヒーやタバコなどが市場に出回るような幾何級数的な拡大まで様々ある。

様々な反復は、波動や生物種の間で干渉が起きるように社会現象の模倣の間でも起きる。それは波のように強め合ったり、弱め合ったりする。真に社会的遭遇や干渉が起こるためには、二つの社会的事象が同一の人物の脳の中に存在し同一の精神状態にあるだけでは不十分である。

タルドの言う模倣とは、意図されたものか受動的であるかに関わらず、ある精神から別の精神への距離を隔てた作用、つまり精神間の遠隔作用と脳内における写真の現像のような複製作用のことを指していた(『模倣の法則』「第二版への序文」)。しかし、二つの社会的事象が互いに支援せず、害さず、確認せず、矛盾しないような関係にあっては干渉は生じ得ない。一方が他方にとって障害あるいは手段となり、互いに「原理と結果」「肯定と否定」の関係になければならないという。この二項対立はドゥルーズの言う反復の「流れの二項化」にあたる。それらが反復される過程で対立関係となる時、干渉が起きる。

ガブリエル・タルド『社会法則/モナド論と社会学』

社会的事象は、教義、感情、法則、要求、慣習、風習というように様々な名前をとるが、それらを最後まで分析してみると根本的には信念と欲望でしかないという。つまり、模倣の流れを動かしている主な原動力は信念と欲望である。この二つの信念、二つの欲望、あるいは一つの信念と一つの欲望がふたつの社会事象として模倣の力を通じて長期にわたって別々に発展し、遭遇することもある。

個人の精神内において信念ないし欲望が干渉するのではなく、一部が個人に、他の一部が同類の誰かに属しているような場合、重要な事例となる。この場合、干渉は他者の観念によって自分の観念が肯定ないし否定され、他者の意志によって自分の意志が利益ないし損害を受けたことを個人が知覚する。そのような干渉から共感や契約が生まれ、あるいは反感や戦争が起きるのである。そして、根絶することが困難な恐るべき社会問題をタルドはこう述べる。

少数の分離派を多少なりとも強制的に排除したり改宗させることによって、いつか人間精神の完全な一致を達成することは良いことなのだろうか、それとも悪いことなのだろうか?

諸個人の商業的・職業的・野心的競争、そして諸国民の政治的・軍事的競争が、これまで夢物語であった労働組合あるいは国家的社会主義によって抑圧されてしまい、そこから世界的な巨大連邦や新たなヨーロッパの均衡が生まれ、ヨーロッパ連合に向けての第一歩がふみだされるとしたら、それは良いことなのだろうか、それとも悪いことなのだろうか?

あらゆる支配と抵抗から解放され、絶対的な主権をそなえた強力で自由な社会権力が生まれ、想像しうるかぎりもっとも博愛的で知性的な一党派や一国民によって、その権力が独裁的あるいは因習的な至上権として出現することは良いことなのだろうか、それとも悪いことなのだろうか?
(いずれも『模倣の法則』池田祥英、村澤真保呂 訳)

歴史が答えを出そうとしている問題もあるようだ。

 

アリの眼で見る

ラトゥールに戻ります。彼は徹底的な近接的な視点、つまりANT/アリ(虫)の目で見ない限り新しく有用な社会的直観は生み出されないだろうと考えている。大雑把な概念だけで紋切り型に歴史を切断しようとすることが不毛なら、同様に社会科学の理論をそのように考えることは止めようというのだ。社会活動に対する新たな理解が必要とされている。そこでの「発明」が、あらゆる「個人的創意」が社会科学の中で必要とされている。

ガブリエル・タルドは、アリの労働は「模倣を伴う個々の創意」だという。それは動物社会学者のアルフレッド・エスピナスの説を援用している。山や谷にアーチやトンネルを他所にでなく此処に作るという観念を持つためには、技師ほどの革新的なアイデアに恵まれ、このような自発的な行動を多数のアリが模倣することが必要となる。そこでは固体の創意がどれほど重要な役割を果たしているかを知ることができるという。この社会学への生物学の影響は、細胞理論、遺伝理論、進化論などの発展に伴い19世紀前半から強まっていた。エスピナスの生物学的社会学もそのうちの一つだった。

ブリュノ・ラトゥールが、アクター・ネットワーク・セオリー (ANT) と呼ぶ時のこのアクターという言葉は演劇に由来する。舞台の役者は、例え、一人芝居であっても一人では演じない。演じるということは、さまざまな要素の媒介によって成り立っている。それは、ちょうどサルトルが『存在と無』の中で描く「ほんとうの自分」と「社会的な役割」との違いが分からなくなったカフェのギャルソンのような状態だとラトゥールは言う。

ブリュノ・ラトゥール『社会的なものを組み直す』

劇が始まるや、これは本気なのか、見せかけなのか、観客の反応を取り込んでいるのか、照明や舞台裏のクルーの動向はどうか、脚本家のメッセージはどの程度伝わっているのか、人物は上手く造形されているのか、共演者は何をしているのか、プロンプター (演技中の俳優に陰でせりふを教える役) は何をしているのか、このようにアクターを取り巻く環境の展開を追っていけば、アクターの行為は徐々に非局所的 (ディスローカル) になっていくという。あるアクターが、アクター-ネットワークであると言われるなら、その語が表しているのは、行為の起源に関する不確定性の主なる発生源だということになる。

タルドは、人間の行為が歴史を動かす唯一の要因であると考えるのは単純すぎる。そのため我々は他の領域で流通している便利な虚構によってさまざまな原因を捏造するはめになったという。人間の行為による事象を非人格的な色合いで塗りつぶすのも、数人の偉人たちに帰することもできない。社会変動はいくつかの偉大な観念、あるいは難易度の異なる大小無数の観念の出現によって左右される。言語、宗教、政治、法律、産業、芸術といったあらゆる種類の社会現象は、先行するイノヴェーション (新機軸、技術革新) に新たなイノヴェーションが加算され、さらに改良がなされていく。社会集団の中にこのような新しい要素がもたらされるとそこから段階的な変化が途切れることなくもたらされるのだ。

モナドのネットワークにの中に生まれる「創意」を社会における新しい観念の出現とタルドは捉える。革新的な創意から出発しなければならない。この見方にしたがえば事実の最も細部から最も大きな全体まで描き出すことができる。つまり、歴史の精細さと単純さを余すところなく描写できる。それは、歴史家の観念によるものではなく、行為者の観念による歴史であるという。

ガブリエル・タルド『模倣の法則』

ラトゥールが警戒するのは、こうした複雑極まりない相互関係から成る奇妙、いびつ、風変わりと形容しても良いような状態を無視して社会的と言われる裏側の世界で流通している用語だけに還元してしまう危険性である。社会的説明という作り物の大半はこのように生み出されるというのである。行為の起源はどこに求められるのか。「広範囲に及ぶ社会の力」「私欲による開け広げの計算」「内なる情念」「人の志向性」「良心のとがめ」「社会的期待による役割」「自己欺瞞」といった事柄が果たして「アクターを動かす」社会的な力と言えるのか。かくれた社会的動因、無意識を考え出すことで事が済むのだろうか。彼が言うのは徹底的なANT/アリ(虫)の目で見ない限り新しく有用な社会的直観は生み出されないだろうということである。それは、ちょうどドゥルーズが哲学に新たな概念を生み出そうとしていたことに通じるものがある。

 

たとえ歴史家が、ガリアのローマ化について長々と話すとしても、彼は次のようなこと ―― たとえばローマ語における単語や文法形式、ローマの宗教における儀式の手順、指導士官による軍団員にたいする教練、ローマ建築の各種類(寺院、バシリカ会堂、劇場、円形闘技場、水道、アトリウム〈中庭のある別荘、等々)、学校で無数の生徒たちが習っていたヴェルギリウスやホラティウスなどの詩、ローマ法における法規、ローマ文明において職人から徒弟に、教師から生徒に対して忠実に際限なく伝達された産業・芸術的技法のひとつひとつ ―― を詳しく説明しようとはしないだろう。しかし、もっとも激しい変動過程にある社会がそなえている並外れた規則性は、それらを説明することによってしか正確に理解することができないのである(『模倣の法則』池田祥英、村澤真保呂 訳)。」

 

タルドは、裁判官を務めながら『比較犯罪学』『模倣の法則』『モナド論と社会科学』などを刊行していたが、1894年、司法省犯罪統計局長としてパリに赴任する。51歳の時である。翌年創設された「パリ社会学会」の会長となった。『社会法則』の刊行を経て、1900年、57歳の時にコレージュ・ド・フランスの近代哲学教授となっている。1904年、61歳でパリで亡くなった。ちなみに彼の後任はアンリ・ベルグソンだった。

今回は、比較的新しいラトゥールの著作『社会的なものを組み直す』を起点にタルドの思想に遡り、タルドとドゥルーズの思想的つながりを見て来た。そこには高らかなタルド賛歌があったのが嬉しい。それと、タルド思想との関係で言えば、西田幾多郎のそれやマウリツィオ・ラッツァラートの『出来事のポリティクス』との関係も指摘されている。だが、今回、残念ながら関係する本を手に取ることが出来なかった。機会があれは、ご紹介できればと思っている。特に西田幾多郎は、コレージュ・ド・フランスでタルドに師事し、京都大学で教えた米田正太郎(1872-1945)によってもたらされた心理学的社会学に触れていたようである。ここは、なかなか興味深い。

 

 

引用文献

ジル・ドゥルーズ『差異と反復』

ブルーノ・シュルツ『肉桂色の店』 父の変身、あるいは変容する家庭内叙事詩

 

松澤宥 (まつざわ ゆたか) さんとの展覧会があり、その後、展覧会に関する色々な記録を作っていましてブログが遅れました。約一月半ぶりとなります。今回は、展覧会中に偶々見ることのできたクエイ兄弟の作品から知ったブルーノ・シュルツの世界をご紹介します。

『ブルーノ・シュルツ全集 1』
創作編・評論編 工藤幸雄 訳 新潮社
1998年刊

「ダークなビジュアル・イメージで世界中の映像ファン、アート・ファンを虜にする、一卵性双生児のアニメーション作家スティーヴンとティモシー、二人のブラザーズ・クエイによる短編作品集」‥‥と銘打たれた映像集を見た。こんなに纏めてみたのは初めてだった。クエイ兄弟のコマ撮りの人形アニメーションについては、クレア・キッソン 『話の話』の話 ユーリー・ノルシュテインと幸福な時代の思い出の中で少し触れておいた。

その中でも今回、ご紹介するブルーノ・シュルツ原作の『大鰐通りは傑作と言っていい。ブンダー・カンマ― (驚異の部屋) をテーマにした『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』やシュトックハウゼンが音楽を担当した『不在』よりも、鳥をテーマにした長いタイトルの『ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、フナー・ラウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき』よりもこの『大鰐通り』がいい。この映像は美しいと思う。

錆びた歯車に油を注すように機械仕掛けの装置へ、唾が人によって落とされる。すると、再びのその人形芝居が開始される。埃が積もった床からネジたちが自動回転して捻じれ上がり、床に倒れてゾロゾロと移動し始める。この感覚は、子供の頃、セルロイドの下敷をこすって頭の上に持ってくるとフワ~と髪の毛が逆立っていったあの感じに近いのかもしれない。この作品の不可解なストーリーの流れと特異な映像シーンに心奪われたが、最後のポーランド語と思われるナレーションの響きが如何にも美しかった。シュルツの文章が引用されている。この作品には原作のあることを知ったのだが、本書の訳者である工藤幸雄さんのものでご紹介する。

「人間という材料の安価なこの街では、奔放な本能もなければ異常なほの暗い情熱も入り込む余地はない。大鰐通りは現代のために、また大都会の腐敗のために私たちの街が開いた租界であった。どうやら、私たちの資力はせいぜい紙製の模造品や棚ざらしの去年の古新聞からの切り抜きを貼り合わせたモンタージュ写真しか賄いきれなかったようである。(『肉桂色の店』より「大鰐通り」最終部)」

 

ブルーノ・シュルツは1892年、ポーランドの南東部 (現ウクライナ) ドホロビチにユダヤ人の両親のもとに生まれた。オシップ・マンデリシュタームがワルシャワで生まれた翌年のことだ。服地屋を取り仕切る父ヤコブは、妻のヘンリエッタの名を店の看板に掲げていた。父親が46歳の時の子供で幼児の記憶に残る父は苦行者のようにやせ細り、背中が丸く、白髪交じりの顎ひげを生やし、薄暗い店の奥に白々と見える姿だったという。彼は「哲学者商人」「目立って冗談好きなインテリ」「絵心のある夢想家」として知られていた。その父を偶像のように敬っていた。普通の父親ではなかったことは確かだ。

長兄イズィドルとは11歳離れた末っ子で、それに姉のハンナがいた。一家はユダヤ社会に属してはいても家庭ではポーランド語を使い、先祖伝来のドイツ語に近いイディシュ語は使わなかった。家族の反対から美術学校には進めず、理工科大学の建築学科で学んだが、画家への夢は捨てきれなかった。第一次大戦中、一家は一時、兄の計らいによってかウィーンに避難していたが、1915年にはドホロビチに戻る。その年、ブルーノが23歳の年、彼と同じく病身痩躯で、不安に駆られ神経過敏になりやすく、結核の上に癌を病んでいた父が亡くなった。

戸主を失い、戦火で店舗も失ったシュルツ家は、ルブフ(リヴィウ/現ウクライナ)にある石油会社の支配人であった長男に経済的には負うことになるが、ブルーノも1924年、32歳の時、国立ドホロビチ高等中学校の契約教員となり絵画を教え、やがて工作を教えるようになる。宮沢賢治の『春と修羅』、ブルトンの『シュルレアリスム宣言』、トーマス・マンの『魔の山』などが発表された年である。繊細で控えめなシュルツにとって教職は、執筆との板挟みをともなって、しばしば苦痛となった。長期休暇の申請を繰り返している。しかし、経済的柱であった兄も1935年に心臓病で急死する。ブルーノは母と精神を病んだ姉とその息子、兄の家族の生活を支えなくてはならなくなるのである。

スティーヴン&ティモシー・クエイ作品 『大鰐通り』部分

「父がマネキン人形という言葉を口にしたそのときであった、アデラは腕環についた時計に目をやり、それからポルダに目くばせで合図した。次に彼女は椅子ごと一歩前にせり出すと服の裾を捲 (まく)って、そろそろと足先を現してゆき、黒い絹にぴっちりと包まれた足首を蛇の頭のように伸ばした。‥‥こうして彼女は堅苦しい姿勢を保ったまま、アトロピン(ベラドンナから採れ、瞳孔を広げる作用のある有機化合物)の藍色で深さを増した大きな瞬きする目を据えて、まる一時間ポルダとパウリナに挟まれて坐りつづけた。‥‥霊感に駆られた異端者、めったに熱狂の嵐から逃れ出ることのない父が、とつぜん自分のなかに引っ込み、沈み、たたみ込まれた。‥‥突き出したアデラの片足の靴が小刻みに震え、蛇の舌のようにちらちらとした。父は伏し目のままゆっくりと立ち上がり、機械人形のような一歩を踏み出し、それから跪いた。ランプが静寂のなかでSの音を響かせ、壁紙の茂みのなかには、往きつ戻りつ物いう視線が走り、毒を含んだ舌の囁き、思考のジグザグが飛び交った‥‥(『肉桂色の店』より「マネキン人形論あるいは創世記第二の書」工藤幸雄 訳)」‥‥イメージと隠喩の豪奢で緊密なネットワーク。

クエイ兄弟の作品『大鰐通り』は、15章からなるシュルツの原作『肉桂色の店』のいくつかの場面からインスパイアーされて作られていると言っていいだろう。上にご紹介した動画はこの作品のほんの一部だが、この場面は『肉桂色の店』の第四章「マネキン人形」の方をもとに創られたのではないかと思われる。その原作を端緒としてクエイ兄弟独自のイメージが横溢していく。この「マネキン人形」では、家政婦アデラが見つめる中、お針女のポルダとパウリナたちが衣装を着せるのは、首代わりに黒い木の球をつけた麻屑と布でできた貴婦人のマネキンだったが、クエイ兄弟の作品では壮年とも初老ともとれる服地屋の主人=父親と思える存在がお針女たちに寄ってたかって変身させられている。

 

シュルツにとって父親とは何だったのだろうか。息子は、ある夜、魔物が父の身体に入り込むのを聞いた。ベッドから起き上がると預言者のごとき怒りによって、ひょろ高い長身へと変貌し、割れるような声で機関銃のような言葉を浴びせる父がいた。

発酵の結果生じる内部構造を持たないコロイド類。それらから成る疑似動植物。見かけの上で、脊椎動物、甲殻類、節足動物に似た存在。無定形でありながら一たび形態を付与されれば、それを記憶する存在。物質の模倣性向を顕現するそれらの存在を空想の中で自由に編み出す父。

従兄弟の一人が不治の長患いの末、姿を変え、徐々に一巻きのゴム管になると従姉は冬、いつとも果てない子守唄を歌い続ける。そんなことを語る父に我慢ならない女中のアデラは、近寄るなり指一本たてて、くすぐる意味の仕草をすると、父は、狼狽し沈黙し、恐怖に怯え、彼女の揺り動く指の前からあとずさりし、部屋から逃げ出してゆく。

あの黒い群れの洪水、身の毛もよだつジグザグを描いて床を突っ走る恐慌の野放図な妄想。手に投げ槍を握りしめ、椅子から椅子へと飛び移りながら威嚇の声を上げ、油虫の大群に口の周りを嫌悪の痙攣に歪めながら発狂する父。やがて奇怪な祭儀を思わせる節足動物の複雑な運動をみせて油虫に変身してゆく。(ちなみに、ポーランドに油虫がいるかどうかは僕は知らない。寒さの関係かウィーンにはいなかった)

我が家が経済的に破綻した年、ザリガニかサソリのような甲殻類に変身した父は、あらたな遠近法から家の様子を窺っていた。昼間は家中を歩き回り、ドアの隙間からハサミと脚を差し入れ、無理やり体を平らにしてドアの下をくぐって部屋に入り込むことを覚えた。しかし、それはある種の宿命性ゆえか、やり切れない気持ちをあえて振り払って息子は母に問うた。「まさか‥‥母さんが‥‥」父は皿に載せられて運び込まれてきた (『砂時計サナトリウム』から「父の最後の逃亡」)。

 

フランツ・カフカの『変身』が出版された1915年は、奇しくもシュルツの父が亡くなった年である。カフカが実利的な父親に対して反感しか持てなかったこととは対照的にシュルツの父は『肉桂色の店』(1993年刊) などを書くうえで文学的な極めて重要なファクターとなるほどの磁力とオーラを持っていた。

シュルツは、1936年にカフカの『審判』に関する書評を書いている。このカフカ作品に対する極めて早い反応は、訳者の工藤氏が述べているように、同時代を生きたユダヤ人の血に根差し不条理な世界に新しい創作を求めた両作家の資質と彼らが生きたオーストリア・ハンガリー帝国という文化圏の同一性に伴う共感の故かもしれない。しかし、カフカの『変身とシュルツの『肉桂色の店』に登場する父の変身とは、設定がかなり異なる。

カフカの『変身』一、二章において、一人称で語るグレゴール・ザムザの心理の中にあるものは、一介のサラ―リーマンが不慮の出来事で仕事に遅れるという焦りと仕事を失い、一家の経済を破綻させるのではないかという恐怖だった。南京虫か、甲虫になるという奇想は、身体が不条理という物化を遂げるという設定へ結びつく。三章では三人称の語りとなり、気味悪がりながらおっかなびっくりの愛情をこめて世話していた妹も、気遣いが裏目に出る母も、怪物から家族を守ろうとする父も、お手伝いという第三者の登場によってか、家族のお荷物となるグレゴールの死を安堵をもって迎えると結末になっていく。認知症の身内の死を平和な家庭の回復として受け入れる家族の心情に近いかもしれない。ここには、内面世界と外界世界との衝突によって軋む人間のモラルが浮き彫りにされる。この設定は、現代にも痛烈に響く。

ブルーノ・シュルツ
『砂時計サナトリウム』挿絵

シュルツの父親は、ある叙事詩の重要な登場人物である。その叙事詩には第一次大戦もナチスの胎動もない。シュルツの家庭内叙事詩は、「紙製の模造品や棚ざらしの去年の古新聞からの切り抜きを貼り合わせたモンタージュ写真」のごとき現実から作り替えられた神話だと言えるのではないか。彼は、古新聞の切り抜きのような自分の家庭を題材としながらも、その現実から魔術的変容によって逃れ出ようとするある生命的実体を描いた。シュルツはカフカへの評論でこう述べる。「‥‥これらの認識、観察、究明は、彼の独占する財産ではなく、あらゆる時代と諸民族の神秘思想――それはつねに主観的で偶然的な言葉、ある共同体と秘教的流派の型どおりの言葉で伝えた――の共通の遺産である」と。あらゆる時代と諸民族の神秘思想という言葉が、実はそのまま自身の作品へ妥当してしまうのである。

シュルツによれば、現実がある形を装うのは、もっぱら見せかけ、冗談か遊びのためだった。誰かは人間で誰かは油虫だったのだ。それは、かりそめに受け入れられた役割であり、仮面のように脱ぎ捨てられるものだった。すべては己の限界を超えた外へと拡散し、ほんの一瞬、ある形を保つだけで、隙あらばそこから脱出しようとする秘められた生命だったのだ。実体の生命とは無数の仮面の使用によって成立する形の移行であり、そのような実体からある種の汎アイロニーが生まれるという。楽屋に戻った役者は、衣装を脱ぎ捨てて、われと我が役をあざ笑うというのだ(1935年『公開書簡』)。そこにはある種の笑いの原理や復活とユートピアが開示されていく。何故かは、後に述べたい。

「変身 METAMORPHOSIS」(アーサー・ピタ振付/エドワード・ワトソン/ロイヤル・バレエ団) カフカの『変身』をバレー化した作品で面白い企画。

 

シュルツは画家になりたかった。幼い頃、床に座って次々と絵を描いて周りを感嘆させた少年は、28歳になっていた。その1920年頃からガラス陰画と呼ばれる技法で『偶像賛美の書』というシリーズを制作している。ガラスに黒色のゼラチンを塗り、その塗布した膜をニードルで引っ掻いて絵を描き、写真の感光紙を重ねて光を当て、現像するというものらしい。カリカチュアの系譜にあることは間違いない。ゴヤのタッチを彷彿させ、ロップスのポルノグラフィを思わせるものもあるが、ロップスほどには過激ではなさそうだ。同時代の作家ならオットー・ディクスやジョージ・グロスに近いだろうか。同郷の画家ヨアヒム・ワインガルトやクラクフ出身のモイズ・キスリングに対抗心や羨望はあっただろう。パリに伝手を探し求めようとしたこともあった。絵画の教師としてドホロビチ高等中学校にあってもその夢は捨ててなかったようだ。

ブルーノ・シュルツ
左 『偶像賛美の書』から「けだものたち」 ガラス陰画 1920~22年頃
右 『出会い』油彩 1920年

一方、シュルツは文学の方面において注目されはじめていった。41歳、1933年頃『肉桂色の店』が刊行され、4年後の1937年『砂時計サナトリウム』が出版されたのである。ポーランドの批評家エヴァ・クリークルはシュルツの芸術を真に格調高く謳いあげている。ヨーロッパ文学の地下水脈を流れる闇なるもの、外典的なもの、異端的なものを手法として常に専用してきたのは奇矯なアウトサイダー、夢想家といった根源の基盤への復帰と未来への逃亡とに魅せられた人々であり、その中にシュルツも含まれるというのである。ダンテの天国は地獄の滑稽な描写に補完され、シェークスピアでは悲劇のあとに卑猥な冗談が流れ、ダ・ヴィンチの醜怪な男の頭部は聖母像とコントラストを画し、ラファエロはヴァチカンの聖なる空間を異教風のアラベスクで飾り、ジャック・カロは喜劇コメディア・デラルテの風刺画を描いた。それらは共に文明の奥に潜む異常、愚劣、残酷さを暴き出すという。

ジャック・カロ 『茶番劇のヴァイオリニスト』  17世紀

比較的少数のラブレーのような作家やボス、アルチンボルド、ビアズリーのような画家がグロテスクの手法に携わったというクリークルの指摘は鋭い。それは、普通言う意味のグロテスクではなく、ミハイル・バフチンの言うグロテスクである。バフチンは、グロテスクを大衆的な笑いの原理、生活の物質的・肉体的原理、アンビヴァレントな価値を併せ持つ変化の両極性、再生と復活のユートピア性を持つと規定し、宗教の厳格性や学問の抽象性をこととするお堅い文学と対抗させた。

開明的エリート、純粋理性の高みに舞い上がろうとする芸術は、原始的で過去という泥沼に浸り暗黒の洞窟に永遠に閉ざされた芸術と並置されるべきだとクリークルは述べる。そして、自分たちの時代は全体主義の時代だったと喝破する。ファシズム、ナチズム、コミュニズムのイデオロギーは、科学的ないしエセ科学的傾向に、善と悪との宗教的二元論、古色蒼然たるメシアニズムを抱き合わせにした。地球の表面から劣等種族や劣等階級といった人類の一切悪を抹消し、究極の楽園を目指すという新たな黙示録的な「啓示」は、空前の堕落退廃をもたらし、数百万人が隷属に置かれ、油虫のように撲殺されたという。国という国が幼稚園児のキャンプの水準に引きずり落され、新たな暴政はありとあらゆるものの品質を低下させ、人々を幼稚化し、個人間、社会間に野獣性をもたらしたと断言するのである。シュルツの壮年時代は、そんな暗黒に塗りつぶされていったのである。

 

ブルーノ・シュルツ全集 2
「書簡篇」「解説篇」

戦争がやって来る。ドホロビチはソ連の赤軍によって占領された。かつて同じオーストリア・ハンガリー帝国の東端であったチェルノヴィッツ(現ウクライナ)とまるで判を押したように同じ運命をたどる。そこはパウル・ツェランの故郷だった。次いで1941年、ドホロビチをナチス・ドイツが占領する。シュルツ一家はゲットーへ強制的に立ち退かされた。

翌年、シュルツはドホロビチのユダヤ人評議会の指示でゲシュタポ所属の図書館で働くようになる。イエズス会の蔵書をカタログに残して保存するか廃棄処分にするかを仕分ける作業だった。絵描きとして奉仕させられることもあったようだが、強制労働に比較すれば楽な作業だった。ワルシャワへの脱出の話もあったのに踏み切れず先延ばしにしていた。家族や自分の作品をどうするかを気に病んでいたようだ。同じ図書館で働いていたルボヴィェツキは手紙にシュルツの最後をこう書いている。

それは、1942年の「黒い木曜日」と呼ばれる日だった。私たち二人はたまたま食料の買い出しのためにゲットー内にいた。突然、銃声が鳴り響き、逃げ惑うユダヤ人たちを見た。私たちも急いで逃げたが、体力の弱っていたシュルツはゲシュタポの一人に追いつかれ、頭に二発の弾丸を撃ち込まれた(『ブルーノ・シュルツ全集 2』)。

後の調査によると「黒い木曜日」の大量殺戮は、追い詰められたユダヤ人がゲシュタポの一人に軽い傷を負わせた報復だったようだ。人々は油虫のように殺された。シュルツは、その日汽車でワルシャワへ逃れる予定だったという。その最後の別れのシーンをシュルツの元生徒だったグルスキは、小柄な、いっそう痩せてしまった先生のシルエットが、いかにも心細げにゆっくりとした足取りで遠ざかっていったと回想している。そして、痛々しさと共に身を固くしながら立ち尽くす自分の姿を感じていたという。

 

ブルーノ・シュルツ『自画像』1920~1922年

自分の作品を分散して人に預け、家族を気遣いながらゲットーで非業の死を遂げたシュルツ。彼は、リルケやトーマス・マンの著作を愛していた。とりわけ、マンの作品を智と夢の純乎としたエッセンス、至賢の最的確な言葉で捉えた非合理性(夢)と称えた。そのシュルツの言葉を最後にご紹介してこのブログを終わろうと思う。訳も素晴らしい。

「書物」‥‥‥どこか幼年時代の暁、人生そのものの明け方に、この「書物」の優しい光に地平が明るんだのだった。それは栄光に満ちて父の事務机の上に載っていた。黙ってその本に見入りながら父が、唾をつけた一本指であれらの写し絵の背を丹念にこすりつけているうちに、やがて盲目の紙片は靄 (もや) を帯び、薄くぼやけ始め、甘味な予感によって微光を放ち出し、にわかに薄紙のけばだちが剥げ落ちると、紙は孔雀の羽の玉模様を思わせる睫毛のある片影をわずかに覗かせた、すると視覚は失神しかけながら、神々しい色合いのけがれ知らぬ夜明けのなかへ、純潔の藍色の奇蹟の湿りのなかへ降りていった(『砂時計サナトリウム』から「書物」工藤幸雄 訳)。

 

 

参考文献

J. M. クッツェー『続・世界文学論集』
シュルツやヒメーネスなどあまり馴染みのない作家の文学論も読める。

フランツ・カフカ『変身』   池内紀 訳

 

 

 

 

 

 

チャールズ・サイフェ『宇宙を複号 (デコード) する』 エントロピーとデコヒーレンス

 

チャールズ・サイフェ『宇宙を複号 (デコード) する』 2007年刊    Charles Seife

相手に何かを伝えたい、コミュニケーションしたいという衝動は、群れて生活するものにとって切実である。非常事態宣言が出て外出自粛になっても、知り合いがスーパーにいれば、ついつい話し込んでしまうのは人情だ。そのコミュニケーションが、いつの頃か情報と呼ばれるようになる。他人と情報交換したいという欲求は文字の発明と同様に、あるいは人が言葉らしきものを操るようになる時期よりも古い衝動であるかもしれない。しかし、面白いのは、買い物という物を買う行為と互いに話し込むという情報交換がセットになって生じている事態だった。物と情報はセットになっている。その象徴的な場面と言える。ちょっと、コジツケたけれど、それは、互いに相補的と言えるんじゃないのかな。

今回は、情報の著作のうちで量子と縁の深いものをご紹介したいと思っている。とても良い本に巡り合った。チャールズ・サイフェの『宇宙を複号 (デコード) する』である。

前回量子世界は表象可能か」量子論が情報論へと傾斜してゆく端緒となった観測問題と量子もつれについてご紹介した。今回はその延長線上にあるので、もし、前回の記事を読んでない方は是非読まれることをお勧めします。今回は、熱力学の第二法則という僕にとって分かったようで分からない法則が、意外にもクロード・シャノンの情報論とシンクロし、あまつさえ量子の世界と連動していくという、臓器を再生できる iPS 細胞張りの破天荒へと(いや、失礼)、奇想天外へと(これも、まずい)、世紀の発見へと誘われるのである。しかし、本書が僕に大きなインパクトを与えたのは、量子という契機から世界を情報という観点で見た時にどのように見えるのかを概括しようとしていることにある。これはとてもレアな観点じゃないか! と思ったのである。ともあれ、一度読むことをお勧めします。

チャールズ・サイフェはアメリカ生まれのジャーナリズム論の研究者である。エール大学大学院で数学を学んだあと、コロンビア大学に移りジャーナリズム論で博士号を取得している。その後、サイエンスライターとなって「エコノミスト」「サイエンティフィック・アメリカン」「サイエンス」などに寄稿しはじめ、1997年~2000年まで「ニュー・サイエンティスト」の記者を務めていた。その後、ニューヨーク大学でジャーナリズム論の教鞭を執っている。著書に『異端のゼロ』があり、『Alpfa&Omega』でPEN/マーサ・アルブランド賞を受賞している。ただのサイエンスライターというだけでなく、ジャーナリズム論を研究しているというのが魅力的だ。なんせ文章が上手い。

 


熱力学は蒸気機関の研究から19世紀に夜明けを迎えた。その世紀の終りにはエントロピーと呼ばれる熱力学の第二法則が古典的物理学に最初の楔を打ち込んだ。しかし、決定的な一撃はボルツマンがこの熱力学に統計学的な確率をもたらしたことによって起こる。そのエントロピーとは何か。確率が導入されるとはどのような意味があるのかが極めて明快に説明される。


 

カルノーとクラジウスとボルツマンの熱

18世紀の終り頃、パリに生まれたサディ・カルノー(1796-1832) は、軍人、政治家、技術者、数学者といった多様な面を持ち合わせた有能な若者だった。軍隊を嫌い、熱機関に研究に没頭するようになる。とりわけ、蒸気機関の熱効率の限界と最大化を研究したことで知られる。経験的な事実のみから熱は運動に変換されることを発見し、気体と熱とに関する法則を打ち立てたが、天才の薄命はいつの世にも惜しまれた。

こんどは、イギリスのジェームズ・プレスコット・ジュール (1818-1889) によって熱の仕事量の値が定式化される。それによって熱量の単位はジュールと呼ばれる。やがて、ドイツのルドルフ・クラジウス によって重要な二つの法則が打ち出された。熱エネルギーと仕事は互いに転換できる。これが、エネルギー保存則の一端である熱力学の第一法則である。器の中の温度が下がって周りの空気の温度と同じになることを熱平衡状態というが、元に戻れない不可逆的変化を示している。熱が常に温度差を失くす傾向を示して高温から低温へと移り変わるのを熱力学の第二法則とした。外からの熱の移動がない限りその逆は起こらない。それを、閉じた系ではエントロピーが時間的に増加するという。僕にとって分かるようでよく分からない法則だった。

1884年、ウィーンに生まれたルートヴィッヒ・ボルツマンは社交下手だが優秀な物理学者だった。イギリスのジェームズ・クラーク・マクスウェルが気体の中で様々な速さで運動する原子が、ある速さで動く確率を少しズングリした釣り鐘型 (ベルカーブ) の分布で表した。それは、マクスウェル-ボルツマン分布と呼ばれている。ボルツマンの名がこの分布と結び付けられたのは、彼が数学的にそのことを証明したからである。気体は少しの間ほっておくとすぐに不可逆的平衡状態になりこの分布に沿ったありかたをする。しかし、それは実験に基づくものでなく純粋な推論であり数学的な定理としてしか見なされなかった

彼は、物理に確立と統計を導入したのである。この第二法則には統計的な要素があることが明らかにされる。それは物理法則の土台を掘り崩すような不安を周囲に与えるものだった。ここでは、法則は「成り立つこともある」程度の確実性しか持たないことになるのである。極めて重要な要素を物理の世界に導入したにも関わらず、評価は冷ややかなものであったのだろう。それにマクスウェルの悪魔が追いうちをかけた。熱力学の第二法則は、人間に何ができないかを思い知らせた。永久機関は不可能であり、エネルギーは無から作ることは出来ないと裁可が下されたのである。エントロピーは普通、高くなるほど乱雑さが増すと表現されるが、これは間違っている。これをサイフェが巧みに説明しているのでご紹介する。

 

エントロピーと確率

図1 二つに仕切られた箱と豆の入る確率

図1 二つの豆 (本書ではおはじきになっている) を真ん中で仕切られた箱に少し離れた所から投げ入れてみる。1.一つ目の豆も二つ目の豆も箱の仕切りの右側に落ちた。2.一つ目は右側に二つ目は左側に落ちた。3.一つ目は左側に二つ目は右側に落ちた。4.一つ目も二つ目も仕切りの左側に落ちた。これらは全て等しく25%の確率で起きる。豆が互いに区別できないとすると豆が仕切られた箱のそれぞれの側に入る確率は、25%、50%、25%になるのである。

図2 今度は投げ入れる豆を4つに増やしてみる。結果は16通りあるが、豆が区別できなければ5つの場合に分けられる。1.右が4つ。2.右が3つ、左が1つ。3.右が2つ、左も2つ。4.右が1つ、左が3つ。5.左が4つ。これをグラフに表すと確率分布を表現できることになる。投げる豆の数を増やせば増やすほど、分布は釣り鐘状のベルカーブに近づいてくる。最も確率が高いのは豆の半分が箱の右側、半分が左側に落ちるケースで、最も確率が低いのは豆が全て右半分、あるいは全て左半分にある場合である。

図2 二つに仕切られた箱に4つの豆が入る確率

どのくらい低いかをみてみよう。豆1024個をでたらめに箱に放り込んでみる。外さずに入れるのは至難の業かもしれないが、箱の片側に全ての豆が入る確率は10の290乗分の1となる。ちなみの観測可能な宇宙の原子の数は10の80乗個くらいしかないらしい。仕切りの片側にすべての豆が入ることが数学的には全くないとは言えないが、事実上はないと言ってよいだろう。

ここで、重要なのは、この箱と豆から成る系におけるエントロピーとは箱の中の豆がなんらかの配置をとる確率ということなのである。ある塊の量をはかれば、はかりの示す数字はその塊の中にどれだけの物質があるのかという尺度になる。カップ内のお茶に入れた温度計の数値は、お茶の中の分子がどれくらいの速さで動いているかという尺度である。エントロピーとは温度や質量と同じく物質の塊に備わっているある性質の尺度なのである。これは、けっして乱雑さの度合いのことではない。ただ、エントロピーが特殊なのは、質量や速度といったものよりも数量化しにくい。物質の集まり全体の配置をある幅を持った確率によって表現するからだとサイフェは言う。

図3 仕切った箱に区別できない1024個の豆を投げ入れた時にあらわれる確率分布

図3のように豆を1024個、箱に投げ入れた時、最も生じそうな結果は箱の両側に512個くらいがある状態で、最もエントロピーが高く、最もありそうにない結果は片側にのみ1024個ある場合で、最もエントロピーが低い。

空っぽの容器にヘリウム原子を1024個入れて放っておくとブラウン運動で拡散して容器を覗けば半分は右側に半分は左側にあるような分布になる。それが最も起こりやすい確率で、エントロピーの最も高い状態、つまり一様に分布している状態である。それが一旦起きると元に戻ることがない。つまり、時間の矢が存在していることになる。その矢は、イリヤ・プリゴジンが『確実性の終焉』で述べているように新たな科学の契機となるのである。カオス理論や複雑系といった非線形性科学の流れが形成されてゆく。

しかし、極く小さな系では極端な分布を見せることが時としてある。ラテックスと呼ばれる天然ゴムのような乳濁液がある。その中の微細な粒子をレーザーで小さな領域に押し込めて、解放後に系のエントロピーの推移を観察する。たいていは、エントロピーは増大するが、ごくたまに隅にかたまってエントロピーの減少を見せた。第二法則の破れだとして騒がれたこともあるらしいが、それは4つしかない豆を箱に投げ込む時と同じで、最も起こりにくい確率が小さな系では起こり得る。量子のようなスケールでは、真空の揺らぎと呼ばれるごく短い間に素粒子がパッと出現し消滅するような事象が起こってエントロピーが破れているように見えるが、それはこの場合と同じことなのだ。サイフェの説明はとても的確なもので感心することしきりだ。熱力学の第二法則がやっと腑に落ちた。エントロピーとは物質が空間に位置する時の起こりやすさの確率を示している。

ボルツマンによって20世紀の科学、とりわけその後半にとって重要な発見がなされていた。彼の周囲はそのことに気づかなかった。ボルツマンは、熱力学から最強の物理法則とサイフェが呼ぶ情報理論が生まれるのを見ることなく自ら命を絶ったのである。彼の墓石には S = k log Wという極めて簡潔な式が刻まれていた。Sは両側に豆が512個あるといった配置のエントロピーを指し、kはボルツマン定数、ある配置が現れる確率をWが指している。

 


ボルツマンの方程式は意外な方向からその有効性が確認されることになる。それがクロード・シャノンの情報理論である。それは、他人の空似ではないかという指摘もあった。しかし、それが決定的に等しいと思わせた要因は、皮肉にもボルツマンを悩ませたマクスウェルの悪魔だったのである。何故なら、情報論もまた物理的実在と不可分であったからである。


マクスウェルの悪魔

マクスウェルの悪魔

1871年頃のこと、電磁場のモデルを定式化したイギリスのマクスウェルは、ミクロな情報が分かれば、エネルギーを低温部から高温部へと移動させることが可能だとした。この破天荒な説には、ミクロの分子運動が見える小人のデーモンが登場する。一定の温度の気体が入った箱を仕切りで二つの空間に分ける。仕切りには穴があり、そこを通過する分子をデーモンが見張っている。デーモンは通過しようとする分子の速度が平均以下なら左側に集め、平均以上なら右側に集める。こうすると箱の左右を温度の異なる空間に分けることが理論上は可能となる。必要な分子なら穴のゲートを開けて通過させ、不要な分子はゲートを閉じて通過させない。ゲート制御のエネルギーは無限小にできるとする。

重要なのは、エネルギーは保存されていて第一法則は満たしているが、低温部から高温部へエネルギーを持ち出すからエントロピーは減少していて第二法則に矛盾するのである。この問題は一世紀以上も科学者たちを悩ませた。ボルツマンにも、このマクスウェルの悪魔を退散させることが出来なかったのである。

1948年有能なアメリカの技術者であり数学者であるクロード・シャノンが、情報は測定でき数量化できることに気がつく。この時、情報革命が始まった。そして、マクスウェルの悪魔の息の根は止められたのである。

情報とエントロピー

シャノンはベル研究所で、一本の電話回線に幾つくらいの通話を流すことが適当か、それを計算するにはどうしたらよいかを考えていた。まず、問いと答えという領域からこの考察は始まる。単純な問いでは二者択一のイエス・ノー・クエスチョンとなる。コインを投げて出たのは表か裏か、白鳳は今日負けたか勝ったか、物価は上がったか下がったかなどなどである。このような問いの答えは二つの記号で表せる。T (真) と F (偽) 、YとN、1と0というわけだ。二つの値のどちらかを記号一個で答えられる。それが二進数の記号、つまりビットである。

シャノンが1948年「コミュニケーション数学論理」で初めて使って以来ビットが情報の基本単位となった。4つの答えがあるなら、0001、1011の2ビットで答えを表せる。8通りの答えなら、000、001、010、011、100、101、110、111というふうに3ビットとなる。1から1000までの中で私が頭に描いている数を当ててもらうとする。あてずっぽうを言っても正しい答えである見込みは1000分の一に過ぎない。しかし、「500より小さい?」「250より大きい?」という問いを投げかけると10回目の質問で100%正しい回答が得られるのである。シャノンは答えの可能性がN通りある問い x には x = log N ビットしか要らないことを発見したのである。これはボルツマンの式と本質的に同じものだ。

書かれた言葉は記号の連なりであって、その記号はビットで書き表せる。アルファベットなら26文字だから5ビット弱で表現可能となり、漢字はもっと多くて16ビットらしい。こうなると、どんな情報もビットで表現できることになる。逆に考えれば文字の連なりから最大限含まれる情報を見積ることができる。

ボルツマンが、1877年に原子群の運動状態数の対数が熱力学で導入されたエントロピーであると再定義していたことは先に述べた。シャノンが情報量を対数で表現するアイデアをフォン・ノイマンに話したら、ノイマンは一言「それはエントロピーのことだ」と言ったらしい(佐藤文隆『量子力学は世界を記述できるか』)。

サイフェの『宇宙を複号 (デコード) する』に戻ります。0、1の数字の連なりが、50%が0、50%が1である場合、その0,1の配列は最もランダムである。それは多くの情報を伝えることが出来る。シャノン・エントロピーが最も高いと言える。逆に00000‥‥や11111‥‥の場合はランダムではなく伝えられる情報はわずかである。これはエントロピーが低いと考えられる。もし、その75%が0、その25%が1であるなら、逆でも良いのだけれどシャノン・エントロピーは中程度となる。ここからサイフェは熱力学のエントロピーと情報とは双子の兄弟だというのである。ここの説明は絶妙だ。これだけでもこの本を読む価値がある。シャノン・エントロピーとは1,0の記号の連なりがどれくらいの情報を伝えられるかという尺度なのである。しかし、情報理論が真に革命的だったと言えるのは、物理的世界との確固とした絆を持っていたことだった。

マクスウェルの悪魔死す

1929年にハンガリー生まれのレオ・シラードは、マクスウェルの悪魔の改訂版である「シラードの悪魔」を創り出した。あれこれ分析している内に悪魔が扉を開いて、この原子を入れよう、この原子は入れさせないと観測することによって何らかの情報を引き出しているのだが、測定という行為によって何らかのエントロピーを増大させているのではないかと考えるに至る。情報を得るのに必要なのは、情報1ビットにつき kTlog2 ジュールであることが分かった。Kはボルツマン定数、Tは原子の入っている部屋の温度である。それによって宇宙のエントロピーは増大し、箱の中のエントロピーを減らそうとする悪魔の努力は水の泡となるのである。ここで、熱力学のエントロピーは情報と結びつくらしいということが示唆される。

1951年、フランスの物理学者レオン・ブリュアンがシャノン流の情報エントロピーによって原子の熱力学的エントロピーの振舞いを説明したのである。こんな具合だった。悪魔は原子を測定するための道具を必要とする。原子に当たってはね返ってくる情報、つまり、熱いか冷たいかという二者択一の問いに対する答えによって扉の開閉を判断しアクションする。ブリュアンは、受け取った情報に基づいて行動するという行為は悪魔が減らしたのと同じだけのエントロピーを増加させてしまうと考えた。

そして、1961年、観測によってエントロピーを消費するという現象はコンピューターの情報を消去することに繋がることをIBMのロルフ・ランダウア―(1927-1999)が、次いで1982年に同じくIBMのチャールズ・ベネットが示した。コンピューターがエルネギーを消費せずに情報処理することは可能だが、ビットを消去するためにはエネルギーの対価を必要とし、熱の消費が必要とされることを明らかにした。ここは、量子の観測問題と絡んで面白い所だ。メモリーのなかのビットを利用して扉を開けるか、閉めるかというプログラムを実行する。有限なメモリーを使い果たせば、データを取り除くためにメモリーポジションを消去しなければならない。熱を生み出してエントロピーを放出していることになる。それは、不可逆的な過程だった。悪魔が作業を続け、情報でメモリーを満たしていられるのは次の新たな測定と作業までということになるのだ。

ついでに言うと、ビットを消去するための電力消費による熱量は大した量ではない。ちなみにパソコンが熱くなる理由なのだけれど、CPUでは細かく充電や放電して「0,1」状態を作っている。だが、回路を作動させるための電力消費、トランジスターから不要に流れる電流、またその導線による抵抗といった理由で発熱している。けっこうな熱がでているのだが、スーパーコンピューターとなるとその比ではないらしく、コンピューターの作動と冷却のためにとなりに発電所が必要になるくらいだという。

 


サイフェの情報論は、ここで一気に拡大してゆく。情報とは何かが洗い出される。量子の測定 (物理実験の観測とはいささかニュアンスが異なる) という問題は実は自然の止むことのない性向であり、けっして留まるとことがないという。量子の重ね合わせともつれは今や量子コンピューターを開発する要となっているが、微視的存在が測定によって重ね合わせが壊れてゆくように巨視的存在も外界との触れ合うことで重ね合わせは壊れる。そのことによって情報は環境に流れ出してしまうのである。実はそれが観測問題の要点だった。


 

情報移転という情報

英語圏には、やかんをずっと見守っているとなかなかお湯が沸かないという諺があるらしい。昔の人の知恵というのは、あながち馬鹿にできない。ここでサイフェは非常に面白い例を挙げている。放射性原子を見続ける、つまり観測し続けているとその崩壊を防ぐことが出来るというのだ。これを「量子ゼノン効果」という。純粋に崩壊していない状態を(0)、純粋に崩壊した状態を(1)とすると、前回の量子世界は表象可能か」で述べたように放射性原子のような量子は重ね合わせの状態にあるので、崩壊していない0の状態と崩壊している1の状態は重ね合わされた状態になっている。シュレディンガーの猫が生きている状態と死んでいる状態が重ね合わされていると同じだ。もっともシュレディンガーはそれに皮肉を込めていた。

この放射性原子の重ね合わされた状態は、[100%]0&[0%]1という状態から[85%]0&[25%]1、あるいは[0.1%]0&[99.9%]1など色々の状態が重ね合わされているのであって、崩壊すれば最終的に[0%]0&[100%]1という状態になる。しかし、これに光を当てて測定を繰り返すと崩壊していないのだから100%(0)になる。それによって重ね合わせは崩壊し[100%]0&[0%]1状態に戻ってしまうのである。測定という行為は、情報を移転させることであり、物理現象に作用していることになる。量子情報は物質がどう振る舞うかを支配する法則と結びついているというのである。

超伝導量子ビットに基づく量子コンピューター
IBMリサーチ、チューリッヒ

量子コンピューター 

量子の持つ重ね合わせの性質を使ってコンピューターを作ろうと現在色々考えられている。量子スピンの上か下か、光子の偏光の向きの縦か横かにビット情報である0と1を割り当てると、量子を情報として扱える。それを量子 (Quantum) という名からキュービットと呼ぶ。量子の重ね合わせともつれを使うと一度に一つの質問をしていちいち計算して答えを出すのではなく一度にすべての質問を出し計算させることが可能になるという。

1000の中のどれか一つを選んで、その数を当てようとしてもらうとYES・NOクウェスチョンを10回行えば答えが出るので古典的なコンピューターでは10ビットのメモリーがあればよいことになる。しかし、キュービットを使うグローヴァ―のアルゴリズムでは4つで済むのである。四つのキュービットは初め釣り合いの取れた[50%]0&[50%]1という状態になっている。それを測定すると一つ目のキュービットが0か1かである確率は50%50%となる。この四つはもつれによって繋がっているので ([50%]0&[50%]1)([50%]0&[50%]1)([50%]0&[50%]1)([50%]0&[50%]1) という状態である。

0と1の四つの組合せは、0000~1111まで16通りあり、この四つのキュービットには16通りの組み合わせが重ね合わされている状態にある。ここが大切な所です。次のステップは重ね合わされたこれらの対象を数学的な処理によってあるカギ穴に相当するものに詰め込むとそれぞれのキュービットの確率は50%50%からより正しい確率に変化する。例えば ([25%]0&[75%]1)([750%]0&[25%]1)([75%]0&[25%]1)([25%]0&[75%]1) といった感じだ。2回カギ穴に通すだけで正しい答えが得られるというものだ。

1998年の最初期の量子コンピューターでは、原子のスピンを強力な磁場で制御して原子のスピンにグローヴァ―のアルゴリズムに対応するダンスをさせて (磁気的に制御して) 正しい答えを導きだしている。しかし、その進展は、順調とは言えないようだ。例えば、光子は1秒間に地球を7周半する。そんな落ち着きのないものを計算の間じっとさせておくのは難しいのである。だが、量子コンピューターの可能性は大きい。例えば30キュービットのコンピューターでは0,1の二つの値で示せる数は2の30乗個となり、全世界の人口の数が表せることになる。キュービットが増えると指数関数的に計算のスピードは速くなり、素因数分解が異様なスピードで出来るようになるらしいが今は置いておく。

自然は測定を行い情報は流れ出す

サイフェは科学者は宇宙に意識があるとは考えないし、小さな悪魔が測定器具を持って駆けまわっているとも考えないが、自然はある意味、絶えずあらゆるものを測定していると確信しているという。測定というのは相互の働きかけくらいに考えてもらえば良いと思う。素粒子レベルでは何もない空間から粒子が絶え間なくパッと現れては消滅する。ハイゼンベルクの不確定性原理はこのゆらぎによって起こるとサイフェは考えている。位置と運動量という相補性は、エネルギーと時間という問題に比較することができる。空間のエネルギーがゼロなら相補性によりそのエルギーを維持する時間の情報は得られない。測定できないほどの一瞬エネルギーはない。そのあとエネルギーはいくらかなければならないのである。こうして空っぽの空間はエネルギーや運動量を持つのである。ズームイン領域が小さくなるほど粒子は多く、寿命は短く、エネルギーは大きい、これらの粒子は絶えずぶつかりあい、自分が出会った物体の情報を集め、それを環境に広め、真空の中に姿を消すという。

自然はそのような粒子たちに測定を行わせており、それをやめさせるのは不可能だという。ただ、その測定はその情報がどのように保存され、ある場所からある場所に移転するのか、そして散逸するのか。その法則を理解すれば何故量子は一度に二つの場所にいられるのか、量子は猫のような巨視的物体とは何故異なるかが理解できるという。木には星々の光子が降り注ぎ太陽からの熱が届けられる。サイフェは量子と同様に木に光が当たるのは自然による測定であり、その情報は相互に受け取られ、環境に広がってゆくというのである。

フラーレン分子模型
炭素原子60個からなるC60フラーレンはハロルド・クロトー、リチャード・スモーリー、ロバート・カールによって1985年に発見された。

アントン・ツァイリンガーは、フラーレンのような大きな分子も重ね合わせの状態におくことが出来ることを実験によって証明した。しかし、フラーレンも窒素分子などのあれこれとぶつかるとその窒素分子はフラーレンを測定することになり、その情報を得ると二つの分子はいくらか「からみあう」という。ここで、窒素の軌道を測定するとフラーレンがどこにあるかの情報が得られる。次は酸素とぶつかって‥‥ このようにフラーレンは環境ともつれあうことによってその情報は遠くまで広がってゆく。

フラーレンから情報が流れだせば、フラーレンの波動は収束して重ね合わせの状態を維持できなくなる時がくる (それには実験物理で言う観測や後に述べる多世界解釈における世界の分岐という契機が必要だとする説もある)。ある対象から環境に情報が流れだすことをデコヒーレンスと呼ぶ (一般には外部環境からの揺動や散逸によって量子の重ね合わせ状態が壊れることをさす)。このデコヒーレンスが、量子とシュレディンガーの猫とを分ける鍵になるという。もし、猫からの情報一切を環境に流れ出すことを防げることができれば、本当に生きていて死んでもいる猫を創り出すことが出来るというのだ。しかし、完全な孤立系の猫などあり得ないし、巨視的物体の重ね合わせ状態はいとも簡単に崩壊する。いわば環境エーテルへの情報流出と呼ぶものから巨視的な物体は逃れることができないのである。

ここで、またサイフェは重要なことを漏らす。気体の原子を容器中の隅に置くとたちまち広がって容器全体を満たし系のエントロピーはたちまち増大する。同じように物体の情報は粒子のランダムな運動とゆらぎによってその情報が広がり環境に散らばっていくという。エントロピーと同じくデコヒーレンスも一方通行であり、時間の矢を持つのである。違いは後者が、系の平衡状態にあっても流出が起きているということである。デコヒーレンスを新たな法則と考えれば、この法則には熱力学と相対性理論と量子力学の不思議な現象の説明が隠されているという。

 


相対論は情報が光より速く届けられないという掟を残した。実は光を超える速さで移動する光パルスというようなものも存在する。しかしそれに情報を乗せても、検出器がその情報を見分ける時間も相対論的ゆがみの中で伸びるのだ。情報は光の速さを超えることはできないのである。しかし、サイフェにとって大きな障壁、その最も手ごわい敵はブラックホールだった。その中で情報が消え去ってしまうなら彼の情報論は整合性を失うのである。


 

ブラックホールの中の情報は消える?

楕円銀河M87の中心にあるブラックホール 2019年
直径100憶Km 温度の最高値 60億度

スティーヴン・ホーキング及びキップ・ソーンとジョン・プレスキルとの高名な賭けは、ブラックホールに落ちた情報は破壊されるか保存されるかというものだった。これは自然がどのような法則に従っているのかの核心を探るものだったのである。情報移転の速さは光の速さを超えないという相対論の制約は量子論のもつれと衝突したことは前回述べた。1970年に物理学者のフィリップ・エバーハートがもつれ合う量子、つまりEPR対を使って光より速く情報を伝送することが不可能であることを数学的に証明した。二つは互いに影響を与えるのではなく、同時に収縮するのである。量子もつれは、以前は理解不能だったが、アインシュタインの遺産はそれに劣らず悪夢だった。それがブラックホールである。

ジョン・ホイラーがその名を広めたブラックホールは時空の基本構造にぱっくり口を開けた傷、物質を飲み込むにつれて大きくなる無底である。太陽の何十倍、何百倍の質量は一点に詰め込まれる。密度は無限大で空間と時間の曲率が限りなく大きくなる点である。このブラックホールに探査機が下りてゆく。ビーという音を定期的に発する。しかし、事象の地平を超える。それでもビーは発せられる。この信号は探査機が何を見ているかの情報を含んでいるのである。そして中心に飲み込まれて姿を消す。問題なのは、このメッセージが探査機を送り出した母船に届かないことだ。相対性理論では重力は時間と空間に影響を及ぼすので母船から見る探査機の時計は進み方が徐々に遅くなり、探査機自体もだんだん見えなくなってゆく。そして、メッセージの締めくくりである「今超えました」も届かない。ブラックホールでは情報も飲み込まれてしまうのだ。

レ・ズッシュ物理学校におけるキップ・ソーン
右から二人目 1972年

そこでは、情報は保存されないのか。ここが問題の焦点である。しかし、生き延びていると考える理由があるという。自然が情報を残そうとする最後の試みは意外にも真空のゆらぎから来る。このゆらぎにおいて生成される粒子は対粒子をなす傾向がある。ブラックホールの事象の地平の縁でもこの対粒子は何億も作られる。時として、その片方がブラックホールに取り込まれ、もう片方が取り残されることがある。なんでも飲み込むが、この兄弟を失った粒子の形で物質とエネルギーを空間に放出する。それはむらのない放射で黒体スペクトルと呼ばれる。黒体とは外部から入射する電磁波を、あらゆる波長にわたって完全に吸収し、また熱放射できる想像上の物体のことだった。その放射は微弱だが測定可能であるという。

ブラックホールに熱があるなら、それが小さくなると事象の地平を狭めながら熱くなり単位面積当たりの放射量は増加する。どんどん小さくなると放射するエルネギーは何処からか得なければならない。得るところは自分の質量しかないということになり、ブラックホールはやがて放射の閃光を放って消えてゆくのである。しかし、この爆発によって情報は放出される可能性が残されているかもしれない。ホーキングとソーンはこの蒸発が起これば情報は完全に消え去る方に賭け、プレスキルは常に純粋な量子状態になる方に賭けた。

2004年にホーキングはダブリンでの一般相対性理論会議で自分たちの負けを認め、情報がブラックホールによって不可逆的に破壊されることはあり得ないとした。こう言ったのである。「ブラックホールに飛び込めばその人の質量エネルギーは‥‥その人がどんなだったかという情報を含むごちゃごちゃした形で、容易に見分けられない状態となって、宇宙に帰るのです。(林大 訳)」情報はブラックホールの究極の力にも耐えて生き延びることができるようだ。そうなるとブラックホールにはエントロピーもあることになる。こうして、失意のうちに自死したボルツマンの勝利は決定的になるのだ。

2000年にMITの物理学者であるセス・ロイドは究極のラップトップコンピューターを思考実験した。装置の1キロあたり、1秒で行える計算数の最大値を割り出し、それを1リットルの空間に閉じこめたらおよそ、10の31乗ビットの情報量を保存・操作できるという結果を得た。しかし、情報の1ビットの操作にはそれだけ多くのエネルギーが必要になる。それで、ロイドはE=MC²に沿ってその質量全てをエネルギーに転換した。このラップトップコンピューターの質量は10億度のプラズマ球へと変身したのである。それを小さな空間に圧縮してブラックホールにした。おおっ! こうして読み出し不能ではあるがブラックホールコンピューターが完成する。人間の想像力には歯止めが無いらしい。彼の計算によると1キロのブラックホールが部分相互間で情報を伝達する時間は1キロの質量エネルギーで1ビットを反転処理する時間とぴったり同じだったのである。

 


最終章では多世界解釈が登場してサイフェの情報論は「唯情報論」となってゆく感がある。ホログラフィック原理で説明される宇宙はその膨大な情報を光的境界の上に記号化している可能性もある。多世界解釈はそのような膨大な情報を記憶する媒体としての宇宙を担保しうるのかもしれないのである。


 

ブラックホールは体積ではなく面積に比例する。その事象の地平の表面は二次元の平面で、そこに収まる情報は二次元に収まることになる。そういう意味でブラックホールはホログラムに似ている。ホログラムは光の持つ波のような性質を利用して作る特殊な写真である。弦理論の研究者であるオランダの物理学者ヘラルデュス・トホーフトはホログラフィー原理を提唱してブラックホールの物理を宇宙全体に広げたという。もし、このホログラフィー理論が正しくないとしてもレナード・サスキンドが証明したように物質とエネルギーのかたまりを表面積 A の想像上の球で包むと、その物質とエネルギーが保存できる情報量はせいぜい A/4 となる。これは情報学と熱力学から導かれ、ホログラフィック・バウンドと呼ばれる。しかし、そこでは、どんな小さな物質でさえ天文学的情報を記憶できる。それがホログラフィーの特質であるからだ。直径1cmの粒が10の66乗ビットを記憶できる。銀河にある原子の数に匹敵するという。

多世界解釈とは、ヒュー・エヴェレットが1957年にプリンストン大学の院生だった時にコペンハーゲン解釈の代替案としてひっそりと論文の中に書き入れていたものだった。この論の核心はシュレディンガーの波動方程式は実在し量子は一度に二か所に存在することができるというものである。1でもあり0でもある粒子は二枚の密着した透明なシートのそれぞれにある。観測者が観測を始めるとシートは1である粒子と0である粒子を乗せた二枚に分かれ、観測者も同時に二つに分かれる。分離した二つのシートは全く異なる宇宙であり、二人の観察者の意思疎通は出来ないし、自分が分離したことにも気づかない。

この多世界解釈は観測問題や量子もつれを矛盾なく説明できるが膨大で煩雑な別宇宙の存在を前提とするために認めたがらない物理学者も多い。それをサイフェはあえて取り上げる。ビックバン後の40万年後に生じた光が情報を運んでおよそ138億年後の今まで波動関数は宇宙のすべてのあらゆる情報を記憶しているのではないか。そして、その波動関数もまた無数にある。そして、もし、平行宇宙が存在するなら別宇宙の一つ一つにもそれらが存在することになる。そのような広大でめくるめく宇宙があるかもしれない。このパースペクティブは偉大と言えるだろう。情報は時間と空間の構造を作り上げているかもしれないのだ。一方で、生命もまた情報処理に頼っている。その限りにおいて有限な運命を免れることは出来ない。物理学は情報理論という道具を使って宇宙を、物質の根源を探ろうとしてきた。しかし、皮肉にもその情報理論は宇宙と生命の熱死を厳然と宣告するというのである。

反転する正四面体

バックミンスター・フラーは宇宙の最小単位システムを正四面体として表した。実はその四面体は逆方向にインバージョンできる。そのネガの正四面体に存在するのは情報だとしていた。物質と情報はセットになっている。彼の場合、その情報には精神性や霊性といったものも含まれている。物質や事象に、拡散するエントロピーとそれにに対抗する統合するシントロピーとがあるのと同様に、物と情報とは彼にとって相補的だった。サイフェは、情報とは物質的なものだという。彼のいう情報の中には精神性や霊性も含まれるのかどうかは本書だけでは判断できない。ジョン・ベルの言うように物理はテクニカルなものだ。そこに精神性が割り込むのは難しいかもしれない。でも、もしサイフェがこの情報論を哲学的に拡張していったら華厳や密教のような宇宙システムに創り上げることも可能ではないかと思わせるものがある。これは新たな情報宇宙論だ。面白い !

 

引用文献および参考図書

佐藤文隆『量子力学は世界を記述できるか』2011年刊

イリヤ・プリゴジン『確実性の終焉』
自己組織化を発見したプリゴジンの新たな科学としての熱力学宣言

 

 

 

「量子世界は表象可能か」実在と観測/確率と情報

 

ケネス・フォード『量子的世界像 101の新知識』  2014年刊

電子には、大きさがない。現在分かっている限りでは内部構造を持たない。陽子の約2000分の一というわずかな質量はあるが大きさがない。電荷があり、スピンがあるのに大きさがない。大きさがないのにどうやって存在していられるのか。ケネス・フォードは、『量子的世界像 101の新知識』の中でそう問う。そして、こう答えるしかないという。量子論のもとでは、数学的な点として存在するものが、様々な物理的特性を持つことが出来るのであると。

考えてみると、そんな数学的な点のようなものの上に私たちの生活が成り立っている。机上の空論やヴァーチャルリアリティといったものではなく、全くの現実である。台風が来て電線が切れれば何日も明かりのない生活が続く。こうしてキーボードをたたいてコンピューターがそれをちゃんと記憶して、ネット上に配信してくれているのだから点と言ったってバカにできない。

量子論では仮想粒子と呼ばれる儚い粒子が絶えず生成されては消滅しているのだという。電子はそれらの儚い存在をお供に一緒に移動している。何人かのお供が加わり、何人かが絶えず抜けているような集団に例えられる。そんな集団として存在しているのだけれど、原子内の電子は原子全体に広がる確率波に支配されてもいる。電子はそこら中に広がっていることになる。それでも点として扱って全くうまくいっているというのだ。これって、不思議じゃないですか?

 

今回はある芸術家のマニフェストをある会で話さなければならなくなり、そのマニフェストと量子論が深く関わっているということから、ついに長らく避けていた量子力学について書くことと相成りました。しかし、書いているとなかなか面白い世界だということが再認識されてくれる。今回は、時に哲学論議も散見される佐藤文隆さんの『量子力学は世界を記述できるか』などの著書をいくつか織り交ぜてご紹介したいと思っている。数式は出てこないので物理嫌いという人もお付き合いください。

佐藤文隆『量子力学は世界を記述できるか』2011年刊

20世紀初頭は、確かに血沸き肉躍るような知的挑戦で幕が上がり、それに対する凱歌が高らかに奏された時代である。その序奏は19世紀末の X線、放射線、原子、電子というミクロの世界の発見であった。19世紀は、産業革命と共に熱、音響、電磁気、化学、光などの実験が積み重ねられ、古典物理学と呼ばれる統一的な力学が確立された時代だった。その渦巻く知的興奮の中から相対論と量子力学という革命が起きたのである。1930年代以降は、この「知的革新」を引っ提げて物質の究極から宇宙の起源までの新しい対象を探求して新世界を発見したが、その成果の多くは、DNAから I T 関連のハードウェアーに至る技術革新に過ぎなかったと佐藤文隆氏は述べる。

相対論と量子力学という二大革命を比較すると量子力学が生み出したものは、はるかに巨大であるという。量子力学は物理や化学の現場で広く具体的な利用が拡大し続けている。しかし、相対論に比較して量子力学への関心はイマ一つだった言える。量子力学には最終的な落としどころが見えないからだ。それに対して相対論は19世紀的難問に対するきれいな答案であったために、ニュートン力学の権威崩壊という歴史的と言ってよい知的衝撃を生み出した。それは、講談調の痛快歴史物語であったという。それに比べて量子力学は、その知的痛快物語がまだ完結していないと言うのである。クォークは、6種類で三世代あるといわれても、そんな極小の世界には不思議なものがあるんだねで終わってしまうのだ。

 


光が波の性質を持つことが19世紀の初頭に発見されて以来、光が波なのか粒子なのかの議論が喧(かまびす)しくなる。物質に光を当てると光電子が飛び出すことから、アインシュタインは粒子としての性質を持つ光子であるとした。光や電波は電磁波の一種でもある。今度は、ド・ブロイが光子のように運動する物質粒子一般に波動現象があると波動説を拡張したのである。やがて、光の粒子を用いた二重スリット実験によって光は波でもあり、粒子でもあるということが検証される。


 

量子の波動性と粒子性

トーマス・ヤング(1773-1829)の光の干渉実験

量子とは、粒子と波の性質をあわせ持った、微小な物質あるいはエネルギーの単位のことで、そのエネルギーが飛び飛びの整数倍の値しか取れないことからマックス・プランクによって量子と名づけられた。原子そのものや、原子を形作っているさらに小さな電子・中性子・陽子といったものが代表的な量子だ。ニュートリノやクォーク、ミュオン、光子などといった素粒子も量子に含まれる。素粒子とは、それ以上分割できない最小単位の粒子のことである。量子の世界は、原子や分子といったナノサイズ(1メートルの10億分の1)以下の小さな世界だ。このような世界では、古典的な二ュートン力学や電磁気学などの物理法則は通用しない、それは、量子力学によって支配される不思議な世界となっている。

二重スリット実験
上 電子の波動性によって生じる干渉模様 
下 電子を観測した時のスクリーン上の模様

光が波として振る舞うことは、二重スリットを通過すると背後のスクリーンに干渉縞を作ることでよく知られている。19世紀の初頭にイギリスでトーマス・ヤングが、平行な光が二重スリットを通ると水面の波のような干渉模様ができることを示した。電子や光子あるいはフラーレンといった分子の場合も同様で、電子銃から電子を一個ずつ発射しても波としての性質から干渉縞を作る(上段)。粒子としての電子は、波の全てに重ね合わされた状態で偏在していると考えることもできる。

ところがスリット付近に観測装置を置いてスリットを粒子としての電子がどのように通過するかを観測すると収縮 (後述) が起きて、電子は片方のスリットのみを通り干渉縞はできない。そのことで、スクリーンに電子が跡付けた点がどちらのスリットを通った電子であるかという情報を得たことになる。ここから光子が粒子としての性格と波としての性格の両方をもっていることが確かめられた。ルイ・ド・ブロイは、1924年に既に「波と粒子の二重性」という物質一般の性質として定式化していた。

すると、人間は個体であると同時に波なのかという疑問が起きてくる。量子の世界では速く動くほど波長が短くなる。私たちも波長を持っているが、量子サイズに比較して私たちの運動量は、はるかに大きいためその波長は極端に短く検出できないらしい(ケネス・フォード『量子的世界像 101の新知識』

シュレディンガー方程式/ψ

それまで、物質の位置と運動量は、観測すれば確定していたが、電子や光子などの量子は、位置か運動量、どちらかしか確定できないということが明らかになる。ハイゼンベルグの不確定性原理である。量子の波動状態を記述するシュレディンガー方程式が、オーストリアの物理学者エルヴィン・シュレディンガーによって1926年に定式化された。それは、状態関数、あるいは波動関数ともよばれるが、ある状況下での量子の状態が確率分布によって表現される。それは、不確定性定理から導き出される。ド・ブロイによって物質が波動として表現されることが明らかにされていたから量子を波動の方程式として表すことは受け入れられやすかった。

この量子の波動状態とそれが時間と共にどのように変化するかが数式化される。このシュレディンガーの方程式は、ギリシア語の Ψ (プサイ) であらわされることからΨは量子力学のアイコン的存在となった。心理学では、超能力を表す記号であるが、それをシュレディンガーが意識していたかどうかは知らない。しかし、古典物理学の範疇からすれば、極めて不可思議なものであったことは確かだ。

量子が波動状態にある時、波のそれぞれの位置に粒子としての量子が同時に存在すると考える。存在の可能性が重ね合わせられた状態にある。それを観測すると変化している波動状態の一端が測定されることになる。その時、同時に存在していた粒子の他の情報は無視され、消去されると言っていい。これが「収縮」である。それでΨをくじ箱に例える物理学者もいる。

佐藤勝彦『量子論を楽しむ本』
2000年刊、非常に分かりやすく解説されているのだが、残念ながら新しい内容に乏しい。

ここからは佐藤勝彦さんの『量子論を楽しむ本』から波動関数についてご紹介する。波動関数ψには複素数が登場するが、虚数と実数を組み合わせた複素数は虚数と同様に想像上の数であり、複素数の波を表現しているψも同様に想像上の波である。次元の異なる波といったほうがよいかもしれない。これを想像したり、図示したりすることは困難である。しかし、シュレディンガー方程式は、水素原子中の電子のエネルギーといったものを実験結果の通りに説明できる。この方程式は実在する何かを表していると考えられているのである。

実数部分、あるいは虚数部分だけを取り出して図示することは原理的には可能であるという。点線で表した部分、つまり波の振幅にあたる部分が波動関数ψの大きさとなっているが、それぞれの場所での大きさも様々であることが分かる。電子の波は様々な場所に広がっているけれども、雲や霧のようにぼんやり広がっているとイメージするのは間違っている。電子は粒子として観測されるからである。我々が電子を観測すると電子の波は、収縮 してしまうのだが、収縮する前の波のように広がっている電子は「重ね合わせ」の状態にある。電子は、ある場所にいる状態と別の場所にいる状態とが重ね合わされている、あるいは共存している。

波動関数ψとイメージ図
iは虚数、hは素粒子のエネルギーと波長間の比例定数であるプランク定数、ψは波動関数、∂は微分の記号、Hは系全体のエネルギーを表すハミルトニアンをそれぞれ指している。

波動関数ψのイメージ図でいうとAの場所にいる状態、Bの場所にいる状態、Dの場所にいる状態などの様々な場所にいる状態が重なりあっている。ただし、Cの振幅ゼロの場所には電子はいない。電子はA点、B点のどちらにもいるというのではなくてどちらにいるかは確率的にしか言えないのです。振幅の大きいところの方が電子の発見される確率は高い。

この波動方程式は粒子の波を統計的な平均値で記述しているということになるのだろう。シュレディンガー方程式が三次元の空間を扱うのに対して時間を組み込んだディラック方程式が間もなく登場することになる。

 


不確定性とは、選択の自由だとも言える。いくつもの可能性の中から自由に一つが選ばれることだ。測定することによって量子に擾乱が起こり特定の結果が得られたのだという考えは、現在の厳密なハイテクの測定によって否定されることになる。この奇妙な不確定性は、ボーアのコペンハーゲン解釈によって救われた。生まれたばかりの量子力学という赤ん坊を産湯と一緒に流さないためには重要な注釈となったのである。コペンハーゲン解釈をご紹介する。


 

佐藤文隆の『量子力学は世界を記述できるか』から要約してご紹介しよう。Ψをくじ箱と考える。そこから、態度の決まらない量子が取りうる可能性のある幅と強さに関する確率情報を導きだせる。観測するとΨのくじ箱から引いた一つの結果が得られるのだ。くじを引くと多くの可能性が消えて、一つの情報に限定されるのである。これを「収縮」と呼んだ。ニールス・ボーアがシュレディンガー方程式に無理に組み入れた解釈である。一回引くと、くじ箱は一枚のくじ券に変身する。他のくじは消滅するのである。それを、佐藤氏は、やり直し厳禁、再起不能、未練一掃、証拠隠滅、残存物破棄と表現する。「可能性としての現実群が、その中の一つの現実に変身する」ことになる。くじを引く前は、それぞれの可能性足し算された束として「重ね合わせ状態」と表現される。シュレディンガー方程式は、可能性の重なった状態を表すΨが別の重なり方のΨに変動していく様子、つまり重ね合わせの係数の時間変化を記述することが出来る。

ほかのくじは、どうなったかを考え始めるとヒュー・エベレットの多世界解釈なども生まれる。「可能性としての現実群が全部残存するが、観測者が一つの可能性の世界に迷い込む」と考えるが、今は置いておく。

ボーアによる「Ψのコペンハーゲン解釈」を比喩的に解説すると上記のようになる。「収縮」という便法は観測によらないΨの変動の法則としては明らかに異物であった。つまり、Ψそのものが理論的には不整合であるということを認めることになるのだ。Ψの生みの親、シュレディンガーさえ疑問を持っていた。それで後に、有名な猫の思考実験を思いつくのである。ボーアは、量子力学を埋もれさせないために古典と量子の両世界の共存を図った。真実と不明瞭さは相補的であるとし、結局、不思議は不思議として、「深く考えずに慣れる」を提唱したわけである。

ボーアが守り通したコペンハーゲン解釈が、レーザーや半導体部品などを経て量子コンピューター、量子暗号・通信、量子計測、量子マテリアルなど、量子を使ったハイテクをもたらそうとしている。量子力学はツール化されていった。シュレディンガー方程式では、可能性の重なり具合は連続的に変動するのだが、量子は外部から制御可能であるという。制御可能であるから量子コンピューターなどを考えることができるのだが、「重なったままの量子状態」をそのまま変動させることが可能になっている。この変動ではAからBへの変化が可能なら、BからAへ戻すこともできる。これをユニタリーな変動と呼ぶ。外部からの量子への介入は制御と観測とがあり、制御には忠実に、観測にはランダムに振る舞うというのである。

制御と観測の違いは何かというと、回数の違いにある。このツール化が現在の繁栄をもたらしたのは、ミクロな過程を統計学的に扱ってきたからだと佐藤文隆氏は言う。一回の観測ではランダムな振る舞いだが、多数回事象の平均値にあたる反応率や平均寿命といったものが分かれば応用技術には十分であったのである。個々の原子や素粒子が観測される場合でも、問題にされるのは多数回事象の統計的なデータであった。

 


量子の振舞いが不確定で確率的であるなら、物理学が培ってきた因果性は否定されることになる。原因のない結果だとも考えることが出来るのである。それは、アインシュタインをひどく動揺させた。彼にとって物理は何故そうなるかを説明できる学問でなければならなかった。どのように因果性が否定されてきたか、その例をご紹介する。


 

ルイーザ・ギルダー『宇宙は「もつれ」でできている』 2016年刊  ノン・フィクション風に人間模様が描かれて、量子論を面白く解説してくれている良書。

量子エンタングルメント(もつれ)

物質科学では空間的に離れた要素の間に相関がある場合は、その間に相関を維持している物質があると考える。この遠隔相関に関わる物理学には結構な歴史があるらしい。17世紀、デカルトは重力の遠隔作用は渦が宇宙空間を埋め尽くしていて、その連動で遠方に作用が伝わると考えた。これに対してニュートンは、空っぽの空間を重力作用は時間を要せず伝わるとしたが、なんとなく判然としない論争だった。19世紀になるとマックスウェル達が渦の代わりに空間に瀰漫するエーテルを想定して弾性体のように振る舞うエーテルの力学を方程式化する。20世紀初頭には、アインシュタインの相対性理論が、この「静止系」を連想させるエーテルを否定した。しかし、その後、素粒子における場の量子論ではエネルギーを秘めた一種の相対論的エーテルが復活した。そこでは明確な掟が定められている。「物理作用 (情報) の 伝搬には光速という上限値ある」というものであった。これがないと、原因結果の因果作用を曖昧にしか定義できなくなるのである。

相変わらず観測問題は物理学者を悩ませ続けていた。ヴォルフガング・パウリは「観測者は確認できない効果により新たな状況を生み出す」と考え、この観測者によって作られた状況が量子の「状態」であり、観測者は観測することで実在を作り出すのであるという。ちょっと考えただけではよくわからない解釈だった。観測の過程は形容しがたい法則性のない事象であって、その結果は「いかなる原因もない究極的な事実のようなもの」であるというのである。一方で、観測が唯一実在を保証するもので、それを超えるものは何であれ形而上学であるというのがアインシュタインやシュレディンガーのスタンスだった(ルイーザ・ギルダー『宇宙は「もつれ」でできている』)。

このような思考実験を考えてみる。スピンがゼロの素粒子が崩壊して、二つの電子が生じて、異なる二つの方向に飛んでいくとする。この電子の片方が測定されて、上向きのスピンだと観測されると、同時にもう片方の電子は下向きのスピンであることが確定する。これは運動量の保存則によるもので、この場合は、回転する運動量、つまり角運動量が問題にされる。もとのスピンがゼロであるなら、分離した電子はその1/2の逆向きの等しいスピンでなければならないからだ。このスピンというのは厄介な代物なのだけれど、スピンの単位は光子などが1とされていて、電子やクォークのスピンは1/2とされている。このような離れた場所にある現象が相関する性質を非局所性と呼び、この量子の非局所性をシュレディンガーが量子もつれと呼んだ。量子エンタングルメントなどとも呼ばれる。

この二つの粒子の内、一方は地球にあり、もう一方をアンドロメダ銀河の恒星に移動したとする。すると、地球での観測で上向きのスピンが観測されたとして、アンドロメダ星雲の恒星にある粒子が下向きのスピンであることが確定される。測定されると、どちらの粒子が上向きか、下向きかが確率によって決まるというわけだ。地球から254万光年かなたにある粒子にこの情報が瞬時に届くには、光速を超える必要がある。光でさえ254万年かかるのだから対粒子のスピン方向が瞬時に変わるのは無理ではないのか。位置と運動量は分からないが、運動量差のようないくつかの条件を加えると局所的な別々の系として互いに片方の粒子に影響与えることなく観測可能になるんじゃないかというのがEPR仮説である。アインシュタイン、ポドルスキ―、ローゼンら物理学者の頭文字をとっている。

この隠れた条件を引き継いで発展させようとしたのはデヴィッド・ボームだった。かつて、1927年のソルヴェイ会議で耳が痛くなるような沈黙で迎えられたというド・ブロイの「パイロット波」を結果的に再解釈しようとするものだった。エーテル状の波の上を小枝のように粒子が流れるというふうに考える。彼は、離れて別々に存在する局所的な実在として粒子を分析しようとする前提を取り払おうとして新たなパイロット波のような存在を想定した。ボームは、結局この隠れた変数説を捨てることになり、後年、全体流動説という新たな渦を展開させていった。僕の大好きな説だ。

粒子のそれぞれの自転方向が観測されるまで二つの回転方向が重ね合わされている状態にある。どちらも表でどちらも裏であるような状態で回転しているコインに例えられるだろう。回転を止めて、床にころがって静止した時点でどちらが表か裏かが分かるという仕掛けに似ている。この判別できない状態から、片方の回転方向が観測された時に、いくら遠距離にあろうとも、もう一方も反対の回転方向に決定される。二つの粒子は一つの系の内部にあることになる。これは、古典的な物理法則とは相いれない事態だった。時間と空間の制約を受けていないことになる。何故かを問う物理学者には我慢のならないことだったのだ。

この量子もつれが、アインシュタインを後々まで悩ませる。彼は、物理量が測定するまで現実の実在性を持たないとするコペンハーゲン解釈の確率的な振る舞いに対して既に異を唱えていた。そして、この有名な言葉を吐露させる。「見ていようが見ていまいが月は確かに夜空にある。 神はサイコロをふってこの世界を創ったわけではない」と。見るというのは測定を含意している。その反論となるニールス・ボーアの回答は「神に向かってあれこれ指図するのはやめなさい 」であった。そのサイコロに、あたかも光速を超えるような情報伝達が加えられたことになるのである。量子にテレパシーでもないかぎり不可能に思えた。

 


観測問題と量子エンタングルメント (もつれ)は、確率と情報という問題に密接に関わってくる。観測問題の好例は、ブラックホールの名を広めたジョン・ホイーラーの思考実験である遅延選択実験である。 この思考実験は、アンドリュー・トラスコットによって実際に確かめられている。量子エンタングルメント(もつれ)の応用としては、量子テレポーテーションがある。アントン・ツァイリンガーがインスブルックの研究所で実現した。これらが現実に実験できるようになったのは、ハイテクの大いなる進歩によるものだ。


 

ジョン・ホイーラーの遅延選択実験 情報としての量子1

実験によってアンドロメダほどではないにしても隔てられた二つの量子のスピンが瞬時に確定することがアラン・アスペによって確かめられる。もっと驚くべきことは、観測すると収縮が起きるのであるが、観測から得られるデータをどちらの観測装置から得られたのか分からないような設定にしておくと収縮を起こさず観測しなかったのと同じ結果があらわれるというのである。1987年にジョン・ホイーラーによって考えられた仮説が、オーストラリアの物理学者アンドリュー・トラスコットの実験によって2015年に確認された。重要なことは、量子系では観測の結果がそこから取り出される情報の扱い如何によって変わってくるということである。

図はホイーラーの思考実験を概略図に示しているけれど、マッハ・ツェンダー干渉計と呼ばれる装置を応用している。やがて、量子消しゴム実験などの複雑な装置が考え出されるようになる。

遅延選択実験 概略図

1.では、光子という一つの量子が半透鏡Aを通ると透過して直進するか、反射されて向きを変えるかは、確率的に半々になる。半透鏡を通過した、あるいは反射された量子は鏡で向きを変え、それぞれ検出されてスクリーンに痕跡を残すが、何個かの量子を送り出せば、その形は点の集積としてのになる。

2.は1.と同様の装置だが、光子がスクリーンに到達する前に半透鏡Bが差し込まれる。光子がスクリーンに届くよりも速いスピードで差し込まなければならない。これを実現するためにトラスコットはデュアルレーザービームを使った。問題なのは、これが差し込まれるタイミングなのだ。

半透鏡Aで量子は粒子として収縮したと考えられる。それは、結果としてスクリーンにできた点の塊から分かる。もし、そうでなければ波としての性質によってスクリーンには干渉縞ができるはずである。ところで、半透鏡Aを通過して粒子として振る舞っているはずの光子が通る経路に半透鏡Bを差し込む。すると、粒子が直進するか反射されて方向を変えるかは確率的になる。量子がどの経路を通ったかは確かめることができない。ここでは、スクリーンに干渉縞が現れるようになるのである。

ジョン・ホイーラー(1911-2008) 後列左端  1963

粒子として行動しているはずなのに半透鏡Bによって波に変身したことになる。 これでは、未来の情報によって過去を書き換えたと解釈できることになるのである。これが遅延選択実験の名の由来になっているが、これは肯首しがたい。ここで、重要なのは、半透鏡Aによって透過して直進していた粒子と反射されて向きを変えた粒子の情報は、半透鏡Bによって確率的に振り分けられることによって、かつての進行方向の情報は混ぜ合わされてしまうことだ。すると、観測したのに観測しない場合と同じ干渉模様が生じるという結果になる。重要なのは観測した情報の扱われ方にあるということになる。

「ネイチャー」や「サイエンス」の編集者だったデヴィッド・リンドリ―は、『量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ』の中で、簡潔にこう述べている。光子が、どの道を通ったかを知りたければ、干渉縞を見ることはできず、干渉縞が見たいと思えば光子が通った道を知ることはできない。それは、この種の実験の配置について述べられる最低限の解釈であると。ここでもボーアの「相補性」に連れ戻されるというわけだ。

 

量子テレポーテーション 情報としての量子2

アントン・ツァイリンガー     Photo by Jacqueline Godany

量子のエンタングルメントを利用すると離れた場所に量子の持つ情報を転送できる。これを量子テレポーテーションと呼ぶ。量子を瞬間的に移動させることでは残念ながらない。ツァイリンガーは、高エネルギーのレーザー光子を結晶に当てることで、低エネルギーのもつれた光子を分離した。こうしてオーストリアのアルプスに囲まれた質素な研究所から毎年、画期的な研究が発表されるようになる。

1997年には「量子テレポーテーション」を実現させた。この量子テレポーテーションに期待されているのは、量子暗号の実現である。ここではツァイリンガーの実験より少し進んだものをご紹介する。

①量子エンタングル状態にある二つの光子Aと光子Bとを生成して長距離に離す。AはAliceの側にBは離れた土地のBobのもとにある。この二つは、互いに直交する偏光を持っていることだけは分かっている。一方が垂直向き↕と測定されると、片方は必ず水平向き↔である。どちらでもよいが、現在のコンピューターで言うビットの状態に合わせて垂直向きを↕ 0、水平向きを↔ 1としておこう。こうしておくと ↔ ↕ ↔ ↕ は、1010を示すことが出来るが今は1ビットのみを考える。それから、別に、ある情報を持つ光子Cを用意する。

量子テレポーテーション  この図は、2光子を用いたローマ大学の実験グループによって実施された実験

②AliceはAとCをベル測定してエンタングル状態を作り出す。情報科学の制御NOT演算に相当するという。方法としては半透鏡にAC二つの粒子を別方向から同時に通過させようとすると、1/2ずつの確率で通過あるいは反射する。結果の状態は大きく分けて二つで、2つの粒子が同じ方向に出るか、別々の方向に分かれるかである。いずれの場合でも同時に入射するので現れ出た粒子がどちらの粒子だったかは分からない。測定結果の情報は混ぜ合わされた状態にある。

③ Aは0or1、Cはまだ情報が分からない状態であるとして、0or1と考える。二つの粒子の重ね合わせの可能性は、古典物理の立場では00,01,10,11の組み合わせとなるが、量子力学ではもっと複雑な式が用いられる。その中の一つが測定されると、CとBは新たに重ね合わせ状態に変化する。この時、A、Cの量子状態は壊れてしまうが、Cの情報はBに瞬時に移されることになる。何故ならAはCと重ね合わされることによって反対の情報を持ち、AとBはエンタングル状態にあったのでAがエンタングルされてCと反対の情報を持てば、即C=Bとなるからである。

ベル測定 大きく分けて1.4.と2.3.とに大別できる。

④べル測定で得られた2ビットの情報を古典的な通信手段でAliceはBobに送ります。べつにAliceとBobでなくてもいいのだけれど、伝統に敬意を表してこうしておく。電話とかネットとか手紙とかなんでもよいのですが、知らせます。Bobはこの時、Bに移った情報が何であるかは、まだ分からない。

⑤古典的な送信手段で送られた情報は、まだ、2ビットなのでこれを1ビットに確定する操作を行い最終的にAliceが送信したかったCの情報をBobは手に入れることになります。(詳しくはツァイリンガー 他『量子情報の物理』)

このような量子エンタングルメントによって得られる情報は、けっして盗み出されることがない。量子の情報を得ようとして測定すれば量子は壊れてしまうし、古典的送信手段による情報を盗んでもそれだけでは解読できない。それで暗号鍵などの通信に使えるというわけである。ベル測定の生みの親ジョン・ベルについては最後にご紹介します。

 


量子論は、量子テレポーテーションのような応用の分野で華やかな発展をみせようとしている。今、最も期待されているのは量子コンピューターだろう。この情報分野と量子の関係については、いずれご紹介する機会があるだろうと思う。この最終章では、まず、スピンとは何かをご紹介する。量子世界が如何に表象しにくいものであるかを実感していただきたい。そして最後に、その表象し難い量子の不思議な関係を児童文学風に紹介してくれている著書をご紹介する。表象できない世界をイメージ化しようとする努力を言祝ぎたいと思う。


 

電荷-eは電流の元であるが、電子は素粒子(これ以上大きさを分けられないもの)で、点であって大きさが無い。従って電荷は何処にあると決められない。しかし、大きさが無いのに自転できるのか。1924年には、オーストリアの物理学者ヴォルフガング・パウリが+1/2、と-1/2という二つの離散的な物理量としてこのスピンを予見していた。

スピンだの回転などとさんざん言っておいて、ここに至ってちゃぶ台の上に並んだ料理をひっくり返すようなことをして恐縮だが、このスピンを地球などの星が地軸を中心に回転運動しているとイメージするのは間違っている。ちょっと面白い実験をご紹介しよう。それは、1916年のアインシュタイン・ドハースの実験のことである。静止した鉄棒をつるして外部から磁場を与えると、鉄棒が回転するというものだ。逆に磁場のかかっていない鉄棒を高速回転すると回転軸に沿って磁気を帯びるバーネット効果が同時期に発見されている。

磁場をかけて鉄を磁石化すると回転、つまりスピンという角運動量が生じる。電子は電荷を持っているので移動すると磁場を形成する。「磁気」の起源は電子の自動運動であることがわっている。この自動運動は回転のことらしいことが、この実験から推測できる。自動運動には原子核の周囲の軌道運動もあるが、この回転運動に比べれば微々たるものらしい。電子も小さな磁石であるのでスピンするというわけであるが、スピンの軸があるので上向きとか下向きとか言われるのである。だが、ここで先ほど述べたようにスピンを地球の自転のように考えてはいけない。位置はあっても大きさはなく、波でも粒子でもあるものが、どのように回転するのか表現できた人はいないのである。そして、これも不思議なことなのだが、電子のようなスピン1/2粒子は回転し始めて2回回転しなければ元にもどれないと言われてきた。ここでも古典的な物質のイメージは踏みにじられるのである。ちなみに光子のスピンはもっと厄介だ。

やはり、イギリスだなと思うのだけれどこんな本が出版されている。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』をもじってイメージできないものを一生懸命イメージ化しようとしてくれている。この場面では仮想粒子の振舞いについて面白く紹介してくれていて、アリスは電子に例えられる。

ロバート・ギルモア『量子の国のアリス』
ギルモアは英国の物理学者、英国にはルイス・キャロルの精神が生きていた。

ほとんどの粒子が、衝突時にちょっとだけ仮想粒子になり、また実在粒子に戻ったりする場所にアリスはいる。ある瞬間には時間軸に従って動いているが、次の瞬間には完全に向きを変え過去に戻ったりする。これが反粒子の生成である。この仮想粒子は波動性を持つためにトンネル効果のように障壁を突き抜けることができる。それは時間の障壁も含まれる。

電子の場合なら負の電荷を持っているので、電子が普通に過去から未来に向かって動けば、負の電荷は未来に向かって運ばれる。逆に未来から過去に向かって動いたとしたら、負の電荷も未来から過去へと運ばれるが、それは、正の電荷を過去から未来へと動かすことになる。それを外から見れば陽電子、つまり反電子のように見えるというのである。アリスは空に真っ暗な太陽があり、全てが逆向きに動いていた反転した世界の体験を思いだした。高次元の世界を我々3次元の人間が見たらこんなふうに見えるんだろうか。

電荷保存則によって宇宙の電荷の総量は不変であるとされている。電子のような粒子は、その反粒子と共に生成される。2個の電子の静止質量を創り出すためには一時的なエネルギーが必要になり、こうしたエネルギーは、実は何もないところから作り出されるので、エネルギーの揺らぎのように見えるという。真空は、実際には粒子と反粒子のペアたちの渦巻く空間であるのだ。光子は電荷以外の物には興味がなく、電荷があれば、それを取り巻く仮想光子の雲が必ずある。仮想光子たちは仮想の電子と陽電子のペアを創り、それが消滅すると実在の光子に変わる。仮想の電子と陽電子のペアはわずかの間存在し、光子を創り出し、その光子も電子と陽電子のペアを生成し‥‥それは果てしなく続くのである。

どうです。不思議な世界でしょ。でも、こういうふうに、表象できないと言われる量子の世界をも工夫次第でイメージさせてくれるのありがたい。実はこの表象したいという願望は、何故そうなのかを問うことに繋がっているのではないかと思うようになったのである。この「おかしい何故だ」を突き詰める態度は貴いのではないか。今や、量子力学の研究者で何故かを問う者は、まずいないという。そんな研究で食べていけないらしい。しかし、利潤追求ばかりのツール化は危険じゃないのかな。それだから地球温暖化は一向に鎮静化しない。今や、温暖化に歯止めをかけようとしているのは人間ではなく新型コロナウィルスである。

量子のもつれに疑問を呈したのはアインシュタインやボームだけではない。大切な人をまだ紹介していなかった。ジョン・スチュアート・ベルだ。

彼は、不可能であると立証しようとするのは想像力の欠如だと考える人だった(ルイーザ・ギルダー『宇宙は「もつれ」でできている』)。有名なベルの不等式は、ある装置での観測結果を量子がもつれていると考える場合ともつれていないと考える場合とでとる値を不等式で示したもので、ある値以上ならもつれていないことが立証できるというものだった。ベルの思惑とは逆に、アラン・アスペの実験で実際にもつれていることが確かめられたのは先に述べた。

波動関数が数学的な正確さと物理的なあいまいさをもって言葉による表現を拒絶しようと、ベルは「物理学は事象がどのように起こるかを説明すべきだ」と考えていた。そして、ジュネーヴの欧州合同原子核研究機構CERNで素粒子を研究する傍ら、余暇を見つけては量子力学の「おかしい」を研究していた。すばらしいと思う。やがて、彼の不等式が破られたが、このアイデアは情報論への新たな展開をもたらした。こうして量子論は情報論へと舵を切っていったのである。

 

引用文献と参考文献

デヴィッド・リンドリ―『量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ』  2014年刊

デヴィッド・ボーム『全体性と内蔵秩序』
全体流動説が紹介されるなかなか刺激的な著書

アントン・ツァイリンガー 他『量子情報の物理』    かなり専門的なので僕のような素人には難しい内容だった。

 

カール・グスタフ・ユング『空飛ぶ円盤』付 ビリー・マイヤーと松澤宥

 

満月は夜 高き山にあがり
ただ一つの頭脳を持つ
新しい知恵ある人がそこに見られ
不死なるものとなることを弟子にしめし
彼の目は南に 手と足は火に
(ミシェル・ノストラダムス『預言集 (諸世紀)』第四章31 大乗和子訳)

カール・グスタフ・ユング『空飛ぶ円盤』

フランスで活躍したノストラダムス(1503-1566)、その名は預言者として夙に名高い。その著名な『預言集』の中で彼は、新たな叡智 (sophe) を持つ人が現れると書き残した。それは煌々と輝く満月の夜、山の頂に現れる。しかし、ただ一つの頭脳を持つとは、わざわざその詩に書き留めなければならない重要なことだったのだろうか。

「われわれが何らかの秘密を持ち、不可能な何ものかに対する予感を持つことは大切なことだ。それは、われわれの生活を、何か非個人的な、ヌミノース (非合理的な宗教的体験) によって満たしてくれる。‥‥この世界には期待されないことや、信じ難いことが存在している。それでこそ、生が全体性をもつ。私にとっては、世界は最初から無限に広く、把握し難いものであった。(カール・グスタフ・ユング/『空飛ぶ円盤』訳者あとがきより 松代洋一訳)」

カール・グスタフ・ユングは1958年に刊行された『現代の神話―空中に見られる物体について―(邦題は空飛ぶ円盤)』の中で、偶々このエッセイを書いている最中にUFOに関する二つの記事を見たという。一つは、大西洋上を44名の乗客を乗せてプエルトリコに向かう旅客機のパイロットが、緑がかった白色光を放つ火のような円い物体を目撃したというものだった。超スピードに向かってくる。それにぶつかりそうになったため、反射的に機首を上げた。そのため乗客が何人も機内に投げ出されて入院するほどのケガをしたというもので、同じ航路にいた他の7機もの飛行機がこの物体を目撃したという。もう一つは、「空飛ぶ円盤は存在しない」というアメリカ航空委員会の委員長だったH.ドライデン博士の断固たる否定見解を紹介するもので、その不屈の懐疑精神には敬意を表さざるを得ないと書いている。非常識な風説がいかに人間を損なうかをきっぱりと言い切っているというのだ。

未確認飛行物体、つまりUFOを見たという人は多いのかもしれない。この間、諏訪で会った女性は、諏訪はよくUFOが出るんですよとさらりとおっしゃったので驚いた。僕は悲しいかな一度も見たことがない。その人は、ある時には自宅の上空にそれが見えたので家族をみんな起して、一緒にそれを見たというからかなりの時間上空に留まっていたのだろう。あっけにとられてどんな形だったですかと聞くのを忘れていた。その人は、世界的な芸術家である松澤宥(まつざわ ゆたか/1922-2009)さんの娘さんだった。これは偶然なのだろうか。

オルフェオ・アンジェルッチは『円盤の秘密』の中で、未確認飛行物体と呼ばれる飛行体との遭遇と地球外生命と交信した体験を書いているとユングは述べる。カルフォルニアに住むアンジェルッチは、最初にUFOを見た6年後の1952年5月、地平線上に赤く輝く楕円型の物体が脈打ちながら漂っているのを見た。加速され恐ろしいほどのスピードで遠ざかって行った後に緑の二つの光が現れ、そこから完璧な英語で話しかけられる。二つの光の間に男性と女性の超自然的な姿が現れた。かれらはこう語る。

「われわれは地上の住人をひとりひとり見ているのだ。人間の狭い見方で見ているのではない。おまえの星の住人は、何世紀も前から観察下におかれている。お前たちの世の中のあらゆる進歩を、われわれは記録している。‥‥理解と共感をもって、成長の苦しい道を歩むおまえたちの世界をわれわれは見ているのだ。‥‥」まるで、缶コーヒーの宣伝に登場する宇宙人ジョーンズばりの語りだった。アンジェルッチの著述か、それに類したものが下敷きになっているのか、よくは分からないけれど、演じるトミー・リー・ジョーンズが雰囲気があって大好きだ。

宇宙人ジョーンズ役のトミー・リー・ジョーンズ

その年の6月今度は宇宙船の中に入り、地球から1600キロ離れた宇宙旅行を体験する。それは、微光を発する霧状のシャボン玉のような形だったがみるみる鮮明な形となった。内部は、直径6メートルほどのカマボコ型で壁はエーテルか真珠層のような材質であったという。2.6メートルほどの円窓のようなものが開くと外に惑星が見えた。スターウォーズかスタートレックばりの宇宙船体験をして、彼は涙を流した。すると声がこのように語った。

「泣くがいい、オルフェオ‥‥‥われわれも地球とその子らのためにともに泣こう。見た目はいかに美しくとも、知性ある生物を育ててきた惑星の中にあって地球は煉獄だ。憎しみ、エゴイズム、残酷さが、黒い霧ながら地球から立ち上っている。」

このろくでもない素晴らしい世界というわけだが、外に見えた母船は両端から渦巻く炎を噴き出していて、見たり聞いたりするものは「テレパシー的な交信能力」によった。そして、霊的な未知の自己との再結合の可能性を彼らから教えられる。宇宙船から降ろされると左の胸に小さな硬貨ほどの、彼が「水素原子の象徴」と呼んだ丸い焦げ跡が残っていた。

翌年9月には一週間にわたる夢游状態に陥り、魂の巡礼ともいうべき内的な体験を味わった。このような異界巡礼の話は色々なヴァリエーションがあって、中国での洞天や壷中天の話とか日本の幽冥界での体験を平田篤胤が聞き書きした『仙境異聞』や『勝五郎再生記聞』などもある。だが、こちらは仙界の話だ。天上的な空間で、そこの女性に性的な欲望を抱いて周りの異星人たちを驚かせる。彼がこの人間的な反応を抑えられるようになると「天上の結婚」が執り行われる。この経緯は、ユングの語る錬金術における「化学の結婚」に相応するものだが、カール・グスタフ・ユング『アイオーン』part2 シンボルとしての魚と蛇に少し書いておいたのでそちらを読んでいただければよい。地球外生命体との接触とその教えを伝えようとしたことで知られる人にビリー・エドゥアルト・マイヤーがいる。

 

ユングから少し離れてマイヤーについてご紹介しよう。(ビリー)・エドゥアルト・アルベルト・マイヤーは1937年、スイスのチューリッヒ州のビューラッハに生まれた。父は靴職人で、7人兄弟の2番目の子供だった。5歳の時、自宅近くでUFOを父親と一緒に見た。それが最初だった。父親は、あれはヒットラーの秘密兵器だろうと語った。1942年から1953年までエラ惑星のスファートとコンタクトを行った。1944年に宇宙船とともに現れたスファートは90歳代の威厳ある老人の姿だったが、実際には1100歳だったという。それ以降はテレパシーによる交信が行われる。魂の訓育者と言えた。

1953年から1964年に亘りダル宇宙のアコン太陽系にいるアスケットとコンタクトを持った。それは私たちの宇宙と双子関係にある宇宙から遮断層を突破して来た。35歳くらいの美しい女性の姿だったという。生命とSEIN (存在) の基礎である「創造」について、あるいは平行宇宙や生命体固有の振動などを教えてくれた。そして、地球人類の発祥の地は環状星雲と呼ばれる所で、人類の祖先は、そこからこの地球にやって来たという。そこにいた本来の祖先は、もはやその星雲の太陽系に住んでおらず昴のプレアデス星団の中にいるという。それは彼らがプレヤール星と呼ぶプレアデスから約80光年向こう側の別次元宇宙にあった。

なんだか第一始祖民族が宇宙にバラまいた始原の生命の話しみたいだと言ったら若い方たちはアダムとリリスを思い出すかもしれない。1975年には宇宙船とともにプレアデスのセムヤーゼと遭遇する。同じく若い女性の姿でやや訛りがあるが完全なドイツ語で語った。あの地球人の遠い先祖の子孫だった。それ以降、彼女 (そう呼んで良いと思うのだが) を中心に他の宇宙人たちとのコンタクトが数多く行われているという。

ビリー E.A.マイヤー 『プレアデスとのコンタクト』   2001年刊
彼がビームシップと呼ぶUFOの鮮やかな写真が掲載され、地球外生命体とのコンタクトの様子が詳しく書かれている。UFOファンにはたまらないだろう。

コンタクトの相手が老人と女性の姿であったというのはかなり興味深いが、1976年、マイヤーは生まれ育ったビューラッハからチューリッヒの東にあるヒンターシュミットルッティに移り、FIGU・SSSCセンターを開設している。FIGUは「極限的知識、霊的知識、UFOのための自由利益共同体」、SSSCは「セムヤーゼ・シルバー・スター・センター」を意味している。セムヤーゼ・シリーズと呼ばれる交信記録が印刷物として公表されているし、テレパシーによる交信相手としてセムヤーゼの他、彼女の父プター、宇宙船艦長のクウェッツァル、テーラ太陽系のタリーダなどが挙げられている。

交信の内容については、『プレアデスとのコンタクト』 に詳しく書かれている。キリスト教関係の内容についてはかなり意外なものになっているし、地球の危機に関する重要な警鐘と思われるものがある。異常気象と地殻変動が挙げられ、気象変動が食料生産に重要な影響を及ぼし、巨大な地震と火山爆発への警告が発せられる。極氷の融解 (これについては西澤潤一・上野勛黄『人類は80年で滅亡する』温暖化の果てにあるもので述べておいた)、無政府主義的テロ活動、自殺や宗教的セクト的活動の増加などがある。一方で第三次世界大戦の兆しが指摘されてはいるが、まだ勃発していない。遠い将来の予言としてアンドロイドや半獣人間の反乱といった内容を含めた警告が発せられる。

僕は、このような報告をただの幻想やフィクションとして拒否する気持ちになれないし、全て受け入れることもできない。ただ、読んでいると宇宙関連のSF映画やアニメのストーリーの下敷きとしてトレースされているのが分かってきて面白い。重要だと思えることを一つだけ指摘しておきたい。それは、地球外からの叡智や情報を与えられるという状況設定なのである。常に高みから降りて来るという感覚を伴っている。そこでは国家の利害や政治的対立や宗教的な諍いといったしがらみを置き去りにできる。そして、地球外から地球を見るという視点が与えられるのである。まるで手のひらの上に地球を置いて転がしながら眺めまわすような感覚を貴いと思う。野心を持った征服者としてではなく、そのような視点を持っている人は稀だ。例えば、バックミンスター・フラーのような人、そしてアーティストなら松澤宥ではなかったろうか。

 

イラク戦争 2003年 首都バグダッドで銃撃戦を行うアメリカ軍兵士

ユングに戻ろう。UFO伝説という世界中いたるところで聞かれる風説が、たんなる偶然で何の意味もないということは考えられないとユングは言う。もし、それが彼のいう投影の結果としての幻視であっても、そのうわさには相応の広がりを持つ根拠に根差しているだろうというのである。自己の投影は、よほど精神的な発達を成し遂げた者でなければ見破ることが困難なものであるらしいが、UFOを幻視と決めつけてしまえる根拠もまた希薄なのである。ともあれ、それは広範囲にわたる情緒的基盤の上に成り立つものであるのは確かだろう。一般に意識の態度と無意識の内容との対立によって心理的分裂が起きる。意識は、この無意識的内容を知らず、出口の無い状態に直面して間接的に自己表出の道を模索し始める。ここでユングが紹介しているUFOに関するとみられる二つの記録をご紹介しよう。

1561年のニュールンベルクのことである。血のような赤や、青、黒といった色の無数の球や円盤が太陽の近くに現れた。あるものは三つが一列に並び、あちこちで四つが四角をつくり、それらの間で血の色をした十字架が現れたという。その他に球が三つ四つ入った二つの大きな筒状の物体や大きな黒い槍のような物体もあった。それらは、太陽から空へ、そして地上へと多量の蒸気を発しながら次第に消えていった。ニュールンベルクでは1503年に血のような赤い雨が降るという事件が起こっていた。藻類だろうとパノフスキーは『アルベルト・デューラー』の中で述べている。デューラ―がまだ生きていた時代のことだ。

筒状の飛行物体はUFOの目撃情報にあるシリンダー状の「母船」のことだと思われる。小型のレンズ状の小型船を長距離輸送するとされている。ユングは現在のUFO情報に欠けている四つの単純な十字架と四つの円で構成される曼陀羅の存在を強調している。それは、キリスト教の象徴ではなく、交差的組合せ、すなわち結婚の四人組、プリミティヴな「交叉いとこ婚」であると述べているのが面白い。婚姻の秩序構造である。二つの三日月状の「血の色をした横縞」、その物体が何を意味しているか容易には分からない。地上には球体の落下した場所から煙が立ち上っている。

今度は1566年のバーゼルでのことだ。サミュエル・コキウスという聖書と自由学科を学ぶ学生が、8月7日の日の出頃に太陽に向かって猛スピードで飛ぶ、いくつかの大きな黒い球を見た。太陽を背にした飛行体は黒く見えたのだろうか。互いに争うように飛び交い、あるものは火のように赤くなり、やがて色あせたという。パラケルススが後ろ盾のフロベニウスを失ってバーゼルを追い出された38年後のことだ。

14世紀に世界的な流行をみせ、猖獗を極めたペストは致死率が6割から9割にも及ぶ恐るべき病気で、ヨーロッパでも14世紀を頂点に17世紀にかけて断続的に発生していた。16世紀にはカトリックとプロテスタントとの抗争が火種となって17世紀前半における泥沼のドイツ30年戦争に発展していく。そして、大航海時代は副産物として梅毒をもたらした。流星、彗星、血の雨、双頭の子牛が生まれるという自然現象の変異は、明らかな不吉な前兆であった。この外界から押し寄せる不安にたいする精神的補償とは何であったのだろうか。

20世紀の人間は、かつてない大規模な戦いを経験し、その後も米ソの冷戦による核戦争の恐怖にさらされ、それが一段落して21世紀になるとテロの脅威や気象や地殻変動に怯えるようになる。現代の私たちも、混沌におびえ、確かで手ごたえのある現実を求め、今あるものの存続を求め、意味内容を求め、文化を求める。われわれの世界解体もこうした現実に対する支えの欠如に由来していることをこの不安は知っているとユングは言う。世界の断片化は進行し、世界を改善する手立てに対する評価は軒並み下落し、古くからの処方はコロナウィルスに対するように効き目はない。問題は、有効で信じるに足る全体的観念の不在であるのだという。そこには何かが現れる必要があった。UFO現象はそのようにして現れた現象の一つと見てよいのではないかというのである。

太陽の船 紀元前14世紀 パピルスに描かれた廷臣ユヤの『死者の書』

天空の乗り物については古代からの記述がある。エジプトでは神々は宇宙に生命を与える偉大な河である銀河の水上を航海していると考えられた。ラーは神の船とよばれる乗り物に乗った姿で描かれた。太陽の船である。図は、パピルスに描かれた太陽円盤を頭に載せたホルスだ。

日本では天鳥船(あめのとりふね)が知られている。神の乗る船は、神格化されて天鳥船神(あめのとりふねのかみ)あるいは鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)と呼ばれた。しかし、エジプトでは明らかに船であり、天鳥船も名前からすれば、いわゆるUFOの形態ではなく船のイメージをなしている。ユングは、現在考えられているUFOの形が宇宙の構成要素たる銀河の形とアナロジーを持っていると指摘する。

ファティマの奇跡
1917年10月13日にコーバ・ダ・イリアに集まって奇跡を見る群衆。円盤のような太陽が現れ、地上に向かって突進したりジグザクに動いたりしたことが目撃されている。ファティマの聖母の予告に関連していると言われる。

そのUFOの形態が現れたのはいつ頃からなのだろうか。「空に見えるしるし」が、多数の人間に、時を同じくして見えるということも起こりえる。同一の前兆や幻視像が、そうした現象を期待したり信じたりしていない人たちにも現れるのである。複数の人間の間で相互に無関係に新しいアイデアが浮かんだりする観念連合のプロセスと同様に、それは起こりえるという。

先ほど触れた投影の問題を少し解説しておこう。自分から切り離してしまった感情は抑圧されて外界へと投影される。それが私的な個人的な事情によって起こるものか普遍的な内容に及ぶものかによって、それが波及する範囲が異なってくる。個人的な抑圧や無意識なら身内や交友関係に限られるが、宗教的な葛藤や政治的社会的軋轢はそれにふさわしい対象へと投影される。人類全体の存亡にかかわるような今日の状況では、投影を促すような空間は神々のいる天空や星々から全宇宙空間へと拡張され、世界中に広まって真面目に信じられ、あるいはすげなく冷笑される神話となる。社会的に信用があり、誠実な人々が「この眼で見た」というのである。

一方で、この動画にあるような現象はどう説明されるのだろうか。この未確認飛行物体の映像は、2019年の9月にCNNが報道した映像と同じものだ。空中を高速飛行するUFOのような存在を、米海軍が未確認飛行物体として分類していることをようやく認めたものだった。海軍報道官はCNNの取材に対し、この物体を「未確認航空現象(UAP)」と形容した。公開された映像は幾つかあり、中には戦闘機のセンサーがとらえきれないほどのスピードで海上を遠ざかっていった物体もあるという。この2015年の映像では、F-18戦闘機のパイロットたちが交わした「沢山のドローンだ」「編隊だ」「ヤバイ ! 」「風に逆らってる 時速220キロの西からの風だ」「見ろよ、あれ!」「回転している」といった会話が収録されている。高速移動する物体を、高性能赤外線センサーがとらえた。

ちなみに、これもCNNが2017年に伝えたものだが、 米国の同盟国が市販の約200ドル(約2万2000円)の小型ドローン(無人機)を約340万ドル(約3億8000万円)する地対空ミサイル「パトリオット」を使って撃墜したことを明らかにした。米陸軍司令官はドローン破壊には成功したものの、経済的に妥当な方法ではなかったとジョークを飛ばした。

今では、ドローンであろうと宇宙船であろうと分類不能な飛行物体は誤認も含めて未確認飛行物体、正確には未確認航空現象(UAP)として分類されている。そういう存在が公認されていることになる。UFOの存在も普通に認知されるようになってきたのだろうか、あるいは、アメリカの宇宙軍事戦略のための根回しととれないこともない。それらの存在がある一方で地球の周囲を人工衛星といわずその壊れた破片といわずグルグルと回っている。より地表に近いところでは、ドローンも加わる。中には武器として作られたものもあるのだ。まさに、地球は煉獄である。

しかし、こうなるとコトは厄介になってくる。ユングのいうように集団幻視とも言い難くなってくるのではないか。時速200キロの風に逆らって飛べるドローンが開発された可能性もあるが、赤外線センサーに捉えられているのだから幻視ではない。

宇宙船や宇宙人の映像も多々あるが、多くは捏造疑惑に曝されてきた。それらの内には、営利目的で作られたもの、いたずら、悪意のない誤解、単に不思議な光景として撮影されたものがあるだろうが、どれが本物かは見分け難いのではないだろうか。とりわけ今日のようにヴァーチャル技術の精度が著しく高くなっている時代にはそうだろう。真偽の判断は困難なものになっていくのである。

地球外生命体やそれを乗せた宇宙船が存在するのかどうか。皆さんはどう思われるだろうか。その存在の有無を判断するのは、なんだか、状況証拠はいっぱいあるが、確証の無い事件の裁判のようだ。自分で見たり触ったりしたことのないものを「無い」と考えるのは人間の悲しい性 (さが) だが、僕はといえば、われわれが何らかの秘密を持ち、不可能な何ものかに対する予感を持つことは大切なことだというユングの言明の内に留まりたいと思っている。それ以上は保留にしておきたいのだが、一度はこの眼で見てみたい‥‥是非 !

私たちは、中世の形而上学的なゆるぎない世界像からはるかに遠ざかった。意識は啓蒙主義的な形而上学によって、いっさいの「神秘的」傾向を排斥してきた。世界の没落のあとの真のキリスト教的な世界の確立。あの輪郭定かな世界像は、二度と取り戻せないとユングは言う。この圧倒的な傾向が投影という無意識の自己主張には絶好の条件となる。神話的な人格化は、すでに時代遅れだった。神話的な原型は、UFOという現代的な姿をまとったという。UFOは、物理学の新たな奇跡として登場したとユングは言うのである。僕は、この言葉を是非文化批評として受け取ってほしいと思っている。UFOは、私たちにとって極めて偏った精神的風土の補償であるかもしれないのだから。ここで、今回のブログは一旦終了したい。以下は付録である。

 

付 ビリー・マイヤーと松澤宥

ユングの慧眼には、いつも心服するのだけれど、実は本書の中で僕が最も心惹かれたのは、この言葉なのである。「核物理学が一般人の頭に、判断力の不確実さという念を植えつけたので、一般人は物理学者以上にそう思い込み、つい昨日までありえないとされたことを可能だと思ったりしがちなのである。‥‥UFOの示すいかにも物理的な性質は、一方では最高の頭脳の持ち主にさえ、そうした謎を投げかけている (松代洋一 訳)

このところ亡くなった松澤さんの展覧会のための準備をしていて、松澤さんの著作や作品を調べている。彼が42歳の時に受けたと言う「オブジェを消せ」という外界からの指示が概念芸術の発端であることはよく知られている。実はここには伏線がある。彼が33歳の時、1955年のことなのだが、2年間フルブライト留学生としてアメリカに留学した。ニューヨークにあるコロンビア大学だった。そのニューヨークで、こんな放送を聞いた。1957年、僕の生まれた年のことである。

『スピリチュアリズムへ・松澤宥1954-1997』川口現代美術館カタログ  他の精しい年譜としては『松澤宥プサイ(Ψ)の部屋』を見ていただくことができる。松澤宥の公式サイトと考えていただいてよい。

「2月2日午前2時 (これは、いつもの数字合わせなのだけれど)、枕元のモーターローラーの小型ラジオを回していたら不思議な放送が入って来た。『私は5歳のころの或る日に不思議な力に導かれて森の中をさまよい出しその森の中のとある岩の上に25,6歳の非常に美しい女の人を認めしばらくその婦人と話しをした。それから、20年後の昨年8月やはり或る力に引き出され森の中の岩の上であの昔と変わらない25,6歳の美しい人と会った。私は20年前この岩の上に座ってあなたと語った金星の女です。私の年は500歳 ! と言いました。』語るはニュージャージー州ハイブリッジの若いペンキ屋さんハワード・マシューさん。よく聞くとその放送は以前からずっとニュージャージー州のWOR局の終夜 (午前1時から5時まで) つづくパネルディスカッションであった。私はそれからニューヨーク滞在中一日もかかさずそれを聞いた。パーティー・ライン (合わせ目) は今でいうUFOに関するもので、心理学者、地球外空間研究家などの若干のパネルをもち、次々と占星術家、霊媒、数学者、催眠術家、ヨガ哲学家、生理学者、医学者、技師、教授などが招かれて、死後再生とか物体浮遊とか心霊現象とか超心理学、超科学、超宗教について異常に熱心にかたられていた。この放送を聞け ! それに触発されて私のニューヨーク滞在は後に絵画の非物質化に突っ走るための端緒の日々だったと言える (機関13・自筆年譜/『スピリチュアリズムへ・松澤宥1954-1997』川口現代美術館カタログ収載)。」

松澤 宥『量子芸術宣言』

彼は、終生テレパシーやUFOなどの超常現象に魅かれていた。その証拠は、彼の第二のエポックと言われる『量子芸術宣言』に見ることができる。その第10弦 (弦は超弦理論にちなんでいる) 量子芸術演習 (続) には「ビリー・マイヤーよ」という副題がついていて、以下のような内容が書かれている。

BM001
物質が百万分の一秒内にひずみを生じ微細化し非物質化し無限の距離を瞬間で移動出来る

BM002
遮蔽幕により物質の微細化非物質化を克服し空間と超空間の間の壁を中和して突き抜ける

これを読むと量子力学との類似を意識させられる。実際にはそれとは異なるけれどBM001は量子テレポーテーションを彷彿とさせ、BM002は量子トンネル効果を連想させる。ユングのいう核物理学とは量子力学のことを指しているのだけれど、その負の遺産が原子爆弾や原発事故であったことは我々身に染みている。「判断力の不確実さという念」というのは、量子力学が古典的な因果関係の成り立たない不確定な世界観を築き上げてしまったことを指している。不確定性原理、量子遷移、波と粒子の二重性、量子もつれといった極小の世界で展開される事柄はこれまでの因果律をなし崩しにして飛び飛びで確率的にしか観測不能なものとして表象されるようになった。しかし、松澤さんは、この量子力学をポジティブに全面的に押し出したのである。

そこにある物質のもっている波でもあり粒子でもある不確かさ、テレパシーが介在するかのような量子もつれ、瞬間的にワープする量子遷移といった性質は、松澤さんにとって物理学を超常科学に接近させるものに映ったのではなかろうか。これは、松澤さんが量子力学を理解していなかったことを意味しない。その逆である。それをビリー・マイヤーの言うような高みからの叡智と重ねたのかもしれない。このような言葉もある。

BM003
「創造」が無からこの宇宙を造ったそれは全能であり遍在であり法則だ創造自体に触れよ

このブログの冒頭に述べたノストラダムスの予言詩を思い出してほしい。「満月は夜 高き山にあがり/ただ一つの頭脳を持つ/新しい知恵ある人がそこに見られ/不死なるものとなることを弟子にしめし‥‥」。この詩は、『量子芸術宣言』の序にその内容が要約されて登場する。ビリー・マイヤーはヒンターシュミットルッティの山に、FIGU・SSSCセンターを開設し、松澤さんは諏訪という高地に住みそれに先立って外部空間状況探知センターや虚空間状況探知センターというコンセプトを立ちあげている。1960年には、コンピューターと空飛ぶ円盤のバックグランドはサイバネティックスとパラサイコロジーだとして新たなコミュニケーションの問題を提起した (『芸術新潮8月号』「サイバネティックスからマンダラまで」)。コミュニケーションの問題が絵画や芸術や文明に対して決定的な意味を持つことを闡明にしていた。こうなるとノストラダムスの言う「ただ一つの頭脳」が松澤さんにとって何を意味したかおおよそ想像できるようになるのである。

この量子芸術演習 (続)「ビリー・マイヤーよ」の最後にはこのような文が掲載されている。僕はこんなオチャメな松澤さんが大好きだった。

BM009
舞い舞いマイヤーマイヤー

 

 

その他のUFOのような物体が描かれた絵画

ドメニコ・ギルランダイオ(1449-1494)
『聖母子と洗礼者ヨハネ』
聖母の右肩上方に未確認飛行物体が飛んでいる。右上に少し拡大した図を載せておいた。太陽や雲の表現に特徴があり、ある種の光彩を放つ天体などをよく描いているが、本作品では形状がUFOにかなり近い。その工房からミケランジェロを輩出したことでも知られる人だ。

兎園 (とえん) 小説  『虚舟 (うつろぶね) の蛮女』
江戸時代にUFO伝説を思わせる奇談が知られていた。『兎園小説』(1825年刊行/江戸の文人や好事家の集まりの会で語られた奇談・怪談を、曲亭馬琴がまとめたもの)に『虚舟の蛮女』という題で図版とともに収録され今に伝えられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考図書

ビリー・エドゥアルト・マイヤー『わずかばかりの知識と知覚そして知恵』
マイヤーのまとめた倫理と智慧の書というべきもの。UFOや宇宙人とのコンタクトの内容は一切出てこない。

 

 

 

 

 

ニュース

2020年 5月『 松澤 宥・植田信隆 展』のご案内

2020 5/19-5/31『松澤 宥・植田 信隆 展』のご案内

 

2020年 5/19(火)- 5/31(日)展覧会期間が延長されました。
ギャラリーG/ Hiroshima
http://gallery-g.jp/  火曜ー土曜 11:00~20:00  月曜 休廊  最終日 11:00~16:30

5月24日 (日) 出原均、アラン・ロンギ―ノさんのシンポジウムについて
アラン・ロンギ―ノ(アメリカ在住)さんは、アメリカからの入国制限措置のために来日できません。ご了承下さい。出原均(兵庫県立美術館学芸員)さんによるお話を5月30日(土)19:00より無観客でビデオ収録することととなりました。19:00までは展覧会をご覧いただけます。

 

概念芸術の巨匠・松澤宥(まつざわ  ゆたか/1922-209)と植田信隆による展覧会です。2004年に制作した『消滅するヒロシマに捧げる九つの詩』のリメイク作品、そして以下に掲載しています松澤宥のオリジナル作品を展示します。この展覧会に際しては、ご家族と長沼宏昌氏の全面的な協力を得ました。ここに深く感謝いたします。

松澤 宥  出品作品

●草稿/『死のテーマ ヴェネチア・ビエンナーレに』『タントラを巡ってさまよう』 『A Black Hole』『ゾンスベーク国際展へのコメント』 他

●九字九行作品/『超人類の果て』『ドリコソマ』『エニグマ22』 他

●パフォーマンス草稿/『諏訪湖に白紙絵画を見せる』『私の死』 他

●チラシ作品/『ああニルああ荒野におけるプサイの秘具体入水式』『プサイの死体遺体』『プサイ函』 『人類よ消滅しよう』『ドンデン返し計画』他

●パフォーマンス写真(長沼宏昌 撮影)

 

『関連シンポジウム』が以下のように予定されています。

5月19日 (火) 19:00~20:00

無観客でのビデオ収録となりました。後日配信の予定です。

柿木 伸之(かきぎ  のぶゆき/広島市立大学国際学部教授 哲学、美学)、植田 信隆(作家)

ベンヤミン研究者として知られる広島市立大学の柿木伸之先生をお招きします。前半は私が松澤さんの芸術についておおまかに解説し、後半は、柿木先生に松澤芸術を起点として戦争と芸術をテーマにお話ししていただきます。

5月24日 (日) 15:00~16:00

出原均(ではら ひとし/兵庫県立美術館学芸員)
アラン・ロンギーノ(インディペンデント・キュレーター)

アラン・ロンギ―ノ(アメリカ在住)さんは、アメリカからの入国制限措置のために来日できません。ご了承下さい。出原均(兵庫県立美術館学芸員)さんによるお話を5月30日(土)19:00より無観客でビデオ収録することととなりました。

2004年に広島市現代美術館で『松澤宥キュレーション展』を企画された当時の学芸員であられた出原 均(ではら ひとし/兵庫県立美術館学芸員)さんに松澤芸術について解説していただきます。

どうぞ、皆さまマスクをお持ちになってご来場ください。

 

2020年3月27日

2019年 ギャラリーG、広島での個展のご案内

2019年 広島での個展のご案内

2019  6/18(火)-6/23(日)

ギャラリーG Hiroshima http://gallery-g.jp/

contact  http://gallery-g.jp/contact/

火曜ー土曜 11:00~20:00
日曜 11:00~16:00

新作「モノクロームの残像 “Afterimage of Monochrome”」をご覧いただきます。ギャラリーの場所は、広島県立美術館の斜め向かいという絶好のロケーションです。

最近興味を持っている形は、まるまった落ち葉のような形、枯れかかった枝、蹲る大地に潜む虫たちが見せる姿です。三分の一は、水墨画のように、三部の一は、象徴画として、三分の一は抽象画のようになればいいと思っています。少しは年齢なみに落ちついてきたと言われたい。でも、どうなんでしょうね。

どうぞ、ご来場ください。

 

ギャラリーGマップ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年5月5日

ロンドンでのグループ展 2018

ロンドンでのグループ展

2018  11/26-30

スウェイギャラリー ロンドン       http://london.sway-gallery.com/home/exhbition/

月曜ー金曜 11:00~19:00
土・日曜 11:00~20:00 要予約 

Sway gallery , London

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Afterimage of monochrome 15
60.6cm×50cm

Sway gallery , London

26-30 November 2018

70-72 OLD STREET, LONDONEC1V 9AN

 +44 (0)20-7637-1700

A group exhibition of unique and creative Japanese artists, curated by Artrates
Mon-Fri → 11:00-19:00 Late Opening Thu 29 Nov → 11:00-20:00 (RSVP)

PARTICIPATING ARTISTS:
● Maki NOHARA (Oil Painting)
● Sei Amei (Watercolour)
● Fumi Yamamoto (Mixed Media Painting)
● chizuko matsukawa (Embroidery Illustration)
● Naho Katayama (Paper Cut Works)
● Yuki Minato (Japanese Ink Painting)
● noco (Mixed Media Painting)
● Nobutaka UEDA (Mixed Media Painting)
● Harumi Yukawa (Watercolour)
● Kaoruko Negishi (Acrylic Painting)

● IWACO (Doll Maker)

 


展覧会の報告

Sway Gallery , London     26-30 November 2018

ロンドンのSway Gallery から展覧会の報告をいただきました。「伝統的な作風の中にもモダン性を感じる」「色の濃淡のコントラストがインパクトがある」というお客様のコメントがあったとのこと。作品の背後の世界やストーリーについても知りたいというお客様もいらっしゃり、ぜひご本人がいらっしゃれば!というギャラリーのスタッフからのコメントもありました。好評をいただいたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年 ニューヨークでのグループ展

ニューヨークでのグループ展です。 2017年 10月17日(火)~21日(土)

短期間の展覧会で恐縮ですが、おいでください。

Jadite Galleries   New York

413 W 50th St.
New York, NY 10019
212.315.2740

https://jadite.com/

【Art Fusion 2017 Exhibition】

October 16-21
Hours: Tuesday – Saturday Noon-6pm

 

Fumiaki Asai, UEDA Nobutaka, Izumi Ohwada, Ayumi Motoki
and others

Opening: Tuesday, October 17 6-8pm

MAP(地図) https://jadite.com/contact/


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Opsis-Physis 12
1997   53cm×45.5cm


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Afterimage of monochrome
2016  45.5cm×53cm

 

 

2017年10月18日

秋島芳惠 処女詩集『無垢な時間』表紙デザイン

 

秋島芳惠詩集『無垢な時間』表紙

秋島芳惠(あきしま よしえ)さんは、現在90歳を超えておられると聞いている。広島に住み、60年以上に亘って詩を書き続けてこられた。だが、生きているうちに自分の詩集を出版するという気持ちは持たれていなかったようだ。

この間、僕が彼の詩集の表紙をデザインした豊田和司さんが訪ねて来て、こんな素晴らしい詩を書く人なのに、詩集が一冊も出版されていない。それで自分たちは、それを出版したいと思っている、ついては、表紙をデザインして欲しいとおっしゃったのである。僕は、正直言ってちょっと困った。自分のグループ展も近かったからである。だが、自分の母親をこの4月に亡くしたばかりだった。秋島さんとほぼ同い年のはずである。ちょっと心が疼かないはずもなかった。母への想いが秋島さんと重なってしまったのである。それで、お引き受けした。

しかし、デザインはかなり難航した。表紙に使う絵は決まっていたのだけれど、どうも色がしっくりこないのである。僕は絵を制作する時には、ほとんど煮詰まったりしないタイプなのだけれど、今回は久々に頭を抱えた。色が合わない。渋くはしたいが、かといって色は少し欲しかったからである。色校もし直した。その時点でのベストだと思っている。秋島さん御自身が気に入ってくださったと聞いて、ほっとした。

自分のことはさておき、このような企画を実現した松尾静明さんや豊田和司さんにエールをお送りしたいと思う。自分たちが、良いと思うものを残していかなければ、やはり地域の文化は育っていかないからである。こんな企画が色々な分野でもっとあればいい。

秋島芳惠詩集 表・裏表紙

2017年 6/9~7/15 ウィーンでのグループ展です。


ウィーンでのグループ展、開催のお知らせ。

場所: アートマークギャラリー・ウィーン   artmark – Die Kunstgalerie in Wien

日時: 2017年6月9日(金)~7月15日(土)

作家
Frederic Berger-Cardi | Norio Kajiura | Imi Mora
Karl Mostböck | Fritz Ruprechter |  Chen Xi
中島 修  |  植田 信隆


 

 

 

artmark Galerie

Wien
Palais Rottal
Singerstraße 17
Tor Grünangergasse
A-1010 Wien

T: +43 664 3948295
M: wien@artmark.at

http://www.artmark-galerie.at/de/

artmark galerie map

 

 

 

 

2017年5月21日

豊田和司 処女詩集『あんぱん』表紙デザイン

豊田和司 処女詩集『あんぱん』表紙デザイン

ご縁があって、詩人豊田和司(とよた かずし)さんの処女詩集『あんぱん』のカヴァーデザインをさせていただきました。僕は折々、自分の画集を作ったことはあるのですが、その経験が活かせたのか、豊田さん御本人には、気に入ってもらっているようです。彼の作品は、とても好きなのでお引き受けしました。詩と御本人とのギャップに悩むと言う方もいらっしゃるようですが、そういう方が芸術としては、興味深い。ご本人に了解を得たのでひとつ作品をご紹介しておきます。

 

豊田和司詩集『あんぱん』表

みみをたべる

みみをたべる
パンのみみをたべる
やわらかくておいしいところは
おんなのためにとっておいて

みみをたべる
おんなのみみをたべる
やわらかくておいしいところは
たましいのためにとっておいて

たましいの
みみをたべる
やわらかくておいしいところは
しのためにとっておいて

みみをたべる
しのみみをたべる
やわらかくておいしいところは
とわのいのちに
なっていって

 


皆様、この「遅れてやって来た文学おじさん」の詩集を是非手に取ってご覧くださればと思います。

お問い合わせ tawashi2014@gmail.com

三宝社 一部 1500円+税

豊田和司詩集『あんぱん』表(帯付)と裏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年2月27日

2016年『煎茶への誘い 植田信隆絵画展』のお知らせ

『煎茶への誘い 植田信隆 絵画展』

2016年の植田信隆絵画展は、三癸亭賣茶流(さんきていばいさりゅう)の若宗匠 島村幸忠(しまむら ゆきただ)さんと旬月神楽の菓匠 明神宜之(みょうじん のりゆき)さんのご協力を得て賣茶翁当時のすばらしい煎茶を再現していただき、この会に相応しい美しい意匠の御菓子を作っていただくことになりました。加えて、しつらえとして長年お付き合いしていただいた佐藤慶次郎さんの作品映像をご覧いただくことができます。「煎茶への誘い」を現代美術とのコラボレーションとして開催することができたのは私にとって何よりの喜びです。日程は以下のようになっております。どうぞご来場ください。

 

2016年10月11日(火)~10月16日(日)
広島市西区古江新町8-19
Gallery Cafe 月~yue~
http://www.g-yue.com
 

『煎茶への誘い』

煎茶会は15日(土)、16日(日)の13:00~17:30に開催を予定しております。

茶会の席は、テーブルと椅子をご用意しています。

ご希望の方は、15日、16日の別と時間帯①13:00~14:00、②14:00~15:00、③15:30~16:30、④16:30~17:30を指定してGallery Cafe 月~yue~までお申込みください。会は30分で5名の定員となっております。お早目にご予約くださればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

<参加費>2,000円(茶席1席 税込) 当日受付けにてお支払ください。

お申し込先 Gallery Cafe 月~Yue~
広島市西区古江新町8-19  営業時間/10:30〜18:30  定休日/月曜日
TEL 082-533-8021  yue-tsuki@hi3.enjoy.ne.jp

先着順に受け付けを行っております。茶会は一グループ30分です。各時間帯の前半、後半どちらかのグループに参加していただくことになりますが、前半の会になるか後半の会になるかは、当日の状況によりますので、あらかじめご了承ください。

「煎茶への誘い 植田信隆絵画展 リーフレット」 表

「煎茶への誘い 植田信隆絵画展 リーフレット」 表

「煎茶への誘い 植田信隆絵画展 リーフレット」 裏

「煎茶への誘い 植田信隆絵画展 リーフレット」 裏

 

 

 

 

 

 

2015-16年 大分県立美術館開館記念展Vol.2 『神々の黄昏』展

今年オープンした大分県立美術館(OPAM)の開館記念展Vol.2、『神々の黄昏』展に出品させていただきました。194cm×390cm(120号3枚組)が4点並んでいます。しかし、展示場はとても広いのであまり大きく感じません。こんな大きな空間でゆっくり見ていただけるのは、めったにないことなので是非実際に会場に行ってご覧くださればと思います。

近くには別府や湯布院などとてもいい温泉が沢山ありますので温泉に浸かって帰られるのもまた良いのではないでしょうか。広島からJRで2時間半くらいの距離です。

2015年 10/31(土) - 2016年 1/24(日)  http://www.opam.jp/topics/detail/295

『神々の黄昏』展会場 大分県立美術館

『神々の黄昏』展会場
大分県立美術館

大分県立美術館(OPAM)外観 板茂(ばん しげる)設計

大分県立美術館(OPAM)外観
坂茂(ばん しげる)さん設計の美しい建築です。

 

 

大分県立美術館内部 エントランスから西側を概観

大分県立美術館内部
エントランスから西側を概観

 

 

2015年11月2日

2015年 広島での個展と『能とのコラボレーション』

吉田先生の御長男も特別出演していただくことになりました。とても楽しみですね。「能への誘い」の後20~30分をめどに吉田先生とお話をしていただける機会を持ちたいと考えております。お時間のある方は、そのまま会場にお残りくださればと思います。どうぞよろしくお願いします。

『能の誘い』 2015年7月29日(水) 14:30~15:30
25席はお蔭様をもちまして予約完了となりました。

予約していただいた方々には予約整理券をお送りしております。それをお持ちになって当日会場受付までお越しください。尚、現在2名の方がキャンセル待ち予約に入っていただいております。

ueda and yoshida collaboration 1ss

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『植田信隆絵画展』
日時 2015年7月28日(火)~8月2日(日)

10:30~18:30 (最終日17:00まで)
新作を含めて10数点を展示いたします。

『能の誘い』
「能のいろ」
2015年7月29日(水)
14:30~15:30
能装束と扇のお話を中心にしていただくとともに吉田さんのすばらしい謡・仕舞の実演をご覧いただけます。
『能の誘い』は全席25名ほどのわずかな席しかありませんので、ご予約をお願いします。ご予約後整理券をお送りします。
「能への誘い」料金 2000円
予約連絡先 (7月1日より予約開始です)

植田信隆方  携帯090-8996-4204  hartforum@gmail.com
ご予約はどうぞお早めにお願いいたします。

場所
Gallery Cafe 月~yue~
http://www.g-yue.com/index.php

以上よろしくお願いしたします。

Gallery Cafe 月 ~yue~ 地図

Gallery Cafe 月 ~yue~ 地図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年5月14日
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